入店を知らせるベルが鳴り視線が集まる。
店内のカウンター席にはミクが、テーブル席にはこはねと杏が腰かけており、
カウンター裏ではMEIKOがコーヒーを淹れている。
「あら、練習は終わり?」
「いや、もうちょっとやってく予定立ったんですけど、それどころじゃなくなって……」
ぞろぞろと青年達が店内に入る中、
その最後尾にいた見慣れぬ少女が入り口に立ったまま店内を見渡していた。
そんな少女の名前を、バーチャル・シンガーである2人は知りもしない。
故に、違和感を覚えるのは当然のことだった。
「えっ!? 鶴音さんじゃん!」
「どっ、どどど、どうしてセカイに!?」
そして知っている2人もまた、ここがどこであるかを把握しているが故に戸惑いを隠せなかった。
そんな各々の反応に対し、気まずそうに苦笑いを浮かべながら丁寧にお辞儀する。
「すみません。驚かせてしまって。ごめんKAITO、やっぱり私外で待ってるね」
「待って。確かに驚きはしたけれど、お客さんには変わりないわ。ようこそ、crase cafeへ」
踵を返す言葉を引き留めたのはMEIKO。
それが彼女であったからか、それとも他の要因があったからか、足を止めた言葉は再び振り替える。
「そうだね。お客さんとして冷やかしはよくないもんね」
いつもと違いやんわりとした口調と笑顔で応え、
誰の傍でもないカウンター席へと腰をかけるのであった。
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MEIKOに紅茶の注文し、事情を軽くこはねと杏に説明を終えてゆったりと1人の時間を過ごす言葉。
そんな彼女の隣に1人の少女がやって来た。
「となり、座ってもいいかな?」
「……? あなたは?」
「私は初音ミク。……もしかして知らない?」
「知らないことはないよ。ただ、雰囲気も容姿もまるで違ったから」
バーチャル・シンガーとしてのミクとはまるで違う相手に少し戸惑ってしまう。
アイドルとしてでもなく、年相応の女の子としてでもなく、
これまで重ねてきた歳月をそのまま経験として昇華させた大人のように。
「(そっか、このセカイにはミクがいるんだね。……考えてみれば当然か)」
セカイに存在するバーチャル・シンガー。そこに代名詞たるミクがいないわけがない。
しかし言葉のセカイには彼女の影も形もない。その理由など、とうに理解していた。
「それで、座っていいかな?」
「うん、いいよ。他でもない電子の歌姫からのお誘いだもの」
「ありがとう」
自ら席を引き、となりに座ることを促す言葉。それに感謝を述べつつ腰をかけるミク。
そこで言葉が注文していた紅茶が差し出された。
「はい、ご注文のホットティーよ。お口に合うといいんだけど」
「ありがとうMEIKO。いただきます」
砂糖もミルクもなしに香りを楽しみ、カップを傾ける。ほどなくして満足げな笑みを浮かべた。
「やっぱりMEIKOの淹れる紅茶はおいしいね」
「あら、それだと貴女のところにも私がいるのかしら」
「うん。まあ、ここでする話でもないから、これでおしまい」
バーチャル・シンガー相手であっても自分のセカイの話はするべき物ではない。
何せ想いの根幹が違うのだから、それを語ってはこのセカイの否定にもなりかねないからだ。
想いの形に善悪や優劣がなくとも、未練がましく聞こえてはいずれ衝突に繋がる。
「それでミクは私にどんな用事があって来たのかな?」
「別に大した理由じゃないよ。ただ君が好きな音楽はどんなのかなって思って」
「別に皆と変わらないよ。ただ静かな曲が好きかな。ロックとかはあんまり聞かないの」
それから交わされる会話の内容は、言葉の音楽の出会いだった。
やはりバーチャル・シンガーということもあってか、その話題は音楽によるもの。
MEIKOもそばを離れず耳を傾けており、遠くに居るKAITOもまた言葉の楽器ケースに興味を向けていた。
「へぇ、随分昔から音楽に縁があったんだね」
「まあね。これもやりたいことをさせてくれたお父さんとお母さんのお陰だから」
「ならその音楽を誰かに聞かせたりはしないのかな。イベントを開いたりとか」
「そんなことまではしないよ。私は私が納得できればそれでいいから」
「そっか」
今も昔もこの想いは変わらないのだと言っているようで。
そこまで聞き届けたミクはそれ以上深くは追求しなかった。
やがてカップを空にした言葉は席を立つ。
「もういいの?」
「うん。長居しすぎてもこのセカイに悪いかと思ってね」
環境も天気も、自分のセカイに比べれば快適そのもの。
しかし想いの形が違うためか、言葉はどこか居心地が悪かった。
それを抜きにしても、ある意味人の心の中とも言えるこの場所は長居する気になれなかった。
「MEIKO、KAITO、ありがとう。Vivid BAD SQUADの皆さんもまた今度」
キャリーカートを引き連れて言葉はcrase cafeを後にするのだった。
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と言っても帰る手立てがあるわけでもなく、ストリートのセカイをさ迷う言葉。
壁に描かれた落書き──グラフィティ・アートを自らの特技で記憶しながら別々のルートを割り出していた。
しかしその後ろに続く人物が1人。
「……えっと、どうしてついてくるの?」
「別に深い意味はないよ。ただUntitledも無しにどう帰るのかなって思って」
言葉が尋ねるまで何も言わずついてくるだけ。ルートに口出しすることもない。
それはまるで普段の言葉のようであった。
「もし帰る方法があるなら教えてくれないかな。楽器の練習もしたいから」
「それならここでも出来るけど?」
「そうだけど……」
ミクの視線は言葉の引くキャリーカートにある。
音楽に生きるバーチャル・シンガーだからこそ、その者の奏でる音楽の形に興味があるのだろう。
こんな異常事態も華麗に対処する辺り、彼女の余裕は大したものだった。
「別に聞かれて困ることはないと思うけどね。彰人達だって、君のことは認めていたみたいだし」
「私のことを?」
その通り、と言わんばかりに笑顔で首を縦に振るミク。
そして語ったのは言葉と文が助っ人として入ったあのステージのこと。
それから彰人と冬弥がこのセカイを訪れ、語り聞かせてくれたことを知る。
「だから気になるんだ。キミのその音楽が、どういう物なのかね」
「……そこまで言うなら、1曲だけ」
それが彼女を付きまとっていた余裕。
彼女には敵わない。そう思ったのか楽器ケースの1つからバグパイプを取り出す。
そこから奏でられるのは自分の想いから生まれたウタ。
過去の出来事を記憶する、唯一の存在を歌ったウタを。
ウタは秋風を纏いビル風の様に通り抜けていく。ミクはそれにただ耳を傾けていた。
「……どう?」
「うん、よかったよ。ただ少し……寂しいかな」
「だろうね……でも、これが私の本当の想いだから」
その反応も予想通りといった様子で言葉は返す。
「じゃあ、私も代わりにお返ししなきゃね。このセカイで生まれた想いのウタを」
それは本来ミクが歌ったものではないが、このセカイにとってもっとも新しいウタである。
キーは彼女のものに調整されているが、その想いの強さは変わらない。
ありきたりな日常の上でも自分らしく生きていくというもの。
「どう?」
「そっか。それが誰かの想いの形なんだね」
曲は終わり、そのウタを聞き届けても少女は平然としていた。
その全てを聞き終えて、その意味を理解している。それでも彼女は変わらなかった。
「それなら私は、最底辺のままでいいよ」
「……そっか」
セカイにおけるバーチャル・シンガーは、本当の想いを見つけるためにある。
しかし目の前にいる少女は、場違いなまでに冷めきって──否、覚めきっていた。
これ以上引き留めるのも酷だろう。そう思ったミクはその手で触れる。
「ありがとうミク。その想いは誰かのために使ってあげてね」
光に消える彼女が口にした言葉に背を向け、歌姫はその場を去った。