ある日の出来事。
昼になってもベッドで惰眠をむさぼる千紗都のスマホに着信が入った。
「誰だ折角の休日を謳歌している時に……」
毎日が休日、という突っ込みは置いておき、千紗都はスマホに写る名前に顔をしかめる。
『雲雀
そうなると導き出されるのは自ずと1つ。
「もしもし。どうした? 孫の声でも聞きたくなったか?」
『ようやく出たか……そんな訳がないだろう、定時報告だ。
あれからも波風立たさずに生活しているんだろうな?』
険悪な態度で示される男の声。
低く威厳のある声であるが、千紗都自身に尊敬の念など微塵もない。
そう、電話の相手は千紗都の祖父であった。
「善処はしている。が、貴様ごときに指図される筋合いはない」
『なんだその口は。一体誰のお陰で生きていられると思っているんだ』
「確かに貴様の支援には感謝しているさ。だが肉親としての敬意とは別問題だ」
千紗都はまだ学生であり、その容姿や体質から普通の人生は望めない。
働き口となればなおのことであり、彼女の生活は祖父からの仕送りにとって成り立っていた。
『まあいい。私は何事もなく終わってくれればそれでよい』
「はっ、なら放逐してないで手元において監視すればよかろうに。
まあ我を忌み子として嫌う貴様であれば、万に一つもあり得んだろうがな」
『雲雀家の面汚したる貴様など、もはや手元に置く価値もないわ。
まったく、あの時一緒にくたばっていればよかったものを』
それだけ言い残し、祖父は電話を切る。
沈黙が訪れる部屋に残された千紗都は1人、部屋の隅に立て掛けられた写真へと目を向ける。
そこには2人の男女が千紗都と共に写っていた。
「雲雀家の面汚し、か。まったくもってその通りよな。我が両親よ」
千紗都の脳裏に過るのは過去の記憶。
学校から帰った彼女が目にしたのは、2人の無惨な死体。
誰に殺されたわけでもない。強いて言うなら社会に、世間に殺されたのだ。
人殺しというエッテルを拭いされなかった大人達の、利口ながらも報われぬ終わり。
そんな現実を受け止めきれなかった千紗都は、ただただ引きこもっていた。
やがて不審に思った近隣住民の通報によってやってきた警察に保護され、親戚の家へと預かられることとなる。
しかし人殺しの子供の居場所などどこにもなく、やがて祖父の支援の元このシブヤへやってきた。
「子供はいつまでも親の木偶人形よな」
祖父による支援もそうだが、千紗都の心には未だ死んだ両親の事が重く枷として残っている。
記憶で形作られたそれは、物理的な枷よりも厄介なものであった。
そんな彼女にも、唯一の救いがあったとすれば言葉との出会いである。
唯一の未練。断罪という赦しを得られた今、少しだけ前に進めたと思っていた。
それが一度諦めざるを得なかった音楽であればなおさらで。
部屋のすみに片付けられた電子バイオリンを手に取る。
かつて捨てた音楽を続けることも苦ではない。
千紗都にとって最良の判決であったのは、言葉も知らないところである。
「まあしかし、我の腕も落ちたものよ」
ただそれが記憶の中にある音とは違うことを除けば。
一曲試しに弾いてみるも手が思うように動かない。
単なるブランクと言えばそこまでだが、千紗都にとってその齟齬はあまり認めたくないものだった。
それでも続けない訳にはいかない。
理想と現実が食い違っていることなど、彼女にとって日常茶飯事である。
そしてなにより、これが自身にとっての断罪であり赦しなのだから。
・
・
自らの勘を頼りにひたすら練習に励む千紗都。
いつしか日は傾き空を茜色に染め始めた頃、休憩がてらパソコンの電源を入れる。
自動で立ち上がるナイトコードには、
唯一連絡先を交換した相手、wordがインしていることが表示されていた。
軽く挨拶のチャットを飛ばしてから承諾を得てボイスチャットへと移行する。
『こうして審判者と話すのも何度目だろうな。以前の我からすれば考えられん』
『他に友達はいないんですか?
ボイスチャットはゲームをプレイしながら交流するのに一番、だとおっしゃってましたが』
『基本的に我の口調で長く付き合うものなどいるわけなかろう』
態度から傲慢そのものである彼女も、多祥なりとも交流のある者達がいたのは確かである。
しかし我が強すぎる彼女を好ましく思う人間は、誰一人としていなかった。
『そう思えば審判者も相当な変わり者よな。こんな我を受け入れるとは』
『口調に棘があると思いますが、悪い人ではありませんからね。
それに雲雀さんは私が音楽を続ける理由にもなっていますし』
『? それは初耳だが……まあいい、貴様にも貴様なりの考えがあるのだろう。
我がとやかく言う必要もあるまいて』
『ありがとうございます』
関心がないわけではない。ただこの少女に対して踏み入るだけ無駄というもの。
千紗都自身も、フェニックスワンダーランドでの交流で理解しているつもりだった。
『そういえば審判者はイベントなどには出ないのか? あの時の反響であれば優勝することも容易かろう』
『そう言っていただけるのは光栄なのですが……私が納得していないので』
『ほう、奇遇だな。我も同じことを考えていた』
『もしかして……千紗都さんもですか?』
『うむ。まったく、過去の輝かしい記憶というものは厄介なことよ』
奇しくもこの2人は、幼い頃から音楽を習っていたという共通点がある。
言葉自身も小さい賞を重ねていたため、当時は多少注目の視線を浴びていた。
既にその腕前もかつてのそれを越えているのだが、未だ納得のいかない彼女は今も研鑽を続けている。
『一応、ストリートミュージシャンみたく路上で演奏はしているんですが、
未だに納得ができなくて……』
『ほほう、なかなかに肝が座っているな。ならば奏者同士聞かせ合うのも一興か』
『雲雀さんも路上で演奏されるんですか?』
『馬鹿者、我の様な者が人前で演奏するわけがなかろう。
貸しスタジオという便利なものがあるではないか』
『なるほど、その手がありましたね』
こうして2人は雑談もほどほどに、お互いの腕を確かめるべく予定を合わせるのであった。