一時間後。
「……ふぁ……あれ?」
ティナの意識がぼんやりと覚醒していった。どうやら、急速に力を使いすぎた影響で眠ってしまっていたらしい。今自分がもたれている温かいものは何だろうだとか、あれから何があっただろうかとかぼんやりとした頭で考え始めて…
「目を覚ましたのか?」
すぐ近くで太郎の声がして、唐突に意識が覚醒した。
そうだ、自分はあの後太郎にすがり付いてなき始めて…
(も、もしかしてそのまま眠って…!?)
「す、すみません!」
自分の状況に気が付いて慌てて体を起こすティナ。が、ティナは生来朝に弱く、かつ力を大量に使ってしまった影響でまだ本調子ではない。そのため、急に体を起こしたせいで軽い立ちくらみを覚えてまた倒れそうになってしまう。
「と、危ない」
ティナが倒れる前に、太郎が慌てて抱きとめる。
(え……ええと……!?)
抱きとめられてまた混乱したティナの視界に、太郎の首筋が移った。自分が頭を預けている胸のすぐ近くの位置に太郎の首が見える。後少し、首を動かすだけで自分は簡単に太郎を吸血することができるだろう。
そんな考えが脳裏を過ぎり、同時にここまで自分を信頼してくれる太郎に胸が熱くなる。
(…ついさっきまで、私はあなたの血を吸おうとしていたのに…)
ティナがしたことは仲間になることを了承しただけ。それだけで、太郎はここまで全幅の信頼を寄せてくれる。そのことがとても嬉しかった。
「…いつまで抱き合っているつもりですか?」
と、そんな少し甘い雰囲気をぶち壊すような、冷ややかな声が割って入ってきた。楊雲だ。同時に、ティナは今の姿を楊雲とカイルに見られているはずだということに思い当たる。それはさすがに恥ずかしかった。
「すすす、すみません!」
今度こそ、ティナは太郎から体を引き離した。太郎のぬくもりが離れることに若干の寂しさを覚えたが、太郎の恋人の楊雲の前でこれ以上太郎にべたべたすることには抵抗があった。何よりもまだティナ自身が恥ずかしかった。
「ま、まぁ、気にするな」
太郎も少し恥ずかしかったようで、少しだけ頬を赤く染めながら苦笑する。苦笑であったものの、その笑顔があまりにも温かかったから、ティナは一瞬見惚れてしまい……
「って、すみません!」
今度は顔ごと視線をそらす様にうつむいてしまう。自分の失態(太郎にすがり付いて泣きじゃくったあげく、そのまま眠ってしまったこと)を思い出すと、恥ずかしくて死にそうだった。
そのティナの態度に、太郎は「ティナは謝ってばかりだな」と再度苦笑し、楊雲はそんな二人を見て嘆息する。ティナはしばらくそのまま俯いていたが、カイルの反応がまったく無いことに遅まきながら気が付いて顔を上げた。
「そう言えば、カイルさんは?」
「ああ、あいつなら……」
キョロキョロと周囲を見渡すティナに、太郎はティナが眠っている間と交わしたカイルとの遣り取りを説明した。
**********
ティナとの戦いを終えた後……
(ど、どうしたものか?)
太郎はものすごく戸惑っていた。自分にすがり付いて泣いていたティナがそのまま眠ってしまい、動くに動けなくなってしまったからだ。心なしか、楊雲からの視線が冷たい感じがする。実際は、楊雲は少し呆れたようにため息をついただけだが、そのため息が太郎にはなぜかやけに重いものに感じられた。
(い、いや、こんな状況を狙ってたんじゃないぞ!)
心の中で絶叫しながら否定する。それでもティナを放りだすこともできずにそのままでいるのだが。ティナもティナでがっちりと太郎に抱きついているため、放すに放せない状況だった。
身動きできないままおろおろする太郎。その様子を諦観した面持ちで眺める楊雲。
そんな二人の様子に呆れながらも、カイルは考えていた事を二人に話し始めた。
「ティナは眠ってしまったか……ま、構うまい」
カイルは泣き疲れて眠ってしまったティナに一度優しい視線を向けた後、真剣な顔になった。
「太郎。悪いが俺様はここから別行動だ」
「え?一緒に魔王退治に行くんじゃなかったのか?」
「そうしてやるつもりだったが、事情が変わった」
「…ティナさんのことですか?」
カイルの言葉で事情を察した楊雲が尋ねる。カイルは「ああ」と短く応えて頷いた。
「ティナは吸血衝動を抑える努力をしていた。そのティナの力がこれほど強く目覚めた原因は……やはり魔王の奴しか考えられない。ちっ、三流魔王の癖して余計な能力だけはきっちり残ってやがる」
「…能力って?」
太郎の疑問に、カイルは忌々しげに顔を顰めて応えた。
「魔族の活性化だ。俺様程の魔族になると欠片も影響がなかったが、他の奴等はそうはいかなかったようだな。ティナが吸血衝動を抑えきれずにバンパイアとなってしまったのがその証拠だ」
そうだとしてもティナの力は強すぎたが。
カイルは口の中だけでそう呟いたが、太郎たちには聞こえなかった。
「そうだったのか、それでティナは……」
太郎は自分の胸で眠っているティナを見下ろす。ティナは安らかな寝息を立てており、先ほどの危険な気配は微塵も感じられなかった。
「…リリトさんが心配なのですか?」
「リリトの魔族の血はかなり濃い。まず間違いなくティナのように暴走している筈だ」
楊雲の問いに、カイルは頷いて答える。同時に、カイルの脳裏に浮かんだのは若葉の事。
若葉とリリトはソウルの街でパン屋を営みながら一緒に暮らしている。カイルは魔宝探しの旅を終えて別れた後は一度も会っていないが、そのことだけは実際にその場所まで行って確認していた。
何とか街に馴染めている様子を見て安心していたのだが、こうなっては話が別だ。下手をしたら若葉にまで危険が及んでいる可能性がある。
幸い、カイルは古代魔法で瞬間移動の魔法を習得しているため、一度訪れたことがある場所なら一瞬で行くことができる。自分一人にしか効果がないのがたまに傷だが(余談だが、カイルがこの場所に現れたのも、この魔法を使って移動したからである)。
「俺様はリリト達の様子を見に行かねばならん。だから、ここからは別行動だ」
「何なら、そっちも付き合うぞ?」
「いらん」
太郎の提案に、カイルは首を横に振って続けた。
「貴様にもやるべきことがある筈だ。以前の仲間が心配なのだろう?魔王の影響がこれほどのものだとは、ティナを見るまで俺様も思ってなかったしな。早いとこ仲間の所に行ってやるべきだ」
「…そうか、その通りだな」
カイルの言葉に太郎は納得する。先ほどの話ではまだ余裕があるとのことだったが、魔族に影響を与えることが分かった今では、一国も早くリラとキャラットの様子を見る必要があると感じていた。
「しかし、リリトが心配なんて、お前も成長したな」
「勘違いするな。またあいつがつまらんいさかいを起こして魔族の名を汚されるのが嫌なだけだ」
「はいはい、そう言うことにしておいてやるよ」
「貴様、絶対誤解しているだろう!?」
カイルの憤りを、太郎は余裕の笑みでかわす。その笑みに、カイルも毒気が抜かれてふんと鼻を鳴らした。
「まあいい。とにかく、俺は行かねばならん。貴様らは貴様らで適当にうまくやってろ」
太郎と楊雲の二人はカイルの言葉に顔を見合わせて苦笑をもらした。そして、そのまま立ち去っていこうとするカイルの背中に声を掛ける。
「まったく……おい、カイル。一人で魔王を倒しに行くんじゃねえぞ!俺の出番を残しておけよ!」
「…お気をつけて」
カイルは一度振り向いた後、にやりと笑みをもらした。
「ふんっ、貴様らこそな」
そして直に太郎たちに背を向けて、言った。
「仲間の下に行く前にマリエーナ王国の城下町に寄って行け。そこで何かがあると俺様の勘が告げている」
「…魔族の勘か?」
「偉大なるカイル・イシュバーン様の勘だ」
「分かった。通り道だし、レミット達のことも気になってるしな」
「本当に、どこまでもお人よしな奴だな、貴様は。……さらばだ!」
太郎の言葉に、カイルは小さく笑みを漏らし、別れの言葉と共に瞬間移動の魔法を発動させてその場から消えた。太郎はカイルが消えた場所を感心したように眺めて呟く。
「あんなこともできたんだな」
「恐らく、古代魔法でしょう。テレポートの魔術まで使えるなんて、カイルさんは優秀な術者ですね」
「あのバカイルがなー」
太郎の言葉に楊雲は微笑を漏らす。太郎はカイルに対してはやけに悪態をつきたがるが、それはカイルを認めてのことだからだ。実際、リリトの元に向かったカイルを太郎は心配していない。カイルなら必ず上手くやると無意識で信じているのだろう。
(少し、羨ましいと思ってしまうのは、変なのでしょうか)
「ん?どうした、楊雲」
「いえ、何でもありません」
微笑して応える楊雲。その笑顔があまりに綺麗だったから、太郎は少し気恥ずかしくなって視線をそらした。
「それで、これからどうしますか?」
「カイルの奴に言った通り、マリエーナ王国の城下町に行くつもりだけど」
「…だけど、何ですか?」
「とりあえずティナが起きてから、かな」
「…仕方がありませんね」
未だに太郎にすがり付いて眠り続けるティナを見て、楊雲は小さく嘆息した。
**********
「そうだったんですか……カイルさんにもちゃんと挨拶したかったんですが」
一頻り説明が終わった後、ティナは残念そうに呟いた。
「まぁ、一緒に魔王退治に行く約束はしてるしな。また会えるだろう」
「そうですね」
ティナは気を取り直したように頷いた。それから、太郎は楊雲に視線を向ける。楊雲は分かっていると言うように小さく頷いた。
「それじゃあ、そろそろ俺達も行こうか」
「あ、ちょっと待ってください」
促して歩き始めようとする太郎と楊雲の二人に、ティナが静止の声を掛ける。
二人の見ている前で、ティナはまず右手を虚空を撫でるように動かした。すると、その先に一匹の大きな魔狼が現れる。ただし、太郎と戦っていた時の魔狼のような凶悪な風貌ではなく、目が円らになっていて少し愛らしい印象さえ受ける風貌に換わっていた。
「それと……」
ティナはそれから空いた左手を自分の左肩に置いた。すると、その手のひらの先から一匹のコウモリが現れてティナの肩に止まる。妙にデフォルメ化されており、まるでぬいぐるみのような外見だった。
それからティナ魔狼の背に横向きに座って、あっけに取られた様子で見ている太郎達に話しかけた。
「お待たせしました。それでは行きましょう」
「…ええと、それは一体?」
「太郎さんは私のバンパイアの力にも期待していると言ってくれましたから。だから、少しでも慣れておこうと思ってこうやって日常的に力を使うことにしたんです」
「そうか……うん、いいんじゃないか」
いい提案でしょうと言うように嬉しそうに微笑むティナの姿に、太郎も自然に笑みを浮かべて応える。ティナが自分の力に前向きになってくれたことが何よりも嬉しかった。楊雲も太郎の隣で柔らかい笑みを浮かべている。楊雲も、自分の力を受け入れる困難さはよく理解している。以前の自分がそうだったからだ。以前は何もかも諦めていて、太郎と出会えておかげでようやく前向きに受け入れることができるようになった。自分と同じように太郎によってそう変わった人ができたことは、純粋に嬉しいことだった。
…例え、その相手がライバルになりそうだとしてもだ。
もっとも、譲ってやる気持ちは楊雲にはなかった。
「では、行きましょう。太郎さん」
さりげなく太郎の隣に立って、太郎を促す。
「あ、ああ。そうだな、行くか」
「はいっ」
ティナは少しだけ楊雲を羨ましそうに眺めたが、それでも本当に嬉しそうに笑顔で頷くのだった。
ティナ、無事に主人公パーティ入り。
次回はカイルサイドのお話。