神様でなくなった日/神様になった日(完結) 作:ファルメール
「残念だったな。もう、時間切れだ」
組が所有するトラックの運転席。
右手でハンドルを握り、左手でスマホを持って電話していた正義はもうこれ以上CEOと話す事は無いと、スマホを通話状態のままぽいと助手席に投げ捨てた。
市内を走るトラックのフロントガラスには、既に東都銀行本店の店構えが一杯に見えている。
普通の客ならこの辺りでブレーキを踏んで駐車場へ車を回す所だが、しかし正義は逆に、思い切りアクセルペダルを踏み込んだ。
驚いた警備員が両手を振って制止しようとするが、お構いなしに。
素早くギアをバックに入れ、思い切りハンドルを右に切る。トラックは勢いを殺さずに180度反転して、後部コンテナから銀行の入り口に突っ込んだ。
正面玄関の自動ドアのガラスが粉々になって吹っ飛び、建物の構造材がひしゃげて歪に変形する。
銀行を訪れている客にとって、今日は何気無い、退屈だがしかし平穏に過ぎて続いていく毎日の中の一日でしかなかっただろうが、その平穏はトラックがフルアクセルで突っ込んでくるというほんの1分前には想像もしなかったであろう事態によって唐突に破られた。
腰を抜かす者、悲鳴を上げる者、我先に逃げようとする者、思い切り動揺しつつ落ち着いてくださいとがなりちらす者。店内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
しかし、それで終わりではなかった。
コンテナのドアが開いて、マシンガンやショットガンで武装した黒服の強面達が、一斉に下りてきたのだ。
「オラァ、目ぇ瞑って床に伏せろぉ!!」
「邪魔すんじゃねぇ!!」
「どけやーっ!!」
怒号と共に天井へ向けて威嚇射撃が行なわれて、蛍光灯が砕け散ってガラスのシャワーが舞った。
「うわあっ!! 強盗だぁ!!」
「テロだ、テロっ!!」
客と店員の混乱は、銃が発砲された事もあっていよいよ絶頂に達しようとしていた。
店員はカウンターの死角に設置されている通報ボタンに手を伸ばそうとするが、
「コラァ、妙な動きするんじゃねぇ!!」
組員の一人に手際良く制される。
明らかに彼等の動きは、こうした作業をやり慣れていた。
<!? どうした、成神会長!? もしもし、もしもし!?>
落ちた正義のスマホからCEOの怒鳴り声が聞こえてきたが、もう彼はそれに少しも気を留めなかった。アリに対してそうするように無造作に、スマホを踏み砕いた。
「こんな事をする日が来るなんて……」
「流石のワシも、これは読めなかったの」
まるで砂浜に乗り上げた揚陸艇から飛び出す兵士のように黒服達が全て出た所で、おずおずとコンテナから下りてきたのは陽太とひなだった。
陽太にとって、銀行強盗などは時折ニュースで見はするがどこか遠い世界の出来事のように現実感が無く、精々が映画やドラマの中だけのイベントだという認識だった。
認識だった。そう、過去形になっている。
まさか自分が銀行強盗の渦中に、しかも巻き込まれるのではなく襲撃する側に立つなどとは、思ってもみなかった。
だが、もう遅い。正義や、彼の部下である隆骨会のヤクザ達がそうであるように。自分もひなも、既にルビコンを渡ってしまったのだ。
「さぁてと……」
正義はきょろきょろと、店内を見渡す。
やがて、端っこで腰を抜かしている中年男が目に入った。彼だけ、他の男性店員と比べてスーツの仕立てが良い。口ひげもきっちりと整えられていて、シャキッとした印象を受ける。
正義はずかずかと男に近付けていくと、ぐいっと胸ぐらを掴んで立たせた。
「あんたがここの店長だな?」
「き、君たちは一体……なにが目的だ? こんな事をして……」
「俺達は、ここの貸金庫があるスペースに入りたいだけだよ。あんたなら、そこに入れるだろ? 場所を教えるだけでもいい」
「い、い……」
「嫌だと言うなら、ここであんたの脳味噌を壁や床に撒き散らさなくてはならない」
何かを喋ろうと口が開いた所に、赤星の銃身がねじ込まれる。
店長はだらだらと滝の如く汗を流し、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして、失禁しながら視線を一方向に向ける。正義も、同じ方向へと顔を動かした。
「……なるほど、そっちか。ありがとう」
それだけ言うと、正義は店長の口から赤星を引き抜いた。
解放された店長は支えを失ってへなへなと座り込むと、そのまま泡拭いて気絶してしまった。
「陽太、ひなちゃん。それに何人か付いてこい。残りはここの見張りだ。誰が来ようと一歩も入れるな」
「「ハッ!!」」
「組長もお気を付けて」
正義はそのまま、陽太とひな、数名の組員を伴って銀行の奥へと進んでいく。
やがて、見るからに頑丈そうな扉へとぶつかった。一度、扉に蹴りを入れてみるがびくともしなかった。人の力で破るのはムリらしい。
見れば、扉のすぐ脇にはカードリーダーがあった。本来の手続きなら身分照会した人間を伴って、ここで責任者がカードを通して扉を開くのだろう。
勿論、正義達はセキュリティカードは持っていない。その代わりに「合い鍵」なら持っている。
「おい、ガスバーナー持ってこい。扉を焼き切るぞ」
「分かりました」
手際良く、組員の一人がコンテナの中からガスバーナーを持ってきた。彼は淀みの無い手付きでボンベやバーナー部分を操作し、やがて細長い炎がバーナーの先端から生まれた。
ジジジ……と、どこか耳障りな音を立てて、鉄製の錠が焼き切られていく。
金属がバーナーに炙られて赤くなっているのを眺めつつ、正義は不思議な気分になった。
このガスバーナーは、元々は自分達が攫った人間を焼き尽くして殺人の証拠を隠滅する為の物だったが……それが今、こんな風にひなを助ける為に使われる事になるとは。昔誰かが言った物は使いようという知った風な言葉は真理だなと、彼は思った。
「組長、終わりました」
「オウ、ご苦労」
報告を受けた正義は前に出ると、もう一度ドアを蹴飛ばした。錠を焼き切られていたドアは今度は抗う術を持たず、「開けゴマ」と唱えられた千夜一夜物語の岩扉のように、あっさりと開いて彼等を通した。
入ったその先の空間は、貸金庫が保管されている専用スペースだった。
広々とした空間の中心にキャビネットのようにも見える台と、そのすぐ上にディスプレイとテンキーが置かれている。
「こいつに、例のアルバムに隠されていた末尾の数字を入力するんだな」
正義は、躊躇無くキーボードを叩いた。メモなどは見ない。番号は既に暗記している。テンキーを叩いたのと同じ数字がディスプレイに表示され、それを2回確認して、絶対に間違いない事を確かめてから彼はエンターキーを押した。
最悪の場合、これで何の反応も起きない……つまり自分達の推理が間違っていたという可能性を心配していたが……どうやら、それは杞憂だったようだ。
床の中を、何かが動いているような機械的な音が部屋に響く。
数秒ばかりの間を置いて、ディスプレイが置かれている台に備え付けられていた引き出しが自動的に開いて、中にはマトリョーシカのように保管箱が入っていた。
壁内の通路を通って、入力した番号に対応する保管箱がキャビネットの内部に送られてくる構造になっているのだろう。
保管箱には鍵穴がある。正規の手順を踏むのなら、ここから更に合い鍵を使って蓋を開け、中の品物を取り出すのだろうが……残念ながら正義達はそれを持っていない。勿論、興梠博士は合い鍵を持っていたのだろうが、彼の遺品が廃品回収されてしまった際に、処分されてしまったのだろう。
まぁ、無いなら無いで手はある。
もつれた紐が解きほぐせないなら、力一杯に引っ張るのみ。
箱の取っ手を握ったそのまま正義は思い切り振り回すと壁に叩き付けて、保管箱を破壊してしまった。
「うひゃっ……」
「乱暴じゃの……」
中の物が壊れたらどうするつもりなのかと、陽太とひなは揃って引く。
とは言え、これは正義にしてみればもう自分達には鍵を探している時間は無いし、ならば箱の中身が壊れない物である可能性に賭けるという、彼なりに筋道立てた論理に従っての行動ではあった。
果たして、蓋が外れて箱から飛び出してきたのは一つのUSBメモリだった。
「これが……」
陽太が、USBを拾い上げる。
「まだ分からねぇさ。中身を見てみない事にはな」
正義は自分のノートパソコンを立ち上げると、USBを挿入する。
ファイルを開き、保存されていた情報を引き出す。
陽太もひなも、我知らず神に祈っていた。どうかこのデータが、自分達の望んでいるものであるように……
正義も、厳しい表情でディスプレイを睨んでいる。読み込んだデータが画面に表示されるまでの数秒足らずの間が、これほどまでに長く思えたのは初めてだ。
画面が切り替わる。
表示されたのは、膨大な数式の列と構造式、回路図……
一介の高校生である陽太は勿論、正義にも詳細は分からない。
分かるのは、唯一人。
「間違いないな……これは、コンピューターの設計図じゃ。それも今までに無い、画期的な……これと同じものは、まだ世界中、どこの研究所でも実物はおろか論文も発表されておらぬ……これに比べれば、現行のコンピューターなど電卓も同然。これが公表されたら、世の中はひっくり返るじゃろうな。その結果がどうなるのかは……最早ワシにも分からぬ」
ひなが全知の神足り得るのは、脳内に埋め込まれた量子コンピューターが持つ演算能力の恩恵である。しかしそれは当然ながら、その量子コンピューターが世界にそれ一つであるという事が大前提でとなる。
チェスや将棋で、一方が名人で一方が素人なら、名人はその勝負の行方を自在にコントロール出来るだろう。何手目でチェックメイトするかを宣言してそれを実行したり、相手が何手目にどの駒をどこへ動かすかを予言したり。これが今のひなが、全知の神である状態だ。
しかし名人対名人の対局ではそうは行かない。こちらがいくら相手の手を読もうと相手にも五分の技量があるのだから、こちらが何を狙っているのか、どんな手を打とうとしているかを予測してくる。時にはこちらの思いも寄らぬ一手を打ってくる事だってあるだろう。これが、量子コンピューターの設計図を世界中にバラ撒かれた後にそうなるであろう世界の状態である。
「陽太……覚えておるか? 貴様に初めて会った日に言った、世界が終わるという言葉……」
「う、うん……」
「やはり、全知の神たるワシは間違っていなかった。世界の終わり。今日がその日じゃ」
以前、ひなを捕らえようとエージェントが現れた時は、世界が終わるというのは、30日後から先が見えないのはひな一人の世界が終わるからだと思っていたが……違っていた。それはひなの解釈違いだったのだ。
確かに、世界は終わるのだ。既存の価値観、既存の常識で動き、回っていた世界は今日で終わる。
ここから先は、全知の神たるひなにも分からない領域である。
何故なら、これより全ての人にひなと同じ力が配給されるからだ。
「そうだな……神が神である所以は、人には得られない力を持つ者だからだ」
正義が、ひなに応じた。
只人に無い力を持つからこそ、神は特別であり、その存在は人の上に在り続ける。
「だが……人が神の力を得たのなら、その立場は失われる」
今日というこの日を、きっと陽太や正義は後にこう回想するだろう。
ひなが、神様でなくなった日。全人類が、神様になった日。
「よし……準備は出来たぞ」
話をしている間にも、正義は手を休めてはいなかった。央人から送られたプログラムを用いて、コンピューターの設計図をネット上にアップする用意は整った。
後はエンターキーを押すだけ。それで、全てが終わり全てが始まる。
「……」
彼はそれを押そうとして……
「おじさん、待って!!」
背後から掛けられたその声を受け、キーから5センチの所で指が止まる。
正義は「今更なんだよ」と少し苛立ったように、陽太とひなを振り返った。
「そのボタンは……僕に押させてください」
「……」
正義は無言のまま、陽太のすぐ隣のひなへと視線をやる。もうすぐ全知の神でなくなる少女は「うむっ」と自信たっぷりに頷いてみせる。
それを見た正義はにやっと笑うと、二人に席を譲った。
入れ替わるように、陽太が席に着いてそしてじっと、画面を睨む。モニターに表示された状態は、何の操作もしていないのだから当たり前ながら、先程のままだ。エンターキーを一度叩くだけで、全ての作業が完了する。
「ねぇ。ひな」
「うん?」
「これからする事で、僕たちは……僕は、きっと世界をメチャクチャにしてしまう。そうなった世界で、何が起こるのか……僕には分からないけど。それでも、一つだけ誓うよ」
陽太は右手を、そっとひなの手に重ねた。
「これから創る未来は想像も付かない。どんな救いも無い、奇跡も起こらない残酷な世界かも知れない」
「……」
「それでも僕は、精一杯ひなと生きていくよ。それだけは、約束」
「……ありがとう、陽太。実を言うとな。ワシも貴様が好きじゃ。だからワシはこれから先ずっと、貴様と共に生きていく。これは全知の神たるワシの、最後の予言じゃ。破られる事は無い」
「……うん。そうだね」
ひなも、両手で陽太の右手を握り返して。
そして、陽太はもう躊躇わないし、迷わないし、待たなかった。
エンターキーが、押された。