北天に輝く   作:ペトラグヌス

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路途遥遠─The Long, Long Journey

 目覚めてからそろそろ四ヶ月が経とうとしているが、身体の状態はまだまだ往時には程遠い。けれども、数か月前と比べれば随分と進歩したように思う。

 ベッドの上で身じろぎすらできなかったおれが、今ではこうして自分の脚で立って、若干の覚束なさはあれど歩けているのだから。

 

 この間の問診の時にケルシー先生から聞いたのだが、4年近く昏睡していた人物がもう歩けているというのは、サルカズであるということを差し引いても異様なハイペースらしい。そもそも、そのような長期間眠っていてから目覚めたというケース自体が少ないので、直接的な比較はできないそうだが。

 そんなことを聞けば、リハビリにも精が出るというものだ。ケルシー先生は無理はするなと言っていたが、無理をしてでも早く回復したいという気持ちが湧いてくる。尤も、例のサルカズの青年がばっちり付き添ってくれているので、予め定められたメニューを逸脱することは難しい。この辺りは、もっとやれるということをおれ自身が証明していくしかないだろう。

 

 そういうわけで、今日のリハビリは筋力トレーニングからだ。おれはロドス艦内にあるリハビリテーションルームの一角、トレーニング機器の並んでいるエリアへと自らの脚で向かう。

 今日は少しやってくるのが早かったのか、おれと青年──ツァドクというらしい、最近聞いた──を除いて辺りに他の人影はない。

 そのままおれは、一番奥にあるレッグプレスマシンの下へと向かった。右手をシートについて、うまく体重を移動させながら腰を下ろす。ツァドクにウェイトの方を用意してもらって、位置をうまく調整してから脚を上げて正面のプレートに置けば準備は完了だ。

 右手で腰の位置のハンドルを握り、脚に力を入れてプレートを押す。すると、反力で座っているシートがレール上を後ろへ移動していき、反対に力を抜くとウェイトの重力でシートが元の位置まで引き寄せられる。これを使って、シートを前後に行ったり来たりさせたりしながら脚の筋肉を鍛えるのだ。

 恐らくウェイトを重いものにすれば相当なトレーニングになるのだろうが、生憎とこれはリハビリなので、負荷はごくごく軽いものとなっている。と言っても、おれにとっては相当きつい。はじめは数回やっただけで脚が言うことを聞かなくなったほどだ。

 けれどもこのトレーニングをはじめ、他のリハビリについてもやればやるほど身体が動くようになって、出来ることが増えてきたように思う。それらは昨日今日で実感できるようなものではないけれども、自分がゆっくりでも着実に前に進んでいるという事実が、日々のモチベーションの一つになっていることは間違いないだろう。

 

 そんなことを思いながらトレーニングに励んでいると、ぱらぱらと人の気配が増えてきた。どうやら、他の利用者たちも部屋にやって来たらしい。

 と、そのうちの一つがこちらに向かって近づいてくるのを感じて、おれは動きを止めた。後ろを振り返ってみれば、最近ここで見知った顔が目に入る。

 

「よっすウィート。今日は朝から飛ばしてるっすね」

「まあな。……正直、もう結構疲れた」

「ははっ、まだまだこれからじゃないすか?」

 

 そう言って快活に笑うフェリーンの男。彼はロドスで前線要員として働いていて、任務中に派手に骨折してリハビリ中らしい。トレーニング中にたまたま知り合ったのだが、陰のない愉快な人物だ。こういう奴がいる限り、ロドスは大丈夫だと思える。

 最近は、こうやって色々な連中と話ができるのも日々の楽しみの一つだ。これもケルシー先生との話し合いを経て、病室以外を歩き回れるようになったからこそのことだろう。

 それと、()()()()()

 

 

 

 ケルシー先生との話し合いは、おれのこれまでについて話したあの一回の後も、数度に渡って行われた。

 おれが一体、何をどこまで知っているのか。これまで旅してきた世界と今のこの世界では何か異なっていることはあるのか。時折彼女によるありがたいレクチャーの数々を挟みながら、随分と長いこと話をしたように思う。……というか、色々と長すぎたのが数度に渡った理由だろう。何とは言わないが。

 

 それはさておき、色々と確認をした結果、これまでの世界とこの世界は大枠では変わらないだろうということになった。

 勿論、細部は異なっているし、おれという個人の行動の違いがドミノ倒しのように各所に影響を及ぼしたか、テレジアの死が数か月ずれていたこともあった。

 しかしながら、テレジアが死ぬということ自体は変わらないし、そこに至るまでの流れも大差ない。つまりは、時期の違いはあれど、バベルと軍事委員会の間で争いが起こり、そうしてバベルが敗北するという大枠は変わっていないということだ。

 

 それから、おれが何をどこまで知っているかという話に関しては……どうやら、おれはあまり知ってはいけないことを知ってしまっているらしい。

 例えばこの世界におけるテレジアとドクターの顛末について、ケルシー先生は詳しいところは教えてくれはしなかったが、おれが見てきたもののいずれかと酷似しているであろうことは容易に推測できた。そして、そのいずれであっても組織にとってかなりショッキングな事実であるのは間違いない。少なくとも、指導部でもない人物が知っていていいものではないだろう。

 アーミヤがテレジアから魔王を引き継いだらしいということについても同様だ。恐らく、これについては他にも感づいているバベルからの古参のメンバーもいるだろうが、別の世界ではっきりと見たことがあって、かつこの世界でも最初に会った際の尋常でない様子を見てしまったのはいただけない。これは特に、外には絶対に漏らしてはいけない情報だ。

 これらだけでも十分だったのだが、加えて不味かったのがついぽろりと口にしてしまったあの話だ。それは何回目かの話し合いで、おれがテレジアの死に居合わせた時、そもそもどうしてその場にいることができたのか、いくつかパターンをかいつまんで話しているときのことだった。

 

「……しかし、何故私は君のそのような言を信じた?それに足る何かをその時に君が示せたとは考えられない」

「それが、ケルシー先生の質問に答えた瞬間……こう言ってはなんですが、手のひらを返したかのように信じてもらえたんです」

「……それは、どんな質問だ?」

「……地平線を向こうまでどこまでも進んでいったとき、我々は一体どこへたどり着く?……そう、聞かれました」

「…………君は、それになんと答えた?」

「一周して元居た場所に戻ってくる、と。……ケルシー先生?」

「……何故、そう答えた」

「何故って……このテラは球状の惑星じゃないんですか?」

 

 この受け答えが、どうやらかなり不味いものだったらしい。一変したケルシー先生の雰囲気を肌で感じ取って、向こうに遠のいていくものが霞んで見えなくなるのではなく、徐々に下に潜っていくように消えることからこの大地が球状なのは明らかだと弁明したのだが、果たして通用したのだろうか。

 冷静になって考えてみれば、この種のある意味当たり前に思えることでも、その情報を初めて目にしたのはあちら側だということもあるのだ。滅多なことは言うものじゃないと、改めて思った。

 ……というか、そこに反応するケルシー先生っていったい何者なんだろうか?

 ……いや、好奇心は猫をも殺すという。この手のことは考えないのが長生きのコツだろう、たぶん。

 

 さて、こうした話し合いを経て決まったおれの処遇は次の通りだ。

 まず、治療が終わり次第、治療費の支払いに変えてバベル、もといロドスで働くことになる。加えて、色々知ってしまっているお陰でめでたく終身雇用、かつケルシー先生の直属だ。雇用の前祝いとして、自分では絶対に取り外せないブレスレットまでプレゼントしてもらった。

 次に、ここでない世界で得た情報について口外しないことが命ぜられた。あくまで、この世界に生きる一人の人として生きて行けということだろう。こちらとしても望むところなので、これについても同意した。ちなみに、これを破ると先ほどのブレスレットからありがたい薬が注入されることがあるらしい。ケルシー先生から詳細が知りたいかどうか聞かれたが、謹んで遠慮させてもらった。

 意外なことに、主な取り決めはこれで終わりだ。以降はこの部屋からも外出することができて、艦内の施設も色々と使うことができる、いわば通常の患者と同じような扱いになる。思っていた以上に穏健な条件に落ち着いて、ただただ彼女の温情に感謝というところだろう。

 

 その後、話は変わって今後の治療の計画やリハビリ、さらには義手について話をしていたのだが、その中でふとケルシー先生が言った。

 

「……そういえば、君はこれから何と名乗る?」

「……え?」

「今後、君はこのロドス・アイランド内で活動していくにあたって、他者との交流も増えていくことだろう。その中にあって、名前というのは極めて重要だ。大勢が集まった中で個人を識別するためにも、また他者と自分という対比の中でのアイデンティティの確立としても、名前のもつ重要性を上げれば枚挙に暇がない。雇用されて我々と共に働くようになれば、その必要性は尚のことだろう。君がかつてWと名乗っていたことは知っているが、同時に私は君たちサルカズ傭兵の慣習についても理解しているつもりだ。であるならば、今の君には本来のもの、或いは新たなものが必要だろう」

 

 ……名前。彼女の言う通り、あいつに名前を引き継いだ今のおれは、いわば名無しの状態だ。別の名前もあると言えばあるが、それは少なくとも今を生きるおれのものではない。

 ……名前。テレジアも、名前について語っていた。忘れられないもの、忘れたくないもの。口に出して、温かい気持ちになれるものだと。

 あの時、おれが自分にWと名付けたのは、あの世界との繋がりを求めてのものだ。けれども、今のおれはこの世界の人間だ。この世界で生きていく一人のサルカズだ。そんなおれに相応しい名前とは、いったいなんだろうか。どうやったら決められるのだろうか。

 

「…………あ」

「……?」

 

 おれは、目の前のケルシー先生を見つめる。

 そうだ。今、おれがこうして生きているのも、これから生きていけるのも、すべては彼女のお陰だ。

 

「……ケルシー先生。おれに、名前を付けてもらえませんか?」

 

 だから。そんな彼女が、ケルシー先生が付けてくれた名前なら、きっとそれがこれからのおれに相応しい名前だ。

 

「……私が、君の名前を?」

「……はい。おれの命を救ってくれた、尊敬できるあなたにお願いしたいんです」

「…………わかった。少し、時間を貰おう」

「……!」

 

 おれの言葉に少しだけ目を大きくしたケルシー先生は、そう返事をすると目を伏せる。きっとその膨大な知識の中から名前を考えてくれているのであろう彼女の様子が、素直に嬉しい。

 そうして、しばらく静かな時間が流れた後、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「…………Wiator」

「……ウィアートル……?」

「……そうだ。古い言葉で『旅人』という意味を持つ」

「旅人……」

「……文明というものが形成されて以降、このテラの大地に住む多くの人々は社会に属し、またその枠組みの中に定住して過ごしてきた。しかしながら、一部にはその枠組みから外れ、各地を渡り歩くような人々も確かに存在している。……彼らの多くは、苦難の道のりを歩んできた。はるか遠く、ともすれば存在すらしないような場所を目指す彼らの前に立ちはだかるものは、飢え、獣、天災、傷病、迫害、安寧の中に暮らす人々では知り得ないものだ。だが、それらに直面してなお歩みを止めぬ人々の、旅人の姿に、我々は見るべきものがあるだろう」

「…………」

「……君もまた、余人には想像し得ないような永く険しい道のりを、数多の世界を渡り歩いてきた。そのような君にこそ、この名前が相応しいはずだ。……旅の果てにたどり着いたこの世界が、旅人に、君にとって心安らぐ場所であることを願おう。……そうして何時の日か、目指す場所に辿り着けることもな」

 

 Wiator。ウィアートル。口の中で、その名前を何度も呟く。

 旅人。それは、おれがここまで歩んできたことを指し示す言葉だと、ケルシー先生は言った。

 口にする度に、これまでの道のりが思い起こされた。辛いことも、楽しいことも沢山あった日々が蘇ってきた。

 そうして、改めて思う。あの日々を、旅路を経てこそ、今のおれがいるのだと。

 ケルシー先生は、それを名前に刻んだ。刻んだうえで、幸あれと言った。

 

 ……ウィアートル。

 その名前を、もう一度心の中で噛みしめる。

 おれのこれまでしてきたことが、肯定されるような気がした。永い旅をしてきた、そう誇っていいのだと言われているような気がした。

 何より……唱えるたびに、心が温かくなった。名前の込められた想い、願い、それが伝わってきて。

 

「……もし気に入らなければ、率直に」

「いえ!……ありがとうございます、ケルシー先生」

 

 こちらがしみじみと感じ行っていたせいで勘違いしたか、見当違いなことを言い始めた彼女の言葉を、おれは慌てて遮った。

 そうして、そのペリドットのような瞳を見つめながら、心からの感謝を告げる。

 

「……おれは、今日からウィアートルだ。あなたの付けてくれた名前、大切にします」

 

 おれのその言葉を聞いて、ケルシー先生は珍しく、本当に珍しく、どこか遠くを見るような、懐かしむような顔をした。

 本当に一瞬だけで、もしかすると見間違えだったかもしれない。けれども、多分本当のことだったはずだ。

 だって、今の彼女はいつになく優しい表情をしているから。

 

「…………そうか。……では、これからよろしく頼む、ウィアートル」

 

 ケルシー先生が、()()()()()を呼ぶ。

 それを耳にして、胸の内に温かさを感じて、おれは思う。

 ああ、これが名前を付けてもらうということなのだと。 

 ……なるほど、彼女の言っていた通りだ。

 

「……なんだか、昔テレジアに言われたことがわかったような気がしますよ」

「…………?」

「名前はとても温かくて、忘れられないものだって」

「…………そうだな」

 

 瞑目したケルシー先生の、静かな声が宙に溶けていく。

 

 こうしておれは、ロドスのウィアートルになった。

 

 

 

「どうしたんすか?急にぼうっとして」

 

 聞こえてきた声に、おれは意識を現実に引き戻される。どうやら、名前を貰った時のことを思い出してしまっていたようだ。

 

「……いや、もうひと踏ん張り頑張ろうかと思ってな」

「お、その意気っすよ。ここで頑張れば、その分だけ早く良くなるってもんですから。……まあ、ウィートだけじゃなくて自分も頑張れって話なんすけど」

 

 そう言って肩を竦めるフェリーンの彼。そういえば、おれのことをこのウィートという愛称で呼びだしたのもこいつだったか。

 ウィアートル(Wiator)を縮めてウィート(Wit)小麦(Wheet)ではない。

 でも、麦というのはきびしい冬に芽を出し、何度踏まれても立ち上がって、真っすぐに伸びて実を付けるものだ。

 それに自分をなぞらえるというわけではないけれども、強く生きて行けと言われているようで、そう呼ばれるのも悪い気はしない。

 

「……だな。お互いに頑張ろうぜ、プータル」

 

 おれはそう言って、彼の胸を小突いた。

 さて、トレーニングの続きをしよう。脚の筋力トレーニングだけでなく、この後には上半身や心肺機能のメニューも待ち構えている。午後は艦内での歩行訓練もあるし、義手の訓練もだ。

 やることは多く、道のりはまだ半ば。でも、進み続ければいつかはきっと。

 目指す場所に、おれはたどり着けるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 人の生活範囲というのは、成長に応じて拡大していくものだという。なるほど、確かに小さい子供は自宅とその周辺くらいしか出歩かないだろうが、大人になれば住んでいる地域とは違う場所にある店や職場に向かうことだって多い。

 それと似ていて、おれの生活範囲というものも時が経つにつれて、身体が回復していくにつれて、どんどんと広がっていった。

 初めの方しばらくは病室の中だけ。その次は、病室とリハビリテーションルームの往復。そのうちに歩行訓練として甲板まで行ったり、購買まで出かけてみたり、少しずつ色々なところに行けるようになっていった。

 そうして今、おれはロドス・アイランドの艦内を自由に好きなところへと向かうことができる。それも、自分自身の脚で。

 いつの間にか、ここにやって来てから半年が過ぎていた。

 

 今日、おれが向かっているのは食堂の方だ。

 こうして自分が普通に不自由なく歩けていることに、少なからず喜びを感じる。下半身の方は損傷が少なかったこともあって、筋力の回復に伴って歩行機能もほとんど損なわれることなく回復することができた。

 走ることや戦闘のような激しい動きはまだできないが、ケルシー先生からはトレーニングとリハビリで改善できる可能性は高いと聞いている。

 そんなわけで脚の方のリハビリもまだまだ続けているのだが、平行して腕についてのリハビリも行っている。勿論、残っている方の腕の筋力トレーニングなどもあるが、大きな時間を割いて行っているものが義手の訓練だ。

 

 義手については元々治療の方針の中で基礎的な体力が戻ってからの装着となっていたので、初めて着けたのは立ち上がれるようになってきた頃だった。

 おれには片腕での戦闘経験なんかもそれなり以上にあったし、義手を使わなくてもどうにか日常生活をやっていくことはできそうだと思ってはいた。とは言え、ないよりはあった方が便利なことは間違いないし、モーターを使って動くようなものも作製できるという。そういうわけで、結局は義手をお願いすることにしたのだ。

 こう言ってしまってはなんだが、おれは実のところ、少しだけワクワクしていた。モーターで動く、などというメカニカルな言葉の響きにはどことなく童心をくすぐるようなものがあったし、機械の腕だと考えれば夢が広がる。ともすれば、生身の腕よりも色々なことができるのではないか。そんなことすら思っていたのだ。

 だが、現実はそんな生易しいものではなかった。初めて義手を装着した時に思ったのは、これはおれの腕ではないということだ。手で何かを、例えばペンを握った時と同じように、生身と一つながりにはなっているけれどはっきり区別がつくような、そんな感覚。確かに肩から繋がってはいるけれども、そこにあるのはおれのものではなかった。

 それで、おれはやっと義手とは本質的に代替品であるのだと理解した。もし義手が生身の腕と同じように、またはそれ以上に動かせるのだとしたら、きっと自発的に使いだすような奴だっているはずだ。けれども、実際にはそんな奴は見たこともないし、聞いたこともない。つまりは、それが答えだった。

 

 義手は自分の身体の一部ではなく、それを模した動きをするための器具、道具だ。そして、道具を使いこなすためには訓練がいる。

 そういうわけで、おれはこれまで義手の基本動作訓練を行ってきた。使っている義手は、義手と接続されている生身の部分の筋肉の電気信号を読み取って動作するものなのだが、そもそもこれが単純に動かすことすら難しい。

 初めのうちは肘を曲げたり、特定の角度で固定したりといった単純な動作をひたすら繰り返し、一、二ヶ月経ってからやっと何か物を掴むという段階にまで進めたという具合だ。

 ロドスのエンジニア陣にも色々と調整をしてもらい、使い始めた頃よりは義手自体も馴染んできているようには思うが、やはりおれ自身の習熟が何よりも重要になってくる。

 そうして、歩行訓練が一段落したころから義手の訓練に力を入れたおれは、最近ようやく基本動作の訓練を終えて実用的な訓練に移ることができた。

 今、食堂に向かっているのも、実はその一環だ。

 

 時間は昼過ぎで、遅めの昼飯にしても遅すぎるくらいの頃。流石に食堂の方もあまり人はおらず、閑散としている。歩きながら辺りを見渡してみたが、まだ二人は来ていないようだった。

 まあ、時間まではもうしばらくあるし、作っている間に来るだろう。ということで、特に気にせずにそのまま食堂を通り過ぎておれが足を踏み入れたのは、ロドス・アイランドの厨房だ。

 これまで幾度となく訪れてきたこの場所も、今の世界においてはまだ両手で数えられる程にしか通っていない。けれども、既に嬉しい出会いがあった。

 

「おう、来たかウィート」

 

 おれが中へ入るなり、入り口近くでスツールに座って待ち構えていた初老の男性がにやりと笑って声を掛けてくる。

 その姿に、内心やっぱり変わらないなと苦笑いし、また同時に懐かしさを覚えながら、おれは挨拶を返した。

 

「今日もお世話になります、エシオさん」

 

 おれがかつてWとしてバベルにいた頃、厨房を使わせてくれたり、料理を教えてくれたりと色々とお世話になったエシオさん。こうしてロドスのウィアートルとなってからも彼に会えたというのは、嬉しい限りだ。

 自由に艦内を歩き回れるようになってからこれまで色々な人を見てきたが、その中に見知った顔というのは意外と少ない。それはバベルにいた違う世界での知り合いという話でもあるし、この世界における傭兵連中のような知り合いという意味でもだ。

 前者に関しては、それこそ今はエリートオペレーターと呼ばれているような連中や一部の後方要員くらいしかいないし、後者に関してはほとんど皆無。一時は何故だろうと思ったのだが、少し考えればわかった。

 ここはバベルではなく、ロドスなのだ。アーミヤと、ケルシー先生が先頭に立って率いている組織なのだ。……テレジアではなく。

 例えそれが同じものであったとしても、サルカズの魔王の指し示す未来を信じることは出来ても、フェリーンの医者と小さなコータスの少女の描く未来は信じることができなかった。きっと、それが大きな理由だ。

 そう考える連中の気持ちがわからないわけではない。寧ろ、そうでない者の方がサルカズでは異端だということもわかる。

 だからこそ、バベルの頃からのオペレーターたちや、エシオさんがこのロドスに残ってくれていることが嬉しかった。

 

「それで、今日は何を作るつもりだ?」

「そろそろ、揚げ物をやってみようと思いまして」

 

 厨房にやって来てまですることと言えば一つに決まっている。それは勿論、料理だ。

 料理という行為の中には、色々な動作が含まれている。野菜を切ること一つを例にとっても、まな板に野菜を押さえつけたり、皮をむく時に指を送ったり、またその位置や力具合も細かく調整しなければならない。

 このような様々な動作を必要とする点において、料理というのは義手のリハビリにうってつけなのだ。……おれの趣味という面も多分に含まれているのだが、そこはまあ、患者に合わせたということで。

 つまるところ、おれは今、義手のリハビリの一環としてここへやって来ている。ケルシー先生からは監督者を付けることと厨房の方に許可をもらうことという条件を付けられたのだが、そちらについてはエシオさんに頼み込んで無事にクリアした。これについては、以前の付き合いの賜物だろう。

 

 さて、既に何回目かになる今回は、彼に告げた通り揚げ物に挑戦してみようと思っている。

 

「……火事起こしたらぶん殴るからな?」

「……はは、気をつけます」

 

 おれの答えを聞いて結構マジな目をした彼の姿に、おれは乾いた笑いを返しながら準備に取り掛かった。

 まずは義手に清潔なゴム手袋を被せ、両手を石鹸で洗って綺麗にする。使いそうな器具、まな板に包丁、バットにボウルと深めのフライパンを用意したらいよいよ次は食材だ。

 一口に揚げ物と言っても色々あるのだが、料理を再開してから日も浅く、義手使いもまだまだといったところで、比較的簡単に作れるものにしたい。

 ということで、今回使うのはサルカズにはお馴染みの食材、じゃがいもだ。エシオさんに尋ねたところ、ちょうど時期柄で薄皮のものを仕入れたというので、皮ごと使うレシピにした。

 

 初めに皮の付いたままのじゃがいもをよく水で洗い、土汚れを落としていく。理想を言えば両手でゴシゴシと洗っていきたいのだが、これがなかなか難しい。現時点での現実的なやり方は、左手で固定したものを右手で洗っていく感じだろうか。

 何個かは右手と左手の役割を入れ替えて挑戦したのだが、結果は……まあ、伸びしろしかないと言える。練習あるのみだ。

 気を取り直して、今度は洗ったじゃがいもを半分にカットしていく。できたらそれらをガラス製のボウルに入れて、ラップをして電子レンジで8分間加熱だ。

 ……エシオさんに聞いたところでは、昔はじゃがいも蒸し器という随分とニッチな代物がこの厨房にはあったらしい。しかも、喋って動くものが。

 ()()がいれば、きっとこの工程もあっという間に済んだだろう。それに、もっとこの場も賑やかだったかもしれない。……なんて考えるのは、感傷が過ぎるか。レンジからの電子音が聞こえて、おれは気持ちを切り替えた。

 ボウルを取り出して程よくじゃがいもに火が入っていることを確認すると、それらを皮を下にしてまな板に並べる。これを潰して円盤状に形成していくのだが、試しに左手を使って潰してみたところ、熱くはないものの型が若干崩れてしまった。ということで、大人しく適当なコップの底を使って形を整えていく。

 そうしてこのじゃがいもたちに片栗粉をまぶせば、あとはもう揚げるだけだ。サラダ油を敷いたフライパンに並べて、上から浸るくらいに油を足していく。最後にニンニクを何片か放り込んだら、後は揚げるだけだ。少し香りづけにバターも入れようかとも思ったが、味付けとの絡みで重たくなり過ぎそうだったので今回は無しにした。

 フライパンを火にかけ、冷たい状態からじっくりと温度を上げていく。そんな中、作業が一段落したのを見計らってか、エシオさんが声を掛けてきた。

 

「そういや、今日は誰か食いに来るんだったか?」

「ええ、二人ほど。……まあ、実験台ってところですかね?」

 

 答えながら、自分の口角が上がるのを感じる。そう、おれは今日、久しぶりに人に料理を振舞うことになっているのだ。

 やっぱり、料理は人に食べてもらってこそのものだと思う。これまでも自分で食べたり、エシオさんが少しくすねていったりはしていたが、それはまた何か違うのだ。

 メニューを揚げ物にしようというのも、やってくる二人のことを考慮した上で、夕方近くという時間帯ならスナック的なものが良いだろうと考えたところはある。こうして相手のことを考えて作るのも、また料理の醍醐味だ。

 

「……なるほどなあ。さてはお前、ゆくゆくはもっと凝ったものを作ろうって訳だ。それで、相手は誰だ?これか?」

「合ってるけど、違いますよ。ケルシー先生とか、お世話になった人にお礼をしようと考えてるんです」

 

 やっぱりこの人はこういうのが好きみたいだ。小指を立てて聞いてくるエシオさんに対し、おれは苦笑いしながら返事をする。

 彼に言った通り、ケルシー先生やリハビリを手伝ってくれていたツァドクなんかにお礼の料理を振舞うのが当面のおれの目標だ。それにはちゃんとしたものを用意したいし、好みなんかもしっかりリサーチしたい。義手の訓練もまだまだなので当分先のことにはなりそうだが、それも含めての目標だ。

 ……勿論、いつかあいつにまた会えたら、その時にはとびっきりの料理を振舞いたいと思う。やっぱり、それが本当の目標かもしれないな。

 そんなことを思っていると、エシオさんがおれのことを見ながら、何か感じ入ったように口を開く。

 

「ウィート、お前…………そういう趣味か?結構上の方の」

「違うわ!」

 

 思わず敬語が抜けたが、おれは悪くないと思う。悪いのは十中八九、ついさっきまで感心したみたいな顔をしながらとんでもないことをぶっこんできた、目の前の馬鹿笑いしているジジイだ。

 ……でも、この人結構こういう言葉尻を捉えて色々やらせてくるんだよな…………。

 

 後が怖いが、取りあえずは料理に集中することにする。あーだこーだと言っているうちに油の温度も上がって来て、しゅわしゅわと音が経ってきた。揚げ物の類はやはりいい感じの黄金色に仕上げたいが、ちょっと揚げ過ぎるだけであっという間に焦げてしまう。ちょうどいいタイミングで引き揚げる目と経験が重要なのだ。

 心なしか、後ろからの視線も真剣なものになっている気がする。フライパンを抑える左手も、何かの拍子に妙な動きをしないか若干心配だ。

 そんな有形無形のプレッシャーに曝される中、おれはどうにか自分の思うタイミングでじゃがいもたちを油から網を乗せたバットへとあげた。ちなみに、エシオさんは及第点と言いたげな顔をしていて、義手は何の問題もなかったと述べておこう。

 

 油を切ったら、ここからは味付けの時間だ。ボウルに揚げたじゃがいもを入れ、そこに塩とパプリカパウダーを適量振り入れる。塩は勿論塩味のため、パプリカパウダーは風味と色味のためだ。チリパウダーでもいいが、今回はマイルドに仕上げる。

 ボウルを振って、入れた調味料を全体に行き渡らせたら中身を皿に盛りつける。ここで最後の仕上げ、おろし器でチーズをおろして振りかけ、ほんの少し乾燥パセリを散らせば完成だ。

 赤、緑、白の彩りも華やかで、ジャンクフードではあるけれどもどこかレストラン感もある、そんなフライドポテトになったのではないだろうか。

 自分で言うのもなんだが、めちゃくちゃ旨そうなので早速つまんでしまいたい。が、それをぐっとこらえて皿を手に取る。

 流石にそろそろ、二人も来ている頃だろう。

 

 

 

 フライドポテトを乗せた皿を手に、厨房から出て食堂の方へと向かう。来た時同様閑散とした辺りを見渡せば、件の人物はすぐに見つかった。ただし、片方だけだが。

 どうやら向こうもこちらに気付いたようで、椅子に座りながらこっちだとでも言うように手を振っている。おれはその方に近づいていくと、一人で四人掛けの机に陣取ったそいつに向かって声を掛けた。

 

「よう、Scout。プータルはどうしたんだ?」

「来る途中で医療部のやつに捕まった。何をやらかしたか知ってるか、ウィート?」

 

 Scout。そう、あのScoutだ。かつてバベルにいた頃、一緒に任務へ行ったりケルシー先生に怒られたりと色々な付き合いがあったあのScoutは、この世界でもバベル時代からの古参としてロドスにいた。

 だが、今はロドスのエリートオペレーターとして活動している彼とリハビリ中の患者であるおれでは、この世界においてあまり接点がない。にも関わらずこうして知り合うことができたのは、本当に偶然からのことだった。

 何を隠そう、先ほど名前の出たプータル、おれがリハビリルームで知り合ったあのフェリーンが、たまたまScoutの部隊の一員だったのだ。そうして知り合ってからは同じサルカズのよしみというか、そもそも馬が合うというのか、会うたびに話すような仲にまでなった。

 そうした中で今回、記念すべきおれが久しぶりに料理を振舞う相手一号二号にプータル共々選ばれたのだが、残念ながら片方は来れないらしい。

 

「……いや、おれの知ってる限りでは何をやらかしてもないと思うが……あいつのことだし、どうせまたなんか無茶したんじゃないか?」

「……あー、その可能性は高いな」

 

 その辺りはおれよりも隊長であるScoutの方が良く知っているだろう。そもそも、あいつがリハビリする羽目になった骨折も、感染者の子供を救出するために窓からのダイブを敢行したからなのだ。それも、建物の5階から。となれば、今回も医者が怒るような無茶をしていてもおかしくはない。

 なんて考えていると、Scoutが話を変えようとでもいうように咳払いしてから口を開く。

 

「まあ、プータルの説教は医療部に任せるとしてだ。……ウィート、あんたの持ってるそれを食べさせてもらおうか」

「そうだな。……あ、待て、ついでにエシオさんも呼んでくる。三人前は作ったし、この時間に食い過ぎてもなんだろうからな」

 

 そう言うと、おれは皿を持ったまま厨房に戻り、急いでエシオさんを呼びに行く。皿を持ったままなのは、勿論Scoutに食われないようにだ。これまでの経験上、奴は机に置いたままだったら絶対に食ってる。

 というわけで、エシオさんに事情を説明し、そのままいやいやという雰囲気を出しつつ実はちょっと乗り気な彼を連れ立ってScoutの所まで戻ればいよいよ実食だ。

 三人そろって皿からポテトをつまむと、そのまま口に放り込む。

 嚙む度にするザクザクという小気味良い食感に、塩とチーズの程よい塩味。油で揚げていることによる濃厚さがありつつ、そこに薫るパプリカパウダーが絶妙に重すぎないようにブレーキをかけてくれている。見た目にも、舌にも美味しく、一つ食べればすぐ次に手が伸びる。主な材料も手に入りやすいじゃがいもだし、こいつは一つ、軽食の完成系ともいえるのではないだろうか。

 隣を見れば、Scoutは言うに及ばず、エシオさんも旨そうにフライドポテトを食べている。どうやら、いいものを作ることができたようだ。

 

 三人分のつもりでそれなりに作ったはずだったのだが、それでもあっという間に空になってしまった皿。それを目の前にして、おれたちはようやく一息つく。

 一名は旨いと連呼しながら食べていたので感想などは聞くまでもないような気がするが、一応聞いてみることにしよう。

 

「どうだった、Scout?おれの料理は」

「いやあ、めちゃくちゃ旨かったな。昔にこれとそっくりなのを食ったことがあるんだが、それよりも洗練された旨さって感じだ」

「へえ、似たようなのを食ったことがあるのか。ちなみにどこで食べたんだ?」

「……あー、この艦でだな」

 

 ……?なんだろうか、返答に若干淀みがあったような気がする。それも忘れてたというよりは、何か不都合があったような淀み方だ。ずばり言ってしまえば、ケルシー先生の前で何か誤魔化そうとしているときの感じがする。

 

「……エシオさん、食堂でこういうのって出たことありますか?」

「……いや、知ってる限りではねえな。後ろで見てたが、こういうフライの作り方は量が出しにくいから店ではやらん。勿論、ここでもだ」

 

 なるほど、納得できる論証だ。エシオさんの言う通り、今回の様な作り方は一度じゃがいもに火を通す、潰す、粉をまぶすなど、工程が多い。フライドポテトを売りにした店ならまた話は違ってくるだろうが、普通は切ったじゃがいもを素揚げして作るだろう。

 

「となると、誰かが私的に作ったってことですかね?おれ以外に厨房を使った奴とかっています?」

「私的にってことならそうだな……ああ、あの嬢ちゃんくらいか」

「……嬢ちゃん?」

 

 エシオさんの言い方に、おれは小さな引っかかりを覚えた。もしかすると、ただの勘違いかもしれない。彼の歳からすれば、年下の女性はみんな嬢ちゃんだろうし、普段の様子から考えてもそのように呼ぶことは十分に考えられる。だから、それが特定の個人を指すとは限らない。

 けれども、おれはかつてエシオさんの口から嬢ちゃんという言葉を聞いたことがある。そして、それが誰のことを指していたかを知っている。

 

「Wっていう嬢ちゃんだ。まあ、お前は知らんだろうがな」

「────」

 

 W。久しぶりに聞いたその名前は、今はあいつが名乗っている筈のものだ。

 ケルシー先生からも、少し話は聞いていた。この世界とこれまでの世界との差異を探っていく中で、ヘドリーやイネスたちと共に、Wという傭兵がロドス・アイランドにやって来たという話は。

 だが、彼女はそれ以上を話さなかったし、おれもそれ以上を聞かなかった。……聞けなかったと言い換えてもいいかもしれない。思うように動けない今聞いてもしょうがない、そう自分に言い聞かせて。

 

 それが今、エシオさんの口からあいつの話が飛び出してきた。

 おれはそれで、自分が思った以上に動揺しているのを感じた。同時に、おれの中であいつの存在がどれだけ大きいのかも。

 揺れ動く心を、どうにか押さえつける。当たり障りのない返事を、何とかしようと試みる。「へえ」だとか、「そんな人がいたんですか?」だとか、「その人が作ったんですかね?」だとか──

 ──その人が、作った?

 

「……Scout」

「……どうした?」

「……お前が昔食ったっていうこれにそっくりな料理、作ったのはその──Wか?」

 

 心臓が、ばくばくと音を立てている。頭の中に、いくつもの光景が浮かんでは消えていく。その中に一際強く残る、おれが最後に会ったあいつの姿。

 どうして、あいつは泣いていたのか。

 

「……ああ、そうだ。尤も、厨房は使ってないんだけどな。そのせいでケルシーさんに怒られたというか何というか…………」

「厨房を使わねえって、どこでやったんだ?」

「いや、まあ……甲板で火を起こして」

「馬鹿かお前?」

「いや、違うぞ?!俺じゃなくてWが勝手にやってたんだからな?!」

 

 何やらScoutが騒いでいるが、内容なんて1ミリも頭に入ってこない。

 おれの中で、何かが繋がっていく。あいつは、元々は料理なんてする質じゃなかったはずだ。出会った頃なんて、何を出しても見たことがないと言って目を輝かせていたくらいで。そんなあいつが料理をするようになったのは、ロドス・アイランドでおれが教えてからのはずなのだ。……この世界では、そんな機会はなかった。

 ヘドリーやイネスが教えたとも思えない。あの二人はサルカズらしからぬところがあるが、少なくとも食事に関してはカズデルのものに順応していた。つまりは粗食だ。じゃがいもでも、焼くか茹でるかくらいで、蒸かしてから揚げるなんてそうそうやるとは思えない。

 だというのに、この世界のWは、おれとあの日ほんの少し会っただけのはずのあいつは、ロドス・アイランドの厨房に出入りしていた。Scoutにあのおれのレシピと同じフライドポテトを振舞っていた。

 頭の中に、あいつの言葉が蘇る。

 

『……ねえ。……あんたと、どこかで会わなかった?』

 

 それは、夢物語だったはずだ。今際の際に見た、優しい優しい夢。

 だって、都合が良すぎる。現実が辛く苦しいものだということは、嫌というほど知っているはずだ。こうだったらいいななんていう甘い考えは、すぐに裏切られるもののはずだ。

 この世界では、おれとあいつは赤の他人で。もし仮にもう一度会えたとしても、覚えているのはおれだけで。できることと言ったら、初めましてとあいさつをすることくらいのはずなのに。

 

「そういやウィートお前、その様子じゃWの嬢ちゃんと知り合いか?Scoutの話からして、同じレシピみたいだが」

「ぁ…………」

 

 そんな考えがぐるぐると頭の中を渦巻いていたその時、ふとエシオさんから話しかけられて、おれは我に返る。

 ……知り合いかどうかと聞かれたら、恐らくそうではないというのが正解なのだろう。ほんの少しすれ違っただけの関係を、知り合いだとはおこがましい。だから、知り合いではないと言ってこの話は終わりだ。

 終わりのはずなのだ。

 

「…………ええ。昔の……知り合いです」

 

 それなのに、おれの口から零れたのは肯定の言葉だった。

 

「おう、やっぱりか。何かそんな気がしてな」

「……まさかウィートがあのWの知り合いとはな。結構苦労したんじゃないのか?」

 

 終わりにできた話だった。今のおれという存在の整合性を考えれば、終わらせるべき話だった。

 けれども、おれはやっぱり知りたい。あいつがこの世界で何をしていたのか。どういう風にしていたのか。何を思っていたのか。そして……

 ……本当に、覚えているのかどうか。

 

 

 

 二人からは、色々なあいつについての話を聞いた。

 クルビアにいたということになっているおれのために聞かせてくれた、世間一般で知られている狂ったサルカズ傭兵としてのあいつ。そんな世相とは反対の、ロドス・アイランドでScoutと馬鹿をやってケルシー先生に怒られたり、やたらと彼女に突っかかるあいつ。厨房で慣れない手つきで料理をつくるあいつに、何でもない廊下で佇むあいつ。

 この世界においても、あいつは確かにWとして生きていた。しかも、それだけではない。

 

「それで、ある時から雰囲気が変わったんだ。何と言うか、明るくなったって言えばいいのか?」

「確かに最初の頃の嬢ちゃんはどこか思いつめた雰囲気があったんだが、それがいつの間にか無くなってたな」

 

 このロドス・アイランドで、あいつは何かを見つけたようだった。前向きになれる、笑顔になれる、幸せな気持ちになれる、そんな何かを。

 おれにとっては、それが何より嬉しいことだった。

 

 話を聞いている限りあいつは、特にロドス・アイランドにやって来た最初の頃は、どこか遠い目をすることがあったらしい。それの意味するところが何か、おれのことを覚えているかどうか、詳しいところはわからない。けれども、話を聞いているうちにおれは悟った。

 ここでぐだぐだ悩んでいても、仕方がないのだ。例え覚えていようと、覚えてなかろうと、あいつは苦しみながらも日々を生きて、そして前を向くようになった。

 結局のところ、おれにとって本当に大切なことは一つだ。あいつが幸せになるところを、この目で見るということ。ただそれだけだ。

 だったら、どのみちあいつに会うしかない。そのために、おれもまた日々を必死に過ごしていくしかない。最初からずっと、単純な話だったのだ。

 

 ……それに、あいつに逢いたいという気持ちがまた一段と大きくなった。

 今、あいつはこのロドス・アイランドにはいない。そのことは知っていたが、問題はいなくなった経緯だ。

 テレジアが死んで、そうしてあいつはこの艦を立ち去った。その二つの出来事を結びつけることは、そう難しいことではない。

 ……あいつは今どこにいて、どんな気持ちでいるのだろうか。

 ……逢いたい。いや、逢わなければならない。

 おれは改めて強く、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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