神様でなくなった日/神様になった日(完結) 作:ファルメール
ほんの一週間前までは、陽太にとって銃などはマンガや映画の中でだけ見る物かさもなくばモデルガンやエアガンに触れる程度の物でしかなかったが……それがここ数日で、幾度も実銃を目の当たりにするようになってしまった。
だからと言って、慣れる訳ではない。
ひやりと室温がいくらか下がった感覚があって、背筋を冷たい汗が伝った感覚が分かる。
「お……おじさん……それを、一体どうするつもりなんですか……?」
「ん? これか? 陽太……これはな」
引き出しから取り出した赤星を、正義はしっかりと銃把を握り締めると、人懐っこい笑みを浮かべつつ……
「こうする為の物さ」
銃口を陽太の方へ向ける。
「え……嘘……?」
いきなり、叔父が自分に銃を向けるその光景が、それを見ている自分の目が陽太は信じられなかった。
この時、彼は世界が自分と向けられている銃口だけになった気がした。
フェンリル本社の一室。
央人は、送られてきたメッセージを読み終えると、彼だけに見える空間に浮かんだディスプレイを操作して、そのメッセージを消去した。
「そうか……その銀行の貸金庫に設計図がある可能性に賭けての情報公開か。確かに、打てる手はそれしか無いだろうな。分かった、僕も出来る限りの協力はさせてもらうよ」
拡張現実の中にだけ存在するVRキーボードを、央人の手は空間に残像が残る程の速さで叩いていく。
瞬く間に高度に暗号化された精緻な式が組まれて、プログラムの雛形が出来上がった。
央人はそのプログラムを、先程写真データを送った正義のパソコンへと送信する。
「設計図を手に入れたら、そのプログラムを使ってネットにアップするんだ。それを使えば、どこの国のコンピューターや諜報機関にも検閲・盗聴・ブロックされる事は無い。データは全て、ネット上に無制限に拡散される……僕が出来るのはここまでだ」
<十分だ。感謝するぜ>
「良いんだよ。僕が始めた事だからね。ひなちゃんや……陽太だっけ。彼にもよろしく。それから……」
「……?」
少しだけ、次に出る言葉を央人は言い淀んだ。
「幸運を祈る。上手くやりなよ」
<ありがとう。名も知らぬ少年、感謝するよ>
「!!」
正義のその言葉を最後に、ひなを中継しての通信は切れた。
央人はハッキングツールの機能を停止させると、ふうっと息を吐いて天井を仰いだ。
今は不思議と、胸のつかえが取れたようにスッキリしている。物心ついてからこっち、両親やCEOに命ぜられるままに多くの仕事をこなしてきたが、どんな大仕事が終わった後にも、こんな達成感・充実感は覚えた事が無かった。
どうして今回だけが特別なのか? その理由は、彼には既に分かっていた。
「……ありがとう、か……」
くすっと笑うと、央人は「ああいけない」と立ち上がった。
忘れる所だった。まだ自分には最後の一仕事。後始末が残っている。
彼は両手と、それに髪飾りのように頭部に装着されたハッキングツールを外す。
「こいつも、使い納めだな」
少しだけ、両掌の上に乗せて名残を惜しむように見詰めた後、彼はそれを床に放り出すと、踏み潰した。
これで、フェンリル社の人間が彼の動きに気付いたとしても、ツールに残されたデータから何をしたのか知る事は不可能になった。これは央人の最後の意地。自分を利用するだけ利用してきた大人達に報いる事の出来る、せめてもの一矢だった。
正義のスマートフォンが、着信を知らせるメロディを鳴らした。
「!」
画面を見ると、電話を掛けてきた相手は「フェンリル社 CEO」と表示されている。
通話ボタン押して、正義はスマホを耳元へと持っていく。
「はい、こちらオフィス成神、会長の成神正義です」
<お久し振りですね、成神会長>
電話越しに聞こえてきたのは、凜とした印象を受ける女性の声だった。正義にとっては、ITビジネスの商取引で良く顔を合わせる相手である。
「お世話になっております。それでCEO、今日は何の御用で?」
試すように、正義が質問する。どうせこんなタイミングで掛かってくる電話なのだ。相手の用件は大体想像が付くが……それでも、一応確認は必要だ。
<成神会長。単刀直入に言います。そちらで預かっている少女を、我々に引き渡してもらいたい>
「……」
やはりかと、正義は顔半面をしかめさせた。
<詳しくは言えませんが……彼女の身柄を確保する事はこの国の秩序・安全保障や……ひいては世界の安定に関わる事なのです。もしこれを拒否する場合、あなたにとって絶望的かつ破滅的な処置を、我々は執らざるを得ませんが>
「それは交渉か? それとも脅迫?」
<それはあなたの想像にお任せする>
「では質問を変えるぜ。CEO、これはあんたの意志か?」
<……事は既に一企業の手に負えるレベルの問題ではない。もっと上の、総意によるもの……とだけ言っておこう>
「……ほぉ」
<それで成神会長、返答を聞こうか。時間稼ぎは無駄だと、先に言っておく>
「……断る、ノー、ノン、ニエット、ナイン……何語でも、そちらの好きな言葉をプレゼントさせてもらいますよ、CEO」
電話越しに、相手が僅かに息を呑む気配が正義の耳に伝わってきた。
<何故だ? 会って一月足らずの彼女をそこまでして守る義理などあなたに無い筈……それに……>
「それに?」
<それに、彼女の存在は放っておけばこの世界に巨大な混沌を生む……それはあなたにとっても不利益にしか働かない筈だ。あなたとて長年、ビジネスの世界で冒険をして、それでやっと今の財と地位を築き上げた筈……その全てを、一夜にして失う事になりかねないぞ? 大方、彼女の能力を使えば莫大な利益を得られると思っているのだろうが……はっきり言うが、彼女……佐藤ひなはあなたの手には負えない。私はあなたの才能や能力を惜しむのだ。あなたとは優秀なビジネスパートナーとして、今後とも付き合って行きたいと……>
「ク……ククク……」
<?>
CEOの言葉は、突如として聞こえてきた喉から鳴り響くような哄笑に遮られた。
「ククククク……クハッハハッ、はははははははは」
<な、成神会長……?>
「アハアハアハアハ、あはははははあははっはーっ!!」
ひとしきり笑い転げた所で、正義はやっと会話を再開する。
「ひっひっひっ……CEO、あんたはとんだ考え違いをしているぜ」
<考え違い……だと?>
「あァ……俺があんたらにひなちゃんを渡したくないのは何故だと思う? 金や権力が欲しいから? 違う。甥の陽太の為? 違う。法律が守ってくれないひなちゃんを守るのが任侠道だから? まぁこれは多少あるが、本質じゃねぇ」
<……では何の為に?>
「答えは簡単、あんたらがムカつくからだ。許せねぇんだよ、俺は。どんな理由があろうと、俺や俺の周りの人間から、金・物・人……何であれ奪おうとする連中がな。だから俺は、あんたらの目的が世界平和だろうが秩序の維持だろうが人類の救済だろうが、そんなものはどうでもいい。最初から興味が無いんだ」
<……子供か、あなたは>
「おォ、そうだとも」
呆れ返ったCEOのその言葉を、正義は即答で全肯定した。
「俺は大きなガキだ。なんだ、今頃気付いたのか? あんた」
長い付き合いだが、お互い新しい発見があるもんだなと、彼は付け加える。
<……>
「だからだよ。その俺がほんのちょっぴりでも、ムカつく奴らが喜ぶような事をしてやると思うか? 逆だよ逆。俺はトコトン、徹頭徹尾、あんたらが嫌がる事をしてやるぜ。その結果世界がどうなろうと知らんし、責任を取る気も無い」
<あなたは……分かっているのか!? これはこの国や、世界を動かすトップの人間達が総意で決めた事で、それに逆らうという事は……!!>
「ヤクザ者に、そんな理屈が通用すると思っているのか?」
あるいは、地位があるのならそれに拘って懐柔されたかも知れないが、今の正義以下隆骨会の面々はこちらから渡世の親を絶縁したチンピラ、野良犬だ。失うものの無い人間が何をしでかすのか。後先考えず誰彼構わず噛み付く狂犬の恐ろしさを連中に思い知らせてくれる。
「それに……」
<……?>
僅かに正義が言い淀んだ。
<ヤクザ者に、そんな理屈が通用すると思っているのか? それに……>
「……? それに、何だ? 成神会長?」
フェンリル本社の執務室では、CEOが焦れて机を思い切り叩いた所だった。
勿論、その音が聞こえた訳ではないだろうが……ちょうどのタイミングで、正義から言葉の続きが聞こえてきた。
<残念だったな。もう、時間切れだ>
「? 時間切れ? それはどういう……」
返答は、凄まじい轟音だった。
ガラスが割れる音、金属がひしゃげる音、大勢の人の悲鳴が、スマホから一斉に重なって聞こえてくる。
「!? どうした、成神会長!? もしもし、もしもし!?」
繰り返し呼んでみたが、何かをガッ、と叩き付けるような音が聞こえてきて、それきり通話は途切れた。
「……!!」
思い返してみれば、彼の背景ではエンジン音がずっと鳴っていたようだった。ひょっとしたら正義は走行中の車の中から電話していて、その車が事故にでも遭ったのだろうか。
動揺するCEOが手元のパソコンを立ち上げて情報を検索して、その数分後……
あるニュースサイトに、東都銀行本店にトラックが突っ込んだという記事がアップされているのを発見した。