「どうした!? 逃げるだけかッ!?」
「痛っ……!」
見えない刃が飛び交い、その一つが響香の頬を切り裂いた。
もう守られるだけなのは嫌だ。
周りにヒーローはいないし、こんな路地裏で助けは期待できない。
ならば戦うしかない。
大通りには一般人もいるのだから。
しかし、不可視の攻撃が強力すぎて近づくことさえできない。
ゆえに響香はヴィランの手元を見て躱すことに専念し、状況は完全に膠着していた。
そんなときだった───
「貴様、何をしている?」
『魔王』が姿を現したのは。
「なっ! なんでお前がここに!」
ヴィランが声を上げる。
「……魔央」
響香と魔央の視線が交わる。
だが、それはほんの一瞬。
不敵な笑みと共に、凍えるような声で魔央は呟いた。
───『ゾーマ』
魔央が静かにそう呟く。
その冷たい言葉からは憎悪と憤怒が溢れている。
そして本人が望もうとも、望まなかろうとも、力は応える。
器は成ったのだから。
魔央の姿が変わる。
ゾーマの力をその身に宿す。
「フフ……フハハハハッ!!」
魔央は笑った。
笑わずにはいられなかった。
魔力が溢れる。
まさしく無尽蔵と言う他ない魔力によって生み出された冷気が、ただ歩くだけで周囲を凍らせてしまう。
闇に染った心で魔央は理解する。
『魔王』という言葉ではあまりに足りない。
この力は───『大魔王』の力。
全てを滅ぼす理から外れた力だ。
「魔央……」
もう助けられるばかりは嫌だと覚悟を決め立ち向かいはしたが、ヴィランの攻撃が強力で躱すことがやっとであり、次第に焦りと恐怖が膨れ上がっていた。
そんなとき魔央が現れたのだ。
その姿を見た瞬間、ヴィランへの恐怖は消えていた。
結局、自分は守られる側。
安心している自分が嫌になる。
でも、それ以上に何か嫌なものを感じる。
今目の前にいるのは……本当に魔央なのか?
そんな、自分でも理解できないような不安が募って仕方がないのである。
(なんだろ……この嫌な感じ)
「どいていろ、響香。すぐに終わる」
魔央が響香と目を合わせることはなかった。
ただ笑みを浮かべたまま、ヴィランを見据える。
その目には、一縷の光もありはしなかった。
「くく、クソッ!! テメェのせいで、俺のダチは牢屋にぶち込まれちまった!! 1年前のこと覚えてるか!? だから復讐しようと計画したんだ!! テレビでテメェの事見て、コイツには勝てねぇと思ったから身近の人間を傷つけようと思った!! わ、悪いかよ!!」
ヴィランの男は魔央を前にした途端、体中の血流が逆流するほどの得体の知れない恐怖に支配された。
ぽろぽろと情けない涙が零れる。
足は震え、歯がガチガチとうるさい。
なぜこれほどの恐怖を感じてしまうのか、男自身理解できなかった。
「そう、怖がるでない」
不敵な笑みを浮かべたまま、魔央はヴィランの男にゆっくりと近づいていく。
ただそれだけ。
たったそれだけの行動によって男の恐怖は絶頂を通り越し、冷静な思考は完全に失われた。
「う、うわぁあああ!!」
空気の刃を飛ばす個性。
これがこの男の個性である。
とても強力な個性だ。
だが、男に慢心はなかった。
だからこそ自分はヴィランとして今まで捕まることなく活動できたし、より強い存在から目をつけられることもなかったのだと自負していた。
そう、本来この男は冷静で狡猾なのである。
ただ今のこの男には、欠片ほどの冷静さもありはしないが。
幾重もの不可視の刃が魔央へと迫る。
だが当然と言うべきか、まるで動じる様子はない。
それどころか回避の動作すら見せないのだ。
魔央はただ一言───『凍れ』と呟いた。
それだけ。
それだけで不可視の刃は全て氷塊と化し、地面にゴトリと音を立てながら落ちていく。
「……は?」
正しく理解不能。
実体の無いものが凍る。
そんなことはあるはずがない。
あってはならない。
「なな、なんだよそれ!! ざっけんじゃねぇ!!」
「よく喚くじゃないか」
大魔王ゾーマ。
全てを滅ぼす者。
その力は正しく理から外れているのだ。
神も、精霊も、英雄も、その力によって凍りつかせてきたのだから。
男は知るはずもないだろう。
全てを滅ぼしてきたこの力で滅ぼせなかった存在は───たった一人しかいないということを。
「よい絶望だ。絶望は我の糧となる」
笑みと共に、優しく語りかけるような魔央の言葉。
だが、男にとっては恐怖以外のなにものでもない。
「う、うわああああ!!!!」
大声を上げながら逃げ出した。
心のどこかで無意味だと知りつつも、そうせずにはいられない。
それでも、現実が覆ることは無いのだが。
───『凍れ』
その言葉に呼応するように、男の首から下は無慈悲に凍りつく。
「グハッ」
自由を奪われた男はそのまま地面に倒れ伏す。
「く、来るな!!!!」
魔央が一歩、また一歩と近づいてくる。
それは死へのカウントダウンにほかならないと本能が訴えてくる。
魔央の心に一切の曇りはない。
溢れた闇は全てを黒に染めたのだ。
迷いなどあるはずがない。
「死にゆく者こそ美しい。───さあ、我が腕の中で息絶えるがよい」
掌に闇の魔力が収束していく。
「うわああああ!!! やめろおおおお!! やめてくれ!!! 謝るから!!! 俺が悪かった!!! 頼む助けてくれ!!!」
男は最後の命乞いをする。
しかし───
「もう遅い」
結果は覆らなかった。
死を間近に感じ過ぎた男は、あっけなく意識を手放した。
それでも、構うことなく魔央は呪文を発動させる。
『サイコキャ───
「───ダメッ!!」
男の前で両手を広げ、響香は身を挺して立ち塞がった。
恐怖を感じないわけじゃない。
今にも腰が砕けてへたりこんでしまいそうだ。
それでも、こうしなければならないと思った。
こうせずにはいられなかった。
どんなに怖くても止めないと───魔央が戻ってこないような気がしたから。
「響香、そこをどけ」
「どかない」
「どけ」
「どかない」
目に見えるほどの暗いオーラが、魔央から立ち昇る。
「───どけと言っているのが聞こえないのかッ!!」
その怒声により、足が震える。
耐え切れず涙が零れる。
それでも───
「どかない!! バカ!!」
叫びながら、響香は魔央に向かって駆け出した。
そして───パシンと、頬を叩いた。
++++++++++
「どうしちゃったの魔央……戻ってきてよ」
暗闇の底で響香の声が聞こえた。
「うちは大丈夫だから……なんともないから……お願い───」
───戻ってきてよ。
今にも消えそうな声だった。
響香、泣いているのか?
「───魔央!!」
その声を聞いた瞬間、暗闇の世界に光が差した。
光に満ち、いつの間にか『闇』は消えていた。
そして、ぼんやりとしていた意識がゆっくりと浮上していき───
「……響香、か」
涙で頬を染めた響香が映った。
それと同時に、曖昧だった記憶も蘇る。
自分が何をしたのか、何をしようとしていたのか。
意識を失っていたわけではない。
全て自分がやったこと。
その事実が濁流のように押し寄せた。
「あぁ……我は……」
後悔と自責の念が止まらず、響香をまともに見ることさえ出来なかった。
響香が止めてくれなければ、本当に後戻り出来ないところまで堕ちていたかもしれない。
いや、間違いなく堕ちていただろう。
自分が自分じゃないようだった。
もしかしたら、俺の“個性”が何らかをきっかけとして暴走したのかもしれない。
まだまだわからないことだらけだ。
負の感情を増幅するような効果があったとしても不思議はない。
その片鱗は、体育祭のときからあったのだ。
憎悪と怒りが大きくなりすぎて、制御できなくなって……我を失った。
成長した個性に心が追いついていない。
それでも……たとえそうだったとして……なんの言い訳にもなりはしない。
俺が響香にしたことは消えない。
消えるはずがない。
いろんな感情でぐちゃぐちゃになる。
そんな時、
───響香が俺をそっと抱きしめた。
「なにやってんのよ」
「……すまない」
「すっごい怖かったんだけど」
「……すまない」
「好き」
「……すまな……ん?」
はい……?
い、今なんて言った?
あまりにも唐突すぎる出来事。
まったくもって理解できなかったとしても、仕方ないと思う。
「響香よ、今……」
「昔からずっと───ウチはあんたの事が好き」
そう言って響香は俺の首に腕をまわし、思いっきり背伸びして、唇を重ねてきた。
それは優しくて穏やかで、それでいてふわりとした口づけだった。
「この気持ちだけはもう、どんな事があっても変わんないよ」
++++++++++
すっごい怖くて、すっごい安心して。
きっとその落差が大きすぎて、心が麻痺しちゃったんだと思う。
だから、ずっとずっと胸の内に秘めていた想いが溢れ出てしまったんだ。
きっかけなんてそんなもん。
自分でも驚くほど素直になれて、すらすらと言葉が出てきた。
もしかしたら、家に帰ったら遅れて恥ずかしさとかが込み上げてきて、悶えてしまうのかもしれない。
でも今は、魔央のこんな表情が見れてウチは満足。
とっても怖かったけど、魔央が“弱さ”を見せてくれたこと自体は嬉しかったから。
「我も好きだぞ、響香よ」
その言葉はどうしようもなく不意打ちだった。
魔央と目が合った。
あ、やばい。
顔が熱い。
やばいやばいどうしよ。
でも───目だけは絶対に逸らさない。
もう、逃げたりしない。
ふい魔央がウチの背中に手を回して、引き寄せられて、優しく抱きしめられた。
「だからもう……我から離れるでない」
なぜか、さっきまでとは違う涙が流れた。
いつもの魔央からは想像も出来ないほど、弱々しい声。
嬉しくて、嬉しくて、想いが止められない。
ほんとバカみたい。
ウチはちゃんと、アンタを支えてあげられていたんだ。
魔央の胸に顔をうずめながら、ウチは震える声でそれに応えた。
「……うん」
ずっとこうしていたい。
あたたかい時間がとってもゆっくりと流れた。
でもそれは長く続かなくて、
「フフ、響香を我が妃に迎えよう」
雰囲気も何にも考えず、魔央はそんなバカなことを言ってくる。
「きき、妃は早いでしょ……!」
ウチの声はなぜか裏返った。
もういろいろわけがわからない。
だけど───とっても幸せだった。
きっとウチはこの日を忘れない。
魔央の恋人になった、この日を。
お読みいただきありがとうございました。