WとΩのバベルキッチン!
ある日の夕方。おれとΩは厨房へと向かっていた。
隣のあいつに目をやれば、両手でクーラーバッグを抱えてうきうきとした様子なのがわかる。足取りも軽く、今にもスキップし出しそうなほどだ。
だが、そんな浮かれた様子も彼女の持っているものを知れば納得であろう。
「それで、この獣肉で何を作るの?」
「うーん、迷うな。シンプルに焼いたのは向こうで食わせてもらったし……まあ、ある食材次第だな」
そう。クーラーバッグの中には、上等な獣肉が入っているのだ。
少し前、ロドス・アイランドから離れて任務に出ていたおれたちは、その帰り道でオリジムシの大群と遭遇した。何もない枯れた荒野に黒々とした何かが蠢いていて、最初は急に川でもできたのかと思ってしまったほどだ。
ともあれ、道を塞がれてしまってはどうしようもない。回り込むのも癪だし、車両で強行突破してもタイヤがパンクする恐れがある。ならば駆除するしかないということで、おれとΩで適当に吹き飛ばすことにした。もちろん、おれたちがオリジムシ程度に後れを取るわけもなく、あっさりと進路上の奴らを排除できたのだが、問題はそこからだった。
怒り狂った群れが追いかけてきたのだ。
ちょっと冷静になって考えてみれば、なんでこんなに大量発生していたのかだとか、どこか殺気立っていたことだとか、いろいろ気が付きそうなものだったのだが、任務終わりで気が抜けていたのと相手が相手なので侮っていたのとで、安易な行動に出てしまったのが祟った。
今になってみれば一ついい教訓を得たと言えるが、当時はもうてんやわんやだ。車両に乗りながら、後ろから猛烈な勢いで追ってくるオリジムシ達をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大立ち回り。小癪にも別働隊を使って回り込んできたり、車両の機動力を殺すような地形に誘導したりしてくる奴らへの呪詛を垂れ流しながら爆破して銃撃してアーツで消し飛ばしてを繰り返していれば、終いにはとんでもないデカさのボスオリジムシが出てくる始末。
最終的に、あいつが仕掛けた罠にボスを引っかけた上で、おれのアーツの火力でゴリ押してどうにか撃破することができたわけだが、帰り道のはずが大仕事になってしまった。これだけでも任務一つ分くらいの内容があった気がする。報酬に色くらいは付けてほしいものだ。
さて、金の話はさておき、終わってみれば、このオリジムシたちはどうしてこんなところにいたのかという疑問が湧いてきた。色々な場所でお目にかかることができる生物とは言えども、あのような大群で、しかも群れの統率者と思しき個体まで出没するとはただ事ではない。
果たして答えは、向こうの方からやってきた。
巨大オリジムシを始末したおれたちが、壊れてしまった車両に頭を抱えていると、背後から人が現れたのだ。彼らは武器を手にしたサルカズで、一瞬敵ではないかと思ったのだが、それにしては殺る気がなさすぎる。それどころか、振る舞いからたどたどしさが露骨に感じられるほどだ。
何事かと思い話を聞いてみれば、彼らはこの近くの村の住人だという。地下水を汲み上げての灌漑農業と畜産でこの荒野を生き抜いている彼らは、最近オリジムシによる襲撃に頭を悩ませていたらしい。畑を食い荒らされ、家畜を奪われ、挙句の果て家の壁まで齧り出す。
追い込まれた彼らは乾坤一擲の害虫駆除に打って出ようとし、そうして派手にドンパチを繰り広げていたおれたちを発見したというわけだった。
恐れ半分、期待半分といった様子でオリジムシはどうなったかと聞いてきたので、ボスらしき奴を含めて全滅させたと答えれば、もうそこからはお祭り騒ぎだ。
あれよあれよという間に村へと案内され、食料も少ないだろうにお礼だからと食事を振舞われ、お土産まで持たせてくれた。
村で育てた獣の肉に、伝統的なスパイスの効いたチーズ、それにパン。どれも美味で、彼らが自分たちで作ったものだ。こんなにうれしいお土産はない。
今回の件については、車両の故障を含めばっちりケルシー先生に連絡済みだし今後の対応についても相談してある。結果として、連絡要員を置いていくことになった。またオリジムシの襲撃があるかもしれないし、村の生活基盤も被害を受けている。継続的な支援が必要じゃないかということでの判断だ。
村の長からもどうぞよろしくとの言葉を貰ったし、出来ることがあれば何でも言ってほしいとまで言われた。すぐにあいつがまた食い物を送ってくれと言って大笑いされていたが、力強い了承が返ってきたので何よりだ。
そんなこんなで村を立ち去ったおれたちは、ロドスに帰って来るや否やケルシー先生からクソ長いありがたい言葉を頂き(要約するとよくやったと言ったところ)、恩賞もゲットした上で、貰った食材を早速調理すべく、ウキウキで厨房へと向かっていたのだった。
厨房にやってきてまず感じたのは、ピリピリとした雰囲気だった。おれの知っているロドスの厨房は、飯時を除いて和気藹々としている場所なのだが、一体これはどういうことだろうか。帰投した時間のこともあって、夕飯はもう過ぎている筈なのだが、皆何やら作っている。新しいレシピの試作か何かだろうか。取りあえず、見知った顔に聞いてみる。
「なあ、セドフ。これはどういう状況なんだ?」
「…………っ、Wさん?!あ、ええと……みんなメニュー開発中なんです!それじゃ!」
「……どうしたのかしら?」
「……さあ?」
二、三言交わしただけで立ち去ってしまった彼は、カズデルでそば屋台をやっていたという異色の経歴の持ち主、セドフだ。なんでも極東から来たという男から料理を教わったらしい。エシオさんのような武闘派ではなく、どこか自信なさげな感じなのだが、その腕は確かだ。なんというか、ノスタルジーを感じる味がする。
割り合い早い時期からこの艦にやってきており、おれが彼の料理が好きなこともあってちょくちょく話す仲ではあるのだが、あの焦燥感漂う様子はどうしたことだろうか。まあ、後でまた軽く聞いてみよう。
気を取り直して、周りの料理人から許可をもらって(エシオさんは不在だった)調理を始めていく。
「よし、まずは使う食材を切っていくぞ」
「あたしは何をやればいい?」
「そしたらこの長芋の皮を剝いてくれ。ぬるぬるしてて危ないから、包丁じゃなくてピーラーかな」
「任せなさい」
今日のメニューは獣肉のラテラーノ風カツレツ、トマトのマリネ、長芋の唐揚げにオニオングラタンスープだ。
やはり頭を悩ませたのは、獣肉をどう調理するかだったのだが、任務で出ずっぱりだったということもあり、揚げ物の気分だったのでカツに決めた。ラテラーノ風にしたのは、時間もあまり早くはないし、軽めにしようとしてのことだ。
後はそこから、取りあえず添え物としてくし切りにしたトマト……ではつまらないので、さいの目に切ってマリネに、揚げ油を有効活用すべくもう一品を考えていたところ目に留まった長芋、それに何か汁物が欲しいということで、貰ったパンの残りを使ってオニオングラタンスープといった感じで決めた。
長芋はあいつに任せて、おれは取りあえずマリネに取り掛かる。トマト1個をさいの目切りにし、ボウルに入れてオリーブ油と酢、砂糖、塩、胡椒、刻んだパセリを入れて馴染ませればあっという間に完成だ。調味料の割合は適当なのだが、だいたいオリーブ油と酢を等量、砂糖と塩は砂糖のほうが多いイメージだろうか。ここら辺は完全に好みではある。味見してみればいい感じだ。
「マリネできたけどどうだ?こんな感じで」
「……うん、ばっちりね。いい味してるわ」
Ωの口にも放り込んでみれば、笑顔と共に親指を立てて返事が返ってくる。よし、これで一品完成だ。マリネを冷蔵庫に入れ、今度は皮を剥いてもらった長芋に取り掛かる。
「この長芋?って初めて見るけど、食べたことあったかしら?」
「これをすりおろすととろろだな。とろろそばは食ったことあるだろ?」
「ああ!あの結構いけるやつね」
「そうそう。けど、長芋はとろろだけじゃないからな。あんまり見ないけど、今日はたまたまフリー食材になってたから使おうと思ったんだ」
話しながら、長芋一本を乱切りにしていく。かなり太いので、四分割くらいしてからだとやりやすいのだ。それと、味が染みやすいように時折切り込みも入れていく。
そうしていると、おれの言葉に興味を惹かれたのか、横から問いが飛んできた。
「ちなみに、今日作ってる唐揚げの他にどういう食べ方があるの?」
「そうだな……細切りにしてポン酢と鱗獣節で食べるとか、グラタンにするとか、すりおろした奴を焼いても美味いな」
自分で言っておいてなんだが、想像するだけでよだれが出てきそうだ。隣に目をやれば同じ思いのようで、目を輝かせている。
「いいわね……今度また作ってちょうだい」
「もちろん。よし、次は長芋を漬け込むのをお願いしていいか?この芋の量だと……醬油大さじ4に酒大さじ2ってところかな。あとはニンニクと生姜を好きなだけ入れちゃってくれ」
「わかったわ。……ちょっと生姜多めでいこうかしら」
「それで頼む。おれもそっちのほうが好きだし」
そんな会話を交わしたら、彼女がボウルに調味料を放り込んでいくのを横目に、おれはスープの方の準備に取り掛かる。オニオングラタンスープなので、カツを揚げている間にオーブンで仕上げたい。ということで、このタイミングでスープ部分を作っていく。
玉ねぎの頭と尻を落として皮を取り、半分にしてから繊維に沿って薄切りにしていく。繊維に沿うか断つかは人次第だが、程よく食感が欲しいのでこの方向だ。ちなみに、繊維を断つと甘くなる。
そうしたら、電子レンジで切った玉ねぎをしんなりするまで加熱していく。量にもよるが、だいたい6分から8分といったところだろうか。
「確か、時短になるのよね」
「これでだいぶ手間が減るからな。文明の利器さまさまだ」
あいつも言っているように、こうして電子レンジで加熱しておくことで飴色玉ねぎをかなり時短して作れるのだ。こういった生活家電はカズデルではあまり見かけないものなので、ロドスの厨房にあるのは非常にありがたい。
玉ねぎを加熱している間、カツの衣を用意する。小麦粉、溶き卵、それにパン粉。パン粉は袋に入れて磨り潰すようにして細かくし、粉チーズと刻んだパセリを混ぜる。チーズの量はお好みだが、パン粉から香ってくるくらいの量が美味しい。これらをそれぞれバットに敷けば、衣の準備は完了だ。
折よくレンジから音が聞こえてきたので、しんなりした玉ねぎを取り出してバターを温めた鍋に入れる。ポイントはここで蓋をしてしばらく中火で放置することだ。焦げそうでせわしなくかき混ぜたくなるものだが、飴色にするためにはこれがいい。とは言え、本当に焦げてしまったら不味いので、色を時折確認しながら、適宜かき混ぜて全体を色づかせていく。
いい感じになったところでブイヨンを投入。塩・胡椒で味を調えれば、スープが完成だ。
「……よし、良い感じ」
「あ、あたしにもちょうだい」
唐揚げの漬け込みを終え、手持ち無沙汰といった様子だったΩが、待ってましたとばかりに味見を強請ってくる。小皿に少しよそって渡せば、ふーふーと冷ましてから一息に飲み干し、大輪の花を咲かせた。
「やっぱりあんたのオニオンスープは美味しいわね。……毎回思うんだけど、これで完成でもよくない?」
「いや別に完成でいいけど」
「やっぱりチーズとパンが乗ってないと物足りないわよね」
あまりにも綺麗な手のひら返しに、思わず苦笑が零れる。早く食べたいという気持ちはわかるが、料理はひと手間加えるだけで一回りも二回りも美味しくなるのだ。
ということで、言いだしっぺだからというわけでもないが、彼女にトーストしたパンとチーズを乗せ、200℃のオーブンで15分ほど焼くように頼む。窓から適宜焦げないか見張るように言付けて、いよいよこちらは揚げ物に突入だ。
本日の主役である獣肉のロースを取り出し、袋に入れて叩いて薄く延ばしていく。折角厚みがあったのでちょっと勿体ない気もするが、こうすることで火が入りやすくなり、揚げ物でありがちな中まで火が通っていないということが無くなる。揚げ油が少なくて済むのもポイントだ。それに、こんな立派な肉でなくとも、薄切りのロースを二、三枚重ね繋げて粉を付けるなどすれば、結構いい感じのカツになる。
さて、だいたい1.5倍ほどに広がったら両面に塩・胡椒をして小麦粉を付ける。はたいて余分な粉を落としてやると、衣が薄く、サクッとした仕上がりになるのだ。続いて溶き卵にくぐらせ、用意しておいたチーズパン粉をこれまた薄く纏わせたならば、肉の準備は上々。
ビニール手袋を外して捨て、揚げ油の準備をする。使うのはオリーブ油とバターだ。バターの量はお好みと懐具合によるが、最大でも等量くらいだろう。流石にバターだけで揚げるとしつこくて胃もたれするので、オリーブ油と合わせることで香りを付けつつ、重すぎない仕上がりになる。
今回は贅沢に等量を使っていく。フライパンを弱めの中火で温めていくと、脂がシュワシュワと細かい泡を作ってムース状になってきた。少しパン粉を落としてみれば、微かな音が聞こえてくる。よし、頃合いだ。
衣をつけた肉をそっと油に入れる。パチパチという揚げ物の音があたりに響いて、オーブンを見守っているあいつの後ろ姿も、心なしか楽しげだ。
だいたい両面4分ずつくらい、色を見ながら揚げていく。良い感じのキツネ色になったのならば揚げ上がりだ。網付きのバットに乗せ、油を切っておく。
そうして二枚のカツを揚げたら、後は唐揚げだけだ。オニオングラタンスープも焼けたみたいだし、揚がったカツに目線が釘付けのΩに盛り付けをお願いしておく。余談だが、彼女の盛り付けのセンスはかなりいい。
さて、先ほどカツに使って余った小麦粉と、それに加えて片栗粉を汁気を切ったボウルに入れていく。長芋に衣が付いたら、フライパンの揚げ油に落として転がしながら炒め揚げていけばあっという間に最後の一品も完成だ。
「どう?」
それじゃあ盛り付けをと思って振り返れば、これでもかというドヤ顔と共に皿が差し出される。シンプルな白いプレートには、カツとトマトのマリネ、それにリーフレタスが配され、ともすれば殺風景になりがちな揚げ物メインの食卓に、見事な彩を現出させていた。奥に見えるオニオングラタンスープの方にも仕上げにパセリが振りかけられていて、余念がない。
こういった食べ物の見た目に関しては、感覚にかなり個人差があり、ぶっちゃけカズデルのサルカズには気にしていない奴らのほうが多い。おれも別に気にしないと言えば気にしないが、せっかく作るのならば綺麗な見た目が良いという感じだ。前にも言ったが、料理は眼でも食べるのである。
長いこと一緒に過ごしているせいか、そこら辺の感性は彼女にも移っているようだ。寧ろ、レタスの立体的な盛り付けを見るあたり、おれよりセンスがあるかもしれない。
「めちゃくちゃ良い。……なんかどんどん進化してないか?」
「ふふっ、もうあんたは超えたかしら」
「じゃ、次は目指せエシオさんだな」
「……急にレベルが100段階くらい上がったわね」
「……それは遠回しにおれをバカにしてない?」
「冗談よ。……それより、早く食べましょ?もう待ちきれないわ」
「……だな。おれも腹ペコだ」
他愛もない会話もほどほどに、皿の空いた部分に唐揚げを盛り付けて食堂に運ぶ。ちなみに、唐揚げに関しては結構余りが出たので、厨房の使用料がてら自由に食ってくださいと言っておいた。
時間外につき、人気も疎らな食堂で向かい合わせに座る。カウンター席で隣り合って食べる時もあるのだが、ほんとに人気がない時くらいだ。あれに関しては衆人環視の下では相当に気恥ずかしいので、おれとしても助かる。
メインのカツが乗ったプレートに加え、オニオングラタンスープ、それにパン、チーズの皿もテーブルに並べれば、ちょいと遅めのディナータイムの始まりだ。
やはり、最初に手を付けるのはアレだろう。サクリと軽い音を立てる衣にナイフを入れると、バターの豊潤な香りを漂わせるそれを切り分けて口に運ぶ。
「んん!おいっっしいわね、このカツ!肉が良いのは勿論だけど、この衣がすごい良い味してるわ」
一足先に齧りついた彼女の言葉を聞きながら味わってみればなるほど、確かに衣がいい出来だ。小気味いい食感は勿論のこと、最初にやってくるバターの濃厚な風味、追いかけてくるチーズの強い旨味が、獣肉とその脂の旨味と見事に折り重なっている。軽い仕上がりなので、これはいくらでも食べられそうだ。
トマトのマリネと一緒にしてみれば、その酸味がチーズの旨味と合わさってコクが生まれ、なおかつ後味はさっぱりと全く違った味わいが楽しめる。
「予想通り、トマトとも相性抜群だな」
「あ。……ちょっと、もっと早く言いなさいよ」
この組み合わせの妙をΩにも教えようと思ったのだが、時すでに遅し。唇を尖らせる彼女の目の前の皿にはぽっかりと空白が生まれてしまっていた。もう一枚揚げておいたほうが良かったと後悔しつつも、期待にお応えして切り分けた一切れを向こうの皿に移す。
「いいの!?」
「折角だし、試してみな」
瞬間、ぱっと一気に華やいだ表情を見ただけで、あげてよかったと思ってしまうのだからおれもチョロいものだ。
歓喜の声をあげているあいつを尻目に、おれは長芋の唐揚げを一つ摘まむ。これについては揚げただけなので、味がどうなっているか楽しみだ。
口に放り込んで咀嚼してみると、醤油、ニンニク、生姜の王道の組み合わせがガツンと効いていて旨い。これは「あら、おいしいですわ」みたいな上品なものではなく、旨い!って感じの味付けだ。何なら、ビールとでも一緒にやりたい。
思わず、もう一つ口に運ぶ。改めて味わってみれば、食感も楽しい。衣のクリスプ感と、中の長芋が醸し出すホクッ、トロッ、シャリといった三重奏がたまらない。後味の強めの生姜もいい塩梅だ。もしかすると、じゃがいもを揚げるよりもこっちの方が好きかもしれない。いやあ、メニュー案を出した我ながら良いレシピだ。
そんな風に堪能していると、いつの間にか細められた琥珀色の瞳がこちらを覗き込んでいる。
「ふふっ、どうよ。我ながらいい味だと思うんだけど?」
「旨い!旨いぞ、これ!」
率直に感想を述べれば、たちまち破顔する彼女。でしょ!?なんて言いながらパンに齧りつく。
これはおれの持論だが、舌が肥えている奴というのは大抵いい味を作り出すことができると思っている。なぜなら、何が美味しいかを知っているからだ。尤もらしく言えば、しっかりしたインプットがあれば、良いアウトプットができるといったところか。
無論、そんな単純なことではないとは思うが、美味しいものをいっぱい食ってるやつの飯と、不味い物ばかり食べている奴の飯、どちらが食いたいかと言われたらそれは前者だろう。
ともあれ、あいつの舌にしてきた投資は、見事に実を結んでいるようだった。
なんてことをあれこれ考えながら、オニオングラタンスープに手を付ける。既に何度も作っているこの料理だが、相変わらず美味しい。
ベースのオニオンスープは玉ねぎの甘みとあの得も言われぬ香りが引き出されていて、それに高足羽獣のガラと香味野菜から取ったブイヨンが旨味を加えてがっちりと下支えしてくれている。これだけでも十分なのに、そこに焼き色のついたチーズとスープを程よく吸ったパンが加われば、もう最高なのは言うまでもないだろう。
あいつもすっかりこの味を覚えてしまったようで、よく作ってくれとせがまれる料理の一つだ。もう作り方もだいぶ頭に入っているみたいだし、今度はあいつの作ったものを食べてみるのもいいかもしれないと思った。
そうして大満足のディナーが済んだ後、コーヒーの飲みながら話しているうちに俎上に載ったのは、先ほどの厨房のことだ。
「しかし、なんであんなにみんな気が立ってたんだろうな?」
「……メニュー開発とか言ってたわよね?」
「ああ、セドフが。メニュー開発ね……」
メニュー開発。その言葉自体は、嘘ではないと思う。実際、あの時間帯で料理人たちが何やらやっていたのは目にしたし、仕込みではないことも確認している。それでは果たして何をやっていたのかという問いに対する答えとしては、妥当性は感じられるものだ。
おれが適当に思いつきで料理を作るのと違って、食堂で出す料理となれば量も多くなるし、食材の入手ルートは確保できているのか、予算はどうなのかなど、考えなければいけないことが多い。こういった情勢下なのもあって、制約も多いだろう。
そう考えてみれば、メニュー開発のことがあって気が立っているというのは、かなり筋が通っている。……まあ、元から何も疑っていたわけではないし、ちょっとした謎解きの気分で考えを巡らせているだけで、真相を暴こうだとかそんなことは思ってもいないのだが。
ただ、これはおれの癖なのかもしれないが、それでもやっぱり気になることは気になる。
「……それにしては、突拍子もない気がするけどな」
「ま、何かきっかけがあったと考えるのが自然ね。個々人ならともかく、そろってメニュー開発してるんだから」
「それじゃあ、おれたちが任務に出ていた間に何かあったってことか」
今回の任務はもともと数日がかりの予定だったが、村に寄ったりなんだりで更に予定から伸びている。結構な期間ロドス・アイランドから離れていたから、その間に今回に繋がる出来事があったはずだ。
恐らく、誰かに聞けばわかるはずなのだが……
「おう、Wと嬢ちゃんじゃねえか。今日戻ってきたのか?」
……どうやら、適任者が来たようだ。
「どうも、エシオさん。……ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
すっげぇ嫌そうな顔をしたエシオさんからどうにか聞き出した話をまとめると、こういうことらしい。
そもそもの発端は、ロドスに大量の切り餅がやってきたことだった。しかも、他の主食の代わりとして。
仕入担当の某クソブラッドブルードによると、大安売りしていたという。流石に怪しんで調べても、品質に問題はなく、しかも評判がかなりいいということで喜んで大量購入したそうだ。……それがどういう食べ物なのかもよくわからないまま。
つまるところ、全部クロージャが悪い。というか、ロドス・アイランドで起こる事件の8割はクロージャの仕業だろう。
恐らくは炎国のほうから流れてきたらしい切り餅は、このあたりでは滅多に見かけない食べ物だ。安売りしていたというのも、おれの睨んだところでは完全に供給過多に陥っていたからだろう。よく知らないものを欲しがるほど余裕のあるやつは、このご時世あまりいないのだ。
さて、いざこの切り餅たちがロドスにやってくると、みんな困った。今一つ、どのようにして食べればいいのかわからないのだ。そこで、料理人たちの中で扱いを知っている人がいないか募ったところ、一人が手を挙げた。
なんと、それがセドフだったというのだ。先ほどの会話の様子からも何となくわかるように、彼はかなり控え目な性格をしている。それなのに名乗り出たというのは、余程誰も知らなかったのだろう。実際、かなりおずおずとした様子だったとエシオさんも言っていた。
だが、態度は控えめでも、作った料理は大した出来だったらしい。餅を使ったメニューとして、彼が出したのが雑煮だ。おれはまだ食べていないので伝聞になってしまうが、鱗獣と高足羽獣の出汁と醬油で味付けされたスープに、焼いた餅を入れたものだ。
聞いただけで美味そうなものだが、実際美味しくて皆からも好評だったという。大量にスープを作ってしまえば、後は都度餅を焼いて入れることで出来立てを提供できるため、オペレーションという面でも優れている。セドフもなかなかやるもんだ。
で、初めて雑煮が出たのが5日前のこと。以降、雑煮が提供され続けているという。同じ味の。
これが問題だった。どんなに美味い食べ物でも、続けて食べれば流石に飽きる。主食が餅しかない以上、あの手この手で工夫して食べるしかないのだが、彼の引き出しはあまり多くはなかったらしい。他の食べ方は焼いて醬油をかけるか砂糖醬油をかけるかくらいで、汁がある分雑煮の方がマシという程度だった。
そのため、料理人たちが餅しか仕入れなかった上(クロージャ)ともっと違うものを食わせろという下(オペレーター+職員)の板挟みになって、こうしたひりついた現状が醸成されたというのだ。
話を聞いて色々と納得がいった。そりゃ、そんな下から突き上げを食らっていれば、皆のあの様子も納得だし、特にセドフがあんなにびくびくしていたのも責任を感じているのだろう。
まあ、彼らの腕ならば近日中には食堂で提供できるレベルのメニューが開発できるはずだ。幸いなことに、おれたちはまだ雑煮を食ったことがないし、寧ろちょっと楽しみではある。
話を聞いておいてなんだが、おれが首を突っ込むようなことではない。ということで、おれたちはこれ以上エシオさんから何かチクチク言われる前に、いそいそと食堂を後にした。
……途中から感じていた視線については、取りあえず向こうから来るまで気付かなかったことにしよう。
翌日。食堂に向かったおれたちは、噂の雑煮と対面した。
湯気の立つお椀を手に取り、まずは汁を口にする。まず感じるのは、ふわりとした鱗獣の風味。続いて押し寄せる醤油の塩味と旨味が鱗獣の味をしっかりと包み込み、それを下支えするように高足羽獣の旨味が湧き上がってくる。味の去り際に感じる乾物系の出汁も素晴らしく、後を引く美味しさだ。
そうして口の中を湿らせたら、いよいよ主役を迎えるべきだろう。お椀の中に堂々と鎮座する切り餅を、汁に浸してから口に運ぶ。焼いた香ばしい風味と、米由来の甘み、それに汁の塩味と旨味。これらが合わないわけなどない。もちもちとした特有の触感も味わいながら、汁と交互に食べ進めていけば、あっという間に完食だ。
総じて、実においしい雑煮だったと言えよう。餅の質もさることながら、何よりすまし汁の出来がいい。良い出汁が出ていて、旨味が分厚く、醤油の風味も良いとなれば、文句のつけようはないだろう。
なるほど、話に聞いていた通り、味の面では素晴らしいものだ。
ただ、周囲から感じる負のオーラは、もはや味がどうとかいう次元の話ではないことをありありと感じさせる。食うに困っている奴らからすればなんとも贅沢な話だろうが、やはりいい食事というのは腹も心も満たしてこそのものだ。現状はあまりいい食事ができているとは言えないだろう。
クロージャも流石にこの状況はまずいと思ったのか、慌ててパンやらパスタやら、他の主食を補給できるように手配しているようだ。これで彼女も食い物の恨みが如何に強い物かを思い知ってくれたことだろう。……思い知ったかなあ?
……ともかく、金にがめついのはもう仕方ないとしても、予算の圧縮は他所でやってほしい。切に。
「……思えば、あんたも結構気使ってたのね」
「まあな。自分一人なら適当なローテーションでも良いだろうけど、そうじゃなかったし」
頬杖を突きながら、Ωがぽつりと零す。
周りの様子を見て、あいつもおれの苦労を少しはわかってくれたようだ。二人暮らし時代、結構頑張って色々なものを作った甲斐があった。
二人して空っぽの器をぼんやりと眺める。
今回のことは結構なイレギュラーだ。見知らぬ食材の調理というのは、本来それなりにワクワクするものでもある。それがこんな形でいきなり一気にやってきてしまったせいで、話がこじれているが。
「ま、おれなんかよりも引き出しの多い連中があそこにはいるんだ。もうじきどうにかなるさ」
「そうね。……ん?」
おれの言葉に、彼女はふっと息を吐いて笑って応えた。と、何かに気付いたように声をあげる。
その視線に従って後ろを向いてみれば、渦中の人物の姿があった。
「……Wさん。ちょっといいですか」
「で、セドフ。話ってなんだ?」
食堂で彼に話しかけられてから、言われるがままにやってきたのは厨房だった。それで薄々なんの用事でおれを呼んだのかわかったような気もするが、一応聞いてみる。
「……僕、こんなことを言うのも情けないんですけど……どうしたらいいかわからなくて……」
「メニューを考えればいいんじゃないの?」
「ややこしくなるから茶々入れないでくれ」
しれっとついてきた彼女の言葉に、びくりと肩を震わせるセドフ。それなりに慣れている筈のおれたちにこんな態度とは、どうやらだいぶ重症らしい。
自分自身でもまだあまり纏まっていないのか、思いついた言葉がそのまま発せられているかのように彼は続ける。
「……昨日の料理を見ていて……僕にはあんなの、全然思いつかなくて……だから、Wさんなら……」
「…………」
「……Wさんなら、何か思いつくんじゃないかって…………」
縋るような目線。それは、昨夜に感じたのと同じものだ。どうやら、思い切って言う気になったらしい。
それほど追い詰められているのだろう。周りの料理人たちに助言を求めるでもなく、おれの所にくるというのが何よりの証拠だ。
「それは、餅を使った料理ってことか?」
「……はい」
見ているこっちの心が痛くなるほど、悲痛な顔をして頷くセドフ。
……責任感、だろうか。今の彼は、どこからどう見ても気負い過ぎているように見える。
ただ、それも仕方のないことなのかもしれない。少なくとも、おれにはそう簡単に気負うなと言ってしまうことはできない。
彼のことを、それなりに知っている身としては。
セドフは元々、料理人としてバベルにやって来たわけではない。ボロボロになって行き倒れていたところを、こちらのオペレーターに保護されたのだ。
彼の前歴として挙げた、カズデルでそば屋台をやっていたというのは間違いではない。けれども、そばは極東の食べ物でサルカズには馴染みのないものだ。バベルと軍事委員会の関係が良好だったころならばまだしも、こうして破局を迎えて内戦にまで陥った現状では、それが食べ物であっても異文化であるというだけで排撃され得る。
彼がここにいるのは、そうした分断の結果なのだろう。
翻って、ここバベルは異なるものを受け入れようとする人々が集まっている場所だ。それはこの艦にサルカズだけでない様々な種族がいることからもわかる。それに、色々な種類の料理も。
おれは高尚な思想に興味はないが、それでも見たことあるような飯を食い続けるよりも、見たこともないものを食べてみる方が面白いということは知っている。だから、おれはここにいるのだ。
散々に打ちのめされていたセドフは、ロドス・アイランドで過ごす中で徐々に元気を取り戻していった。おれが時々調理場に立ち入っていることを知ると、震えながら作りたい料理があると頼み込んできた。エシオさんたちも呼んで、彼が作ったそばをみんなで食べたときは真っ青な顔をしていたけれども、全員から美味いという声が上がった時には、涙を流して喜んでいたのを覚えている。
セドフが厨房で働いているのは、そういった経緯からだ。ようやく居場所を見つけた気がする、いつだったかそんな風に言っていた。その時は、おれも良かったなと言っていたのだが……。
改めて、おれは目の前の彼を見つめる。
不安げに揺れる瞳。縮こまった背中。その姿はまるで、ここにやって来たばかりの頃のようだった。
一度胸に刻み込まれた傷は、そう簡単に癒えることはない。遠い昔になったように思えても、不意に目前までやってくる。
セドフは、きっと怯えているのだ。また追い出されるのではないか。また打ち捨てられるのではないか。また、居場所を失うのではないか。そんな恐怖で。
それなりに仕事をこなせるようになってきた中で、勇気を出して新しいことに挑戦した途端に失敗した。恐らく、彼の主観では今の状況はこのようになっているはずだ。
傭兵も、そんな風にして死ぬ奴は多い。その点、生きているんだからどうにでもなるだろうというのは、あまりにもこちらより過ぎるモノの考え方だろう。
ともかく、おれがすることは単純だ。この生まれたての小鹿のように震える友人に、一人で立って歩くことを思い出させてやればいい。
「餅料理……うーん、雑煮くらいしか思いつかないな」
「…………え?」
呆けたような声を上げるセドフ。そんな彼をよそに、おれは言葉を続ける。
「そもそも、この餅ってやつは炎国やら極東やらの食材だろ?あんまり馴染みも無いし、急に言われてもどうしようもない」
「…………そう、ですよね。すみま」
「だいたい、他の厨房の連中も色々試行錯誤してるんだ。料理人でもないおれには、誰かが出してくれた偉大なアイデアに乗っかるしかない」
弱々しい謝罪の言葉を敢えて遮り、おれは彼の目を見ながらそれを告げる。
「セドフの作った雑煮、旨かったぞ。たぶん、みんなも同じことを言ってたんじゃないか?」
「…………!」
彼は別に、何の失敗をしてもいないのだ。想定外の事態に対して、満額回答の料理を出してくれた。はっきり言って今のごたごたは9割クロージャと、それからもう1割は他の料理人連中のせいだ。
「お前のがあんまりに旨かったせいで、他の連中も火がついてしまったんだと。それで、自分もすごいものを作ろうとこだわり過ぎて一向に新メニューができないそうだ」
「それはそれで、ちょっと楽しみではあるわね」
「まあ、正直おれも楽しみにはしてる」
あの人たちは結構そういうところは面倒くさい人種なのだ。それなり以上にプライドを持ち合わせているし、新入りに負けてやるかと気合も入っている。ピリピリしていたのはそのせいだとエシオさんが教えてくれた。
「……つまりだな。誰もセドフのことを責めちゃいないし、寧ろよくやってくれたと思ってるさ」
「…………ほんとう……ですか……?」
「ああ。……それに、この艦には誰かさんのせいでそば好きになったやつが大勢いるんだ。これからも厨房に居てくれなきゃ困る」
わざとらしく唇を尖らせながらそれを口にしたのは、あんまり湿っぽくならないようにするためだ。けれども、これでも彼には十分だったらしい。
ぽたぽたと水滴が床へと滴り落ちていく。もう、これ以上の言葉はいらないだろう。
けれども、強いて何かを言うとするならば。ここはもう、彼の居場所なのだ。
「それはそうと、流石にこれ以上雑煮が続くのは不味い」
「それについては大いに同意させてもらうわ。あたしたちはまだいいけど、他は凄いことになりそうね」
色々と一段落したところで、改めておれたちは厨房で顔を突き合わせる。セドフの精神的な問題は解決することができたが、肝心の今後のメニューの問題については何一つ解決していないのだ。
「……Wさん。さっき、乗っかるって言ってましたよね。もしかして、雑煮で何か思いついたんですか?」
「……まあ、ちょっとな」
なかなかに鋭い。実は、餅で何か料理をと言われた時に思いついたメニューが一つあった。
「……作ってみるか?さっき食べたばっかりだけど」
「そうこなくっちゃ!」
「あー……僕も、ちょっと食べてみたいです」
「OK。じゃあ、作るか」
おれの思いついたメニューとは、雑煮だ。と言うと何の問題も解決してないように思われるが、勿論今朝食べたものとは違う。
そもそも、雑煮とは何か。セドフに聞いたところ、これは極東の料理で、主としてつゆと餅の二つの要素から構成されるものらしい。つゆ、とは出汁と醤油等の調味料を組み合わせたものだが、ざっくり言ってしまえばスープだ。つまり、雑煮は餅入りのスープと言うことができる。ならば、おれの作るこれも確かに雑煮だろう。
まずは冷えた鍋に油とニンニクを入れて、香りが出るまで炒めていく。
「ベーコンは切れたか?」
「ええ。ばっちりよ」
「よし。じゃ、ここに入れてくれ」
折角なのでΩとセドフにも手伝ってもらいながら調理を進めていく。と言っても、工程はいたって単純だ。
ベーコンに軽く焼き色がつく程度まで炒めたら、一度上げて別皿に移しておく。これは火が入り過ぎないようにするためと、ベーコン自体の旨味も楽しむためだ。
そして、その肉とニンニクの旨味が溶け出た鍋に向かって牛乳と水を等量、それに適量のブイヨンを加える。
「セドフ、キャベツは洗い終わったら適当に何枚か手でちぎっておいてくれ」
「わかりました!」
そのまま沸騰しない程度に鍋を温めたところで、ちぎったキャベツを入れていく。このキャベツを入れるタイミングについては、好みでいいだろう。最初に炒めてしまってもいいし、もう少し後でも良い。ただ、これくらいで入れると程よくしんなりとした食感が楽しめるはずだ。それに、炒めない分甘みを感じやすくなるだろう。
さて、キャベツを入れて程なくしてから、ここでいよいよ登場するのが主役の切り餅だ。セドフの雑煮では焼いた餅をつゆに入れていたが、ここではそのままスープで茹でていく。こうすることで餅のでんぷん質が溶けだし、スープにとろみもついてもったりとした食べ応えも出てくるという算段だ。
そうして、餅が良く煮えたことを確かめた上で塩コショウで味を調え、器によそって上からベーコンと黒コショウをトッピングすれば──
「Wさん、これは……」
「あー、W特製、クリーム雑煮ってところか?」
完成したのは、今朝の雑煮とは全く異なる見た目をしたものだ。スープのテイストが180度は違うような代物。ただ、おれは密かにいけるんじゃないかという確信があった。
「早速、食べていいかしら?」
「おう。リポートも頼むぞ」
「それじゃあ……」
そう言うが早いか、彼女は熱々のスープから餅を引き出すと、ふうふうと息を吹きかけて冷ましてからかぶりつく。咀嚼と、それに伴う暫しの沈黙。けれども、徐々に喜色を帯びていく彼女の表情を見ていれば、言葉はなくともそれだけでどうだったかは十分に伝わってきた。
「……これ、美味しいわね……!」
零れ出る笑みを抑えきれず、出てきたのはそんな端的な言葉だけ。けれども、表情が全てを物語っている。
それを見て、おれとセドフもたまらず自分の分の餅に齧りついた。
柔らかく茹った餅を噛み切り、咀嚼していく。程よくミルクの風味とブイヨンの塩味が染みた餅は、噛めば噛むほど米由来の優しい甘みが出てきて、口の中で見事な調和を体現する。
一口スープを口にすれば、とろみのあるまろやかな口当たりの後にニンニクのパンチが押し寄せ、牛乳臭さなど微塵も感じられない。キャベツから出た甘みも、スープをうまく下支えしてくれている。
具材のキャベツはミルクベースのスープとの相性は言うまでもなく、ベーコンは嚙めばじゅわりと塩味と旨味を爆発させ、味にアクセントを添える。
総じて、旨い。旨いだけでなく、ホッとするし、どこか落ち着くような味だ。何より、思い付きだからとは言え、ものの10分程度で大した材料もなく作れた点は自分でも驚きだと言える。
「どうだ、セドフ」
「……びっくりしました。こんな雑煮があるなんて……」
「まあ、ちょっとした変わり種だけどな。正直、完成度で言えばそっちの方が遥かに上だ」
「いや、自分じゃ思いつきもしませんでした。…………あ、小豆とかもありかな……」
どうやら、良いヒントになったらしい。小声で何事か言っているし、新メニューの完成は近そうだ。
一方、スープまであっという間に飲み干し、お代わりまでこなしたΩは、実に満足げな表情をしている。
「いやあ、美味しかったわ。これならあたしでも作れそうね」
「お、じゃあ今度は頼むぞ」
「ええ、任せてちょうだい。ただ、全く同じってのも癪だし……じゃがいもでも入れようかしら」
「いいな、それ。あ、そしたらちょっとだけ隠し味でチーズとかどうだ」
「あんた、良いセンスしてるわ」
話し合っているうちに、どんどんとアイデアが膨らんでいく。
これは、次に食べる時が楽しみだ。
「…………っ」
ふと、顔に感じた冷たさにWは眼を覚ました。
「……雪?」
見上げてみれば、小さな白い粒が空から降り注いでいる。どうやら、食事ができるのを待っている間に少しうとうととしてしまっていたらしい。
「…………」
何か、夢を見ていたような気がする。とても楽しくって、幸せな夢を。けれども、そのことを考えると、どうしようもなく胸が痛むのは何故だろうか。
「うわのそらのようだけれど、食事はできたのかしら?」
突然、近くで聞こえた声にWの意識は現実へと引き戻された。見れば、いつの間にか彼女たちがこちらに向かって歩いてきている。
Wはそんな口うるさい女に向かって言葉を返した。
「ええ。そこに出来てるでしょ?」
「……あら、いい匂いね。これは……」
「……W特製、クリーム雑煮よ」
この料理の名前は、確かにそれのはずだ。
お久しぶりです。バベルのおかげでモチベーションが爆増したので番外編です。恐らくこの単発一本と2, 3話程度の短編一つくらいの分量だと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。
正直バベルで開示された情報のせいで色々と原作と食い違ってきてしまったのですが、それはそれで遺産的価値があるかなということで、この作品はこのままにしておきたいと思います。Wくんのせいで原作からズレた世界線だったということで。
短編のほうに関しては新しい諸々も盛り込めたらなと思っているので、お持ちいただければと思います。では、また少しの間よろしくお願いします。