北天に輝く   作:ペトラグヌス

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常事残光─Full Days yet Never Enough

 無機質なアラーム音が鳴って、おれは眼を覚ます。眠い目を擦って枕元のデジタル時計を覗けば、6:00という数字が映し出されていた。いつも通りの起床時刻だ。

 もう一度閉じようとする瞼をどうにか押し上げながら、ベッドから這い出て身体を起こす。不思議なことに、一度身体を起こしさえしてしまえばこのベッドの持つ魔力は無力化されるのだ。まあ、それが大変だと言われればその通りなのだが。

 おれはベッドから立ち上がると、薄暗い部屋の中を歩いてデスクに向かう。机上のタンブラーに入った水を呷れば、その冷たさと喉を潤す感覚ではっきりと目が覚めた。

 しかし、改めて見ると殺風景な部屋だ。部屋の中にはベッドとデスク、それにクローゼットとほとんど必要最低限のものくらいしか置かれていない。辛うじて本棚が彩りを加えていると言ったところだろうか。聞くところによれば自室をかなり自分好みに改造している奴らもいるらしいが、おれには無理そうだ。

 というのも、一日のほとんどを部屋の外で過ごしているおれにとって、自室とは寝床とほぼ同義なのだ。ベッドで寝られる時点で100点満点なのだから、それ以上どうこうしようという気が起きないのも頷けるだろう。

 そういうわけで、今日も早速外出だ。手早く義手を装着すると、おれはトレーニングウェアに着替える。自室から出て、道中手洗い場に立ち寄りながらも向かった先は、ロドス・アイランド号の甲板だ。

 

 

 

 朝の甲板の空気は、何とも清々しい。冷たく澄んでいて、そして静謐な雰囲気。運動をするにはピッタリだ。怪我を防止するために軽くストレッチをしてから、ゆったりとしたペースで走り始める。

 こうして甲板を走ることができるのは艦が停泊している時だけなのだが、やはりいいものだ。清涼な空気を切り裂いていく感覚には、何とも言えない心地よさがある。

 ここで目覚める以前にも、この走るという行為は普通に、当たり前のように行っていた。それは今のようなトレーニングとしてもそうだし、仕事で赴いた実際の戦場においても、日頃の生活においてもだ。そこに何らかの感情は乗っていなかった。単に必要があったから走る、それだけだった。

 けれども今のおれは、こうして走ることが好きになっていた。当たり前のようにできていたことができなくなって、それが再びできるようになったという喜び。当たり前だったころには感じることもなかった、走るということ自体の愉しさ。その喜びと愉しさを全身で感じることのできるこの時間が、嬉しい。

 勿論、肺損傷によって損なわれた呼吸機能や骨折その他の後遺症のリハビリという側面もあるのだが、こうして日常的に続けることができているのはこうした精神的な面が大きいだろう。

 遠くまで広がる雄大な、朝の静まり返った大地を横目に見ながら、おれは思う。こうした日々を過ごす様になってそれなりに時間が経ったというのに、この嬉しさというのは相変わらずだ。

 自然と口角が持ち上がったのを感じつつ、おれは走るペースを速めた。

 

 走り始めた頃にはおれ以外にほとんど人はいなかったのだが、時間が経つにつれぽつぽつと甲板に人がやってくる。

 そうした頃合い、時間にして30分ほど経った頃だろうか。おれは呼吸を整えながら歩いてクールダウンして、水筒を置いておいた場所にまで戻ると水を口に含んだ。タオルで汗を拭い、軽く身体を伸ばしてストレッチもする。

 あまり追い込むためのものではないので、いつも通りこれくらいの時間で朝のランニングは終わりだ。朝の気持ちいい空気を吸って、程よく身体も温まって、実に健康的な一日の始まりと言えるだろう。

 おれはタオルや水筒をバッグに詰めると、甲板を後にする。現在時刻は7時前と言ったところで、まだまだ始業時間までは間が空いている。となれば、向かう場所は一つだろう。

 そう、トレーニングルームだ。

 

 

 

 ランニングを終えたおれがトレーニングルームを訪れたころには、既に何人もの人々が朝の鍛錬に励んでいた。

 リハビリテーション設備に通っていた頃にも筋力トレーニングは行っていたが、ここで行うそれは以前に行っていたような基礎的な運動能力を取り戻すことを目的としたものとは違い、基礎に上積みしていく体力・筋力を鍛えるためのものとなっている。

 そのため機器・設備などはかなり充実していて、戦闘オペレーターをはじめ、多くの人たちがこの場所を利用して日夜トレーニングに励んでいるというわけだ。

 かく言うおれもその一員で、リハビリをしていたころから継続して筋力トレーニングを行っている。

 傭兵時代は訓練というとかなり戦闘訓練に偏っていて、基礎的な筋力は機器を用いない腕立て伏せやスクワットといったクラシカルなものや実戦で付けていくという感じだった。それで不足は感じなかったし、実際にする動きを通してのトレーニングは戦闘に身体が最適化されていくという意味で良かったとも思う。

 だが、今のおれのようにまずは戦闘が満足にできるところを目指している人間にとって、機器を用いた現代的なトレーニングは有効だった。そもそもの土台となるような筋力を、部位や強度を調節しながら鍛えることができるというのは極めて都合がいいのだ。

 以前のように剣を振って戦えるようになるには、腕に肩回り、脚、加えて体幹と、色々な部位を鍛えなければならない。その上でどういったメニューをこなせばいいのかに関しては、リハビリの時から世話になっているツァドクや、現役の戦闘オペレーターであるScoutやプータルなんかにアドバイスを貰って試行錯誤してきた。

 その甲斐あってか、最近ではぼちぼち剣を振れるようにもなってきているように思う。勘自体は()()の賜物で鋭いままだし、身体捌きも徐々に様になってきた。このまま続ければ、今の職場からの転職もできるのではないかというのが最近の思うところだ。

 とは言え、まだまだ実際の戦場を思えば足りない部分も多い。最後の最後に頼りになるのは、やはり自分の身体なのだ。

 そういうわけで、今日のメニューをこなすべく、おれはマシンの下に歩を進めた。

 

 

 

 朝のトレーニングを終え、シャワーを浴びる。仕事用に服を着替え、身だしなみを整える。そうして粗方の準備を済ませたのならば、次はいよいよお楽しみの時間だ。

 おれが食堂に着いたのは、時計の短針が8を少し過ぎた頃だった。ロドスには色々な業務に携わる人が存在しているため、皆が皆同じ時間で活動しているというわけではないのだが、それでもこの時間は大盛況だ。若干ピークより後ろにずれてはいるのだろうが、結構な数の席が埋まっている。

 その中でどのあたりが空いているかを確認しつつ、おれは一目散に料理が並んでいるエリアへと向かった。

 

 ここ最近では食事は一日三食きっちりと毎日食べているのだが、それでもやはり食事の時間というのは心躍るものだ。トレイに皿を乗せ、いつものお気に入りの料理を盛り付けていく。

 トロトロのスクランブルエッグに、カリカリに焼かれたベーコン、リーフレタスのサラダにはダイスカットのトマトとクルトンを添え、ドレッシングにはチーズが濃厚なシーザードレッシングだ。

 メインのパンは日によって違うのだが、今日はなんとパンオショコラがあったので、トーストと一緒にそちらも皿にのせる。マーガリンとブルーベリージャムもトレイに取り、ドリンクにはオレンジジュース、デザートのヨーグルトまで器によそえば、ご機嫌な朝食の完成だ。

 

 ちょうどお気に入りのカウンター席が空いていたので、テーブルにトレイを置いてから席に腰かけると、改めて目の前の料理たちを眺める。

 メインのプレートは赤、黄、緑と色鮮やかで、見た目にも美味しいしバランスもばっちりだ。パンの方からは小麦のほの甘い香りとバターの匂いがしてきて、これまた食欲をそそる。

 手始めにおれはオレンジジュースを飲み干し、渇きを癒すとともにそのフレッシュな酸味と甘みのコントラストを堪能すると、さっそく料理に飛び掛かった。

 最初に手を付けるのは、いつも決まってベーコンだ。日によってはウィンナーだったりもするのだが、肉類が最初というのがおれの中である種の決まりごとになっている。

 強めに効いた塩味と、クリスピーな食感に香ばしさ。そのまま食べても勿論旨いのだが、個人的に好きなのがスクランブルエッグを掬って一緒にして食べることだ。このスクランブルエッグがまたいい働きをしていて、滑らかな舌触りと卵の風味でベーコンの角の立った塩っぽさをまろやかに包み込んでくれる。二つを一緒にトーストに載せて食べれば、これがまた美味しい。

 そのまま食べても、何かと一緒に食べても美味しいスクランブルエッグは、もしかすると朝食メニューの中で一番好きかもしれない。ちなみに、この滑らかでとろける食感に仕上げるには、湯煎でやると比較的簡単だ。

 そうしてベーコンとスクランブルエッグを堪能した後は、サラダに手を付ける。黒コショウとチーズを感じるドレッシングと、クルトンのカリカリとした食感のアクセント、それにトマトの酸味。それらの要素が絡み合って、レタスがみるみるうちに減っていく。

 やはり野菜が食事の中にあると、彩りも栄養も、そして何より満足度が高まるような気がする。こうした葉物なんかは、傭兵をやっていた頃ではなかなか仕入れるのが難しかった。それこそ、バベルに来てからの最初の方もそうだったように思う。それをこんな風に食べられるというのは、今のロドスがうまくいっている一つの証拠だろう。

 そんなことを考えている間にも食べ進めていたら、あっという間にメインのプレートが空になってしまった。となると、お次は主食の番だ。

 楽しみにしていた今日の日替わりパン、パンオショコラをひとつ手に取る。ガリア風の名前が示す通りチョコレートが真ん中に入ったこのパンにかぶりつけば、瞬間バターの豊潤な香りが口いっぱいに広がった。

 クロワッサンのように層状になった生地は仄かに甘く、噛めばじゅわりと濃厚な風味が顔を覗かせる。それでいてしつこさを感じさせないのはバターの良質さの証左か、はたまた作り手のバランス感覚の賜物か、どちらにせよ実に見事なものだ。

 中に入ったチョコレートも甘すぎず、嫌味が出ない程度にカカオ感を味わえるもので、周りのパン生地とよく調和している。サクサクとした食感のパンとねっとりとした中のチョコレートのコントラストが小気味よく、一つで満足感がありつつもいくらでも食べられてしまいそうだ。

 が、朝からお腹いっぱいというわけにはいかないので、ここはグッとこらえて残ったトーストで我慢する。ブルーベリージャムと砂糖をまぶしたヨーグルトまで平らげれば、すっかりトレイの上は空っぽだ。腹も八分目といったところで、時間としても8時半とちょうどいい頃合いだろう。

 最後に朝のコーヒーを口にすると、おれは席を立ってトレイと皿を片付ける。返却口から見える厨房の中でたまたま目の合ったエシオさんに軽く挨拶をすると、食堂を後にした。

 

 情報端末を取り出して時間を確認すれば、まだ始業までは20分ほど時間がある。……頑張れば用を足す時間もあるだろうか。おれは少し早足になると、職場までの道のりを急いだ。

 

 

 

 先ほどから始業やら職場やらと口にしていたが、お察しの通り今のおれは以前ケルシー先生と話し合った通り、ここロドスで働いている。

 働き始めたのは一通り義手の訓練の方も終わり、十分に社会復帰できると判断された頃だから、二か月ほど前だろうか。

 元々おれは長らく、それも大変長らく、傭兵として生きてきた。つまりは戦うことによって飯を食ってきたわけだが、一通りのリハビリが終わったと言ってもそれで戦闘の様な激しい活動ができるというわけではない。あくまで、日常生活を自力で送れるといっただけだ。

 そんな状態で戦闘オペレーターとして働くのは望むべくもなく、おれはこれまでとは全く違うことをして働くことを余儀なくされた。

 

 さて、それではいったい何をしているのかという話なのだが、ここでもケルシー先生との会話が出てくる。

 あの話し合いの中で、色々知ってしまっていたおれの待遇はロドスに終身雇用となっていたが、それに付け加えて彼女の直属という条件まで付けられていた。

 ケルシー先生はロドスを率いる人物でもあるが、その中でも特に彼女が直轄している部門といえば、すぐに思いつくのは一つくらいのものだろう。

 そう、ロドスの誇る医療部門だ。

 

 オフィスにどうにか時間前に辿り着くと、おれは同僚たちと挨拶を交わしながら自分のデスクへと向かう。いきなり畑違いな環境にやって来たことに加え、立場のこともあって馴染めるかには若干の不安があったのだが、皆いい人たちですぐに受け入れてもらえたのは有難い限りだ。この間もケルシー先生へのサプライズに協力してもらったりして、結構いい関係を築けているように思う。今度はみんなにおれが料理を振舞うことにもなったので、そっちのほうも楽しみだ。

 そんな先のことはさておき、席についたおれは情報端末を立ち上げ、今日のスケジュールやメールについて確認をする。この行為もすっかり板についてきた辺り、我ながら一端のロドスの職員になって来たなと思う。傭兵時代の知り合いに見られたら腹を抱えて笑われそうなものだが、こういうのもなかなか悪くない。意外なことに、結構性にもあっているような気がするのだ。

 さて、そんな風にざっと諸々を確認したら、いよいよ時間が迫ってくる。おれは席を立つと、打ち合わせのために扉一枚を隔てた執務室へと足を向けた。

 

 ノックをして部屋に入ると、デスクに向かう彼女の姿が目に入ってくる。部屋自体や机の上のものは整頓されているのだが、仕事量を表す書類や端末の山々が整然と積みあがっているのが何ともケルシー先生らしい。これでも少しは減ったというのだから驚きだ。

 

「おはようございます、ケルシー先生」

 

 そんな所感もほどほどに彼女に声を掛けると、ペリドットの瞳が机上からこちらへと向けられる。

 

「……おはよう、ウィアートル」

 

 そうして、傍目にはわからないほど僅かに口元を緩めながら発せられたその名前に、おれもまた少しだけ頬を緩めた。

 今の職場の同僚や友人、顔見知り達がおれを呼ぶ時に発せられるのは、大抵ウィートという愛称だ。そうやって親しみを持って呼んでもらえるのは勿論うれしいし、その呼び名自体も気に入っている。最近では専らおれの方からそう呼んでくれと言うことも多いほどだ。

 

 けれども、このウィアートルという名前にはやっぱり特別な響きがある。

 そこに込められた想いや願いが、おれという異質な存在に、それでもこの世界に居ていいと胸を張らせてくれる。

 おれの永い歩みを知って、受け止めて、その上で肯定してくれたケルシー先生がくれた名前。

 その、名付けてくれた人の口から紡がれる響きは、おれにとっての一つの特別だ。

 

 

 ……でも、それと同時にふと思う。おれにとっての特別な名前を、名づけの経緯を知ったらちょっと嫌がるかもしれないけど、それでも一等呼んで欲しい人のことを。

 思えば、あいつと二人でいる時はお互いに「あんた」だとか「お前」だとか呼び合っていた。一応の呼び名は二人とも持っていたにもかかわらずだ。

 つまるところ、やっぱりあれは傭兵としてのコードネームだったのだろう。……名付けられるという経験を経た今では、もっとあいつのこともΩと呼んでやるべきだったとも思ってしまうが。

 ともあれ、あの頃のおれたちの間では、「あんた」と「お前」でも十分だった。少なくともおれにとっては、あいつの視線と声が自分に向けられているだけで十分満ち足りていたのだ。

 でも、こうして名を得た今になってみれば、いつかの彼女の──テレジアの言葉が身に染みて感じられる。

 

『これから、カズデルの運命が決まった後。あなたたちが「W」と「Ω」じゃなくなる時がきたら、きっと良い名前が欲しくなるわ。サルカズらしい、良い名前が』

『二人で呼び合って、温かい気持ちになれる名前が』

 

 自分の気持ちを知った。名前の持つ温かさを教えてもらった。そんな今ならばわかる。この胸の中にあるものが、あの時のテレジアの言いたかったことなのだと。

 だから、いつか聞きたい。あいつの口から、「ウィアートル」と。いつか紡ぎたい。おれの口からあいつのまだ見ぬ「名前」を──

 

 

「…………どうかしたか?」

「……いえ。何でもないです」

 

 声と共にこちらを覗き込んできた視線に、おれは意識をケルシー先生の執務室へと引き戻す。

 僅かばかりの訝しさと心配とが入り混じった平坦な表情に対して首を振って返事をして、おれは手元の端末に目線を落とした。

 

「それで、今日の予定のほうですが──」

 

 読み上げていくのは我らがロドス医療部門の長、ケルシー先生の多岐に渡る業務の数々だ。

 今日の話で言えば、まずクルビアの医療機器メーカーとの商談があり、その後にはライン生命と共同で進めている治療法に関する意見交換会が控えている。勿論、その合間に診察や回診も控えているとなれば、その激務ぶりが窺い知れる。

 それに、たまたま今日は医療関係の予定となっているが、場合によってはさるヴィクトリア貴族からの「寄付」とそれに付随する諸々のための会談やら、サルゴンの首長との資源開発に関する交渉など、その仕事ぶりは多分野に及ぶ。少なくとも、政治的な要素が絡む分野においては彼女がロドスを率いているといっても差し支えないだろう。

 

 ところで、こうしたケルシー先生の業務はロドスの今後にも関わっている以上、それを知る人物は限定される必要がある。

 そのために彼女はそれらの業務の殆どを独りで抱え込んでいたわけだが、そこにちょうど都合の良い人物が現れた。

 その人物は元から色々と余計な情報を抱え込んでいるために外に出せず、首輪をつけて目の届くところで管理をしなければならない。ところがこれがお誂え向きに異常に記憶力が良く、ついでに頭の回転も悪くない……はずだ。

 つまり、おれが今こうしてケルシー先生の秘書の様なことをやっているのは、そう言った経緯からだった。

 仕事としてやっているのは彼女の手伝い──もともとは医療関係の資料作成だけだったのだが、今ではスケジュールの調整だったり、商談用の資料作成だったり、ちょっとずつやれることを増やしている段階だ。

 勿論、何もかもを知るような立場にいるわけではないし、ケルシー先生もこちらに伝える情報はある程度まででセーブしているはずだが、それでも仕事をこなすうちにこのテラの大地に対する理解が深まってきているように思う。

 傭兵として過ごしていた長い年月の中では得られなかった、大局的・俯瞰的な視点とでも言うのだろうか。元々何かと考えを巡らすことは多かったが、その材料や視座が一段と増えて、一つ上の階層から物事を見れるようになってきた実感がある。

 薫陶を受けているとまで自惚れる気はないが、彼女のような人物のすぐ傍にいることができるというのは極めて貴重なことだと言えるだろう。

 何せ、彼女から学び取れるそれらは、今のおれにとって最も必要なものなのだから。

 

 もう一度、あいつに逢う。

 辛うじて生き永らえたのだって、これまでのリハビリだって、全部そのためのものだ。

 でも、今のあいつはこの場所にはいない。テラの大地のどこかで日々を生き抜いていると、そう固く信じてはいるけれど、それでも物事に絶対はない。

 だから、ここに閉じこもってただ逢えることを願うだけでいるという選択肢はおれにはなかった。

 しかしながら、今のおれにはロドス・アイランドを離れることはできない。終身雇用かつケルシー先生の直属、それに首輪付きの処遇だ。身体がそれなりに治ったからって、下船することは許されない。

 徐々に出来つつある各国の事務所での勤務や外勤オペレーターと言った本艦から離れることのできる立場もあるにはあるが、おれの事情を考えるに遠方の事務所勤務は難しいだろうし、一オペレーターにしては余計なことを知り過ぎている。何より、それらの立場にあっては、あいつを探すということはままならない。

 なれば、目指す道はただ一つ。ロドスに所属したままで、古参の様子を見るに色々なことを知っていてもある程度問題がなくて、かつ行動に一定の裁量がある立ち位置。

 

 つまりはScoutやAceのようなエリートオペレーター、あるいはそれに準ずる権限を得ることがおれの当面の目標だ。

 まあ、実際問題としてこのままの内勤のままという事も大いに考えられるし、そのような権限を得られないなんていう可能性も十二分にある。でも、現状を踏まえたらある程度自由に艦から出歩けるにはそれしかないと思うし、エリートオペレーターに足るものを見せればケルシー先生も認めてくれるように思うのだ。……おれの希望的観測だけれども。

 そういうわけで、Scout達に伍するために今のおれの必要なものは2つ。知識と実力だ。前者は独自に作戦を遂行する上で必要不可欠だし、後者──おれの場合は腕っぷしになるだろう──については現エリートオペレーターたちを見ていればわかる。

 今のこの仕事は、その知識を得るために最適のものだ。活かさない手はない。

 

「──それじゃあ、ケルシー先生。今日もよろしくお願いします」

「……ああ。よろしく、ウィアートル」

 

 そんな思いをひそかに抱きつつ、おれはケルシー先生に軽く頭を下げる。視線を戻した時、目に入ってきた彼女の瞳は真っすぐにこちらに向けられていた。

 命を救ってくれた、名前をくれた、そんな人からの仄温かい視線。

 ……もしかすると、全部お見通しなのかもしれないな。そんなことを思いながら、おれは仕事へと頭を切り替えた。

 

 

 

 さて、今日の業務も無事滞りなく──途中、頑なに昼休憩を拒否するケルシー先生の机に無理やり食事を並べる必要はあったが──終わり、軽く食事も取ったところで、おれの足は訓練場に向かっていた。

 訓練場はトレーニングルームとは異なり、より実践的な戦闘訓練を行うための複合施設だ。施設内には様々な地形が存在しており、実際にロドスが遭遇しうる武力衝突や護送任務、救助活動などを模擬的に行うことができる。工場や集合住宅のような屋内から、瓦礫が転がる廃墟に整然と建物が並ぶ都市部の屋外まで、そのものではないとはいえ実に良く出来た施設だ。おれの時間だけは長い戦闘経験の中でもよく目にしてきたようなシチュエーションが見事に再現されている。

 

 以前に昼間にここを覗いた時には、オペレーターの訓練生と思しき面々が訓練に勤しんでいた。サルカズ傭兵式とは異なる、洗練された形式の訓練で、見ていて感心したものだ。

 何せ、こちらの訓練というのは有り体に言えば相手からボコられるというもので、身体で覚えろと言うやり方だ。おれも随分と隊長にやられたし、他の連中も大なり小なりそうだった。そんなやり方では当然、新入りの出来にはムラがあるわけで、出来の悪い奴から死んでいく。そうやってできる奴だけが生き残っていく、そんなやり方だった。

 だが、ロドスでは見る限り、きちんと全員に一定以上の能力が備わるように訓練しているように思われた。そこから上は本人の才能と努力次第にはなるが、最低限の地力は担保されている。何となくだが、元軍人あたりがカリキュラムを組んだのだろう。お行儀が良くて、組織として整ったやり方だ。

 あの様子なら、以前見た訓練生たちも立派なオペレーターになれるだろう。ここでの訓練でなら、必要な能力と身に付けるべき戦闘におけるセオリーをものにできる。……まあ、実際の戦場では何が起こるかはわからず、セオリーが通じないことも多々あるのだが。

 

 それはさておき、今はもう夜だ。この時間も訓練場は解放されているものの、訓練そのものは行われていない。この時間帯にここを使うのは、自主的に戦闘訓練をする奴くらいだ。

 例えば、おれのような。

 

 ぽつぽつと人の気配がある訓練場に足を踏み入れたおれは、まず装備保管庫へと向かう。ロドスのオペレーターは各々が異なった役割を担うことになるが、それに応じた装備もまたきちんと準備されている。標準的な剣やボウガン、ハンマーといった武器類がその例だ。

 そうした武器類が壁や床に整然と並んだ中、おれは部屋の片隅に置かれた刀へと歩み寄った。標準から外れたそれは、おれが頼んで作ってもらったものだ。

 かつてバベルであったときもそうだったが、現ロドスにも工作室を始めとして装備や機器を作製できる設備が備わっている。……クロージャもまた何か喋る車両を作ってるし。

 ともあれ、そうして設備を使って各オペレーターに応じたワンオフの装備作製もロドスでは行っており、おれも刀身の長さから重心までを指定した得物を用意してもらったというわけだ。

 因みに、この装備作製は基本的にオペレーター用のものであるため、おれはリハビリ用だという事とその他各所にお願いして実現してもらった。このあたり、ツァドクやプータル、Scoutには感謝だ。

 

 そんなことを考えながら、おれは刀を手に取る。記憶をもとに特注しただけあって、傭兵時代に使っていたものそっくりで手によく馴染んだ。

 刀。本当に最初の始まりのある時、スカーモールで見つけて飛びついた武器。多くのサルカズ傭兵やヘドリーが用いる様な分厚い剣とは異なり、片刃で薄く、斬ることに最適化された刀身。極東から流れてきたのだろうか、傭兵たちの使う数打ちとは異なり、無骨ながらもどこか芸術的なそれは、おれにとっては酷く懐かしく思えたものだ。

 それから毎度、どこかしらで必ず手にしていたこいつは、永い時を共に過ごした相棒だとも言えるだろう。特に後半の方ではこれとボウガン、それに爆弾くらいしかまともに殺れる武器が無かったのもあって、なおさらに。

 その相棒は、今となってはどこにいるのだろうか。あいつは近接戦闘にはナイフを使っていたし、そのスタイルを変えてまで刀を使うとは思えない。銃と言い、ヘドリーに対する身分証明書替わりには使えただろうが、その後はどうか。普通に考えれば、おれが手にした経緯のように珍品としてスカーモールにとっくに流されていてもおかしくはない。

 ……持っていてくれたら、なんて、あまりにも女々しい考えだろう。

 

 訓練場の一角、瓦礫の山に囲まれた地形がシミュレートされたその場所で、おれは刀を構える。

 得物を持つ腕、地面を捉える脚、身体全体の体幹。現役当時と比べると、そのすべてにおいて衰えているのが感じられる。ロドスの日常生活には復帰できても、戦場と言うサルカズの日常に立つには足りない状態だ。

 では、何が足りないのだろうか。

 筋力はある程度まで戻ってきた。穴だらけだった内臓も随分と回復して、呼吸や免疫の機能低下も数%にとどまっている。

 問題なのは、目と腕だ。狭まった視野と義手、その扱いがあの頃のように戦えるレベルにまで達していない。おれの目標であるエリートオペレーター相当になるには、少なくとも怪我を負う前程度の能力がいるはずだ。

 そして、その扱いを学ぶには一つしか方法はない。

 実際に戦うことだ。 

 

 

 

 目を閉じる。

 そして、思い浮かべる。

 破壊の跡も新しい瓦礫の山の中。あたりは粉塵で薄暗く、何かが焼け焦げたような匂いが鼻腔を通り過ぎていく。

 靄がかった視界の中、黒く焦げた爆発の跡を追いかけて。硝煙の香りに、ふと鉄錆が混じった。

 振り返った先に見えた、撒き散らされた赤。そこには銀糸を帯びた人影が倒れていて──その前に、年老いたサルカズが佇んでいる。

 白んだ髪と蓄えられた髭、無数の皺と傷跡が刻まれた肌。真新しい鮮血が滲んだ大剣を手に、それが口を開く。

 

『──────』

 

 瞬間、目を見開いて刀を払いあげる。高速で迫ってきた奴の横薙ぎの一撃が火花を上げながら刃の上を滑り、頭上を切り裂く。その様子を、確かにおれは幻視した。

 ヨシュア。かつての隊長であり、恩人であり、仇敵。そんな彼は、勿論今ここにいるはずもない。今こうしておれの目の前に()()()()()のは、脳ミソが作り出した幻だ。

 いわば、イメージの産物。しかしながら、1つの世界線でさえ無数のループを通して戦い、無限にも思えるほど連なった世界線の数々で戦ってきた奴の動き、その全てが刻み込まれたおれの記憶から想起されたこの幻は、最早ヨシュアそのものだ。

 

 何かに引かれるように、ありえない速度で鋭角に振り下ろされた一撃を右足を引いて躱す。直後の跳ね上げを警戒して横薙ぎに刀で虚空を切り裂き、奴のアーツである不可視の糸を切断する。刀を振るった勢いを利用して身体を半回転させ、半身になって向き合ったところで漸くおれは息を吐いた。

 ほんの一瞬の間の、しかし濃密なやり取りに全身が軋むのを感じる。だが、ヨシュアはそれを待ってくれるような相手ではない。

 前、右、超高速の人体構造を無視した直角の軌道で奴の姿が消える。後ろに回られた、そんな思考が浮かぶ間にも押し寄せる風圧、迸る殺気。それらを読み取っておれは反射的に振り返って刀を構え──

 

「……っ!」

 

 ──狭まった左側の視野に、鈍く輝く白刃を見た。ほんの僅かに、コンマ数秒遅れた反応。しかし、それが致命傷となる。

 受けのために辛うじて掲げた刀は、いとも簡単に弾き飛ばされていった。理由は明白、左腕の義手だ。おれはこの腕を、未だにおれのものには出来ていない。身体とは異なる道具として使ってしまっているのだ。それゆえに、感覚が鈍く、反応が遅い。剣術もまた、右腕が主導するものになってしまっている。

 そんな状態では、咄嗟にヨシュアの攻撃を受けることなどできるはずもない。そうして、得物を失ったおれの胴に超速の切り返しが降り注いだ。

 

 

 

 噴き出す鮮血と零れ出る臓物の影を振り払い、おれは大きく息を吐く。白い床に転がった刀を拾い上げれば、自然と言葉が口をついて出た。

 

「……やっぱ強いな、あんたは」

 

 直接戦った中で最も強かった人物は誰か。そう問われれば、おれはきっと真っ先にこの人の名前を挙げるだろう。勿論、最初のほうの世界線ではもっととんでもない連中と闘ったこともあったが、その時はこちらにも反則的なアーツがあった。

 積み上げられた戦闘経験と、それに裏打ちされた技術。そして王庭の連中とは比べるべくもなく矮小にも関わらず、極限まで練り上げられたアーツ。戦争のためではない、傭兵として日々を生き抜いてきた確かな"強さ"が奴にはあった。

 だからこそ、今のおれの位置を知るためにはいい相手だと思ったのだが──その背中は遠い。よくよく思い知らされた。

 現状のおれには、ヨシュアとほんの数合打ち合うだけの力しかない。これでは、エリートたり得ない。これでは、あいつに逢いに行くことはできない。これじゃあ、ダメだ。

 ならば、どうするかは決まっている。

 

 もう一度目を閉じる。脳裏に刻まれた、戦いの記憶に意識を潜り込ませる。

 焦らず徐々に、一歩ずつ。リハビリもそうだった。あの管に繋がれたくたばりぞこないが、今ではこうして普通に生活できるようになった。戦いも、それと同じだ。

 初めからヨシュアを倒せはしない。けれども、この永い戦いの記憶には、多くの連中とやり合った経験が染みついている。初めて殺った破落戸に、飢え切った傭兵。摂政王の軍隊に、角を落としたサルカズたち。

 奴らを全て倒していった先で、おれはヨシュアに勝つ。そうして、あいつに逢いに行く。

 おれは再び刀を構えると、目の前に現れた幻に向かって刃を振るった。

 

 

 

 シャワーを浴びて部屋に戻ってきた頃には、既に時刻は23時を過ぎていた。

 ベッドに腰かけて義手を外しながら、おれは独り思う。

 ロドスでの日々は、間違いなく充実した日々だ。運動から始まり、うまい飯を食って、まともな職業に就いて働いて、そして自分のための時間もしっかりと取れている。設備も制度もしっかりと整っていて、この寝床から食堂、訓練所といい何から何まで至れり尽くせりの環境。

 そんな充実した日々を、おれは──物足りなさを抱きながら過ごしている。この艦のどこにいても、何をしていても、いつも脳裏によぎる影がある。

 

 取り外した義手をケースに収めてサイドテーブルに放り、窓の外に目をやると、白銀に輝く月が目に飛び込んできた。

 丸でない、満ち足りない形をしたその月を、おれはじっと見つめる。

 やがて布団を被り目を閉じれば、白銀の残光がまるで銀糸のように視界を流れていった。

 

 

 

 




「……ケルシー先生」
「……どうした」
「午後の意見交換会は14:00からなので、そろそろ昼食にしませんか?」
「……確かに、君の言うように現在の時刻は今後の予定を鑑みれば適切な昼食の時刻と言えるだろう。知っての通り、生命を維持するためには大抵の場合において食事の摂取が必要となる。状態が良化したとはいえ、君の腸機能が従前のものと比較して低下したのは確かだ。それを踏まえた上でも、十分な時間を設けて適切に食事をとることは今後に渡って重要なことになる」
「ええ。なので、昼食にしませんか?今なら食堂も空いてきたでしょうし」
「ああ。行ってくるといい」
「いや、ケルシー先生も行きましょうよ。食事は大切なんじゃないんですか?」
「自分自身の状態は把握できている。適切な栄養状態を保てている以上、その時間をより有効な活用するべきだ。ロドスが背負う使命はこの大地の多くの人々を救うことにあり、そのために私にはいくつか行わなければならないことがある」
「それであなたが潰れてしまったら、元も子もないじゃないですか」
「私は常に合理的判断に基づいて行動している。問題はない」
「……はあ。わかりました。食事をとってきます」
「……ああ」



「……ウィアートル」
「どうしました、ケルシー先生」
「……君は食事を取ってくると言わなかったか?」
「ええ。こうして部屋まで食事を取ってきましたよ?」
「…………」
「それじゃあケルシー先生、食べましょうか」
「…………はあ。わかった」


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