長年しまい込んでいたものが、蓋を弾きとばして溢れ出した。
恋という言葉では収まりきらないほどの想い。
それが今、実を結んだのだ。
この想いは自分だけではないか?
一方通行ではないか?
それを確か合うように、2人は抱き合う。
そして、遅れてやってきた気恥しさ。
顔を上げられない。
どうしようか。
これからどうすればいいのか。
次の行動として正解はいったいなんなのか。
その答えを、この2人が知っているはずがなかった。
だが、幸か不幸か、状況は移ろう。
ファサ、という羽音とともに。
「えーと、どういう状況?」
空から優雅に舞い降りるその姿を見て、響香は思わずその名を口にした。
「ホ、ホークスッ!?!?」
それは正しく偶然だった。
今世間を騒がすヒーロー殺しの調査という名目のもと、わざわざ九州から魔央の勧誘に来たホークス。
名目とはいえ、なんの成果もなく帰るわけにはいかない。
だからこそ周辺地域のヒーロー事務所に挨拶を済ませ、保須市を中心にパトロールをしていたのだ。
だが、成果は得られずじまい。
仕方なく滞在しているホテルへ帰ろうと空を羽ばたいていたところ、目撃してしまう。
氷漬けにされたヴィランと、その傍らで抱き合う2人を。
それは数多の修羅場をくぐりぬけ、百戦錬磨のトップヒーローであるホークスをしても理解できない状況だった。
何がどうなったらこうなるのか。
いくら想像を巡らせても答えがでない。
とはいえ、素通りすることもできない。
ゆえに本人たちに聞く他なかったのである。
「やぁ、破魔矢くん。朝ぶり。それで……君は破魔矢くんの彼女?」
「違ッ……! くは、ない……ような……」
「うむ、我が妃に迎えることにした響香だ」
「だだだ、だから、妃は、早いって……!」
「へぇ、響香ちゃんていうんだ〜。破魔矢くんもすみにおけないね〜」
「ちょっと! 真に受けないでくださいよ!?」
ハハハ、とホークスは気さくに笑う。
慌てふためく響香をからかいつつも、そこには温かい優しさを感じる。
だが、視線はおのずと“それ”へと向けられる。
そう、氷漬けにされたヴィランだ。
「ところでさ」
もはや普段の飄々とした空気はない。
鋭い眼差しが2人を突き刺さる。
その機微を真っ先に感じ取ったのは、魔央ではなく響香の方だった。
「あの……魔央はウチを守ってくれたんです。それに、魔央はヴィランから───」
それは、とても必死な訴えだった。
確かにさっきの魔央はとても怖くて、魔央じゃないみたいだった。
それでも響香は、幼馴染みであるがゆえに彼の優しさを知っているのだ。
魔央を誤解されることは、自分が貶されるよりもはるかに嫌だった。
しかし───ホークスは全てを察したかのように、響香の肩にそっと手をおいた。
「“ヴィランから逃げられない”、でしょ? 大丈夫、破魔矢くんを疑ってなんかないから。安心してよ」
ホークスは響香を安心させるように、穏やかな笑みを浮かべた。
「いろいろと問題になると厄介だからさ、このヴィランは俺が捕まえたってことにしていい?」
「え……」
「ふむ」
彼は目聡く耳聡い。
魔央の個性『魔王』の特性のひとつ。
“逃げることができない”
そのことは既に知っていた。
戦闘に至った経緯は問題ではない。
しかし、全ての人間がそのことを理解し、納得するわけではない。
確かに、ヴィランを撃退したという過去は学生時代の逸話として残るだろう。
だが、知名度ならばすでにある。
加えて、プロヒーローとして活動し始めれば、こんな過去なくとも魔央ならばすぐに脚光を浴びる。
少なくともホークスにはその確信があった。
ならば、ひょんな事が原因でこの過去を掘り返されるリスクをとるメリットは、限りなく薄いと言えるだろう。
むしろ魔央の経歴に傷がつく可能性の方が高い。
その点、自分が捕まえたことにすれば厄介なことにならずに済む。
ホークスはこの状況を見て、理解し、すぐさまこの結論に至ったのである。
そして、ホークスはこの自分の考えを魔央たちに分かりやすく説明した。
当然、魔央たちに反論などあるはずもない。
「魔央のこと……理解してくれてるんですね」
ヴィランを警察に引き渡した後の帰り道。
家まで送ってくれるというホークスに響香がふとそんな言葉を投げかけた。
すると、ホークスはからかうような笑みを浮かべながら───
「破魔矢くんに惚れ込んでるのは、君だけじゃないからね」
そう言った。
魔央はなぜかフハハハと笑い、響香は顔を真っ赤にして、小さく「……そうスか」と呟いて俯いてしまった。
さすがのホークスといえど、傲慢な笑い声を上げつつも、魔央が内心ではめちゃくちゃ照れてドギマギしているということには気づけはしないだろう。
「それではな、響香」
「またね〜響香ちゃん」
響香の家にはすぐに着いた。
「送ってもらって、ありがとうございました」
響香は家のドアを開け、少し振り返って魔央に小さく手を振った後、家の中へと入っていった。
「俺、おじゃまだった?」
ニヒっと笑いながら、ホークスは言う。
「さあな」
誤魔化すというよりも、ただ言葉を受け流すように魔央はそう呟いた。
(え、ヤバくね……? 響香が彼女になったとか……ヤバくねッ!?!?)
内心では大興奮だということをまるで見せない、極めて冷静で威厳に満ち溢れ立ち振る舞いであった。
「ちょっと飛ぼうか、破魔矢くん」
「構わぬぞ」
西に傾いた陽の光を浴びて、世界中の全てが赤く染まったかのような夕暮れの空。
二人はゆっくりと空を舞う。
魔央は、2人っきりになった今いろいろと問いただされると思っていた。
でも、ホークスは何も聞かない。
言葉はなくとも、魔央にとって心地のいい時間だった。
魔央が住む施設が見え始め、再び地面へと降りてゆく。
ホークスの後を追うように、魔央も地面に降り立つ。
「今日は災難だったね破魔矢くん。君目立つし、有名人だから気をつけなよ? それじゃ、俺は行くね」
朝出会ったときはあれほど騒がしかったのに、今は勧誘すらしないホークス。
その行動から、魔央は自分を思ってくれていることを痛いほどに感じた。
だからだろうか、気づいたら話し始めていたのだ。
「我には“闇”がある」
ホークスは立ち止まり、魔央の方を振り向いた。
「我が力が強大になるにつれ、その“闇”もまた大きくなる」
ホークスは魔央の言葉を聞き、『個性の成長と共に、なんらかの悪影響が大きなものとなっていく』とすぐに理解した。
「我は……純粋な善の心などもってはおらんぞ? ───我は『魔王』だ」
一切笑うことなく、ホークスは真剣に魔央の言葉を受け止める。
純粋な善の心などない。
その言葉を───犯罪者の親を持ち、その血が流れる自分自身と重ねながら。
「貴様は我を欲したなホークス? その心は、今も変わらぬか?」
魔央の心からの疑問だった。
雄英には優秀な人間がたくさんいる。
こんなリスクまみれの自分をとる必要は、まるでないと思ったが───
「変わらないね」
それはまさしく即答。
ホークスは一縷の迷いも見せはしなかった。
その事実に魔央は目を見開く。
「俄然やる気になっちゃったね〜。教えなきゃいけないことが増えた。それに確信しちゃったよ───」
───君はいいヒーローになる。
ありきたりな言葉といえば、そうかもしれない。
それでも、そんなありきたりな言葉は確かに魔央の心を揺らしたのだ。
「純粋な善意のみの人なんてさー、いないんじゃない? んー、俺の知る限りだと、オールマイトさんくらい? 言っとくけどこっちの方が普通じゃないからね」
ホークスの軽い雰囲気は崩れない。
だが、そこにふざけた様子もなかった。
「だからさ、俺らみたいな普通の人間はさ───自分に負けないことが大切なんじゃない?」
「……自分に負けないこと……か」
「そ、自分に負けないこと」
闇に呑まれかけた魔央にとって、それは重い言葉だった。
どんな心でその言葉をホークスが言ったのか魔央にはわからなかった。
でも、そんなことはどうでもいい。
重要なのはそこではないのだから。
「あとさ、大切なのは『絶対にこれだけは曲げない』ってのを自分で決めることだよ」
トップヒーローというだけあり、様々な修羅場をくぐってきたことは目を見ただけで分かった。
だからこそ、言葉の一つ一つがこんなに重いのかもしれない。
魔央は静かにそう思った。
「───『ヒーローが暇を持て余す世の中にしたい』。この意志だけは絶対に曲げない。俺の場合はね」
ふざけたように言うのに、魔央にはどうしようもなくカッコよく見えた。
「破魔矢くんにもある? 曲げられないもの」
「……ふむ、曲げられないもの、か……」
魔央は思考を巡らせた。
自分にそんなものあるのか。
個性に振り回され、ただ漫然とヒーローを目指した自分に。
(いや……一つだけある)
真っ先に浮かんだのは、響香だった。
響香は笑っている方がいい。
涙はもう見たくない。
ならば───響香が笑って過ごせるような、そんな世界にしたい。
たぶんこれだけは、絶対に曲がらない。
「その顔はあるね。もしかして響香ちゃん関係だったりする?」
「……ぬ」
「え、もしかして当たり? ははっ」
からかうように笑うホークス。
なんでこの人はこんなに察しがいいのだろう。
鋭すぎて怖い、などと魔央は内心で愚痴った。
「やっぱりさ、うちにおいでよ破魔矢くん」
ホークスはまっすぐと魔央を見据える。
「大丈夫、破魔矢くんなら“闇”になんか負けないよ。君はいいヒーローになれる。俺も手伝うしさ」
そう言って、ホークスは笑った。
魔央は自分がもらった指名にまるで目を通していなかった。
もしかしたら、ホークスよりも自分に合ったヒーローがいるのかもしれない。
ただ、もうどうでもいい。
なぜなら───この人の後ろ姿はあまりにも大きいと、そう思ってしまったのだから。
それは、魔央が職場体験先を決めた瞬間でもあった。
「て、ちょっとカッコつけ過ぎかな?」
「そうだな、ホークスよ。カッコつけ過ぎだ」
「あっちゃー、厳しいな破魔矢くん」
全てが赤く染まった夕暮れの空の下。
己の“闇”に負けぬよう、魔央はもっと先へ行くことを決めた。
ホークスと共に。
お読みいただきありがとうございました。