言葉が退院する日。
しかし吉報かと思われるその知らせはすぐに悪いものだと解った。
かつて心を閉ざしたように社交辞令で会話を交わし、文に対してもそっけない。
しかし文にとっては、自分が変わってしまったことを悟られるよりずっとよかった。
自分のせいでまた変わってしまうことが、一番恐れているのだから。
週末とはいえテストが近づくにつれて友達と遊ぶ機会も減り、どんどん文は深みに落ちていく。
家に帰ってもただ宿題をするだけで、いつしかミクの歌を聞くことすらなくなっていた。
ダンスの練習などもっての他で、自分から動画サイトすら避けて通る始末。
そして自分もかつてのように、
出来るだけ姉に会わないよう街で時間を潰してから家へ帰るようにした。
「でも毎日来てたら商品も変わんないよね」
ウィンドウショッピングも数が過ぎれば意味をなくしていく。
元々自分の知る範囲なので行動範囲も限られていた。
今日は少しだけ遠出しておしゃれな街並みを楽しもう。
そんな風に思って文は行動範囲を別のところに移した。
こうしてやって来たのは宮益坂。
時おり通りかかる宮女の生徒に珍しがられながらも、見知った道を歩いていく。
「うへぇ、流石に高いなー……」
ショーウィンドーではいくつものマネキンがきれいに着飾れている。
デザインも材質も選び抜かれた一級品。それ故に学生では手の届かない価格が表示されていた。
「いつかわたしもこういう服着てみたいなー。そうしたら大人っぽく見えるかな?」
しかし見る分には無料ということで思う存分堪能している。
でも自分の姿を想像するもうまくイメージが湧かない。
それこそ雫や遥といった2人ならぴったりだろう、と考えるのを止めた。
「うーん、やっぱりセレクトショップの方がいいかも……ってひゃあ!?」
ビビッドストリートにある店の方が考えやすいか、と再び思考を巡らせていると、
足元にふさふさとした感触がまとわりついてくる。
何事かと見れば三毛猫が嬉しそうに足元へすり寄って来ていた。
「三毛猫ってことはメスかな? ふふ、どうしたのー? 遊んでほしいのかにゃー?」
いつか見たオニキスとは違い人に慣れきった様子で甘えてくる。
にゃーん、と鳴き声をあげて答える姿に文も思わず笑顔になった。
「よーしよしよしかわいいねー。お姉さんがいっぱい可愛がってあげよう」
「あら、誰かと思ったら文ちゃんね」
喉元や頭を思う存分撫でてあげていると、大きな影に日が遮られる。
聞き馴染みのある声に顔を上げれば、雫が笑顔でそこに立っていた。
その隣には遥の姿もあり、遠くでは愛莉が恨めしそうにこちらを見つめている。
「あ、雫さんに遥さん、それに愛莉さんも! お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね。ところでその猫、随分懐いてるみたいだけど……」
「えっと、わたし動物に懐かれやすいんですよ。だから野良猫とかすぐ寄ってくるんです」
「そうなのね。てっきりその猫さんとお友達なのかと思ったわ」
「家で飼えたらいいんですけど、家はペット禁止なので「にゃーん」はいはい、甘えないのー」
そうやって自分の事を話している間にも、駄々をこねるように足元へまとわりついてきている。
会話を中断して猫に構う姿は、まるで母親のようだった。
「ところで愛莉さんはなんであんなところにいるんですか?」
遠くで見つめるだけで一向に近づいてこない。
むしろこちらの様子を見て一喜一憂している様は、
バラエティアイドル時代を思い出させるには十分だった。
「愛莉ちゃん、猫が好きなんだけど猫アレルギーだから……」
「えっ、そうなんですか!?」
「症状は軽いらしいけど、自分じゃどうしようも出来ないからね。結構気を付けてるみたい」
「そ、そんなぁ~!」
思わぬ事実にそのまま崩れ落ちる文。それに驚いて猫もどこかへ行ってしまった。
「ど、どうしたの文ちゃん!? もしかして引っ掛かれたり……」
「うう、愛莉さんと猫カフェ、行きたかったなぁ!」
「えっ、猫カフェ?」
「はい……わたしのとっておきの場所があるので、いつか一緒に行けたらなって思ってて……グスッ」
それは小さくも確かな野望が壊れた瞬間。
そして同時に、大好きを伝えるために秘めた想いが無下になってしまった。
立て続けに大好きを失った事で文の心は限界だった。
それからも涙と鼻水でひどい顔になりながら、必死に猫の良さを語る文。
しかしそんなことで愛莉のアレルギーが治るわけもない。
そんな騒ぎに通行人も何事かと足を止めるも、当然そこにいるのは一流のアイドルだった少女達。
端から見ればそんな彼女らが1人の少女を泣かせているように見える。
騒ぎが大きくなるのは火を見るよりも明らかであった。
「ああもう泣くのは止めなさい! 文ももうすぐ高校生なんだからシャキッとする!
とりあえず……ここじゃ目立つから移動するわよ!」
「そ、そうだね。ほら文、行くよ」
「よかったらティッシュをどうぞ」
「は、はい~。ありがとうございます皆さん……」
それを見かねた愛莉の鶴の一声によって4人の少女は移動を始める。
やがて公園の一角で落ち着く事となった。
そこはいつか皆で見た桜の木。
今だ尽きることを知らない花びらを舞い散らしている。
「結局、ここに来ちゃったわ……」
「でも私は好きだよ。静かで落ち着いてるし」
「私もたまにお散歩で寄るけれど、いい場所よね~」
ちょうど3人の手にはつい先程購入していたお茶があり、
一服するにもちょうどよかった。
ただし愛莉は決して文に近づこうとはしない。
「あ、ごめんなさい。猫ちゃん触ってたから毛とかついちゃってて」
「別に気にしなくていいわ。それよりあそこまで取り乱すなんて何かあったわけ?」
普段の文なら少ししょんぼりして、また笑って誤魔化すだろう。
しかし先程の様子はいつかの屋上での出来事を彷彿とさせた。
それこそ冗談で済ませることが出来ないほどに。
「……わたし、呪われてるんです。好きになったものが消えちゃうっていう呪いに」
落ち着きを取り戻した文が口にしたのは、とても悲しい現実のお話であった。