第1話「その少女、純情につき」
電車に揺られながら浅葱色のスマホを取り出し、音楽を再生する。
イヤホンを通じて流れる音色は明るく激しく鮮烈なメロディー。
合わせて響いてくる電子音に似た女の子の歌声。
「はあ、やっぱりミクちゃんの曲は最高だなあ……」
口にする歌詞は全てが明るく、希望に満ちたもの。
これが『わたし』にとって初めてのバーチャルシンガーの旋律。名前を初音ミクという。
一つの動画サイトから始まった彼女の歌は人々を魅了し、
幾多の作曲者さんや絵師さんといった作り手の人達から様々な姿で歌を届けている。
今までも、そしてこれからも。
その歌声に聞き惚れていると電車内でアナウンスが鳴って、
自分の降りる駅だと知り慌てて開いたドアから飛び出した。
日もすっかり落ち込んで寒空にチカチカと星が瞬いて見える。赤くてゆっくり動いて……って。
「なーんだ、アレ飛行機かー」
星が見えないこともないんだけど、
やっぱり満天の星空といえるほどは見えない。見えても二等星……だっけ? くらいかな。
街が明るすぎると小さい星の光は見えなくなってしまうらしい。
地元だともっとよく見えたんだけどな。
わたしが元々いたのは近くに裏山もあるくらいの田舎。
春には近くの桜の木の下でお花見、夏にはカエルと鈴虫の大合唱、
秋には山に上って紅葉狩り、冬には一面の雪景色に交じって雪合戦。
でも今はお父さんもお母さんも事故で死んじゃって、
叔父さんと叔母さんのお世話になってます。
お蔭で生活ができてるんだけど、わたしも『お姉ちゃん』もそのままではいられなかった。
とくにお姉ちゃんは変わり果ててしまった。
あんなに一生懸命だった楽器を全部やめて、バイトに打ち込んでいる。
どんな時でもわたしの中にはお姉ちゃんの音楽があって、
それを突然取り上げられた気持ちなんか分からずやなお姉ちゃんだった。
でも最近はそうでもなくなってきた。
ある日を境に外で演奏してるのを聞いて。口喧嘩して。仲直りして。告白して。
いまではバイトと演奏の両立をしている。
叔母さんが時折無理してないかと心配してたけど、お姉ちゃんのことだから大丈夫だろう。
だって中学から何だかんだで無遅刻無欠席の皆勤賞常連さんなんだから。
そこでスマホが元気よく着信音を鳴らす。誰かと思えば叔母さんからだった。
『文ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかしら?』
「うん。なにー?」
『今日のお料理で使う卵がなくなっちゃったから、買ってきてほしいの。
今どのあたりまで帰ってきてる?』
「電車降りたところだよー。駅前のスーパーでいい?」
『ありがとう。お代は帰ってきてから渡すわね』
「はいはーい。じゃあ買ってすぐ帰るねー」
スマホをしまい込んで夜の街を駆ける。
わたしの名前は鶴音文。鶴音言葉の妹で、もうすぐ高校一年生!
進路も決まって今は勉強……は、まあまあ頑張ってます!
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「ただいまー! 寒いよー!」
「お帰り文ちゃん。卵ありがとうね」
「ありがとう叔母さん。あ、ちょうどタイムセールだったから3パック買ってきちゃった」
「あらあら本当? でもここまで走ってこなかった?」
「大丈夫! あっ、でも1個くらい潰れてるかも」
わたしの声に気付いて台所から出てきた叔母さんに、お代と卵を交換して洗面所へ。
手洗いうがいを済ませて自分の部屋へ。そこには壁中に敷き詰められた、
マジカルミライやレーシングミクの公式ポスターやタペストリーがお出迎えしてくれる。
「ただいま、ミクちゃん」
額縁に入った複製原画にただいまの挨拶をして、パソコンを起動する。
表示される壁紙もマウスアイコンも、全てがミクちゃん仕様。
動画サイトへとリンクをたどりデイリーランキングを眺める。
「あっ、新曲上がってるー!」
最近配信が始まったバーチャルシンガーをテーマにしたアプリがあって、
その影響か昔の有名『P』さん達が書き下ろし曲を手掛けている。
いつもは暗い感じの曲を上げていた人も、
昔に凄く勢いがあった人もまるで息を吹き返したかのように、
そのテーマに沿った明るい曲を投稿している。
「消失なんて、ありえないもん。だってミクちゃんだし」
新参も古参も寄ってたかってのお祭り騒ぎ。
そのお祭り感が、毎年開催されるマジカルミライより嬉しかった。
『文ちゃーん、言葉ちゃーん、ご飯出来たわよー』
「はーい! すぐいくねー!」
部屋を飛び出し、階段を下り……る前に!
「お姉ちゃん、ご飯出来たよ!」
自分の部屋の隣の扉を開け放ち声をかける。もちろんノックなんてしない。
そんなことを考えるよりも先に体が勝手に動いてるから仕方ない。
部屋の中では一人の凛とした雰囲気の女の人がフルートを分解して掃除している。
「うん、ありがとう文。もうちょっと待ってね」
ちょうど終わった所だったのか楽器ケースに丁寧に戻して蓋を閉める。
クローゼットの中に仕舞い込んで私の前に立つ。
「じゃ、御飯食べに行こっか」
「うん!」
この人の名前は鶴音言葉。私の大好きなお姉ちゃんだ。
最近は学校でも演奏の練習をしているみたいで、
毎日帰ってきてからは楽器のメンテナンスをしてるみたい。
いままでは見られなかった光景だったけど、私にとって何よりもそれが嬉しかった。
──これから始まるのは、わたしの物語。わたしの世界のお話だ。