──我が冥王の名が示すがごとく。女媧よ、君が葬り去った冥府の王は死より帰還したぞ。
凄絶な威の籠ったテノールが女媧に突き刺さった。
驚愕か、興奮か、それとも恐怖か。絶叫とともにまつろわぬ女媧がとぐろを巻く。
──貴様が顕れてから随分と多くのものが喪われた……。これでこの因縁も終わりにしたいものだな。
私のつぶやきに呼応するように女媧が壮絶な叫びをあげた。ただの叫びではない、常人が耳にすればたちまち心を壊してしまう狂声だ。
──無意味だ。
しかし私にその類の攻撃は一切通用しない。今の私に精神的な穴はなく鉄壁を誇っていた。前回のような下手は打たない。
1歩を踏み出す。次いで異変が襲った。
──時間が停滞した。時間が空恐ろしいほど緩慢としたものとなり、最後には停止した。いや、正確にはそうではない。体内時計で測ると1秒をおよそ1万年に変えられていた。
不朽不変。
おそらく神に連なるものですら消滅してしまう幾星霜のなかで、自我を強化し、数十回ほどダメになった自我を捨てながら一切の変化をせず1歩を踏みしめた。
今度は──灼熱の大紅蓮が痛覚と視界を覆い尽くした。
太陽。瞬きの呼吸が鼻を融かし、気管は爛れて、肺は燃えた。
不撓不屈。
このジョン・プルート・スミスはあらゆる困難に打ち勝つ力と、それに見合う頑丈な肉体がある。ならばこんな火の粉、私には届かない。
数百回ほどダメになった自我を消し飛ばして再構成しながら1歩を進めた。
今度は目の前に──アマリリスがいた。
肉体が欠けて果てて、空洞となった眼窩と空色の右瞳が、じっとこちらを見ていた。幼児のように手を伸ばして、救いを乞うように、涙をこぼした。
頑迷固陋。
怒りが全身を焼いた。これほどの侮辱があるだろうか、護れなかった者の記憶を持ちだして、使嗾させ、逝ってしまった者の尊厳を辱める。
あってはならない。
許してはならない。
まつろわぬ女媧め。
私はさらに1歩を踏みだした。
まつろわぬ女媧の齎すあらゆる困難を、あの時の僕はジョン・プルート・スミスになる事によってくぐり抜けた。時が経つほどスミスに近づいていき、それと共に僕はさらなる大いなる階梯を昇ることが許された。
埒が明かないと悟ったのか、まつろわぬ女媧は物理的な手段に訴えかけた。女媧が地面にひろがる影に触れると影が体積を増し、無数の腕が生えた。
女媧は人類を創造した人の生を司る神だ。
しかし生と死は表裏一体であり輝かしい生を司る神は、死の先にある極寒の荒れ野を統べる神でもあった。死に満ちた腕はたとえ私でも触れてしまえば如何に私でも危うい代物だった。対抗する手段は…………。
──ビフロンス。
脳裏にひとつの霊視が蘇った。
霊視と記憶に導かれるまま私は身をゆだねた。臍下丹田にうずまく
その時の私は、自分から見ても他人から見ても、もやがかかったように虚ろだった。
『
後に知ったけれど、これは決して権能ではなかった。
神に届かぬ身の人間たちが、見様見真似で神の御業を得ようとした技のひとつであり、僕がはじめて僕の意思で行使した──魔術であった。
私は自己を曖昧にし、影の腕を透過した。一度成功すればあとは繰り返すのみ……影腕の剣山をものともせず、最奥に坐するまつろわぬ女媧へ肉薄した。
まつろわぬ女媧もまた猛然と吶喊した。その威容はまさに悪神さながらで、しかし、私も臆することなく揺るぎない前進で応えた。
……その時の僕は、完全なほど、完全無欠なほど"ジョンプルートスミス"だった。
Woooooooooooooo!!!!!!
獣じみた唸り声は女媧ではなく私のもの。手中の銃を剣とするかのごとく突きつけ、照準をさだめ指が引き金を──引くことは、できなかった。
──ゾッと。
身が強ばり竦むほどの冷気が──”頬”を起点に全身を刺し貫いていた。
まるで氷でできた棘の花が全血管のなかで花開いたようだった。
肺からせり出されら呼気を白く変える冷気が、私というスミスの外皮を剥ぎ取って、剥き出しの僕がさらけ出されて放り出されてしまった。
あと少しでまつろわぬ女媧へ弾丸を叩き込めたのに、身体は蝋で固められたようにピクリともしなかった。
”あ……”
どうして? と疑問をいだくより早く、間抜けたように口をあけてしまった。
頬だったんだ。
スミスの死因となった傷と同じ場所だったんだ。
演技に暗示とは結局、観測した彼を元にする。
なら、僕が見た最後の彼は呪いを受けていて……呪いすら再現してしまうのも道理だった。
僕は完全に模倣しすぎていたんだ。
思えば女媧は僕の意思をスミスへ近づけるためわざと煽っていた事に今更ながら気づいた。女媧に知恵や知性はない。しかし悪辣さと狡猾さは反吐が出るほど優れてるのは嫌というほど知っていた。
そして悟った事実と、それを元に先の未来がみえて
……崩壊は一瞬だった。
まつろわぬ女媧がスミスの銃を吹き飛ばす。
交尾をはじめる蛇のように……いや、獲物を丸呑みにする大蛇さながらに僕を絡め取った。
もう僕に対抗の手段も、抵抗の意思もなかった。黒髪で隠されていた面貌があらわれ、瞳孔が縦にひらいた眼に僕が映り込んだ。
あまりの美しさに、人である僕の
まつろわぬ女媧の眼窩にうまる空色の瞳を、見たことがあった。あれを見たのは、この塔の中で、牢の中で。
ああ、あれはアマリリスの瞳だった。
僕とアマリリスをつなぎ合わせて"僕"ができたならその半分はどこへいく? 答えはまつろわぬ女媧で示されていた。
僕のゆがみ切った表情がなによりの好物だというようにまつろわぬ女媧が口を横に裂いてわらった。そして情事の睦言とおなじ温度の言葉を僕に落とすのだ。
アイセ。
ツガイトナレ。
ワガ、ホウギ……ホウギ……。
言葉は毒で、毒が血を通って染みいるように、言葉は脳を侵した。呪言を少しでも跳ね除けようとした脳が、耳から血を流す。それでも止める事は決してない。
日はもう光も差さないほどに墜ちきって、月光のみが光だった。
刻限が訪れた。誓約が果たされる時はきた。
僕
の
絶
叫
が
木
霊
し
た