北天に輝く   作:ペトラグヌス

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急転直下─Dive into The Abyss

 お昼を過ぎてはいるものの、夕方というにはまだまだ早い、そんな時間帯。おれは中央調理場を訪れていた。

 完成からしばらく。食堂は毎日オペレーターや各種人員で大盛況だ。調理担当の人材の確保にも成功し、料理店で腕を振るっていた人からこのカズデルで屋台を出していた人に至るまで、豊富な人材が調理場には揃っている。中にはかつて殿下に料理を振舞ったこともあると言う、ヴィクトリアの元宮廷料理人までもがおり、それはつまり趣味の延長線上で料理を作っていたおれはお役御免という事だ。

 一時はクロージャプレゼンツ、Wのフルコースディナー(有料、チケット制)などが開催される(但、開場3分にしてケルシー先生の手でクロージャは退場となった)など、おれもかなり調理場には通い詰めていたのだが、今では時折こうしてふらりと訪れて使わせてもらったり、少し料理を教えてもらったりするくらいのものだ。

 

 中に足を踏み入れると、人のいない時間帯を選んだこともあって調理場は落ち着いた様子だ。お昼時などはまさしく修羅場と形容する以外ない有様なのだが、これなら使わせてもらえるだろう。

 

「エシオさん」

「おお、Wか。どうした?」

 

 入ってすぐ、カウンターの所でキッシュを食べていた初老の男性に声を掛ける。

 彼が先ほど述べた元宮廷料理人のエシオさんだ。ヴィクトリアからテレジアの下にやって来たあと、カズデルが戦火にまみれてしまってからは半ば隠居状態にあったのだが、テレジアの呼びかけに応えて再び馳せ参じてくれた。

 彼の料理の技術は半端なものではなく、長年の経験と熟練とで、食材の状態を指で感じ取り、それに応じて処理、味付け、火入れなどを感覚的に細かく最適化することが出来る。これは並大抵のことでは無く、高性能AIである02も、流石にこれはデータ化できないと言っていた。

 おれも時々、その技術の一端をレクチャーして貰っている。その意味ではおれの師匠だとも言えるだろう。

 

「今って調理場使ってもいいですかね?」

「ああ、構わんよ。……ちなみに、今日は何を作るつもりだ?」

「あ、今日はおれじゃないんですよ。ちょっと連れてきていいですか?」

「ん?まあ、いいが」

 

 使用許可を無事に貰ったところで、おれは一端食堂の方に出る。そうして、席に座って待ちわびている人物のことを呼んだ。

 

「おーい、使っても良いって許可もらえたぞ」

 

 そう声をかけると、件の人物は食材の入った保冷バッグと一緒に軽やかな足取りで歩み寄ってくる。

 勿論、その正体はΩだ。 

 

「ほら、言ったじゃない。最初からあたしが入っても良かったでしょ?」

「まあまあ。一応、おれたちは部外者だし」

 

 そんな風に話しながら再び調理場の方まで戻ってくると、エシオさんがニヤッと笑いながら冷やかしてくる。

 

「おうおう、W。女を連れ込むとは隅に置けねえな」

「どうせそんなこと言うと思いましたよ……」

「ははは、そう怒るな。つまり、今日はお前じゃなく嬢ちゃんが作るってわけだ」

「そういうことです」

 

 そう。今日おれたちが調理場にやってきたのは、何時ぞやの料理を教えるという約束を果たすためだ。

 あれからしばらく時間は経っているのだが、仕事の方が忙しかったり、調理場の方も混みあっていたなどということもあり、かなり遅くなってしまった。

 おれが一人でしばらくここに来ていたのも、理由の一つには料理人達と顔馴染みになるため、というものがある。いきなり部外者が部外者を連れ込んで料理をし始めたら、そこで働く身としてはいい気分はしないだろう。

 ようやくそう思われない程度にはこの場所に馴染むことが出来たので、今日はΩを連れてきたと言う訳だ。

 

『Ωさま、お待ちしておりました。オーナーも、なかなかこちらにお呼びできないことに心を痛めていた様子で……』

「……へえ、そうなの?」

「こら02、余計なこと言うな」

 

 彼女の来訪をどうやってか察知して、Steam-02も車輪を動かしながらこちらにやってくる。調理場に駐在するようになった彼女は、料理人たちからの評判もすこぶるいい。クロージャによって更なる改造を施され、食材を運ぶアームや、配膳を行う保温ケースまでも備えているので、はじめの頃よりさらに頼もしい存在だ。

 AIの方も絶好調で、色々な料理についての知識も蓄えてきた。……余計なことを言う機能は、はじめから備わっていたが。

 

「別に気にしなくていいわよ。あんたがちゃんと約束を守るってことは知ってるし」

「……まあ、なんだ、作るか!」

 

 あばら骨の事もあって有耶無耶になってしまった感はあったのだが、彼女が料理をしてみたいというのならば、それを拒む理由は無い。しかしながら、いつ頃出来るか分からないという事もあり、Ωには聞かれるたびにつれない返事しかできなかったのは少し気になっていた。

 まさか、そんな機微をロボットにまで読まれてしまうとは、ひょっとすると顔に出てしまっていたのだろうか。

 そんな気恥ずかしさと、何処からか注がれる生暖かい視線を振り払うように、おれは一つ叫んで料理を始めることを宣言した。Ωもまた、それに笑って応える。

 

「ふふっ、そうね。まずは何からすればいいの?」

「まずは手洗いだな。神聖な調理場に足を踏み入れる以上、必須事項だ」

「……なんか顔が青いけど、大丈夫?」

「……ちょっとトラウマがな」

「何か言ったか、W?」

「いえ、何でもないです、エシオさん!」

 

 手を洗うのは衛生管理上極めて重要だ。人の手というのは、思っている以上に汚い。そのため、本人としては特に汚れていないつもりでも、それで辺りをペタペタ触ったとなれば大事なのだ。

 それなので、調理場でまず何かを始める前には手を洗わなければならない。必ず洗わなければならない。

 

「……ま、大事だってことはよくわかったわ。さっさと洗っちゃいましょ」

 

 おれの表情からその大切さを感じ取ってくれたようで、素直に頷いたΩとともに流しに向かう。

 よく石鹸を泡立て、手のひらや手の甲だけでなく、手首や爪の間までもきちんと洗うという事を実演しながら行えば、清潔な料理のための両手が完成だ。

 綺麗なタオルで水気をふき取って、保冷バッグを置いたカウンターまで向かう。

 

 バッグの中に入っているのは卵、ベーコン、玉ねぎ、バター、牛乳、生クリーム、ケチャップだ。調理場の食材を勝手に使う訳にはいかないので、自前でクロージャから仕入れておいた。塩等の調味料については、使ってもいいとの許諾は前に既に取ってある。

 

「今日作るのはオムライスでいいのよね?」

「ああ」

 

 料理初心者に何を作らせたらいいのか。これについてはかなり悩んだのだが、今回はオムライスを選んだ。

 玉ねぎを切る、チキンライスを炒める、といった基本的な動作を含んでいるし、卵という面白い食材を扱う事も出来る。難易度的にも包むところ以外は難しくないし、味に関しても既製品のケチャップを用いるので大失敗は無いだろう。

 このオムライスが作れるようになれば、簡単な炒め物やピラフ、炒飯、さらにオムレツやスクランブルエッグといった卵料理にも応用が利くはずである。そうすれば、朝ご飯や昼ご飯くらいのワンプレートなら、彼女に任せることも出来るようになるかもしれない。

 

 

 

 エシオさんも、邪魔しちゃ悪いと言って奥の方へ引っ込んでしまった。まあ、おれも料理を教えている様子を彼に見られるのはあれなので、ありがたい心遣いだ。

 そんなわけで、早速調理開始といこう。

 

「それじゃ、まずは玉ねぎを切るか」

「取り敢えず皮を剥けばいいのかしら?」

「そうだな。……あ、ちょっと待ってくれ」

 

 Ωの言葉に頷くも、ふと思い出して少し待ったをかける。少しまな板の前から避けてもらうと、おれはたまねぎの根本と頭の部分を切り落とした。平たい面が出るように、勿体ないが少し大雑把にだ。

 ナイフの扱いは慣れているので、包丁も大丈夫だとは思うのだが、それでもやはり球状の物を初心者が切るのは不安だからな。

 

「……よし。じゃ、これで皮を剥いてくれ」

 

 そう言って、おれは再び少し後ろに下がる。

 今のおれたちの位置関係は、Ωがカウンターのまな板の前に立ち、その後ろからおれが見守るという形だ。

 目の前で彼女は真剣そうな様子で褐色の皮と格闘している。ぺりぺりと表皮をめくっていけばやがて薄皮にたどり着き、そこから少しもたついたものの、ぴかぴかとした本体が姿を表したようだ。

 

「どうかしら?」

「うん、良い感じだな」

 

 顔だけこちらを振り返り、ちょっぴり不安そうに確認を取ってくるΩ。親指を立ててよくできていると伝えれば、途端にその表情はドヤ顔へと変わる。皮むき程度で何そんな顔をしているんだとは思うのだが、それも彼女がすると何とも愛らしく見えてしまうのだから、おれもだいぶダメになってきているようだ。

 ともあれ、皮がむけたのならばいよいよカットだ。今回は、みじん切りにしていく。

 

「次は?」

「半分に縦に切る。……あ、抑える方の手はこう……指先を丸める感じで」

「こう?」

「あー、何というか……いいや、ちょっと手借りるぞ」

「へ?」

 

 包丁の握り方はなかなか様になっているものの、玉ねぎを抑える手が少し怖い。指が伸びているので、うっかり切り落として目も当てられないことになる危険がある。しかしながら、丸めすぎてもきちんと押さえられなくて却って危険というのだから、難しいものだ。

 細かい加減を言葉で伝えることに限界を感じたので、手を添えて直接感覚を教えることにする。すぐ後ろに立って腕を回せば、お互いの身長差もあってちょうどいい感じだ。

 そのまま左手で彼女の左手を掴むと、指を添えて折り曲げる。個人的には、少し食材に対して爪を立てるような感じでやるのが一番力も入ってやりやすいように思うので、そのような感じにだ。

 

「分かるか?こんな感じで手は添えれば、滑らないし指切る心配もないだろ?」

「…………っ」

「聞いてたか?包丁は結構危ないし、それに…………」

 

 教えたはいいものの、どことなくΩが聞いていない様子なのでもう一度教えなおそうかと思ったその瞬間、はたと気づいた。

 今、おれは両腕を彼女に覆いかぶせるようにしているが、これはあたかも背中から抱き着いているような恰好なわけで。

 そう思ってしまった瞬間、鈍っていた五感が急に鋭敏になる。腕の間の彼女からはなんかいい匂いがする気がするし、触れているところからは少し高めの体温が伝わってきて、トクトクと波打つ自分とは違う心臓の鼓動が聞こえてくる。

 洪水のように押し寄せる身体情報の数々に、頭が沸騰しそうだ。そのまま、おれは壊れたブリキの人形みたいに、ぎちぎちと関節を軋ませながら静かにΩから離れた。

 

 どこか熱っぽいような、ぽおっとした感覚だ。料理を教えるという事で浮かれていたのか、つい何も考えないでやってしまった。

 このロドス・アイランドで過ごすようになってから、ますますこんな気持ちになる頻度が高まっている気がする。何気ない動作や仕草にふと胸が弾んで、特に何も考えずにした行動や口走った言葉に、あとから気付いて茹で上がる。

 どうして自分がそうなってしまっているのかは十分に理解している。理解はしているが、それをきちんと言語化してしまうのは、今この場ではどうにも憚られる。

 おれは、内心の混乱を覆い隠すかのように、努めて何事もなかったかのように平静な声で彼女に背中に話しかけた。

 

「よ、よし、そんな感じで手が出来たら……あの、そのOKだから、半分に切っちまおう」

「……え、ええ!そうね!あたしもちょうどそうしようかと思ってたのよ!」

「え?……あ、ああ!そうだったのか!そりゃちょうどよかった!」

「でしょ!?ほら、いくわよ!」

「おうよ!」

 

 ……よし!お互い極めて平静に事を進ませることができたな!

 

 

 

 

 正直言って、どうしてお互いオーバーヒートしたあの状態で怪我無く無事に玉ねぎを切ることが出来たのかは分からないのだが、とにかく出来たものは出来た。

 現在、おれたちの目の前には、見事に玉ねぎ1/2個がみじん切りの状態でまな板に横たわっている。

 余ったもう半分をラップで包んで冷蔵庫に入れてきたうちに、どうにか心臓のバクバクも収まってきたようだ。見れば、Ωのほうもだいぶ落ち着いた様子でいる。

 

「……あー、続き、やるか?」

「……やりましょ」

 

 躊躇いながらも声をかければ、やがて彼女は小さく頷いた。

 

 その言葉を聞いて、おれは保冷バッグからベーコンを取り出す。厚みがあって美味しそうなブロック状のそれは、何時ぞやの町から定期的に仕入れているものだ。

 透明な袋から取り出すと、まずおれのほうで今回使う分量を切り出す。残りはまだまだあるので、それは後で冷蔵庫にしまっておくとしよう。

 

「そうしたら、このベーコンを1cm幅くらいで切ってみてくれ」

「……手は、こんな感じでいいのよね?」

「……あ、うん。……さっきのみじん切りもかなり上手くできてたし、ひとまず切ることに関しては心配はいらないと思うけどな」

「ふふっ、ありがと。じゃあ、やってみるわ」

 

 そう言ってまな板に向き直る彼女。丸めた左手をそっと添えると、教えたとおりに刃をベーコンに対して垂直に入れ、引き切りにしていく。

 リズミカルとは言えないまでもしっかりと確実に切り分けていく様子は、見ているこちらとしては危なっかしさがなくて安心だ。

 後ろからおれがそっと見守る中、Ωは果敢に目の前の肉塊に挑みかかっていく。刃物片手のその姿は、やっていることは戦場とそっくりなのに、表情が全く違っていた。白刃を手に獰猛な笑みを見せる彼女と、包丁を手に唇を結んで、時折口角を上げる彼女。

 ロドスではよく見る後者の表情は、おれがこの場所を好ましく思っている理由だった。

 

 

 

 やがて、まな板の上のベーコンをすっかり切り終えてしまったら、いよいよ火を使う番である。

 コンロの火をつけたらフライパンを温め、バターを敷いて溶かす。程よくバターも温まったところで、これまで切った具材を投入して炒めていくのだ。

 

「これって順番とかあるの?」

「お、冴えてるな。今回に関してはまず玉ねぎからだ。火が通って透き通ってきたところでベーコンも入れていいぞ」

「……今回はってことは、普段は違うのかしら?」

 

 初めて料理をするというのに、そこに考えが至るのは流石の頭の回転というところか。普通、このように教えられているときは何も分からない故に盲目的に指示に従ってしまう事が多いのだが、その点彼女はこちらの教えたことを咀嚼しモノにしようとしているらしい。

 これは、きちんと理由まで含めて説明すればどんどん伸びそうだ。

 

「そうだな。基本は肉を先に炒める。食あたりが怖いのと、後は肉の脂の風味だとかを引き出すためだな。焼くことで旨味を閉じ込めるってのもある」

「なるほどね……」

「ただ、肉は火が通り過ぎると固くなるから、今回は玉ねぎからってわけだ。いちいち取り出すのも面倒だろ?」

 

 おれがそう問いかけると、意を得たというかのように頷く彼女。表面をカリっとさせたいのならば、先にベーコンから炒めるのも良いと思うのだが、今回のようなチキンライスでは食感が悪目立ちしてしまう。

 そういう意味では今回は少し例外的な手順になってしまっていたのだが、うまくΩがアシストしてくれた。

 こうして改めて教えるという観点に立って考えてみると、意外と色々と考えて料理をしていたということに気付く。半ば手癖で何となく行っていたことも、実は真っ当な理由があり、よく考えられた結論を頭ではなく身体で処理するようになっていただけだったのだ。

 

「へえ……料理も結構頭使うのね」

「だろ?その点、結構お前にも向いてるんじゃないか?」

「戦術をしっかり立てる必要があるってわけね。何なら、あんたより上手くなるかもしれないわよ?」

「ほう、そりゃ楽しみだ」

 

 実際問題、物事を順序だてて計画する能力に関して、彼女はおれ以上に優れたものがある。

 ……推測だとかそういう方面に頭を回すのはおれの方が得意だけど。

 ともあれ、料理の適正という点ではばっちりだ。これは将来の戦力として、かなり期待できるかもしれない。

 

 

 そんな、突発的に始まった座学を終えたら、今度は実践だ。

 中火に調整し、塩を振ってバターで玉ねぎを炒めていく。辺りにふわりとバターの香りが広がり、もうこれだけで旨そうだ。何なら、Ωなどは今にも木べらで掬って食べそうな顔をしている。

 しかしながら流石の彼女もそれくらいの自制心は持ち合わせていたようで、そのままベーコン、トマトケチャップと順次加えていき、水分が飛ぶまでよく炒めていった。

 これで、あとは米を加えて合わせていくだけだ。

 

「02、米は炊けてるか?」

『勿論でございます、オーナー』

「あら、いつの間にそんなことも出来るようになったのね」

『クロージャお嬢様の改造の賜物でございます』

 

 米に関しては、調理開始前に02にお願いして炊いておいた。これを先ほどの炒めた具材と、塩を一振りしてからほぐして合わせていく。一気にフライパン内のかさが増えたのもあって中々苦戦している様子だが、ここでしっかりムラなく馴染ませるのが大事なので頑張ってもらう。

 木べら片手に奮闘すること数分、ようやくチキンライスの完成だ。

 

「ふう……もうこれで食べても良いかしら?」

「え?折角ここまで頑張ったのに?」

 

 澄ました顔をして、しれっと何事か言い出すΩ。

 目を剥いて彼女の顔を覗き込めば、悪戯が成功したかのようなニヤリとした笑みが。

 

「冗談よ」

「……ほんと?」

 

 普段の言動から考えるに、かなり現実味のある言葉だったのだが。

 しかしながら、その疑念を口にすると、彼女は全くもって心外だというふくれっ面を返してくる。

 その姿は、調理に使った火の熱のせいか、ほんのり朱のさした頬と相まって何とも可愛らしい。

 

「失礼ね。流石にあたしも、初めての料理くらいちゃんと完成させるわよ」

「ごめんごめん。……お前の作るオムライス、どうなるのか楽しみだな」

「ふっ、期待してなさい」

 

 確かに、今日の彼女は初めから真剣そのものだった。考えてみれば、あの時の料理を教えてという言葉も冗談の類ではなく、本当の言葉だったから今こうしておれたちはここにいるわけで。

 ……素直に楽しみだな。彼女の初めての料理がどんなものになるのか。そして、これから彼女がどんな料理を作ってくれるのか。

 不敵に笑うΩに笑みを返しながら、おれはそんなことを思った。

 

 

 

 さあ、ここからがいよいよ正念場だ。

 小皿に卵二個と牛乳、塩、砂糖を加えてよく解きほぐしていく。それと同時にフライパンにもう一度バターを敷き、良く熱しておけば準備は完了だ。

 

「ここからはスピードが命だ。まずはおれがやるから、よく見ておいてくれ」

「わかったわ」

 

 フライパンを凝視しながら頷くΩ。これまでそんな料理している様子をまじまじと見られることは無かったので、何だか妙に緊張するが、彼女の前で無様な姿は見せられない。

 おれは一つ気合を入れると、フライパンの中に卵液を流し込んだ。

 瞬間、ジュワッと音を立てて凝固を始めるタンパク質。それに抗うようにして、素早く菜箸で卵の上と下とをひっくり返すようにしてかき混ぜる。

 程よく半熟の状態に固まったら、今度は忍耐の時間だ。下手に弄らずそっと表面が固まるのを待ち、頃合いをみてチキンライスをフライパンの真ん中に載せる。縁を使って卵の両端を中心に向かって折り曲げ、形を半月上に整えれば後は皿に載せるのみ。

 おれは片手に皿を、片手にフライパンを持ち、じりじりとオムライスを端の方へと寄せていく。静まり返った調理場は緊張に包まれ、隣でゴクリと彼女が唾を飲み込む音が聞こえるほどだ。

 天国と地獄とを分ける、最後の審判の時。おれは、思い切ってフライパンを持つ手首を返した。

 

「…………完成だ!」

「すごい……」

 

 果たして、皿の上には沁み一つない、綺麗な卵色の肌をしたオムライスが鎮座していた。ふっくらと柔らかい曲線を描いたフォルムに、もうもうと立ち込める湯気。シンプルなオムライスの、一つの完成形と言っても良いだろう。

 過程を目の前で見ていたからか、Ωの感動もひとしおのようだ。ぽかんと口を開けて、ただただ目の前の物を眺めている。

 

「……これ、あたしも出来るの?」

 

 呆然と、ぽつりと、そんな言葉をこぼす彼女。

 確かに、この最後の過程は難しい。はっきり言って、料理初心者にやらせる難易度ではないほどに。

 おれも、はじめはもう少し違うオムライスを作ろうとしていた。保冷バッグに生クリームが入っていることからもわかるように、湯銭でスクランブルエッグを作り、それを上からかけるタイプのものにしようとしていたのだ。これなら、最難関に包むという工程は必要ないし、彼女でも簡単に作ることが出来ると考えていた。

 

 だが、今回実際に彼女の様子を見ていて、敢えて簡単にする必要は何のではないかと思った。

 仮に成功すれば、きっと大きな喜びを得られるはずだし、失敗してしまってもきっとリベンジに燃えることだろう。

 おれは、Ωの料理をしたい、というのがただの興味本位なのではなく、真剣なものだとわかったからこそ、敢えて難しい挑戦をしてもらいたいのだ。

 

「……大丈夫だ。お前ならきっとできる」

 

 

 

 

 

 食堂のカウンター席にて。おれたちは、少し遅めの昼ご飯をとろうとしていた。

 Ωの目の前にあるのはオムライス。綺麗な形のそれの上には、ケチャップと赤ワインで作ったソースがたっぷりとかかっており、何とも美味しそうだ。

 続いて、おれの目の前にあるのはこれまたオムライス。惚れ惚れするほど見事な出来の一品だ。これを料理初心者が作ったとは誰も思わないだろう。

 

「よし、それじゃ食べるか」

「……ねえ、ほんとにあたしの作ったそれでいいの?」

「さっきから言ってるだろ?おれが食べたいんだから、これでいいんだ」

 

 実際、おれは見事な出来だと思う。確かに、客観的に見れば少し不格好かもしれないが、それでも彼女が初めて作った料理だ。例えそれがどんな出来であったとしても、食べたいに決まっている。

 それでも若干不服そうな彼女を見て、おれは食べて感想を教えてしまおうとスプーンを手に取る。そのまますくって口にしようとしたところで、背後から声がかかった。

 

「W、嬢ちゃん、無事に料理は出来たか?」

「あ、エシオさん。御覧の通り、いいものが出来ましたよ」

「どれどれ……ほう、オムライスか」

「……やっぱり邪道ですかね?」

 

 おれのようなアマチュアと違い、エシオさんはプロの料理人だ。おれも教えてもらってわかったが、料理というものに相当なこだわりを持っているし、妥協は決してしない。そんな彼から見て、これがどう映るかは若干不安であった。

 だが、それは杞憂だったようだ。

 

「料理ってのは絶えず姿を変えていくモンだ。宮廷で出すものならともかく、いちいち目くじらは立てんよ」

「ほっ……」

「……でも、あたしのは出来が悪いでしょ?」

 

 エシオさんの言葉にホッとしたのもつかの間、今度はΩが彼に問いかける。やはり、自分の出来に納得がいってなかったらしい。

 彼の目がギョロリと動き、テーブルの上、おれの目の前に置かれた皿を凝視する。その様子に、別におれの料理が見られているわけでも無いのに何だか緊張してきて、おれはそれをほぐすために軽口をたたいた。

 

「ダメですよ。これはおれのなんで、エシオさんにはあげられません」

「馬鹿野郎、食う訳なかろうが。嬢ちゃんがお前のために作ってくれたモンだ、一粒も残すんじゃねえぞ」

「……そうなのか?」

「…………ええ」

 

 エシオさんの言葉が気になったおれがΩに問いかけると、彼女は蚊の鳴くような声で小さく返事をした。

 ……なんだか、感慨深いな。初めは、おれが一方的に飯を与えて、住処を与えていて。それが何時しか、一緒に戦うようになって、今では飯を与えてくれるようにまでなった。

 じっと彼女の琥珀色の瞳を見つめる。その中には、気恥ずかしさやら何やらと一緒に、確かに感謝が垣間見えていて。何だか、おれまで気恥ずかしくなってきてしまった。

 

「嬢ちゃん。料理の出来ってのは、込めた想いで決まるもんだ。小手先の技術はいくらでもあるが、一番大切なことを見失っちゃいけねえ。きっと、Wの馬鹿にとって、嬢ちゃんの料理は何よりも美味しく感じるはずだ」

 

 くいっと手で合図するエシオさん。その意図を察して、おれは彼女の作ったオムライスを口に運ぶ。

 ……なるほど。この味は、言葉にできるものではない。けれども、間違いなく言えることはある。

 

「最高に美味いぞ、Ω。それと……ありがとな」

「……ふふっ、よかったわ」

 

 そう言ってはにかむ彼女の表情は、これまで見た中で一番だった。

 

 

 

 

「……なんかムカつくな。W、お前、今日は仕込みの手伝いな。フォンドヴォー8L作るまで帰さねえぞ」

「……冗談ですよね?」

「冗談じゃないが」

「…………はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにWがいると聞いたのだが……」

「ん?ヘドリー?」

 

 夜遅く。調理場で何度もエシオさんにシバかれながらようやくフォンドヴォーを仕込み終わり、部屋に戻ろうとしていたところで調理場に意外な来客があった。

 バベルと契約するサルカズ傭兵団が長、我らのヘドリー隊長だ。

 傭兵団とおれたち二人はかなり任務形態が異なったので、顔を合わせるのは久しぶりになる。そんな彼が、一体おれに何の用なのだろうか。

 

 

 少し待ってもらい、片づけを終えて調理場から出ると、ヘドリーは食堂の席に座って待っていた。おれは彼と向かい合うようにして席に着くと、軽く話しかける。

 

「よっ、久しぶりだな」

「……ああ。久しぶりだな、W」

「おれがここにいるってのは……」

「Ωから聞いた」

「やっぱりな」

 

 何てことない会話。それなのに、何処かお互いを探るようになってしまうのは、彼の纏っている雰囲気故だろう。言葉にはしにくいが、どこか暗いような、そんな感じだ。

 

「で、なんだ、今日は遅めのディナーでも御所望か?」

「ふっ、もう食事は済ませた。今日は話したい用事があってな」

「なんだ、改まって」

 

 佇まいを正したヘドリーに、おれも背筋を伸ばして向き合う。

 これはかなり重要で、それでいて重大な話だ。そんな予感が、いや確信があった。

 誰一人いない、静かな食堂。不気味なほどの沈黙が広がる中、彼が重い口を開く。

 

「……この場所から、離れることにした」

「……なに?」

 

 この場所とは、文字通りロドス・アイランドのことか?それともバベルのことか?頭の中で急激に思考が回転を始める。

 ヘドリーはあまり多くを語る男ではない。彼の少ない言葉から、おれはその心の内を推測しなければならない。

 そもそも、今このタイミングこんなことを言ってきた理由はなんだ?考えられる可能性はいくつかあるが、一番初めに考えられるのは……

 

「……契約更改で何かあったか?」

 

 そう、確か、そろそろ長期契約が切れるタイミングだったはずだ。もし新たな条項が付け加えられるなど、こちらに不都合なことがあれば話が拗れることは大いに考えられる。ただでさえ、彼はある種思想家でもあるのだから。

 だが、おれのそんな推測は首を横に振ることによって否定された。

 

「いや、提示されたのはこれまでと変わらない契約だ」

「なら先行きを悲観してか?蝙蝠は嫌われるぞ」

「……殿下に対する不義理をする気はない。これからもバベル……いや、ケルシー先生からの仕事は受けるつもりだ」

「そこで最低限の繋がりを保っておく、か。なるほど、ケルシー先生なら窓口には最適だ」

 

 つまり、ヘドリーは距離を置きたいという事だ。テレジア陣営という枠組みからは外れず、しかしながら陣営の中枢たるロドス・アイランドからは離れる。

 確かに、この場所は彼にとっては危険な場所かもしれない。このロドスは、拠点というにはすべてが充実しすぎている。衣食住に医療品、装備に至るまで、すべてが与えられている。

 

「ヘドリー、お前は言っていたな。……傭兵は、自由であるべきだと。誰かに従属するべきではないと」

「……W」

「……おれたちが最後だろう?他の奴らはどうだった」

「……ほとんどはここに残るそうだ」

「……そうか」

 

 傭兵は自由であるべきだ。それは間違いない。

 好きなように生き、好きなように死ぬ。それが傭兵なのだから。

 けれども、その理想は間違いなく茨の道だ。特に今のカズデルでは。ついていけないと皆が思うのは、仕方のないことなのだろう。

 そのことをヘドリーもまたよく理解しているからこそ、こうして一人一人に聞いて回っているのだ。

 彼は傭兵団全体の運命を黙って一人で決めるような男ではない。最終的な決断する権利は個々人にあると、誰よりも主張しているのが彼なのだから。

 

 残るか、立ち去るか。それは重大な決断だ。

 傭兵の理想。それはおれもよくわかる。あの傭兵団に残っていた時点で、傭兵は自由であるべきだと、そう固く信じていた。

 だけれども。おれはこの場所に来て、テレジアと出会って、Scoutと任務に出て、エシオさんにしごかれて。様々な人たちとの出会いの中で、ふと思った。

 自由であるべきなのは、傭兵だけなのか?

 

「なあ、ヘドリー」

「W。お前も現状の危うさは分かるはずだ。俺たちは、自らの利益のために戦う独立傭兵に立ち返る必要がある。誰にも従属せず……傭兵は、自由であるべきだ」

「違う。違うぞ、ヘドリー」

「何がだ」

「傭兵だけじゃない。……おれたちサルカズは、自由であるべきだ」

「……!」

 

 サルカズ。テラの大地を流浪する、傭兵くらいしか身の立てようがないおれたち。

 テレジアとの問答で、ロドスでの日々で、おれは確信した。

 サルカズにだって、おれたち傭兵にだって、誰にだって、何にでもなれる自由はあるべきだ。

 そうして、それを許されない現状から目を反らし、傭兵という自由に後戻りするのは……おれは嫌だ。

 

「……そうか」

「悪いな、ヘドリー」

 

 今ここに、おれたちの道ははっきりと分かたれた。闇夜に生きるものと、光を求めるものとに。

 それが卵の殻を突き破り世界を手にする鳥のごとき所業なのか、はたまた太陽に焼かれ翼を捥がれる愚か者の所業なのか、おれには分からない。

 けれども、その道に一点の曇りもないことは確かであろう。

 

 

 

 ため息とともに、ヘドリーが背もたれに寄りかかる。どうやら、お堅い話はここまでの様だ。おれも肩の力を抜いて、世間話に興じることにした。

 

「なあ、ところでイネスはどうなんだ?やっぱりお前についていくのか?」

「……彼女も自分でそれを選んだ。ついてきたと言う訳ではないさ」

「はあー。お熱いねえ」

 

 ニヤニヤと笑いながら、彼を責め立てる。やはりイネスはヘドリーと共にあることを選んだらしい。ツンケンしながらついて行くという彼女の姿が容易に想像できる。おおかた、「あなたの首を取るのは私よ」だとか何とか言ったんだろう。

 そうしていると、冷やかされてムッとしたのか、彼から反撃が飛んできた。

 

「そういえば、Ωはお前と同じ道を選ぶと言っていたな。……随分と仲がいいことだ」

「あいつ……そんなこと言ってたのか」

 

 そういえばおれがここにいることをΩから聞いてきたんだった。

 ……分かっていたとは言え、それでもやっぱり嬉しい。

 

「親切心で聞いておくが……お前たちの関係はどうなっている?」

「何だよ、藪から棒に」

「もうしばらく会う事もないだろうからな。……実際の所、どうなんだ」

 

 ここぞとばかりにずかずかと聞いてくるなこいつは。

 おれたちの関係は……何なんだろうか。戦友……というには一緒に居る時間が長すぎるし、恋人と言う訳では断じてない。けれども、家族というには距離感が違う。

 

「……色々と複雑なんだよ」

「……ならば質問を変えよう。お前はΩのことをどう思っている?」

 

 ……これまた難しい質問だ。こちらに関しては、考えるのが難しいという意味では無くて、言うのが難しいという意味だけれども。

 

「別に何とも思ってないと?」

「んなわけあるか。………………そりゃ、好きに決まってるだろ」

 

 ヘドリーの煽りに対して、おれは少し悩んだものの、その言葉を口にすることにした。どうせもうすぐいなくなる奴だ。自分で抱え込んでいてもかなりしんどいのだから、偶には吐き出してみるのもいい。

 前を見てみると、自分で煽ったにも関わらず、彼は意外そうな顔をしていた。

 

「なんで言ったのにそんな顔してんだよ」

「……いや、まさか言うとは思わなかった」

「はあ……」

 

 流石に自分の心を誤魔化し続けるのにも限界というものはある。だが、その想いが強まったのは、間違いなくロドスにやってきてからであろう。

 ここに来て、彼女は今までよりもよく笑うようになった。ふとした瞬間に見せる、静かで優しい笑み。

 今まで押さえつけていた反動か、気づけばおれは彼女の一挙手一投足に言いようのない愛しさを感じるようになってしまっていた。

 

「そういうお前はどうなんだよ」

「……何がだ?」

「イネスだよ。イネスのことはどう思ってるんだ?」

 

 こちらだけ言わされるのも癪なので、ヘドリーにも言わせることを試みる。こいつらは見ていれば明らかにお互いのことを意識しているのに、いつもどこかそんなことはありませんという雰囲気を出している。そこのところ、さっさとはっきりさせてもらいたいと思っていたところだ。この際問い詰めてやろう。

 

「……彼女は戦──」

「ほんとの所は?」

「…………」

「……おれは言ったぞ?ヘドリー、お前はそんな不義理な男なのか?」

「………………好ましいとは思っている」

「……まあそれで勘弁してやるか」

 

 

 

 お互い言う事を言った後は、多少口も軽くなるというものだ。

 一度調理場に行ってコーヒーとお茶菓子を持ってくると、中々に会話が弾んだ。

 

「なんだかんだ、今の関係が上手くいってるからな。ここからどうこうするってのは難しいものがある」

「それに関しては俺の方が長い。……正直、凝り固まってしまっているかもしれないな」

 

 難しいのは、ある程度出来上がった今の関係を、気持ちを口にしてしまうことで壊してしまうかもしれないことだ。

 初めはお互いにお前は大丈夫だろうと言い合ったのだが、自分の事となると不安が襲い掛かってくる。結果、食堂はこのように二人そろってなあなあと言い合う場と化した。

 

「大体、イネスならアーツでお前の心の内くらい分かってるんじゃないか?」

「……どうだろうな。それにしても、何も言ってこないのが不確定要素ではある」

「……確かに」

「イネスに比べたら、Ωはだいぶ分かりやすいだろう?」

「……いや、それがそういう感情かは分からないんだ。年の差もあるし、父性みたいなのを求めてるのかなって」

「イネスに頼むのはどうだ?」

「絶対嫌だ」

「「……はあ」」

 

 こんな感じで、特にこれと言っていい案も何もない状況である。

 結局、ここから必要なのは一歩踏み出す勇気なのだろうが、残念ながらおれとヘドリーにはそれが致命的に欠けているようだ。

 ふと気になって壁に掛けられた時計を見ると、随分と夜も遅くなっている。心も多少は軽くなったし、このままグダグダとしているのもいいのだが、そろそろ一つ結論を出すべきだろう。

 

「なあ、ヘドリー」

「どうした、W」

「それなら一つ、賭けでもすることにしよう」

「賭けだと?」

「ああ」

 

 この後、おれたちは道を違えることとなる。当面の間は向いている方向は同じだろうが、それぞれの道がどこに続いているのかは分からない。これから先、いつどこでどういう形で会う事になるかは全く分からないだろう。

 だから、再会の時のために、土産話の一つくらい用意しておいてもいいと思うのだ。

 

「内容は簡単だ。つまり、どっちが関係を進展させることができたか」

「ほう……負けた方は何をしてくれるんだ?」

「……何でも、と言いたいところだが、それじゃあ流石にお前が可哀想だよな」

「ふ、挑発が露骨だな。……その場で相手に追いつく、でいいだろう」

「はっ、まるでガキの罰ゲームだな。……だが、そのくらいの陳腐さがちょうどいいか」

 

 なるほど、気が利くことで有名なヘドリーらしい提案だ。

 つまり、再会したら最後、どちらもきちんと想いを伝えなければならないと。

 ……イネスとΩ。お互いにとって大切な人物。それが関わってくる賭けなんだ、どちらにもハッピーエンドが訪れるのがいいに決まっている。

 先の見えない暗闇の中でも、それくらい望んだって罰は当たらないはずだ。

 

 次に会う時が味方だとしても、敵だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘドリーとイネス、それに付き従ったいくらかのサルカズ傭兵がいなくなってから数か月。

 おれたち残った連中は皆正式にバベルの一員となり、変わらず任務に励んでいた。

 おれとΩが残ると知り、Scoutやエシオさんは大層喜んでくれたものだ。それから、テレジアやドクターからも感謝の言葉を貰った。

 別に感謝される謂われはない。おれたちはただ、本当の自由を求めてここに残ったのだ。決して彼女たちに請われたからではなく、あくまで自分たちの自由意志で。

 そのことだけは、忘れないように心がけていた。

 ……ともすると、テレジアに心酔してしまうと感じたから。

 

 さて、バベルの拠点たるロドス・アイランドも、最近では随分と賑わいが出てきた。カズデル各地の難民も受け入れているうちに、艦内には製造設備や貿易所なども設置され始め、さながら小さな一つの移動都市だ。

 ……そうして、その難民たちに紛れてやってくるテレシス側の間諜を見つけ出すのも、おれたちの仕事の一つだった。

 

 今の所、戦況は拮抗している。ある種の安定が訪れたからこそ、こうした水面下の戦いが活発になってきているのが現状だ。だが、戦いの趨勢というものは、ある点を境に一気に片方へ傾くものだ。その点とは何か、強固な堤をも崩す、蟻の一穴はどこにあるのか。

 バベルの誇る戦術・戦略担当者、ドクターが頭を悩ませているのはそこなのだろう。最近はテレジアと度々話し合っているようだった。

 

 だから、こうして彼がわざわざおれたちの下へとやってきたのも、それに関連したことなのか。

 ドクターを目の前にして、おれはそんなことを考えていた。

 

「ドクター、おれたちに何か用か?もちろん、仕事の話だとは思うが」

「そうなんだ。実は、君たちの力をどうしても借りたい事態があってね」

「場所を移すか?」

 

 おれたちが今いる食堂は、多くの人で賑わっている。オペレーターや職員のみならず、難民の人々たちも含めて。ネズミ捕りは行っているとはいえ、ここで作戦の話をするのには少々不安があった。

 

「いや、必要な情報は端末に送ってある。私がここに来たのはお願いのためだ」

「お願い、ね」

 

 ぽつりと呟くΩ。確かに、ドクターは少々得体の知れない人物ではある。バイザーで隠された素顔は、まだ誰も見たことがない。そんな彼からお願いと言われたところで、はい任せてくださいとは言いにくい。

 ただ、おれはただ一点でのみ、彼のことを信用はしている。それは、彼の直接立案した作戦、及び指揮についてだ。戦闘という行為を、まるでチェスか何か、ボードゲームのように処理してしまえる人間を、おれは未だかつて見たことがない。

 確実に自陣営に勝利をもたらす。その能力に関してだけは、彼のことを信用できると言っていいだろう。

 ……最も、最近は気になることもあるが。

 

「……最近、皆のことを厳しい作戦に送り出すことが多くなっている」

「……そうだな」

「対して、私はここにいて指示を出しているだけだ。現場に出ることはない」

「そうね。あんたも来てみる?」

 

 Ωの不躾な言葉に対して、ドクターは苦笑交じりに首を振った。

 

「……いや、前にそれをすると言ったら、ケルシーに怒られてしまったよ」

「へえ……あのクソババアも過保護ね」

「……その言葉は、ケルシーの前では言わないことをお勧めしておこう」

 

 彼女のケルシー先生に対する呼称は、クソ女からクソババアへと進化していた。

 これには色々と紆余曲折があり、しかもこの件で彼女は一度折檻を食らっているのだが、まだまだ懲りていないようだ。

 しかし、これでは少し話が脱線してしまっているので、軌道修正を試みる。

 

「まあまあ、その辺にしておいて……それで、ドクター。結局あんたはおれたちに何を頼みたいんだ?」

「……W、Ω。私たちは必ず”勝利”する。そのための作戦を、私は考える。だから、頼む」

 

 そう言って、彼は頭を下げる。バベルの怪物の一人、ドクターがただのオペレーターのおれたちに向かって。

 

「どうか、信じてくれ。私のことは信じなくとも、勝利だけは」

 

 

 

 

「……さっきのあれ、どう思う?」

「……どうだろうな」

 

 食堂から場所を変え、おれの部屋にて端末片手にΩと話し込む。

 ……おれが最近気になっていたことは、作戦についてだ。少し違和感を感じる作戦が徐々に増え、負傷者の数も増していく。ドクターは一体何を考えているのか、マスクの下の素顔が、おれは気にかかっていた。

 だが、これでまた彼という人物が分からなくなった。冷徹な戦争マシーンかと思えば、先ほどのような行動に打って出る。彼も彼なりにこの現状をどうにかしようともがいていて、それでいて心を痛めているのだろうか。

 

「……ただ、ドクターの作戦が勝利をもたらしてきたのは事実だ」

「……そうね。今回のこれも、悔しいけどあたし以上の出来よ」

 

 端末に来ていたのは、敵の補給線を破壊するための作戦についての詳細だ。二人という少人数を持ってして、敵の大部隊を完全に足止めすることを可能にする。その悪辣さは並大抵のものではない。

 偵察で得た情報と、内通者からの情報とを摺り合わせて精度を上げているし、敵の通信網の切断についても抜かりなし。増援の可能性を潰し、不確定要素を限りなく少なくしている。

 

「作戦日は……そういや、この日はScoutも任務があるって言ってたな」

「へえ。どこの部隊も忙しいのね」

「本当にな」

 

 最近は本当に色々な部隊があちらこちらに派遣されている。ついこの間はアスカロンもどこかへ行っていたし、今度はおれたちとScoutだ。

 近々、何か大きな動きがあるのではないか。そう勘ぐってしまうのも、無理はないだろう。

 ちらりと人のベッドでくつろぐ彼女に目をやる。……あれから、特にこれと言った進展は無い。一度言葉にしてしまえば、意外といけるのではないかと思ったが、そんなことは無かったようだ。きっとヘドリーだって同じような状況だろう。

 再び端末に目を落とす。ドクターの作戦は確かに信用できる。けれども、それ以上に信頼できるのはやはり彼女だ。いざという時、現場で頼りにできるのは己と彼女しかいない。

 そうなれば、今すべきことは明確だろう。おれは、訓練室に彼女を誘おうと口を開きかけ──

 

 ──ノックの音に、開きかけたそれを閉じた。

 

「誰かしら?」

「Scoutがまた何かやらかしたのかもな」

 

 適当に言葉を交わしながら、ドアのロックを解除してスライドさせる。そこにいたのは、実に意外な人物だった。

 

「……ケルシー先生?」

「W。少し話したいことがある」

 

 

 

 ケルシー先生と彼女が同じ空間にいるのは不味いので、おれは足早に部屋を出て医務室に向かった。勿論、ケルシー先生も一緒だ。後でΩから何を話したのかは聞かれるだろうが、今度は話す内容なきちんと考えよう。前回は会話の内容を思い出す中で、ふと浮かんだ「ケルシー先生、結構ご年配説」をうっかり話してしまったせいで、とんでもないことになった。

 

「W」

「はい!」

「君と話したいことは他でもない、今度の作戦のことだ」

「作戦、ですか」

 

 どうやら、幸いにも話題はあのことではないらしい。

 しかし、作戦の事と言われても、わざわざケルシー先生に呼び立てられるようなことはしていないと思うのだが。

 

「知っての通り、君たちオペレーターがどのような作戦に従事しているのかについては、我々のほうでも確認を取っている。例えばこのようにな」

 

 そう言って彼女が見せてきたのは、先ほどの補給線破壊作戦についての情報だ。フォーマットまで全く一緒の形で、おれの端末に入っているものと同じ内容の──あれ?

 ……作戦終了予定時刻が、違う?

 

「……何かに気付いたようだな」

「……ええ。作戦終了時刻が違いますね」

「……やはりか」

 

 どういうことだろうか。つまり、これはバベルの方に提出されている作戦書と、実際におれたちが受け取った作戦書が異なるという事だ。

 となれば、これはネットワーク経由ではなく、ローカルで送られてきた?ドクターがわざわざやってきたのはこのため?

 なぜ。そして、何のために。ドクターはこの些末な差を作り出したのだろうか?

 たった一つの資料によって、次々と浮かび上がってくる疑問、疑念。

 そして、先ほどケルシー先生はやはりかと言った。それはつまり、このことを予期していたことになる。

 

「……近頃、ドクターの様子がおかしいのは君も気づいているだろう」

「それは……!」

 

 それは、おれのようなただのオペレーターに、傭兵上がりに言っていいことなのだろうか。

 

「遠方での任務、そしてこの書類もそうだ。この巧妙に生み出された時間の差異は、それ単体では何ら効力を有さないものの、多数に任務と部隊とに複合的に作用することによって、一つの致命的な欠陥をもたらす。W、君は以前Scoutと共に帰投命令から逸脱したことがあったな。その時のことを覚えているのならば、私が何を言っているのかについても想像がつくはずだ」

 

 何時ぞやの町への寄り道。帰ってきたとき彼女が言った言葉は、確か……一つの部品の欠落が、車輌を機能不全へと追い込む、だったか。つまりは、一つの欠陥が連鎖的に全体を破綻に追い込むということ。この場合の欠陥は時間のずれ、連鎖して起こるのは他の任務のスケジュールのずれ。その結果生み出されるのは……防衛スケジュールの崩壊か!

 現在、ロドス・アイランドには常に一定以上の戦力がいるようにオペレーター達の任務が組まれている。この場所が最重要拠点であり、最も守られなければならない場所だからだ。

 しかし、現実問題として、巨大戦力を常に拠点に貼り付け続ける余力はバベルにない。そこで考えられたのが、適正ごとに任務をローテーションで行うという防衛スケジュールなのだが……

 

「……ケルシー先生。予想されるロドス防衛戦力の最小の値は何ですか?」

「……ゼロだ」

「!?」

「……防衛スケジュールの崩壊は、狙って私がロドスを離れる日に設定されている。どうやら、ドクターはよほど私のことを遠ざけたいらしいな」

 

 珍しく、無表情の中に表情らしきものを見せるケルシー先生。それは、何処か寂しげで、悲し気なものだった。

 だが、それはひとまず脇に置いておこう。重要なのは、なぜおれがこのことをわざわざ教えられたかだ。

 

「……おれに何をしろと?」

「我々に必要なことは二つだ。ロドス・アイランドを守ること。そして、ドクターの企みを突き止めること。それを念頭に置けば、おのずと私が君に要求することは見えてくる」

「つまりは、任務に出たと見せかけてロドスに留まり、ドクターの監視をしろと?」

「監視についてはクロージャをこちらに引き入れている。君は防衛のための戦力だ」

「なぜそれをおれに?」

「古参のエリートオペレーターとは違い、君はつい最近まで傭兵だった。その君ならば私の間の繋がりは薄い」

 

 だからケルシー先生の側についているとは悟られにくいと。だが、その分リスクもあるはずだ。

 

「おれが裏切るとは?」

「君は到底信頼できない人間だが、これまでの行動から信用することはできる」

「聞かなかったことにするかもしれませんよ?」

「それでも構わない。君がこのことを他言しなければな」

「Ωは?」

「作戦自体は認可されたものだ。代理の人員を出してでも行う必要がある。見たところ、少なくとも爆発物を扱えるオペレーターは必須だろう」

 

 つまりはお互いに単独行動ということか。本来ならばこの時点でもう降りるのだが、情勢が情勢のせいで難しい。

 この話を聞かなかったことにして任務に向かえば、最悪帰る場所が無くなる可能性がある。その場合、独力で軍事委員会を振り切ってカズデルを脱出するのは、相当困難だろう。

 仮にどうにか代わりの人員を用意して、二人そろってロドスに残るとしても、それはそれで危険地帯の真っただ中だ。ドクターに気付かれるリスクも高まる。

 すべてを放り出して今すぐ逃げ出すというのも一つの手だが、現在ロドスはカズデル中央部付近を走行中であり、車輌をかっぱらったとしても燃料補給が難しい。

 現状考えられる最善手は、おれがロドスに残ってΩが作戦を速やかに遂行後、身を隠すというところか。

 

「……わかりました。Ωと少し話してきます」

「W。君たちがどのような選択をしようが、私がそれを咎めることはない。君たちのことだ、君たち自身で選ぶんだ」

「……ご忠告痛み入ります。それでは、後ほど」

 

 

 

 

「あのクソババア、とんでもない面倒ごとを押し付けてきたわね」

「だよなあ……」

 

 部屋に戻ってきてすぐ。おれは先ほどケルシー先生と話した内容について、補足や推測も交えながらΩに話した。彼女との会話は、色々と推測に委ねられることが多くて大変なのだ。

 しかし、面倒ごととはまさにその通りだろう。よりにもよっておれにお鉢が回ってくるとは。

 

「たぶん、あんたのアーツのことも把握されてるんじゃないかしら。それなら防衛戦力ってのも納得できるわ」

「それは大いにあり得るな」

 

 Ωの言う通り、おれのアーツはこのロドスのような場所では無類の強さを発揮するだろう。狭い一本道の廊下が多い構造では、容易に敵を一網打尽にできる。

 そこまで知っていておれを選んだのならば、流石に化け物の一人と言うところか。

 

「……ただ、何も知らずに任務に行って、帰れませんってのも困るからな」

「或る程度準備できる分、ある意味幸運かもね」

「……どうする?二人で逃げるか?」

「……流石に厳しいでしょ。最善はあんたが残ってあたしが後から駆け付けるってところね」

「……やっぱりか」

 

 卓越した彼女の戦術立案能力をもってしても、やはりそこに落ち着くらしい。

 だが、頭ではそれが最善と分かっていても、単独行動への一抹の不安はぬぐえない。

 それが表情に出てしまっていたのか、彼女がこちらの顔を覗き込んでくる。

 

「大丈夫よ。あんたもあたしが早々くたばることはないって、分かってるでしょ?」

「まあ、それはそうだけど……」

「それに、もし仮に何かあったとしても、最後はあんたが助けてくれる。そうよね?」

 

 言外に含まれる、最悪ループしても、という言葉。ループするということが何を意味するか、彼女はそれを良く知っているはずなのに。

 それなのに、そんな信頼をしてもらったならば。おれは、それに応える以外の選択肢を持たない。

 

「……もちろんだ」

「ほら。なら、問題はないでしょ。さっさとクソババアに返事しちゃいましょ」

「ああ」

 

 彼女の言葉に促され、おれは再び医務室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、W」

「何です、エシオさん」

「お前、やっぱりここで働かねえか?」

「いや、おれ戦闘オペレーターなんで」

 

 作戦当日。昨日の夜、ケルシー先生、及びクロージャ協力のもと、あたかも任務に出たかのように偽装したおれは、調理場に忍び込んでいた。これはケルシー先生から提案されたことで、ドクターに気付かれないための方策だ。

 朝と昼の時間は他の料理人よろしく存分にこき使われ、昼下がりになってからようやく自分たちの飯の時間である。今日の賄いである豆の煮込みをバゲットと合わせて食べながら、おれはエシオさんと話していた。

 

「良いだろ別に。やめちまえよ、戦闘オペレーター」

「それくらいしか飯の食い方も知りませんし」

「料理があるだろうが」

「いやいや、趣味ですよ。別に技術もないですし」

 

 彼の言葉をやんわりと否定する。別に、おれには特段優れた料理の技術があるわけではない。エシオさんからも、料理の腕前は下手の横好きレベルとの評価を既に受けている。

 

「そこは教えてやってるだろ?舌は一流なんだから、お前はまだまだ伸びる」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど」

 

 ただ、舌に関しては一流シェフのお墨付きを頂けていた。彼曰く、おれは味の中の構成要素を探り出す能力に長けているらしい。要は、食べたら何となくどうやってその味に出来るか何となくわかるという事だ。確かに、これまでも自分で作っていた料理は何となくで食べたことのあるような味をつけていたので、そこが鍛えられたのかもしれない。

 

「……で、ほんとの所はどうなんだ?」

「ほんとの所?」

「とぼけるなよ?お前が何の考えも無しに、わざわざ技術を教わりに来てるわけないだろ。仕入れから仕込みまで、小手先以外まで散々聞いてきやがって」

「……戦いが終わったら、小さなレストランでもやれたらいいなとは思ってます」

「ほれ見ろ!そんであれだろ?従業員はあの嬢ちゃんだ」

 

 将来、というものについてぼんやりと考えてみた時、思いついた光景がある。それは、おれとあいつ、二人で小さなレストランを営んでる光景。あまり客は来ないけれども、一番の客であるあいつが美味そうにおれの作った料理を食べて、おれはそれを隣で見守る。

 カズデルの現状を思えば、途方もなく馬鹿げた夢物語だろうけど、それでもその光景は、今のうちに料理をきちんと習っておこうと思わせるには十分だった。

 

『オーナー、レストランを開かれるのですか?その際は、ぜひわたくしもご一緒させてください』

「おいおいW、両手に花じゃねえか!」

「02……聞いてたのか」

 

 耳ざとく聞きつけた02までもが会話に加わってくる。レストランで働く02……実際ありだな。今ではウェイトレスのごとき働きも出来るし、おれとΩが調理場に立って、彼女に高性能蒸し器兼ホールをやってもらうのもいいかもしれない。

 

「ははは、おいW、お前がレストランを出すの、楽しみに待っててやるぞ」

「……50年くらいかかるかもしれませんよ?」

「なに、それくらいは長生きして見せるさ」

「じゃ、看板には元ヴィクトリア宮廷料理人、エシオの弟子って書いときますよ」

「馬鹿、お前は弟子でもなんでもねえよ」

『お二人は師匠と弟子ということですね。自己アップデートしておきました』

「違げえよ!」

 

 時たまボケて見せる02に対して、鋭いツッコミを入れるエシオさん。この人、まだ当分くたばりそうにないな。

 そんなことを考えながら、バゲットを煮込みに浸したその時だった。

 

『オーナー!クロージャお嬢様から緊急連絡です!』

『ロドスのシステムがハッキングを食らってる!……もー!誰だよ、こんなところにバックドア作っておいた奴は!!』

 

 突然の警告音とともに、機体に備え付けられたモニターにクロージャの姿が投影される。必死にキーボードを叩いており、どうやら応戦の真っ最中の様だ。

 

「クロージャ、何が起きてる!?」

『通信系と駆動系は生きてるけど……セキュリティがやられてる。監視カメラの映像は完全に死んでるね』

『クロージャお嬢様。主要施設のセキュリティの書き換えを実行しております。お嬢様は、監視カメラの復旧にお努めください』

『え!?あたし、君にそんな権限あげてないんだけど!?』

『緊急時対応です。すでにケルシー医師への連絡も完了しています』

『あー、もうわかったよ!あたしも敵侵入の可能性がある地点を算出しといたから、Wはそっちに向かって!』

「了解!」

 

 クロージャと02の二人によって目まぐるしく状況が変化していく中、ようやくおれにも分かる形で情報が提示される。

 ロドスのマップ上に示された赤い光点。それが敵のいる可能性のある場所か。

 

 おれは流し台の下から装備を取り出すと、素早く身に着けていく。そのまま急いで調理場から出ようとした背中に、声が掛けられた。

 

「W!気を付けて行ってこい!」

 

 振り返れば、帽子を握りしめてこちらを見つめるエシオさんの姿がある。その拳は、小刻みに震えていた。

 ……今この場所にいる戦力はおれだけだ。おれは、おれにできることをやろう。

 手を掲げてその言葉に答えると、おれは調理場を後にした。

 

 

『オーナー!』

「なんだ02、着いてきたのか?」

『わたくしがナビゲーションを担当いたします。巡行形態に移行いたしますので、オーナーはお乗りください』

「巡行形態?」

 

 走りながらおれが疑問符を浮かべると、目の前で02が姿を変える。プシュっと蒸気を噴き出したかと思えば、機体の表面には足場と持ち手があらわれていた。

 言われるがまま機体にしがみつくと、02は急加速を始める。なるほど、これなら現場まで急行できそうだ。……今にも振り落とされそうなほど乗り心地最悪なことを除けばだけど。

 おれは持ち手に必死に掴まりながら、先を急いだ。

 

 

 

 最初に向かったのは、恐らく敵の侵入口になっているであろうロドスの最下層だ。現在、ロドス・アイランドは走行中。そうなれば、侵入する手立ては車輌で並走してから乗り移るしかない。空を飛べでもしない限り、ロープとワイヤーを使って下から入ってくるのがほとんど唯一の侵入方法だ。

 もし敵がやってきているというのならば、ここを潰さなければ増援を許すこととなる。

 できることならば誰もいないで欲しかったが……現実はそう甘くはないようだ。

 

「……02、戦闘に入るぞ。合図に合わせて、銃撃を頼む」

『畏まりました』

 

 下部ハッチから何者かが続々と侵入してきている。いや、何者かなどという表現は正しくないか。あれは、テレシスの手の者たちだ。見覚えのある装備をしたサルカズ傭兵たちが、ずかずかと土足でロドスに足を踏み入れている。

 ならばおれはロドスに住んでいるものとして、来訪者を歓迎しなければならないだろう。それも、盛大に。

 物陰からアーツの照準をつける。狙うのは奴らの首から上を持っていくような領域。船を傷つけぬよう、効果範囲をきちんと絞る。殺り逃したのは02に任せるとして、おれは指を三本立てた。

 3、2、1。カウントとともに、アーツを炸裂させる。同時に、プシュっというおよそ似つかわしくない音とともに、金属弾頭が撃ちだされた。

 音もなく消し飛ぶサルカズ傭兵たちの頭部、そして何が起こったのかもわからぬまま倒れていく敵さん方。

 恐らくは二線級の後続部隊だったのだろう、おれたちは奇襲で敵の大半を片付けることに成功した。

 

「なんだ!?」

「どこから!?」

「ここからさ」

 

 そして、残りに関しても恐慌状態に陥っている連中など相手にならない。左手のボウガンと02の銃撃とで、まるで狩りでもしているかのような気軽さで敵を撃ちぬいていく。

 そのうち、立っている敵はいなくなった。おれは静かに死屍累々のその中に歩んでいくと、まだ息のある一人の下にいって問いただす。

 

「先行する部隊はどこへ向かっている?」

「……ひっ!……話が、話が違うじゃないか!?」

「話ってのはなんだ」

「お前みたいなバケモンは、ここにいないはずじゃなかったのかよ!?」

「ああ、なるほどな」

 

 ……これで、ドクターは限りなく黒に近い。ケルシー先生には残念な知らせをしなければならないようだ。

 まあ、今のところはそんなことはどうでもいい。

 今最も重要なのは、この男から、何をしてでも情報を素早く抜き取ることだ。

 

「質問に戻るぞ。……先行する部隊はどこへ向かっている?」

 

 

 

 

 アーツを応用してハッチを接合し、開かないようにした後、おれと02は中枢区画の最上階へと向かっていた。

 敵の狙いが殿下だということが分かったからだ。

 つまりこれは、斬首作戦。敵のトップの首を刈り取ることで、一撃にして戦争を終わらせに来たテレシスの一手ということだ。バベルは3トップ体制ではあるが、その政治力という点ではテレジアに完全に依存している。もし彼女が失われれば、カズデルにおけるバベルの地位は地盤沈下し、勢力を維持することは到底叶わないだろう。……強いて言うのならば、3トップの内の一人は既に敵方についている可能性すらあることだしな。

 勿論、このことについてテレジアに伝えようとは先ほどから試みている。ドクターが怪しいという点も含めて。

 しかしながら、どういうわけか連絡は付かなかった。それもおれが道を急いでいる理由の一つだ。

 

「……っ!02、止まれ!」

『いかがなさいましたか?』

「……ここからはちょいと厳しそうだ」

 

 廊下の向こうから、嫌な気配が漂ってくる。この先にいるのは、かなりの手練れたちだ。先ほどのような有象無象とはわけが違う。

 不意打ちでも出来れば話は変わってくるのだが、残念ながらこの道は一本道だ。

 

「02、アーツで壁を破壊して回り込むのは可能か?」

『検討中……中枢区画につき、想定外の被害が生じる可能性があります。推奨はできません』

「クソっ……速度を生かしての正面突破しかないか……!」 

『オーナー。この先には工事中のため、行き止まりの区画がございます。そちらに敵を引き込むことができれば、一網打尽に出来るかと』

 

 なるほど、確かにそれが出来れば、おれのアーツも効力を発揮する。しかし、その引き込むことが果たしてできるだろうか?ドクターのことを考えれば、ロドスについての情報も敵に渡っていそうなものだが……

 

「だが、どうやって引き込む?」

『わたくしが囮になります。オーナーはわたくしのことを気にせず、先にお進みください』

「……何?」

 

 一瞬、思考に空白が生じる。02を囮に?この高性能蒸し器を?これまで長い間一緒に調理場でやってきたのに?

 だが、同時に冷静な思考がそれを最適であると肯定する。なぜならば、彼女は……

 

『オーナー、わたくしは所詮ロボットでございます。皆さまとは違い、替えの効く存在なのです』

「…………」

『ご命令を、お願い致します』

「…………わかった。02、囮を頼む」

『はい、お任せください』

 

 たったそれだけの言葉を残して、02は敵に向かって猛然とモーターを唸らせ、突き進んでいく。彼女の姿が曲がり角の向こうに消えてから、おれはゆっくりと歩きだした。

 思えば、長いようで短い付き合いだったかもしれない。クロージャに返金代わりに売り込まれて、それから調理場で共に作業を行って。

 AIが良くできていたからだろうか。とてもロボットとは思えない、懇切丁寧で物腰の柔らかい口調は、どこか皆に安らぎを与えていたような気もする。

 あれはきっとジョークだろうけど。もし彼女もおれのレストランにいてくれたら、何と喜ばしかったことか。目を閉じれば、Ωとコントのようなやり取りを繰り広げる姿が、瞼の裏にありありと浮かび上がった。

 

 ……どうやら、見つかったようだ。サルカズ傭兵たちのバタバタという足音と、硬い何かがぶつかり合う鈍い音とが響き渡る。応戦するように蒸気の音が何度も鳴り響き、それらは共に遠ざかっていく。

 進んでいくと、廊下のあちこちには戦闘の跡が残されていて、中には倒れた傭兵の姿もあった。それら一つ一つにとどめを刺しながら、おれは先へと進んでいく。

 やがて、遠くで何かが落ちるような音がした。先ほどもシステムに侵入していた彼女のことだ、隔壁を落としたのだろう。

 

『……ザ……聞こえますか、オーナー』

『02?』

 

 壮絶な打撃音交じりに、02からの通信が入る。きっとこれは、隔壁の向こう側からのものだ。

 

『オーナーの負担になられるかとも思ったのですが、わたくしはダメなロボットでございますね。どうしても、最後に一言残したくなってしまいました』

『……いいさ。聞いてやるよ』

 

 主人の命令に従い、囮として終わりを迎えようとしている彼女。果たして、どんな言葉を残そうというのだろうか。

 それが例え恨み言であったとしても、受け止めるのが命令した側としての責任だ。

 

『ありがとうございます。……オーナー。わたくしも、あなた様のレストランで働きとうございました。どうか、Ω様とその夢、お叶えください』

『……っ!02!』

『オーナー。……おさらばでございます』

 

 壮絶な破裂音。サルカズ傭兵たちのうめき声。そして沈黙。

 彼女は、見事に己の役割を果たした。

 おれは、進もう。先へ。彼女が切り開いた、その道を。

 

 

 

 

「……見事」

「……はあ……はあ……」

 

 ずるずると廊下の壁をつたい、巨漢のサルカズが崩れ落ちる。夥しい量の鮮血を噴き出して死んだ彼は、得物に衝撃を纏わせるアーツの使い手だった。おかげであばら骨を何本か持っていかれたが、問題はない。戦闘の興奮で過剰に分泌されたアドレナリンが、痛みを打ち消してくれている。

 02が多くの敵兵を引き付けてくれたおかげで、おれは必要最小限の戦闘のみで最上階へとたどり着くことができていた。

 テレジアがいるのは、恐らくメインブリッジか、それか彼女の執務室─議長室─か。連絡がつかなかったことを考えると、執務室の可能性の方が高い。

 おれは、痛む足を引きずりながら執務室へ向かった。

 

 

「テレジア!いるんだろう、テレジア!」

 

 執務室のセキュリティは最高レベルだった。バベルの3人しか開けられない、そのレベルになっている。クロージャか、あるいは02ならばどうにかできたかもしれないが、02という直通回線を喪った以上、ドクターに気付かれずに連絡をとるのは難しい。

 彼女の名前を呼びながら、何度もドアをたたく。けれども、その向こう側からの反応は何もない。

 いつ敵がまたくるかもわからないのだ。手段を選んでいる時間はなかった。

 

「テレジア!アーツを使うから、聞こえているなら扉から離れていてくれ!」

 

 範囲を絞ったアーツを使って、扉のロック部分だけをぐちゃぐちゃに捻じ曲げる。そこから、腕力だけにものを言わせてドアをスライドさせれば、どうにか執務室のドアは開いた。

 おれは即座に中に飛び込み、状況を──

 

「テレジ……ア?」

「…………」

 

 ──なんだ、これは。

 何がどうなってるんだ。

 どうしてテレジアが血まみれで倒れていて。

 どうしてドクターが胸を刺されていて。

 どうしてアーミヤが、その二人をただ見つめているんだ?

 

「アーミヤ!これは一体……っ!」

 

 硬直から解き放たれ、唯一立っているアーミヤの下へ急ぎ駆け寄る。そうして、いつものようにしゃがんで目線を合わせ、ここで何が起こったのかを聞き出そうとして。

 おれは、思わず息を呑んだ。

 

「……お前は、アーミヤか?」

 

 この少女が放っている雰囲気は、決しておれの知っている少女のものではない。もっと威圧的で、本能的に恐れを生じさせるもので。

 まるでテレジアの時と同じように、自然と目線を合わせることを避けてしまうような。

 

「…………」

 

 おれの問いかけに対して、沈黙を貫く少女。

 何一つ理解が及ばない状況で、おれは彼女に再び問いを重ねようとして──そして、その言葉は背後からの声によってかき消された。

 

「殿下をお迎えに伺った」

「!……テレシスの!」

「……驚いた。まさかWがここにいるとはな」

 

 おれは刀を抜いて臨戦態勢をとる。殿下をお迎えに来た?このテレジアが倒れている状況で、こいつらは今更何を言っているのだろうか。

 

「落ち着け、W。我々はただ、殿下の亡骸をあるべき場所にお戻しするだけだ」

「あるべき場所だと?それがお優しいお兄様の隣だとでも言うつもりか?」

「バベルに対してこれ以上何かをする気はない。初めに言ったぞ、W。我々はただ、殿下をお迎えにきたのみだ。それ以外の用はない」

 

 部屋に入り込んでくるサルカズに対して、おれはじりじりと距離と取りながら下がっていく。途中、アーミヤを背にできるように立ち位置を調整しながら。

 そうして、テレジアの下までたどり着いた奴は、その亡骸に向かって祈りを捧げた。そうして、懐から黒い何かを取り出す……遺体袋だ。

 もう、そこまでで限界だった。

 おれは奴に向かって飛び掛かる。その瞬間、先ほどまでおれの頭があった空間を、アーツが通り過ぎていく。

 

「何がこれ以上何かをする気はない、だ!」

「ちっ、勘のいい奴め。……残念ながら、先ほどの言葉には但し書きがあってな。W。お前は捕縛対象だ」

 

 ぎりぎりと鍔迫り合いを行い、一合、二合と打ち合う。

 バベルには何もする気は無いが、おれは捕縛対象だと?

 

「今の言葉がどういう意味か、聞き出す必要がありそうだな」

「意味も何も、そのままなのだがな。WとΩ。お前たちは危険だ」

 

 ……Ω?

 

「まさか、お前ら!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 寝袋からのそりと起き上がる。ここは……調理場だろうか?

 なんだ?おれはさっきまで、あのサルカズ野郎と戦っていて……

 

「っ!」

 

 急いで端末で日付を確認する。

 日付は……作戦当日。時間は早朝4時。

 

「……戻った?」

 

 つまり、それが意味することは。

 

「……あいつが……あの時間で死んだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




音声記録No.10223582

「ケルシーには伝えないのね」
「ああ。彼女をこのような策謀に巻き込みたくない。それに……許してはくれないだろうしな」
「……それが、彼女の身を守るためのことだとしても?」
「……ケルシーは、そういう人だ」
「……ドクター。あなたは辛くないの?もしかすると、愛する人から一生恨まれることになるかもしれないのよ」
「……構わない。それと比べたとて、彼女が無事でいることのほうがよほど大事なことだ」
「……そう」

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