蒼赤一閃   作:蒸しぷりん

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十五夜

 その時、衝撃と共に、飛竜などの咆哮に比べると、明朗かつ凛々しい咆哮が聞こえてくる。

 新大陸にいるモンスターとは大きく異なる、この特徴的な鳴き声は──。

 

「今のって!」 

「ジンオウガか!?」 

 二人は思わず顔を見合わせる。 

 衝撃と共に聞こえてきた、凛々しい遠吠え。 それは雷狼竜ジンオウガの鳴き声に酷似していた。 

 二人の故郷である渓流地帯にもジンオウガは生息しているため、その声は耳慣れたものだったのだ。 

「近縁種の可能性もあるけど、確認しないと!」 

 即座に帳面を取り出すサクをよそに、ヒアシは重苦しく嘆息した。 仮にジンオウガまで合流したとなると、ますます戦いにくくなる。 

 ヒアシは、どうしたものかと腕を組んだ。 

 

 その時背後から、呼びかけるような低いゴロゴロ声が聞こえて、二人はサッと振り向いた。 

「あ……」 

 そこに居たのは、テトルー──新大陸に生息している獣人族の中でも、台地のかなで族と呼ばれる部族たちだった。 

 陸珊瑚の台地で暮らす彼らは、楽器を用いて音を盛んに操る。 

「そうか、ここは彼らの行動範囲だったね」 

 

 真ん中にいたテトルーは、ニッと口角を上げる。 

『チョウサダン!』 

『××××! ××××××?』 

『我ら××××、××××!』 

「えーっと……」 

 彼らは頻りに話しかけてくるが、サクたちは部族交流が専門分野ではないため、殆ど意味がわからない。 唯一伝わるのは、こちらに敵意を示す内容を言ってはいないこと。 

 二人は眉を下げ、再び顔を見合わせる。 狩猟目的ではないからと、通訳のできるオトモアイルーを連れてこなかったことを後悔した。 ヒアシのオトモも、今はアイルーのみの隊で他の調査に行っている。

 

 そんなサクたちの様子を見て、言葉が通じていないことを察したらしい。 

 テトルーは背中の武器をひっくり返し、ガリガリと珊瑚に傷をつけ始めた。どうやら、絵で意思伝達をしようとしているようだ。 

 二人はしゃがんで覗き込む。 

 

「これは……イビルジョー。耳があるのがテトルーで、これが僕たちかな」 

 凸凹したテーブル珊瑚では、やや線が見にくかった。 

 だが、導虫が照らしてくれたおかげで、それらが意味のある絵として浮かび上がってきた。 

 テトルーがペン代わりの武器を地面から離す。そこには、イビルジョーを紐のようなもので引っ張っている絵が描かれていた。 

「なるほど、奴を捕縛してくれるのか。これは有難いな」 

 ヒアシがテトルーに目を合わせて微笑みかけると、テトルーは嬉しそうに頷いた。 

 

「強い風が吹いているし、あのモヤもずっと出ているわけではない筈だから、視界は戻っていると思う。……問題は、ナルガクルガとジンオウガらしきモンスターだね」 

 サクが帳面から紙を一枚破り、簡単な二頭の絵を描く。 

 随分と愛嬌のある迅竜と雷狼竜だったが、テトルー達にも伝わったようだ。 

「万が一どちらかが掛かってしまえば、その時点でイビルジョーはそれを喰おうとするだろう。そうなっては意味がないな」 

 ヒアシはスリンガーの弾数を確認しながら、作戦の懸念を挙げる。 

 どうしたものかと、二人と十匹は腕を組んで唸った。 

 上からは、絶えず戦闘音が聞こえてくる。 

 まだ僅かに猶予はありそうだが、もたもたしているわけにはいかない。 

 

『××××、××?』 

 その時、左にいたテトルーが、何か言いながらまた絵を描き始めた。 

「……ああ!」 

 理に適った彼の提案に、その場にいた皆が目を丸くして頷く。 

 提案したテトルーは、誇らしげに胸を張った。 

 

 そうと決まれば早速、とツタの準備に取り掛かったテトルーたちを眺めながら、サクは手帳を開いて溜息を吐いた。 

「今度の休みにでも、獣人族の先生にお願いして教わりに行かなきゃ……」 

 ふいに聞こえてきた相棒の呟きに、ヒアシは兜の中でくすっと笑った。 

  

 

*** 

 

 

 サクの予想通り、青い軟体珊瑚の広がる空間は、いくらか視界が晴れていた。 これならば、戦闘に持ち込めるだろう。 

 そしてその中央で、蒼い光の球を伴う稲妻が幾度も閃く。 

 低い唸り声と、遠吠えのような凛々しい咆哮。 

 

「やっぱり居た……!」 

 目を丸くするヒアシの横で、サクが喜色を浮かべて囁いた。 

 一際まばゆい蒼光を纏ったその主は、まさしく雷狼竜・ジンオウガだった。 

 現大陸の個体よりもやや手足と尾が長く、ふさふさとした帯電毛がその身体を覆っている。 地域ごとの違いはあるだろうが、年若い個体なのかもしれない。 

 彼が近くに来ると、産毛が逆立つような感覚があった。 

 

 逞しい腕の輝きが増したかと思うと、ジンオウガは素早く前脚を広げた。鋭い爪がザッと地面を傷つける。 

 岩礁の隙間から覗いていた二人は、見慣れないその動きに、つい力が入ってしまう。 

 

 ジンオウガが身体をたわめ、大きく飛び上がる。 

 次の瞬間、蒼い雷光はイビルジョーの背中に向かって、隕石のように降ってきた。 放電音と共に、青い珊瑚が激しく波打つ。 

 

 ただでさえウェイトのあるジンオウガだ。それが高さによって威力を増して突撃してきたのだから、いくらイビルジョーだとしても無傷ではいられない。 

 半身の白くなった巨体はバランスを崩し、悲鳴を上げて倒れ込んだ。 

  

 おそらく打撲、骨折、血管や臓器などの損傷のいずれか、もしくは全てが当て嵌まっている状態だろう。 

 だが、表面の胞子が電気エネルギーと相殺されたのか、視界が覆われるほど撒き散らされることは無かった。 

 

 それを見届けたヒアシは、息を吸い込んだ。 

「皆、目を閉じてくれ」 

 素早く囁くと、ヒアシは種火石をその小さな弩で打ち出した。 

 カシュ、と小さな音が空気を震わせる。 

 大型モンスターを除いたその場にいた全員が、すぐさま目を覆った。 

  

 その時、ナルガクルガの耳がぴくりとヒアシ達の方へ動き、短く吠えた。 弾は真っ直ぐに、チカチカと舞っていた閃光羽虫の方へと飛んでいく。 

 

 次の瞬間。 

 与えられた衝撃に危険を感じた蟲は、その身を思い切り発光させた。 

 まるで、その場で花火が打ち上がったかのように、辺りが一瞬閃光に包まれた。 

 それは瞼をも突き抜け、何も予期していなかった者の眼球を焼く。 

 

 著しい刺激を受けたかの竜は、呻き声を上げた。 

 死を纏うヴァルハザクはその胞子によって目を守っているが、瘴気はかの竜には、己の主ほどの利益をもたらさなかったらしい。 

 視覚を奪われて身の危険を感じたのか、横倒しになったイビルジョーは太い尻尾を乱雑に振った。地面から細かい砂塵が舞う。 

 

 辺りが元に戻るやいなや、ヒアシは珊瑚の下から覗き込む。それとほぼ同時にテトルー達が穴から駆け出した。 

 それに遅れて腕を避けたサクは、息をのんだ。 

「あっ……」 

 既にジンオウガはイビルジョーの上から退いており、何が起きたのかわからない様子で周りを見回していた。 

 そしてその瞼は、しっかりと開かれている。 

「失敗か……!」 

 サクは下唇を噛んだ。 

 

 テトルーが考えた作戦は、こうだ。 

 まず、閃光羽虫で三頭の目を眩ませる。 

 そして動きが止まった瞬間に、テトルーはイビルジョーを大ツタで捕縛する。 

 その間にヒアシとサクは、ジンオウガとナルガクルガにこやし玉を当てて彼らをここから離れさせる、というものだった。 

 

「まあ、これならいけるだろう」 

「え?」 

「だってほら、あれ」 

 サクはヒアシの指が示すほうを辿る。 

 その先に、ナルガクルガが発達した前脚で這うようにして、キャンプに近い方向へと駆けていくのが見えた。 

 それを見たジンオウガが、きゅんきゅんと仔ガルクのように鳴きながら追いかける。 

 やがて追いついた彼は、ナルガクルガの傷を気遣うような素振りを見せると、ぶるぶると水気を振り払うように身体を震わせた。 

 そしてジンオウガは蒼い雷光の消えた身体を、よじよじとナルガクルガの傷ついた腕の下に潜り込ませた。 

 

「仲が良いなぁ」 

「……」 

 すぐにでも突撃せんとする姿勢とは裏腹に、ヒアシはのほほんとした感想を漏らす。 

 一方でサクは呆気にとられて去っていく二頭を見つめていた。 

「多分あいつはナルガを助けに来たんだろうな」 

 あの時ナルガクルガが鳴いたのは、ジンオウガに危険を知らせるためだったと考えるのが妥当だろう。 

 閃光を見抜かれたのは、おそらく偶然ではない。調査団の誰かしらとの応戦経験があると見て良さそうだ。 

 あのジンオウガとナルガクルガは、異種同士の友か擬似家族か、はたまた番か。 

 真相は彼らしか知り得ない。 

 

「さて、と」 

 作戦通りにはならなかったが、ひとまずイビルジョーの動きは止まっている。 

 ヒアシは合図の指笛を吹いた。 

 それを聞いてテトルー達は頷き、大ツタを一斉にかの竜に放った。 

『××××!』 

 太い脚に、凶悪な尻尾に、傷ついた肩にツタが絡みつく。 

 状況確認ができない状態で身体を拘束され、半ばパニックに陥ったイビルジョーは、一層激しく暴れた。 

 

「行くぞ! サク、奴の腹側は頼む!」 

「っ! ──任せて!」 

 岩場からヒアシが駆け出し、サクもそれに続く。 

 

 何はともあれ、近辺のモンスターを遠ざけるという、第一の目標は達成した。 

 残るは三つだ。 

 かの竜を討伐すること。 

 陸珊瑚の台地に、これ以上被害を与えないこと。 

 そして、自分たちが生還すること。 

 

 ヒアシは大きく息を吸い込んだ。 

 静かな威圧を放つ群青の視線が、暴れ竜へと向けられる。 

「──悪いが、大人しく餌になるわけにはいかないんだ」 

 ヒアシの呟きは、竜の呻きによってかき消された。 

 もがき狂う巨体に、ツタがみしみしと音を立てて引っ張られる。 

 テトルー達は小さな身体をぜんぶ使って、懸命にイビルジョーを押さえつけてくれていた。 

 彼らの努力を無駄にするわけにはいかない。 

 

 ヒアシは走りながら背に手を回し、槍の柄を握る。 

 そして今にもイビルジョーと肉薄しそうなところまで来ると、先ほどのジンオウガのように飛び上がった。 

蒼い月光を鈍く反射する矛先が、素早く円を描く。 直後、振り下ろされた黄金の塔は、巨竜の頭蓋を打ち付けた。 

  

 おそらく、今の衝撃で脳震盪を起こしたのだろう。

 それでも尚イビルジョーはもがくのを止めなかったが、荒れ狂っていた尻尾の動きがやや落ち着く。 

 無防備になった腹の幅は、横になっていてもサクの身長を超えていた。一体どれほどの獲物を食らってきたのだろうかと思いをはせる。 

 サクはベニカガチノドクヅメの、右の一振りだけを握った。 懐に入り込んでしまえば、こちらのものだ。足を取られないよう気を付けながら、サクは凶悪な顎を縛り付けたツタを飛び越えた。 

 サクは空中で剣を両手で握り直すと、イビルジョーの首へと向けた。

 これは賭けだった。頸動脈にさえ刃が届けば、致命傷となる。 

「届けっ!」 

 圧力が一点に集中した剣が、イビルジョーの左顎の下を貫く。 

 次の瞬間、ドス黒い血が噴き出し、トビカガチ亜種の鮮やかな体毛がその色に染まった。 胞子が舞い散り、イビルジョーは酷く苦しげに呻き声を上げる。 

 それを見届けたサクは、成功した喜びを噛み締める間もなくその場を離脱した。 

 

 イビルジョーは、残像で不完全な視野に苛立ちながらも、なんとか目を開ける。 

 先ほどの蒼い竜の攻撃を受けてから、胸の辺りが痛んでうまく息を吸えなかった。それに加え、急所である首を狙われたのだ。 

 これまでは耐え難い空腹に身を任せていたが、このままでは喰う前にこちらがやられてしまうかもしれない。 

 産声を上げてからずっと慣れ親しんできた、死への恐怖と生への焦りが、欲を上塗りしていく。 

 

 とうに匂いと足音で気づいていたが、大きな獲物たちは逃げてしまったようだった。 

 イビルジョーは、己の自由を奪った小賢しい不届き者たちを、ぎろりと睨み付ける。自分の存在に怯えを隠し切れていない者、睨み返してくる者、それらの目から読み取れる感情は様々だ。 

 だが、そんなことはどうでも良い。最早まとめて殺さなくては、気が済まなくなった。 

 

 イビルジョーは折れた短い前脚を庇いつつ、沢山の小さな毛玉を渾身の力で振り払った。 

 それらは悲鳴をあげて四方八方に散らばるが、奴らでは腹の足しにもならない。 今は二匹の獲物が優先だ。 

 黒い息を吐きながら、イビルジョーは憎き小物たちに牙をむいた。 

 

 立ち上がったイビルジョーに、ヒアシとサクはそれぞれ距離を取る。 

休憩もせずにずっと戦い続けていたうえ、ナルガクルガやジンオウガと交戦したことにより、かの竜は憤怒しながらも大いに疲弊しているようだった。 

 ここまで追い詰めたのであれば、もう一息といったところだろうか。                                                                                                  

 救難信号を打つことは、もう諦めていた。 最も危険なのは、連携がうまく取れていない状態で危機に陥り、パーティが全滅してしまうことだった。 

 瀕死の竜は、恐ろしい。命惜しさに行わなかった捨身の攻撃を、満を辞して放ってくることもあるからだ。 そうなるくらいなら、信頼関係の築かれた少人数で押し切ってしまう方がリスクを回避できる。 

  

 目を爛々と光らせたイビルジョーは大きく息を吸い、ブレスで薙ぎ払った。地面に散らばったツタが焦げる。 

「あれ……」 

 ガスを回避しながら、サクは目を見張る。 

 イビルジョーのブレスは今までのものと異なり、断続的に漏れるように吐き出されていたのだ。

 そのガスが少ないせいか、赤黒い稲妻もさほど起こっていないように思う。 

 呼気に変化がみられるということは、呼吸器にもダメージを負っている可能性が高い。

 あれでは、さぞ苦しいだろう。自分たちの手で、早く終わらせてあげなければならない。

 サクはちらりと相棒のほうを見やる。 

 

 ヒアシは盾を構えて、残留した微量のガスを振り払うやいなや、イビルジョーの肩にクラッチクローを放った。

  金属の爪はイビルジョーの皮膚の割れ目に食い込み、ヒアシはワイヤーの戻る勢いと共にランスを突き出す。

 肉を貫いた後に硬い骨に当たる感触がして、自分の肩に痺れが走る。

 ヒアシは眉間にしわを寄せた。この体勢では、薙ぎ払っても威力が槍に乗らない。

 ならば、もう一突きするまでだ。

 

 イビルジョーはなんとかヒアシを引き剥がそうと、噛み付いたり身体を捩ったりと、滅茶苦茶に動き回った。

 だが、壁にぶつけてこないということは、当竜も身の危険を察知しているのだろう。ヒアシはしがみついて揺れに耐えながら、好機を待つ。

 

 前後左右など構わずにイビルジョーは激しく動いた。

 離れて見ていたサクは、かの竜が足場を踏み外すのではないかと、何度もひやひやした。

 そのうち暴れ竜は、桃色の軟体珊瑚や海綿のそびえる広場へと辿り着いていた。 

 

 やがて肩で息をしながら、イビルジョーが足を止めた。

 下からジュワジュワと何かが溶けるような音が聞こえてくる。ヒアシは槍をイビルジョーの身体と垂直になるよう構えると、身体を思い切り捻った。

 一突き、そして力を込めてもう一突きして、筋層を穿つ。それと同時に蹴った勢いでランスを引き抜き、地面へと着地した。

 僅かに出血し、すぐに胞子が傷口を覆う。

 その時、痺れを切らしたイビルジョーが身体をたわめた。

 

「ヒアシッ、左に避けて!」 

 サクが叫んだ直後、イビルジョーは筋骨隆々とした上半身を勢いよく地面に叩きつけて転がった。 

 全てを轢き殺さんとする、憎悪の念がひしひしと伝わってくる。かの竜はとうとう、捨て身の反撃を始めたようだ。

 

「くっ……!」 

 ヒアシはなんとか左方向に飛び込むが、竜の巨大さ故に、回避距離が足りない。 

 このままでは牙の生えた顎に巻き込まれる。 

 ヒアシはその場で足を開くと、瞬時にロストバベルの盾を構えた。 

 

 次の瞬間、白い巨体が迫る。 

 一拍遅れて、盾に重い衝動。 

 右腕から肩にかけて痺れるような痛みが走り、ヒアシは呻いた。 盾で受け流していたとしても、その衝撃は凄まじい。 

 足元に出来た、地面に踏ん張って引き摺られた跡がそれを物語っていた。 再びあの巨体が当たれば、ただでは済まないことは明白だ。

 

(──このままヒアシを攻撃させるものか)

 サクは息を大きく吸って止め、体勢を立て直そうとしているイビルジョーの方へと駆け出した。 

 回復薬の効果が出てきたようで、先程よりも肩の痛みが和らいでいる。 

 やるならば、今しかない。 

 サクは海綿のヒダのある根元を駆け上がり、身体を捻って勢いをつけると、イビルジョーの背後へと大きく飛び込む。 

 その間に回転軸を整え、胞子の目立つ背へと、毒の双刃を叩き込んだ。 何度か肋骨の上をかすった感覚はあったが、同時に柔らかい肉を傷つけた感触もあった。 

  

 サクが着地した直後、傷を付けた部位からボシュ、と胞子が噴き出す。 

 ナルガクルガに付けられた大きな傷の上から斬りつけたから、より深部へと刃が到達している筈だ。 

 イビルジョーの首は、いつしか不自然に拘縮し始めていた。 

「毒が回ってきたか」 

 ヒアシの言葉に、サクは息を整えながら首を振る。 

「いや、この毒では、ああはならない筈。これはむしろ──」 

 

 雪のように胞子が舞う。 

 桃色の卵と灰色のそれらは、戦闘中であることを忘れさせてしまうくらいに幻想的だった。 

 そして、表出した胞子がこれほどまでに多くなっているということは、イビルジョーの衰弱を意味しているのだ。 

 傷だらけの身体は、屍肉となりゆくのを心待ちにする胞子によって、ほぼ完全に乗っ取られつつあった。 

 イビルジョーはふらつき、ゼエゼエと肩で息をする。 ここまで衰弱していれば、もう半刻と持たないだろう。 

 

 故に、失念していたのだ。 

 この竜の生命力が、如何に並外れているかを。 

 何故この竜が、“古龍級”生物と呼ばれているかを──。 

 

 きゅおん、と場違いに思えるような吸音が響く。 

「!」 

 頭にクラッチクローで掴まっていたヒアシは、それを聞くや否や、咄嗟に筋肉の剥き出しになった背へとクローを伸ばした。 

 

 直後、赤い稲妻を伴う黒いガスが辺りを覆った。

 二人は直撃を免れるが、しかし。

 陸珊瑚の台地の生命を豊かにする風。常時であれば恵みを運ぶそれが、凶となった。 

 

「逃げろ、サク──」 

 その言葉が紡ぎ出されると同時。 

 ガスはあっという間に、風下にいたサクのもとへと到達し、視界を妨げる。 

 サクは珊瑚にワイヤーを伸ばし、ヒアシと同様に回避しようとしたものの、あと僅かのところで横に逸れてしまった。 

 

「そんな……ッ!」 

 こんな時に限って失敗するとは。目の前が真っ暗になったような心地がした。 

 せめてそれを吸い込まないよう、サクは瞬時に目を瞑って息を止めた。 このマスクは瘴気を通さないが、ガスの粒子はそれよりも小さいのだ。 

 

 だが、感覚器官を守ることを優先したその行動は、その場からの撤退を遅れさせた。 サクが駆け出した時には、既にその身体が半分近く黒いガスに覆われていた。 

 龍の稲妻はバチバチと音を立て、剥き出しになった雌火竜の甲殻を伝い、サクの皮膚を焼く。 

 

「ぅ、ぁッ……!」 

 左肩から背にかけて激痛が走り、サクは詰まった悲鳴を上げた。 

「サク! おい大丈夫か、サク!」 

『チョウサダン!』 

 ヒアシはすぐに倒れたサクの傍に駆け寄った。 

 不幸中の幸いと言うべきか程なくして風でガスは霧散したが、瞬間的に強烈な電気ショックを受けたサクは、気を失っていた。

 火傷を負った肩が痛々しかった。

 

 白いモヤで視界が悪くなっている為、イビルジョーは頻りに匂いを嗅いで、こちらを探ろうとする。 

 その時、少し離れたところから、螺貝の音が聞こえた。リーダー格のテトルーだ。 

『やい! ××××!』 

 叫ぶやいなや、テトルー達はイビルジョーの気を引こうと一斉に挑発し始めた。テトルーがちょこまかと攻撃をかわしながら、イビルジョーを引き付けてくれているのを確認する。

 イビルジョーがそちらを向いた隙に、ヒアシはぐったりとしたサクを軟体珊瑚の陰に避難させた。 

 下手に電流が流れれば、勘違いをした心ノ臓は簡単に誤作動を起こす。ヒアシはサクの頭装備を手早く外して気道を確保し、口元に耳を近づけた。 早く微弱ながらも、息はある。 

 それからサクの首に手を入れ、脈をとった。本当は橈骨から確認したいがその時間はない。

 やや乱れているが規則的な拍動が指に触れる。どうやら心停止はしていないらしく、ほっと息を吐いた。

 

「サク、わかるか! サク!」 

 ヒアシが何度か強く呼びかけると、サクは微かにうなり、億劫そうに一瞬目を開ける。ヒアシが負傷している方とは逆の肩を叩くと、サクは何度か瞬きをし、こちらを見た。 

 その様子を見て、ヒアシはほっと息を吐く。そしてすぐさま撤退をしなければと、サクの身体を抱き起こそうとした。

  

 その時、低い唸り声が聞こえ、ヒアシはハッと息を飲む。 

 咄嗟にサクを庇って盾を構え、振り返った先には、こちらを捉える一対の目があった。 

 イビルジョーの歩幅では、三歩ほどで辿り着いてしまう距離だ。 今モドリ玉を使ったとしても、サクを抱えては逃げきれない。 

 

 巨大な口が、大きく開かれる。 

 その刹那、視界は赤黒く染まった。 

 

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