理那はまふゆの過去を奏に語り聞かせる。しかし彼女は終始こういっていた。
「これは私から見た偏見の固まりだから、全部信じちゃダメ。
私の価値観によって事実とは違う風に見えてるから」
それは一種の刷り込みレベルだった。
人が経験を話す際は主観によって語られる。それは奏本人も重々理解していた。
しかしそれ以上に、まふゆの過去という情報は魅力的に写る。
理那は執着とまで言える態度を示す彼女に、
自分の友に語り聞かせた時よりも慎重に言葉を選んでいた。
ただ起きた事象だけ、まふゆが納めた実績だけを淡々と告げていく。
どこか簡素でよそよそしくなるものの、言葉は黙ってそれを聞いていた。
「……っと、こんなところかな」
「ありがとう。よくわかった」
話の間は完全に食事の手を止めており、感謝の言葉を送っても再開する様子はなかった。
やがて冷めきった紅茶に口をつける言葉によって沈黙が破られた。
「理那、それだけでいいの?」
「ん? それだけってどういうこと?」
「さっきの内容だと、ただ理那がその人のこと知ってて無視している様に聞こえたから」
主観を撤廃すればそれはただの傍観者だ。
そしてその事象について事細かに説明すれば、
そこまで知っていて干渉しないのか、と疑問に思うのが人の常である。
言葉本人も、自らとはいえ自分の友人が誤解を招かれるのは好ましくなかった。
「いんや、いいんだよそれで。実際私はなんにも出来なかった訳だしね。
本当にあの子──まふゆの事を思うなら、誰になに言われても無視するべきだったんだ。
その手を引っ張って、どこまでも逃げてやればよかったんだ」
それが理那の胸の内に秘められた想いだった。
贖罪の原動力であり、まだ心の中でくすぶっている。
その捌け口として最適だったのが紛れもない言葉であり、
打ち明けてもなお受け止めてくれたことへの恩義は尽きない。
そしてまた、彼女の独白が始まった。
「猫カフェで見たときわかったよ。
まふゆは貴女達が思う以上に、貴女達の事を大切に思ってる。
それこそ今の私なんか比にならないくらいにね」
「まふゆが……わたし達を?」
「そう、だからこそ話したの。それで、私からのお願いなんだけど……」
次に出てくるであろう言葉は明白だった。
“私の代わりに、まふゆを救ってほしい”。
お決まりの台詞であり、それを背負う覚悟も奏にはできていた。
間をおくように水を飲んで、理那は口を開く。
「私が今まで話したこと、忘れてほしいんだ」
「……えっ?」
その言葉は完全に矛盾していた。
先程まであれだけ真剣に話聞かせていた内容を、無意味にしろという。
それは情報を知った奏よりも、伝えた理那の方が無駄骨であった。
「……どうして? それじゃあまふゆを救えないんじゃ」
「やっぱり、思った通りだ」
奏の疑問も尤もだが、また理那の反応もさも当然といったものだった。
「勘違いしないでほしいんだけど、これはあの子を救うための布石じゃない。
他でもない宵崎さんの疑問を張らすためのもの。
色々気がかりじゃ、あの子本人を見られないでしょ?」
「確かにそう、だけど……それでも忘れる理由にはならない。
私はまふゆを救いたい。他でもない、私の曲で。だから忘れる訳にはいかない」
「ああ、なるほどね。大体わかった」
彼女にしては珍しく参っているようで、天井をあおいでいる。
そんな奇行に対して疑問が尽きないのは、奏だけであった。
理那から最も近い言葉は、我関せずと紅茶を飲んでいる。
そして再び理那が奏を見た時、その目は冷めきっていた。
「あのね宵崎さん。人を救うってどういうことかわかる?」
「それは……怪我を治したり、病気を治療したりして」
「確かにそうだね。それも立派な人を救う行為だ」
奏が言葉を重ねる度、理那の失望の色が強くなる。
それでも理那はやめなかった。他でもない、狂わせてしまった責任を背負うために。
「私の話は、確かにまふゆを助ける特効薬になるかもしれない。
でもね、人を救うってのはそんな簡単な事じゃない」
それは理那だからこそ言えること。
いくら凄腕の父が病気や怪我を治したとしても、救われなかった人達をごまんと見てきた。
「ただ怪我や病気を治すだけじゃ、人は救われないんだよ。
本当の救いってのはね、ただ治すだけで終わりじゃない。
その人がちゃんと自分で生きていけるように、面倒をみてあげることが大事なんだ」
その気迫たるや父譲りのものであり、奏を押し黙らせるには十分であった。
「それに何より、救われた後にまふゆはどうするのかな。
今まで通り貴女達といるのかな。自分の人生を歩むのかな。
果たしてその未来を、貴女は受け止められるのかな。宵崎奏?」
理那が問うのは、救いの後。いつか訪れる未来。
救われたらまふゆは、どうするのだろうか。
また皆と一緒に曲をつくって、救って、それで。
そんな保証はどこにも無いというのに──?
「……………」
その未来が、奏には見えなかった。
「宵崎さん」
「……鶴音さん?」
目の前が真っ暗になったかと思ったところで、言葉が口を開く。
まるで奏の心境を汲み取ったように。
「それでも、私は待っていますよ。あの時の約束を忘れないでくださいね」
「あ……」
同じ様にここで果たした約束。それは確かな灯りとして奏を導いている。
例え未来が見えなくても、今歩みを止める理由にはならなかった。
そんな未来がやってきても、また誰かを救うために曲を作り続けるのだろう。
今はまだ先の事はわからない。それでも、救うと決めたからには進まなくてはならない。
「斑鳩さん、鶴音さん。ありがとう。……救って見せるよ。絶対に」
「……そっか」
奏は席を立ち、お金をおいてその場を後にする。
残された2人は最後に短い言葉を交わした。
「やっぱり言葉は人を動かす天才だね。魔法でも使えるの?」
「理那ほどじゃないよ。それに、私の話と理那の話は別の問題でしょ?」
「まあそうだけど。……言葉って結構罪作りだよね」
言葉と理那は、その後もゆったりとした時間を過ごすのであった。