「……さて」
数日後。ロドスのメインブリッジには硬い床に正座する三人のサルカズの姿があった。
すなわち、おれ、Ω、Scoutである。
周りには何か作戦の話でもしに来たのか、愉快そうな視線をサングラスの奥から覗かせるオペレーターであったり、微妙な笑みを浮かべるテレジア、更にはあわあわとしたアーミヤの姿もあるが、それらはひとまず置いておこう。
この場にいる人物で最も重要なのは、我々の目の前におわすフェリーンのお方、ケルシー先生である。
「私が一体何を聞きたいのか、賢明な君たちには既に分かっていることだろう」
「何の事かしら?あたしには全く心当たりがないんだけど」
「……ここ数日、何をしていた?」
白を切るΩの様子を見て、おれたちが自主的に話すという期待を捨てたのか単純に問いただしてくるケルシー先生。
肘で隣を軽く小突くと、咳ばらいを一つしてからScoutが朗々と語り始める。
「何をしていたって……報告した通りだ、ケルシーさん。俺たちは偵察任務を遂行して、敵に見つかったために強行偵察に切り替えた。敵の情報は収集したし、結果として敵を全滅させてしまっても拠点防衛という作戦の本義は失っていないはずだ」
彼が言葉とともに視線を向ければ、黒いフードを被った人物が軽くうなずた。
「詳細については聞いている。統率を失った敵傭兵部隊と交戦したのは十分作戦の範疇だろう。発見されたのは確かに過失と言えばそうだが、事後の対応を鑑みれば処罰よりは恩賞に値するんじゃないか、ケルシー?」
「ドクター、問題はそこではない」
一瞬、こちらに圧を掛け続けていた無表情な顔をちらりとドクターに向けてから、彼女は再びこちらを向き直る。心なしか、圧が増しているようだ。
「……君たちは作戦が終了した後何をしていた?」
「……ロドスに帰ってきましたよ、ケルシー先生」
「なるほど、確かに事実ではある。だが、それは果たして君が持ち帰った何かに説明を与えてくれるものなのか?」
慎重に、ただ事実を述べたおれに対して、ケルシー先生は一度頷いて見せると即座に鋭い口撃を放ってきた。
隣のScoutが肘でゲシゲシとこちらを殴りながら小声で叫ぶ。
「馬鹿、だから言っただろ!」
「……お前だっていいなとか言ってたじゃねえか!」
「貰った食材を手放すわけないでしょ?あんたの脳みそは空っぽなの?」
「……なんかメタクソに貶されてるけど俺正しいこと言ってるよな?」
ひそひそと小声で言い争えば、無表情なはずなのに、正面からの怒気が不思議と伝わってくるようでだんだんと肝が冷えてくる。
このままでは本格的に拙そうなので、とりあえずおれは言い訳を試みることにした。大丈夫だ、ケルシー先生は何を持ち帰ったまでは知らないはず。遠景で姿を捉えられていようが、袋の中身の透視などは流石にイネスでもなければできないはずだ。
「いや、すみません。実はあの後敵から装備を鹵獲したんですよ。いやあ、報告し忘れててすみません」
「……ほう。サルカズ傭兵が加工肉や乳製品を装備しているとは知らなかったな。君に向けた早く消費するようにというメモ書きもあったようだが」
(……クロージャあああああ!)
あのクソブラッドブルード、おれたちのことを売りやがった!せっかく仕入れに紛れ込ませて納入したかのように見せかけるために袖の下まで渡したのに!
「ははは、おれも知らなかったです。ははは……」
どうする、もう言い逃れはどうやってもできない。こちらが何かを言えば、きっとケルシー先生はそれを懇切丁寧に切り捨ててくるだろう。ご丁寧にそれを否定する客観的事実まで添えてだ。
かくなる上は……いや、待てよ?そもそも最初に言い出した奴がいるよな?……売ろう。
おれは素早くΩに目線をやる。彼女も同じ考えに至ったのか、小さく頷いた。これで2対1。勝利は確実だ。
「すみません、ケルシー先生。実は、こいつが町に行こうって言い出したんです。おれたちも止めたんですけど、それでも……なあ、Ω?」
「ええ。あたしが止めても『良いだろ、どうせあのクソ女も気づきやしない』なんて言ってたわ」
「おいおいあんたら俺を売る気か!?」
おれはScoutを指さしながら深々と頭を下げる。彼は慌てた様子で何事か叫んでいたが問題は無い。おれとΩ、二人の証言があれば物的証拠がない以上、多数意見という事でScoutが処罰されることは確定だ。すまん、おれたちの平和のための尊い犠牲となってくれ。
「……それだったら、俺にも考えがあるぞ」
……ん?
続けて聞こえてきた言葉に、おれは思わず頭を上げた。隣を見ると、実に悪そうな表情で笑っているScoutの姿と──手に握られているのは、録音機?
そのまま、かちりと再生ボタンが押される。
『……ケルシーさんに絞られるぞ?』
『大丈夫よ、あのクソ女だってそんな口出ししないわよ。もう任務は終わってるんだし』
『そうだそうだ』
流れてきたのは、おれたちの声だった。
あの時、特に意味のない脅しを入れてきたかと思えば、まさか録音していたとは。という事は、こいつは鼻からケルシー先生におれたちのことを売る気満々だったってことか?
しかも、この音声……
「ちょっと!あんたこれ加工してるじゃない!」
「声色こんなシリアスじゃなかっただろお前!」
「ケルシーさん!俺じゃなくてこいつらが町に行きたがったんだ!この通り止めようとしたのに、こいつらが勝手に」
「デタラメ言ってんじゃないわよ!」
「ふざけんな言いだしっぺ!」
「……静かにしろ」
「……」
「……」
「……」
ぎゃあぎゃあと言い合っていたおれたち三人の会話は、ケルシー先生のその一言でぱたりと止んで静かになる。メインブリッジ全体の空気までもがピンと張りつめた一本の糸のように引き絞られ、誰も声の一つも出せない。やがて、彼女はため息とともに口を開いた。
「はあ……君たちについての報告は既に町の方から受けている」
……なんですと?
それじゃあおれたちは初めから詰んでいて、その上この有様をケルシー先生にお見せしたということになるのか。……終わりだ…………
……まて、それじゃあなぜ彼女はわざわざおれたちに問いただしたんだ?
そんな疑問を抱いたおれをよそに、Ωが抗議する。
「作戦が終了した後で何をしていようが、あたしたちの自由じゃない」
「帰投するように言ったはずだが」
「何時までとは言われてないわ」
ケルシー先生相手に一歩も引かないその姿には、頼もしさすら覚える。しかしながら、残念なことに彼女に勝ち目はないだろう。何せ、相手しているのはバベルの怪物の一人なのだ。
「なるほど。この作戦についてはそうだな。だが、長期契約では君たち傭兵もロドス・アイランドの防衛要員となっているはずだ。加えて、本作戦で用いた機材についても無数に数があるわけではない。世の中にある単一の事象はその他の多くの事象と複雑に絡み合っている。車輌が数千ある部品の一つが欠落しただけで動かなくなるのと同じように、組織もまたただ一部分の齟齬で全体が壊死してしまうことがある。それを理解できない人間が、今回の作戦を遂行できたと考えるのは難しい」
「……」
……ほらな?
これにはさすがのΩも黙ることしかできない。と言うか、おれたち全員黙ることしかできない。事ここに至っては全面降伏だ。大人しくごめんなさいして裁きを受けるしかないだろう。
そんな風におれが覚悟を決めていると、Scoutが口を開いた。
「……ケルシーさん、処罰は受けるつもりだ。けれども一つだけ言わせて欲しい」
「……なんだ?」
「……あの町は疲れ切っていた。強大な敵勢力、乏しい戦力、いつあるかもわからない敵襲。精神的にかなり辛い時間を強いられていたはずだ」
「……」
「……それが、見事に敵戦力を撃退して見せた。久しぶりに訪れた勝利と重圧からの解放。彼らが祝うことを止められるはずもないし、それに水を差すことなんてできるはずもない。確かに、俺も彼らと勝利を祝いたいと思ったのは事実だ。ただ、それは個人的な欲望だけでなくて、彼らのためにも祝いたかったんだ」
……確かにはじめあの町に立ち寄った時、人々の顔色は優れなかった。見えない何かに怯えるような生活。そして、その何かはカズデルの大地に確かに君臨するものだ。仕方のないことだろう。
けれども、作戦が終わってから訪れた時、彼らの顔には光が戻っていた。自身と誇りと、希望とに溢れた表情をしていた。それは何だか、一銭にもならないはずなのに、こちらに確かな満足を与えてくれるようなものだった。それを嬉しそうに見守っていたScoutは、内心でこんなことを考えていたのか。
……考えていたのか?
見ればScoutはキリリと引き締まった顔で正面を見据えており、その目は澄んでいた。
言い訳7割、本音3割といったところだろうか。
「あの女にそんな感情的なものが伝わるわけないでしょ」
「こらこら、余計な事言わないの」
Ωはこんな風に言っているが、実際この心情に訴えかける作戦は通用するのだろうか。
ケルシー先生はいつも無表情だし、冷静で冷徹なように見えるが、怪我の診断の時などは真摯でこちらを気遣う発言も多かった。
……ある特定の人に向ける言葉には、少しばかり色が乗っているような気もするし、そこまでの冷たい人間ではないような気もするのだが。
果たして、ケルシー先生は口を開いた。
「……君のいう事にも一定の理解を示すことはできる。そのような苦境にある人々の心を癒すこともまた、我々の使命の一つなのかもしれない。ただ、物事には全て時宜というものがある。果たして本当にその時その事をすべきかどうか、よくよく考える必要があるだろう。今回、まず君たちはきちんと報告をすべきだった。仮にそれが為されていた場合は、このように君たちと話をする必要もなかっただろう。ただ、その場合には私が君たちが町へ向かう事を許可することはなかったと思うがな。ここまで言えば、私がなぜ君たちをわざわざこうしてここに呼んだのかわかっただろう。以後は気を付けてくれ」
「……了解」
「……はい」
「……ええ」
つまり、ケルシー先生が言いたいのは何か予定外のことをするならば、きちんと連絡しろということか。言外に言っているのは、許可の有無はともかくとして、ということだろう。
今回、彼女は言い訳をそれでよしとはしなかったものの、Scoutの言っていた事自体は否定しなかった。テレジアも、彼女も、おれが少し感じたような何かきらきらとしたものを追い求めているのか。
話は長いし、正直ちょっぴり怖くはあるけれども。それでもケルシー先生は見た目よりもあたたかい人間であることは確かだった。
「……それでは、今回の処罰だが」
……前言撤回しようかな?
そんなギョッとする発言をぶち込んできた彼女を宥める様に、黒い影が白い肩に手を置く。
「ケルシー。今回は処罰も恩賞も無し、それで良いだろう」
「……まあいいだろう。君がそのように考えるのならば、私があえて処罰する理由もない」
サンキュー、ドクター。
ドクターがいると不思議なことにケルシー先生の態度が柔らかくなるから助かるな。
「……W、君だけ処罰してもいいが」
「……いえ、何でもないです」
……どうやら、テラの女性は読心能力を標準装備しているらしい。恐ろしいね。
「そういえば、町から受けた連絡だが……」
いい感じに終わりかけていたところで、彼女が付け加えるようにして言う。町からの連絡と言えば、おれたちの言い訳が全て無駄なものに終わった元凶だ。果たして一体、何を言っていたのか。
「……友よ、共に祝ってくれてありがとう、とのことだ」
……そんなことを言われたら、恨み言の一つも出ないじゃないか。
さて。無事に特に処罰を受けることなく解放された我々三人組であるが、まず何より先にやらねばならないことがある。
「よし、とりあえずクロージャの所に行くか」
「裏切り者にはきちんと報いてあげなきゃね」
「あっ……」
町の連中に関してはもはや何もいう事は無いが、奴に関してはおれたちを売ったことは間違いない。この通り、Ωも殺る気でいっぱいのようだし、たっぷりととっちめてやろう。
言うが否や、おれと彼女は勢いよくメインブリッジを飛び出した。
……後ろから何かテレジアが言いかけていた気がするが、まあ気のせいだろう。
「クロージャあああああああ!!」
「うわあ!?」
勢いよくドアから中へ踏み込んで叫べば、黒髪のブラッドブルードがビクッっと震えて声をあげる。
艦内のオペレーター達に色々と尋ねてようやく発見したクロージャは、工作室にいた。入口に背を向けて何やら弄っていたようだが、そんな事は関係ない。
振り返った彼女を見れば、既にこちらの要件はわかっているようだ。
「覚悟はいいかしら?」
「なんだよー!ケルシーに問い詰められたら流石のあたしでも白状するしかないでしょ!?」
これ見よがしに起爆装置を取り出すΩに、慌てて手を振って弁解を始めるクロージャ。
ケルシー先生の尋問は確かに過酷だが、貰うものを貰っておいてその仕事ぶりは如何なものか。返金か、それとも弁償か。彼女には然るべき対応を取ってもらわなければならない。
「謝罪は別にいらないからクロージャ、契約違反で金を返してくれ」
「え?もう使っちゃったからないよ?」
「は?」
さも当たり前かのように言ってのける眼前の女。その表情からは、微塵も悪いと思っている様子を感じられない。
おれはこの銭ゲバブラッドブルードを爆破することを決意した。Ωの方を向けば、既に準備は出来ているとのグーサインが。
おれは親指を下に向けて合図をすると、一言だけ告げた。
「……やってくれ」
「さーん!」
「ひえええ!?ちょっ、待って!代わりのものならあるからさ!」
Ωがカウントを完全に無視して、躊躇なく起爆スイッチに指を伸ばすのを見て叫ぶクロージャ。彼女の言った言葉が少し気になったおれは、マジで爆破する気だったΩを軽く手で制して問いただす。
「代わりってのは何だ?」
「よくぞ聞いてくれたね!さあさあ、これを見て……おっ、ちょっと待って!」
つい先ほどの必死な表情はどこへ行ったのか、クロージャは満面の笑みとともに何やら後ろを向いて操作を始める。
……ケルシー先生は一旦こいつをロドス・アイランドで踏むとかして反省を促すべきじゃないだろうか?
そんなこちらの内心も露知らず、高速でキーボードを打っていた彼女は力強くエンターキーを押し込み、こちらに振り返る。
「どう?これがあたしが改造した高性能万能蒸し器、Steam-02だよ!」
『お二方、お初にお目にかかります。わたくし、Steam-02と申します。御用の際は、何なりとお申し付けくださいませ』
「……」
「……」
「搭載機能からAIまで全部クロージャさんの特殊仕様で、六輪駆動だからあらゆる地形を踏破できるよ!」
「……なあ、これじゃがいも蒸し器だよな?」
「……ええ。ボディに刻んであるわ。その上から何か上書きされてるけど」
そこにいたのは、喋って自走するようになったDr.Wells謹製じゃがいも蒸し器だった。
正直おれも自分が何を言っているかわからないが、目の前にある現実がそれだ。ボディにはご丁寧に"RETROFITTED BY Closure"と書かれている。
「そして、いざという時の自衛手段も完備!」
何やら物騒なことを言いながら機体側面のボタンを叩けば、ボディの一部が陥没して銃口がせり出してきた。間髪入れず、そこから金属弾頭が発射される。
弾丸はそのまま、工作室の壁に突き刺さった。
「源石不使用の蒸気を使った銃だよ!これだけ作ってもかなり儲けられるかも……」
『クロージャお嬢様、こちらの機構は元から備わっていたものとなります』
「ちょっと!営業妨害だから黙っててよ!」
謎の新技術を唐突に披露した挙句、特別仕様と豪語するAIと口喧嘩を繰り広げる始末。
おれもΩも、あまりの急展開にポカンと口を開けて見ていることしかできない。
「……ささ、どうかな?今ならお安くしておくよ?」
そんなこちらの困惑を感じ取ったのか、Steam-02をやり込めておれたちにすり寄ってきたクロージャが囁く。……つまり彼女は、この謎の超高性能ロボットを売りつけようと?
……どうだろう。蒸し器としての実力の程は分からないが、これがあれば戦場でも出来立ての蒸し高足羽獣やら焼売やらが作れるという事か。正直、相当魅力的だ。
ただ、忘れてはならない。先ほど彼女は「代わりに」これを紹介したはずなのに、いつの間にか再び代金をせしめようとしていたことを。
おれはクロージャにもう一度己が罪を思い知らせるべく、Ωに合図を出した。
「ゼロ!」
「ひえええ!?……わかったよ。オーナー権限を付与してあげるから、それでいいでしょ?」
彼女は仕方なしといった表情でそう言うと、こちらの返答を待たずにSteam-02の方に振り返る。またまた何かを弄っているようだが、オーナー権限とは一体なんだろうか?言葉どおりなら、このロボットの所有権者になるということだが……発言者のせいでイマイチ信用出来ない。
などと考えながら微妙な視線を向けていると、Steam-02が言葉を発する。
『臨時登録オペレーター、W様のオーナー権限がクロージャお嬢様より認証されました。続いて、個人登録をお願い致します』
「あー、何か適当に声を掛けてみて」
「…………よろしく、Steam-02」
迷った末、おれはクロージャの指示に従って彼女?に声を掛ける。まだまだ怪しさはあるが、本当にオーナーになれるのならばかなり嬉しいし、万能と銘打っているには料理の幅も広がるはずだ。隣に目をやれば、心なしかΩも期待の視線を注いでいる。きっと頭の中では蒸し料理の数々が踊っていることだろう。
『声紋の登録が完了しました。これからよろしくお願いします、オーナー』
「これでお金のことはチャラでいいよね?」
見た目は機械そのものなのに、折り目正しくお辞儀をする姿が幻視できるような声で挨拶してくる彼女。さっきもクロージャに苦言を呈していた事だし、もしかしたら作成者はさておき、こちらはある程度信用出来るかもしれない。
それに免じて、とりあえずはいけしゃあしゃあと何事かを言い放つこのブラッドブルードのことを許してやるとしよう。
「……まあ、いいだろう」
「はい!じゃあこの話は終わり!食材は冷蔵庫に入れておいたから、出来たらあたしに教えてね!」
「……ん?」
まるで自分の方が立場が上であるかのような話の区切り方に、もう一遍ケルシー先生に尋問されてきた方がいいんじゃないかと思った次の瞬間、彼女の話の連続性に断絶が生じる。
出来たら教えてって、一体何のことだ?そして何より……
「……冷蔵庫?そんなものあったか?」
それがなかったからじゃがいも地獄になり、町で貰ってきたものについても加工品中心、一部の物に関してはアーツで冷やしてもらって持って帰ってきたというのに。
「中央調理場のやつだよ。ほら、あたしが改造した対爆仕様の……」
『クロージャお嬢様、オーナーは任務から帰ってきたばかりのはずです。つい先日完成した中央調理場についてはご存じないのではないでしょうか』
「あれ?テレジアから聞いてない?」
「出来たのね!?食堂が!」
彼女たちの言葉を聞いたΩの反応は早かった。文字どおり目を輝かせ、こちらを見やってくる。それを見て、おれもまたワンテンポ遅れて事を理解した。
「出来たんだな!?調理場が!」
メインブリッジを出る時に聞こえた気がしたテレジアの声は、気のせいでは無かったのかもしれない。クロージャの言うことを鑑みるに、彼女が微妙な表情をしていたのも、このことを伝えようとしたらおれたちがケルシー先生に説教されていたからか。
しかし、任務に出た頃にはまだまだ配線も未完だったはずなのだが、よく完成したものだ。
「クロージャさんにかかればこれくらい朝飯前だよ!ってことで、約束のフルコース、よろしくねー」
「あー……」
……そういえばそんなものもあった。優先順位から言って食堂や調理場が出来るのはまだまだ先だと思い、その場の出まかせでΩが言った言葉であったが……まさかここまで早いとは。
「テレジアもWの料理はおいしいって言ってたし期待してるよ!もしかしたらこれも儲けの種になるかもしれないし……」
「……殿下が?」
……おいしいと言っていた?
おいしいと聞いているというのなら、イネスやらΩやらを経由して知ったという納得はできる。ただ、その言い方ではまるでおれの作ったものを食べたかのような口ぶりだ。一介の傭兵のおれが、テレジアに何か御馳走したことなんて……
「あの時のポテトね。クソ女に没収された後、どうなったのかと思ったら……」
「……ホントお前食い物関係だと頭の回転早いな」
「ふっ……まあ、卓越だしね」
「これに関しては寧ろ■■だわ」
相変わらずの食べ物専用超速思考回路を発揮するΩ。これにはもう呆れを通り越して褒めるしかない。
現在は内乱で悲惨な有様とは言え、仮にもカズデルに君臨していた王なのだから、テレジアなど相当にいいものを食べているはずなのだが、それがあんな間に合わせのことを評価してくれていたとは。……というよりも、あの毎日ふかし芋生活がよほど堪えたと見るべきか?
ともあれ、無駄にハードルが上がっていることだけは分かった。何せ、あの殿下のお墨付きなのだから。
「……クロージャ、その約束はもう少し後にしてもらってもいいか?」
「……?何で?食材は持って帰ってきてるじゃん。あたしのフルコース用じゃないの?」
「メインになる食材が無いんだ。今のままだとじゃがいもしかない」
それに、この食材はΩと二人でちょっとしたものでも作って食べようと持って帰ってきたものだ。再び甲板を焦がして怒られることも覚悟の上である。
それが堂々と調理できるようになったのだから、そこだけはクロージャに感謝すべきであろう。
本当にフルコースを作るとなったら、もうあんまりじゃがいもは見たくないし、それに上がったハードルのこともあってもっといいものを作りたい。今の食材での有り合わせではなく、銘打つからにはそれなりに気合の入った準備をしたいのだ。
「どうせ食べるならよりいいものの方が良いだろう?だからちょっと待っててくれ」
「えー…………わかった。ちょっと条件を付けるけど、それでもいいよね?」
「条件って何だ」
「あー、おほん!Wの作るフルコース、そのプロデュースはクロージャさんに任せてよ!大丈夫、あたしは商売にも一家言あるから!」
「ええ……嫌に決まってるだろ……」
クロージャはプロデューサーとして迎え入れるにはあまりにも信用できない人物なのだが、そこら辺の自覚はあるのだろうか。
「何で!?別にあたしは料理の中身とかに口出しはしないよ。ただ、宣伝と運営については……」
「……どう考えてもろくでもないことになるわね」
「ああ。艦内放送で宣伝をエンドレスリピートするとかやりそうだ」
「随分と失礼だね君たち!?……いいのかな?このバベルの仕入れ責任者はあたしなんだけどなー」
「「!?」」
『クロージャお嬢様。あまり品のある発言ではありませんよ』
このクソブラッドブルード……立場を笠に着てきやがった……!Steam-02にも指摘されるレベルで汚いぞこれは。
というかケルシー先生はなんでこんな奴に仕入れを担当させてるんだよ……
しかしながら、この脅しは極めて効果的だ。何せ、欲しい食材が無ければ作りたい料理は作れない。無いことには何も始まらないのだ。
そんなこちらの葛藤を知ってか知らずか、黒髪の悪魔が宥める様にして口を開く。
「まあまあ。あたしたち、これからいいビジネスパートナーになれるよね?」
「どう……」
「ええ!勿論よ。これからもよろしく頼むわ」
どうする?そのようにΩに聞こうと、差し出されたクロージャの手を前に隣を向いたその時だった。
ニッコリと笑った彼女が、がっちりと握手をしているのを目にしたのは。
にこやかにお互い微笑みながら、何度か確かめるように組んだ手を縦に振る両者。その内面では、何かひどく黒い策謀が渦巻いているような気もしたのだが、おれは見なかったことにした。
「いやー、なかなかいい商売ができたよ。欲しい食材についてはまた教えてね!」
「ああ」
『これからわたくしはいかがしましょうか?』
「あー、Steam-02は調理場の案内をしてあげて」
『承知いたしました、お嬢様。オーナー、こちらです。わたくしについてきてください』
「それじゃ、よろしくね!」
手を振るクロージャを背に、おれたちは工作室を後にする。ロボットに先導され向かうは調理場。おれとΩにとって、まさしく夢のような空間だ。
横からは早くも彼女のウキウキワクワクした様子をひしひしと感じる。久しぶりの料理らしい料理、おれも楽しみだ。
「じゃあ、あたしは待ってるからよろしくね、シェフ」
「おう。なんかリクエストはあるか?」
「うーん、任せるわ。あんたの作るものなら何でもおいしいし」
「……おう」
なんていうやり取りを経て、おれは食堂にあいつを残したまま調理場にやってきた。
食堂の方はテーブル席からカウンターまであり、内装も意外と明るい感じで好印象だ。もっと廊下などのような無機質な感じをイメージしていたのだが、いい意味で裏切られた。まだ料理を作る人も居ないので人っ子一人いない状態だったが、クロージャ曰く料理のできる人材も集めて、稼働できるように頑張っている最中らしい。なので、おれたちが自由にできるのは今くらいというわけだ。
さて、今おれがいる調理場の方は、白と銀とで構成された清潔感溢れる空間だ。砂塵の中で料理していた身としては少しばかり綺麗すぎる気もするが、殿下に虫や葉っぱが入った食事を出すわけにはいかないのだろう。
ガス台にシンク、カウンターなどはそれぞれ下部に別のスペースが設けられており、オーブンや食洗機が収められている。色々と収納もあるので、今は空っぽだが、人員と機材が充実していくにつれて賑やかになっていくのは間違いない。
『あちらには冷凍室もございますが、今はまだ何も入っておりません。そしてこちらが、クロージャお嬢様が仰っていた冷蔵庫になります』
「……なんか厳つくないか?」
『対爆仕様でございますので』
「その機能要らないだろ」
先ほどからこうして、相変わらず高性能なSteam-02に調理場の各部を案内してもらっているのだが、どれも一癖二癖ある機能が付いている気がする。別に本来の機能を邪魔する訳ではないので構わないのだが、クロージャは一体何を考えているのだろうか。
ケルシー先生、おれ、あの変人の頭を切り開いたら結構な科学的知見が得られる気がします。
『オーナー、これから何をお作りになるのでしょうか?』
「あー、ポテトグラタンでも作ろうと思ってる。あんまり待たせるわけにもいかないし、手早くやりたいな」
『……申し訳ございません。ポテトグラタンの調理データはデータベースに存在しておりません』
「だろうな」
元じゃがいも蒸し器相手に一体何を言っているのかという話だ。だが、今回は幸いなことに彼女も活躍することが出来る。
「Steam-02はじゃがいもを蒸かしてくれ。それなら出来るか?」
『勿論でございます、オーナー』
「それじゃあ、ちょっと待っててくれ」
まず、じゃがいもを洗って皮を剥き、ほどほどの厚みで輪切りにしていく。お腹も空いているだろうし、少し厚めのカットにすることにした。高性能蒸し器がいるので、素早く美味しく柔らかくしてくれるはずだ。もし彼女がカタログ通りのスペックを発揮してくれれば、それほどあいつを待たせずに済む。ここはお手並み拝見といったところだろう。
指定された通りにカットしたじゃがいもをセットする。
「よし。これを頼むぞ、Steam-02」
『お任せください。……推定終了時刻まで5秒。3、2、1……完了です』
「……マジ?」
信じることできず、取り出して見てみれば外見も特に問題なく、美味しそうに芋が蒸かされている。少し齧ってみても問題ない仕上がりだ。
……5分から6分ほどかかることを見込んでいたのだが、まさか5秒で終わるとは。これはクロージャのビックリ技術力なのか、はたまたあのクソアホのドッキリ技術力なのか。……なんか両方な気がする。
まあ、性能が良いに越したことはない。本当は蒸している間に別の手順を進めておこうと思ったのだが、気を取り直して続けていこう。
油を敷いたフライパンに貰ってきたベーコンを入れて軽く炒めた後、脂が出てきたところでこれまた貰ってきた玉ねぎを薄切りにして入れていく。軽く塩を振って炒めていけば、ベーコンからの旨味を玉ねぎが余すことなく吸っていきいい感じだ。玉ねぎがしんなりとしてきたら頃合いで、火を止めて皿に上げ、今度はホワイトソースもどきも準備をしていく。いつもだったらきちんと作るのだが、今回は小麦粉もないことだし仕方がない。幸い、生クリームはあるので、そこに塩と若干残っていた黒胡椒を入れてよくかき混ぜる。これだけでも、じゃがいもと合わさればそれなり以上にホワイトソースっぽくなるはずだ。
そうして、蒸かしたじゃがいもを容器に敷き詰めていく。一面が埋まったら、今度は玉ねぎとベーコンの炒めたものをこれまた敷き詰め、その上からもう一層じゃがいもだ。サンドされたような三層構造になればOK。あとはここに生クリームを回し入れ、上から貰ってきたチーズをたっぷりと敷き詰めていく。これを200℃のオーブンに入れれば、もう20分でポテトグラタンの完成だ。
『オーナー、ポテトグラタンについてのデータを自己アップデート致しました。以後、当該製品を製作する際には今回の手順を再現いたします』
「……え?何から何までか?」
『……わたくしにできるのは、じゃがいもを蒸かすという手順のみでございます』
「……なんかごめん」
しかし、本当にこのAIはよくできているな。……それだけに、基本機能が蒸し器であってそれ以上でもそれ以下でもないのが惜しまれる。
配膳を手伝ってくれるだとか、皿を持ってきてくれるだとか、そういう機能くらいならば追加できるのだろうか。クロージャに相談してみるのもいい……かもしれない。
さて、焼きあがるまでの時間をただ待っているのも勿体ないので、ここでもう一品。
相変わらず食材はじゃがいもプラスαしかないので、ここは一つ温度を変えて変化を付けることにしよう。アツアツのグラタンとの対比でかなり楽しめるはずだ。
まず、じゃがいもを薄切りにしてSteam-02に軽く蒸してもらった後、同じく薄切りにした玉ねぎとともに塩を振ってバターを敷いた鍋で炒めていく。そうしたらそこに水とハードタイプのチーズをすりおろして加える。本当はブイヨンを加えるのだが、無いので仕方ない。旨味の強いこのチーズで代用だ。
そうしてさっと馴染ませたら、即座に鍋を蓋して冷凍室にぶち込む。常温程度になったらすぐに取り出し、中身をミキサーにかけていく。
今回おれがこの料理を作ろうと思ったのも、あの冷凍室と無駄に揃った調理器具の数々を目にしたからだ。ミキサーが無ければ話にならないし、本来ならば常温に冷ましたり氷水で冷やしたりと時間がかかるのだが、全てを邪道冷凍室でごり押す。
じゃがいもと玉ねぎをスープごとミキサーにかけて滑らかにしたら、再び冷凍室へと行き、今度はそれなりに冷やしていく。おれ自体はもう滅茶苦茶に寒いのだが、料理のため、致し方ない。
命からがら冷凍室から生還すれば、ここからはラストスパートだ。よく冷やしたそれにミルクと生クリームをいれ、塩、胡椒で味を整えれば完成。冷製じゃがいもスープの出来上がりだ。
スープが出来る少し前のタイミングで、オーブンからは既に音が鳴っている。開けて見れば、チーズがこんがりととろけていい感じだ。慎重に取り出して、カウンターに上げる。
ふと視線を食堂の方にやれば、美味しそうな匂いでも感じ取ったのか、Ωが目をキラキラと輝かせてこちらを覗き込んでいた。
「出来た?」
「おう、ちょうど出来たぞ」
「食べましょ!」
「ああ。そっちに持っていくから、好きな席に座っててくれ」
「わかったわ!」
元気のいい返事と共にどこかへ駆けていく彼女。今にもスキップでもしだしそうな後ろ姿からは、内心が激しく漏れだしている。
それを見て、おれは本当に料理が楽しみなんだなと思うと共に、そうしてくれてることを嬉しく思う。
奉仕の精神という訳では無いけれども、何時からか自分の作ったもので誰かが喜んでくれると、おれまで嬉しくなってしまうようになった。
相手がそのきっかけをくれたあいつならば、その嬉しさもひとしおだ。
火傷しないように気をつけながら、グラタンを食堂へと運んでいく。一体どこにいるのかと辺りを見渡して見れば、カウンター席に姿があった。
「お待たせしました」
「来たわね!これは……グラタンかしら?」
壁を向いてそわそわとしているΩに声を掛けてから、目の前の机にグラタンを乗せる。彼女は一目でそれが何か看破すると、早速スプーンを手に取った。
「ああ。ポテトグラタンだ。相変わらずじゃがいもで悪いな」
「馬鹿ね、作ってもらったものに文句言う訳ないでしょ?それじゃ……あら、どこ行くのよ」
「ああ、もう一品あるからそれを持ってくる。先に……わかったわかった、急いで持ってくる」
もう手を付けて口に運ぼうとしているところだったので、流石に先に食べてて良いと言おうとしたのだが、無言の視線によって拒否される。よっておれに取れる行動は、素早くスープも準備するという事だけだ。
急いで調理場に戻り、器によそっておいたスープを二皿掴んで食堂に戻る。そっと様子を伺えば、物凄く食べたそうにしているのだが、それでも待ってくれている辺り律儀なものだ。
勿論、そうしてくれていることはとてもありがたいし、嬉しいのだけれど。
「ごめん、待たせた」
「別に待ってないわよ。それで、これは……スープ?」
「スープだな。まあ、飲んでのお楽しみだ」
「それもそうね。じゃ、頂くわ」
その一言を言い終わるか終わらないかというところで、早速猛然とポテトグラタンに突撃するΩ。焼き色のついたチーズに開けたクレバスからは、既にもうもうと湯気が立ち込めている。
彼女はスプーンを皿の底まで入れると、三層をまとめて掬い上げた。チーズ、クリーム、玉ねぎ、ベーコン。シンプルな具材ながら、それらの実に美味しそうな匂いが渾然一体となって広がり、食欲をこれ以上ないほどに刺激する。アツアツのそれに何度も息を吹きかけ冷ますと、彼女はグラタンをゆっくりと口の中に入れた。
瞬間、はふはふと言いながら盛んに外気を取り入れようとするΩ。熱さが口の中で暴れ回っているのだろう、なかなかに大変そうだ。
けれども、緩み切ったほっぺたと輝きを増す瞳は、彼女にとってそれがどうだったのかをこれ以上になく教えてくれている。
おれは、グラタンが喉を鳴らしながら腹に吸い込まれていくのを見届け、一言聞いた。
「どうだ?」
「最っっっっっ高よ。流石はあたしのシェフね」
Ωは満面の笑みとともに親指を力強く立てて見せた。
「この前も思ったけど、同じじゃがいもでも料理で完全に別物になるわね。蒸かしただけの芋とは天と地ほどの差があるわ」
「ホントか?」
大仰な表現の彼女の言葉を聞いて、おれもグラタンを口に運ぶ。
最初は滅茶苦茶熱いが、慣れてくるにつれて味わいが広がってきた。クリームの濃厚でまろやかな味に、チーズが程よい塩気を与え、尚且つ香ばしい風味もプラスしてくれている。そこからホクホクのじゃがいもに歯を入れれば、はらりと崩れるようにほどけていき、間に閉じ込められたベーコンと玉ねぎが姿を表した。
「この間に挟まってるのが良いわね。食感も変化がついて良いし、甘みと塩味がぶわーって出てくるわ」
彼女の言うとおりだ。ほっくり食感の芋に、玉ねぎとベーコンが変化をつけ、間に蓄えられていた旨味が一気に解放される。ともすれば淡白になってしまうじゃがいもに、この両者の味が馴染み、飽きさせない。全体を包むクリームも両者の関係をさらに補強し、強固な美味の砦が皿上に出来上がっていた。
「これ、最高だな」
「でしょ?」
おれの言葉にニコッと笑って応えるΩ。美味しさの共有ってのは、こういう事を言うのだろう。
一人で食べるよりも、二人で食べる方が遥かに美味しいし、楽しいし、嬉しい。
考えてみれば、こうして二人きりで飯を作ってのんびり食べるのは久しぶりかもしれない。住処を引き払ってからはずっとヘドリー達と移動していたし、食事も当番制で大勢の分を作っていたから。
傭兵団の連中に作ってやってその中でワイワイと食べるのもいいが、こうして二人きりというのは、何だか言葉にしにくい良さがある。ホッとするというか何というか、そんな感じだ。
隣で夢中になってグラタンを食べる彼女の姿を眺めながら、おれはぼんやりとそんなことを考えた。
「ふう……さて、スープはどうかしら?」
ぺろりとポテトグラタンを平らげたΩは、続いてスープへと意識を向ける。今回のような冷製スープは恐らく始めて出したので、どんな反応が見れるか楽しみだ。もし気に入ったようならば、今度はトマトで作ってもいいかもしれない。
そんな風に思っていると、ちょうど彼女がスープを口に入れたところだった。昔は見知らぬ料理を見るとおそるおそる食べていたのだが、随分と思い切りが良くなったものだ。
目を閉じ、よく味わっている様子の彼女。やがて喉が動き、それで口の中からスープがいなくなったことが分かった。
まだ目は開かない。……最近ではかなり舌も肥えてきていることだろうし、もしかすると気に入らなかったのだろうか。何だか、妙に緊張してきた。
人には好みがあるし、口に合わないという事があるのも重々承知はしているのだが、それでもΩに不味いなどと言われたら、しばらく立ち直れない自信がある。
半ば祈るような心持でいると、やがてゆっくりと琥珀色の瞳がこちらを貫いた。
「……ねえ、あんた」
「……はい」
「……冷たいスープってめちゃくちゃ美味しいのね!」
「…………そりゃよかった」
本当に良かった。安堵のあまり、全身がへにゃへにゃと脱力したような感じだ。
おいしいんだったらいつもみたいにすぐ「おいしい!」って言ってくれればいいのに、無駄に溜めたせいでえらく気疲れした。
「なに、もしかしてあたしが不味いとでも言うと思った?」
「うぐっ……」
表情に出てしまっていたのか、図星を突かれる。思わず反応を返してしまったおれを見て、Ωはからからと笑った。
「あはは!そんなわけないじゃない!」
「……しばらく何にも言わなかったらそりゃ心配になるだろ」
「あのね、あたしの舌はあんたに育てられたんだから、あんたが美味しいと思うものを不味いと思うわけないでしょ?」
……そうだったのか。いや、確かにそういえば、最初の頃は何を食っても初めて見るだとか何だとか言ってたな。
そうか。おれにとって美味しいものは、あいつにとっても美味しいのか。
おれも一口、冷製じゃがいもスープを味わう。
ふわりとしたミルクと生クリームの風味の中に、優しい甘みのじゃがいもと玉ねぎ、そしてそれをしっかりと下支えするチーズの旨味。グラタンとほとんど同じ食材で味付けしているのにも関わらず、あっさりとしているのはこの冷たさ故だろう。
「……うん、美味しい」
「ほら、やっぱり」
隣に座るΩを見やって言えば、思わず笑みがこぼれてくる。それはあちらも同じようで、優しい微笑みを浮かべていた。
それは滅多に見ることのない、一番リラックスしたときの彼女の表情で、性格の地金が表れているかのようだ。戦場の狂気から解放されれば、彼女はいつもこんな顔をするようになるんだろうか。
少しだけ、それを隣で見ていたいなと思う自分が居た。
「……そういえばさ」
「なに?」
グラタンもスープも、綺麗に平らげた後。やっぱり食後は何か落ち着くものが欲しいという事で白湯を用意したおれたちは、取り留めもない会話を繰り広げていた。
そんな、のんびりとした時間の中、おれはふと気になったことを尋ねる。
「どうしてこのカウンター席を選んだんだ?」
この食堂には色々な席がある。テーブル席も四人掛けと二人掛け、更には机の形状も四角と丸の計四種類が用意されていた。
昔、二人でよく飯を食っていた頃は二人掛けの丸い机を使っていたので、何となくそれを選ぶような気がしていたんだが、なぜこちらを選んだんだろうか。
「……気分って答えじゃダメかしら?」
「いや、全然それでもいいんだけどさ。ほら、前はよくああいう丸い机で向かい合って食べてただろ?」
目線を反らして逃げの答えを返してくるΩ。別にそこまで気になるというわけでも無く、ただ思いついただけだったのだが、そういう態度を取られると逆に物凄く気になってくる。
じぃと視線を彼女に向かって注ぎ続けると、やがて観念したのか、白湯を一口飲んでこちらを振り返ってきた。身体が火照ったのか、少々頬が赤い。
「……この食堂、ちょっと広いでしょ?」
「確かに、結構広いな」
「だから、二人掛けの席だと寂しい感じがしたのよ。ほら、周りが空席だらけだし」
「なるほどなあ。それで、壁際であんまり物寂しさがないここにしたのか……ん?でも壁際にも二人掛けの席はあるみたいだけど」
納得しかけたところで壁際を見回すと、ふと飛び込んできたのは二人掛けの席。仕切りを使って、半個室のような感じになっている。きっと周りの視線が気になる人用なのだろうが、あれならば条件は満たしているのではないだろうか。
「…………」
「……あ、いや、別に言いたくないなら」
「……こっちの方が距離が近いからよ」
「…………?…………すまん、何か聞き間違えたかもしれないからもう一」
「二回も言う訳ないでしょ!?」
「あ、ごめん」
……取り敢えず、おれも一口白湯を啜る。
何だか、身体がぽかぽかしてきた。特に顔の辺りなんかは効果てきめんだ。これから、寒いときには白湯がいいかもしれない。
「ふー……」
「…………」
……距離が近いって何だ!?
設計上、物理的に近いってことだよなたぶん。ああ、なるほど、さっき言ってた物寂しさとか言うのが近いと多少和らぐと。なんか人のぬくもり的なサムシングで。
……ああ、そういうことか。いったん落ち着いたら、何となく分かってきた。
要は、新しい環境への不安があるってことだ。こんなロドスのような巨大な船に乗せられ、なし崩し的にバベルと契約して。表面上は特に何かあるようではなかったけれども、心の奥底では不安やら何やらを抱えていたのかもしれない。おれもまた、最近はこのバベルに慣れるのに必死で、そこまであいつに構う事が出来てなかったから。
馴染みの連中、ヘドリーやらイネスやら、傭兵団の連中も別任務に出てばかりであまり会う事がない。安心感を与えられるのは、きっとおれだけなのだ。
そうだとしたら、おれがすべきことはただ一つだろう。
その期待、親愛に、しっかりと応えてやること。それだけだ。
おれは、おそるおそる彼女の頭に手を伸ばす。少し驚いたような表情はされたものの、やがてその手は受け入れられた。
ゆっくりと、安心させられるように。静かに彼女のことを撫ぜながら、おれは言葉を発する。
「悪い。最近はあんまり、お前と二人でいる時間を取れてなかったよな」
「……そうね。あんたはクソ女の所へ行ったり、あのブラッドブルードの所へ行ったりしてたみたいだけど」
「早くバベルに慣れたかったんだ。けど、ようやく色々軌道に乗り始めた」
少しむくれた様子の彼女。それに関しては、本当に申し訳ないとしか言いようがない。ただ、そのおかげもあってこうして食堂も完成したのだから、必要なことだったとは思っているのだが。
「へえ……」
「……悪かったよ。どうしたら機嫌を直してくれる?」
「……今度、あたしに料理を教えてくれたら考えてもいいわ」
彼女の口から飛び出したまさかの言葉に、おれはうっかり頭から手を放してしまう。そのまま、口をついて驚きが飛び出した。
「料理!?お前が!?」
「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいでしょ!?」
「いや、悪い、でも、ええ……?」
もしかしたら目の前にいるのは偽物という可能性はないだろうか。Ωと言えば食べる、食べると言えばΩ。料理の対極に位置する存在のはずでは?
「前に言ったわよね?あばらブチ折るって」
「うわ、いっ!?いでででででで!ごめん、ごめんって!」
もはや当たり前のように心を読まれ、背後から激しく胸部を圧迫されるおれ。必死の謝罪も空しく伽藍洞の食堂に溶けていく。
……まあ、機嫌は直りつつあるからいいか。
今度からはもっとちゃんと近くに居てやるようにしよう。それがあいつのためになるだろうし、それにおれも……いや、何でもない。ともかく、すべてはあいつのため──
「……あっ」
「」
──今、明らかにあばら骨から何かが折れた音がしたんだが、気のせい……じゃない!なんか滅茶苦茶熱いし痛いぞこれ!
『オーナー、お二人が仲直りできたようで何より……あら、どうされましたか?』
「Steam-02……医者……医者を呼んでくれ……」
「ちょっと、あんた、本当に折れたの!?そんなつもりじゃ……」
「痛いだけだから……気にすんな……それより、これでおあいこで……」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ!?……ロボット!医療オペレーターに連絡は!?」
『既に完了致しました。まもなく、ケルシー医師がいらっしゃいます』
「よりにもよってクソ女じゃない!」
……もう何だか収集が付かなくなってきた。Ωは涙目だし、Steam-02はあちこちから蒸気を噴き出してるし、ケルシー先生は来るしでもうカオスの予感しかしない。
恐らく地獄絵図になるであろう数分後の食堂を想像しながら、おれはとりあえず意識を逃避させることにした。