神様でなくなった日/神様になった日(完結) 作:ファルメール
「オヤジ、お気を付けて」
「ああ。良いか? 俺が戻るまで、誰が来ようが絶対に入れるな。たとえそれがオヤジであろうが三代目であろうが総理大臣であろうが、だ。安心しろ、全ての責任は俺が取る」
「分かりました」
組員とこうしたやり取りを経て、事務所を出た正義。
彼の向かう先は、関東一円をその勢力圏とする広域指定暴力団『蒼天会』の本部である。
蒼天会は構成員5万人を数える巨大組織であり、正義はその若頭補佐。要するに会長・若頭に次いで何人か居る同率ナンバー3の一人だった。そして彼が組長を務める『隆骨会』は蒼天会の直系、二次団体だった。
今回、正義を呼び出したのは彼の渡世の親。つまり彼が極道の世界に入る時に盃を交わした相手であり、今や同じく若頭補佐である黒崎組の組長であった。
案内された部屋に通されると、そこには既に酒と簡単な料理が並べられて酒席がセッティングされていて、黒崎が上座に座っていた。
「よく来たな、成神」
「ご無沙汰してます。オヤジさんもご壮健なようで、何より」
型通りの挨拶を交わすと、正義は勧められた席に着いた。
「三代目はいつもお前の働きを褒めているぜ。俺も鼻が高いってもんよ。ま、一杯やんな」
「恐れ入ります。いただきます」
ぐいっと酒を一杯あおる。だがその動作の中でも、正義は対面の相手を油断無く観察していた。いつ、黒崎が飛びかかってきても、あるいは銃やドスを抜いてきても対応出来る心構えである。
このタイミングで、よもや世間話をする為に呼び出した訳ではあるまい。どのみち、おっかない話になるに決まっている。ならば、こちらから話を切り出してみるか。
「それで、オヤジさん。今回のご用件は?」
「あぁ……お前のとこで預かってる女を、サツに引き渡せと、三代目のお言葉だ」
ぴくりと、正義の片眉が上がった。
やはり、そう来たか。
「女とだけ言われても誰の事やら……俺は手前ぇのマンションにはダース単位で女を囲っていますからねぇ……」
勿論、ここでいう女とはひなの事だと分かっているがちょっととぼけてみた。これは相手の反応を探る為の煽りだ。
「今日、お前がトラックに乗せてさらったガキの事だ!!」
黒崎が声を荒げるが、正義は泰然としつつお猪口に酒のおかわりを注ぐ。
「そりゃあ出来ませんよオヤジさん。俺の縄張りで、先に勝手な真似したのは向こうの方だ」
「……」
「それにその女の子……ひなちゃんは、国も法律も、何の罪も無い彼女を守ってくれない。守れるのは、俺しかいないんです」
「だがな、成神。これは三代目直々の命令だ。それには逆らえない。このままでは隆骨会が破門になるぞ」
「!!」
三代目からの命令という言葉。これに正義は反応した。
ひなの事は上には知られていない。なのに上からひなを警察に引き渡せと言ってくるという事は、敵は蒼天会のトップに直接圧力を掛けたのだろう。
「自分の縄張り荒らされて黙ってるのがヤクザですか」
「……成神……」
「国も法律も守ってくれずに、それで助けを求めて来た相手を見捨てるのが任侠道ですか」
「親の言う事が聞けねぇなら手前ぇは破門だぞ、成神!!」
黒崎が持っていた盃を机に叩き付けて、凄んだ。
「く……くくく……」
顔に掛かった酒を拭いながら、正義は肩を揺らす。
「……何がおかしい」
「いや……こんな男を今まで親だと立ててきたかと思うと、自分の見る目の無さが笑えてきましてね……」
「何だと……!!」
ぴくぴくと、黒崎のこめかみに血管が浮き始めた。
「あんたらとの付き合いもここまでだ!! 今この時を以て絶縁とさせてもらいましょうか!!」
「絶縁だと……? お前正気か……!?」
流石にこの対応は予想していなかったのか、黒崎の方が顔を蒼くした。
破門と絶縁。どちらも極道組織からの追放処分である事には変わりないが、破門はその後に反省の態度を見せれば復帰の可能性もあり、別系列の組織が拾うのも可である。
一方で絶縁は、復帰の可能性は無く回し状が回って命を狙われる立場となり、極道社会では生きていけなくなる。
正義のこの宣言は、事実上この世界での自殺に等しいものだった。
「確かにお伝えしましたよ。絶縁ですぜ」
こうして、本部を後にした正義。
この呼び出しに応じた事で分かった事があった。
敵は、反社会的組織であるヤクザの、総元締めである蒼天会三代目会長に圧力を掛けて、正義にひなを引き渡させようとしてきた。そうした迂遠な手段を用いるという事は、例えば警察に無理矢理命令して事務所に踏み込ませるような手は、出来れば使いたくないのだろう。
兵は拙速を尊ぶと言うが……確かに正義の縄張りでは日本の法律は通用せずに警察も野放し状態。正式な手順を踏んで動かすには時間が掛かる。それでもなりふり構わず、たとえ事後処理が面倒だろうがマスコミに報道されようがそういったものを度外視して警察など公権力やあるいは自分達の私兵を動かしていれば、正義は為す術も無かっただろう。
それをしなかったという事は、相手は出来れば事を荒立てたくはないって事だ。
方法論として最速の一手は存在していたが、敵はそれを選ばなかった。メリットやデメリットを考慮した上で、連中が打てる現実的な範疇での最速の手が、組に圧力を掛けるというものだったのだ。
「それなら、こっちにもチャンスはあるな」
敵の、その……一種の見栄と言うか隙……そこに付け込む事が出来れば、勝機はある。
事務所に戻ると、彼はすぐに陽太とひな、それに主立った組員を組長室へと通した。今後の策を検討する為だ。
「破門じゃなくて、絶縁ですか、オヤジ!!」
「あぁ、俺も黒崎のおやっさんがあそこまで根性無しとは思わなかった。こっちから絶縁してやったよ。それで……だ。陽太、ひなちゃん」
「は、はい」
「うむ」
「状況を整理するぞ。敵は、俺達の元締めである蒼天会に圧力を掛けて、ひなちゃんを引き渡すように言ってきた。直接、警察を動かしたりあるいは自分達の子飼いの黒服とかを動かさないって事は、出来れば大事にはしたくないって事だ」
だから、どうせなら正義がひなを引き渡したという形にして穏便に済ませたい。
「勿論、それでもあまり時間が掛かるようなら、しびれを切らしてサツなり自前の兵隊なり動かすだろうがな」
そうなったらもう正義には手も足も出ない。勿論、陽太にもひなにも、だ。
逆に言うと『あまり時間が掛かるようなら』。つまりある程度は敵は待ってくれる。その時間に、全てを決着させる。それしかこちらが勝つ術は無い。
正義は、組員達を見渡す。
「お前等も腹を括れ。組丸ごと蒼天会と絶縁してしまったからな。この勝負に勝つ以外、俺も含めお前等に生きる道は無い」
「ハッ!!」
「おーし!!」
組員達は怖じ気づいたり不満を口にするどころか、むしろ士気が上がったようだった。この辺りは、上は若頭から下は末端のチンピラまで、正義の教育が行き届いているのだろう。
「それでオヤジ、具体的にはどうするんですか? 圧力を掛けた黒幕を探り出して、カチコミ掛けますか?」
「バカ」
「は……」
「こっちの戦力は陽太とひなちゃんを除いて、ヤクザ者がたった30人。敵はこの国や、あるいは世界を動かしているような本物の権力者。まともにぶつかったら勝負にならねぇ。戦車とアリの対決の方が、まだよっぽど見れるだろうぜ」
第一そんな事をしようものなら、それこそ警察が介入する口実を向こうに与えてしまう。そうなれば勝負あった、だ。それでも、あるいは誰か一人は殺れるだろうが、そこで終わりだ。敵は恐らく複数。それら全てを倒す事は出来ない。それでは意味が無い。
後ろ盾を失ったひなは連れて行かれて、頭を開けられてチップを摘出される。
「こっちが敵の不意を突けるのは一度。その一度で、真っ黒になっていたオセロの盤面を白く塗り潰すような、起死回生の一手を打つ。それしかこっちが勝つ術は無ぇ」
「それは……」
陽太が震えた声を出す。
確かにそれしか手が無いというのは分かる。
だが現実的に、そんな逆転満塁サヨナラホームランのような手が、都合良く打てるものだろうか?
これは予想出来た質問だったようだ。自信を感じさせる笑みと共に、正義が頷いた。
「一つだけある。この状況を一撃で打開する手が、一つだけ、な」