時を同じくして、文はシャワーで汗を流した後、リビングのソファで転がっていた。
「はう~、すっごく楽しかったよ~」
目を閉じれば思い出される光景。
ライブは写真や動画撮影がNGの為、その証は残っていない。
しかし脳裏には舞台から見た観客の様子が鮮明に焼き付いている。
「もう少し落ち着いたら?」
その横では別のソファに腰を掛けてテレビを眺める言葉の姿が。
相変わらずクイズ番組や特番で雑学を仕入れている。
ちなみに叔父と叔母の姿はなく、お互い自室で仕事に打ち込んでいた。
「お姉ちゃんだって楽しかったでしょ? あんなに多くの人がわたし達の歌で喜んでくれたんだから!」
「私は何て言うか、安心感の方が上かな。次の人達に繋げられたから」
「うーん、そういうものかなー……あっ!」
悩みながらも転がることをやめなかった為か、ソファの上から落下する。
しかしこれまたとっさの受け身で事なきを得た。
「大丈夫!? 怪我は……」
「大丈夫大丈夫。こういうの慣れてるから」
自分が踊っている時は、この程度では済まないほどアクロバティックな演技を披露する。
それらに柔軟に対処している彼女からすれば、ソファから落ちる程度なんてことはない。
それでも不意打ちには弱いのだが。
「慣れてるって、もしかして今日のダンスも?」
「うんそうだよー。1年以上やってるから」
「そんなにやってたんだ。知らなかったな」
今までひた隠しにしていたことだが、ここまで来て隠し通せるとは思っていない。
せめて叔父と叔母がいない今のうちに話してしまおう、と姉に向き直る文。
「お姉ちゃんごめんね、今まで黙ってて」
「ううん、気にしないで。でもそっか、文の音楽はそんな感じなんだね」
「わたし不器用だから楽器出来ないんだよねー。だからダンス……というよりトリッキングかな。
こう、動きで表現したいって感じがして!」
立ち上がり、軽くステップを踏んで嬉しさを表現した。
それを見て言葉も自然に頬が緩む。
「少し安心したかも。文がやりたいこと見つけてくれて」
「どういうこと?」
「ずっと後ろからついてきてるだけだって思ってたから」
「もー、そんなことないってばー!」
抗議の声をあげながら頬を膨らます文に対して、
言葉は何も言わず笑顔で頭を撫でるだけであった。
・
・
姉に誤魔化されながらも自室に戻り、パジャマに着替えて1人ベッドで横になる文。
「もー、お姉ちゃんってば失礼しちゃう。
わたしだって日々成長してるんだよー」
あてのない愚痴を呟きながらスマホを眺める。
気分転換に曲を聞こうとしたところで、ふと何かに気づいた。
「あれ、知らない曲が入ってる」
新曲リストのなかに忽然と現れた1つの音楽ファイル。
名前は
「アン……タイトル……変な名前」
ダウンロードした際に楽曲情報の取得ができなかったのだろうと、
適当な理由をつけて再生ボタンに手をかけた。
するとスマホから光があふれ出し────
・
・
次の瞬間には、知らない場所に立っていた。
枯れ草に覆われた大地に広がる辺り一面の地平線。辛うじて整備された果てしなく続く道。
空は雲に覆われていて朝か昼か夜かもわからない。
「……どこ、ここ……」
あまりに唐突な変化に頭の処理が追い付かない文。
ほんのり冷たい風が吹き抜け、身を震わせる。
辛うじてスリッパも一緒にやって来ていたらしく、それを履いてなんとか歩き出す。
「と、とりあえず進んだら誰かが居るかも」
時おりスリッパの中に転がり込んでくる小石を追い出しながらも、
右も左もわからぬまま、ただ前へと進む。
不安になるよりも体を動かし温めることを優先する。
パジャマ姿のままで立ち止まってしまえば、すぐにでも凍えてしまうだろう。
しかし行けども行けども、街の明かりはひとつも見えてこない。
「っ! 誰かー! いませんかー!!」
ありったけの声を張り上げるも、それは虚空へと消えていく。
返事をしたのは冬の始まりを告げるような、冷たい風だけだった。
「そうだ! 電話!」
手にあるスマホで姉に連絡を取るも返事はない。
スタンプ機能を連打しても一向に既読が付くことはなかった。
「……お姉ちゃん、返事してよ……」
急に虚しくなってその場に座り込む。
冷えきった地面の冷たさなど、1人の寂しさに比べるまでもなかった。
すると後ろの方から車輪の回る音が聞こえてくる。
顔をあげれば遠くの方から幌馬車がゆっくりと近づいてきていた。
「だ、誰か来た! おーい! おーい!」
思わず道路の真ん中に飛び出して全力でアピールする。轢かれても問題ないと言わんばかりに。
「どう、どうどう」
突如現れた存在と大声に馬が驚き嘶く。
それを御者が巧みに操ってなんとか事なきを得た。
「急に飛び出したら危ないよ、文ちゃん」
「ご、ごめんなさい……ってどうしてわたしの名前を──」
馬車から見下ろしながら、1人の少女が注意を促す。
薄紫を基調とした半透明のドレスに身を包んだ少女。
随分洒落たデザインでありながらも寂しさを残したコーデであったが、
それ以上に特徴的な部分があった。
肘まで伸びたうす緑色の髪の三つ編み。一見して解るその風格は。
「み、ミクちゃん!?」
「始めまして。そしてようこそ、新しいセカイへ」
──初音ミク。誰もが知る歌姫が、そこにいた。