時刻は間もなく午後4時になろうかという頃。夕食にはまだまだ早いこの時間帯にあって、食堂は閑散としている。まあ、まだ料理も何も出てきていないので当然と言えば当然だろう。こことは別に休憩できる場所もあるのだ、食べ物無しに食堂で何をするのかという話だ。
しかし、何事にも例外というものはある。例えば、こんな時間にこそこそと食堂の隅で集まって机を囲んでいる、おれたち3人だとか。
「それじゃあ、プータルの記念すべき通算17回目の医療チームからの説教を記念して、乾杯!」
「何すかそれ。……あ、じゃあ隊長のロドス折りたたみコンテナ積み大会第5位(参加者中最下位)を記念して乾杯ってことで」
「じゃあおれはよりにもよって医療部門近くの廊下で台車レースを開催しようとしたScoutの蛮勇にでも乾杯するか」
「おいおい、だからそれは俺じゃなくてあのバンシーだって」
「……でもケルシー先生はたぶん犯人はお前だと思ってるぞ?」
「ウソだろ?!」
「日頃の行いっすね。良かったじゃないすか、隊長?」
パーテーションに囲まれた空間で傍から見るまでもなく馬鹿馬鹿しい事を言い合っているのは、おれに加えてひょんなことから知り合ったプータル、そこから繋がってこの世界においても交友を持つに至ったScoutの3人だ。つまり、今日集まったのはロドスにおけるおれの友人たちということになる。
プータルは医療部の世話によくなっているので自然と会う機会は多いし、Scoutはサルカズのよしみもあってかウマが合うのか、お互いの予定が空いている時にはよく会う仲だ。2人ともおれのロドスでの交友関係のうち、数少ない戦闘オペレーターたちと言うことで、訓練場のことでも世話になったのは前に述べた通りになる。
しかし、記憶の中にある姿でもそうだが、この世界においても、Scoutは結構色々なことをしているらしい。まあ、部下からいじられている辺り、風通しの良い小隊なのだろう。結構なことだ。
並々と注がれたジョッキを片手にそんなやり取りを交わしていると、形勢が悪いことを悟ったのか、話題を切り替えるようにしてScoutが一つ咳払いをする。
「…………じゃあ、気を取り直してだ。ウィートの入職3か月を記念して、乾杯!」
「「乾杯!」」
彼の音頭に合わせて、今度こそおれたちはジョッキを打ち鳴らした。乾杯の勢いそのままに中身を煽れば、よく冷えたビールが喉へと流れ込んでいく。
その冷涼さと炭酸の清涼感、舌先に感じるほのかな苦みと麦の風味。全てが一体となったそれを、ぐびりと喉を上下させながら飲むこの瞬間がたまらない。
この飲料は不思議なことに、一口目が異様に美味しいのだ。その唯一無二の一口を堪能するかのように、おれはジョッキを傾けていく。
「……っはあ!」
結局、ジョッキ内の2/3ほどを一口で飲み干してしまったところで、おれはグラスを机に置いた。
「いやあ、旨いな、やっぱり」
「リハビリ中は禁酒でしたもんね。……医療部はおっかない人が多いっす」
どこか遠い目をしながら語るプータルにしみじみと頷き返しながら、おれはテーブルの方へと目をやる。
そこに並ぶのは、酒を飲るのならば絶対に欠かせないもの。そう、ツマミだ。
ロドスにおける酒とツマミは、基本的に購買部での取り扱いとなっている。これはこの艦が幅広い年齢層の人員を乗せていることを考えると、納得のいく処置と言えるだろう。何せ、我らがCEOなどまだ10代の前半なのだ。食堂で堂々と並べておくわけにはいかない。
現に複数ある食堂の全てにおいて、でかでかとケルシー先生直々の飲酒禁止との張り紙がしてあるほどだ。
ちなみに、基本的というのは、それとは別に外勤オペレーターなどが個人的に仕入れてくる物もあるという意味だ。一応製薬会社という建前上、購買部で売っているのはマイルドな酒なのだが、この個人品は完全なる無法地帯で、酒飲みの集いなどは40度超えは普通、場合によっては96度までの酒と持ち込まれた珍味を超えた珍味と相まって、世紀末の様相を呈しているという。1度試しに参加したScoutが青白い顔で言っていたので恐らくは事実だろう。
こんな具合で、ロドスにはかなり酒を嗜む面々が居るので、そのうち艦内にちゃんとしたバーとかそういう場所でもできるんじゃないかと密かに思っている。おれがかつてバベルに居た頃には、艦内のとある倉庫に皆で椅子やら机やらを持ち寄って酒盛りの場としていたから、そういう施設の需要は高そうだ。
……そういえば、Scoutが行ったという集いはどこで開かれていたのだろうか。もしかすると、今もあの倉庫を使っているのだろうか。今度連れて行ってもらってもいいかもしれないな。
さて、話を戻すと、こうした購買部での購入といった事情から、ロドスにおいては酒はともかくツマミの方はだいぶ種類が限られている。種類は仕入れ担当のクロージャ次第な部分はあるのだが、大抵はスナック菓子やナッツといったものだ。悪くは無いし、結構酒にも合うのだが、おれとしてはちょっと寂しい所がある。
危険を冒して夕食時に購買部の酒を持ち込むのも手と言えば手だが、食事として作られた料理に合わせる酒というのはどうしても品の良いものになってしまうのだ。この3人の様な雑な集いには、それにあう酒と料理というものが欲しい。
そこで登場するのが、この夕方の食堂だ。食堂は飲酒禁止なのは前述のとおりだが、要はバレなければ良いだけの話だ。個室は男3人にはちょいと手狭だし、それ以外に誰でも使える休憩スペースは意外と少ない。
その点、この時間帯の食堂ならば殆ど利用者がいない、かつ厨房も本格的に稼働する前ということで、料理が出来さえすれば自身でツマミを用意して酒盛りができる素晴らしい環境が整っている。勿論、料理人の皆さんと仲が良いことが大前提なのだが、その点おれはクリアできている……はずだ。今日もエシオさんがちょっと面倒臭そうに手を振ってくれたし。
今座っている席はパーテーションで囲んで周囲からの視界も遮っているし、準備は万端だ。ということで、今日用意したツマミは2品。キャベツのペペロンチーノ風とおつまみスコップコロッケだ。
「よし、俺は早速こいつを貰うぞ」
一足早くグラスを置いたScoutが、言葉と共にツマミへと手を出す。彼の視線が向いた先は、中央の大皿にこんもりと盛られたキャベツの山だ。薄緑の中に散らされた赤で彩られたそこからは、ふわりとニンニクの香りが漂って食欲をそそる。
ペペロンチーノ風ということで、調理手順はいたってシンプルだ。まずキャベツを芯は薄切りに、葉はざく切りにカットする。次いでフライパンで刻んだニンニクと唐辛子をオリーブオイルで弱火でじっくり火を通して、ニンニクが色づく程度まで熱する。辛さを出すために今回唐辛子は種ごと入れたが、辛さを抑えたい場合は種を抜くのがおすすめだ。
そうして香りが立ってきたら、火を中火に強めてカットしたキャベツを投入。1/2カップほどの水を入れて炒め煮、キャベツがしんなりとして水分がほどよく飛んだところで、強めの塩と胡椒で味を調えればあっという間に完成だ。
個人的に、ツマミにするには気持ち多めに塩味を利かせるのが良いように思う。ベーコンを足したり、キャベツの代わりにブロッコリーなんかでも旨いが、今回はシンプルにキャベツだけで仕上げた。
そんな風にして仕上げた一品を、おれもまたScoutに続いて自分の取り皿によそい、口へと運んだ。
まず最初に感じるのは、オリーブオイルに由来するまったりとした油感。直後、舌の上にガツンという塩味が顔を覗かせる。しゃくしゃくという歯切れのいい食感と、香るニンニクの風味。塩気と共にそれらを味わっていると、徐々に味のトーンが移ろいで行く。噛むほどに徐々にキャベツの甘みとニンニクの香りが移ったオイルがじんわりと染み出してきて、豊かな風味が口中に広がっていくのだ。そして、最後に尾を引くように現れる唐辛子の鮮烈な辛み。また一口、もう一口と手が止まらなくなる。
そうして食べ進めたところで、ビールだ。ツマミのキャベツの塩味と辛みを、一気に冷えた酒で押し流す。心地よい苦みでリセットされた口がもう一度塩味を求め、そして更に酒を求める。
「……なあウィート」
「ぷはっ……どうした?」
そんな幸せループに入り込み、夢中で酒とツマミにかかり切っていたところで、おもむろにScoutがおれのことを呼ぶ。
声の調子が重いのが気にかかり、何事かとグラスを置いて彼の方を向き直れば、何やら真剣な表情だ。今日はおれの入職3か月祝いではあるが、話したかったことでもあったのだろうか。向こうの様子に合わせて、こちらもまた眼を据えて視線をやる。と、やおらScoutが重々しく口を開いた。
「──今からでも後方支援部に転職した方がいいんじゃないか?」
「……は?」
「というかしてくれ。……旨すぎるだろ、これ!!」
「……はあ」
真剣な顔して突然何を言い出すのかと思えば、そういう事か。要は、料理人になれというあれだ。覚えている限り色々な場面で色々な面々から言われてきた言葉ではあるが、誉め言葉として素直に嬉しい。今回のScoutの場合は、後方支援云々と言うから一瞬医療部を辞めろだのという事なのかと勘違いしかけたが。
一応補足すると、現在のロドスにおいて厨房の利用を許可されているのは後方支援部で、外勤オペレーターはじめその他の部門の個々人の利用は原則禁止となっている。まあ、おれのように個人の伝手で使っている奴も若干名いるのだが、原理原則としては後方支援部が大手を振って厨房に立てる存在で、Scoutはそうなればどうだと言ったわけだ。
「ま、気に入ってくれたようなら何よりだ。それと転職は無しで。今の職場が気に入ってるからな」
「……残念だな。じゃあ、代わりに定期的に今日みたいなのを頼む」
「あ、隊長のついでに俺もよろしく」
「いや、何の代わりだよ」
割と本気で残念そうなScoutと、便乗してきたプータルが何やら言うのをするりと躱しつつ、おれはまあそれも良いなと独り言ちる。最終的には艦を離れる仕事に就きたいという事もあるし、料理の腕もまだまだ及ばないという所で後方支援部で働こうとは思わないが、こうして親しい面々に料理を振舞うことは、おれにとっての一つの喜びだ。
少し前に医療部門の同僚たちと開いた食事会も上首尾に終わったし、夜遅くまで仕事が残っている時なんかは、自分用に加えてケルシー先生の分の夜食を作ったりもしている。彼女は目の前の奴らのように大っぴらに評価を口にすることはないけれど、料理を前にしたその柔らかな表情を見るたびに、おれは嬉しくなる。
そして、それはこの2人とて例外ではない。外勤オペレーターとして艦の外で様々な現実と向き合っているであろう彼らと、こうして馬鹿みたいなやり取りをできることだって、おれにとっては嬉しいことなのだ。
……口にすると調子に乗りそうなので、絶対に言う気はないけれど。
「冗談はさておき……いや、割と冗談じゃなかったんだが……こっちの料理も貰うぞ」
そんなおれの内心をよそに、Scoutの目は次なる料理の方へと向いていた。本日のツマミとして用意した2品目である、スコップコロッケの方にだ。
スコップコロッケとは、ざっくり言ってしまえば揚げないコロッケという所になる。材料は普通のコロッケと同じで、じゃがいもに玉ねぎ、ひき肉にパン粉とシンプルな構成だ。ただ、今回は酒のツマミということで、ひき肉ではなくベーコンを使った。加えて、香りづけにニンニクも用いている。こうしたアレンジもまた、料理の醍醐味だろう。
作り方は意外と簡単だ。まず、じゃがいもの皮を剥いて茹でる。今の厨房には電子レンジという文明の利器があるので、これを使えば1/4にカットしたじゃがいもを耐熱容器に入れてふんわりラップをかけて4~5分、スッと串が通るくらいの柔らかさになるまで加熱すればOKだ。
そうしたらじゃがいもをボウルに移して軽く塩、胡椒をし、木べらか何かで潰してマッシュ状にしていく。途中でバターを2片ほど入れると、風味が立っていい感じだ。潰し具合は好みだが、個人的に大きな塊が残っていると全体の馴染みが悪い気がするので、今回は細かくなるまで行った。
順番は前後するが、じゃがいもをレンジにかけている間は、玉ねぎをみじん切りにしておく。少し粗めにみじん切りだと玉ねぎの存在感が立つし、細かくするとじゃがいもとの馴染みがいい。ここは好みだが、おれは粗めにしてゴロゴロとした食感を楽しめるようにした。
さて、じゃがいもの方の処理が終わったら、ベーコンを玉ねぎと同じくらいの大きさにカットしていく。続けてフライパンに油を敷き、ベーコンを少し焼き色がつくまで炒めて、途中玉ねぎを加える。そのまま炒め合わせていき、玉ねぎが透き通ったところで塩胡椒で軽く味付けしたら、潰したじゃがいものあるボウルに炒めたものを加えていく。
そのままよく混ぜ合わせて、両者を馴染ませたら、これでコロッケのタネが完成だ。通常ならば、この後はタネを成型して小麦粉、卵、パン粉のいつもの揚げ物3点セットなのだが、スコップコロッケはここからが違う。
先ほど使ったフライパンを軽く掃除して油を敷きなおしたら、ここでスライスしたニンニクを弱火で熱していく。目安としては、ニンニクが色づいてカリカリのチップ状になれば頃合いだ。ここでの目的は油に風味を付けることだが、このニンニクチップも後でトッピングとして使える。
そうして香りが移ったオイルを使って炒めていくのはパン粉だ。ここでパン粉をちょうどコロッケの揚げあがりのようなきつね色へと仕上げていく。今回はツマミなので、ここでしっかりと塩を振って塩味を付けておくのもポイントになる。
最後に、グラタン皿にタネを敷き詰め、その上を炒めたパン粉で覆い、ニンニクチップを散らしてパセリを振りかけたら、スコップコロッケの完成だ。
我ながら中々いい感じに作れているとは思うのだが、果たして味はどうだろうか。Scoutが自身の皿に取り分けたのに続いて、おれもまた大皿の方へと手を伸ばす。
サクッ、と軽い音を立てるパン粉を掻き分け、敷き詰められたタネまでもを合わせて掬い取れば、断面からはゴロゴロとした玉ねぎとベーコンが顔を覗かせた。そのまま小皿によそれば、見た目はベーコン入りマッシュポテトがパン粉を被っているといったところだろうか。この状態ではニンニクのはほんのり香る程度だが、あのオイルで炒めたパン粉には期待がかかる。
と、おれがじっくりと観察をしていたところで、一足先に食べていたScoutが頭の上に!マークを浮かべんばかりの勢いで叫ぶ。
「!!……ウィートお前これ……本当にコロッケになってるぞ!しかもパン粉が旨い!」
「お、本当か?どれどれ……」
どうやら狙い通りに上手く出来ているらしい。彼の言葉を受けて、おれもまたフォークを口へと運ぶ。
まず舌先に感じるのは、パン粉のびしりと効いた塩味。腔内にふわりとニンニクの香りと炒められた香ばしさが広がる中、噛み進めればカリッ、シャリッとした食感の後にほっくりとしたじゃがいもが現れる。バターも相まってか円やかさを感じるそれの中に、ふと現れる大ぶりな玉ねぎは食感にアクセントを加え、ベーコンの薫香と塩味が後を引く旨さを生み出す。
全体として塩味を引っ張るパン粉と、滑らかなじゃがいも、そうしてその中にあって変化を付ける具材たちが、咀嚼することで合わさっていく。
Scoutの言うように、確かにコロッケだ。それが、口の中で見事に完成している。
「……自分で言うのもなんだが、これ旨くないか?」
「だろ?!旨いよな?!」
「何でまるで隊長が作ったみたいに言ってんすか。……でも、確かに旨いっすね。上の衣が軽いからか、いくらでも行けそうな感じで」
おれたちのやり取りを見て半分呆れ顔をしながら、プータルが呟く。確かに彼の言う通り、このスコップコロッケの衣は油の重さがなく軽い感じだ。揚げたのではなく炒めたことで、よりヘルシーに仕上がっている。もう一品のキャベツの方がオイリーな仕上がりという事を考えても、この軽さは嬉しい。
味のほうも絶妙な塩梅で、塩味をかなり効かせて酒のツマミに特化させたあちらと比較して、じゃがいもの円やかさもあり塩っぽさは控えめとなっている。しかしながら、パン粉自体には味がしっかりとついているし、玉ねぎとベーコン、ニンニクの風味がこれまた効いている。
「────ぷはっ、酒も旨い!」
つまりは、これもまた飲める逸品に仕上がっているのだ。
目の前の飲みっぷりにつられておれもまた酒を煽れば、これがまた実に合う。
塩味で飲ませることに特化したキャベツと、しっかりと腹に溜まる食事でありつつ風味で飲ませるツマミでもあるコロッケ。それぞれがしっかりと特徴立ちつつ、全体としてのバランスは整っている。
我ながら、なかなか良い料理のチョイスだったのではないだろうか。その証拠に、3人分のグラスはいつの間にか空になっている。つまりはあっという間に食べて、そして飲んでしまったわけだが、この集まりはまだ序盤も序盤、机の上には先の2品がたんまりと残っている。
となれば、彼らの相方にも再びご登場願わねばならないというものだ。前方の2人から期待の視線を受けつつ、おれは机の下に置いたクーラーボックスへと手を伸ばす。
「じゃあ、取りあえずは1杯っていうところで────2杯目行くか!」
「よ!」
「そう来なくっちゃな!」
少々勿体ぶりつつも、よく冷えたビール瓶を取り出しながら声をあげれば、2人分とは思えない歓声が聞こえてきた。どうやらおれも含めて全員、まだまだ飲み足りないらしい。
この調子では、今日は中々楽しい時間が続きそうだぞと予感しながら、おれは結露で濡れた瓶から栓を開け放った。
さて。飲み会と言えば酒とツマミが無いと始まらないというのは当然だとして、もう一つ極めて重要な要素がある。酒を飲む、ツマミに手を伸ばす、また酒を飲む──そんな繰り返しの間という間を満たすもの、すなわち会話だ。
アルコールで口が軽くなるのか、はたまたツマミで口が滑らかになるのか、もしくは雰囲気が人々を酔わせるのか、実際の所はわからないが、純然たる事実としてこうした場においては話が弾む。それが普段から馬鹿をやれるような間柄の集まりともなれば、なおさらだろう。
翻って、一通り料理を味わい、感想を言い合って、取りあえず酒も入れたという状況にあるおれたち。そんな、長い夜の入口とでも言うべきこの時間帯において、口をついて出てきた話題は飲み会の定番中の定番、お互いの近況についてだった。
この近況という話題は、お互いの距離感によって浅くも深くも、薄くも濃くもなれるものであるが、その辺りはおれたちの仲というべきだろうか。外勤オペレーターの二人からは、Scout小隊珍道中を聞くことができた。
またしても無茶をして医療オペレーターにシバかれるプータルの話を語るScoutに、謎のガラクタが夜中に突如作動しててんやわんやに陥ったScout小隊員が下手人のゴミ拾い好き隊長をボコボコにしたと雄弁に振るうプータル。作戦そのものについては話せない部分もあるためにこんなエピソードが出てきたのだとは思うのだが、容易に想像がつくそれらの光景に笑いが零れでる。
加えて、双方の話題の語り手と当事者が同じ席にいるがために横から訂正やツッコミが雨嵐と降り注ぐ始末。その様相はどこかコントじみていて、傍から見ているおれとしては良い酒の肴になったというべきだろうか。
対するおれは医療部門という事で平和なエピソード、職場親善モルック大会(主催おれ)や食事会で常温のパスタを作ったらちょっとケルシー先生の受けが良かった話なんかをしたのだが、これが意外と二人にとっては色々新鮮らしく、思った以上の盛り上がりを見せた。
Scoutなどはモルックへの食いつきがよく、今度あのバンシー辺りを呼んでやってみようという話になったほどだ。この間やった感じでもあまり知られていないようだったし、これを期にロドスで布教するのもアリかもしれない。……後でクロージャに話を通すか。
こうしてお互いの近況報告がてらのエピソードを披露しあっている間にも、酒とツマミに伸びる手はもちろん止まらない。話が一段落した頃には、持ち込んだ酒も作った料理もすっかりなくなってしまった。
が、その辺りの補充も容易なのがこの食堂という場所だ。ぼちぼち夕食時と言うことで慌ただしい雰囲気の漂う厨房へ静かに潜り込むと、隅に置かれた個々人用の冷蔵庫からワインを取り出す。料理用ということで購買部とはまた別口で仕入れられているものではあるが、このままで非常に美味しくいただけるのは言うまでもないだろう。ここの料理人たちがいつも余裕を持った量を発注しているのは、つまりそういうことだ。
そんなこんなで無事に酒を手に入れたおれは、ボトルを片手に席へと舞い戻る。ついでに厨房からの帰り際にエシオさんから「まだやる気か?」というお小言と共に貰ったガリア風のステックフリッツ、つまるところステーキとフライドポテトの盛り合わせをもう一方の手に乗せて来たとなれば、赤ワイン片手に三人分の乾杯が発せられるのも仕方がないだろう。
そんな、仕切り直しとばかりに赤身の旨味溢れるステーキとクランベリーを感じるワインを堪能したところで、ふとプータルが思い出したかのように声を発する。
「そういえば、
「ああ、おかげさまでな。この腕の使い方も大分上手くなってきた」
「……ああ!あの刀を作ってくれって言う奴か!」
彼に向かって返事をしたところで、理解が追いついたのか一拍遅れてScoutが声を上げる。先ほどプータルが口にしたリハビリというのは、最近おれが続けている武器を使ったトレーニングのことだ。方々にお願いして得物を製作してもらう際、本来の装備作製対象ではないおれ用にリハビリ用器具という名目でやっていたので、それを揶揄ってのことだろう。
想像上とは言えいきなりヨシュアに挑んで瞬殺されて以降、地道に訓練を続けている甲斐もあって、徐々に義手や今の視野については慣れてきた。特に義手についてはエンジニア部の方でこまめに調整してブラッシュアップして貰っているのもあり、当初考えていたよりも相当生身に近い動きが出来そうな手ごたえも感じている。その点においては、この
「あの時は助かった。二人とも、改めてありがとな」
「あれぐらいどうってことないさ。……しかし、聞いた時は驚いたな。まさかあんなにも詳細な要求が来るなんて。……なあウィート、あんた何か刀のデータでも持ってたのか?」
「確かに気になるっすね。確か、クルビアで傭兵してたって話っすけど、そん時に手に入れたとか?」
そんなわけで、取りあえずは例のリハビリ機器作製協力への感謝をと思ったのだが、どうやらそれが二人の記憶を刺激したらしい。
当時のおれとしてはできるだけ早く外勤できるだけの実力をという事もあり、最も経験を活かせる得物が欲しかったというところではあった。だが確かに言われてみれば、トレーニング用に刀を作製してほしいという依頼に嫌に詳細な要求がついてくれば、それは気にはかかるだろう。
幸い、プータルが昔軽く話した偽装経歴で助け船を出してくれているので、遠慮なくそこに乗っかることにする。
「データを持ってたというよりは使ってたものを覚えてたって感じだな。ほら、おれって結構記憶力いいだろ?それにプータルの言う通り、昔はそれなりにやってたし、身体も覚えるってもんだ」
「へー、色々あるもんっすね。でも、そんなに経験があるってことなら、リハビリが上手く行ったら外勤オペレーターにって感じすか?」
おれの言い分を聞き、納得したような表情のプータル。彼は口調こそ軽いものの、頭も回るし機微に聡い。こちらがそれなりと表現をぼかしたのを感じてのことか、続けての言葉は過去から離れて未来の内容だ。
確かに話の流れから言って普通はそういう運びになるだろうが、まだケルシー先生の許可まわりが読めないという事もあり、当面は医療部門にいるつもりではある。
そう返事をしようとしたところで、視界の隅に何か考え込んでいる様子のScoutが飛び込んできた。
「いや、それは──Scout?」
「…………」
おれは言いかけた言葉を呑み込むと、彼の名前を呼ぶ。
……何かそんな引っかかるような事があっただろうか?別に具体的な何かは言っていないし、刀を使うサルカズなどごまんといる筈なのだが。
と、下に向いていたScoutの視線がこちらを向く。
「……悪い、ちょっと考え事だ。──それより、プータルも言ってたが、あんたは外勤を希望するつもりなのか?」
彼の口から発せられる、明らかに話題を変えようという切り口の言葉。どうやら、考え事はScout自身の中にしまっておくことにしたらしい。彼がそう判断したのなら、きっとそれが正解なのだろう。
少し考えてみたところで、前述のとおりサルカズと刀は縁深いし、このロドスには炎国や極東からの人材もいるとなれば、今ある情報だけで何かを絞り込むのは難しい。この件はこの場ではこれっきり、Scoutが話す気になれば話してくれればいい、そう言うことだ。
というわけで、おれとしても積極的に話題を変えるべく、最近の出来事を二人に話そうとしよう。勿論、先程からの質問に関わる内容だ。
「はは、最近全く同じことを二人以外からも聞かれたぞ。ちなみに、誰だと思う?多分2人とも知ってる人だ」
「あー……ケルシーさんか?」
「隊長、流石にそれは適当すぎるっすよ。ウィートは地味に顔が広いんで、ここは大穴でAceさんとかじゃないすか?」
「まあ、ケルシー先生も言いそうではあるけどな。”ウィアートル、君はこの後どうするつもりだ。もし外勤オペレーターを希望するというのなら~”って感じで」
「割と似てるのは何なんだ……俺は知らないからな?」
「おお、なんかホントにケルシーさんっぽいっすね。この長く続きそうな感じとか」
どうやらケルシー先生のモノマネはまあまあ似ていたらしい。最近気付いた
ケルシー先生の話は極めて示差に富み、かつ論理立った構成からなっている。その圧倒的な知識量からなる文化的・学術的な背景補足や修辞のせいで総量こそあるが、よくよく耳を傾ければ彼女の話それ自体がテラを記述するある種のテキストであると言っても過言ではない。
つまり、プータルのような話の長さのみに着目した論評は著しく不適切だと言えるだろう。……長いという純然たる事実は否定しないけど。
「プータルの非常に失礼な発言は聞かなかったこととして……クイズとしては二人とも不正解だ。結構いい線はいってたけどな」
「いい線って言っても、ウィートの知り合いで俺たちとも知り合いとなれば……誰だ?」
おれのちょっとした芸はさておき、本筋のクイズに話を戻す。Scoutはおれの言ったヒントから共通の知人と言う線で絞り込もうとしているようだが、その方向性は残念ながら外れだ。というか、いい線と言ったのもScoutのことではない。本人は大穴と言っていたが、意外と近い、何ならAceから人間関係を辿ればすぐの人物が答えだ。
「実のところ近かったのはプータルだな。正解は────ドーベルマン教官でした!」
「は?…………いやあんた、マジで外勤希望ってことか?」
正解を聞いて虚を突かれたのか、一瞬呆気にとられた表情を見せるScout。が、すぐに思考を巡らせておれと彼女が知古を得る可能性のある経路に思い至ったのか、問いを投げかけてくる。
マジという語に現れているように、医療部門で楽しくやっているエピソードをさんざ話した割に今ではオペレーターの訓練を受けているのか?というニュアンスの彼の質問であるが、勿論そういうわけではない。ドーベルマン教官が知り合ったのには、ちょっとしたお話があるのだ。
おれはニヤリと口角を上げると、どういう理由でか気になるのか、少々前のめりになった二人に向かって話しかける。
「まあ、本当にひょんなきっかけからなんだけどな。聞くか?」
「聞きたいっす!いやあ、ドーベルマンさんだったとは意外っすねえ」
「……これもまた酒の肴だな。聞かせてくれ、ウィート」
「よし来た。あれはつい先週のことだったんだが────」
きっかけは、おれが訓練場で行っているトレーニングだった。
先程までの話にもあったように、おれは作ってもらった武器──刀を用いた訓練を夜な夜な行っている。言ってしまえば一種のイメージトレーニングなのだが、これまで戦ってきた相手の姿を脳内に思い描き、それと戦うということを日課にしているのだ。
当然、そんなものは端から見れば虚空に向かって武器を振るい、見えない何かを躱している行為な訳で、誰かに見られれば狂人の誹りは免れない。そういうこともあり、殆ど人のいない夜の時間帯かつ人目につかない訓練場の片隅でトレーニングをしていたわけなのだが……どうやら、ロドスにはそんなものを好んで見る物好きがいたらしい。
覗き見をしていた
そんなおれが彼女を知る発端となった人物こそ、何を隠そう、この話の主題でもあるドーベルマン教官だ。
件の彼女はどうやら教官の受け持つ訓練生であったらしく、訓練にも熱心で通常のメニューに加えて夜には自主訓練も行っていたという。教官もそんな彼女のことを気にかけており、時折根を詰めすぎていないか様子を窺っていたのだが、ある日訓練場に姿が見当たらないということがあった。
訓練場自体には訪れているようなのだが、主だった場所を見回ってみてもどうにも見つからない。彼女はもともと病人としてロドスを訪れており、体質的には病弱といっても差し支えないものであったから、もしもということもある。そう考えたドーベルマン教官は虱潰しに辺りを探し回り──そうして、ようやく彼女を見つけた。
虚空に向かって刀を振るう人物をじっと見つめる彼女、腰ほどまで伸びた紫がかった髪のフェリーンの姿を。
ちょうどその頃、教官は彼女の教練で悩んでいることがあった。それは所謂伸び悩みと言うやつだ。
訓練生として採用するにあたってのテストでは多くの項目で優秀な成績を叩き出し、実際にその才能の片鱗も覗かせている。それでいて怠惰とは程遠く、地道な努力を積み重ねていける粘り強さもある。
にも関わらず、彼女の成長はある時から急にぱったりと止まってしまったのだ。ドーベルマン教官も色々と手を打ったそうだが、教官陣の様々な教練も今ひとつ効果がなく、内向的な性格も災いしてか周囲との交友も少ない。解決の糸口は一向に掴めていなかった。
そんな折に目にした光景。教官はそこに、一縷の希望をかけてみることにしたらしい。少女の視線の先にいた人物、すなわちおれに。
いつも通りのトレーニングの最中、突然ドーベルマン教官からこの話をされたおれは初め、受けずに断ろうと思っていた。
教官陣よりもうまくおれが何かを教えられるなんて思えないし、加えて元傭兵のサルカズと内気なフェリーンの少女を組み合わせたとて、まともに会話してもらえるかも怪しい。話を聞く限り、その伸び悩みは精神的なものに由来している可能性だってあるし、だとすれば尚の事おれでは不適だ。医療部門には優秀なカウンセラーもいるし、そちらを紹介するほうが役に立てるだろうと。
そんな内容のことを言ったおれに対して、教官はただ頭を下げた。頼む、と。場はこちらで用意する、ほんの少し交流をしてもらうだけでいい、駄目元でもある、けれども。
彼女のそれらの言葉を聞いて、おれは素直に件の少女が羨ましいと思った。こんなにも訓練生想いの教官のもとで訓練を積めることなどそうそう無い。少なくともカズデルには居ないと断言できる。……まあ、ある意味ヤツは訓練生想いだったかもしれないが。
何はともあれ、その教官に頭を下げさせてしまった以上、この話を断ることなどできるはずもない。
彼女は駄目元だと言っては居たが、こうまでしておれなどに頼ってきたのだ、実のところ藁にもすがるような心持ちなのだろう。だとすれば、期待に応えたくなるのが人情というものだ。
そうしておれは、ドーベルマン教官からの依頼を受けた。
「とまあ、そんな経緯でめでたく教官殿と知古を得たってわけだ」
「はあ、ドーベルマンさんって結構生徒想いだったんっすね。どっちかというと厳しいイメージでしたけど」
そこまで語り終えたところで、プータルが意外そうな顔とともにそんな感想を口にする。確かに、おれも昔ちらりと見かけた教官の印象は厳格な人といったものだったので、特段の関わりがなければそう思うのも当然だろう。尤も、大多数の訓練生にも同じことを思われていそうだけれど。
「それでウィート、その依頼はどうなったんだ?あんたも断ろうとしてたくらいだし、聞いただけでも難しそうだが」
「……まあ、おれも意気込みこそしたものの、いざ会ってみたところで何をすればいいか分からなかったんだ。当然だけどな」
どうやらScoutはドーベルマン教官よりも話の続きの方が気になるようで、ワインをちびちびと舐めながらこちらに尋ねてくる。
彼の言うように、確かに教官からの依頼はどう考えても困難なものだった。特におれやScoutのような人種にとっては。
実際、用意された場に赴いたその時まで、なんならその後もどうしたものかと考え込んでいたほどだった。そんなおれの返事を聞いて、プータルはうんうんと頷くと同時に何かを思い出したかのようにニヤリと笑う。
「確かに、お互いに目的があるならいざ知らず、いきなり年頃の女の子と会ったところでって話っすね。ねえ、隊長?」
「……プータル?何で俺に振るんだ?」
「いや、特に他意はないっすよ、特に。それこそ、この前隊長が…………痛っ、痛いっす、ギブ、ギブ……もがっ」
「……ふう。続きを頼む、ウィート」
「あー、OK」
……プータルの話の続きは実に気になるのだが、ヘッドロックを食らって口をモゴモゴとさせている彼の姿を見るに、詮索は止しておいたほうがいいだろう。Scoutが相手だということを考えると、聞いてしまったら最後、背後を気にする日々を送ることになりかねない。
心のなかでプータルに合掌すると、おれは口を開いて続きを語りだす。
「それで、取り敢えず自己紹介なんかをしたんだが、そこから特に話すこともないわけだ。このままじゃお互い黙り込んだままで終わりになる」
「……だから?」
「だから、取り敢えず戦ってみることにした」
「……は?」
「……いやあ、それは無いっすよウィート」
二人からは有り得ない、信じられないといった反応が帰ってくるが、これは本当に仕方がなかったのだ。自分でもあまりにもあんまりだとは思うが、当時はこれくらいしか取りうる手段がなかった。
それに、効果がなかったわけではない。
「それじゃあ、結局依頼はうまくいかなかったってことか。まあ、ドーベルマンも薄々想像はしてただろう」
「次は俺とかどうですかね?もうちょっとはうまくやれる自信はあるっすよ」
大失敗に終わったと確信してか、首を振ったり肩をすくめたりしながら言いたい放題の二人に対し、おれは口を開く。
「……それがうまくいったんだな、これが」
「「え?」」
「信じられないかもしれないが、今では二人で時々訓練するくらいの間柄にまではなったぞ。やっぱり相手がいるってのは違うよな。一人でやるよりもよっぽど多くの学びがある」
実力、というところではヨシュアをはじめ、おれの頭の中にいる相手のほうが上ではあるだろう。しかし、今を生きている人を相手にすることでしか得られない経験というものもある。おれはそれを彼女から改めて学ばせてもらった。
加えて、行き詰まった時こそ誰かの手を借りるべきだということも。……思えば、おれはいつもあいつに助けてもらっていたんだな。
そんなおれの述懐をよそに、Scoutとプータルの言葉はにわかに白熱し始める。
「いやいやあんた、見栄張ってそんな嘘つかなくても……なあ、嘘だよな?」
「ず……ズルいっすよ!そんな娘がこの世界にいったい何人いることか!クソッ、ほんとは訓練だけじゃなくてデートとかしてんじゃないっすか?!」
「いや、プータルにはあの医療部の娘がいるだろ」
「は?聞いてないぞプータル。……もしかして、いつも怪我してたのはそういうことか?!」
「いやいやいやいや、違うっす、違うっすよ隊長!これはマジです、マジで!」
何やら妙なことを口走るプータルにお灸を据えるべく一言差し込んだところで、酒で酔いが回ってきたせいかぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人の姿をおれは静かに眺める。
ちなみに、件の彼女とは本当に偶に訓練をするだけだ。ドーベルマン教官に誓ってもいい。向こうもそれ以上を望んではいないだろうし、おれのほうは尚更だ。奴の言ったようなことを望む相手なんて、この世で一人しか居ない。
ただ、この少女との出会いは間違いなくおれを一歩前に進ませてくれた。エリートオペレーター、或いはそれに準ずる立場を得るという目標に向かって。
そして、もう一度あいつに会うという、今のおれの生きる目的に向かって。
おれは今一度思い浮かべる。彼女──メランサとの出来事を。
「……ケルシー先生。一つ聞いてみたいことがあるんですが、いいですか?」
「……ウィアートル。君がそのように改まった態度を見せるということがどのような意味を持つのか、断定はできないが想像はすることができる。問題は、それがどの種類の話かということだ」
「……ちょっと先生には聞きにくい話ではありまして。専門分野では間違いなくあると思うんですが……」
「……聞かせてくれ」
「……ありがとうございます、先生。……では……人って、普通どれくらいの記憶を保持できるものなんですかね。何年分というか、本当にそれだけなんですが」
「…………正確なところは未だにわかっていない。我々にとって脳はまだ不明な点が多い分野であり、記憶もその中の一つに含まれている。記憶装置的な容量の推定もなされてはいるが、脳はそうした機械とは異なるものだ。そもそも一つ記憶の持つ情報量の定義すらままならない現状、君の質問に答えることは難しい。……だが、質問の意図が以前話していた過去の記憶に関するものならば、多少であれば答えられるかもしれない。ウィアートル、君は過去についてどれほど覚えている?何年分の記憶があるか、あるいはどれほど詳細に覚えているのか、そういったものを改めて聞かせてほしい」
「……もし、数万年分あって、五感で感じたものなら大凡すべて覚えているとしたら?」
「………………」
「……ケルシー先生?」
「……ウィアートル。それは人には不可能だ。人の記憶は映像のように記録されるものではない。脳には情報を選別し、整理し、後からそれを再構築する機能が備わっている。通常、記憶とはそのような加工を施された情報であるはずだ。だが、君のそれはそのような通常の記憶からかけ離れている。加えて、それだけの情報をどこに、どうやって保存して、どうやって取り出しているのか。我々が知っている限りの記憶の仕組みでは説明できない」
「……なるほど、理解しました。ありがとうございます」
「……それとウィアートル。今の話は、今後口にしないでほしい。私を含め、誰にもだ」
「ケルシー先生にもですか?」
「ああ」
「……わかりました。これはおれの中だけに留めておきます」
「……そうしてくれ。……君の用はこれで済んだか?」
「はい。態々時間をとってもらってありがとうございます、ケルシー先生」
「……情報、平行世界…………源石、か」