「素晴らしい個性だ」
魔央が緑谷との試合を終え、通路へと歩を進めるとその大柄の男はずっとそこで待っていたかのように立っていた。
腕を組み、轟炎と威厳を纏うその男───エンデヴァーは薄い笑みを浮かべながら魔央を見つめる。
当然、エンデヴァーは目的もなくこの場所に来たわけではない。
しかしエンデヴァーにとって誤算だったのは、魔央のヒーロー知識の浅さである。
魔央は幼少期より自身が生きるためにはヒーローになるしかない、という受動的な考えしかもっていなかった。
ゆえに、目の前の人物をテレビなどで見たことはあっても名前までは分からない。
そもそも元から知っているのはオールマイトのみであり、今の知識としてはそこに雄英の教師をしているヒーローが加わった程度。
結果として魔央の第一声は、
「……誰だ貴様は?」
となってしまった。
No.2ヒーローであるエンデヴァーにとって、他人が自分のことを知っているのはあまりに当たり前のこと。
誰も責めることはできない。
そして、魔央の言葉が『あのう……申し訳ないのですがどなたですか?』という言葉が強制変換され出たものであることも、誰も知りえないのである。
エンデヴァーは露骨に眉を顰める。
その歪んだ表情には、気分を害した者特有の苛立ちが滲んでいた。
しかしエンデヴァーも大人である。
この年齢の子供にはよくあること、と理解し怒りを鎮めた。
「……あぁ、すまなかった。自己紹介が遅れたよ。私はプロヒーロー『エンデヴァー』、焦凍の父だ」
「そうか」
「…………」
まるで自分を意に介さないようなその態度。
そして有象無象とは一線を画した圧倒的な存在感は、彼にとって目障りで仕方ないNo.1の“あの男”と似通ったものがあり、その事実がさらに神経を逆撫でした。
額に青筋が浮かび上がる。
それでもエンデヴァーの理性は失われなかった。
「予選から本選まで君の活躍を見せてもらったよ。実に多種多様な能力を兼ね備えた個性だ。既に君の実力は並のプロを超えている。まさしくオールマイトのような、最強の個性の一つと言えるだろう」
「ほう、見る目があるな貴様は」
「…………」
(ほんとすみませんエンデヴァーさんッ!!!!)
魔央には心なしか、エンデヴァーの纏う炎がさらに猛々しく燃え上がっているように見えた。
それは内心の怒りが如実に現れているようで、今にも爆発しそうな爆弾の処理をしている気分だった。
「今まではっきり言って退屈だったのではないか? それだけの力があるならそれも仕方ない。実際、この雄英体育祭でも君は圧倒的な活躍を見せている。───だが、焦凍は違う」
エンデヴァーは決して焦凍が魔央に劣っているとは思っていなかった。
確かに、能力の多様性なら魔央に分がある。
だが個性が身体機能である以上、無制限にあれだけの力が振るえるはずがないのだ。
必ず何かしらの“制限”がある。
そう、それこそが有象無象との大きな違いだ。───焦凍には、それがないのだから。
───『左』を使えば。
“左”さえ使えば、長期戦は免れないだろうが最後に勝つのは必ず焦凍だ。
それだけは断言できる。
なぜなら───
「あれはオールマイトを越えさせるために私が作った『最高傑作』だ」
そう、焦凍は己が作り出した最高傑作。
自らの理想を体現した存在。
しかも幼い頃から厳しく鍛え上げてきた。
まさに焦凍は、No.1になるために生まれたと言っても過言ではない。
ゆえに、負けるはずがないのである。
「君は焦凍の仮想敵として実に素晴らしい。今はくだらん反抗期だが、“左”を使わなければ決して君を打ち破ることはできないだろう。君には期待しているよ」
魔央は『作った』という言葉の意味が、事前に父親のことを焦凍本人から聞いていたこともあり『個性婚』のことであるとすぐに分かった。
だが、エンデヴァーの目には欠片ほどの悪意もない。
己の信念を微塵も疑っていない。
(……あぁ、なるほど。俺はやっぱり恵まれていたんだな)
このとき魔央の脳裏に浮かんだのは、自分を育ててくれた神楽坂だった。
比較するなんてことは、なんの意味もないかもしれない。
でも、比較せずにはいられなかった。
そしてほんの少しだけ、エンデヴァーの言葉に魔央はイラッとしてしまったのである。
気分のいい話ではない。
まともな倫理観をもった者であれば、程度に差はあれど不快感を催しただろう。
それでも、No.2ヒーローである『エンデヴァー』に反論を唱えようなどという者は皆無。
魔央を除けば。
個性『魔王』により、その負の感情は膨れ上がり制御する術を失う───否、制御する必要などどこにもないのである。
「貴様は勇者足りえんな」
「……なに?」
エンデヴァーは魔央の言葉の意味が理解できなかった。
勇者とはなんだ?
そう問いただす前に魔央の言葉は続けられる。
「勇者が勇者足り得る為に越えるべき壁の一つ、それが貴様だ」
「……意味はよく分からんが、侮辱していることはわかる。何が言いたいのだ?」
「巨躯に似合わず随分と小物だな。目障りだ、消えろ」
「なんだとッ!? 口の利き方がなっとら───な、どこへ行く!! まだ話は終わってないぞッ!!!! 待たんかァァァッ!!!!」
エンデヴァーの怒声が響くなか、魔央はそれを一切無視してこの場を後にした。
(うわぁ……完全に怒らせたよ。小物はアカンやろ小物は……あぁもう俺ほんと何言ってんの。どうすんのよこれ最悪なんですけど……)
魔央の内心の嘆きを知る者は誰一人としていない。
++++++++++
『轟焦凍 対 破魔矢魔央』
待ち望んでいた試合が今始まる。
会場のボルテージは最高潮に達した。
プレゼント・マイクの実況がさらにそれを引き上げる。
それを目にする全ての者が熱狂し、期待に胸を膨らませるなか、
『スタァァァトッ!!!!』
賽は投げられた。
瞬間、魔央を大氷壁が襲う。
これまで轟の全ての試合が瞬殺。
並大抵の者であれば、この全てを呑み込む氷壁によって為す術もなく行動不能に陥るだろう。
ただ、当然であるが魔央は並大抵などではない。
───『ドルモーア』
暗黒エネルギーの放流が氷壁を打ち砕く。
しかし、魔央が防ぐのは轟も予測済みだった。
ゆえに次を見越し余力を残していたのだ。
闇と氷が再び激突する。
派手な大技の応酬。
得てして強大な力は人々を魅了するものである。
轟と魔央の苛烈な戦闘は、数多のプロヒーローをして息を呑むような光景であった。
だが、消耗しているのは明らかに轟の方である。
轟は真っ白な息を吐き、体には霜が張り付き、見るからに動きが鈍っている。
実は最初から魔央は轟のこのデメリットに気がついていた。
だからこそ『炎』を使わなかったのだ。
大規模遠距離攻撃から一転、突如魔央が翼を広げ、轟の氷を躱しつつ距離を詰める。
そして、勢いそのままに魔央は轟を殴り飛ばした。
素の状態でも常人のそれを遥かに上回る一撃。
激痛と共に轟は吹き飛ばされるが、なんとか氷壁を作り出し場外となるのを免れた。
「諦めろ、貴様では我に勝てん」
「……なんだと」
ここで、初めて2人が言葉を交わした。
よろめきつつも立ち上がる轟。
だが間髪入れず、再び魔央が距離を詰める。
そして空中で一つフェイントを入れ、回し蹴りを放った。
轟は反応こそできたが、氷結のデメリットによって低下した身体能力では完璧に対応することはできない。
辛うじて間に合った右手だけで蹴りを受けるが、威力を殺しきれるわけもなく、またしても轟は吹き飛ばされ何度も地面をバウンドする。
場外ぎりぎりのところで轟は踏みとどまった。
「まったく呆れたものだ。この我に対して手を抜くなど。───腸が煮えくり返るわ」
魔央の言葉に、ボロボロになっている轟は怨嗟に満ちた目で睨む。
「お前に……何が───」
「知らぬわそんなもの。何度も言わせるな愚か者めが。─── 貴様は誰を相手にしているのか、本当に理解しているのか?」
「うるせぇよ……テメェに何が分かんだ。俺は……右だけで勝つ。勝たなきゃいけねぇんだ。───俺は右だけでアイツを超えるッ!! この母さんの力でッ!!」
「とんだ道化だ、貴様は」
「あぁ? なんて言った!! 破魔矢ッ!!」
「───言っただろう轟よ。良かったなぁ、我が貴様の本当の敵ではなくて」
「……だからてめぇは何が言いてぇんだよ」
「まだ分からぬのか? 我が本当の敵だったらどうなると思う? ───貴様は何も守ることができぬのだ、つまらん制約のせいでな」
「───ッ」
「持てる力を余すことなく使えば救えるかもしれない命がある。にもかかわらず貴様は己の制約を優先し、救えない。これを道化と言わずなんというのだ? ───貴様は勇者足り得んッ!!! この愚か者がッ!!!」
魔央の怒声に轟の心が震えた。
そして思考が真っ白となる。
そうこの時、この瞬間だけは、轟の頭には何も無くて───
『───頑張れ轟くんッ!!』
緑谷の声援が耳に届いた。
同時に───爆炎が吹き荒れる。
圧倒的な熱が会場を埋めつくす。
「……別にてめぇに感化されたわけじゃねぇ」
誰に言うでもなく轟は呟いた。
「ただ今は、俺の全力でてめぇを倒したくなった。それだけだ。───勝つぞッ!!」
その瞬間響くエンデヴァーの歓喜の叫び。
だがそんな会場を震わせるほどの叫びでさえ、今の轟には届かなかった。
そして轟に応えるように、魔央が笑った。
「フハハハハッ!! ようやくか!! 貴様の全力を正面から叩き潰してやろうッ!!」
魔央は笑いながら思う。
(うわぁ……俺何やってんのよ。人にうだうだ言えるほど偉くないだろっての。───だけどまあ、俺も負けるわけにはいかないんでね)
身体中を駆け巡る形容しがたい高揚感。
今、この戦いを心から楽しんでいる自分がいることを魔央は否定できなかった。
ゆえに笑う。
笑わずにはいられない。
───『力こそがすべてを司る真理だ』
その時、魔央は声が聞こえた気がした。
───『どちらが上かわからせてやろう』
思考が黒く染まる。
覚醒した気でいる轟を純粋で圧倒的な力で叩きのめしたい。
それは抗うことのできない欲求。
魔央は『魔王化』を選択する。
───『デスタムーア:第二形態』
瞬間、纏うローブが消え、会場の人間にとっては逆に新鮮な体操服姿の魔央が現れた。
だが変化はそれで終わらない。
角の形状が変わり、翼と尻尾が生え、肌が赤く染まる。
そして肥大化する筋肉。
それは見る者にオールマイトを幻視させた。
溢れる力に魔央は歓喜する。
(まだだ……まだ足りないッ!!)
もっと、もっとだ。
さらに力をよこせ。
欲望のままに魔央は呪文を唱える。
───『バイキルト』
全てを破壊できる。
そう確信出来るほどの力がみなぎる。
「フハハハハッ!!!!」
思わず笑った。
この力で全てを蹂躙しよう。
そう思い───
(───え、今俺一瞬トリップしてた……?)
魔央の目に光が戻った。
理解できない現象に戸惑う時間などなく、状況は進んでいく。
「まだ、そんな奥の手があったのか……でも、俺は負けねぇ。本気でいく。───どうなっても知らねぇぞ」
大氷壁が魔央を襲う。
急激な気温変化に観客は震えるが、これから起こることを見逃すことは絶対にできない。
瞬きすることすら惜しまれる。
そのあまりの興奮が感覚を麻痺させ、2人から目を離す者はいなかった。
(ぎゃぁぁ、もうやるしかないやんッ!!)
魔央は地面を蹴り、翼をはためかせて轟へと迫る。
それは魔央本人でさえ戸惑うほどの圧倒的な速度であり、目で追えた者はほとんどいなかった。
だが、極限まで研ぎ澄まされた轟の感覚は魔央を知覚する。
高速で迫る魔央に、轟は爆炎を纏った左手を向けた。
『ミッドナイトッ!! これ以上はッ!!』
セメントスとミッドナイトが個性を発動する。
しかし、それほどまでに危険な状況であっても魔央の思考はある一点へと集約されていた。
(優しく、そっと、赤ちゃんを撫でるように……集中しろ、絶対に手加減しないとやばいッ!! マジでやばい……ッ!!)
経験したことがないほどの膨大なエネルギー。
制御することができず、かといってここまできたら引きさがることもできない。
ならばやるしかない。
なんとしても制御する。
制御してみせる。
魔央が覚悟を決め拳を振い、轟は爆炎を放った。
冷やされた空気が急激に熱され───爆風が吹き荒れる。
土煙が舞い上がり、誰しもが目を凝らした。
どちらが勝利を手にしたのかを確かめるために。
徐々にリングに浮かび上がる人影。
そして、そこに居たのは───
「フハハハハッ!!!!」
傲慢な笑い声を上げる、魔王だった。
お読みいただきありがとうございました。