北天に輝く   作:ペトラグヌス

19 / 33
致死疾病─Despair.-1

 あいつが、死んだ?

 おれの知らない場所で、おれから遠く離れた場所で、おれの知らぬ間に?

 

 頭が真っ白になる。

 

 ……どうしよう?どうすればいいんだろう?

 呆然。そうとしか言い表しようのない状況だった。

 全身の筋肉が弛緩して、四肢に力がうまく入らない。落ちてくる顎を支えることすらできずに、口までもがポカンと開け放たれて、そのまま閉じることもままならなくて。手足の感覚がじわじわと冷たく、無くなってきて、視界はキュッと縮まり焦点が合わなくなる。

 まるで、身体全体が機能不全に陥ったかのような、そんな感覚。何か、おれをおれたらしめるものがぽっかりと抜け落ちてしまったような。

 これからどうしようか、どうしたらいいんだろうか、そんなことを必死に考えようと心では思うのに、脳みそはまるで働かなくて。頭の中では思考の糸が何かを形作ろうと集合しては離散し何ら纏まりを見せず、ただただ空転して時間だけが過ぎていく。

 

 一体、いつまでそうやっていただろうか。

 力の入らない肉体の中で、心だけが必死に何かを訴え続けている。

 それは、助けなければいけない、ということ。

 じわじわと、じわじわと、その言葉が、現実とともに脳に擦りこまれていって。

 そうして、バラバラに解けた思考回路が、まるで爆弾の爆発のように、閃光と爆炎を以て組みあがっていく。強烈な焦燥感とともに、劇的な速度で。

 

 あいつを、助けなければいけない。

 

 ……どうする、どうすればいい!?

 こんな、こんなことは今までになかったことだ。何度も何度も目の前であいつを失ってきたけど、それでもこんな風に死に際の様子すら分からないことなんてなかったのに!

 どうすればあいつを助けられる?あいつはおれを信じてくれているのに、信じてくれているから、行かなきゃ、そうだよ、行かなくちゃいけないんだよ!

 今から急いであいつのいるであろう場所に駆け付けて、いや徒歩じゃ間に合わない、車輌を貸してもらって、貸してくれるわけがない、奪って、いやダメだ、その前に連絡を、いやおれの端末じゃダメだからメインブリッジの通信設備を何とかして使わなきゃいけない、だからおれのアーツで隔壁をぶち破って、コンソールで……ダメだ!おれにはそんな権限はない、あるはずがない、ならどうやってシステムを……そうだよ、クロージャにハッキングしてもらって、それで……それで?

 

 ……結局、爆発というのは瞬間的なエネルギーの放出だ。一瞬で怒涛の如く炸裂し、そうしてまるで初めから何もなかったかのように消え去る。

 おれの思考回路も同じことだった。ぐちゃぐちゃに入り混じった、感情の爆発としての思考は刹那的で、取り留めが無くて、何も答えを与えちゃくれない。爆発と違うのは、最後に虚脱感を残していったことだ。

 

 ……おれはどうすればいいのだろう?

 

 あいつはいない。ここにいない。戻った時はいつも、隣に居るあいつのことを確認して、その温もりを確かめて、さらさらとした銀糸の感触を指に感じて。それでようやく落ち着くことが出来たのに。

 やらなければいけないことは分かっているのに、何処かふわふわと現実感が希薄なのはきっとそのせいなのだろう。

 手元の端末は、確かに時が巻き戻ったことを示しているはずなのに、どこかそれを信じられないおれがいる。

 もしかすると、おれだけ違う世界の朝に飛ばされてしまったんじゃないかなんて、そんな疑念すら抱いてしまうほどに。

 

 

 

 そんな時だった。ただ座り込んでいたおれに、車輪の音が近づいてきたのは。

 物音に対する反射で、何も考えられぬ頭であるにもかかわらず、即座にそちらを身体が勝手に振り向く。

 

 そこにいたのは、ロボットだった。

 白い塗装を施され、至る所から蒸気を噴き出している、そんなロボット。

 呆然としながらそれを見つめていると、()()が口を開く。

 

『オーナー?体調が優れないようですが、いかがなさいましたか?』

「0……2……?」

『はい、オーナー。わたくしに出来ることがあれば、何なりとお申し付けくださいませ』

 

 震える声でその名前を呼べば、何時かと同じような柔らかい物腰の返事が返ってくる。

 Steam-02。クロージャが改造した、じゃがいも蒸し器。囮となって、敵と共に消えていった、未来のおれのレストランの従業員。

 そこにいたのは、紛れもなく彼女だった。

 

 大きく息を吸い込む。冷たい空気が肺に沁みるようで、けれどもそれがどこか心地よくて。おれは、ようやくこれが現実だと実感することが出来た。

 ……そうだ。おれは戻ったんだ。すべてが起こる、その前の時間にまで。

 まだあいつも生きている。テレジアも、02も生きている。

 これから先の未来で何が起こるのか、知っているのは世界でただ一人、おれだけだ。

 おれにしかできないことがある。おれがやらねばいけないことがある。

 

「…………それじゃあ02、水を持ってきてくれるか?」

『承知いたしました。すぐに持ってまいりますので、お待ちください』

 

 02が車輪のモーター音を鳴らして水道へと向かっていく。その後ろ姿を見ていると、つい先ほどの未来の景色が重なりあって見えた。今から数時間後、彼女は同じようにしておれの命令で死地へと進むことになるのだ。

 おれに一体何が出来て、どうすればいいのか。それを考えるためにも、今はひとまず落ち着こう。落ち着いて、現状をしっかり把握して、その上であいつを救う方策を見出すのだ。……そして、出来ることならば02とテレジアのことも。

 おれは一人静かにそう決意した。

 

 

 

 まず第一に考えるべきは、おれにとっても、このループという現象にとっても、もっとも重要な人物であるあいつのことだろう。

 昨晩ロドスを発った彼女は、今頃作戦地点近くの拠点にいるはずだ。ここからの距離は車輌を用いておよそ5時間。現在の時刻は4時49分で、テレシスの兵隊たちがここに襲撃を仕掛けてきたのがお昼過ぎ、即ち14時過ぎということになるから、恐らくこの前あいつがやられたのは15時ごろのはずだ。

 つまり、今すぐにロドスを発てば間に合う。先の戦闘中、意識が飛ぶようなことが無くて本当に良かった。あいつと話し合って決めた、安全であろう時間帯に寝てコンディションを整える、という選択は間違っていなかったようだ。

 ただ、ここで闇雲に現場に向かうのはあまり得策ではないだろう。まず、現実的な問題として車輌が使えるかどうかということがある。一応運転は出来るものの、車輌自体はバベルの所有する機材だ。正当な理由なくして無許可で使う事は出来ないだろう。勿論、正当な理由で使おうとはしているのだが、如何せんその情報源が未来のことである以上、理由にはしにくい。強奪するというのも手ではあるが、それは最後に考えることにしよう。

 より穏便な選択肢は、連絡を取ることだ。これから起こり得ることを知っていれば、当然リスクは小さくなる。加えて、向こうから救援要請をしてもらえば、おれがここを発つ理由にもなるだろう。拠点には長距離通信用機材があるはずなので、こちらもそのような機材を使えば通信自体は可能なはずだ。先ほどもそうだったように、ここでもその機材がバベルのものであるというのが問題であるのだが、こちらに関しては当てがある。

 

 まず連絡を取るべきなのは、ケルシー先生だろう。バベルの最高指導者の一人である彼女は、通信設備の権限も所持している。彼女から許可を得ることが出来れば、あいつと連絡を取ることが出来るはずだ。

 これはある意味消去法でもある。同様の権限を持つ人物でも、ドクターは限りなく黒に近いグレーで、テレジアは……何となくよくない気がする。

 どのみち、テレジアのことでも話さなければいけない以上、ケルシー先生が最適解だ。ドクターの目を誤魔化す必要もあることだし、クロージャ経由でコンタクトを取るか。恐らく、彼女ならそれくらいは用意はしてあるはずだ。

 

『お待たせいたしました、お水でございます』

「ああ、02、ありがとう」

『どうやら、気分の方も回復したようで安心いたしました。オーナー、お身体にはどうぞお気をつけ下さい』

 

 02から受け取った水をごくごくと一気に飲み干す。乾いた喉を潤し、空っぽの胃袋へと入り込んでいく感触を感じれば、まさに生き返ったような心持ちだ。

 コップを近くに置き、一息つくと、おれは02に問いかけた。

 

「そうだな。これからは気を付けるよ。……ところで02、クロージャと連絡は取れるか?」

『クロージャお嬢様とでございますか?少々お持ちくださいませ…………出られませんね。もしかすると、お眠りになっているのかもしれません』

「……確かに、朝の5時だからな」

 

 ……時間のことをすっかり失念していた。夜の王たるブラッドブルードらしく、夜更かしに次ぐ夜更かしで深夜であろうと基本的に彼女との連絡は付いていたのだが、この早朝の時間帯は流石に眠っているらしい。

 

「02、彼女がいるのは工房か?」

『確認したところ、そのようですね』

「わかった。……それじゃあ、ここから工房までの監視カメラ映像をダミーの物に差し替えられるか?」

『……例の重大事案でございますね。畏まりました』

 

 やはりと言うべきか、02もこちら側だったようだ。前回、ロドスに敵が侵入したというクロージャからの連絡が彼女を経由してきた時点でほとんど確信していたが、この超高性能万能蒸し器にも、おれがケルシー先生から課された仕事についての話は、重大事案という形で伝わっていた。この非常に頼もしい協力があれば、ドクターに悟られることなく艦内を移動できるだろう。

 おれは02からダミーへの差し替えが完了したことを伝えられると、彼女を引き連れてクロージャのいる工房へと向かった。

 

 

 

 道中の廊下。流石に早朝という時間帯もあって人通りはほとんどないはずだが、油断は禁物だ。02に監視カメラ映像を確認してもらったうえで、慎重に進んでいく。

 そんな中で、おれは議長室で見た光景について考えていた。

 首を斬りつけられて倒れていたテレジア。夥しい量の鮮血とともに何故か倒れていたドクター。そして、その二人を虚ろに見つめていたアーミヤ。

 あの時のおれは気が動転していたのと、敵がやってきたのもあって冷静にあれこれと考える暇すらなかったが、今になって考えてみれば気になる点がいくつもある。

 

 あの部屋には、恐らくおれが一番先にたどり着いたはずだ。議長室のセキュリティレベルは最大で、テレジアとドクター、そしてケルシー先生しか開けられないものであり、そのうち二人は部屋の中に、もう一人はロドスの外にいたのだから、無理やり開ける以外に扉を開ける方法はない。だが、おれがアーツを使うまで扉に損傷した様子はなかった。

 また、おれが最後に戦ったあのサルカズも、殿下をお迎えに来たと言っていた以上、おれより先にやってきたのならば、少なくともテレジアの姿は残っていなかったはずだ。その点から考えても、おれが一番乗りなのは間違いないだろう。

 

 この前提の上で、どうやってあの光景が出来上がったかを考えると、第一に導き出されるものはドクターがテレジアを殺害し、そして相打ちの形になったというものになる。

 ……果たして、ドクターにそれが出来るだろうか。意思の問題ではない。単純な、実力としての問題だ。

 おれも実際にテレジアの戦う姿を見たことがあるわけではないが、傭兵団にいた頃に隊長から少し聞いたことがある。軍勢を引き連れ、その先頭に立ち剣を振るい、数多の敵を撃ち滅ぼす者。それこそが、サルカズの王であると。

 そう語る彼の目には、一人の戦士としての憧憬と、一人のサルカズとしての畏怖がまざまざと浮かんでいた。おれよりも確実に、恐らくは圧倒的に強いであろう隊長を以てしてそう言わせるテレジア。その彼女が歩き方や重心の移動のさせ方、あらゆる点から自ら戦う人種ではないと判断できるドクターに対して、遅れをとることがあるのだろうか。……それとも、おれがただ単にドクターを見誤っているだけなのだろうか。

 これについては情報が足りなさ過ぎて判断することが出来ない。ドクターという人物についておれが知っている情報は微々たるもので、付き合いも短い。ただ、僅かに垣間見えた光景からして、ケルシー先生ならば彼のことを良く知っているはずだ。彼女と話をする中で、こちらについては自ずと明らかになるだろう。

 

 続いての考え得る可能性だが……正直、おれはこちらの方が正しいのではないかと思っている。抵抗するテレジアに対してドクターが刃を突き立てる、そのビジョンはどうしても思い浮かべることが出来ないのだ。

 その可能性とは、何らかの理由でテレジアが死を甘んじて受け入れたというもの。そこに何か理由さえあれば、彼女は自らに向かう凶刃に対しても、抵抗ではなくあの微笑みを見せるのではないか。

 最近、テレジアがドクターと二人で何か話し込んでいたというのは、他のオペレーターからも聞いたことがあるし、実際おれも二人が連れ立って歩いているところは見たことがある。その時はただ、今後の方針などを話し合っているのではないかと思ったが、それならばなぜ三人ではないのか。

 今回のことは、ケルシー先生がバベルの運営上どうしてもロドス・アイランドから離れなければならない、その日を狙って起こっている。彼女はその理由を自らを戦力として捉えて考えていたが、それ以外の何かがあったならば。テレジアとドクター、二人の間で、本当は一体何が話し合われていたのだろうか?

 

 ……流石に、これ以上のことを推測するには材料が足りないし、第一これは希望的観測のような気もする。

 おれが初めて三人そろったバベルのトップたちを目にしたその日。怪物と呼ばれる彼らが、なるほど怪物であると納得し、また同時に人間でもあるのだと知ったあの日。

 無表情に苦言を呈しながらも、どこか喜色を秘めたケルシー先生。困り顔だけれども、どこか楽し気なテレジア。苦笑しながら、その様子を優しく見守るドクター。

 あそこにあったものは、彼らが、バベルが守ろうとしてきたであろうものは、こんな形で壊れてしまっていいものなのだろうか?

 ……おれは、そうは思わない。

 だからこそ、あの時目にした惨劇にはやむにやまれぬ理由があると思うのだ。それが理論に基づく仮説ではなく、ただそうあって欲しいという感情からくる願望であったとしても。

 

 クロージャの工房の扉を眼前にして、おれは自嘲の笑みを浮かべた。

 実は、あの部屋でのことについてはまだいくつか謎が残っている。後者の考えを基にしたとしても、テレジアが刃を受け入れたのならば、なぜドクターが倒れていたのか。なぜアーミヤは議長室にいたのか。なぜ彼女は只目の前のことを見ているだけだったのか。……そして、あのサルカズは何をしに来たのか。

 それらに対する仮説も、いくつか立てることはできる。だが、それらについて考察するのはケルシー先生と話をしてからでも遅くは無いはずだ。

 それよりも、おれはこれからバベルの誇る頭脳に対して、ループという秘密を抱えながら未来のことを話す必要がある。どうやって話すのか、どこまで話すのか。恐らくは難しい選択を強いられることになるだろう。

 言葉の限りを尽くす。おれは一つ気合を入れなおすと、ドアを叩いた。

 

 

 

 

 寝起きのクロージャは、不機嫌という三文字を体現したかのような機嫌の悪さだった。本人がぶつぶつと語ったところによると、3時間ばかり睡眠をとろうとしたのに僅か1時間と少しで叩き起こされたらしい。確かにそれはおれでも不機嫌になるが、今回ばかりは事情が事情なので仕方が無いと諦めてもらうしかない。端的に、ケルシー先生と連絡がしたいということを彼女に伝える。

 返答もまた、不満交じりのものであった。

 

「ケルシー?そりゃあ確かに連絡は取れるけどさ、何もこんな時間に起こさなくても……」

「ドクターの狙いが分かった。そのことで、彼に悟られないでケルシー先生と話がしたい」

「ええ!?……急いで繋ぐから、ちょっと待ってて!」

 

 一瞬驚きと疑念の表情を浮かべた後、おれの表情から冗談ではないと悟ったのか、猛烈なスピードでキーボードを操作し始めるクロージャ。待つことものの数秒にして、目の前のスクリーンにはケルシー先生の姿が映し出された。どうやらと言うべきかやはりと言うべきか、彼女は早起きだったようだ。

 

『W。君がもしくだらない考えを披露するためにわざわざ連絡してきたというのならば、私もそれなりの対応を取らざるを得ない。このチャンネルを使っているという事がどういうことを意味するのかを私は理解しているし、それに関しては君も同様のはずだ。……さて、用件を聞こう』

 

 当たり前のように思考を読み取られていることに関してはもはや何も言うまい。重要なのは、この回線を使って連絡しているのにも関わらず、彼女がそのことに触れて一拍置いたことだ。ケルシー先生とてやはり人間で、無表情ではいても無感情ではない。特に、これからおれが言う事柄がドクターに関わっていることはほとんど間違いないのだ。心を落ち着かせる必要があるのも当然だろう。

 その意図を汲み取ったおれは、慎重に、かつ言葉を選びながら、しかし事実を伝える。

 

「……テレシスの狙いが分かりました。彼の目的はこの戦争を一撃で終わらせること。つまり、斬首作戦です」

『……………………君が言っているのは、テレジアを標的とした軍事行動を……ドクターが手引きしているということか』

「……そこまでは。ただ一つ確実なのは、このロドスが無防備なタイミングでテレシスの手の者がやってくるということです」

 

 ケルシー先生は相変わらずの無表情だ。だけれども、その言葉は、特に二人の名前は絞り出すかのようで、内面の激しい苦悩が垣間見える。

 おれの話が本当ならば、どうやってもドクターは黒だ。聡明な彼女だからこそ、それは即座に導き出すことができる。けれども、心情としてそれを認めたくはないのだろう。

 ドクターに不信は抱いていても、それは信じているからこそのもの。もし本当に裏切られたのだとすれば、その心境には計り知れないものがある。

 その気持ちが、おれは痛いほど理解できた。だからこそ、次の問いかけが何であるかは容易に想像できたし、余計に胸が痛んだ。

 

『……君は、どうやってそのことを知った?その情報が正しいという確証はあるのか?……あらゆる情報は精査されなければならない。正しさに根拠があるものでなければ、それはノイズと同じだ。我々の認識を歪め、正しい行動の遂行を阻害する。情報を重んじる人間は、その正確さを何よりも重んじなければならない理由がそれだ。……これまでの任務で、君もよくよくそれを理解しているはずだろう。であるならば、今回についてもその出所と確度を示して然るべきだ』

 

 ……さて。どう答えようか。適当な理由をでっち上げることは決して不可能では無い。ケルシー先生は多くのことを知っているが、しかしそれでもなんでも知っているという訳では無いからだ。

 例えば、昔の傭兵仲間から聞いたことにすることは出来る。おれが元々どこにいたかは調べられているだろうが、あの傭兵団からはテレシス側に着いた奴も大勢いるし、通信手段についてもウェルズの奴が作ったシステムの存在をおれは知っている。この2つを使えば、軍事委員会にいる旧知の間柄が、テレジアを害するということに反感を覚え、こちらに連絡してきたというカバーストーリーを用意することは簡単だ。

 これならば、同じ傭兵団にいた他のオペレーターに確認を取るという名目でΩと連絡を取ることもできる。

 合理的で、実にもっともらしい理由付け。恐らく、これならばケルシー先生も納得とまではいかなくとも、話を聞く気くらいにはなってくれることだろう。なぜならこれは、彼女にとっても無視できる話ではないのだから。

 

 ……おれは、重い口を開いた。

 

「……ケルシー先生。なぜおれがあなたの事を「先生」と呼んでいるのか、ご存知ですか」

『……他人の心の内を窺い知ることは極めて困難だ。……それが、どれだけ親しい者だとしてもな』

 

 突然の問いかけに対して、淡々と言葉を返してくる彼女。しかし、その最後の言葉からは悲嘆と自嘲とがありありと感じ取れる。

 そうだ。その通りだ。おれだって、あいつの心のうちを知ることは叶わない。何を考えているのか、何を想っているのか。何も分からないのだ。どれほど心が通じ合っているつもりでいても、おれたちは別の人間なのだから。

 

「……そうですね。想いは口にしなければ相手には伝わらない。……当然のことなのに、おれたちが疎かにしてしまっていることだ」

『……』

 

 だからこそ、それをきちんと伝えなければいけない。言葉にしなくてはいけない。人と人を繋ぐのには、何もわかりやすい利害関係などはいらなくて。ただ言葉を交わすだけでも、真心からの言葉を交わすだけでも、きっと本当は十分なはずなのだ。

 

「……おれは、あなたの事を尊敬しているんです。医師としてこの大地に立っている、あなたの事を」

『……それが私の職業なだけだ。特段尊ばれるようなものでは無い』

「初めてロドスにやってきた時、おれはあなたの患者でした。だからわかるんです。あなたは、どこまでも真摯に人を救おうとしている人なんだって」

 

 どれほど無愛想だとしても。どれほど冷徹に見えたとしても。医師として患者と相対する彼女は真剣そのもので。

 だからこそおれは、この人を敬意と、そして信頼とを以てこう呼ぶのだ。

 

「ケルシー先生。この悲劇と死に満ちたテラの大地で、それでも壊すのではなく治すことを、奪うのではなく与えることを選んだあなたのことを、おれは尊敬していますし、信頼しています」

 

 彼女に、おれのいう事を信じて欲しいのならば。きっとそこに、嘘偽りがあってはならないのだ。

 欺瞞と裏切りだらけの真っ暗闇の中だからこそ、正しさというのは眩いばかりに輝きを見せる。

 そのために、まずはおれが示さなければならないのだ。赤の他人を信じるという、信頼するという姿勢を。

 

 長い沈黙があった。ケルシー先生の頭の中では、きっと様々な思考が渦を巻いているのだろう。

 バベルの怪物は、決して安易に人の言う事を信じるような存在ではない。

 バベルの人間は、決して人の心の暖かい部分のことを諦めるような存在ではない。

 相克する性質のせめぎ合い。その果てに、彼女はやがて口を開いた。

 

『……信頼、か。……私は君のことを信頼することはできない。なぜなら、君には不審な点が多いからだ』

「……」

『Ωというのは君が付けた名前だそうだが、なぜ君はミノス文字を知っている?それが書かれている書籍はカズデルにそう多く存在してはいない。少なくとも、ただの傭兵が見ることのできるものではないはずだ』

「……ただ、知っていただけですよ」

『……君が作ったという料理には、このカズデルから遠く離れた地のものも含まれている。どこでその存在を知った?どうして作り方が分かった?』

「……いつだったか、食べたような気がするんです」

 

 ……なるほど、ケルシー先生の疑念も尤もだ。

 おれには、覚えていないことが多すぎる。それこそ、あいつと出会う前の出来事などは実におぼろげなものだ。

 記憶は無いのに、知識はある。彼女から指摘された事柄は、まさにそのようなものだった。

 

 だから、おれは曖昧な答えに終始するほかない。知っていた、そんな気がする、本当の事なのに、怪しさは増していく一方だ。

 そんな問答を経て、次にケルシー先生が投げかけてきたのは、些か毛色が違う質問だった。

 

『……地平線の向こうまでどこまでも進んで行ったとき、我々は一体どこへたどり着く?』

「……それは比喩ですか?それとも現実世界の出来事としてですか?」

 

 その突拍子のなさに、おれは思わず聞き返してしまう。しかしながら、彼女にとってこの質問は重要な意味を持つものの様で、いつになく重苦しい調子で返答がやってくる。

 

『…………後者だとしたら?』

「……一周して元居た場所に戻ってくる。……ケルシー先生、この質問に何の意味があるんですか?」

『………………君は…………いや、やめておこう。もし君の言が本当だというのならば、事態は切迫している。このような問答をしている場合ではないのだからな』

「……?」

 

 一瞬、思考が停止する。まるで話の連続性がそこで断ち切られたかのように、うまく前後が繋がらない。

 つい先ほどまでの流れから言って、おれの言葉になど、情報としての価値は存在しないと言われておかしくない状況だった。であるのに、この言い方ではまるで……

 

『……何をしている。恐らく君は、先程言ったことよりも多くのことを知っているはずだ。この際、出所は問わない。テレジア、そして彼女が築き上げたものが失われることを防げるのであればな』

「……つまり、おれのことを信じてもらえる、と?」

『言ったはずだ。私は君のことを決して信頼する気は無いが、信用しようと努力することならできる。……このテラにおいて、人を信頼するということは難しい。皆、心の内に疑念と敵意を抱いている。それは生きていくための方策であると同時に、生きていくことを困難にするものだ。もし、君もまた、この敵意の大地に種を撒こうというのならば……それに水をやることが、私の責務だ』

 

 ……おれの言葉は、通じた。

 言葉を尽くす。それは、噓と偽りを駆使して上辺を飾り立てることではなく、心の奥底から、自らの想いを取り出して伝えること。

 言葉の限りを尽くして、おれはケルシー先生に信じてもらうということを成し遂げた。

 

 

 

 

『……つまり、敵の戦力はそれほどでもない、君はそう言いたいのだな』

「ええ。この作戦に動員されているのは二線級部隊とベテラン傭兵からなる精鋭部隊。しかし、後者についても名の知れた傭兵はいません。エリートオペレーターなら独力で対応可能かと」

 

 先ほどケルシー先生から促されたように、おれは出所を言わないまま、どこからか得た情報という体でロドス襲撃について話していった。

 部隊を派遣してテレジアを確保するという計画の目的から、ハッキングからの下層よりの侵入という具体的な計画まで色々とだ。

 実際、その話を聞いたクロージャがシステムを確認したところ、つい最近に不審なデータ転送の痕跡があったらしい。そのような実際の証拠も挙がってきたことだ、初めは眉唾物といった表情であったクロージャでさえ、どこで得たかはさておき、確度についてはかなりのものがあると認め始めてきたようだった。

 

 さて、今おれが何を話していたのかというと、一体どれほどの敵がやってくるのかということだ。実際に戦ってみた感覚としては、やれないことはないというところだろうか。

 02のおかげで最上階へとたどり着けたわけだが、それからの連戦でも敵については倒し切ることができている。最後に出てきたサルカズについても、打ち合えていたことを考えればどうしようもない強敵ではない。敵の本拠地へ乗り込んできた部隊としては力不足ではないかというのが正直なところだ。

 

『……それならば、Scoutを呼び戻そう。クロージャ、Scout小隊と通信を繋いでくれ』

「…………ドクターには……」

『……悟られないようにだ。データの件、そして敵の戦力。ドクターが関与していないとは考えられない』

「……分かった。ちょっと待ってて」

 

 その点についてはケルシー先生も引っ掛かりを覚えたようだ。確かに、ドクターがこの戦力不足の状況を作り出した以上、敵の戦力がこの程度なのは彼からの情報によって無防備なロドスに適正戦力を送っただけにも思える。

 ……その場合、恐らく彼女ならばもう一つの疑念も覚えるはずだ。すなわち、あのテレジアを相手にして、そのような戦力で確保などできるのかと。

 ドクター。この一件についてのカギの一つは、間違いなく彼が握っている。それはどうしようもなく無慈悲で残酷で、けれども疑いようのない現実だ。

 彼の名前を口にするたび、ケルシー先生の声が僅かに震える。あの、無表情で平坦な彼女の声が。

 ……それの意味するところが何なのかなんて、分からないはずがない。特に、自分の気持ちをはっきりと認識した今となっては。

 

 大切な人のことを疑わなければ、いや、最早敵に与するものとして考えなければならない。その苦しさは、一体どれほどのものなのか。少し自分に置き換えて考えてみるだけで、心が引き裂かれそうになるほどのものであるというのに。

 通信が繋がり、Scoutといつものような無表情で会話を交わすケルシー先生。そんな彼女の様子を見つめながら思う。今日ばかりはどこか無理をしている、そんな風に見えてしまうのは気のせいではないだろう。そんなことを考えているのはクロージャも同じようで、二人で顔を見合わせる。

 こんな状況で、おれはさらに彼女を苦しめるような情報を隠し持っているのだと思うと、気分は果てしなく重かった。

 

 

 

 その後、各所へのいくつかの連絡を経て、斬首作戦への対抗策が策定されていった。

 ロドス艦内で防衛に当たるのはおれとScout。Scoutはアーツによって身を隠すことが出来るため、出戻り組では唯一こちらへ戻ってくることになった。

 それに加えてAce、Destructor、Burrowの比較的近くで活動していた三人のエリートオペレーターが本艦付近で待機、侵入を試みる敵の排除を行うこととなっている。

 これによって、敵の侵入という点についてはほとんど解決できたと言っても良いだろう。

 そうなってくれば、残る問題はただ一つ。

 

「……クロージャ。ちょっと席を外してもらってもいいか?」

「……ここまで来て、あたしが聞いちゃいけない話って何?」

「……ケルシー先生にしか話せない話だ」

「……はあ。わかったよ。あたしは外で待ってるから、終わったらまた呼んで。……ほら、君も行くよ!」

『クロージャお嬢様!……オーナー、わたくしも外で待機していますので、もし何かありましたらお呼びください』

「ああ。ありがとう、02」

 

 足音と車輪の音とが混じりあいながら、工房の主と従者が部屋から立ち去っていく。残されたのはおれとスクリーンに映ったケルシー先生の二人だけだ。

 これからする話はクロージャには聞かせられないもの。恐らく何かしらに感づいているであろうケルシー先生にしか話すことが出来ないものだ。

 なぜなら、これはドクターとテレジアにまつわる話なのだから。

 

『……サルカズの間に古くから言い伝えられているものとして、預言というものがある。源石に刻まれたアーツの残滓、あらゆるサルカズの記憶が結びつき、純粋なカズデルのサルカズによって伝えられる言葉だ。オリジニウムアーツの生理性残留物でしかないそれを、君たちは尊んできた。……私はそのようなものを信じるつもりはない。しかし、その預言は人々の行動を縛り、規定し、預言を実現させようとする力を秘めていることは確かだ。故に、私はそれらを無視することはできない。……由来の知れぬ知識。仮説に対する確信。君のそれは、預言というよりは啓示とでも言う方が正しいのかもしれない。先ほどからの話には、巧妙に隠されていたもののどこか拭えないものがあった。それは臨場感だ。君はまるで、それらのことについて見てきたかのように物を語っていた。……もう一度言うが、預言などというものを私は信じない。それによって運命とやらが形作られるというのならば、それに抗うのが人間だからだ。……その上で敢えて聞こう。W。君は一体、何を()()?』

「……惨劇を」

「何?」

「……物言わぬ屍と化したテレジア。鮮血をまき散らして倒れるドクター。虚ろに二人を見つめるアーミヤ。……ケルシー先生。その惨劇が、おれの見たものです」

「…………っ!」

 

 彼女の鉄仮面が、ぐしゃりと音を立てて歪む。

 

『……いや………………そんな…………』

 

 泣いているような、笑っているような。必死に否定の言葉を紡ごうとする様子は、どこか滑稽で、どうしようもなく無惨で。おれはそっと、目を伏せた。

 

『……ドクター…………テレジア………………魔王……アーミヤ…………まさか…………』

 

 うわ言、とでも言うのだろうか。思考が表層に漏れ出てしまったかのような、断片的なワードが聞こえてくる。

 きっと、おれの話から生じた疑問に対して、ケルシー先生は頭の中でいくつもの仮説を立てていたはずだ。それらの情報不足によってそれ以上先には進まなかった推測が、啓示という形で理解したおれの見てきた未来についてのデータをインプットされたことでみるみるうちに収斂し、組み立てられ、そうして結論を導き出す。

 彼女は優秀で、頭脳明晰で、理路整然としていて。だからこそ、おれの言ったことがでたらめな預言などではなく、実際に起こる未来なのだと分かる。分かってしまう。

 

『……私は…………ドクター……君は……君は………………!』

 

 壮絶な、絞り出すような声がして、おれはふと顔を挙げる。

 目の前あったのは、顔を伏せて震えるケルシー先生の姿だった。

 ……恐らくは、これが通信中だという事すら忘れてしまうほどの、感情の奔流。ぐちゃぐちゃな、愛憎入り混じった心の悲痛な叫び声。

 あんまりにもあんまりな光景に、おれは声の一つも出すことができない。

 きっと、これを慰めることが出来る人は世界にただ一人しかいないはずなのに、その人が憎まなければならないであろう一人だなんて。

 

 ……これが、彼女の言っていた運命とやらなのか?こんなに惨いものが、甘んじて受け入れなければいけないものなのか?

 

 ……そんなはずはない。おれたちはそれに抗えるはずだ。この、おれが見てきたものだって必ず変えることが出来る。これまでだって、何度も何度も変えてきた。おれたちは、あいつが死ぬという運命を覆して、ここまでやってきたんだ。

 

「ケルシー先生!あんたがさっき言ったはずだろう!?……運命に抗うのが人間じゃないのか!?」

『…………っ』

「今のあんたはまるで、預言に踊らされるサルカズじゃないか!……違うだろう!?ただの生理性残留物って言ったのは、どこのどいつだ!?」

 

 普段の彼女であれば、能面のような表情で圧をかけてくるような、そうしてそのまま説教されそうな暴言を口にする。……それでも、依然彼女の顔は伏せられたままだ。そのまま、いつに無く弱弱しい声で、おれの言葉を否定する。

 

『……いいや。……君の見たものは恐らく正しい。……不可解ではあったんだ。なぜ、テレジアを相手にまともな戦力を寄こさないのか』

「っ!」

 

 それは、こんな状態であっても、彼女の頭脳は十二分に働いているという確かな証左だった。

 

『……啓示。君が見たのは、これからほんの数時間後に起こる出来事のことだ。そこに、預言のような曖昧さはない。どうとでも解釈できる抽象的な文句ではなく、写実的な光景だからだ。……事実、私の知りえる事柄から、予想できる範疇の出来事であったことからも、それは裏付けできる。……W。できてしまうんだ』

 

 ……つまりは、納得してしまったと。そういうことか。

 ……いいや、そんな訳がない。彼女だってたった今口にしたじゃないか。できて()()()、と。それのどこが納得しているのか。本当は、心の奥底では、そうじゃないと思っているのにも関わらず、理屈やら何やらを捏ね繰り回して納得した気になっているだけじゃないか。

 

「……変えればいい」

『……何を……言っている?』

「……テレジアが死ぬ?ドクターに殺される?そんなクソみたいな未来、変えればいいだろ!」

『……それは他でもない、君が言ったことだろう……!見た光景を覆すことが……』

「あんたは!」

『っ』

「……あんたは、変えたいとは思わないのか?……できるかできないかなんて、そんな下らない話は後からいくらでも考えればいい。まず、何よりも大事なのはどうしたいかということ。そうなんじゃないですか。…………ケルシー先生。あなたの口から聞かせてください。あなたはどうしたいんですか?未来に、どうあって欲しいんですか?」

『……………………』

 

 沈黙。長い長い、沈黙があった。

 おれには、彼女の葛藤が分かるような気がした。

 想いのままに動くには、その双肩にのしかかるものがあまりにも重すぎる。バベルという組織のトップの一人としてのケルシー先生と、ただのケルシー先生。頭と心、最後にどちらを信じればいいのか苦しんでいるのだろう。

 それはどちらを選んでも正解であるし、間違いであるとも言える問いだ。

 ……どちらを選んだ方が、後悔しないで済むか。結局のところ、これはそういう話なのだろう。

 

 沈黙の果てで、ケルシー先生が重い口を開く。

 

『……私は…………テレジアを救いたい。……例え、ドクターが…………ドクターが……』

「……まだドクターは何もしちゃいないはずです。止めましょう。それで、思いっきりぶん殴ってやりましょう。人間、生きてさえいればどうにでもなるんですから」

『…………生きてさえいればどうにでもなる、か。…………そうだな。私もよく、知っているさ』

 

 ようやく、彼女が顔を上げる。その顔は相変わらず酷い有様だが、その表情は様変わりしていた。

 いつもの無表情ではない。口角は僅かに上がり、瞳の奥には炎が燃え盛っている。

 彼女は、静かに笑っていた。

 ……どうやら、ようやく復活したようだ。

 

『W。ドクターのことは私が請け負う。君の言うように、彼のことを一発殴らないでは気が済まないのでな』

「……そっちのことは良いんですか?」

『構わない。カズデルでの活動はだいぶ難しくなるだろうが、それだけの話だ。テレジアがいる限り、バベルが崩れることはない。……事が起こるのは、一体いつ頃だ?』

「……ドクターからの出血は続いていたように見えました」

『……襲撃とほとんど同時刻か……W、クロージャを呼んでくれ』

 

 立ち直ってからは随分と早いのが彼女らしさか。

 ともかく、クロージャを呼ぶということは、この話は終わりという事なのだろう。

 ……今回、ケルシー先生はおれの身に起こっていることをループではなく預言の一種として理解したようであるが、それでもその情報は危険だ。もし誰かに伝われば、単なる賞金目当てではない別の連中を相手にしなければいけなくなる可能性が極めて高い。……往々にして、後者の方が厄介なのにも関わらず。

 別に彼女のことを信じていないわけではないが、釘を刺しておく必要はあるだろう。

 

「……ケルシー先生」

『分かっている。私はここでした話のことを覚えていないし、思い出すつもりもない。君はただの戦闘オペレーターだ。それ以上でもなく、それ以下でもなくな』

「ありがとうございます。……02、クロージャを呼んでくれ」

『畏まりました。……クロージャお嬢様!オーナーがお呼びでございます』

『……あー、わかった!すぐ行くよ!』

 

 端末越しに何やらドタバタと音が聞こえるが、彼女は一体何をしていたのだろうか?後で02に教えてもらって、場合によってはケルシー先生にメスを入れてもらうとしよう。

 

「お待たせ!それでW、話は……って、ケルシー!?」

 

 すぐに扉を開けてやってきたクロージャ。入ってくるや否や話しかけてきたかと思えば、モニターを見て突然叫び出す。

 その反応に対して、ケルシー先生は実に面倒そうに受け応えた。

 

『……なんだ』

「気のせいかな?なんか目が赤いような」

『クロージャ』

「いやあ、ケルシーはいつも通り相変わらずだなー」

 

 精神状態は直ぐに回復しても、生理現象が直ちに収まるわけではない。そんなわけで、彼女の白い顔には、未だに赤みがかかっている場所がいくつかあるのだが、それをおちょくろうとしたクロージャは力づくで捻りつぶされた。別に悪気があってと言うよりは、彼女なりに元気づけようしただけのようにも思うが、まあクロージャだし良いだろう。

 ともあれ、先ほどまでの重苦しい雰囲気とは違った会話を経て、ケルシー先生が一つ咳ばらいを入れてから話し始める。

 

『確か君は、この間飛行装置の試作品が出来上がったと言っていたな。追加予算については却下したが、物自体はあるのか?』

「え、急にどうしたの?そりゃ、物がなければ出来上がったとは言わないけどさ」

『そうか、それは良かった。……クロージャ。今から私を迎えに来てくれ。君が語っていたカタログスペックが本当であるならば、時間には間に合うはずだ』

「…………ええ!?そんな無茶なこと」

『やれるのかやれないのか、どちらだ?我々に残された時間は有限だ。その使い方を誤れば、それがどのような結果をもたらすかは』

「あーもう!分かったって!すぐに飛行システムを組むから!……ほら、君も手伝って!」

『承知いたしました』

 

 ……いったい、クロージャはどれだけのものを作ってきたのだろうか?突然出てきた飛行装置とやらが果たしてどんなものなのかは分からないが、試作品だのシステムを今から組むだの、危なっかしい匂いしかしないのだが……

 そうしてまだ見ぬ装置を想いを馳せていると、ケルシー先生がこちらに声をかけてくる。おれは背筋を伸ばすと、その内容に耳を傾けた。

 

『……さて、W。先にも言ったが、君には艦内の防衛を担当してもらいたい。何としても、テレジアのことを守るんだ』

 

 ……テレジアのことを守る、か。つまりは、出来る限りテレジアから目を離さないようにしろという事だろう。おれも、実際の所いつあの一件が起こったのかは分からない。用心しておくに越したことはないはずだ。

 

「……任せてください、ケルシー先生。……それと、最後に。あいつと、連絡を取ってもいいですか?」

『…………良いだろう。私の権限で通信の許可を出す。隠蔽には気を使ってくれ』

「ありがとうございます。隠蔽は02に頼みますよ」

『それでいい。では、君は君の役割を全うしてくれ。私もすぐにそちらに向かう』

「ええ。お待ちしてます」

 

 それを最後に、ケルシー先生との通信は終了した。

 コンソールには、きちんとΩがいる拠点との通信許可が表示されている。これを得られるかどうかが今回の会話の最大の目的でもあったわけだが、それはどうにか無事に達成できたようだ。

 これには、彼女の言うところの啓示が大いに役に立ってくれたと言えるだろう。……それに、ドクターのことがあって、ケルシー先生にも思うところがあったのかもしれない。

 

 ……何はともあれ、これでようやくあいつの声を聞くことが出来る。おれは02に一言かけてセキュリティ面を万全にしてもらうと、クロージャ達が奥のスペースに籠っていることを確認して、通信開始のボタンを押した。

 

 

 

 

 

『こんなに朝早くから何の用よ』

 

 ……ケルシー先生から権限を借りているからか、少しとげとげしい口調の声が聞こえてくる。映像はないため顔は見えないが、その声だけで、おれにはあの不機嫌そうなあいつの顔を思い浮かべることができた。

 最後に声を聞いてからまだ一日と経っていないのに、随分と久しぶりのような気がしてしまう。それだけ、おれが飢えていたという事なのだろうか。

 万感の思いを込めて、おれはゆっくりと彼女の名前を呼んだ。

 

「…………よう、Ω」

『……なんだ、あんただったのね。あの女から何言われるのかと思って身構えちゃったじゃない』

「悪い。おれの権限じゃ長距離通信は出来ないから、ケルシー先生にお願いしたんだ」

『へえ……それで、そうまでしてあんたが連絡を取ってきたってことは、会えなくて寂しい、なんて話じゃないみたいね』

「そうだな。……まあ、それも事実ではあるんだけど」

『……何よ、いきなり』

「いや、やっぱりお前の声を聞けると安心できるなって。そう思ったんだ」

 

 想いは口にしなければ伝わらない。おれが、ケルシー先生に言った言葉だ。我ながら、なかなか難しいことを言ったと思う。心の中で想っていることを言うのは、気恥ずかしくて、相手にどう思われるのか怖くて、どうしても口が重くなることだから。

 けれども、なぜだろうか。時折、こうして素直に言葉が出てくる時がある。

 ……きっと、それは心がいっぱいになっているときなのだろう。あいつのことを、愛おしいと思う。その気持ちが、胸の内でとどまらずに溢れてきてしまうのだ。

 

『…………もう、早く本題を言いなさいよ』

「……ああ。…………恐らくは今日の15時ごろ。お前のところに、襲撃があるという情報を得た」

 

 それを聞いて、Ωの口調が切り替わる。ループという事実を、つまりは自分が一度死んだという事実を認識して。

 

『……敵は?』

「分からない。おれもそれについては知ることが出来なかった」

『……分かったわ。それで、あんたはどうするの?』

「……本当だったら直ぐにでも駆け付けたい。けど、こちらにもテレジアを狙う輩がやってくる」

『それじゃ、あんたが来るまでどうにか生き延びればいいってことね』

 

 努めて明るく振舞ってみせる彼女。何も分からないという事は、おれが何もできないままで一度事が起こってしまったというのにも関わらず、そうしてみせる強さは、一体どこからやってくるのだろうか。

 

「……頼む、用心だけはしてくれ」

『大丈夫よ。あたしの隠蔽技術は知ってるでしょ?……それに、あんたもいるんだから』

 

 …………そうだ。彼女はずっと、言っていたじゃないか。信じていると。

 一人では押しつぶされそうになるほどの重さでも、二人ならば支え切れる。おれだって、一人では挫けそうに、絶望しそうになるループでも、あいつがいたから乗り越えられてきたんだ。

 

 信じること。それが強さになる。

 助けてもらえると信じること。助けられると信じること。

 ……幸せな、未来のことを信じること。

 

「……そうだな。おれが必ず、お前のことを助けてみせる。それで、幸せな未来へと連れて行ってみせる」

『……えっ?』

 

 ……秘めてきた想い。ずっと言いたくて、けれども怖くて言えないでいたこの気持ち。

 ……おれの知らないところであいつが死んで、何も分からないままループして。それで分かった。

 おれはやっぱり、あいつがいなきゃダメなんだって。心の底から、そう思ったんだ。

 今なら言える。今だから言える。

 おれは──

 

「──おれは、お前が好きだから。お前のことを、幸せにしたいんだ」

『────』

 

 

 

「えええええええええ!?あ、愛の告白!?うわあ、初めて見た……」

『オーナー、おめでとうございます。ようやく、ご自身の心に正直になることが出来たのですね……』

 

「……え?」

 

 突如として後ろから聞こえてきた声に、おれは恐る恐る振り返る。

 そこにいたのは、顔を真っ赤にしたクロージャと、あちこちから蒸気を噴き出す02の二人だった。

 ……そうだ。あいつのことで頭がいっぱいですっかり忘れていたが、ここにいるのはおれ一人じゃなかった。

 ……つまりは?

 

「あ、ちなみに言うと「…………よう、Ω」って所から聞いてたよ!」

『申し訳ございません。お止めしたのですが、力及ばず……』

 

「…………」

『…………』

 

 ブチッ、という音とともに、通信が終了される。あまりの出来事の多さに脳がオーバーヒートしてしまったのだろう、一人になりたかったのかもしれない。

 かく言うおれも、今更になって色々な情緒が追い付いてきた。

 

 顔がみるみる真っ赤になっていくのを感じる。

 ……うわあああああ!

 ……うわああああああああああ!

 なんだ、つまりおれは職場の回線を使って告白をして、それが公開されていて、おまけに返事も聞けないまま切られたってことか!?

 

「いやー、お熱いねえ。ケルシーはこういうところを全然見せてくれないからさ、初めて見たよ」

『クロージャお嬢様。趣味が悪いですよ』

「うるさいなあ。君だって興味津々だったじゃん!」

『……』

 

 外野がやいのやいのと色々言っているが、全く耳に入ってこない。

 おれが自分のしでかしてしまったことに整理をつけ(ヤケクソとも言う)、立ち直るのにはそれからしばらく時間を要したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




音声記録No.10222794

「ドクター。君はまたこんな時間まで業務を行っていたのか。睡眠時間の不足は健康障害に直結する。やらなければならないことが多いのは分かるが、君一人がすべてを背負い込むことを私は是としない。重要度に合わせて、適切な人材に業務を分配する努力をするべきだ。現状で君がもし倒れれば、バベルの運営にどれほど広範な影響を与えるか、分からない君ではないだろう」
「……済まない。ただ、これに関してはすぐに行わなければならないものなんだ。出来るだけ早く終わらせなければ、オペレーター達の活動に支障が出てしまう」
「……はあ。そんなことだろうとは予測していた。なら、これでも飲むといい」
「……コーヒー?ケルシーが淹れてくれたのか?」
「君も良く知っての通り、コーヒーに含まれるカフェインには睡眠物質の作用を阻害し、覚醒作用を及ぼすという働きがある。本来ならば、この時間帯にこのようなものを摂取するのは推奨できない行為だが、今回についてはこれが適切だろう。意識が散漫とした状態で業務に取り組むよりも、明確な意識の下で集中的に取り組んだ方が効率的だからな。これは、それらを踏まえた上で私が適切に調製したものだ」
「…………ありがとう、ケルシー。私の好きな味だ」
「……それと、私にもいくらか書類を回してくれ。君でなければいけないものを除けば、私でも処理できるはずだ」
「……だが…………」
「言ったはずだ。君一人に負担を強いるのは好ましいことでは無いと」
「……重ね重ね、済まない。ケルシー、このお礼──」
「──礼はこれで十分だ」
「……ケルシー、君は実のところかなり積極的なのだな」
「……うるさいぞ、ドクター」

system:消去プロセス作動中
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。