さて、おれがケルシー先生から与えられた任務は、テレジアの護衛だ。彼女の采配によって外部犯によるテレジア殺害の可能性はかなり低くなったはずだが、第一容疑者であるドクターは依然野放しの状態である。
となれば、この任務は実質的にドクターの監視と言っても間違いはないだろう。前回に関しては、彼が怪しいとは言っても直接行動を起こすタイプではないと踏んでいたために見つからないことを優先していたが、今度はこちらから先手を打って動く必要がある。
詳細は未だに分からないが、二人を接触させるのが危険だということは分かっているのだ。最悪の場合、おれの存在が露呈しても防ぐべきだろう。あの神算鬼謀のドクターとは言え、直前まで認識していなかった存在を瞬時に排除する手段はそう持ち合わせてはいないはずだ。先んじて一発拳をぶち込み、後でケルシー先生にボコボコにしてもらえば良いだろう。
そんな訳で大方針は決まった。まずするべきは、ドクターとテレジアの所在を把握することだ。現在の居場所が確定したら、そこから常に二人がどこにいるのかを監視・追跡し、ケルシー先生の到着を待つ。もし動きが出るまでに彼女がやってくればそのまま殴りこめばいいし、動きがある場合はそれを阻止して到着を待つ。
鍵となるのは監視といざという時の移動手段、そして時間だろう。このうち二つについては02が、もう一つに関してはクロージャがうまくやってくれることを祈る他ない。つまり、直接的におれに出来ることは何かがあった時に対応するという事だけだ。
と言う訳で、一番望ましいのはおれの出番がないことである。任務というには少々あれな所はあるが、最後の砦を務めるのだ、一瞬たりとも気を抜くことは許されないだろう。
そこまで考えて、ふと気づく。
……なぜおれは、一番簡単な方法を取ろうとしていないのだろうか?
冷静に、普通に考えて、テレジアを護衛しろと言われたのならば付きっきりになるのが普通のはずだ。人と物とで違うが、ロドス・アイランド護衛作戦の時は車輌に付きっきりで敵の攻撃から守っていた。今回だって、彼女に付き添っていれば、ドクターが自分で何をしようとしても防げるはずだ。例えテレジアがどれほど彼に心を許していたとしても、おれは違うのだから。
……彼らが二人で話していたということが、無意識のうちに引っ掛かっているのだろうか。
ケルシー先生の様子を見ていた限り、彼女はドクターならばテレジアを殺害することもあり得ると考えていたようだった。おれよりも彼のことを良く知っている彼女がそう考えるのならば、きっとそちらの方が正しいのだろう。この場合、テレジアはただの被害者で、ドクターはただの加害者だ。護衛するというのならばすぐに彼女の下へ行けばいい。
……だが、もしそうでは無かったら?
ケルシー先生と話す前におれが立てた説の一つに、テレジアがドクターに殺されることを受け入れたというものがあった。証拠がない以上、単なる妄想に過ぎないものだが、それとこの無意識の引っ掛かりを組み合わせれば、二人が予めそのことを了承していたという仮説が浮かび上がるのではないだろうか。この場合、テレジアの立ち位置はただの被害者から共犯者へと変わる。
そうなれば、テレジアに会う事や連絡をすることはそのままドクターに伝わることとなり、最悪の場合サルカズの王直々に排除にかかってくるかもしれない。彼女がそんなことをするとは到底思えないが、可能性としては確かにそれが存在してしまうのだ。
……いや、理論的に考えれば、二人で打ち合わせているのにアーミヤをわざわざ呼ぶわけは無いか。
二人とも、相当彼女のことを可愛がっていたように思う。小さな女の子に惨劇を見せればどうなるのかは、前回おれが見てきたとおりだ。それを分からない二人ではあるまい。
状況から考えて、テレジアがアーミヤと話か何かしていたところで、ドクターがやってきてああなったと考えるのが自然であろう。
そうなると、必然的にこの一件はドクターの単独犯になる、か……
……ケルシー先生ではないが、これではまるで啓示だな。
どうにも、今回に関してはなぜか下手にテレジアと関わらない方が良い気がするのだ。
考えてみれば、おれはそもそも彼女に何故かしら警戒を抱いていた。物腰や発言、何から何まで好意的な要素しかなかったのにも関わらずだ。会う時にしたってほとんどあいつが一緒の時だったし、でなければケルシー先生やら他のオペレーターやらと一緒の時だった。
何の根拠もない、ただの勘ではあるが、傭兵というのはその勘で生きてきた生き物だ。これを信じられない奴は往々にして早死にしている。今回も、こいつには従っておいた方がいいのだろう。
テレジアのことを疑う理由は無いが、念のために下手な接触は避ける。結局、最初に立てたのと同じ作戦と言う訳だ。考えるのはこれくらいにしておいて、早速行動に出ようとしよう。
「おーい、クロージャ。ちょっと頼みたいことがあるんだが」
「おれは、お前が好きだから。お前のことを、幸せにしたいんだ。っていいセリフだよね」
「…………はあ」
「ちょっ、冗談だって!あ、でもあたしはホントにロマンチックでいい言葉だと思うよ。いやあ、一度くらいは言われてみたいよね」
差し当たっての行動のために彼女に聞きたいことがあったのだが、いきなりこのざまだ。誰かに聞かれるにしても、このブラッドブルードに聞かれたのは一生の不覚かもしれない。一応立ち直ったとは言え、これからしばらくはこうしてネタにされ続けるのかと思うと気が滅入る。いっそのこと、もっと開き直って堂々としていればいいのかもしれないが、まあそんなことは後でいいのだ。
「……本題に入るぞ。ドクターがどこにいるか、監視カメラを使って調べたい。飛行システムのことがあるから悪いんだが、02を少しだけ借りてもいいか?」
「あ、飛行システムならもう組み終わったよ。今は実際に機体に実装してるところだね。……どう?クロージャさんは凄腕だってことが分かったかな?」
「すごいな、それで早くケルシー先生を迎えに行ってくれ」
「……もしかしてまだ根に持ってる?」
「いや、割と切実な願いだ」
クロージャが凄腕だというのは02の出来から見ても今更なのでこのような淡白めの反応になってしまったが、実際これは朗報だ。飛行装置が果たしてどれくらい速いのかは分からないが、もっと時間がかかると思っていただけにこれはありがたい。ケルシー先生に早く来てもらえれば、その分ロドスでの件も早く片付いてあいつの所に向かえるのだから。
「……まあ、そういうわけだからこの子は君に貸してあげるよ」
『何なりとお申し付けください、オーナー』
いつの間にかクロージャの傍らに来ていた02が車輪を鳴らしながら申し出てくる。前回も彼女に色々と助けてもらっていたが、今回もそうなりそうだ。もっとも、もう二度とあんな命令をする気はないが。
「頼りにしてるぞ、02」
『お任せください』
「これからあたしはどうにかして機体をドクターに気付かれないように発進させなきゃならないから手伝えないけど、この子がいれば監視については大丈夫だと思うよ」
「発進って……それ、大丈夫なのか?」
「平気平気!あたしにかかれば楽なミッションだよ!」
飛行システムが組み終わったというのならばクロージャはどうするのかと思ったが、何やらまだやらなければならないことがあるらしい。ドクターに気付かれずに空飛ぶ何かをロドスから発進させるというのは結構な難易度のような気がするのだが、どうやら彼女は自信があるようだ。パッと思いつく限りでもスプリンクラーを暴発させて艦内を水浸しにするだとか、空調の温度を弄って艦内で熱中症を多発させるだとか、まともなことをしそうには思えないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
「……」
「なんだよその目はー!あたしだってやろうと思えばこっそり出来るって!」
「……まあ、期待してるぞ」
クロージャは納得していないようだが、これまでの所業を踏まえたら残念ながら当然だと言えよう。まあ、おれとしてはどんな手段を使おうとも、無事にケルシー先生を連れてきてくれさえすればいいのだ。そんな思いとともに期待していると声を掛けると、彼女に背を向けて02に話しかけようとする。すると背中から、付け加えるようにこんな言葉が飛んできた。
「あ、そういえば監視カメラだけど、流石にパブリックスペースのものしかないから、ドクターが自室にいる場合は映らないと思うよ」
「……議長室とかはどうだ?」
「ああ……そっちはカメラ自体はあるけど、あたしにはどうにもできないかな。ケルシーなら見れると思うけど、ドクターに気付かれると思うし」
「ん?さっきの通信みたいに痕跡を消すってことは出来ないのか?」
どこか彼女らしくない言葉だ。まさか、あのクロージャからどうにもできないなどという言葉を聞くことになるとは思わなかった。第一、このロドス・アイランドのシステムエンジニアは彼女のはずだ。艦内のシステムで太刀打ちできないことなど、ケルシー先生に怒られるのを恐れなければ何も無いはずではないのだろうか。
「……セキュリティのレベルが違うからね。あたしも前に、なんか面白いもの見れないかと思ってドクターの執務室のカメラにハッキングを仕掛けてみたけど……あー!今でもムカつく!なんだよー、あの防衛システム!」
「…………」
「……はあ。まあ、そんなわけで監視をするなら重要な通路を見とくのがおススメだよ。あたしもケルシー避けによくそうしてるし。それじゃ、あとは頑張って!」
言いたいだけ言うと、クロージャは工房から足早に出ていった。
……しかし、やはりドクターやテレジア周りのセキュリティは特に強固だという事だな。彼女の助言が無ければ、どうにかそこにアクセスしようとして悟られてしまっていたかもしれない。そこについては、過去のクロージャの偉大なる挑戦に敬意を表すべきだろう。
ただ、ドクターの執務室を覗き見たところで何か面白いことでもあるのだろうか?現状、彼のイメージからして悪辣な作戦を立てて笑みを浮かべるくらいしかなさそうなのだが……まあ、人の趣味嗜好はそれぞれだ。敢えて口出しはすまい。
それより、これでいよいよ任務に取り掛かれるという事のほうがよほど重要であろう。おれは待機していた02に向き直ると、彼女に向かって口を開く。
「それじゃあ02、中枢区画の廊下の映像を出せるか?」
『少々お待ちください…………こちらになります』
柔らかな女性の声とともに、接続されたモニターにいくつもの映像が映し出される。それらの多くは、よく見覚えのある景色だった。
巡行形態の彼女と共に駆け抜けた場所、囮となった02が果てた場所、サルカズ傭兵と殺りあった場所。そんな、これから様々な出来事が起きたであろうこの場所も、今はただの廊下でしかない。
そろそろ時間も皆が起き始める時間という事もあってちらほらと人影は見えるが、テレジアとドクターは見当たらなかった。
おれは視線をある一つの映像に向ける。前回の最終到達地点、惨劇が起こったその場所、議長室の前の通路を映し出した映像。カメラ越しに見たところで、その内側で何が起こっているのかは分からない。おれに出来るのは、部屋の中でまだ何も起こっていないことを祈りつつ、ドクターがここへ入っていくことを防ぐことだ。
そんな決意も新たに、実際問題として彼らがどこにいるのかということを考えなければならない。
可能性としてまず挙げられるのはそれぞれの私室、執務室といったところか。だが、こちらについては部屋の前の廊下を監視すること以外、おれのほうからアクションは起こせない。最もいる蓋然性が高いこの四箇所は、常時モニタリングする必要があるだろう。人間である以上、食事などで部屋を出る可能性もあるし、そうなればそれ以降の所在は追跡することが出来る。
そう言う訳で、次に見てみるのは食堂の映像だ。食堂はパブリックスペースである以上、カメラも存在している。現在の時刻は7時前、食堂の朝食の時間は7時から10時までであるから、時間外に利用することが多い重役の彼らは、今ちょうど食事をしているかもしれない。
「02、食堂の映像と、中枢区画から食堂までの廊下の映像を出してくれ」
『畏まりました…………オーナー、こちらになります』
「…………いない、か」
しかし、残念ながら食堂には誰もいなかった。調理場のほうではシェフたちが料理を作っているだろうが…………しまった、うっかりエシオさんに何も言わないでこっちに来てしまった。
手伝うと言って寝かせてもらっていたのに消えたおれに対して、今頃ブチギレているだろう彼のことを思うと……うわ、なんか鳥肌が立ってきた。
……ともかく、朝の時間帯については部屋の前の廊下、それに食堂から誰か部屋に食事を持って行かないかの監視をしていればいいだろう。勿論、食べない、或いは簡単な携行食で済ませることも十分に考え得るので、そこまで当てにはしていないが。
……しかし、これはなかなか難しい状況になってきた。結局二人の所在は分からず、憶測を頼りに動くしかない。かなり我慢を強いられる展開だ。
「……ちなみに、この監視カメラの映像は工房から出ても見ることは出来るか?」
『勿論でございます。わたくしに内蔵されたモニターで閲覧可能です』
ドクターが議長室に入るのを止める。それが今回の最優先事項だ。所在が知れていれば、議長室から離れたところで彼を制止することができ、テレジアに悟られる危険性を減らすことが出来たのだが、こうなっては仕方ない。どこかからやってくる彼を、議長室の前で止める。
そのためには、どこか現場に近いところに身を隠して監視する必要があるだろう。一番いいのはどうにかして最上階に潜り込むことだが……
『最上階のセキュリティを突破するとなりますと、ドクター様に悟られる可能性が非常に高くなります』
「だよなあ……」
やはりと言うべきか、流石に彼らの居城にバレずに忍び込むのは難しそうだ。あの時は外部からのハッキングもあったし、とにかくテレジアの安全を確認するために進んでいたので何も思わなかったが、まず普通に議長室までたどり着けるわけがない。エレベーターだって、普段なら階層が丸ごとロックされているはずだ。
だが、そうと分かればそれなりのやり方がある。最上階の一つ下、まだセキュリティレベルが緩い階層に潜伏し、事が起こったらアーツでエレベーター内に侵入、ワイヤーを伝って上に向かえばいいのだ。
「02、ひとつ下の階層のエレベーター近くに、あまり使われていない部屋はあるか?」
『…………ございます。感染生物の研究サンプルが保管されている部屋のようですね。直近1か月の入室記録ケルシー医師のみです』
「……ケルシー先生の個人的なコレクションとか?」
『確かに、そのような可能性もございますね』
まあこの際部屋の中身は何でもいい。おあつらえ向きなことに彼女は今ロドスにはいないし、そもそも今回の任務に必要なことなのだから、とやかく言われることはないだろう。
そうと決まればさっさと移動してしまった方が良い。これから時間が経てば経つほど、段々と人の行き来が盛んになってくる。そんな状況で誰にもバレずに最上階近くに行くことなど、不可能に近い。
「02、巡行形態でおれを乗せていってもらえるか?ルートは誰にも気づかれなければ最短じゃなくてもいい」
『お任せください、オーナー』
ガシャンガシャンと音を立て、蒸気を噴き出しながら変形する02。……もはやじゃがいも蒸し器の原型はどこにも残ってないように思えるが、気にしないことにしよう。
そのままおれは機体の突起に手足をかけると、すぐにやってくるであろう急加速に備えた。
……備えていたが、やっぱり乗り心地は最悪だった。今後、クロージャにはここの改良に取り組んでもらいたいところだ。
「うわあ……」
『なかなか興味深いものが多いですね、オーナー』
「おれはあんまり興味ないかな……」
爆走する02にしがみつくこと数分、流石の高性能AIのおかげで無事誰とも会うことなくたどり着いた部屋は、何とも不気味な部屋だった。小さなライトを頼りに見渡してみれば、部屋中を埋め尽くす棚とそこに収納されたガラス製と思しき密封された容器が目に飛び込んでくる。中身は、何らかの液体に浸された生物の様々な部位だ。
仕事柄、色々な中身に対する耐性はかなりあるはずだが、こうして展示されていると何とも言えない気分になってくる。乱雑にバラバラになる戦場と、綺麗に分別して切り分けられる解剖室の違いとでも言おうか。とにかく、同じような生物の部位のはずなのに、生き物の匂いがしなくて妙な感じだ。そんな、少し背筋がぞわぞわするような感触を感じながら、おれは部屋を探索していった。
探索した結果、ここは本当にただの保管庫なようで、サンプルの詰まった棚以外他に何もなかった。当然ながら机や椅子の類もないため、地べたに座り込んで02に備え付けられたモニターを見つめる。
現在の時刻は7時30分といったところで、移動中も映像は見続けていたのだが、未だに二人の姿は確認できていない。ここから何か動きが出るまでは、暗いこの部屋でサンプルたちと仲良く過ごしていく他ないだろう。
この場所をチョイスしたことを若干後悔しながら、おれは出来るだけ映像に集中するように心がけた。
『W!』
「おわっ!?……クロージャ、いきなり何だ?」
初めて動きがあったのは、9時前のことだった。といってもドクターやテレジアが出てきたと言う訳ではなく、02のモニターにいきなりクロージャが割り込んできたというものだが。
不気味な暗い部屋でじっと画面を見つめていたところにいきなりおれの名前を呼ばれたものだから、思わずびっくりして声が出てしまった。
……取り敢えず取り繕ってみたが、果たしてどうであろうか。
『君って驚くとそんな声出すんだね。……いやいや、そんなことよりも聞いてよ!』
「なんだよ」
『飛行装置だけど、無事に発進したよ。流石にこれにはドクターも気づいてないんじゃないかな』
「……本当か!?」
『本当だって!君は散々怪しんでたけどさ、あたしだってやろうと思えばできるんだよ』
監視カメラの映像を見ていた限り、何も艦内に異常はなかったのだが、いつの間にかクロージャはそんなことをやってのけたらしい。となると、何か目くらましで大事を起こして本命に気付かれないようにするいつもの方法ではなく、正攻法で静かに密かに事を進めたということか。
「やるな、クロージャ。……それで、ケルシー先生の到着まではどれくらいかかりそうだ?」
『何も問題がなければ4時間ってところかな。何とかギリギリ、襲撃時間までには間に合うと思うよ』
彼女の到着は13時頃、か。……これはいよいよ、おれの出番があるかもしれない。犯行推定時刻は14時半といったところだが、その時間にドクターがいきなり議長室に行ってテレジアを殺したということは考えにくい。少なくとも、敵の侵入の前には既に議長室に着いていたというほうが自然だろう。
この場合、彼が議長室に13時よりも前にやってくることは十二分にあり得るのだ。それに、クロージャの言う時間だって順調にいけばというものでしかない。トラブルが起これば、到着時間はさらに後ろにずれ込む。
「……分かった。クロージャ、出来るだけ早く、かつ安全に頼むぞ」
『任せといて!……ふふふ……これでケルシーから予算を貰って……増産して……金……』
……通信が切れるまでの間に何か不穏な言葉が聞こえてきたような気がするが、たぶん聞き違えだろう。
何にせよ、彼女の作った物とプログラムを信じるほかない。それさえきちんとやってくれていれば、銭ゲバだということなどこの際微々たる問題だ。
……自分の力ではどうにもならないことというのは、もどかしいな。
おれは半ば祈るような面持ちで、監視カメラの映像と再び向き合った。
刻一刻と、時間が過ぎ去っていく。時計の短針が頂上を過ぎた頃になってもケルシー先生到着の報は届かず、監視カメラの映像にも変化はない。
……あいつは今頃どうしているだろうか。作戦の方は一切問題は無いはずだが、襲撃のことがどうしても気にかかる。前にあいつがやられた時というのは、大抵おれをかばっての物か、予想だにしない攻撃──例えば都市区画ごとの毒ガス兵器による攻撃──くらいなものだ。
真っ向からの戦闘で、あいつがやられることなどそうそうない。仮に純粋な実力では劣っていたとしても、撤退をするであったり、身を隠すであったり、とにかくそう簡単に死ぬことは無いはずなのだ。
……本当は、彼女を今すぐこちらに呼び戻したかった。けれども、その場合は何がどう変わるか全く想像がつかない。ロドス・アイランドとあいつのいる場所、二箇所で事が同時に進行していて、どちらもどうにかしなければならないとなると、彼女を呼び戻すことはできなかった。
恐らく、襲撃があるという事さえ知っていれば、取り得る手はいくらでもあるはずだ。だって、あいつだから。あのΩならば、きっと大丈夫なはずだ。
だから、信じておれはテレジアをどうにか助ける。それで、そこから全速力で駆け付ける。
とにかく時間、時間だけが気がかりだった。ドクターのことにしても、あいつのことにしても。
「……ん?」
そんなことを考えていたからだろうか。朝からずっと監視し続けていた映像の一つ、ドクターの執務室前の廊下の映像に、変化が起きていた。
ドアが開き、出てくる黒い人影。コート姿にフードを被り、バイザーまでして徹底的に素性を隠した人物は間違いない、ドクターその人だ。
時計をちらりと確認する。時刻は12時43分、ケルシー先生到着まではおよそ17分。
映像に映るドクターの進行方向は、議長室の方向と一致している。もはや一刻の猶予もない。やるしかなかった。
「02!クロージャに連絡を入れておいてくれ!おれは最上階に向かう!」
『畏まりました。オーナー、お気を付けて』
「ああ!」
『!オーナー!』
02に向かって叫ぶと、おれは勢いよくドアを開けて廊下へ飛び出す。後ろから彼女の声が聞こえたような気もしたが、もう遅かった。
「えっ……」
ドアの音で振り返ったのだろうか、こちらの方を向いた小さな人影が声を漏らす。
大きな耳が特徴のコータスの少女。そして、あの時部屋にいた人物のうちの一人。
アーミヤがそこにはいた。
そうだ、考えてみればあの時彼女もあの場にいた以上、こうしてどこかしらのタイミングで議長室を訪れているはずじゃないか。
そして、今こうしてこの場にいるのは最上階行きのエレベーターに乗るため。となれば、当然何かしらのセキュリティ解除の手段を持っていることになる。
思考は一瞬。そして、判断もまた一瞬だった。
「……すまん!」
「きゃっ!」
一言アーミヤに断りを入れると、彼女を担いでエレベーターに向かって走る。当初考えていたエレベーター内をよじ登るよりも、そのものが使えるのであればそちらのほうが早い。走りながらよく見れば、彼女の首からはカードがぶら下がっていた。臨時IDだろうか、恐らくはこれが一つのセキュリティなのだろう。
念のため、彼女の指を借りてボタンを押し、カゴを呼び出す。ドアが開くのも待たずにこじ開けて中に飛び込めば、行き先ボタンのすぐ近くにカードをスリットする場所があった。素早くIDを通し、やはりアーミヤの指で最上階のボタンを押す。
どうやらそれが正解だったようで、無事にエレベーターは上へと動き出した。
「……Wさん、どうして……」
「すまない、説明している時間はないんだ。後でケルシー先生から聞いてくれ」
「ケルシー先生……?」
ぽつりとつぶやいて何かを考え始めるアーミヤ。その様子に、色々と考えを巡らせたくなるところだが、そうもしていられなくなった。身体を押し付けていた疑似的な重力が収まり、エレベーターが停止する。
おれは彼女を置いてきぼりにしたままドアをこじ開けて飛び出すと、廊下をひた走った。
セキュリティ上の要請なのか、最上階の廊下はやたらと曲がり角が多い。だが、最上階の様子は既に頭に叩き込んである。ドクターが執務室から出て議長室に向かう、その道のり。そして、エレベーターホールから最短でそれを妨害するためのルートまで。あの不気味な部屋に潜みながら、そうやって準備をしてきたのだ。すべては、ドクターの凶行を阻止するために。
……久しぶりに結構な強度で走った。心肺機能にはかなり自信があったのだが、純粋に走るという行為はかなり負荷が大きいらしい。平然とふるまって見せているが、実のところは息も絶え絶えだ。しかし、そんな風にしてがむしゃらに駆けた甲斐はどうやらあったようだ。
果たして、目の前には全身を覆う、怪しげな風貌の男が驚愕を漂わせてそこにいた。
「……よう、ドクター」
「……W」
お互いの呼び名を口にするも、後に会話は続かず。ひりついた空気感がだけがその場に残される。
きっと今頃、彼の脳内ではなぜこの場におれがいるのか、目的は何なのか、なんていう疑問が渦巻き、答えを探すための複雑で精緻な機構がせわしなく働いているのだろう。
対して、おれの思考は極めてシンプルで透き通っている。この状況を意識して、このために組み上げてきた思考。迷い、可能性、そういったものは事前に十二分に考えてきた。そうして残ったものだけを持って、おれは今ここにいる。
彼は来た。ここへ。テレジアの部屋に向かって一直線に。
……十分だ。その事実だけでもう十分だろう。少なくとも、彼は彼女に何か用があってここに来た。仮にその用事がおれの想像するものと違ったとしても、十数分後、ケルシー先生ご臨席の下で済ませればいいだけだ。会話やら何やら、彼の土俵に足を踏み入れる必要はない。
思考は既に一本化されている。心も決まった。
予防的措置として、ドクターを無力化する。これが最も確実で安全な方法だ。
そうして、おれは一歩前に足を踏み出──
「ドクター。それに……W」
──そうとして、ピタリと動きを止める。
聞こえたのは声だった。静まり返っていたはずの廊下に響き渡る、透き通った女の声。
その声の主が誰なのかなど、考えるまでもない。おれたち以外にこのフロアにいる人物で、こんなにも気品のある声をしている人なんて一人しかいないのだから。
「テレジア」
ドクターが彼女の名前を呼ぶ。
そうだ。テレジアだ。サルカズの王にして、ロドス・アイランドの主。そして何より、今回の任務の護衛対象。
そんな彼女が、彼女を殺した蓋然性の最も高い人物の眼前に姿を現した。しかも、あろうことか彼は平然とテレジアの名前を口にしてみせている。
それを聞いて、おれもまたはじかれたように声を上げた。
「テレジア!来るな!こいつは……」
そこまで言ったはいいものの、続く言葉が出ない。そうしておれは、はたと気づく。
ドクターが一体何であるのか、それを説明するすべをおれは何ら持っていない。はじめから彼のことを怪しんでいたケルシー先生だからこそ信じてもらえたような予言めいたことを言ったところで、彼女はそれを信じてくれるのだろうか?
答えは否だ。第一、この場で一番怪しいのはおれなのだから。
任務に出ていて本来ここにはいないはずで、かつセキュリティ的にここにいるはずのない人物。基本的にここにいるはずで、セキュリティ的にも何ら問題のない人物。
どちらが信じられているかなど、先ほどの彼女の口調を思い返してみれば一目瞭然だろう。
けれども、信じてもらえそうにないからといって何も言わないわけにはいかない。
おれに与えられた任務はテレジアを護衛することなのだ。彼女におれのことを信じてもらうことではない。ケルシー先生が来さえすれば、すべて解決するはずなのだ。
「……とにかく、部屋に戻っていてくれ!色々疑問はあるだろうが、もうすぐ……」
……いや、待て。何かが引っかかる。
……そうだ。
どうしてテレジアはこのタイミングで外に出てきた?
ギギギ、と錆び付いたブリキ人形のように、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこにいたのは、確かにテレジアだった。いつもと同じように、柔らかな微笑を浮かべた彼女だった。
けれども、いつもと同じはずのその表情に、おれは疑いを抱いてしまう。
前々から考えていたこと。そんなはずないと冷静に論理的に思いつつも、思考の外側で気がかりだったこと。それが今、現実のものとなりつつあるのではないか?
「……大丈夫よ、W」
そんな疑念がおれの頭をよぎっているのを、まるでわかっているような様子で彼女は口を開く。
「あなたがここにいるのはおかしなことではないわ。……寧ろ、必然というべきなのかもしれないわね」
優しく、こちらを安心させようとするかのようなテレジアの口ぶり。
そんなものを聞いたとて、おれの中の疑いがなくなるはずもなく、むしろ際限なく大きくなっていく。
普通であれば彼女はおれを怪しむべきだ。何か企んでいるのではないかと警戒するべきだ。それなのにこちらの方を落ち着かせようとするなんて、まるで意味が分からない。
ただ、その言葉が何をもたらしたかについては感じることができた。
背中に突き刺さっていた、警戒の視線が解かれる。それはつまり、ドクターがテレジアの言うことに納得したということだ。
その事実が、完全に混乱のさなかにあったおれの脳みそに冷静さを取り戻させる。
あのドクターが、策略家が、言葉一つで納得したのだ。そこに至るロジックを示されたわけでもなく、ただの一言で。
それはつまり、テレジアには
「……ドクター、W。きっと、二人ともお互いに聞きたいことが色々あるはずよ。一度ゆっくりと話せる場を設けた方がいいわ」
……ただ、その何かがなんであるのかは分からない。単純にドクターと繋がっているということならばよいが、もっと反則じみたものである可能性もあるのだ。
それに、正面切って挑んだところでおれはテレジアをどうこうすることはできない。相手になりそうなのは、おそらくケルシー先生くらいのものだろう。
そうなれば、今おれにもっとも必要なのは時間だ。彼女が到着するまでの時間をどうにか稼ぐ。どうにかして、事が起こることを防げる状態で居続ける。
渡りに船とばかりに、彼女が実力行使ではなく対話の場を設けるとわざわざ申し出てくれている。怪しさや不信感があるとはいえ、その誘いに乗るのがベターな選択肢であることは間違いない。
確かにテレジアの言う通り、ドクターには色々と、それはもう色々と聞きたいことがあるのだから。
「……確かにそうだ。W、君はどうする?」
「……異論はない。あんたにいくつか聞きたいことがあるのは確かだからな」
ドクターの問いかけに対して、おれはバイザーで覆い隠された彼の目に向かって視線を投げかけつつ言葉を返す。
特に動じた様子もなく、こちらの視線を真っ向から受け止める彼からは、何かしらの覚悟が感じられた。それがなんであるのか、今のおれが知り得る情報からすれば一つしかない。
そんな、おれたち二人の間の静かな闘争を知ってか知らずか、テレジアは相好を崩して笑みを浮かべた。
「決まりね!それじゃあ二人とも、着いてきて」
「どこへ?」
「……ふふっ、議長室よ」
音声記録No.10223001
「……入ってくれ」
「やあ、ケルシー」
「……君か。今朝のメディカルチェックでは特に異常はなかったはずだが、何か異変を感じたのか?」
「ああ、すまない。私自身はいたって健康だよ」
「……なら、なぜわざわざ医務室にまで来た。ドクター、君は今が一体何時なのかもっとよく考えた方がいい。急病ならともかく、そうでないのならば休養を取って体力の涵養に努めるべきだ」
「……今朝、少し違和感を感じたんだ。何人かの医療オペレーターたちにも聞いたから間違いない。……ケルシー、君こそ休息を取るべきだ」
「……何のことだ」
「ここ数日で5件もの手術を執刀していただろう。……ついこの間怒られた私が言えることではないかもしれないが、全部君がやる必要はなかったんじゃないか?」
「……君もわかっているだろうが、手術とは往々にして緊急性を有するものだ。患者が医師を求めている時にその場にいて、なおかつ彼らを救うことができる術を持っているのにもかかわらずただ傍観するのは怠惰というものだろう」
「だが……」
「ドクター。これは私がすべきことをしたまでのことだ。それとも、君は私がそうするべきではなかったというのか?」
「……いいや。君がそういう人だというのは私もよく知っているよ」
「……分かったのならばそれでいい。用が済んだなら……」
「……けれども、それでも私は心配なんだ」
「…………」
「……ケルシー。頑張っている君のことを止めたりしたいわけじゃないんだ。ただ、なんというか……少しでもいいから、そんな君の力になれたらいいと思う」
「………………はあ」
「ケルシー……?」
「ドクター。ここに寝てくれ」
「……どういう意味だ?」
「このベッドに寝転がってくれと言っている」
「……分かった…………っ、ケルシー!?」
「……少し仮眠をとる。君はこのまま抱かれていればいい」
「そんなこと言われたって……」
「……………………」
「……ケルシー?」
「……………………」
「……やっぱり、疲れが溜まっていたんだな。……君は、いつも頑張りすぎなんだ」
「……………………ドクター…………」
「…………おやすみ、ケルシー。いい夢を」
system:消去プロセス作動中