北天に輝く   作:ペトラグヌス

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後日譚
残滓追想─The World That's Not Enough


 この世界には、何かが足りない。そう感じ始めたのは、一体いつからだろうか。

 例えば、朝起きて、コーヒーの匂いがしないとき。例えば、食事中に向かいに誰もいないとき。

 何もおかしくはない。起きてから自分で淹れなければコーヒーの匂いがするわけはないし、一人でいたのだから食事中だって当然一人だ。

 けれども、いつも通りのそれを、何故だか寂しく思う時があった。

 目に映る景色に、耳に入る音に、鼻で感じる匂いに、舌に広がる味に、手で触れるものに、いつも何かが欠けている。

 何かはわからないけれども、大切な何かが。

 

 そんな世界を、彼女は今日も生きている。

 

 

 

 

 

 この傭兵団に加わって数か月が経ったある日。彼女はボロボロの建物に囲まれた路地に立っていた。辺りには折れたボウガンの矢や砕けた建材が雑多に散らばり、それらを覆うように鮮血が撒き散らされている。

 戦いを終え、むせかえるような鉄の匂いが漂う中、彼女の上司は何やら敵の死体をごそごそと漁っていた。聞けば、数か月前には一緒に仕事をした知り合いだという。傭兵には良くあることだ。昨日の味方が、今日には自分の首を狙ってくることなど。

 彼はそこに転がった肉塊とかつて娘をやるだやらないだの話をしたなどと言っていたが、はっきり言ってばかばかしいとWは思う。そんなことよりも気になるのは、彼が死体から探し出した紙切れだ。

 

「それには何が書いてあるの?」

「傭兵なら知っていて損はない情報だ」

「……本当に?まるで意味がわからないんだけど」

 

 示された紙切れを覗き込むも、そこには名前とキャンディのイラストが羅列してあるだけで、役に立つ情報があるようには思えない。そう彼女が問い質すと、彼はいつものように小難しい言葉を交えながら、それが懸賞金を示す暗号であることを説明した。

 イラストは悪趣味だがなるほど、理に適ったルールではある。Wは一つ頷くと、上司の読み上げる内容に耳を傾ける。

 

「傭兵ヘドリー、十粒……随分吹っ掛けてるな」

「へえ。相場からしたら高めなの?」

「まあ、そんなところだ。……お前についても書かれている」

 

 その中で、酷く彼女の心をかき乱すものがあった。

 

「……W、昔の方は、取り消し」

「…………っ!」

「新しい方は面倒だ。十粒、状況により値上げ検討。……お前も高く評価されて……どうした?」

 

 W。そう、彼女はWだ。けれども、それには前任者がいる。

 その人物のことを、彼女はほとんど知らない。会ったのは一度だけ、それも自らがWになったあの日だけだ。

 初対面のはずなのに、妙に息が合う気がした。戦いが終わって話している時も、不思議と気楽だった。楽しいとさえ思った。

 ……そうして、何故か自分のことを庇って、勝手にくたばった。

 意味が分からなかった。たくさんの何故が頭の中を埋め尽くした。何故自分を庇ったのか。何故彼は嬉しそうなのか。何故、自分は泣いているのか。

 どこかで会ったことがあるような気がした。それを問うてみることもした。けれども彼は否定して、自らの武器を差し出した。

 生きろ、その言葉と共に。

 

 あの時から、彼女の中には喪失感があった。彼は友人でもなく、同僚でもなく、知り合いですらない。突然現れて、勝手に消えていった狂人だ。だから、元から何もなかったはずの場所に生じたそれは、喪失感とは呼べないものかもしれない。けれども、未だに胸にぽっかりと塞がることのない大きな穴を形容する言葉は、そうとしか言いようがなかった。

 昔の方のW。ヘドリーがたまたま読み上げたその言葉は、穴の淵をなぞり上げるようなものだ。その大きさを、思い出させるかのように。

 

「……ねえ。前のWってどんな人だったの?」

 

 だからだろうか。ふと、Wの口をそんな言葉がついて出た。別に、それを聞いたところで何かが戻ってくるわけではない。過ぎ去ったものは、決して返っては来ない。けれども純粋に、彼女はただ知りたいと思った。こんな大きなものをこさえて、あまつさえ呪いまで残していった彼が、どんな人だったのかを。

 

「……気になるのか?……そうだな……奴は……相当変わっていたな。少なくとも、俺はサンクタの守護銃を改造して使うサルカズなど、奴以外には知らない」

 

 そう言うヘドリーの視線は、Wの肩から下げられたものに注がれていた。それに気づいて、彼女は手をひらひらと振りながら言葉を返す。

 

「あたしにも使えないわよ、これは。……もしかして、これでラテラーノ人でも狩ってた?」

「……ああ。奴はそれを楽しんでいた」

「なんだ、結構気が合いそうね。……他には何かないの?」

 

 彼は少し考えると、何かを思いついたのか口を開く。その表情は柔らかく、まるで昔を懐かしんでいるようだった。

 

「……あれでいて、料理が得意だったな。奴には随分と色々なものを馳走になった。そのせいで、イネスも俺も舌が肥えてしまったかもしれない」

「料理?傭兵が?」

「ああ。特にラテラーノ行商を襲った時は……いや、やめておこう」

「……何?勿体ぶらないで教えなさいよ」

「……これ以上話すと、腹が減る」

 

 真顔でそんなことを言ってのける彼に、Wはその横面を引っ叩きたい衝動に駆られた。

 と同時に、ふと気付く。そういえば、傭兵が料理に精を出すのかと疑問を口にした割には、実のところそこまでそれをおかしいとは思っていないことに。傭兵と料理など、どう考えても結びつくはずのない要素なのに、それを自然に受け入れている自分がいることに。

 それはまるで、直ぐ身近にそんな人がいたかのようだ。

 ……実際には、そんな人のことはこれまで全く知らなかったのに。

 

 

 

 

 ヘドリーの語る"W"は、確かに変わっていた。ラテラーノ人を襲っては銃を熱心にコレクションし、料理を作っては周りに振舞う。一人でケーキを作ったかと思えば、誕生日のお祝いを始める。ふらふらと街に消えていったかと思えば大量の敵に追われていることはざらで、いつも決まって騙されたと口にした。

 あっけらかんと笑いながら、含みのあるような口調で話し、裏があるように見せかける。短絡的な行動を見せる一方で、時折遠い先を見据えたような言動をする。

 

「……奴は言っていた。傭兵とは好きに生きて理不尽に死ぬ生き物だと。だが、自分は好きに死んでやりたいのだと。…………「W」はどうだった」

「…………好き勝手やってたわ。最後の最後までね」

「……そうか」

 

 その言葉を最後に、ヘドリーは口を閉じた。沈黙が、狭い路地を満たす。

 彼にとって、"W"とは何だったのだろうか。少なくとも、仕事仲間ではあっただろう。もしかすると、友人だったのだろうか。ならば、表面上はどうであれ、内心では彼もまた傷を負っていたのかもしれない。Wは、そう思った。押し黙って空を見上げるヘドリーは、無くなったものを悼んでいるように見えたから。

 これまでの間、お互いに無意識のうちに避けていた"W"についての話。するとこれは、一つの区切りということになるのだろうか。死者を懐かしみ、死者を悼み、そして前に進むための儀式。きっとヘドリーにとっては、これはそんなもののはずだ。

 では、自分にとっては。正直なところ、Wは彼のことを聞かなければ良かったかもしれないと思った。

 聞いたせいで、会ってみたくなってしまった。話してみたくなってしまった。食べてみたくなってしまった。

 どれもこれも、もう二度と叶わないというのに。

 胸に空いた大穴は、塞がるどころかますます広がっていくようだ。それでも、いつか埋まる日が来るのだろうか?

 彼女には、わからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロドス・アイランド号。大地を走るその巨艦の中には居住空間などの生活インフラの他に、様々な施設が完備されている。ドクターはその中の一つ、医療施設に向かって歩を進めていた。

 時折外出した時などはそこでケルシーによる検査を受けたり、またアーミヤの治療のために訪れることも多いのだが、今回の要件はそれではない。今回ドクターが医療施設に向かっているのは、とある人物の様子を見るためだ。

 

 バベルという組織において、医療というのは一つの中核を占める要素だ。そのため、設備も充実しており、ロドス・アイランド号の医療施設は多数の医療器具や病床を備え、患者のための個室なども用意されている。そんな個室の中の一つ、一般に使用されるものからは少し離れた位置にある病室にドクターは足を踏み入れた。

 

「すまない、待たせてしまったか」

「いいや、私も今着いたところだ」

 

 彼が一言声を掛けると、それに反応した彼女は振り返って言葉を返す。彼女とはもちろん、ケルシーのことだ。今回は、医師としてこの場にやってきていた。

 

「……彼の容態は?」

「今は安定している。まず山場は乗り切ったと言っていいだろう。……とは言え、目を覚ますかどうかはわからない」

「…………」

 

 ドクターはベッドの上に横たわる人物のことを見つめる。多数の管に繋がれた彼には、左腕がなかった。更に言えば、閉じられた瞼の裏側、左の眼窩は空っぽだ。ここに運び込まれた時には全身に切創を負い、脇腹が抉り取られた状態で、更に大量の出血があったために失血死寸前の状態だった。今こうして彼がここに横たわっていることは、ケルシーの尽力もさることながら、半ば奇跡の産物のようなものだろう。

 ドクターは彼の名前を知らない。アーミヤの時とは違い、一度たりとも言葉を交わしたことすらない。けれども、言葉はなくとも聞こえたものがある。それは、生きたいという意志だ。ある意味言葉がないからこそ、それは雄弁で。あの日見た空に向かって伸ばされる手に、ドクターは生命が燃えているのを幻視した。

 それは彼にとって、アーミヤに引き続いてこの大地に尊い生命が育まれていることを訴えかけてくるものだった。

 

「……ここからは、彼次第だ。……ドクター。何があっても、それは君のせいではない。あるとすれば、私の力が及ばなかったということだ」

「ありがとう、ケルシー。だが、私は信じているよ。彼の……彼らの強さを」

 

 そのドクターの言葉に、二人は病床を見つめる。

 彼はまだ、目を覚まさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




区切りの都合上短くて申し訳ないです。
今回も本編最終話と同じくおまけ付きです。
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