北天に輝く   作:ペトラグヌス

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致死疾病─Despair.-3

 議長室。テレジアの執務室であるその部屋は、華美ではなくともどこかしら品を感じる場所であった。もっとも、前回ここに来たときはそんなことを感じる間もなかったのだが。

 彼女に付き従って部屋までやってきたおれとドクターは、勧められるままに椅子に腰を下ろす。

 背丈の低い机を挟んでおれたち二人が向かい合い、その両者の横にテレジアが陣取る形となったのはどこか象徴的だった。

 

 こうして対話の席についたとはいえ、相も変わらず空気は張りつめている。しかし、お互いに相手に聞きたいことがあるのは間違いないのだ、いつまでも黙っているというわけにはいかない。

 先に口を開いたのは、ドクターだった。

 

「……W。率直に聞こう。君はなぜ、ここにいる?」

「……なぜ、とは?」

「……君は今、本来ならばこことは違う場所で作戦行動中のはずだ。それがなぜ、こうして私の目の前にいる?」

 

 ……なるほど。「なぜ」という言葉にどこまで知っているのか──テレジア絡みのことを──という含みがあるかと勘繰ったが、そこに関する探りは感じられない。単純に怪しい人物への尋問といった感じの聞き方だ。

 現時点ではドクターはまだ、おれが彼の計画について知っているなどとは思っていないといったところだろうか。だとすれば、この回答によってこの問答の主導権を握れるかもしれない。

 

「……ケルシー先生に頼まれた、と言ったらどうする?」

「っ……」

 

 その名前を聞いて、ドクターはぴくりと肩を震わせる。

 おれの口からその名前が出るのが予想外だったのか、はたまた彼女自体に思うところがあったのか。いずれにせよ、彼が動揺をあらわにした今が絶好のチャンスだ。

 

「あんたのことを監視するように言われたんだ。……ドクター、随分と怪しまれているみたいだが、何か心当たりはあるか?」

「…………そうか」

 

 こちらの問いかけに対して、ドクターが発したのはただの一言だった。

 フードとバイザー、二重に用意された分厚いベールの向こうから届いたその言葉。特にこれといった意味を持たない、ただこちらの言い分を確認し、自分を納得させたかのような掛け声。

 しかし、その声に乗った色と息遣いは、その意味のなさとは裏腹に雄弁に物事を語り、見えないはずのものすらも脳裏に浮かび上がらせるようだった。

 けれどもおれは、自分が感じ取ったそれが正しいのかどうか、自信を持つことはできなかった。それどころか、戸惑いさえも覚えていた。

 あのドクターが、この場で、この質問に対して、そのような反応を示すなどということがあるのだろうか。

 疑問は、そのまま声となって議長室に静かに響く。

 

「……あんた今、笑ったか?」

 

 無意識のうちに低く、唸るように発せられたおれの言葉。対する彼の反応は、先ほどケルシー先生の名前を聞いた時の動揺が嘘であったかのようにあっさりとしていた。

 

「ああ、すまない。……やはり、ケルシーに隠し事はできないと思ってね」

「……それは」

「先ほどの君の質問に答えよう。……心当たりならある」

 

 困難は覚悟していた。

 テレジアに見つかってしまった時点で、おれはドクターに唯一確実に勝っているであろう武力を行使するという選択を失い、舌戦を挑まざるを得なくなった。

 ケルシー先生を待つだけならば、適当なことを言ってお茶を濁していればいい。けれども、議長室に向かう道すがら、おれは思ったのだ。

 この事態が今後どうような経過を辿ろうと、彼と言葉を交わす機会など訪れないだろうということに。

 だからこそ、おれは自分の耳で聞きたかった。彼が何を思っているのか。何を考えているのか。

 恐らく、互いに虚飾された言葉を戦わせ、本心そのままを口に出すことなどないだろう。けれども、その隙間から漏れ出す何かには、きっとひとかけらの真実が、真意が溶け出ているはずだ。

 

 甘い考えだとは思う。唾棄すべき考えだとは思う。

 けれども、それをおれに教えてくれたこの場所が、崩れ落ちるに値する理由があると知りたかった。

 繋がれていたはずの赤い糸が、無残にも引きちぎられたわけではないのだと知りたかった。

 

 

 

 だからこそ、ドクターのその物言いに、おれは衝撃を受けた。

 彼が、こんなにも簡単に自らの裏切りを認めたことに。

 

「……ドクター……自分が何を言ったか、わかってるのか?」

 

 自分で言っていて、声がかすかに震えているのがわかる。抑えきれない感情が、漏れ出しているのが分かる。

 おれは、ドクターのことを信頼なんぞしていない。だから、仮に裏切っていようが何をしようが、特に何も感じないと思っていた。

 けれども、実際はそうならなかった。ケルシー先生を見た後では、そんな風には思えなかった。

 腹の底でふつふつと、湧き上がるものがあった。

 

「君こそ、彼女からどこまで聞いた?どこまで知っているんだ?」

 

 そんな、こちらの心の内を知ってか知らずか、何でもない調子でこちらに質問を投げかけてくるドクター。

 ここで怒鳴り散らしたところで何にもならない、そんなことはわかっている。わかっているからこそ、奥歯をかみ砕くようにして心を鎮めて、一つ一つ事を明らかにしていく。

 

「…………今、ロドス・アイランドの防衛戦力はほとんどいないらしいな」

「ああ。私が皆に任務を伝えたからな」

 

 彼は当然というように頷いた。

 

「……テレシスはこのことを知っている」

「確かに、そうらしい」

 

 彼はわざとらしく肩をすくめた。

 

「……もうすぐ、ここが襲撃されるはずだ」

「知っているとも」

 

 彼はそれがどうしたと言わんばかりに吐き捨てた。

 

「……狙いは……テレジアなんだぞ?」

「そうだろうな」

 

 彼は、何のためらいも見せず、他人事のように切り捨てた。

 

 そこが、おれの限界点だった。

 おれはもう、怒りを我慢することができなかった。

 感情に突き動かされるまま椅子から立ち上がり、罵声を浴びせける。

 

「……っ!あんたは!何を考えてるんだ!?」

「言ったはずだろう、W。私は常に勝利を掴むための最善を考えている」

「勝利……だと……?あいつを、テレジアを、ケルシー先生を切り捨てることがか!?」

「……少なくとも、私にとっての勝利はそれだ」

「っ、お前は…………っ!」

 

 もう、言葉が出てこなかった。言葉でどうにかする段階になかった。

 腰の刀を、自らのアーツを、これ以上になく強く意識する。

 それほどまでに、どうしようもなかった。もはやおれの中で、ドクターは一片の疑いもなくクズだった。薄汚い裏切者だった。冷酷で自己中心的で、まるで傭兵みたいな蛆虫野郎だった。

 こんな奴、今すぐブチ殺すべきだ。

 

 それなのに、どうしてテレジア、あんたはそんな悲しげな目つきをするんだ?

 

 その彼女の表情のせいで、おれの怒りはやり場を失い、内側で渦巻いたままで燃え盛っている。

 どうしようもないやりきれなさと共に、おれはふらふらと椅子に再び座わる。

 そんな変遷をじっと見つめていたドクターは、ややあって口を開いた。

 

「……W。そういえば先ほどから私が答えてばかりだ。君にも最後に一つ質問をさせてくれ」

「…………」

「…………ケルシーは、私のことを憎んでいたか?」

 

 久しぶりに、たっぷりと間を空けてから告げられたその問い。

 ……こいつは、この期に及んでそんなことを聞いてくるのか。

 ケルシー先生のドクターに対する感情。それは、おれの口から言うべきものでもないし、言い表せるほど単純なものでもない。そんな道理もわかっていない目の前の人物が、腹立たしい。

 それにこれは、自分の行動を鑑みれば答えなどわかりきっているはずの質問なのだ。

 だから、その質問にすべき回答など一つしかない。

 

「…………そんなこと、当たり前だろう」

「そうか。……なら、よかった」

 

 ドクターは満足げに頷いた。心底よかったとでもいうように。

 それを見て、瞬時に頭が沸騰したのがわかった。

 

「っ!!!!!」

 

 こいつには、ケルシー先生がどんな気持ちでいるか想像がついていないのだろうか。

 こんな奴のために彼女はああまでも苦しみ、あいつは死んだのか。

 もう我慢がならなかった。それでおれは、腰の刀を抜き放ってその首を落とそうとして柄に手をかけ──

 

 ──それを抜き放つのをとどめる、温かい感触を感じた。

 

 誰のものかなど、考えるまでもない。横に目をやれば、いつの間にか隣にいたテレジアがゆっくりと大きく首を横に振る。

 

「W。それ以上はダメよ。あなたがそんなことをする必要はないわ。……これ以上、ドクターを責めるのはやめてあげて」

「だがテレジア、あいつは!」

「……違うの。違うのよ、W」

 

 あなたのことを殺そうとしている。後に続くはずだったその言葉は、彼女の否定によってさえぎられた。

 そうして、何も言えずにいるおれをよそに、彼女はドクターの方に振り返る。

 

「ドクター。あなたももう、そんな偽悪的に振舞うのはやめて。……あなたが罪悪感を抱く必要なんてないのよ」

「……テレジア、だが」

「いいの。……彼には、知る権利があるわ」

 

 ……はじめは混乱していたおれも、ここまでくればもうわかる。

 纏う雰囲気の変わったドクター。偽悪的、罪悪感といった単語。ほんの短い一瞬に散りばめられた要素が、まるでパズルのようにピタリと開いていた空白に当てはまっていく。

 今になって考えてみれば、おれの最初の推測は当たっていたのだ。

 

「……つまり、テレジア、ドクター、あんたらは」

「……ええ。今回のことは全て、私たち二人が考えたものよ」

 

 

 

 

 そういえば、そろそろケルシー先生は着いているはずの時間なのだが、何かトラブルでもあったのだろうか。

 できるだけ早く来てほしいものだが、まあ当面の危機はないのだ、そこまでの問題にはなるまい。

 何せ、今回の件の被害者と容疑者がグルだったのだから。

 

「……さて、何から話そうかしら」

 

 先ほどまでと同じく、椅子に座り込む三者。そんな議長室で、それまでの傍観者から立場を変えたテレジアが思案する。

 恐らく、彼らだけが知っていて、おれは知らないであろうことがたくさんあるのだろう。助け舟を出すべく、純粋に疑問に思っていたことを口にする。

 

「……なぜ、こんなことを?」

「やはり、まずはそこになるだろうな。……W、君は今の状況をどう思う?」

「状況……それはバベルの?」

 

 ドクターが頷いて肯定するのを見て、おれは先ほどまでさぼりがちだった脳細胞を働かせ始めた。

 今の状況、すなわちテレジアとテレシスの内戦、バベルと軍事委員会の争いは拮抗状態にあるはずだ。

 単純な戦力で言えば向こうの方が上回っているものの、サルカズの王という正当性は、こちらに政治的な優位性を与えている。

 個人の域を超え、組織同士の争いにまで事が至れば、それは単純な武力を争うものではなくなるのだ。

 傭兵団同士の争いだってそうだったのだから、この戦いは軍事、政治、経済、あらゆる力を競い合うものとなるだろう。

 そうして、総合的な戦力の比較の結果として現状拮抗しているのだから、何か大きなアクションが──それこそテレジアが死ぬような事態が起こらない限り、それは変わらないはずだ。

 

「……当分は動きようがない。勿論、支配地域の変遷や小競り合いはいくつも起こるだろうが……大局的には何も変化はないはずだ」

「なぜ?」

「なぜって……両勢力の力は拮抗しているだろう?」

 

 今となってはバベルのオペレーターに落ち着いているが、ついこの間まで傭兵だった身だ。戦場の風向きを読むことには、それなり以上に自信がある。今の状況は、あのへドリー達といた頃よりもはるかにマシなはずだ。

 優位に立っている気もしないが、劣勢にある気もしない。ある意味、最も純粋な戦場だと言えるだろう。

 だが、ドクターの考えはどうやらおれとは違うらしい。

 

「……君たちをそう思わせられているのなら、私もまだ捨てたものでは無いな」

「……実際はそうではない、と?」

「……最近の戦い方が今までのものとは違っていたのはわかるだろう?」

 

 確かに、彼の言う通り最近の戦いは厳しいものになっている。

 ……死体が多すぎるのだ。敵のものも、味方のものも。

 けれど、それがおれたちの不利だとは思えない。確かに双方に被害は出ているものの、ドクターの戦術もあってかなりの勝利を収めているし、敵を一方的に屠ったことも一度や二度ではない。

 それに、こちらには腕の立つ戦闘オペレーターも多いし、エリートオペレーターという精鋭だって健在だ。今のまま戦い続ければ……戦い続ければ?

 

 ……そうだ。そもそも前提が違うのだ。被害を出しつつも拮抗しているのではない。拮抗しているから被害を出しているのだ。

 終わりの見えなくなった泥沼に終着点を見出すため、決定的な戦略的勝利を求めることを諦め、戦術的な勝利を積み重ねて敵の戦力を磨り潰しきる。

 

「……戦況が動かせなくなったから、消耗戦に打って出たのか」

「……ああ。その上で分かったのは、この戦争には勝てないということだ」

「……何?」

「……このまま死体の山を築いていけば、我々は負けることはないだろう。……けれども、その後に残るのは──」

「──人も建物も、何もかもがなくなったカズデル、か。……それを勝利と呼ぶことはできない。そうだろう、テレジア」

 

 ドクターの後を継いでその結末を口にしたおれは、それを是としなかったであろう人物のほうを向く。

 おれやΩのような傭兵ごときの名前すら知っていたような人なんだ、カズデルが、サルカズが、そんな末路を辿ることを許せるわけがない。

 名前を呼ばれたテレジアは小さく、けれども確かに頷いた。

 

「……戦いというものが犠牲と切り離せないものだということはわかっているわ。けれども、私たちが何のために戦っているのかを忘れてはいけないと思うの」

「……未来のために、か……」

「……このまま戦い続けても、きっとそこに未来はないわ。だったら、他の手を考えなければいけないでしょう?」

「…………」

 

 理想論としては納得できる。散々殺してきたおれが言っても何の説得力もないが、きっと人はそう簡単に死ぬべきではないのだ。

 けれども、だったら、なんでここまで戦ってきたのだろうか。なんでここまで殺してきたのだろうか。

 それだったら、初めからテレジアは立ち上がらなければよかったのではないのか?

 犠牲を払っても得なければいけないものがあったからこそ、今こうしているのではないのか?

 

「……W。実のところ、そんな理想論的な話でもないんだ。恐らくだが……テレシスは意図的に拮抗状態を作り出している。やろうと思えば、こちらを押しつぶせるにも関わらず」

 

 おれの、そんな内心を読み取ったのか、ドクターが語りだす。

 

「言ってしまえば、最近の戦闘はそれを裏付けるためのものに過ぎない。結果は……上々と言えるかもしれないな。こちらはエリートオペレーターまで動員しているのに対して、あちらは傭兵だけで対処しきっていた。盤面上は互角でも、盤外はそうでもないんだ」

「……つまり、テレシス側にはこちらと互角の指し手が何人もいるってところか」

「……対してこちらは一人きり、つまりはそういうことだ」

「…………そうか」

 

 ……これが傭兵上がりと指揮官の差ということか。おれの嗅いでいたにおいは、あくまで戦場、先ほどの例えで言うところの盤内のものであって、その外側を知ることはできない。駒の視点と指し手の視点は違うのだから。

 経済や政治の状況だって、あくまでおれが知り得る範囲の情報から推察したものでしかない。辛うじてカズデル内に関してはカバーしていても、カズデル外との繋がりなど掴みようがない。

 正当なサルカズの王、テレジアの下に民族資本が集っているとしても、例えばクルビアなんかの軍産複合体がテレシスの側についていたのならば、資本力の差など一挙にひっくり返る。外から見れば正当性など問題ではなく、純粋な軍事力を持ったテレシスの方がより魅力的な投資対象になり得るのだ。

 

 現状についてはわかった。認めがたいことに、おれたちはテレシスのお情けによって生かされている状態だということが。

 その認識に基づいて今回のことを考えてみれば、様相はガラリと変わる。つまり、ドクターが敵と内通して利敵行為を働いていたというものから、和平交渉を行っていたというものへと。

 ……和平。そう、和平だ。先ほどテレジアはこれ以上戦いを続けるのではなく、別の手段で決着をつけると言っていた。そこに、敵方と連絡をしていたという事実と結果としてバベルのトップであるテレジアが命を落とし、ドクターが倒れることになったことも併せて勘案すれば、二人を取引材料とした和平交渉が行われていたと考えることができる。実際、あの執務室で戦ったサルカズがバベルに対しては何もする気がない、という言葉を発していたのも交渉の存在を浮き彫りにしていると言えるだろう。

 実際問題、交渉を持つというのにはお互いに利点があると思う。仮にテレシスが本気でこちらを潰そうと全戦力を投入したとして、それでもある程度の損害は避けられない。単に勝つというだけならばそれでもいいが、カズデルの復興という目的を考えるに、外圧に対抗するための武力を損なうのは軍事委員会の本意では無いだろう。

 だから、まだバベルとして一定以上の戦力を保持している今が交渉のチャンスなのは間違いない。

 

 ……だが、それでも依然としていくつかの疑問は残る。

 彼らが交渉を秘密裏に進めていたことは理解できる。こちらとしては日々それこそ命を削って戦っているのにも関わらず、上層部がそんなことをしていると知れたら、どれだけそれが妥当なことであったとしても心情的に到底受け入れられない。それこそ、バベルは自壊しただろう。

 だが、ここでいう上層部というのは何もドクターとテレジアだけではない。

 

「……ケルシー先生はこのことを?」

「……いいや。最も、彼女ならば感づいていてもおかしくはないが」

 

 疑問なのは、その交渉に一切ケルシー先生が関与していないことだ。今日だって、元々の彼女の予定は恐らく支援者との会談だろう。カズデルでの活動が難しくなる、とまで言っていたあたり、現状が捗々しくないことを知りながらもそれをどうにかしようと模索していたことが窺える。それはつまり継戦を志向していたわけで、和平交渉に乗り出ていた二人とは方向性が真逆だ。

 バベルは3トップによって率いられてきた組織であるのに、その組織が今まさに瀬戸際に立たされているという状態にあって、トップの意思が統一されていないということは普通に考えて重大な問題だ。そんなわかりきったことを差し置いて、ケルシー先生だけが蚊帳の外に置かれているということには、何かしらの強い意図を感じる。

 おれが知りたいのは、その意図がなんなのかということだ。

 ……そんな面倒なことをされたせいで、現状おれとあいつはこうして違う戦場に立つことになってしまったのだから、知る権利くらいはあるだろう。

 

「……なぜだ?彼女もバベルの指導者の一人だろう」

「…………すまないが、そのことに関しては何も言えない。ただ、ケルシーに何も伝えなかったのは私の判断だ」

「…………」

 

 だが、そんなこちらの思いとは裏腹に、ドクターはバイザーの下に隠された顔を歪めて回答を拒み、テレジアは能面のような顔をして押し黙る。

 それでおれは、この話題が二人にとっての地雷であることを察した。

 こうなってしまえば、このままの話題を続けるのは得策ではないだろう。ただ一つ言えるのは、彼女の存在はどうやら今回の出来事に大いに関わっているであろうということだ。本人は全く関われていないのかかわらず。

 

「……わかった。この話はもう止そう。だが、それ以外のことならば答えてくれるということでいいのか?」

「……ええ。あなたはきっと知っておいた方がいいはずよ」

「…………」

 

 テレジアが頷いて答える一方で、ドクターは微動だにせずにいる。心なしか彼の視線がテレジアに向いているように感じるのは、きっと気のせいではないだろう。

 正直、その違和感はおれが一番感じているのだ。なぜ、おれのような一オペレーターごときがこんな待遇を受けているのか。たとえケルシー先生から任務を受けていたとしても、彼らが彼女のことを蚊帳の外に置いていることからして、排除されても何もおかしくはない。

 だというのに、おれはこうして議長室に迎え入れられ、ケルシー先生ですら知らないような情報にさえ触れている。恐らく、二人を除けばおれが事の真相に一番近づいているはずだ。それに、先ほどからのテレジアの意味深長な言葉も気にかかる。

 知る権利がある、知っておいた方がいい。おれが知ることに何か意味があるのか、そう考えてしまえば、ある一つの可能性が浮かび上がる。

 そのうえで、果たして彼女は何を考えているのだろか。おれは彼女のことをよく知らない。知っているのは、肩書とその表面的な人柄だけだ。そんな状態で、相手の思考を推察することなどできるわけもない。できるのは、この状況を利用することだけだ。

 現にこうしてケルシー先生にかかわる質問以外になら答えるという言質を取ることができた。ならば、この質問にも答えられるはずだ。

 

「……だったら聞こう。…………あんたらは、おれたちのことを売ったのか?」

 

 あのサルカズが言っていた。おれとΩは危険だと。

 何をもってそう判断されたかは分からない。しかし、確かなのはその言葉の通りにおれたちは排除の対象となり、あいつは任務に行った先で殺されたということだ。

 テレジアとドクターの命と引き換えに、バベルを見逃す。そんな、現時点の情報から考えられる交渉内容とは異なり、バベルのオペレーターであるはずのおれたちがなぜ狙われたのか。

 考えられることは二つ。テレシスに鼻から交渉内容を守る気がなかったか、交渉内容の中にその要件が組み込まれていたかだ。

 

「……何のことだ?」

「この期に及んで恍ける気か?ケルシー先生から聞いたぞ。……おれとΩについては違う命令が出ているってな」

「違う……命令?」

「ドクター!あんたは本当に……」

 

 ……いや。違う。

 

「……本当に、何も知らないのか?」

「……ああ。君たちのことが話題に出たことはない。……少なくとも、私の記憶する限りでは」

「っ……」

 

 ……おそらく、この言葉に嘘はないだろう。

 先ほどのドクターの様子。あれは、本気で困惑しているようだった。彼が謀略に長けていることは百も承知だが、テレジアがあのように言ったその直後に嘘を吐くとは考えにくい。何より、おれが何らかの交渉材料になっているのであれば、このような場を設ける必要自体ないはずだ。

 

「……少し、確認をさせてくれ」

 

 一度立ち止まり、冷静になって考えてみる。

 おれは先ほどから、どうしたらあの見てきた光景にたどり着くかという考え方をしてきた。すなわち、あらかじめ未来のことを確定させたのち、そこから逆算するようにして彼らの行動やその意図について考えるというものだ。

 実際にこの目で見てきた事実であるという以上、その正しさは疑いようがないのだ。そこを起点に思考を組み立てていくのは、ある意味当然であるとも言えるだろう。

 

 だが、この結論から考えていくということには、大きな落とし穴がないだろうか。それは、結論ありきで筋道を立ててしまうということだ。

 おれは崩れた積み木を見て、積み木が崩れるまでの論理的に破綻のない展開を考えてきた。だが、積み木を積んでいた当人は立派な城を作ろうとしていたのに、突発的なアクシデントで崩れてしまっていたのだとしたら?

 

 結論に当てはめようとする。おれは、ドクターとテレジアの二人がこの部屋で死ぬに足る理由を求めていた。おれとΩがテレシスから狙われるに足る理由を求めていた。

 だが。それらすべてに、果たして本当に理由があるのだろうか。妥当性、ロジック、そんなものに基づいたものだけで十分に説明ができるのだろうか。

 だから、確認する必要がある。すり合わせる必要がある。未来からの視点で物事を見ていたおれと、おれ以上に今のことを知っていて、けれども未来を知らない彼ら。

 お互いにお互いがある程度理解していると、暗黙のままに進めていた会話。そこに何か重大な齟齬が生じているような気がしてならないのだ。

 ……おれと、ドクターと、テレジアと。それぞれの間に。

 

「……あんたらはテレシスと何らかの交渉を持っている。これは合っているか?」

 

 おれがそう問いかけると、ドクターは少し逡巡する素振りを見せる。

 ……結局のところ、これに尽きるのだ。ドクターとおれは、お互いにお互いのことを信じていない。おれたちの間には、信頼関係というものが存在しない。

 だからこそ、ちょっとした言葉のやり取りであってもどこか裏を探るようなものになり、必要以上の言質を与えないような立ち回りをする。

 それゆえに、彼との会話は虫食いだらけで、お互いにそこを勝手に補完して話を続けているに過ぎない。齟齬が生じても何の不思議もないどころか、むしろ生じて然るべきだろう。お互いの見ている時制が違うともなれば殊更に。

 この状況をどうにかするためには、相手のことを多少は信じてみようと歩み寄るほかない。しかし、それが極めて困難なことは歴史が物語っている。おれとケルシー先生のようなケースは極めて稀だ。それに、おれも彼女の場合とは違ってまだドクターを積極的に信じてみようという気にはなれない。

 だが、この場にいるのはおれたちだけではないのだ。

 

 ドクターが、ちらりと彼女の方を向く。その視線を受けてか、彼女はおれのほうを見つめてきた。

 なんとなく避け続けていた彼女からの視線。だが、ここに至っても逃げているようでは示しがつかない。おれも、覚悟をもってこの場にいるのだ。

 おれは彼女の、テレジアの目を見る。少し赤みがかった琥珀色の瞳。長い年月が、苦悩が、その輝きを曇らせてしまったのだろうか。どこかくすんだ色をしたそれは、おれの好きな琥珀色とは随分と違って見えた。

 そこに浮かんでいるのは紛れもない慈愛であり、奥に秘められているのは強い意志と覚悟であり、瞳は彼女という人間をこれ以上になく雄弁に物語る。

 おれの瞳はどうであろうか。おれの意志を映し出してはくれているだろうか。今おれにできるのは、ただ目を逸らさぬことだけだ。

 

 永遠にも思える、ほんの数秒の対峙。その果てに、テレジアはドクターの方を振り返り、確りと頷く。

 彼女のその様子を見て、彼もまた腹を決めたようであった。

 おれとドクターがこの短い間にお互いを信じることは不可能だ。けれども、おれも彼も、テレジアのことならば信じられる。不信を乗り越えて、信じてみてもいいと思える。

 誰よりもおれたちサルカズのことを想っている、彼女なら。

 

「……W。君の言う通り、確かに私たちはテレシスと交渉していた」

 

 長い沈黙を経て、ついにドクターが口を開く。

 先ほどまでの会話とは違う重みが、ひしひしと伝わってくる。

 おれは、そんな彼に対して決定的な言葉を求めた。彼の嘘を暴き、そしてこの事態の終着点を確定させる、致命的な一言を。

 

「……その交渉は、この戦いを終わらせるものか?…………バベルの敗北という形で」

 

 ドクターはかつて言っていた。必ず勝利すると。そのための作戦を考えると。

 ドクターに不信を抱いていたオペレーター達も、彼の能力ともたらされる勝利だけは信じていたはずだ。彼自身が、そう語っていたように。

 けれども、彼らの話と、それから今起こりつつあることからは、勝利の二文字を得ることは到底できそうにない。そればかりか、おれが見てきたものが示すのは、バベルという組織が終わったということだった。

 だからこそ、彼自身の口から聞き出さなければならない。おれたちは、敗北したのだということを。一つの夢が、終わったのだということを。

 おれの言葉を聞きとどけたドクターは、ゆっくりと、噛み締めるようにしてその言葉を口にする。

 

「…………そうだ。……バベルという組織は崩壊するだろう」

 

 その時、おれは不思議な既視感を抱いた。彼が今口にしているのは完膚なきまでの敗北宣言のはずだ。けれども、その言葉の端からはなにがしかの満足が感じられる。それはちょうど、つい先ほど、おれが彼からの質問に返答したときのように。

 そう、ケルシー先生はドクターを恨んでいるという返事を聞いた時のように。

 

 果たして、おれの感じたものは間違いではなかったらしい。続くドクターの言葉が、それを教えてくれた。

 

「……だが、私たちは勝利を得ることができる」

「…………どういうことだ?」

 

 彼の言葉を額面通りに捉えるのならば、組織は崩壊するが、自分たちはそこから何らかの利益を得ることができるというように聞こえる。だが、この後に起こることを考えればそうではないはずだ。では、彼は何を持って勝利を得られると語っているのか。

 そんな、おれの口をついて出た疑問に対して、ドクターはいたって穏やかな調子で言葉を返してくる。

 

「……君にとって、勝利とは何だ?」

 

 質問に対して返ってきた質問。けれどもそれは、さながら静かな水面に投げ込まれた石のように思考をさざ波立たせる。

 勝利。現在、テレシス率いる軍事委員会と戦っているという状況下において、おれの中でその言葉はこの内戦そのものであったり、具体的な個々の作戦における戦闘であったり、つまりは戦争での勝利だと認識されていた。つまりは、バベルの勝利だ。

 しかし、今ドクターはおれにとっての勝利は何かと問うてきた。

 ……おれにとっての勝利、か。そんなこと、考えたこともなかったもしれない。傭兵にとって、サルカズにとって、生きるとは戦うことであり、生き残るとは戦いに勝ってきたということだ。そういう意味では、個人にとっての勝利と集団にとっての勝利が一致していたのだろう。だから、深く考える必要がなかったのだ。生きることそのものが勝利だったのだから。

 けれども、今は違う。おれはもう、ただ生きるだけの日々には戻れなくなってしまった。

 

 おれにとっての生きるということは、あいつの隣にいるということだ。あいつと生きるということだ。

 それならば、おれにとっての勝利というのはきっと──

 

「……この戦いで生き残ること。そしてあいつを、いや、あいつと、幸せになることだ」

「…………そうか。……それならば、私のすることは君の勝利の助けになれる」

 

 勝利というのは、いつだって戦って勝ち得るものだ。おれは戦って、そうして生きて、その先のものまで手に入れる。

 ……我ながら、随分と欲深くなったと思う。けれども、ただ漫然と生きるよりは余程いい。おれはそれを、この場所で知ったのだ。

 

 そんなドクターの問いによって目的が、意思が、より強固で明確なものとなり。

 それと同時に、おれは彼の質問の意図を悟った。

 つまり、彼が口にしていた勝利とはバベルのものではなく、彼自身が希求していたものなのだ。傍目から見れば完膚なきまでの敗北であっても、彼が自身で定めた勝利条件を満たすことができたのだとしたら。それは、勝利の一つの形となりうるのではないだろうか。

 

「ドクター、あんたは……」

 

 おれの返答を聞いて、満足そうに頷いている彼の名を呼ぶ。

 自分にとっての勝利とは何か。それを考えたときに最初に思い浮かんだのは、不思議と自分自身のことではなかった。

 これはあくまでおれの考えたことであるし、それが他人に当てはまるのかなどは分からず、また当てはめるということ自体が適切なことではないのは分かっている。

 けれども、そう考えると腑に落ちる気がするのだ。

 なぜ彼女だけこの場にいないのか、なぜ彼は満足気なのか。……なぜ、彼は彼女に憎まれることを望んでいたのか。

 彼にとっての譲れない一線、自らの命すら捨てても譲れないものが一体なんであるのか。

 だが、その名前を口にしようとした瞬間、ドクターはそれを遮るようにして言葉を紡ぐ。

 

「私にとっての勝利は、君たち皆が無事に生き残れることだ。それが、この戦争を指揮してきた者としてのせめてもの責任というものだろう?……ただ……」

「……ドクター。これはもう、何度も話し合ったことでしょう?」

 

 戦争を指揮してきた者としての責任。その言葉と、テレジアの態度とがすべてを物語っていた。

 おれの視線を受けて、彼女はこちらを振り向く。

 

「W。これが、私たちにとっての勝利よ。……生きてさえいれば、未来は開ける。生きてさえいれば、きっといいことがある。……私はそう、信じているわ」

 

 生きてさえいれば、きっといいことがある。……それは、おれたちだけじゃないはずだ。ドクターにだって、テレジアにだって、生きてさえいればそれがあるはずだ。

 だが、おれにはそれをやすやすと口にすることなどできない。その選択に至るまでに積み重ねられた覚悟の量が、おれの口を重くする。

 結局、絞り出せたのは彼らに対してことの全てを確認する言葉だけだった。

 

「……それじゃあ、交渉というのは……」

 

 そんな、おれの覚束ない問いかけとは対照的に、芯の通った静かな力強さを持ってドクターの答えが返ってくる。

 

「ああ。私と、そしてテレジアの身柄と引き換えに、ロドス・アイランドを見逃してもらうための交渉だ」

 

 ……?

 

「つまり今日、君たちオペレーターに出払ってもらっていたのは、身柄の受け渡しを円滑にするためでもある」

 

 身柄?受け渡し?

 

「……ちょっと待ってくれ。身柄の受け渡し?」

 

 やり方が迂遠だとはずっと思っていた。だが、交渉の材料として彼ら二人の命が必要だったのならば、それを確認する役がいる。だからわざわざサルカズ傭兵がロドスにやってきたと思ってい た。

 けれども、もしそれならば方法がおかしい。貴人が死を賜わる方法について議論する気などないが、わざわざ苦痛の大きい方法を使うだろうか?

 自罰的な行いだと言うのならまだ理解の余地はあるが、それを差し置いても交渉を行ったのにも関わらず、その終わり方を決めることがこちらに、敗者に許されるのだろうか?

 内戦を終結させるのならば、それが全ての者に伝わるような形で終わらせなければならない。

 例えば、公開処刑。

 例えば、裁判。 

 そうやって、勝者と敗者をはっきりとした形で知らしめようとするものでは無いのだろうか。

 違和感は常に存在していた。けれども、ドクターから聞いたテレシスのやり方は、さながらこちらが降伏することを待っているようなものだった。それならば、築き上げたもの自らの手で、バベルを崩壊させる。そういう悪趣味な方法もあるのかと考えていた。

 

 だが、彼らの身柄をテレシスの元まで連れていく予定だとしたならば。

 その違和感は根本から解消される。

 あの時いた二線級と思しき部隊も、彼らを連れ出す経路を確保する要員として来ていたと考えれば辻褄は会う。

 

 ……そして、その代わりに浮上する特大の謎。

 誰がドクターとテレジアを殺したのか。その答えとはすなわち──

 

「?……何か」

「ドクター」

 

 何かを言いかけた彼のことを制するようにして、議長室に声が響き渡る。

 それ自体は柔らかなものなのに、おれはそれがひどく恐ろしく冷たいもののように感じられた。

 

「テレジア、いったい…………」

 

 どさり、と何かが床に崩れ落ちる音がする。

 ……見えなかった。何も、彼女が一体何をしたのか。

 そんな、おれの戦慄をよそに、彼女は──テレジアは微笑んで言った。

 

「W。これで、あなたの疑問にも答えられると思うわ」

 

 テレジアを殺した犯人。

 それは、テレジアだった。

 




音声記録No.10223378

「暇ね」
「暇だな」
「……せっかくの休みなんだから、なんか面白いこと考えなさいよ」
「……ないない。遅めの朝飯食ってダラダラできるだけいいだろ」
「はあ……それじゃあ、またあんたの部屋に行って本でも読むことにするわ」
「あんまり荒らすなよ……」
「わかってるわよ……」
「「はあ……」」
「……暇だな」
「……暇ね」
「…………そういや」
「?……どうかした?」
「いや、この前の任務で変な物を見つけたんだよ。ちょっと持ってくるから待っててくれ」
「……変な物って何よ」



「どうだ?」
「格子が書かれた台と駒……何かのボードゲーム?」
「たぶんそうだと思う。しかもほら、ご丁寧に駒に矢印が書いてあるだろ?」
「台の方にも駒のシルエットが書いてあるわね。初期位置ってことかしら」
「……なあ、Ω」
「何?」
「こいつで勝負しないか?」
「……受けて立とうじゃない。で、負けた方はどうするの?今日一日は絶対服従とか?」
「……いや、そういうのは……」
「あら、ごめんなさい。先が見えてる勝負でそういうのは良くなかったかしら?」
「上等だコラ」



「はい。これであんたは詰みね」
「いやいや…………ふう、参りました。では、おれはこれで……」
「待ちなさい」
「待ちません!」
「絶対服従」
「…………はい」
「よろしい。じゃあ、まずは遅めのランチでも作ってもらおうかしら。久しぶりのあんたの料理、楽しみにしてるわ」
「……別にそれくらいだったら言われればいつでもやるぞ?」
「……もっとキツイ命令がよかったかしら」
「滅相もございません!」

「……今日は長いわよ。楽しみにしておきなさい」


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