明日だ。おれは、明日にやってきた。
この世界で一日を生き抜いていくのは難しい。そのことは十分に理解しているし、苦労してきたとも思っている。だが、これ程までに朝日を眩しく感じたのは今日が初めてかもしれない。
「夜明け、か」
「……聞こえてないのかしら?早く解けって言ったんだけど」
「……はいはい」
感慨にふけるおれの思考を中断させたのは、椅子に縛り付けられた女の声だった。
そんな恰好でよくもまあ高圧的な態度を取れるものだ。……それに答えているおれもおれだが。
まあ、これから長い付き合いになる可能性もある。こんなことにいちいち目くじらを立てていたらきりがない。おれが答えたのも、言わば大人の余裕ってやつだ。子供のお守りと思えばいい。
「……なんかムカつくわね。妙なこと考えてるんじゃない?」
……女ってやつはどうしてこんなに鋭いんだろう?
知り合いの女傭兵もそうだが、どうにも勘がいい。表情には出していないつもりなんだがなあ。
まあ、こいつとそいつが特別なだけかもしれないが。
敢えて答えることはないので、疑いに満ちた視線をスルーしながら、女の縄を解いていった。
「ん……んぁ……………一晩中縛り付けておくなんて、結構な待遇じゃない」
「念には念を入れたまでだ」
「あっそ。で、これから毎晩これかしら?なら、早急に契約解除したいんだけど」
「安心しろ。これっきりだ」
「あら、それはよかったわ。んんっ……にしても、あんたのせいで体中が痛いわね……」
「……下にシャワーがある。タオルもあるから適当に使え」
「へぇ、なかなかいいじゃない。気に入ったわ」
「そいつはどうも」
女は足取り軽やかに階下に消えていった。
全く、掴みどころがないというかなんというか……とにかくあいつと話すと疲れる。
だが、これでうるさい奴が消えたわけだし、ゆっくりと……その前に連絡を入れなきゃか。
「てめえW!お前どこほっつき歩いてるんだ!」
「よう、モロー。そっちはどうだ?」
「お前……はあ。こっちは片付いたよ。書類にあったやつは
「そりゃよかった。……隊長は?」
「呆れてたよ。……で、お前もちゃんと仕事したんだろうな?」
「仕事したから書類が片付いたんだろ?おれがそっちに送った首が届いてるはずだ」
「……それならいいけどよ」
「……処分は?」
「おう!聞いてくれ!……まあ、俺の必死の弁護のおかげでもあるんだが……」
「早く言えよ」
「……はいはい。……減給三か月ってとこだ。あっ、首があったらの話な?」
「そりゃ……温情だな。モロー、恩に着る」
「よせよ。お前がそれくらいには評価されてるってことだ。とはいえ調子には乗るなよ?」
「わかってる」
モローとの通信を終え、椅子に座り込む。
ある程度覚悟はしていたのが、今回の処分はかなり穏健なものだった。
やはりそもそもの情報をおれたちが持って来たのと、首を送っておいたのがよかったのだろう。
わざわざ回り道をした甲斐があった。
懐から書類の一ページを取り出す。名称不明、銀髪に赤い角の女サルカズ。つまり、あいつについて書かれたものだ。
勿論、隊長たちや団長もこれで終わりだとは思っていないはずだし、これからしばらくは警戒が必要だろうがそれはいつものことだ。組織としてのテロルには蹴りがついたと認識しているだろう。
……おれも多少はマークされるだろうが、今までの実績がある。あまり下手をうたなければ大した問題ではない。
紙切れを暖炉の火にくべる。これで、あの女は書類からいなくなった。
そのまましばらく炎を見つめていると、女がシャワーから帰ってきた。
「……炎なんて見つめて、何してるの?」
「……なんでもない。飯、食うか?」
「契約の内よ。当然でしょ」
相変わらず偉そうな雇われの言葉を背に、キッチンへ向かう。
昨日の戦利品があったので、今朝はそれを使うことにした。
生ハムを塊から薄くスライスする。存在感を失わず、それでいて口に入れるととろけるくらいの具合にだ。
一つ味見してみる。……うん、我ながら上出来だ。
「何よそれ」
いつの間にか目の前にいた女が問いかけてきた。その目線は、生ハムに釘付けになっている。
いかにも食べたそうな様子なので、こちらから言ってしまうことにした。
「……食うか?」
「……それって美味しいの?」
「おれはうまいと思うが……ま、大人の味かな?」
「へえ……私が子供って言いたいわけ?」
「違う違う。癖があるってことだ。取りあえず味見してみろ。ダメだったら出さないから」
「……じゃ、一つ貰おうかしら」
恐る恐る、といった感じで生ハムをつまむ女。じろじろと眺めてみたり、においを嗅いで眉をひそめたりしていたが、意を決して口に放り込んだ……と、パッと表情が華やぐ。
「あら、美味しいじゃない!」
「だろ?」
「……にしても、あんた傭兵よね?傭兵はいつもこんなものを食べてるの?」
「そんなわけあるか。昨日たまたま手に入れたんだよ」
「なんだ、夢がないわね」
「そんなもんだ。ほら、料理の邪魔だからあっち行ってろ」
「はいはい……あっ、私の分にはそれたくさん入れといて頂戴」
すっかり生ハムが気に入ったらしい。まあ、あいつが今までどこで何をしていたのかは知らないが、生ハムなんて滅多にお目にかかれるものでは無いからな。契約初日だし、奮発してやろう。
削りとった生ハムはサラダに乗せ、上から少し苦みのある酸っぱいドレッシングをかける。
この味を作り出すのには結構苦労した。特にこの独特の苦みの再現が難しかったのだが、そこで現れたのがオリジムシだ。こういうちょっとしたチャレンジもまた日々の楽しみ、生きるコツと言っていいだろう。
メインはオープンサンドにした。固めのパンの上にトマト、レタス、スライスオニオン……のようなものたちを乗せ、生ハムをその上にオン。仕上げにオイルをかけ、砕いたナッツをトッピングする。
後は大きめにカットした具材がゴロゴロ入っているポトフを添えれば、なかなかいい朝食ではないだろうか。
「できたぞ」
一声かけて机に料理を運んでいく。
並べられた料理を目の当たりにした時の女の表情は、なかなかに愉快だった。
「……あんた、傭兵やめて料理人にでも転職したらどう?」
「そこまで出来のいいものじゃない。……では、いただきます」
「……なにそれ?」
「儀式みたいなもんだ」
「へえ……」
「……おいしい」
「そりゃよかった」
……思えば、他人の分の料理を作ったのなんて初めてだ。……こんな世界で、誰かのために何かをすることなんてないから。
おれは久しぶりに、本当に久しぶりに、人間らしい喜びを覚えたような気がした。
作るのには時間がかかった飯も、食うとなればあっという間になくなってしまう。
机の上にずらりと並んだ皿が空になるまでに、大した時間はかからなかった。
「ふう……お腹いっぱい食べたのなんて何時ぶりかしら」
「どうだ?悪くない契約だろう?」
「ええ。まあ、概ね満足といったところかしら」
「手厳しいな」
おれはコーヒーを、女は紅茶を飲みながら軽口を叩きあう。やがて、女が紅茶を飲み干し、カップを机の上に置いたところで空気ががらりと変わるのを感じた。
「そういえば……あんたのアーツ。あれは何?」
「……教えると思うか?」
「……でしょうね。だから……今ここで見せてもらおうかしら!」
イスから立ち上がり、女が何かを取り出す。あれは……爆弾、か?
「……ハッタリか?」
「……うーん、そう思いたければそれでいいけど……」
「……爆発したらお前も助からないぞ?」
「あたしは慣れてるから大丈夫よ。あんたは違うだろうけど」
「……アーツか?」
「……教えると思う?」
こうして会話をしている間にも、ピッピッという嫌に耳につく電子音が二人の間に鳴り響く。
……埒が明かない。ここで死なれるのも面倒だし、おれが死ぬのはもちろんお断りだ。
どうにか奪って外に投げ出したとして、この場所がばれるのは嫌だし、仕方ないがここは女の言葉通り、アーツを見せてやるほかないだろう。
「……わかった。見せてやる」
「賢明な回答ね。じゃ、見せてもらおうかしら」
「……そいつを机に置け。妙な真似したらお前に使うぞ」
「はいはい……これでいいかしら?」
机に置かれた爆弾?に対してアーツを使う。いつも通り、空間が湾曲して爆弾を食い殺した。……机ごと。
巻き込まれた哀れな机は、その片側を失った。……結構気に入ってたのに。
「これで満足か?」
「……無茶苦茶なアーツね。……でも、そんなに効果範囲が広いなら……」
接近戦は先手を取るに限る。おれはバランスの悪くなった机を女に向かって蹴り飛ばした。飛び散る食器、舞う机。既に向こう側で戦闘態勢に入っていた女の姿がちらりと目に入る。おれは突如目の前に現れた壁によってできた死角を使い、女に飛びかかった。
先手を取られたにもかかわらず、向こうもやり手だった。いつの間にか回収してたフォークでおれの攻撃に対してカウンターを仕掛けてくる。
だが、ここは一手おれが上回った。突き出されたフォークをスプーンでいなし、首元にフォークを突きつける。食器の割れる甲高い音が残響する部屋の中、ピンと張りつめた時間が流れた。
やがて、どちらともなく強張った筋肉を緩め、武器を手放す。
「……なら近づけば、と思ったけど……」
「接近戦は対策済みだ」
「……はあ。あたしの負けね。満足しました」
結局、あの爆弾はハッタリだった。
ということはつまり、おれは試合に勝って勝負に負けたというわけだ。
おれとしては完全にやられたという心持ちだが、それは向こうも同じことだろうからお互い様か。
だが、これでようやく事態が動き出す。おれの身に起こっているこの現象は何なのか、どうすればいいのか、それを解き明かす。あの女を手懐けるのは大変だが……まあ、やって見せよう。
──何はともあれ、こうして本格的な契約が成立した。
それは奇妙な同棲生活の始まりであり、苦難と、それと幸福に満ちた生活の始まりでもあったのだが、当時のおれには知る由もなかった。
……知っていたのなら、おれはもっとその日々を大切にしていたはずだ。
大事なものに、人は失ってから始めて気付く。ありがちなその言葉の意味を本当に知ったのは……今更になってからだ。
でも、だから、もう少しだけ思い出に浸っていてもいいだろうか。あの幸せな、夢のような日々に溺れていてもいいだろうか。
……死に至る前に。絶望の底に沈む前に。
……あいつのいる世界に、行く前に。