神様でなくなった日/神様になった日(完結) 作:ファルメール
「……むう……」
ひなの言う世界の終わりまで、後5日となったその日の夜。
自室の椅子で腕組みしつつ、正義は難しい顔で唸る。
彼の前には一冊の書類が置かれていた。表紙には「佐藤ひなに関する調査報告書」と記載されている。
先日、懇意にしている興信所に依頼していたひなの調査が終わり、この書類が送られてきたのだ。正義は早速目を通したのだが、記されていたのは実に刺激的な内容だった。
佐藤ひな。
ロゴス症候群という先天性の病気を持って生まれる。
会話や歩行も満足に行なう事が出来ず、介護に疲れた実母は自殺。実父は7才の時に彼女を父親に預け、その後再婚する。
ひなを引き取ったのは、興梠修一郎博士。
その名前は正義も知っている。
兄夫婦の恩師であり、現代のダヴィンチとまで言われた著名な科学者だ。専門である情報工学の他に、材料工学・電子工学・医学・言語学エトセトラエトセトラ……とにかくあらゆる分野に於いて輝かしい功績を残し、世界の学問を十年は進歩させたと言われる偉人である。
確か、先月亡くなったと聞いていたが……
「だがそれより問題は、ロゴス症候群、か……」
無論専門家ではないので詳細は知らないが、名前と概要ぐらいは耳にした事があった。要するに脳萎縮と神経原性筋萎縮が同時に起こる病であり、成長するにつれて筋力が低下し、やがて死に至る……らしい。
実際、報告書にあるひなも生まれてからずっと会話や歩行がままならなかったとある。これは典型的なロゴス症候群患者の症状と合致する。
だが……だとするなら、今成神家に居候しているあの子は一体何だ?
あの、ころころとはしゃいで、10秒と同じ所に留まっていないような活発なあのひなは、一体?
「……まさか、顔がそっくりで同姓同名の別人……なんてオチはねぇよな?」
そんな馬鹿なと思いつつも、正義は割と真剣に、興信所の人間が全く別の「佐藤ひな」の素性を探ってしまったその可能性を考察した。
ロゴス症候群は現在の医学では不治の難病である。
仮に、もしも。その病気の治療法が発見・開発されたなら、自分が知らない筈がない。
ヤクザはいつの時代も、金儲けの話には地獄耳だ。
バブルの時代には土地の売買。その次には環境ビジネス。
そして今は、ITビジネス。正義が本家に納めている莫大な上納金には(インサイダーなど非合法な取引を含めて)これが占める分野が大きい。
もし、難病の画期的な治療法が開発されたのなら、それを巡って動く金たるやどれほどになるか。その利権に食い付かない手は無い。
だからそうした話に網を張っているインテリヤクザの正義が、それを知らない筈は無い。
「……すると、だ……」
正義は、盤面の整理を始める。
ロゴス症候群の治療法は無い。
これは絶対の大前提である。
そして興信所が調べてきた「佐藤ひな」。これは、自分や陽太と一緒に暮らしている「ひな」と同一人物である。
これも前提条件として設定する。
「つまり『治療法の無い病気に罹っていた子供が、しかし現在はそんな病気の影すら見せずに元気にしている』……って事になるよな?」
どうやってそんな事が?
奇跡が起きた。
そんな言葉で片付けるのは簡単だが、それは思考を放棄しているだけだ。
もう少し、理論的に考えてみる。
「……『まだ病気が治っていない』としたら?」
つまり『ひなは今現在もロゴス症候群を患っているが、患っているにも関わらず病気の症状を見せずに生活出来ている』。
よくよく考えればこれは有り得ない話ではない。
例えば糖尿病がそうだが、病気を根治させる事は出来なくても、投薬や通院を怠らなければ命に関わる事は無いし、そうしながら社会生活を送っている、つまり上手く病気と付き合って生きている人間は世の中にはいくらでも居る。
ひなも、そうだとしたら?
だがロゴス症候群の症状を緩和・抑制する薬などやはり聞いた事が無いし、仮にそんな物があったとして、(まだそこまで長い付き合いではないが)服用にせよ注射にせよ、ひながそんな類いの行動をしているシーンを、やはり見た事は無い。
薬ではない。
「じゃあ、何だ?」
病気の人間が、病気と上手くやっていく為に必要な物……薬以外で……
「!!」
はっ、と閃いた。
何故こんな簡単な事に今まで気付かなかったのかと、自分が情けなくなった。だがそのひらめき一つで、ピーンと来た。芋蔓式に、今までは点でしかなかったものが繋がって線になっていく快感が脳内を駆け巡る。
「そうか、道具だ」
弱視や盲目の人間が視力に代わって周囲を把握する為に、杖や盲導犬を使うように。
耳が不自由な人間が、補聴器を付けるように。
ロゴス症候群の人間が、その機能を代替する為の道具があるとしたら。それを興梠博士が開発して、ひなに使われているとしたら。
それなら病気の治療法が存在しないのに、ひなが元気でいる事の説明が付く。
だがどんな道具を?
それも考えたが、すぐに結論が出た。
杖や補聴器のような、外付けの道具ではない。ひながそんなのを持っている様子は無いし、それに彼女は普通にこの家の生活の中で入浴もしている。裸になっているのだ。道具なら外したり手放さねばならないが、ひなが風呂で溺れたり転んだりした話は聞かない。
ここまで情報が出揃えば、断定は容易い。
「歯のインプラントや、心臓のペースメーカーのように、ひなちゃんの体内にそれがあるって事か」
どこかまでは分からないが……脳萎縮が起こるという病気の特徴から考えて、恐らくは頭。脳内に埋め込まれていると考えるのが、一番可能性が高い線だろう。
「ふうっ……」
電気の付いていない部屋で、正義は椅子の背もたれに体を預けた。
思考に没頭していて気付かなかったが、時計を見るといつの間にか日が変わっていた。
世界の終わりまで、後4日。
ここまでの考えは、提示された情報からの推理で証拠は何一つ無いが……だが間違いではあるまい。確信に近いものが今や彼の中にあった。
「だが……こりゃあ、腹を括らなけりゃならねぇみたいだな」
陽太に、ひなを巡っていつか何かが起きると正義は言ったが……
『いつか?』。それは分からない。
だが『何か?』 何が起きるのか。それは大凡だが想像が付いた。
多分だが……ひなの体に埋め込まれてるのは補助脳とかマイクロコンピューターとか、そんな類の機械だ。それならロゴス症候群で欠如した機能をその機械が補って、彼女が健康体で過ごせている事に説明が付く。
そして彼女の全知の力も、そのインプラントされたコンピューターが膨大な情報を解析しているのだろう。
例えば、目の前に思い切り体を捻って右手を振りかぶっている人間が居れば、そいつが次に繰り出してくるのがフック気味の右パンチであると誰でも分かる。究極的には全知の力もそれと同じなのだろう。
分析が正しい限り情報は多ければ多い程、高い確率で正解を導ける。
ひなが目にするもの、耳にするもの。ただの背景や雑音で彼女自身すらもが気にも留めていないそれら全ての膨大な情報を、彼女の脳内の機械が処理して分析。そして、未来予知にも似た高精度の予測として出力しているのだ。
ひなの全知の力の秘密はまさにそれ。
勿論、そんな超小型かつ高性能コンピューターなどまだ世界のどこでも実用化はおろか論文さえ発表もされていない。
それはまだ人類には早過ぎる技術だと封印するのか。
それとも独占すれば莫大な利益や世界征服だって夢ではないと欲に駆られるのか。
どちらかは分からないが、それを知った連中がどう動くかなど、一つだ。
つまり、ひなを……!!
「……銀次」
脳裏に、愛犬の姿がよぎる。
この国の法律が守ってくれず、手を下した者を裁きすらしてくれずに奪われた小さな命、家族。
ぎりっと、正義の歯が噛み締める音が部屋に響いた。
「ここは俺の国だ。たとえどこのお偉いさんだろうが、勝手な真似は許さねぇ。絶対にな」
スマートフォンを取り出して、電話を掛ける。
宛先は、組の若頭だ。
相手は、深夜にも関わらずほぼワンコールで出た。
「俺だ。竹田。こんな時間にすまない」
<いえ、オヤジからの電話ならいつでも。それで、何か御用でしょうか?>
「掻き集められるだけの武器と兵隊を集めろ。戦争が始まるぞ」