雪こと、朝比奈まふゆの失踪も無事解決し、ニーゴは活動を再開させた。
そんな何気ない日々を送っていたある日の夕方。
ふと演奏帰りの言葉は、通りがかった店の張り紙を目にした。
「母の日、か」
日頃の感謝を伝える日として存在している日。
しかしあまり日本では祝日でもなく、もはや形骸化していると言ってもいい。
商業としても花屋くらいしか広告を打たない程度である。
それでもそんな広告によって少女は1人、ある場所へと足を向ける。
そこは宮益坂で見かけた一軒の花屋。
知ったのも散歩の途中に見かけた程度であったが、この時ばかりはその知識が役に立った。
色とりどりの花が目移りしそうになるが、店先で主張していたのはカーネーション。
赤や白、ピンクと種類も豊富であった。
「うーん、どれにしようかな……」
そこにはすでに1人の少女が迷っていた。
邪魔をしないようにと思ったところで、その少女が見知った人物であることを知る。
「あれ、まふゆさん?」
「え? あ、言葉。こんなところで珍しいね。今日はお出掛け?」
「はい。少し花を買おうと思って」
「……わかった。母の日だから?」
「ご名答です」
2人は軽く会話をしたあと、またカーネーションへと視線を移す。
冷やかしではないのだが、お互いに買うものを決められないでいた。
「あら、お客さん? なにかお悩みかしら」
「そうなんです。カーネーションを買いに来たんですけど、種類がいっぱいで迷っちゃって」
そんな様子を見て1人の女性が置くから出てくる。
本来悩むことのないまふゆも相手に贈る分気を使っていた。
「それなら、花言葉で選んでみるのはどうかしら」
「花言葉ですか? たしかカーネーションだと無垢で深い愛……だった気が」
「ええ。よく知ってるのね。でもカーネーションは色によっても花言葉が違うのよ」
そう言って店員が教えてくれたのは色ごとの違い。
赤は『母への愛』、白は『純粋な愛』、ピンクは『女性の愛』なのだと。
「そんなに違いがあるんですね。それじゃあ私は赤色にしようかな」
「でしたら私はピンクを」
「ふふ、ありがとう。すぐに用意するわね」
こうして無事に買い物を終え花屋を後にする2人であった。
・
・
「あの店員さんのお蔭でよい買い物ができました。喜んでくれるといいのですが」
「……そうだね」
夕日で赤く染まった道を話しながら歩く2人。
笑顔で語る言葉に対し、1輪の花を眺めながらまふゆはそう呟く。
彼女は自分がわからない。
こうやって母の日に贈り物をするのも、それが普通とされるからに過ぎない。
親に対して、世間に対して従順な彼女に他の選択肢は与えられていなかった。
「言葉は、どうして花を買ったの?」
この形骸化した文化に沿う彼女のことが気になった。
なによりも自分に嫌悪感を与えた、彼女の行動理由。
「日頃の感謝を込めてですよ。思えば、なにも出来ていませんでしたし」
「それなら、赤でもよかったんじゃない?」
なにせ今日は母の日である。赤を選ばない他ないだろう。
そこまで考えているのに、あえて別の色にした理由が見当たらない。
「だって、母親でもない人に『母への愛』だなんて、おかしいじゃないですか」
そう答える彼女の顔は相変わらず笑っている。しかしその発言は明らかにおかしなものだった。
たとえ事実だとしても、建前や世間体というもので誤魔化すのが普通。
いつかのような正論は、またまふゆの心を掻き乱す。
「……ほんと、気持ち悪いね。言葉は」
その顔も声もとうに感情が失せていた。
ふと立ち止まり、ただ先をいく言葉を見つめている。
思い出すのはセカイでの出来事。まふゆの質問に答えなかった少女は、また目の前にいた。
「ねえ、今度こそ教えてよ。この気持ち悪さはなに?」
今はとなりに誰もいない。しかしまふゆの中には少なからずニーゴの面々とミクがいる。
あの時のように取り乱すことはないだろう。
「別にわからなくてもいいじゃないですか。これからゆっくり見つけていけば──」
「──誤魔化さないで」
静かな怒りと共に彼女の言葉を断じる。
それは時おり他のメンバーに見せる姿であった。
その気を感じたからか、ようやく言葉も足を止め振り返る。
「どうせ
答えを迫るまふゆ。そんな彼女に対して、ようやく言葉が口を開いた。
「──わからないからこそ、気持ち悪いんじゃないですか」
「……どういうこと?」
「正体不明、曖昧模糊、未知なるもの。理解の及ばぬ全てに対し、人は嫌悪し恐怖する。
それは人として当たり前の感情です。まふゆさんのそれも、その類いによるものでしょう」
ただ超然と語る彼女は日を背負い影に覆われている。
表情からその想いを探ろうとしても、日の明るさと影の暗さの対比でわからない。
「あなたは、誰? あなたは、どこにいるの?」
「私はどこにもいませんよ」
目の前にいる筈なのに、何1つとしてわからない。
掴み所のない少女──掴めない少女は1人、沈む夕日を味方につけていた。
・
・
帰宅した言葉はニーゴの共有フォルダを眺めている。
「本当の想いを見つけたら、想いから歌が生まれる、ですか。
それはとっても素敵な事ですね」
Untitledのこと、セカイのこと、ミクのこと。まだまだ謎は深まるばかり。
しかし少女達はこうしてようやくスタート地点に立つことが出来た。
他の誰でもない自分達の手によって。
彼女の瞳の中。そこに写し出された音楽ファイル。
その名前は────“Untitled”のままだった。