妖魔世界図   作:オンドゥル大使

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第12話「過ぎ行く時」怨霊調伏篇

 

 アパートに帰る頃にはとっぷりと日が暮れていた。部屋に入る前に西垣が顔を出した。軽く挨拶を交わした後、西垣はレンが軽装なのを見て話しかけた。

 

「帷、今日もバイトか? 大変だな。学校辞めてからのほうが忙しいんじゃないか」

 

「ああ」と返す。西垣はレンが学校を辞めたことを知っていた。同じアパートでほぼ毎日顔を合わせるのだ。隠しておくことも難しいし、意味がないことに気づきレンは早々に話していた。もちろん、それに至るまでの理由の中にある妖怪関係のことは伏せてある。西垣はレンの話を真面目に聞き、最後には咎めるでもなくかといって褒め称えるでもなく、何度か頷いてから、「大変だったな」とだけ言った。レンにとってはそれがもっともありがたかった。暴力事件のことも西垣には包み隠さずに話した。西垣はレンがその当事者であることを半ば予想していたのだろう。驚くことなく、真摯に耳を傾けてくれた。

 

「それでも無理すんなよ。身体壊しちゃ、バイト先でもヤバイだろ」

 

 西垣の言葉にレンは曖昧に頷いた。さすがに春日の事務所で働いていることは言っていない。言えば必然的にどういう仕事をしているのかという話になるからだ。西垣はそういう部分では踏み込んでこないので、レンにとっては話しやすかった。

 

「帷はよく頑張るからな。俺は顔の相を見ればある程度、そいつがどういう奴か分かるんだ。お前はとことんまで頑張る奴だよ」

 

 以前にも似たような台詞を聞いた気がするが、レンは他人の長所を恥ずかしげもなく言える西垣にある種、憧れすら抱いていた。そんな西垣の優しさに触れたせいか、レンは尋ねてみたくなった。

 

「なぁ、西垣。もし、仕事上で気に入らない奴に会ったら、どうする?」

 

 レンの言葉に一呼吸挟むように、西垣はゆっくりと首を傾げた。

 

「うん? それってあれか、嫌な上司とかってことか?」

 

「まぁ、それに似た感じ」

 

「どうかなー。俺はバイトしたことないからその辺のこと今一つよく分からないけれど。……あ、でもそれって嫌な先輩とかに置き換えて考えればいいのか」

 

 西垣の言葉にレンは目を丸くした。

 

「嫌な先輩いるのか? 部活で?」

 

「うん。まぁな。嫌っつうか、苦手な先輩。その人、いつも衣装に文句つけるんだよな。何かと小うるさいし」

 

 西垣の部活はコスプレ同好会なので、文化系にはそういう軋轢は少ないものと勝手に思っていた。レンが思ったことをそのまま口にすると、西垣はいきり立って、「そんなことないって」と返した。

 

「文化系のほうが意外と多いんだよな。なんか合わないけれど合わせとかないとまずい事態とかさ。帷はそういうのなかったのか?」

 

 西垣の言葉にレンは中空に視線を投じて薙刀をやっていた頃を思い返す。〝体質〟関係の嫌な思い出以外でそういった経験があったかどうかを記憶の中で手繰り寄せる。

 

「……あったと言えば、あったような気もするけどそんなこと気にしてたら試合じゃ勝てなかったからな。やっぱり、試合中にはそういうのを抜きにしちゃうって言うのが処世術みたいになっていたかもしれない」

 

「だろ。体育会系って意外とそういうところで、それはそれ、これはこれって分けて考えられるんだよ。文化系ってそういう部分は曖昧なんだよな。こう、うまく切り分けられないって言うのか?」

 

 西垣が身振り手振りで箱を切り分ける真似をする。西垣の言っていることは、なるほど、よく分かる。体育会系には勝負の一瞬にそんな人間関係の些事に気を取られている暇はない。真剣勝負は一秒を争うからだ。文化系では勝負という概念がまた違ってくるのだろう。

 

「でも、バイトとかだと大変だろ。なに? 帷、そういう先輩に目をつけられたの?」

 

 西垣の言葉にレンは高幡のことを思い出す。高畑がもうろくしているようには見えなかったので、顔は完全に覚えられただろう。あれだけお互いに啖呵を切ったのだから強烈に記憶に残っているはずだ。

 

「うん。多分、目をつけられたな」

 

「そりゃ、用心したほうがいいぜ。そういう手合いはしつこいからな。ネチネチと一ヶ月も二ヶ月も前のこと言われたら、堪ったもんじゃない」

 

 西垣のアドバイスは身に沁みて感じられた。高畑ならば確かにいつまでも根に持ちそうだ。そんな人間とこれから先、うまくやっていけるのだろうかという不安が募る。レンが思ったよりも深刻な顔をしていたせいか、西垣が空気を変えるように明るく言った。

 

「まぁ、そんな難しく考えるなよ。俺でよかったらいつでも相談に乗るからさ」

 

 西垣の言葉にレンは少しばかり勇気付けられた。相談に乗ってくれる人間が傍にいるだけでいいものだ。四ヶ月前には考えもしなかった。

 

「ああ、その時は相談するよ」

 

「おう。どーんと任せとけ」

 

 西垣と笑みを交し合い、レンは部屋の扉を開けた。

 

「じゃあな、帷。疲れ溜めるなよ」

 

「ああ、おやすみ」

 

 西垣が手を振って部屋の中に消える。レンも同じように部屋に入った。

 

 越してきた当初のダンボールの山に比べれば随分と整理されたものの、一人暮らしだからか六畳間は雑多な物に溢れていた。生活必需品だけをダンボールに詰めてきたはずなのだが、いつの間にか漫画などの嗜好品が散乱している。まず画材ケースを置いてから、レンは台所に立ち、冷蔵庫を開けた。

 

 卵とうどん玉があったので月見うどんを作ることにする。うどんをゆがいている途中、いつ頃から春日は高畑の世話をさせるつもりなのだろうかと考えた。まさか明日からとは言うまいと考えていたが、春日ならば充分にあり得る話だった。今からそのことを考えるとため息が漏れる。春日はどういうつもりで自分を雇ったのだろうか。インスタントのだしをお椀の底で溶かしながらレンは思案する。事務所の仕事を任せる、というのが理由だと思っていたが、レンはほとんどその仕事ができていない。次は高畑の面倒を見させて、厄介ごとを押し付けようとしているのではないのだろうか。春日の真の目的がはかれずに、ぼんやりと箸で麺をほぐしていると沸騰してきた湯が指先にとんだ。

 

「熱っ」

 

 思わず箸を取り落とす。鍋の中に箸が水没したので、火を止めてレンは他の菜箸で箸をすくい上げた。

 

「……何やってんだろうな、俺は」

 

 春日のところで働けば生きがいを見つけられるとでも期待していたのだろうか。結局、自分の力が伴わず自信の持てない日々が続いている。まだ四ヶ月だ、と言い聞かせる自分がいる一方、四ヶ月も経っているのにと冷淡な目で見つめる自分もいる。レンは水で箸を冷やしてから、ゆがいた麺の水を切った。

 

 完成した月見うどんをすすり、その日は早めに眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所に顔を出すと、春日がいなかった。代わりに留守番をしていたミャオが書き置きを差し出した。レンはそれを受け取り、目を通す。

 

「今日から高畑さんのところに行ってください。僕は大学の研究課題があるので一週間ほど事務所にも戻れません。レン君ならできると信じています。高畑さんは金海羊羹が好物なので持っていってあげてください。冷蔵庫に一週間分あります。夕方までいてあげてください。きっと有益なものが見つかるでしょう。……って、何だ、こりゃ?」

 

「書き置きでしょ」

 

「見りゃ分かるっての。そうじゃなくって春日の奴、まさか本当に今日からだとは」

 

「春日さんも忙しいんじゃない? あたしはよく知らないけど」

 

 ミャオがソファの上で身体を伸ばす。レンは書置きを差し出して、ミャオに尋ねた。

 

「長い付き合いじゃねぇのかよ」

 

「長いけどね、お互いプライベートには干渉しない主義だから」

 

「倦怠期の夫婦みたいだな」と言うと、ミャオが身体を硬直させてレンに怒鳴りつけてきた。

 

「夫婦って何? あたしと春日さんが特別な関係に見えるって言うの?」

 

「えっ、違うのかよ」

 

 耳を塞ぎながら言い返すと、ミャオは腕を組んで憮然とした態度で言った。

 

「断じて違います! あたしにとって春日さんは何と言うか、恩人みたいな感じだし。そういう恋愛感情はないよ」

 

「恩人ねぇ。つうか恋愛感情って言うけど、猫に恋愛とか分かるのかよ」

 

 レンの言葉にミャオは目を見開いて信じられないとでも言うように肩を竦めてから首を横に振った。

 

「デリカシーないなぁ、レン君。女の子なんだからそれぐらい分かって当然でしょ」

 

「いや、女の子云々以前にお前は猫だろう」

 

 ミャオは頬を膨らませて、ソファの背凭れを叩きながら抗議した。

 

「猫でも好き嫌いぐらいはあります! 現にあたし、レン君は好きなほうだからね」

 

「そうかよ」

 

 レンはミャオの言葉を意に介することなく、冷蔵庫へと向かった。淡白な態度にミャオが手足をばたつかせて怒りの姿勢を見せる。

 

「むっかー。レン君、ひどいよ、スルーなんて!」

 

 冷蔵庫を開けると箱が七つ置かれていた。どれも金海羊羹だった。パッケージには金魚があしらわれている。その中の一つを紙袋に詰めながら、レンは「そういえば」と口を開いた。

 

「ミャオは高畑とか言うじいさん、知ってんのか?」

 

 訊かれて、ミャオは小首を傾げた。

 

「高畑さん? 何度か春日さんの話の中で聞いたことがあるけれど実際に会ったことはないかな。あたしってこの辺が縄張りだから。遠くまで行けないんだよね」

 

「じゃあ、ミャオはどんなじいさんか知らないわけか。それなのに書き置きを受け取ったんだな」

 

「まぁ、内容まで頓着しないからね。あたしは留守番頼まれたからここにいるだけだし。何? おじいさんなの?」

 

「ああ、結構厄介なじいさんだ」

 

 レンの言葉にミャオは特に興味を示すことはなく、「ふぅん」と返した。レンはミャオに視線を留める。ミャオには外界はどう映っているのだろう。春日と自分に会うだけでほとんど外との接点がないように思える。考え出すと普段の食事もどうしているのか気になってきた。まさか、ゴミ捨て場で残飯を漁っているわけではなかろうか。ミャオがただの猫ならば気にはしなかったが、なまじ人間の姿になれるだけに心配は大きい。

 

「ミャオ。今日の夕方、暇か?」

 

 レンの言葉にミャオは目をぱちくりさせた後、佇まいを正した。スカートの裾をはたき、ソファの上に正座する。

 

「何かあるの? デートなら不束者ですが喜んで――」

 

「馬鹿。違うっての。お前、まともに飯食ってんのか? 夕方までに帰ってきてやるから、その頃に事務所の前で待ってろ。いいもん食わせてやる」

 

 その言葉にミャオは一瞬目を輝かせたが、すぐに猫耳を垂らして沈んだ。

 

「なーんだ、ご飯か」

 

「嫌なのか?」

 

「嫌じゃないけれど、一瞬喜んじゃった自分が何だか情けなくって。もしかしてレン君、あたしがまともにご飯も食べられず飢えかけていると思って施しを与えようとしているわけ?」

 

「そういうわけじゃねぇけど、いつも何食ってのか分からないと不安だろうが」

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、やっぱりそれってあたしがゴミ箱とか漁っていると思っているってことだよね」

 

 ミャオの言葉にレンは声を詰まらせた。ミャオはまた手足をばたつかせて暴れ始めた。

 

「失礼しちゃうよ! レン君ってばそういう風に考えていたんだ? あたしがご飯も一人で確保できないかわいそうな子だと思っていたんだ?」

 

「じゃあ、普段どうやって飯食ってんだよ。アカリがいつだって飯を用意してくれるわけじゃないだろ。時期的に文化祭で忙しくなる頃だし」

 

 自分で言ってから、高校生を今もやっていたのならばそういう時期的なイベントにかかわることもあったのだろうと思い返す。一週間程度で辞めてしまったことを悔いているわけではないが、青春というものがこの事務所に来てからじりじりと削られているのだけは感じていた。人はこれを浪費と呼ぶのかもしれない。

 

 ミャオはぴたりと動きを止め、恥ずかしげに顔を伏せて言った。

 

「……おごってもらってる」

 

「おごり? 誰に?」

 

「知らないおじさん」

 

 ミャオの口から出た言葉に、レンは一呼吸置いて考えた。最悪の想定が脳裏に浮かんだ瞬間、目を剥いて声を張り上げる。

 

「お前、まさかその人間の姿を利用して――」

 

「違う! 違うよ! レン君が思っているようなものじゃなくって。……あの、この姿でいると可愛いねとか、写真撮ってもいい? とか訊かれることが多くって。じゃあ、写真撮る代わりにご飯おごってって言うの。そこから先はないから。決してやましい関係じゃないから安心して」

 

「安心できるか! それって援助交際って奴じゃないのか」

 

「違うって。世に言うそういう感じじゃなくってもっとプラトニックと言うか……」

 

「どっちにしろ、そういうのはやめろ。何だか不安になる」

 

 レンはため息をついた。まさかミャオがそんな方法で飯にありついているとは思わなかったからだ。しかし、とレンはミャオを見やる。胡桃色の猫耳とショートボブの髪に、エプロンドレスにミニスカート、それに編み上げのブーツとなればいかがわしい店を想起するのは難しくない。容姿も美少女と呼ばれる部類にある。レンの視線に気づいたミャオが頬をぽっと赤く染めて、首を振った。

 

「……レン君。そんなに見つめられると、あたし照れちゃうな」

 

「馬鹿。余計に心配になっただけだ」

 

「心配してくれるんだったら、レン君の彼女に――」

 

 飛びつこうとしたミャオの頭をレンは片手で押さえ込んだ。

 

「猫を彼女にする趣味はねぇ。今日くらいは飯、おごってやるよ。夕方まで待ってられるか?」

 

「うん、うん。待ってる」

 

 ミャオが頷いたので、レンは紙袋を持って事務室の扉に向かった。ミャオが手を振って、「いってらっしゃーい」と見送るのを背中に受けて、事務所を後にする。

 

 昨日と同じようにバスに乗り、記憶を頼りに高級住宅街を歩いた。手荷物は羊羹と画材ケースだけなのでさほど重たくはなかったが、坂道は涼しい風が吹き抜けても膝に負担がかかった。ようやく頂上の平屋に辿り着いてから、レンはどうしようかと迷った。扉を叩こうと手を伸ばしかけて、あれだけの啖呵を切ったのに自分のほうから折れるのは癪だった。周囲を見渡すが、ドアチャイムらしきものはない。やはり正面切って行くしかないのか、と再確認したレンは扉を叩こうとして、がらりと扉が開いた。

 

 昨日と同じ若竹色の着物に身を包んだ高畑がじろりと開いた扉の隙間からレンを睨みつけた。レンが何を言うべきか迷っていると、高畑が先に口を開いた。

 

「玄関の前でうろちょろされると鬱陶しいんだ。用があるならさっさとしろ」

 

 その口調にレンは怒りが湧いたが、ぐっと喉元で押し止めて紙袋を差し出した。引っ手繰るように高畑がそれを手に取り、中を見る。

 

「金海羊羹か。ちょうど食いたかったところだ。気を回したのは、まぁトオルだろうな。ガキが考えられる方法じゃねぇ」

 

 レンは怒鳴り散らして踵を返したい気分だったが、拳を固く握り締めて堪えた。高畑がそのまま奥へと引き返す。どうしたものかと思っていると、高畑が振り返って不審そうな目を向けた。

 

「まだいやがるのか。ガキはさっさと帰れ」

 

 しっしっと手を払う高畑にレンは怒りの言葉を吐きかけようとしたが、昨日のようになってはまた来づらくなると喉元まで出かかったのを、飴玉を飲み下すような勢いで抑えて、レンは声を搾り出す。

 

「春日からあんたの世話をするようにことづかっている。夕方まではいてくれって」

 

「やめろ。迷惑だ。さっさと帰れ」

 

「やめねぇ」

 

 レンは店の中に踏み出した。高畑がぎょっとして身体を振り向ける。レンは怒りをぶちまけそうなのを堪えて重たい足をさらに一歩踏み込んだ。

 

「与えられた仕事くらいは、やらせてもらう」

 

 ほとんど事務所の仕事をこなせていないレンが持てる唯一の矜持がそれだった。せめて、老人の世話ぐらいはやってやる。その意地を目に込めて、レンは高畑を睨んだ。高畑はしばらく面食らったように黙っていたが、やがて息をついた。

 

「……好きにしろ。ただし、その辺の売り物には触れるなよ」

 

 高畑がカウンターへと引き返す。レンはそう言われた途端に身体に込めていた力が抜けるのを感じた。高畑が畳敷きのカウンターに座して、金海羊羹のパッケージを剥ぎ取り始める。それをじっと見つめていると、高畑は箱を自分のほうに引き寄せて言った。

 

「やらんぞ」

 

 レンはその言葉にむっとして、高畑から顔を背けた。

 

「いらねぇよ」

 

 高畑がカウンターの奥へと向かい、皿と爪楊枝を持ってくる。切り分けられている羊羹を皿の上に乗せて、爪楊枝を刺した。金海羊羹は金魚を象った羊羹だ。金魚と言っても形状はリアルではなく、随分とデフォルメされている。羊羹を爪楊枝で半分に切りながら、高畑はレンを見ずに尋ねた。

 

「お前、絵を描くのか?」

 

 何を訊かれたのか一瞬分からずに、レンは高畑を見やって、「何だって?」と聞き返す。高畑は羊羹を頬張りながら、爪楊枝でレンを指した。

 

「画材ケース持ってんだろうが。絵を描くのかって訊いてんだよ」

 

 レンはその言葉で自分が担いでいる画材ケースに目をやった。どう応じるべきかと悩むように視線を右往左往させる。すると、高畑が苛立ちを込めた声を放った。

 

「何だよ、さっさと答えろ。はいかいいえでいいんだよ」

 

「……じゃあ、いいえ」

 

 不満そうにレンが答えると、高畑は羊羹を小さく切り分けながら尋ねる。

 

「どうして絵も描かないのに画材ケースを持ち歩いているんだ? そりゃ庄屋が刀を飾りで持っているのと同じだぜ」

 

 高畑の言う庄屋と言うのが何なのか分からなかったが、馬鹿にされていることだけは分かった。

 

「悪かったな。絵を描かなきゃ画材ケースを持っちゃいけない法でもあるのか?」

 

「口が減らねぇな。じゃあ、その中には何が入っている? 見たところ、空っぽってわけじゃなさそうだが」

 

 レンは画材ケースに視線を落とした。外見から中が空っぽかどうか分かるものなのだろうか。きっとレンの動作から推測したのだろうが、高畑がそれほどレンを注視していたとは思えなかった。レンが怪訝そうな目を向けていると、高畑は爪楊枝を振り翳し、「別に検閲しようってんじゃないだろ」と言った。

 

「気になっただけだ。ちょいと見せてみろ」

 

「何で、あんたに見せなきゃならないのかが分からないが」

 

「昨日も持っていただろう。大切なのか?」

 

 レンは内心驚いていた。昨日はお互いに罵声を浴びせ合っただけでそんなところまで見られているとは思わなかったからだ。レンはそう言われると余計に画材ケースの中身を見せてやるのが惜しい気がした。画材ケースを脇に挟みながら、

 

「だから、あんたに見せる義理はないだろ」

 

「何だ? そんなに大事なのか? だったらどうして画材ケースみたいな脆いもんに入れている? 肩に担いでたら後ろから取られても分からんだろうが」

 

「さすがに後ろから取られりゃ分かる。つうか、何であんたそんなこと気にする?」

 

「俺の世話をしろってトオルから頼まれてんだろ。だったら、俺がしたいようにさせろ。それが仕事なんだったらな」

 

 無茶苦茶な言い方だ、と思いながらも仕事という言葉を引き合いに出されればレンも従わざるを得なかった。高畑に見せたところでどうせ分からないだろうと、画材ケースを肩から外す。

 

「分かったよ」とレンは言って蓋を取った。中からカモフラージュのための筆と絵の具が出てから、拳二つ分程度の如意棒が片手に落ちる。筆と絵の具を見た時には何の反応も示さなかった高畑だが、如意棒を見た瞬間、カウンターから身を乗り出した。何をそんなに驚いているのだろうとレンは不思議そうな目を向ける。知らない人間からしたらただの石の棒ではないか。しかし、高畑はその名を口走った。

 

「如意棒、か? お前が持っていたのか」

 

 その言葉にレンは驚きを隠せなかった。どうして高畑が知っているのか。如意棒を掴んで思わず聞き返していた。

 

「どうしてこいつのことを知っている?」

 

「知っているも何も――」

 

 高畑はゆっくりとカウンターの中で座り、帽子を手で押さえてから丸眼鏡の位置を直した。その所作が春日のように見えたのは気のせいだったのだろうか。高畑は真剣な口調で言葉を発した。

 

「それは俺が作ったからな」

 

 高畑の発した言葉は一瞬、理解できなかった。思わず、「は?」と口にしていた。レンは目を丸くして、突然の地震に驚いた鼠のような顔をしていた。高畑はもう一度、大仰な仕草でゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「だーかーら。俺が作ったんだ。その如意棒はな」

 

 二度目の言葉でも意味を汲み取るまでは時間がかかった。レンは如意棒と高畑を見比べて、首を傾げる。高畑は何度か頷いた。

 

「あんたが作ったって? この如意棒を?」

 

 まさか、という意味で言ったのだが高畑は神妙に頷く。

 

「ああ。トオルが手に余るって言っていたが、どうしてこんなガキに渡っちまってんだ? どう考えてもおかしいだろう」

 

 高畑が頭を抱える。その言葉にレンはカチンときて言い返した。

 

「ガキとは何だよ。俺が持ってちゃ、いけないのか?」

 

「当たり前だろ! そいつは俺が作った中でも傑作なんだ。オリジナルに限りなく近づけたって言うのに、誰も扱えないからお蔵入りになっちまった。いや、正確には扱える人間がいなかっただが……」

 

 高畑が頭に手をやってぶつぶつと考え込む。レンは気になることをぶつけた。

 

「オリジナルに近づけたって? じゃあこれはオリジナルじゃないのか?」

 

「ああ。オリジナルはまず色が赤いし、今頃は空の上にあるんだろうよ」

 

 高畑の言葉にレンは天井を仰いだ。空の上の世界などあるのだろうか。しかし、頭から否定することもできない。レンがぼんやりしているのを、高畑が間抜けを見るような目つきで見つめた。

 

「空の上ってのは冗談だが、俺の手に今はない」

 

 その言葉にレンは一杯食わされたのを感じて、高畑へと睨む目を向ける。高畑はレンの視線を意に介さずに続けた。

 

「どうしてこんなガキが持ってんだ? レプリカとはいえ伝承の代物だぞ。こいつみたいなアホ丸出しの顔をした奴が持てるはずがないってのに。それともトオルに預けている間に物の価値が下がったか? いやそれほど安くは作ってないはずだが……」

 

 レンはぴくぴくと頬を痙攣させながら、高畑の小言に耐えていた。高畑は羊羹を爪楊枝で刺しながら、レンをちらちらと見てはため息をついている。

 

「持っているってことは使えんのか?」

 

「何だって?」

 

「一回で聞けよ、面倒くせぇ。使えんのかって訊いてんだよ」

 

 レンは如意棒に視線を落としてから、高畑に視線を戻し、「まぁな」と応じた。

 

「じゃあ、使ってみろ」

 

「ここでか?」

 

 レンが聞き返すと、高畑は不機嫌そうに羊羹を口に放り込んで、「他にどこでやるんだ?」と言った。爪楊枝でレンを指して、

 

「証明してみろって言ってんだ。それとも何か? 本当は使えないのに持っているだけの飾りってわけか?」

 

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