北天に輝く   作:ペトラグヌス

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王畿問答─A Memory of Distant Worlds

「──!」

 

 意識が戻る。ベッドから飛び起きる。

 あいつはどうなった?あの傭兵たちは、軍事委員会の手の者たちはどうなった?おれは、どうなっている?

 そんな疑問が濁流のように襲い掛かってきて──そうしておれは自分の言動のおかしさに気付いた。

 おれが横たわっているのはベッドだ。敵さんがご丁寧に清潔なシーツの上に身体を横たえてくれるだろうか?答えは否だ。

 そこまで思い至って、ようやく落ち着きを取り戻す。ゆっくりとあたりを見渡してみれば、どうやらここは病室の様だ。といっても、これまでカズデルでそんなお上品な所のお世話になったことは無いので、あくまで推測だが。目に入る風景は実に殺風景なもので、飾り気のない壁に規格化されたフォルムのサイドテーブル、それに清潔ながらも簡素なベッドくらいのものだ。

 この部屋で興味を引くものなど、本当に一つくらいのものだろう。

 

 そう、例えばおれの左手にしがみついて寝ているΩとか。

 

「……はあ」

 

 思わず安堵の息が漏れる。伏せていて表情はよく見えないが、月明かりに照らされて見える範囲では特に怪我をしている様子はない。あの戦場での最後の記憶、ヘドリーの声は幻聴ではなかったようだ。恐らく、ここはどこかの拠点、それもバベル側が用意したもので、おれとΩ、そしてイネスは救助されたのだろう。

 そうとなれば、ここにヘドリーもいるはずだ。奴には聞きたいことが色々とある。ここがどこなのか、依頼はどうなったのか、などなど、枚挙に暇がないほどだ。

 

 ……だが、どうやらそれは叶わないらしい。

 理由は目線の先、腕をホールドしている彼女だ。果たしてどういった経緯でこの場所にいて、どのような想いでこうしているのかは知る由もなく、また追及する気もないが、一般的に考えられるであろう病室のシチュエーションというものは、手を握るだとか、もう少しマイルドなものではないだろうか。怪我をした誰それのことを案じて病室で手を握って付き添うも、自らの体力も限界で眠ってしまう──なんていうものではないのだろうか。

 それが、何をどうしたら腕をがっちりホールドするなどというほんのりバイオレンスなものになるのか。おれは甚だ疑問に思う。

 何はともあれ、そんなわけで彼女が目を覚ますまでは立ち上がることも覚束なそうだ。……無理やり立ち上がろうとすると、肘関節がイカれそうな気がするし。

 ヘドリーはあれでいて律儀だし、意識を失ったままのおれを放って出立するなんてことはしないだろう。となれば、こんな快適な環境でのんびり寝れることなどサルカズの人生ではそう何度もないことだろうし、しばらく堪能させてもらおうとしようか。

 相も変わらずしがみついたままの彼女の絹のような髪を梳きながら、おれはのんびりとそう考えた。

 

 ……あと、今更気付いたけどΩさん、寝るのはいいんで枕にした人の腕びっちゃびちゃにするのは止めてください。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 朝。太陽の光が窓から部屋へと差し込んできた頃、胸の少し下のあたりから寝ぼけた声が聞こえてくる。ついこの間、あっちが先に起きているパターンはやったので、今度はこちらが出迎えてやることにしよう。

 

「よ、おはよう」

「……ふわぁ……おはよ…………ん!?」

 

 普段の寝起きのごとく声を掛けると、Ωの方からも普段通りの半分寝たままの返事が返ってくる。そうして数瞬が経過した後、風切り音と共に彼女の頭がこちらを向いた。ちょいとばかし久しぶりに見る琥珀色の眼は大きく見開かれ、顔全体で驚きが表現されている。それを見て、おれは思わず吹き出してしまった。瞬間、急速に沸騰するΩ。見る見るうちに顔が真っ赤になる。

 

「ちょっとあんた、眼覚ましたならもっと早く言いなさいよ!」

 

 そうして、頬っぺたをねじ切らんばかりにつまみ上げながら怒鳴りつけてくる。

 

ごべんばざい(ごめんなさい)

「あんたが突然ぶっ倒れたせいで、あたしがどれだけやきもきしたと思ってんのよ!」

ふいやへん(すみません)

「……はあ……ったく」

 

 取り敢えずは言いたいことを言いきったのか、はたまたおれの返答に呆れたのか、ようやく指が離され、赤く腫れあがった頬っぺたが解放される。むくれた様子でぷいと向こう側を向く彼女の姿はなかなか可愛らしい。

 ……ともかく、これでまた湿っぽい目覚めをすることは避けられたわけだ。そのためならば、怒鳴られることもそっぽを向かれることも甘んじて享受しようじゃないか。涙を湛えているよりは、怒っている方がよほど彼女らしいのだから。

 

 ……あれ?もしかして、おれ普段から怒られ過ぎ?

 

 

 

 その後、小一時間平謝りをしては小突かれるというやり取りを経て、どうにか赦してもらった。今回のような無茶はもうしないことや心臓に悪いドッキリまがいはもうしないこと、食事の際にはデザートを付けることなど色々と約束もさせられたが、最後の方はニヤニヤ笑いながら言っていたので絶対楽しんでいたと思う。額にぐりぐりと拳を当てながら約束することを迫ってくる様子はまさしくサルカズ(悪魔)といった所で、それは約束ではなく脅迫では?と疑念を抱いたのが、口にすると酷い目に遭いそうなのでやめておいた。

 

 さて、ようやくまともに会話できるようになったおれたちは、現状についての話をしていた。会話というよりは、おれの疑問にΩが答えていくという形だ。

 

「……つまり、ここは護衛対象だった船の中、ってことか?」

「そ。護衛対象に保護されてるってのは妙な気分ね」

「だなあ。にしても、あのクソみたいな仕事で守ってたのが馬鹿でかい船だったとは……」

 

 まずは、今おれたちがいる場所について。ここはバベルの連中がレム・ビリトンから輸送していたブツの中らしい。車列に隠された何かを守るのかと思っていたら、車列それ自体が護衛対象とは思わなんだ。

 

「で、今のおれたちはなんだ?この船のゲストってところか?」

「……そのはずよ」

「ん?」

 

 そんな場所にいるというのは、いわばバベルという未知の怪物の腹の中にいるも同然と言う訳だ。治療された跡がある以上、あちらが危害を積極的に加えてくるとは考えにくいが、あらゆる可能性を考慮する必要がある。そのためにも、自分たちの立ち位置というものを一つ理解しておきたいと思ったのだが、どうにもΩの返事は歯切れが悪い。

 確かに彼女もさっきまで寝てはいたが、ケガ人のおれと違って何もずっと寝ていたという事は無いはずだ。それならばその辺の話の一つや二つしているはずなのだが、どうしたのだろうか?

 べっこう色の瞳をじぃっと覗き込んでみる。

 

「……何よ」

 

 呟いて目を反らす彼女。……実に怪しい。この様子は何やらおれに隠していることがありそうだ。

 先ほどの脅迫への反撃をする絶好の機会を捕まえるべく、回り込んで再び視線を合わせる。あちらもあまりにもあからさまなのは拙いと見たのか、今度は目を反らさず、持久戦の構えだ。

 ……といっても、ぴくぴくと泳いでいるあたりやっぱり分かりやすいのだが。

 皮肉は得意だが嘘はヘタクソというのは、本人の性格を実によく表していて面白い、なんて考えながら見つめ合っていると、突如個室のドアが開いた。

 

「Ω、ヘドリーが……」

 

 ガラガラという扉の開閉音に、二人して慌てて入口のほうを振り向く。すぐに目に飛び込んできたのは髪色の黒。その場に立っていたのはイネスだった。

 

「……どうぞごゆっくり」

「ちょ、待ちなさい!」

「待て待て待て待てイネス待て!」

 

 病室内の様子を見て何を勘違いしたのか、素早く扉を閉めるイネス。おれはΩと一緒になって必死に叫ぶと、ベッドから跳ね起きて二人で部屋を飛び出した。そのまま走って、廊下を心なしか早歩きしているイネスを確保する。

 

「どうしたの?ヘドリーには私から言っておくから、あなたたちはのんびりしていていいわよ」

「あんたに任せたら何言われるかわからないでしょ!」

「イネス、違うぞ、別にそういうことは無くてだな!」

 

 自分でも何を言っているかよくわからないまま、とにかく言葉を発する。そんな、大慌てなおれたちの様子を面白そうに見つめると、イネスは極めて平坦な様子で口を開いた。

 

「そういえば、W、目が覚めたのね。よかったわ、心配してたのよ」

「……え?あ、うん、サンキュー」

「ええ。それはもう、船に乗り込むなり一瞬たりとも部屋を離れないほどには心配していたわ……Ωが」

「へ?」

「イネス!」

 

 Ωが顔を真っ赤にして叫ぶ。その反応を見るに、イネスの言葉は真実のようだ。

 ……なるほど、さっき彼女が隠したがっていたことはこれか。付きっきりでいてくれたのなら、おれたちの待遇や諸々についてあまり詳しく知らなかったのにも納得だ。おそらくはヘドリーが気を回してたのだろう。あの男は結構色々と気が利くところがある。

 ……人に余計なお節介を焼く前に、早く自分のことをどうにかしてほしいものだが。目の前の言い争いを見ていると、切にそう思う。

 

「あんたがそういうことするならあたしにも考えがあるわよ?……そういえばヘドリーたちが救助に来た時、なんか聞いた気が──」

「──アーツを使ってもいいのよ?」

「あら?アーツで見るまでもないんじゃなかったの?」

 

 二人の大怪獣バトルを放置して部屋に戻る選択肢も大いにありなのだが、ここから逃げ出せばそれはそれで面倒なことになること請け合いだ。廊下でやりあっている以上、いつ誰に見咎められるかもわからないし、ここはおれが諫めるしかあるまい。

 

「まあまあ、二人とも──」

「わっ、廊下で声がすると思ったら!目が覚めたのね!」

 

 気が進まないまま二人に声を掛けた、その時だった。背後からその声が聞こえてきたのは。

 声を聞いて言い争いをやめたイネスが表情を強張らせるのが見える。反対に、Ωは頭にクエスチョンマークを浮かべている。一体、後ろに誰がいるのだろうか。おれは、恐る恐る振り返った。

 

「かなりの重傷だってケルシーが言ってたから心配していたのよ。でも、もう元気そうで安心したわ、W」

 

 そこにいたのは、白いドレスを纏ったサルカズ。鴇色の影が入った真白の髪に、わき腹から大きく突き出した源石が目を引くが、そんなことはどうでもいい。

 朗らかにおれの名前を呼びながら話しかけてくるこの人は、まさか……!

 

「…………殿……下……?」

「……ヘドリーもそうだけど、そんなに畏まらなくてもいいのに。ここはカズデルじゃないのよ?」

 

 そう言って微笑む目の前の人は間違いない。カズデルの大地を二分する勢力が長、テレジアだ。

 

「殿下って……まさか……」

「あら!あなたは確か……オメガ、だったかしら?」

「ええ……はい、そうです、殿下」

「あなたまで!……そんなに硬くならないで、私のことはテレジアと呼んで。さあ、ほら!」

「ええと……テレジア…………殿下」

 

 今度はΩとまで話始めたが、取り敢えずそれは置いておく。

 話によれば、ここはバベルが輸送していた船の中であるはずだ。わざわざレム・ビリトンから輸送するあたり相当の代物だとは思っていたが、殿下がそこに居るとなるとまた一段階話が変わってくる。視察に来ているのか、ここに常駐しているのかでも話は変わるが、何にせよバベルの中核のひとつだというわけだ。なるほど、それならば摂政王が狙ってくるのも納得、いやむしろ当然と言えよう。

 強力な後ろ盾が得られればいいなどと考えていたが、まさかこんなことだったとは。

 ……さて。ここからどうする。いや、先ほどイネスがヘドリーがと言ってΩを呼び出そうとしていた。それはつまり、彼が何かを決めたという事だろうか?殿下がここにいるのも、まさかその一環──

 

「W!」

「っ、何でしょう、殿下?」

 

 加速していく思考を止めたのは、殿下の言葉だ。Ωと何の話をしていたのかは分からないが、心なしかウキウキとした様子でおれの名前を呼んでくる。……そういえば、おれと彼女の名前も殿下は知っていたな……

 

「さっきΩに聞いたのだけど、彼女の名前はあなたが付けたの?」

「ええ。私が名付けました」

「W。あなたも、私のことはテレジアと呼んで。堅苦しいのも嫌いだわ」

「は……いや、ああ、わかった、テレジア」

「ありがとう。……それで、どういう想いで彼女の名前を付けたのかしら?私も今、ちょうど名前について悩んでいるところなの」

 

 悩まし気な視線でこちらを見やってくる殿……テレジア。巨大勢力を率いる者とは思えぬ物腰であるが、果たして本当はどうであろうか。彼女はこの戦いの果てに何を見据えているのだろうか。

 ……今、テレジアは一人だ。そして、敬称を自ら拒否したという事は一人のテレジアとしてここにいるという事だろう。それならば、言ってもいいかもしれない。様子見の意味も含めて、おれは彼女の質問に答えて話を続けることにした。

 

「なるほど。……おれが彼女をΩと名付けたのは、最後の傭兵になって欲しかったからだ」

「……最後の傭兵?」

「ああ。テレジアの前で言うのもなんだが、傭兵というのははっきり言って職業としては最低の部類だ。……カズデルで生き残るためには仕方ないとしても」

 

 いったんそこまで言って言葉を切る。

 

「……」

 

 様子を伺えば、テレジアは真剣な様子をしていて、話の続きを待っているようだった。

 それを確認して、おれは言葉を続ける。

 

「おれたちにはもっと別の、戦うこと以外の道もあるはずだ。……例えば料理をするとか、料理を食うとかな。……だから、あいつにはなって欲しいと思った。最後の傭兵に。もう戦わなくてもいい、そんな世界にまでたどり着いて欲しいと思ったんだ」

「……それじゃあ、Ωというのは最後、という意味?」

「ああ。最後の文字で、最後だとか究極だとか、そういう意味だ」

 

 その問答を経て、おれたちの間からは音が消え去り、しばし静寂が訪れる。見れば、テレジアは先ほどおれが語った言葉を咀嚼しているのだろうか、眼を瞑っていた。

 おれも、改めて自分が口にした内容について考える。傭兵であるという自由。そして、傭兵が役割を終えるという、平和。自由と平和、サルカズとカズデルから最も遠いところにあるそれらを、なぜおれは求めているのだろうか。……そんなの、自分に問うまでもない。あいつがいるからだ。

 頭のそうだ追いやられているくず入れ、そこに丸めて捨てられているような、ほんのわずかな、塵のようなイメージ。自由だとか平和だとかが、当たり前のように横たわっている生活。その対極に常に身を置いて生きてきたはずなのに、なぜか存在している。

 それとあいつとが、か細い糸を通じて結びつく。血で彩られた日々の中で、過ごしたほんの僅かな平和なひと時。そこにいるのは、いつもあいつだ。

 ちらりと後ろを見る。そういえば、名前の意味は言ったことがあっても、そこに込めた想いまでは話したことがなかったっけ。そう認識してしまった瞬間、何か急にむず痒くなってきて、おれは前を向き返った。

 間のいいことに、ちょうどそのタイミングでテレジアも口を開く。彼女は、費やした時間に相応しい重みを持って言葉を紡いだ。

 

「…………素敵だと思うわ、W。あなたのつけた名前も、そこに込めた想いも」

「……ありがとう。貴方にそう言ってもらえて、嬉しい」

「こちらこそ、ありがとう。あなたのような人がいると知ることが出来て良かったわ。……私も、皆には笑っていて欲しいと思っているから」

 

 最後の一言は、どことなく寂し気な雰囲気を纏っていた。それでおれは、この人がこうしておれたちに話しかけてきた理由が少しわかった気がした。おそらく彼女は、背負ってきた人間なのだ。しがらみを、責任を、そして様々な人の死を。それでいて、彼女は前に進もうとしている。途方もない重さを背負い込みながら、それでも前へ。

 純粋にすごいと思った。同時に、おれには無理だと思った。たった一人背負っただけでも潰れそうな程なのに、おれやΩのようなただのサルカズたちまで含めて、全員の分を彼女は背負い込もうとしているのだ。

 

「……テレジア、あなたは」

 

 それを感じ取ったおれは、彼女に問いかけようと口を開き──

 

「テレジア、また君はこんなところをうろついているのか。……ドクターが呼んでいる。向こうの状況に変化があったようだ」

「ケルシー?ええ、わかった、すぐに行くわ」

 

 ──そして、その言葉は現れたフェリーンによって遮られた。彼女の言葉に、テレジアは頷くとこちらに背を向ける。そうして最後に、顔だけこちらに向けて微笑んだ。

 

「W。今度また、あなたのことを聞かせてちょうだい。それとΩ、あなたもね。……二人がもし、私たちのため……いえ、未来のために戦ってくれるというのならば、私たちはいつでもあなたたちを歓迎するわ」

 

 そう言い残してテレジアは立ち去る。後に残ったのはずっと黙ったきりのイネス、何を話したのかどぎまぎしているΩ、そして新たに現れたフェリーンの女とおれだ。

 テレジアが廊下の曲がり角に消えていったのを見届けた後、女はこちらを向き直った。

 

「……何を話していたのかは知らないが、随分とテレジアに気に入られたようだな」

 

 警戒心を露わにして、おれに向かって話しかけてくる女。

 先ほどテレジアはこのフェリーンに対してケルシーと言った。その前にも、おれを重傷だといった人物のこともそう呼んでいたと記憶している。実際、来訪者のことを観察してみれば、上着のポケットから注射器と思しきシリンダーが頭を覗かせていた。となれば、少し着崩しているそれは白衣だろうか。

 

「……医者かその類とお見受けしたが、もしやあなたが私の治療を?」

「……感謝は不要だ。私はあくまで私の仕事をしただけだからな」

 

 返ってきたのは無機質な返事。表情をピクリとも動かさないその様子は、同じサルカズ傭兵に対する態度としてテレジアと対照的だ。

 

「……で、あんたはあたしたちに何か用でもあるのかしら?」

 

 その冷たい態度と視線に業を煮やしたのか、Ωが鋭い視線で問いただす。対する女──ケルシー?──は、それを真っ向から受け止めて首を横に振った。

 

「……いや、特に用はない。ただ、患者が出歩くのはあまり感心できないというだけだ」

「あら?本当はテレジ──」

「ケルシー先生。ご忠告、感謝します。私は部屋に戻るので、またこの傷が癒えたらお会いしましょう」

「……ああ」

 

 Ωが色々と混ぜっ返しそうだったので口を塞ぎ、会話を終わらせる。ファーストコンタクトの様子から見て、二人は相性最悪だと思っていたが、その判断は正しかったようだ。未だにもごもごと言っているΩの首根っこを掴み、おれはさっさと病室に退避した。

 

 

 

 

 部屋に戻って手を離すと、開口一番、Ωが先ほどのことで噛みついてくる。

 

「ぷはっ、ちょっと、あんた!なんで邪魔すんのよ!」

「落ち着け。あんなに殿下と親しげだった彼女に喧嘩を売るのは得策じゃないだろ?」

「……けど、それであの涼し気な面の皮を剥ぐって手もあるじゃない」

「分かってる。お前が考え無しに喧嘩を売ったわけじゃないってことくらいは。けど、それはもう少し後でもいいだろ?」

「……わかったわよ」

 

 ぽんぽんと頭に手をやりながら宥めると、どうにか彼女の気持ちも収まったようだ。

 確かに、おれもΩと同じことは思った。あの時、ケルシーは間違いなくテレジア絡みで何かを言おうとしていたのだ。おそらくは、あの警戒具合からして釘を刺しに来たのだと思う。ただ、敢えてあちらがそれを飲み込んで何もなしに済ませようとしたんだ、その意図を汲んでこちらも引き下がるのが堅実だろう。

 ……それに、少し気になることもあった。

 

「……イネス、さっきからずっと黙ったままで、どうしたんだ?」

「……」

 

 あの場にいたのはイネスもだ。それだというのに、言葉を発したのはおれとΩだけ。部屋に戻ってからも、いつもならば茶々を入れてきそうなものなのにやけに静かだった。彼女はヘドリーからの言伝か何かも受け取っていたみたいだし、病室に籠りきりだったおれたちとは事情が異なる。だからこそ、その沈黙が気になっていた。

 

「……それ、あたしも気になってたのよね。もしかしてあんた、アーツで何か見たの?」

「……いいえ。ここはアーツを使うには秘密が多すぎる。それに……」

「それに?」

 

 語気を強めて追及するΩ。対して、イネスはそれを言っていいのかどうかためらっているように見えた。まるで、見えない何かに怯えているかのように。

 それを見て、おれもまたここが化け物の胃袋の中だという事を思い出す。視線を交錯させる二人を尻目に、おれは懐をまさぐって書くものを探した。左の内ポケットからは地図が見つかったが、残念ながら筆記具は見つからない。仕方なく、おれは指の先を嚙みちぎって赤い文字を書いた。

 

『これでいいか?』

「おいおい、お前ら……」

 

 見つめ合ったまま、火花を散らしているように見える二人。それを諫めるようにしてその間に割り込むと、おれは地図をイネスに見せる。

 彼女は、特にリアクションを取ることはなかった。ただ、その代わりに何かをサラサラと書き込んでいる。指先に感じる振動が止まった頃合いを見計らって、おれは口を開いた。

 

「とにかく今はヘドリーから話を聞くのが先決だろ?ほら、Ωもイネスも」

 

 それを合図にして、目線を反らす二人。おれはため息を大きく吐くと、やれやれと首を振って左手の中を見やった。

 

『テレジアは只者ではない』

 

 そこには簡潔に、ただそれだけが書いてあった。

 テレジアはサルカズの王。確かに、只者ではないと言えるだろう。だが、イネスが言いたいのはそういうことでは無いはずだ。……なぜなら、おれ自身もそれを強く感じているから。

 彼女の、おれたちのような傭兵に話しかけてくるある種の気さくさ、纏っていた暖かさ、秘めた哀しみ、そして前に進む覚悟。それらすべてが嘘だとは思わない。むしろすべて本当だとまで思う。それらを踏まえた上で、テレジアが善悪で言ったら善の側に立った人間であることは間違いないだろう。

 

 それだというのに、おれはなぜか彼女のことを恐ろしく感じた。身体が、脳が、警鐘を鳴らしているのが聞こえたのだ。

 ……思えば、おれはあんな風にテレジアと話していたのに、一度もきちんと目を見なかった。彼女が眼を瞑っていた時も、意識をわざわざ口元のほうへやっていた。目を合わせてしまえば、何か、大切なことを忘れてしまいそうな気がしたから。

 ケルシーが来る直前、おれがテレジアに言いかけた言葉。

 

 あなたは、何者なのか。

 

 ……優しい狂気とでも言おうか。あの時垣間見た重みは、彼女にも到底背負えるものではないはずだ。テレジアとて全知全能の存在などではなく、ただの人間なのだから。

 それなのに、彼女はまだ人の姿形を保っている。

 一体彼女は何者なのか、何処から来たのか、何処へ行くのか。

 人は、理解の及ばぬものを恐れる。

 おれは、彼女が恐ろしかった。

 

 

 

 イネスから渡された地図。それを、おれはΩにも寄こした。素早く文字に目をやる彼女。ベッドに腰かけ横目で見やれば、少し不思議そうな表情をしている。それはつまり、おれやイネスほどはテレジアに思うところがないという事か。

 ……おれの杞憂ならばそれでいい。テレジアは、間違いなく”善い人”だ。ともすれば、バベルに惹きつけられてしまうほどに。

 

 この先どうなるのか、はっきりとしたことは分からない。けれども、摂政王側に目を付けられている以上、テレジアの陣営と関わることは不可避だ。その中で、おれは一歩引いて視野を確保しておかなければならない。

 知らぬ間に、底なしの沼に足を踏み入れてしまわないように。

 あいつをしっかりと、守れるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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