蒼赤一閃   作:蒸しぷりん

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十三夜

 二人は、こちらを追ってくる恐暴竜を見つけて気が動転している翼竜を必死に宥めながら、半ば叫ぶようにして意思疎通をした。

 

「救難信号を打つか!?」

「いや、それなら気球から十分離れた場所で打つべきだ! この辺りで打って、調査員が来るところを見られたら、元も子もない!」

 

 今回は調査が目的であり、大タル爆弾や罠などの道具の類は、一切持ち込んでいない。

 一度の出征で複数のモンスターを相手にすることになる、現大陸での大連続狩猟クエスト形式ならば、狩猟を行うごとにギルドから支援が入る。縄張りを虎視眈々と狙っている複数のモンスターが、主の不在を察知してすぐに駆け付けてくる為、ハンターは暫くその場から離れられないからだ。

 実際にヒアシも何度かそういったクエストを受注したことがあったし、ギルドがその地域一帯の事情を把握している場合はある程度融通が効く。

 また、新大陸では支援こそ無いものの、大抵は翼竜を呼んで近くのベースキャンプにファストトラベルすることができる為、休息と活動のバランスが取れるようになっていた。

 普通であればキャンプにすら戻れない、ということはまず無いのだ。しつこく追いかけてくるモンスターはいても、その縄張りから離れれば、興味を失って自ずと去っていく。

 この状況は、異常だった。

 

 怒っているモンスターを撒くのだとすれば、隠れ身の装衣を着て背景に紛れるか、物陰に隠れるかしてしまえば良い。

 だがそれは、怒りで我を忘れたモンスターや、こちらを絶対的な排除対象、または捕食対象として見ていないモンスターだからこそ通じる手法だった。

 

 こちらを執拗に狙う正気のある相手に対して、それが成功するかと問われれば、すぐに首を縦に振ることはできない。

 大抵のモンスターは、優れた聴覚や嗅覚でこちらの居場所を探り当ててしまうからだ。

 ここ陸珊瑚の台地は比較的、風に流されて匂いの残らないフィールドではあるけれど、それでも空気の淀む場所は点々と存在する。そこを辿られればこちらはどうすることもできない。

 

 このまま狩猟を行うのは大きな負担を伴う。とてもではないが、普通の人間であればまずこの選択はしないだろう。

 それでも今は緊急事態だった。どんな状況であっても、生き延びることが最優先だ。

 

 ヒアシは一つ息を吸い、眉をぐっと寄せた。とにかく、冷静にならなければ。

 それは言葉にせずともサクにも伝わったようで、胸に手を当てて深呼吸するのが見えた。

 

 サクはヒアシに、ドーム状の青い珊瑚のある場所に降りることを伝えた。

 あそこならば薄暗いだけでなく程良く狭い上、様々な抜け道があり、こちらに有利な状況に持ち込めると踏んだのだ。

 

 翼竜から手を離すと二人はバタバタと空中で足を動かし、衝撃を流して落下後すぐに走り出せるようにした。

 迫る地面と、少しの衝撃。近づいてくる地響きを後ろに、二人は駆け出した。

 直線上で逃げれば、自分たちと比べて圧倒的に歩幅の広いイビルジョーに追いつかれるのは時間の問題だった。

 そうであれば、スタミナの消費量には目を瞑るとして何度も迂回を繰り返し、かの竜がこちらを見失っているうちに、小さな隙間などに入り込んでしまうのが良い。

 幸い、このエリア付近は逃げ込めそうな場所が多かった。

 

 本来ならば直進するところを右へ、左へ。乳酸が溜まっていることを訴える下肢を叱咤し、なんとか走り続ける。

 気管がひりついて、鉄の味が口に広がる。重い盾で走りづらい筈のヒアシも、一切遅れることなくフィールドを駆けた。

 それでも、確かに足音は近づいてくる。

 

 やがて二人が辿り着いたのは、桃色の大きな珊瑚の広場の手前にある、飛び石のある場所だった。

 そこは中層と下層を繋ぐ中継地点で、下を見るとモヤで覆われているのが確認できる。

 二人は人の半身ほどの高さの段を二、三と降り、その先にある小さな抜け穴へと逃げ込んだ。

 

 そこは緑色の筒状の植物が上下左右にびっしりと生えた、なんとも不気味な空間だった。土の性質も変化しているのか、歩くたびに、もきゅもきゅと変な音がする。

 このぽっかりと空いた穴の中の空気は淀んでいるが、その上にそれが流れ出ることはない。おそらくこの植物は、浄化作用を持つのだろう。

 

 二人は、狭い入り口からは死角となる奥の方へ入ると、安堵の息を吐いた。

 ここならば、イビルジョーが入ってくることはできないだろう。このまま見られないようにしながら、下層へと降りてしまえば良い。

 翼竜なしに瘴気の谷と呼ばれる区域まで降りることは難しいけれど、複雑に入り組んだ下層であれば、逃げることの難易度はやや下がる筈だった。

 

 首筋と頰が火照り、身体は酸素を求める。肩で息をしながら、サクはヒアシに声をかけた。

「気休めだけど、これ。無いよりはましでしょ」

 サクはポーチを開けると、黄色い液体の入った小瓶をヒアシに渡した。

「良いのか? もし戦闘になった場合、必要になるだろうに」

 

 瓶の中身は強走薬という、一時的に身体の疲労を軽減させる薬だ。サクのような、スタミナを消費しやすい戦い方をする双剣使いには、必須と言って良い物品だった。

 これは、現大陸で普及していたものよりも効果そのものは薄いけれど、より長時間効き目がもつため重宝されている。

 

 心配げに尋ねるヒアシに、サクは躊躇いなく微笑んで頷く。

「一緒に生きて帰ることの方が、ずっと大事に決まってるだろ」

 その言葉にヒアシは目を丸くした。生きられることが最も大事なのに、いかに戦闘に有利になるかを考えてしまっていた。

 ハンター歴は自分の方が長い筈が、一瞬だとしても基礎を忘れるとは。

 それに、この幼馴染みは昔からこういうことに対して、こちらが恥ずかしくなるくらい率直にものを言う。言葉での表現が苦手な自分に、そして自分が彼に対して引目を感じていることに対して情けなくなり、ヒアシは曖昧な微笑みを浮かべた。

 

 ヒアシは礼を言ってそれを受け取り、コルクを抜いて一気に呷る。嚥下すると、心なしか今の疲れも和らいだような気がした。

 サクの方をちらりと見ると、瓶を大きく傾けていて、もう少しで彼の分の強走薬を飲み終えるところだった。

 与えてもらっているばかりでは、こちらの気が済まない。せめて戦闘面では自分が彼のサポートをしなければ、と思った。

 

 ヒアシはサクが薬を嚥下したタイミングを見計って、相棒の名前を呼んだ。そして盾を備えていない左手で彼の肩を抱く。

「生きて、帰るんだ。……絶対に、二人で」

「勿論」

 すぐに力強い眼差しと返事が返ってきて、ヒアシはふっと顔を綻ばせた。サクはぽんぽんと軽くヒアシの手を叩き、瞼を閉じて微笑む。

 

 当然ながら不安は大きいし、恐ろしい。

 以前、別個体のイビルジョーと相対した際に生き延びられたのは、奇跡だったのではないかとすら思う。

 けれど、それでも自分たちならやれると、そんな希望を互いに確かめ、己を奮い立たせることができた。

 さあ、迫り来る死の手を、振り切って見せようではないか。胸を蝕む不安の渦は、いくらかその威力を落ち着かせていた。

 

「暫くここでやり過ごしたら、外に出て信号弾を打とう。青い珊瑚の広場の方に戻れば、合流して体制を立て直せる筈」

 サクが頭装備を装着し直しながら提案すると、ヒアシは頷いた。

 隠れている最中に目立つ音と光を放つそれを打つのでは、自分たちの居場所をわざわざ相手に教えるようなものだ。

 ならば、最も効率的に打てるのは、こちらの準備が整い、かの竜と再び相見える直前。仲間が駆けつけるまでにはタイムラグがあるけれど、今ここで休息を取れば、それまで持たせることはできるだろう。

 この下層への道は、先程の広場の下に位置している。ここであれば仲間もすぐにわかる筈だった。

 

 その時、足音と何かが軋むような音がして、二人はハッと顔を上げた。

「!」

 小さな欠片が、ぱらぱらと落ちてくる。

 やがてその音は頭上から、そして後方へ。

 ヒアシは兜を下げ、その隙間から音の方を見据える。

 

 ずん、と重い音。

 ヒアシ達が入ってきた穴の反対側の出口に、瘴気に侵された悪魔が、降り立った。

 

「そんな……!」

 まさか、逃げ道を塞がれるとは。

 かの竜が振り向く前に二人は逆方向へと駆け出した。入り口に辿り着く前にスリンガーのワイヤーを伸ばして引っ掛け、その勢いで蔦を上る。

 

「こうなったらもう応戦するしかない! 広いところに移動しよう!」

「ああ!」

 一体、何があの竜をここまで駆り立てるのか。

 現大陸の降雪地帯に住まう、群れを率いるドドブランゴのような狡猾なモンスターならば、なんとしても獲物を逃さんとするだろう。

 しかし、相手は恐暴竜・イビルジョーだ。元々生態系を脅かす程の大食漢とはいえ、かの竜の食に対する執着は、これまでに二人が出会った同種のものとは比べ物にならなかった。

 それに加えて、獲物が隠れている場所を正確に割り出す計算力。これまで先人たちが積み上げてきた、恐暴竜という種に対する数少ない常識を、かの竜は凄まじい速度で塗り替えていく。

 

「まったく、あの無尽蔵の体力は、どこから来るんだ!」

 低い唸り声が、後方から聞こえていた。その間に、少しでも遠くへと逃れなければ。

 

 やがて竜は、二人の匂いが自身のいる場所より下からは感じられないことに気付いた。

 そして再び洞穴の上部に上ると、少し離れたところを駆けていく二つの小さな影。

 

「来たぞ!」

 ヒアシは腰に下げていた信号弾に着火すると、腕を真っ直ぐに空へと上げた。間も無く、危機を知らせる光が打ち上がる筈だ。

 

 しかし、準備をしていたのは、こちらだけではなかった。

 イビルジョーはあと少しで追いつく、というところで急に立ち止まり、その巨体を屈めたのだ。

 

「!」

 何をしようとしているのか察したサクが、咄嗟にヒアシを抱えて横に飛んだ。

 光の玉は明後日の方向に飛び、珊瑚に当たって穴を開けた。着火石も手を離れ、地面に落ちる。

 直後、ヒアシのいた場所に大きな窪みができ、その周囲には立っていられない程の地震が起きた。

 

 イビルジョーの最大の武器の一つである、捕食攻撃。

 世にも恐ろしいその攻撃は、巨躯に似合わぬ精密さで獲物をがしりと後ろ足で押さえつけ、捕まえる。

 そして、食らう。顎の外まで不規則に生えそろった牙で、ガツガツと肉を引き裂いて、食らうのだ。

 

「ッ、大丈夫?」

「ああ、すまない!」

 間一髪でその牙を逃れた二人はじりじりと後退しながら、ふらつく足を叱咤して立ち上がり、次の攻撃に備えて回避の態勢をとる。

 ヒアシの信号弾は無残に踏み潰され、最早道具としての機能を失っていた。

 

 何もない地面を踏んだだけだと判ったイビルジョーは、己の体制が整うことすら待たず、身体を振り子のようにして片足を大きく上げた。

 

 再び、地震。

 しかし二人はそれに影響される範囲を抜け出しており、攻撃によってできた隙を突いて、臨戦態勢に入った。

 

 最初に繰り出されたのは、ヒアシの突撃。

 金色の槍は、多くのモンスターの弱点となる横腹を正確に突いたけれど、その厚い表皮と発達した筋肉に阻まれ、深くまで達しない。

 それでも二撃、三撃と同じところを突くうち、なんとか目視できる傷跡にはなった。

 

 その間にサクは集中して力を溜め、ある一点で息を止めると、双剣を逆手に持ち、頭部を狙って思い切り二振りの刃を振り下ろした。すぐさま持ち替え、身体の回転も用いて上方、水平、斜に切り刻んでいく。

 サクが一連の動きを終えた時には、イビルジョーの顎に沢山の細かく白い切創ができていた。

 

 イビルジョーは鬱陶しげに身震いをする。そしてがぱりと大きく口を開けて、そのまま身体を半回転させながら踏み込み、二人をまとめて飲み込まんとした。

 

 サクは予備動作を確認するや否や、腰を低く落とし、敢えてイビルジョーの口側から急な角度で足下へ。

 そしてヒアシは一瞬目の端で後方を確認すると、大きく三回後ろに跳び、口を閉じたイビルジョーの顔面に槍を突き出した。それは下顎の筋肉に刺さり、太い木の幹を刺したような感触が手に伝わる。

 

 かの竜はその図体が災いしてか、一つ一つの動きは遅く、単調だった。

 けれど先の捕食攻撃のように、体重を乗せた一撃の威力が尋常ではない為、いかにその巨体に巻き込まれずに安全圏で闘うかを第一に考えねばならない。

 その上、二人の付けた傷はいずれも浅く、真皮にすら届くか届かないか、という程度であった。

 

 こちらが行うのは突撃と斬撃で、相手が堅い甲殻を持っているならば、その甲殻と甲殻の隙間を狙えば良い。動きに柔軟性を持たせるために、多少は柔らかくなっている筈だからだ。

 しかし、このイビルジョーは甲殻があるわけではなく、攻撃を阻んでいるのはその発達した筋肉だった。

 もし年老いた個体であったなら、脆弱になっている可能性もあっただろう。だがこのイビルジョーは若い。活発な細胞は、己の身が傷つくのをそう容易く許しはしない。

 そうであるならば、狙うべきは腋窩や鼠蹊部といった関節の部分。

 どちらも太い動脈が通っているうえ可動部であるため、大抵はどんな生物でも比較的柔らかい部位である。

 だがその分、懐に深く潜らなければまず攻撃が当たらないことに加え、健脚な獣竜種の骨格から、隙のできるタイミングを測るのが難しい場所だ。そのためこの竜の討伐難易度は跳ね上がっていた。

 

 そして、何より警戒すべきは。

「ヒアシ、下がって!」

 息を吸い込んだイビルジョーの口元に、黒いモヤが燻る。

 直後、赤い稲妻を伴ったガス状のそれは、噴煙のようにもくもくとその範囲を広げながらヒアシの居た場所を薙いだ。

 ヒアシは口元を覆い、全速力で範囲外へと逃れた。

 

 このブレスの特徴は、その場に滞留することである。

 イビルジョーは他のモンスターのように目立った特殊な臓器を持っているわけではない。それでも未知の強い力・龍属性エネルギーを、電気エネルギーとして発現させ広範囲にばら撒くという、竜の域を超えるほどの芸当をやってみせるのだ。

 それは空気中で化学反応を起こし、黒いガスという副産物を生む。走る赤い稲妻が生物を著しく傷つけるものであるというのは勿論だが、ガスを吸い込んだり触れたりするのも危険なのは、言うまでもないことだった。

 リオス種の放つ火球などとは違い、その瞬間だけ避けるのではもろにダメージを食らってしまう。

 

 なんとか怯ませて、こちらに有利な状況を作れないものか。

 いつまでも表皮の角質を傷つけているだけでは埒が明かない。少しでも有効な決定打を打てれば、戦況を変えられるのだが。

 

 ヒアシが逃げ込んだ場所から、ガスの霧散を確認したサクが飛び出し、かの竜の背後へと回り込むことに成功した。その内腿に、二度、三度と斬撃を与えていく。

 サクの持つ双剣の毒は、血液に関与する効果のある、所謂ヘビ毒の類である。小さな傷口でもその作用が発揮されれば激痛が走る筈だが、生憎この毒は遅効性であった。

 研究によると、イビルジョーはレイギエナと同様に、大型モンスターの中では代謝の良い方だとされている。しかし、この毒は主要な血管に注入されなければ、あまり意味がない。

 それに加え、免疫力の高いイビルジョーには、ただ毒を入れてもすぐに無意味なものとされてしまう。体力を削って、その機能を身体の修復に充てさせたうえで、ある程度の量の毒を注入せねばならない。

 実際、傷周りに変色や腫れている様子も見られず、期待するような効果が出ているとは思えなかった。

 

 どう攻めるべきかと思考を巡らせていた、ちょうどその時、イビルジョーは、突如ぴたりと停止した。

「……?」

 通常、スタミナを切らした大型モンスターは、時折立ち止まって呼吸を整えることがある。

 だが、この止まり方は呼吸すらも止めて、何かを考えているようにも見えた。影から観察しているときにも見られたこの不自然な行動は、ますます寄生されているという事実を裏付けているようで、えもいわれぬ不気味さを感じさせた。

 

 サクはその状態を警戒し背後を確認しながら、じりじりと距離を取る。

 次の瞬間、イビルジョーは猛烈な、と形容するに相応しい速度でこちらを向いた。

 火山の噴煙と同様、あまりにも大きいものは動く速さがゆっくりとしているように見える。しかしそれは、ただの錯覚に過ぎないのだ。

 あっと思う間もなく涎が糸を引き、牙と呼ぶには歪な形状の突起が不規則に並ぶグロテスクな口が迫ってきて、サクはハッと息を飲む。

 

 大口が、がちん、と閉じられた。

「ッ……!」

 サクは予備動作を認識した瞬間に、咬合部を避けようと動き出していたが、竜のその巨体ゆえに範囲があまりにも広すぎた。

 間一髪、致命的な程に身体を噛み砕かれる、という羽目にはならずに済んだ。

 しかし受け身をとろうとして、その前に珊瑚の塊に背を強かに打ち付けてしまい、咳き込んだ。

 

「サク!」

 ヒアシはスリンガーをかの竜に向けるやいなや、付属の鋭い鉤爪状になっている金属──クラッチクローを射出し、力強い蹴りと共にその手の中のトリガーを握った。

 気味良い音と共に、ワイヤーを戻す勢いに乗って宙を直線上に滑りゆく様は、どの飛竜の動きにも似つかない。

 ヒアシは手を伸ばし、その巨大な側頭に張り付いた。もう一度クローを展開させると、腕を振りかぶって、思い切り爪で殴りつける。

 大事な感覚器官である目を傷つけられるのには、流石に抵抗があったのか、イビルジョーは顔を逸らし身体ごと向きを変えた。

 先程の種火石は、まだ残っている。ヒアシはスリンガーの射出機構を握ると、それらを竜の頭に向けて一気に打ち出した。

 後頭部から衝撃を受けたイビルジョーは、何が起きているのか確認する間もなく前につんのめり、壁に激突した。

 

 ヒアシは片手をつき、地面に着地した。それから苦い面持ちでかの竜を見る。

 心の支えとなる前提が、あっという間にかき消された。この竜は、決して素早い動きができない訳ではなかったのだ。

 

 一方でサクは投げられた場所で蹲り、浅く息をしていた。ヒトの身体の倍以上もある顎の衝撃をもろに喰らったことで、背が激しく痛む。

 息は吸えるため、肺に穴は空いていないようなのが幸いか。だがもしかすると骨にヒビが入っているかもしれない。

 そしてその肩は、痺賊竜・ドスギルオスの黒い皮がべろりと剥がされ、中の鮮やかな緑色の甲殻が剥き出しになっていた。

 それすらも抉られており、所々がジュワジュワと音を立てて溶けている。

 

 サクの防具はマスターランクの強さを誇る雌火竜・リオレイアの装備の上に、ドスギルオスの皮をあしらい、その見た目を整えたものだった。

 この防具には、武器に塗る毒を補充する為の余裕が備え付けられており、サクはそこに余分の毒腺を保管していた。

 生きていればいくらでも分泌される毒も、その主が命を落としてしまえば、それらは使い切りのただの嚢となってしまう。勿論、工房の工夫により、それが内部で破裂しても外に漏れ出ないようになっているが。

 

 しかし、この装備には欠点があった。リオレイアの甲殻は、龍の力が形をとった龍属性エネルギーに対してすこぶる脆弱なのだ。

 例えるならば、電流をよく通す素材を見に纏ったまま雷の中に飛び込むようなもの。

 それを補うために、リオレイアよりは龍に耐性のあるドスギルオスの皮で覆っていたのだが、この破損によって防御が薄くなってしまった。

 

 防具の腐食が進行しているのは、空腹時に分泌されるイビルジョーの特殊な唾液の特性によるものだった。

 獲物を確実に追いかけ仕留める為に、その消化液は強い酸性へと変質する。塩基性のもので中和しなければ、どんどん化学反応が進んでしまう。

 

(ここまで疲れ知らずなイビルジョーなんて、この後どう立ち回れば良いんだ!)

 サクはぎゅっと眉間にしわを寄せた。

 イビルジョーの勢いは、衰えるそぶりすら見せなかった。もしこの隙間からあのガスが入り込めば、たちまち大きなダメージを食らってしまうだろう。

 それだけは、避けねばならない。生死の境が限りなく薄い戦闘の中で、片方に枷がはめられた瞬間だった。

 

 サクはよろよろと立ち上がり、再び双刃を眼前に構えて、威嚇の姿勢を取る。

 もしかしたらヒアシ一人だったならば、この竜の討伐をもっと容易く成し遂げてしまったのかもしれない。

 そんな思いが一瞬脳裏をよぎり、サクは唇を噛む。

 

 本人は謙遜しているものの、ヒアシのハンターとしての実力は抜きん出ている。

 事前に戦術を立てるのはサクであることが多いが、彼がいざ狩場に出てランスを構えると、技術的な面は勿論、瞬発力や咄嗟の判断力といった、この職業をやっていく上で欠かせない能力が秀でていることは、素人目だとしてもすぐにわかるだろう。

 何より闘技場を運営する者たちに、その実力を認められた上で生産できるようになる彼の愛武器こそが、数多くのモンスターを制した証であった。

 

 戦闘が始まるとヒアシは普段の穏やかな雰囲気とは一変し、対象をどこまでも冷静に、確実に攻めるような戦い方をする。

 以前本人に聞いてみたところ、それは意識的に切り替えている、とのことだった。

 

 必死に食らいついてはいるけれど、サクは狩猟をする上でのバディとして、自分がヒアシに釣り合っていると思えたことは一度としてなかった。

 ぐ、と双剣の柄を握る手に力を込める。

 ただ守られる対象に成り下がって足手纏いになるのだけは、御免だった。

 

 ヒアシによって壁に叩きつけられたイビルジョーは、目の前に火花を散らせて体制を崩し、暫くもがいていた。

 その間ヒアシは大きく晒された腋窩に、集中的にその槍先を突き出していた。

 何度か刺すうちに動脈のある場所に見当をつけ、そこを狙って突き刺す。

 やはり、硬質化していない場所ならば攻撃は通るようだ。少しでも出血させ、ダメージを稼がねば。

 ヒアシは目の端で、相棒が立ち上がったのを確認した。

 

 やがて、巨竜は起き上がる。その目に、並々ならぬ熱を湛えて。

 黒緑の皮膚の間から、その筋肉がみちみちと音を立てて大きく隆起し、塞がっていた筈の傷口が、一気に開いていく。

 その痛みに、竜は呻きながらも歯を食いしばる。

 

 嗚呼、鬱陶しい。

 嗚呼、煩わしい。

 この飢えを満たせぬことが、もどかしい。

 さっさと臓腑に収まれば良いものを。

 

 竜は白いモヤを覆い尽くすほどの、黒いガスを顔や首周りに纏わせ、台地を震撼させる、悍ましい咆哮を放った。

 

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