サインは大きな隙だった。
隙をきっかけにまつろわぬ女媧としのぎを削っていたスミスは一撃を許してしまった。
それは吹き矢じみた影の一滴で、銃弾と同速の影矢はスミスの仮面に取りついた。けれど時間にすれば指を弾くくらい短い時間で、彼はすぐに火となって実体を消失させて影の一滴だけが闇にとけた。
スミスという壁がなくなり、フリーハンドになった女媧は首をぐるりと180°回転させると僕に狙いを定めた。異形の叫びがこだまする。影が濁った。
耳を抑えて、とにかく足を動かした。
スミスの推測に間違いはなかった……まつろわぬ女媧は僕を喉から手が出るほど欲している。
その証拠に僕が一目散に逃げだせば過剰なまでに反応し、追いかけて来た。背に堆積していく妄執の塵に震えが止まらなかった。
懸命に走る僕に女媧はまたたく間に追いすがって、手を伸ばした。影は波に見えた。波打ち際に打ちよせる海水さながらに濃淡があって、巨人の手のひらにつかみ取られる錯覚に陥った。
僕は走った。
どこまでも。
アマリリスの肉体はヒトだった僕よりはるかに高性能で、足も早くて息が切れる事すらなかったけれど──鼓膜を苛む、叫び。叫び。叫び。
心から活力を霧散させる絶叫が、心を痛めつけた。
まるで黄泉の比良坂で逃げ出したイザナギの追体験をしている気分に陥って、女媧が本来人を作った慈悲深い女神だという伝承が信じられなかった。我執に囚われた荒ぶる邪神が、今の女媧を形容するのにふさわしいと思えた。
背筋とわき腹に温度のない冷たい指が這った。それを皮切りにまつろわぬ女媧に貪られていたあの暗澹たる記憶が思考と接結し、絶望がこころを埋めた。
恐ろしい。
怖ろしい。
畏ろしい。
けれど恐怖は生き残るための燃料でもあった。
追いつかれるっ。
僕が最期の抵抗とばかりに地を蹴って身を投げたした時、爛々と輝くエメラルドの双眼が視界を駆け去った。反射的に目で追うと、僕とすれ違うように虚空から影色の【豹】が疾走し、女媧の喉元へ喰らいつていた。
すぐに気づいた。あれはスミスだった。
スミスは豹の猛々しい牙でまつろわぬ女媧へ喰らいつき、怒涛の咆哮をあげた。同時に世界が白み始めた。
暁だ。夜が明ける。
塔に閉じ込められてから明けることなのなかった常夜の世界が晴れていく。領域の主である女媧が傷つけられたからだ。
スミスたちから視線を外し、前を見据えた僕は、森のはるか先に一条の光を見た。
あの先に辿りつければこの森を抜けられる。女媧の領域から抜け出せる。
確信が心に踊った。
僕は、行くんだ!
僕は全身に残った力を臍下丹田の源泉から掻き集めて、一歩を踏みだし──直後、まつろわぬ女媧による