テレジアは、善い人だと思う。
彼女はいつだって、おれたちサルカズ全員の幸せを願っていた。こんな、おれやΩのようなただの傭兵ごときの名前すらも憶えていたように、何の比喩でもなく全員の。
そんな途方もない、信じられないようなことを心の底から願っていた彼女は、間違いなく善い人だ。
生きるためにおれたち傭兵が躊躇いもなく敵を殺す横で、彼女は少し悲しそうに眼を伏せ、けれども毅然として前を向きなおす。その強さが、優しさが眩しかった。彼女のために戦っていることが誇りに思えてくるような、そんな力がテレジアにはあった。
けれども、おれはなぜだか彼女を信じ切れなかった。盲目的になり切れなかったといったほうがいいだろうか。
それが傭兵の性なのかもしれない。あまりにも綺麗すぎるものに、拒絶反応を示したのかもしれない。理由は何でもいい。とにかく、おれは常にテレジアのことを意識の片隅で警戒していたのだ。……それこそ、今回のことすら何一つ伝えなかったほどに。
果たして、おれの勘は正しかったのだろうか。
目の前で微笑をたたえるテレジアと、意識を失って倒れ伏すドクター。これまでの前提が全てひっくり返るようなそんな光景を前に、おれは必死に頭を働かせる。
彼女は「これであなたの疑問にも答えられる」と言っていた。それはつまり、ドクターには聞かせられない話ができるようになったということだ。
彼は先ほど、自分自身とテレジアの身柄を引き渡すと言っていた。ならば、そうではないということは、彼に聞かせられる話ではないだろう。おれが実際のその結果を見てきたということを悟られぬよう、テレジアに問う。
「……つまり、身柄をテレシスに渡す気はないと?」
「ふふっ!」
彼女は、笑った。
「……ああ、ごめんなさい。随分回りくどい言い方をするものだから、思わず笑ってしまったわ」
身体が震える。
……おれは、十分警戒をしていたつもりだった。けど、それはあまりにも甘すぎたのかもしれない。
「W。あなたが聞きたいのは、どうして私とドクターがこの部屋で
目の前にいるのは、規格外の怪物だというのに。
「な……にを……」
そうして、咄嗟に疑問の声を挙げられただけでも上出来と言えるだろう。
倒れていた。テレジアは、そう言った。倒れることになる、ではなく、過去形で倒れていたと。
そこに考えが至った瞬間、これまでの彼女の言動が蘇ってくる。おれに対して、テレジアは先ほどから何か含みのある言葉を言ってはいなかっただろうか。
「あなたがここにいるのはおかしなことではないわ。……寧ろ、必然というべきなのかもしれないわね」
「いいの。……彼には、知る権利があるわ」
何が必然なのか、何が権利があるなのか。おれはドクターに意識を向けるあまり、そうした彼女の言葉へと注意を払えていなかった。けれども、今となってはそれらが大きな意味を持ってくる。
もしそれが、テレジアが
「初めてあなたのことを視たとき、驚いたわ。だって、同じような光景が幾度となく繰り返されているのだもの。……まるで、時間が巻き戻っているかのように」
「……っ!」
寸分違わず核心を貫いてきた彼女に対して、言葉を返すことができない。知られている。おれがこれまであいつ以外の誰にも言ってこなかった秘密を、巻き戻りの事を。
……落ち着け。知られたことはどうしようもできない。問題は、なぜ知られたかということだ。おれは、このことを誰にも、特に三人には知られる訳には行かないと思っていた。だから、ロドス艦内ではあいつとこの話をしたことは無い。現に、三人の中の一人であるケルシー先生はおれに疑念を抱いていたとはいえ、それを巻き戻りだとは認識していなかった。あくまで、彼女の膨大な知識の範疇で有り得る可能性を考えていただけだ。
だが、テレジアはケルシー先生のような疑念ではなく、確信を抱いている。彼女ら二人の知り得ることに、そこまで大きな差があるようには見受けられない。むしろ、ケルシー先生の方がその量は多いように思う。ならば、その差を生み出すのは……サルカズであるか否か、か?
……そうだ。サルカズだ。前に、彼女がうわ言のように呟いていた。
魔王。
サルカズは、他種族から魔族と呼ばれることがある。おれたちの誰もがそれを不愉快に思っているが、それはこの際どうでもいい。
サルカズの王、すなわち魔族の王、魔王。
普段は彼女のことを名前で呼ぶケルシー先生が、このような物言いをしたのには必ず理由があるはずだ。
例えば、魔王とは呼称ではなく、実態を伴った”何か”だとしたら。
テレジアの持つ何か。それを探るヒントならある。
つい先程、彼女はおれのことを見て驚いたと言った。視覚情報で驚くというのは、見知った顔であったとか、何か外見に纏わる要素があっての事のはずだ。しかし、その見たという言葉に続いたのは、同じような光景が繰り返されるという事象。これでは辻褄が合わない。
同じ光景を繰り返してみているのは、おれのはずだ。テレジアではない。
だから。彼女の言う、みたというのは。視覚的、光学的な情報ではなく。おれの頭の中にあるものなのではないか?
しばらくの沈黙の後、おれは口を開く。
「……記憶を覗き見ることが出来る。魔王とはそういうものなのか、テレジア」
「……ええ。そういうこともできるわ」
おれの仮定に仮定を重ねた言葉に、あっさりと肯定が返ってくる。まるでなんてことはないようなその返答は、それ以上もあるという含みすら持っていて、おれは完全に彼女に太刀打ちできないことを悟った。
ブラフという線もあるが、少なくとも記憶を読める、またはそれに準ずる能力があるという点においては現状からして認めざるを得ない。どのような条件で記憶を読めるのか、どこまで視ているのかなど、まだ不明な点はあるが、相手が相手なだけに最悪を考えた方がいいだろう。
事ここに至っては、もはやおれにはどうすることもできない。だから、問う。
「……あなたは、おれに何を求めているんだ」
「W。あなたとは、一度きちんと話しておきたかったの。きっと、それがお互いのためになるわ」
お互いのため。それがどういう意味なのか、おれにはまだわからない。けれども、一つ確かなのはこの期に及んでも、テレジアが求めているのは会話だということだ。先ほどまでの神経をすり減らすような応酬はもはや必要ない。こちらの手札は開示されきっている。ならば、いっそのこと開き直ってしまった方が彼女の求める会話とやらになるだろうか。
「……なら、どうしてドクターを刺し、自分の首を刎ねるようなことをしようとしているんだ?」
「……そうね」
もう遠慮は一切しない。する必要がない。だからこそ、一直線に最短距離で切り込む。
そもそもの、今回のことの最大の謎。先ほどのドクターとの問答で、降伏交渉が水面下で動いていたことは理解した。具体的な条件が、二人の身柄の受け渡しだということも。
だというのに、それを反故にするかのようにテレジアはドクターを害し、自死した。共謀していたドクターすら知らない、彼女だけの思惑に基づいたこの行動は一体なぜ、どうして行われたのか。
「……一言で言ってしまえば、ドクターのためよ」
「ドクターの……?」
「ええ。……もっと言えば、ケルシーのため、かしら」
頭の中を疑問符が飛び回る。彼女の行いのためにドクターは瀕死になり、ケルシー先生は何も知らされぬまま独りになるわけだが、それの何が彼らのためになるのだろうか。
そんなおれの訝しげな様子は、どうやら彼女にも伝わったらしい。小さく笑ってから、テレジアは語りだす。
「少し、話を整理しましょうか。W、あなたはなぜドクターがあのような条件で和平交渉を進めていたかは分かっているかしら?」
「……ケルシー先生を守るため、か?」
「……流石に、わかってしまうわよね」
先ほどの会話の中で感じたこと。彼女が交渉から排除されていたのは、その身を守るためではないかということ。その推測は、果たして間違ってはいなかったらしい。その行動が完全なる感情の産物なのか、はたまたケルシー先生ならばこの後の組織運営を行っていけるという計算も含まれているのかはわからないが、おれとしては後者の理由からそう悪くはない選択だと思う。
だが、一つ疑問は残る。それは、ドクターまで必要だったのかということだ。
身も蓋もない話ではあるが、テレジアの身柄を引き渡すことは、和平には必要不可欠なことだろう。なぜなら、彼女を失った瞬間、バベルは内戦に介入する名目を失うからだ。だが、今回の降伏でドクターまで必要かと言われると、疑問符がつく。これが仮にバベルの無条件降伏だとしたら、彼のような軍事指導者は勝者の論理に基づき処分されることだろう。しかしながら、今回の戦況は表向き互角で、テレシス陣営には外部勢力に介入されないうちに内戦を終わらせなければいけないという制約まである。この情勢下で、果たしてこちらが相手の過大な要求を呑む理由があるのだろうか?
「……だが、それにしてもこちらが譲歩しすぎだろう」
「そう思うのも尤もよね。……けれども、カズデルの歴史を考えれば、おかしなことではないの」
「歴史?……それは…………」
おれの知っているカズデルの歴史など、ほとんどないに等しい。しいて言うなら隊長に少し聞いたことがあるくらいだ。テレジアたちが先頭に立って戦いに挑んだ、と。
「あなたのような、若いサルカズは恐らく知らないでしょうね。……カズデルは、幾度となく灰の中から蘇り、その度に灰燼に帰すことを繰り返してきたわ。前回、カズデルが再び興ったのは200年前」
200年前。言葉にしてしまえばそれだけだが、途方もない時間だ。それこそ、乱世が強力な中央集権国家体制に変貌するほどの。隊長やテレジアが戦った時代は昔のことだろうとは思っていたが、それにしても驚いた。特に彼女は、その内面はともかく外面からはそこまでの時間の経過を感じられない。長命なサルカズとはいえ、だ。
そんな思考を繰り広げるおれの前で、テレジアは目を閉じる。その瞼の裏には、200年前のことが浮かんできているのだろうか。
「……彼らは、勇敢に戦ったわ。ヴィクトリアの蒸気騎士に、リターニアの術師に、ガリアの巨砲に、その身を粉にして立ち向かって……そして、敗れたの。圧倒的な戦力を有した連合軍と、それを率いる……ケルシーの前に」
「!?」
「……わかったかしら、W。テレシスと、その側に立つ者たちが彼女をどう思っているのか」
突然投げ込まれた衝撃的な事実に、一瞬頭がフリーズする。
ケルシー先生が、かつて、200年前にカズデルを滅ぼした?そのころから彼女がいたということを横に置いたとしても、彼女がそのようなことをしたということが信じられない。今の、テレジアと同じ側に立っている彼女しか知らないために。
だとすれば、テレジアは一度自分たちを滅ぼした相手と共にバベルを立ち上げたということになる。一体、そこに至るまでにどれほどのことがあったのだろうか。ケルシー先生のことだ、かつての行動にも、何かおれの思いも及ばないような深謀遠慮があったのかもしれない。テレジアにしても、何か感じ入るところがあったのかもしれない。だとしても、敢えて単純化してしまえば加害者と被害者が手を取り同じ方向を向いているということに、おれは驚嘆の意を感じざるを得ない。
恨みはそう簡単に晴れるものではない。そのことを、彼女の言うようにテレシスたちがまさに体現しているのだ。かつてカズデルを滅ぼした諸国への軍事的な復讐を。
しかし、過去の出来事を耳にしたことでわかったことがある。
「……それじゃあ、ドクターは贄になろうとしたのか?それも、自分から」
ケルシー先生と行動を共にしていることからわかるように、テレジアは改革派に属すのだろう。であれば、テレシス側についているのは主流派、すなわち200年前の恨みを強く持った者たちになる。そんな奴らが、復讐を果たす絶好の機会を逃すだろうか。答えは当然ながら否だ。
だからこそ、彼女の代わりが、生贄が必要だった。彼は、それに自分自身を選んだ。もしかすれば、自分が犠牲になることがケルシー先生を苦しめることになり、それで留飲を下げることができる、そんなことすら嘯いたのかもしれない。現実に交渉がテレジアと彼の身柄の引き渡しで落ち着いたことが、敵陣営がそれで納得ないし妥協したということを示していた。
「……それが、彼の考えだったのよ。例えケルシーに恨まれようとも私と、そして自分自身とを使って彼女を守ろうとした。……少し、妬けてしまうわよね」
少しだけ、彼女は寂しそうな、困ったような、そんな顔をした。そこに秘められた複雑な感情を垣間見て、おれは何も言えなくなる。
そんなこちらを尻目に、彼女は言葉を続けた。
「ごめんなさい、話が逸れてしまったわ。……確かに、ドクターが選んだこの方法なら、ケルシーとバベルは無事に守ることができると思うわ。彼女さえ残っていれば、私とドクターが居なくなった時点でカズデルを去ることを選べるはずだもの。……けれども、W。それではあまりにも救いがないとは思わない?」
「……恐らくドクターは処刑され、ケルシー先生は事態を引き起こした彼を恨み、それを防げなかった自分を責め、喪失感に喘ぐ。……テレシスたちが知れば、さぞかし胸がすく思いだろうな」
なるほど、確かに救いがない。特に、ケルシー先生にとって。ドクターにとっても、自分の命を賭してまで守りたかったものがそうなってしまったのなら、なおのこと。
「……そもそも、この内戦は私が始めたようなものでしょう?……だから、責を負うのは私だけで十分だわ」
そう、テレジアは呟くように言った。
……少し、わかったような気がする。バベルにやって来た時から思っていたこと。彼女も、ドクターも、ケルシー先生も。一見すると大きな理念や計画のように動いているように見えて、それも確かに一つの事実ではあるのだろうけど、実際のところは酷く小さなもの、目の前の人を思いやるような、そんな行動原理を持ってもいる。
サルカズの自由と幸せを願う彼女は、しかし身近な存在の幸せもまた願っている。大のために小を犠牲にするのでもなく、小事のために大事を損なうでもなく、両方を得ようとしている。
ともすれば傲慢だろう。けれども、それを貫き通すところが彼らの強さであり、人を惹きつける魅力でもあるのだ。
それと同時に、彼女が言った言葉の意味もわかってきた。ドクターを刺し、自死したのは彼らのためだという言葉だ。
何がどうなって彼らのためになるのかはわからない。けれども、テレジアはどうしようもない未来に、せめてもの救いをもたらそうとしたのではないか。
「……結局のところ、彼らが求めているのは私のことよ。その生死は問わずしてね。ドクターに関しては、厄介な敵が消えればいいというだけ」
「……ドクターはあのままでは遠からず死ぬぞ」
「ケルシーがいれば問題ないわ」
問題ない。つまりドクターは、普通なら死ぬあの状態から助かるということか。彼の物理強度は至って平凡なはずだが、ケルシー先生には何か手があるのだろうか。はたまた、ドクターにはまだ秘密があるのだろうか。
一つ何かを知る度に、一つ何か新しい謎が生じる。この期に及んでも、その構造は変わらないらしい。だが、別におれは全てを知りたいわけじゃない。知りたいことだけ知ることが出来れば、それでいい。
聞くべきことは、まだある。
「……だが、どちらにせよ交渉に当たっていた二人が行動不能になることには違いない。むしろテレジア、あなたが死んだら誰が交渉内容が、結んだ和平協定が履行されることを見届けるんだ?」
身柄を引き渡す、ということであれば。ドクターはさておき、テレジアは特大の源石爆弾のようなものだ。彼女のことを粗末に扱うことの出来るサルカズなどいないだろうし、うっかり爆発させれば相応の被害が待っていることだろう。だから、生きて彼女を引き渡すことは軍事委員会側に協定を履行させる、一種の圧力になり得た。
しかし、死んでしまったのならば。もはや、その圧力は存在しないのでは無いか。そのうえで協定が履行されると考えるのは、あまりに楽観的すぎやしないか。
おれのそんな問いかけに、彼女は笑みをもって応える。
「……巫術があるわ。知っての通り、サルカズには死と結びついた古いアーツがあるもの。あなたのそれは、違うようだけれど……」
「……巫術」
その可能性は考えていた。おれも詳しくは知らないが、特に古いサルカズには巫術の使い手がいる。200年前から生きている彼女ならば、使えてもおかしくはない。死に結び付いたということは、テレジアの死を以て発動するようなアーツなのだろう。ケルシー先生が言っていたが、オリジニウムアーツには何らかの残留物が付随するらしい。それをうまく用いたのが巫術なのだろうか。
だが、それよりも今の彼女の言葉には聞き逃せない部分があった。それは、おれの巻き戻りは巫術ではないと言ったことだ。この現象は、死と密接に関わっている。テレジアもそのことは視ている筈だ。
にもかかわらず、彼女は違うようだといった。サルカズの王族という、おそらく巫術についての知識はトップクラスであろう彼女が言うのだからそうなのだろう。ここにきて嘘をつく理由も見当たらない。……結局、テレジアでもわからずじまい、か。
……だが、これで今回おこった出来事については凡そわかった。
すべてのきっかけは、内戦終結のための和平交渉だ。思えば、直近の情勢は小競り合いが起こる程度で、大規模な戦闘は起こっていなかった。これが和平の前段階としての停戦状態だったのかもしれない。
この、ドクターが主導して行われた水面下での交渉の結果、詳しいその他の条項はわからないにしろ、彼とテレジア、二人の身柄を引き渡すことになった。
しかしながらテレジアはこの条項を不服とし、テレシスは彼女の遺体を回収することとドクターの排除でも妥協すると判断、彼の死亡を偽装し、自らは巫術の使用のために自死した、ということなのだろう。
こうして事象だけを並べてしまうと、ドクターは交渉でテレジアを犠牲にすることを是としていて、テレジアもまた交渉を無下にしているなど、どうしてこうなったのかとしか言いようがない。
……けれども、その裏にある両者の心情について慮ると、おれは何も言えなくなってしまう。
ドクターは、ケルシー先生のことを想って行動していた。そして、そのために自分と、そしてテレジアまでも犠牲にする決断を下した。それに彼が罪悪感を抱いていたのは、間違いない。
テレジアは、二人のことを想って行動していた。自分だけが犠牲になることで、二人のことを救おうとした。かつては敵だったケルシー先生と、それと懇ろでかつ自身も複雑な感情を抱いていたであろうドクター。その二人のために身を捧げる裏で、一体どんな感情が渦巻いているのだろうか、おれには知る由がない。
おれは、今回のことでバベルが崩壊することを危惧していた。おれとあいつの、居場所であったこの場所が無くなることを。
だから、そのためにケルシー先生に連絡を取った。これから起こる悲劇を未然に防ごうとした。
けれども、果たしてそれは正しかったのだろうか。ほとんど部外者であるようなおれが、彼らが悩んで、苦しんで下した決断を、何もかも知ったような気になって台無しにしてしまったのではないか。今となってはもう遅いが、そんな考えが頭をよぎる。
「……テレジア。結局、なぜあなたはおれにこんなことを教えたんだ」
知ってしまったからこそ、考えてしまう。おれの行動は、一体どこにまで影響を及ぼしているのだろうと。ずっとわかっていたはずのことが、今更になって。
視てきたからこそ、彼女はわかっているだろう。おれがこれまで、何をしてきたか。どれだけの時間を繰り返し、未来を自分の望むように捻じ曲げてきたか。
「それは……せめて、一人くらいには知っていて欲しかったの。本当は、何があったのかを」
だが、返ってきた言葉は、おれの想像していたものではなかった。
「?……どういう……」
「……そろそろ、時間ね」
思わず口をついたおれの疑問をよそに、テレジアは立ち上がる。そのまま出入口へ向かうと、扉を開けて、その向こう側に向かって言葉を投げかけた。
「──アーミヤ。もう、入ってきても大丈夫よ」
「は、はい……」
「っ!」
……まずい。ドクターとテレジアのことで頭がいっぱいで、アーミヤのことを完全に失念していた。これは……彼女にも、聞かれたのだろうか。
思わずおれがテレジアに視線を向けると、彼女は小さく首を横に振った。
「この部屋は防音になっているわ。それに、他の誰にも伝えてはいない……と言っても、信じてくれるかはあなた次第だけれど……」
「…………」
おれの視線の意図を正しく読み取った彼女が、そう告げる。
……テレジアのことを信じられるかどうか。彼女のこれまでの言葉は、真実であったように思う。その想いも、行動も、紛れもなく真心からのものだと感じた。今の言葉だって、おそらくは。
しかし、だったらなぜ、おれは彼女を警戒していたのだろうか。
そんな考えに沈むおれの前で、テレジアはドクターの傍にしゃがみ込む。彼を見下ろすような恰好の彼女は、意識を失って閉じられた彼の瞼を開き、その瞳を覗き込んだ。
……待て。
テレジアのさっきの言葉は何だった?
「せめて、一人くらいには知っていて欲しかったの」
……一人くらい。ドクターは気絶していて、おれと彼女が交わした会話を知らない。だから、おれ一人だけが本当は何があったかを知っている、そういうことかと思った。だが、おれが聞いたのはほとんどがドクターも知っている話で、彼は知らない部分も、彼自身に降りかかった出来事からわかるようなことだ。少なくとも、ドクターの頭脳で本当のことを導き出せないわけがない。
……おれは彼女を警戒していたといった。その中で、特に気がかりだったことがある。
──彼女の眼を見るのが、妙に嫌だった。思えば、今日覚悟を決めるまで、目線を合わせないようにしていたのではないか。それは、こちらの心根を見透かされるのが嫌だったからだったのかもしれない。けれどもおれの勘は、傭兵の勘は、馬鹿にできる物じゃない。
テレジアの持つ魔王は、記憶を読むこと
より強く干渉すれば、記憶を操作することもできるのではないか?
「っ、テレジア!ドクターの記憶を……」
「W。あなたに一つ忠告しておくわ。……あなたの持つ力は素晴らしいものよ。けれども、人にできることには限りがある。何でも、すべてを思い通りにすることなんて決してできないわ。……だから、W。どうか、あなたの一番大切なもののためにその力を使って」
テレジアは、腕の中に抱いたアーミヤに何事かを囁く。ピンと伸びた耳が小さく縦に揺れ、彼女が微笑み──
──そこからの光景は、スローモーションのようにゆっくりと見えた。
いつの間にかテレジアの手の中にあった青く輝く漆黒の剣が、ロドス・アイランドの外壁を切り裂く。おれは、その後に起こることを予期し、どうにか止めるべく柄に手をかけ、一気に抜き放つ。数瞬以上遅れたその剣先は、虚しく空を切り、ドクターから朱い鮮血が噴出した。
「Mon3tr!!」
アーミヤの入室後、再び閉ざされた扉の向こうからケルシー先生の叫び声が聞こえる。同時に聞こえてきた獣の唸り声と破壊音はしかし、あまりにも遅すぎた。
穏やかな表情のまま、テレジアは自身の首に沿わせた剣を引き絞る。頭部が刎ね飛んで高速で流れる風景に消えてゆき、次いで頭を失った胴体が背後に向かって倒れこんでいく。ふと、何か黒く輝くものが、アーミヤに吸い込まれたような気がした。
ゆっくりだった景色が、元の速さに戻る。残されたのは、刀を抜き放ったおれと。血まみれのドクターと、返り血で赤く染まったアーミヤ。
「っ、テレジ……ア……?」
粉塵をかき分け、ケルシー先生が議長室に飛び込んできたころには、全てが終わっていた。
「っ、ドクター!…………よかった……W!」
「……ケルシー先生」
「君は!……いや、君ではないな。なら誰が……」
そう言ってからドクターを手当する彼女を見ながら、思う。
テレジアの最後の言葉。あれはやはり、おれにこう言いたかったのだ。
余計なことはするな、と。
遺体はどうなったのだろうか。前回に出会ったあのサルカズあたりが、無事に回収したのだろうか。それとも、エリートオペレーターたちが防ぎきってしまっただろうか。
……おれのせいだ。おれのせいで、テレシスがバベルから手を引くという確証は得られなくなった。テレジアとドクターが文字通り命がけで描いた筋道を、おれが考えなしに踏みにじってしまった。
……でも、もう振り返るわけにはいかない。言われてしまったんだ、テレジアに。一番大切なもの。あいつの、Ωのために力を使えと。だから、ここで落ち込んでいる暇はない。
「……何があった?」
手当が終わったのか、ケルシー先生が声を掛けてくる。
……何があったか、か。思えば、色々なことがあった。けれども、今のおれに言えるのはこれだけだ。
「……テレジアは、死にました」
「……噓だろ?」
気が付くと、おれは調理場の一角にいた。
動悸が早くなっていく。吐く息が、震えているのがわかる。
おれは、恐る恐る時間を見た。
4時27分。日付は……今日の朝だ。
「……戻った」
まだ時間じゃなかったはずだ。ちゃんと伝えておいたはずだ。
それなのにまた、あいつが死んだ。
脳裏にテレジアの言葉が蘇ってくる。
……おれは、どうするべきだろうか。遠くから近づいてくるSteam02の駆動音は、まるでおれに選択を迫っているかのようだった。
音声記録No.10223385
「……さて、何を買おうかしら」
「金払うのはおれだけどな」
「なるべく高いのを選んであげるから、安心してちょうだい」
「安心できる要素はどこだ?」
「……何だかんだ、購買エリアも賑やかになってきたわね」
「……まあ、難民の収容も増えたしな。やっぱり人口は経済に直結するってことだ」
「ふーん。ま、買う側からしたら物の種類が増えてありがたいわね」
「だな。お、民芸品の類もあるぞ。こういうのも出回るのか」
「…………」
「ん?……お兄さん、こいつを貰ってもいいか?」
「!……ちょっと、何も言ってないじゃない!」
「いや、物欲しそうに見てただろ?」
「……別に。第一、そういうのはあたしには似合わないわよ」
「……おれは……似合うと思うけどな」
「…………」
「…………」
「……はあ。あんたがどうしてもって言うんなら貰ってあげるわ」
「……じゃあ、これ」
「ありがと。……………………どう?」
「!……なんだ、その……綺麗、だな」
「……ふん」
「……あの、お客さん、そろそろ…………」
「「!!」」