私は自分の部屋へと楽器を取りに戻り、再び文の部屋へ。
「何か弾いてほしい曲はある?」
「えっ、弾いてくれるの? 何でもいい?」
「有名な曲なら大体ネットに楽譜があるだろうし、解りやすい曲なら耳コピでも」
「あっ、ならならこれ使って!」
CDの棚がスライドして後ろからさらに棚が現れ、本が負けず劣らず詰め込んである。
そこから何冊か取り出して目次とにらめっこした後、ページを開いて差し出してきた。
「これ、弾ける?」
「これなら……Aメロ誤魔化すけどいい?」
「全然大丈夫だよ! 早く聞きたいな」
そこに載っていたのは再生回数も上から数えた方が早いくらいの曲。
恐らくミクの中で一番有名なラブソング……かもしれない。
妹によれば初音ミクがその汎用性を世に知らしめた曲だそうで、偉大な曲でもあるとか。
ページをめくってもらいながら拙い演奏が響き渡る。
それでも静かに喜んでくれる文の笑顔が眩しかった。
ふとビビッドストリートで演奏した時のことを思い出す。
あの時はわけもわからず始めた物ではあった為に得られる物は少ないと思っていた。
実際自分の心に響いたものは少なく、得られたのは理由もわからぬ満足だけ。
でも今は違う。残された一人の為に捧げる音。
今まで抑えていたものを取り払い自分の全てをぶつける為に。
未だそれは人の為の音楽ではあるけれど、それでよかった。
演奏を終えて安堵のため息を吐く。それがお辞儀に見えたのか文は小さな拍手を送ってくれた。
「じゃあ、次の曲は何弾こうか?」
「次、次ってホントにいいの? 疲れてない?」
「そこは気にしないで。私は絶対無理はしないって文が一番知ってるでしょ?」
「えー、自分の好きなことには無理してたのに信用ならないね」
お返しとばかりに答える彼女と共に笑い合い、彼女はワクワクしながら次の曲を探し始める。
いままで空いた時間を埋めるためにも、今日はとことん付き合うことにしよう。
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一体何曲弾いただろうか。
楽譜の中の曲は全て弾き終えてもまだ足りなかったために、
ミクのMIDIデータをダウンロードしてまでいろんな曲を演奏した。
「うー、曲ならもっとあるのに出てこない……」
マイナーな曲も、有名な曲も、ありとあらゆるジャンルにとらわれることなく。
寧ろ自分よりも曲を提供する文の方に負担が大きかったともいえる。
実の所まだ演奏していない代表曲はあるのだが、
バーチャルシンガーだからこそ歌えるハイテンポな曲が多く、
提案こそしてみたものの私のことを気遣ってか頑なに選ぼうとしなかった。
それに加えて雰囲気が暗い曲や怖い曲なども除外していった為、
思いのほか曲数が少なかったようで。
楽しそうに曲を探していた姿はどこへやら、唸りながら膨大なネットの海を彷徨っていた。
「えっと、別に今日しか弾いてあげないってことはないよ?」
「ほんとに!? お姉ちゃん大好き!」
その言葉に飛び起きて詰め寄ってくる妹に首を縦にして答えると、思いっきり抱きついてきた。
部屋の前の時と違ってとても嬉しそうに飛び跳ねる。
「笛の演奏の次は太鼓の演奏かしら?」
「あ、叔母さんごめんなさい」
「ふふ、いいのよ。でもそろそろ降りてこないとご飯が冷めちゃうわ」
部屋が軽くノックされ、気の利いた叔母さんの声が聞こえてきた。
窓の外を見ればもう月が顔を出していて随分と時間が経っていたらしい。
これ以上演奏してもご近所迷惑になるかもしれない。
「じゃあまた明日聞かせてほしいな。お姉ちゃんの演奏」
「うん。いつでもいいよ」
一旦部屋に戻り楽器の簡単な手入れをしている時、ノックもなしに妹が飛び込んできた。
「お姉ちゃん、いままでのバイト代返すね」
差し出された貯金通帳だった。
中には確かに渡した今までの給料分が記載されており一切下ろされた形跡がない。
「文、どうして?」
「だってお姉ちゃんが稼いだお金だよ? お姉ちゃんが使わないでどうするの?」
『それは言葉さんが稼いだお金だ。ならそれは自分の為に使いなさい』
昔、そのことで叔父さんと揉めたことがあった。
恐らくこの子はそれを聞いていて解っていながら受け取ってくれたんだ。
「でも、これからもミクのグッズとか欲しいでしょ? その時はどうするの?」
「私、Tシャツとかフィギュアとかは買わないからあんまりお金かからないの。
それに動画配信やってるから、それでちょっと稼いでるんだよ?」
得意げな顔をする彼女を見ていると、姉としての威厳が失われていく気がしたが、
それと同時に立派に育っているんだということも実感できる。
私が頑張らなくてもこの子は立派に生きているのだ。
その確認を兼ねて難しい質問を飛ばすことにした。
「それでも受け取れないよ。第一もう文は受け取っているし、それは文のお金だよ」
「んー、なら私が何に使っても文句ないよね!」
そう言って通帳を私に押し付けて部屋を飛び出していく。
今までの私のように生きることは出来ていても心が死んでいては意味がない。
そんな難しい質問すら突っぱねて明るく振舞う彼女は心も強かった。
「ほんと、敵わないな」
お手入れもほどほどに私は彼女の背を追う。過去に囚われた私はもうどこにもいなかった。