ミャオとしばらく歩いていたが、ミャオの姿を見ると大抵の人間は振り返った。目立つ格好なのだということは自覚していたが、ミャオと歩いていると自分まで注目されている気がする。レンはミャオと距離を取ろうとすると、ミャオはレンの腕へと自分の腕を絡み付けてきた。直後、視線が矢のように突き刺さってきた。どれも男の視線だというのは鋭さから分かった。
「やめろ、馬鹿」
「えー、いいじゃん別に」
「猫と腕組む趣味はねぇって」
振り払うとミャオは「むぅ」と眉根を寄せた。事務所まで歩くと、ミャオは、「ここまででいい」と言った。
「そうか。そういやお前ってどの辺で寝てるんだ?」
「そこら辺だよ? この姿なら問題ないでしょ」
ミャオの姿が一瞬にして胡桃色の猫の姿になった。二股の尻尾を揺らすのでレンが注意する。
「その尻尾、目立つから隠しとけ」
「うーん。これがチャームポイントなのになぁ」
渋々と言った様子で、ミャオが尻尾を身体の中に隠す。レンはミャオの頭を撫でてやりながら言葉を発する。
「そこら辺で寝るにも注意しろよ。車とかバイクとか」
「分かったってば。レン君、誤解しているみたいだから言っておくけれど」
「何だよ?」
ミャオが前足でレンの手を払ってから、胸を張って言った。
「あたしはレン君よりも長く生きているんだからね」
レンは頭の中でその言葉を咀嚼する。言われてみれば確かにそうだ。春日から聞いた話では猫又になるには、相当な年月を経ねばならない。少なくともレンが生きている十五年程度ではなれないだろう。
「それにしちゃ、無用心だと思うけどな」
ミャオの額にデコピンを食らわせ、レンは身を翻した。ミャオが前足で額を掻いてから、その背中に声をかける。
「また明日ね、レン君」
「おお、またな」
レンは片手を上げて別れの合図とした。表通りに出る前に振り返ったが、ミャオの姿は裏通りの闇の中に消えていた。
「来たな。早く土産を渡せ」
出会い頭に発せられた言葉に、レンは不服ながらも紙袋に入れた金海羊羹を差し出した。レンの手からそれを引っ手繰り、高畑はカウンターへと置いて奥へと皿と爪楊枝を取りに行った。戻ってきた高畑が玄関から入ってこないレンを見て怪訝そうに漏らす。
「いつまで突っ立っている? 早く入って来い。昨日言ったこと忘れたんじゃねぇだろうな」
その言葉にレンは敷居を跨いで後ろ手に扉を閉めた。高畑は昨日と同じようにパッケージを引き剥がし、羊羹を皿に乗せた。爪楊枝で切り分けながら、ついでのように口を開く。
「如意棒は?」
レンは肩に担いだ画材ケースの蓋を開け、如意棒を取り出した。羊羹を食べながら、高畑は指示を出す。
「よし、そこで使ってみろ。いつも使う長さで構わん。一晩経ったんなら法力制御のバランスは元に戻っているはずだ」
レンは高畑の言葉に従うべきか迷った。昨日は売り言葉に買い言葉の延長として開放したが、果たしてそうそう信用していいものか。戸惑う素振りを見せると、高畑は眉根を寄せた。
「早くしろ。俺だって暇じゃねぇんだ」
カウンターの中で甘味にありついている人間が言える台詞ではなかった。その言葉に苛立ったレンは、「分かったよ」とぶっきらぼうに言った。右手で如意棒を握り、伸ばすイメージを流し込む。数珠が瞬いたかと思うと、如意棒が光を得てレンの背丈と同程度まで伸びた。どうだ、とばかりに高畑を見やると、高畑は退屈そうに頬杖をつきながら羊羹を口に運んでいた。
「じゃあ、今度は縮ませろ」
「はぁ? 今伸ばしたのに?」
レンの文句に高畑は爪楊枝でレンを指して言った。
「如意棒は伸縮自在の武器だ。その特性を活かせないんじゃ意味ないだろうが。いいからやれ。そうだな、サバイバルナイフくらいの長さにしろ。それ以上に短くなったり、長くなったりしたら失敗だ」
高畑が再び羊羹を突き刺す。レンは如意棒を眺め、そう簡単にできるものなのかと自問した。新山と戦った時には、無我夢中だったのでどうやって短くしたのかまでは覚えていない。レンがなかなか行動に移さないので、業を煮やした高畑は「早くしろ」と急かした。
「できねぇんなら、できねぇと言え。突っ立ってる時間がもったいないだろ」
レンはその言葉にむっとして如意棒を肩の高さまで掲げた。目を瞑り、落ち着けばできるはずだと自分に言い聞かせる。心を研ぎ澄まし、如意棒に意識を集中させる。右手に掴んだ如意棒をただひたすら短くすることだけを考える。目を開き、思惟を送り込む。瞬間、如意棒が光に包まれ、両端が収縮した。しかし短くなったとは言っても数十センチ程度だった。高畑の注文であるサバイバルナイフと言うには長すぎる。
「……駄目だな。それじゃ長い」
高畑が息をつき、小さく切った羊羹を口に放り込む。立ち上がり、奥へと引き返した。何をするのかと思って見ていると、急須と湯飲みを持ってきただけだった。それも自分の分の湯飲みだけだ。レンが見ていると、高畑が口を開いた。
「いつまでそうしてる? 失敗したんなら、次はどうやったらうまくいくか考えろ」
「教えてくれるんじゃねぇのかよ」
高畑が急須から緑茶を湯飲みに注ぎ込んでから、レンへと目を向ける。
「俺は職人であって使い手じゃねぇ。お前のレベルがまだ俺の教える程度に達してないんだよ。悔しければ、もっと如意棒を理解することだな」
「理解?」
高畑は頷き、湯飲みを口に運んだ。緑茶を啜ってから、羊羹をまた口にする。
「武器は理解されなきゃ本来の力を発揮しねぇ。人間と同じさ。まだ如意棒はお前に心を許してないんだ。あと、お前、如意棒と右手は別物だと思っているだろ」
「別物だろ、どう考えても」
レンが返した言葉に高畑はぎろりと睨む目を向けた。何かまずいことを言っただろうか、とレンは気圧されたがそれを感じさせないように睨み返した。高畑はため息をついて立ち上がったかと思うと、レンへと歩み寄ってきた。レンは突然のことに狼狽しながらも平静を努めた。高畑は如意棒を爪楊枝で指してから、レンの右手に先端を転じた。
「武器というのは身体と同じだ。別個に考えてどうする? こいつを使って戦うって言うんなら、身体と同じと考えろ。そうじゃなきゃ、一生、如意棒はお前の思うままになんて動いてくれん。どうしてだか、分かるか?」
急に問いかけられてレンは返事に窮した。高畑は爪楊枝でレンを指して、
「分からないのなら教えてやる。武器にだって魂はあるからだ。職人の魂からは独立した、武器そのものの意思がな。武器を使って戦うってことは、自分のもの以外にもう一つ、魂を扱うってことなんだよ。その魂に自分を重ねられないでどうする? お前のやり方じゃ、二人分の魂を右手だけで繋いでいるようなもんだ」
「じゃあ、どうすんだよ」
高畑の話は抽象的でレンにはピンと来なかった。高畑は爪楊枝を下ろし、如意棒へとそっと手を触れた。
「こいつを右腕の一部と考えろ。こいつが傷つけられりゃ、自分が傷ついたのと同じように考えるんだ。武器の傷みを自分の痛みと思え。そうでなけりゃ――」
高畑が如意棒を強く掴む。瞬間、如意棒は光に包まれた。見る見る間に収縮し、拳二つ分ほどの長さに戻る。
「相手に御される。それは屈服と同じだ。覚えておけ」
高畑は如意棒から手を離し、踵を返した。カウンターに座り、何事もなかったかのように羊羹を食べている。レンは呆然とそれを見つめていた。如意棒に視線を落とす。表面からは黄金の血脈が失せ、ただの石の棒と成り果てている。「自分で学べ」と高畑は言った。
「使い方云々なんて教える前に、お前は武器との関係を見直せ。そうでなけりゃ、まともに戦うことなんてできねぇ。ちょっと強い妖怪を相手にしたら、お前は一瞬でこれだ」
高畑が指先で首を掻っ切る真似をする。レンは唾を飲み下した。如意棒に力を込めようとすると高畑の言葉が遮った。
「明日また来い。今日はこれまでだ。一晩経つまで如意棒に法力込めるなよ。とんでもないことになるからな。そうだな。数珠をつけずに右手で如意棒を掴んで訓練しろ。ちょっとはマシになるはずだ」
危うく光りかけた手首の数珠を押さえ込んでレンは如意棒を画材ケースに戻した。高畑が手を払う。もう帰れということなのだろう。レンはそれに従って踵を返した。出る寸前に一度だけ振り返ると、高畑はカウンターの中で一人、緑茶を飲んで息をついていた。
事務所に行こうとしたところ、裏通りでアカリとばったり出くわした。足元にはミャオが猫の姿で猫缶を食べている。昨夜、牛丼特盛りを食べていたのと同じものだとは思えなかった。昨夜に比べると猫缶でも非常に慎ましく見える。
「後期の中間テストで早かったの」と言うアカリに、レンは「そうか」と短く返した。二人して屈んでミャオが食べているのを見る。ミャオは前足で空を掻いた。きっとじっと見られているのが嫌なのだろう。レンはアカリに何か話を振ろうとしたが、何も思いつかなかった。アカリに妖怪関係の話をするわけにはいかない。春日の事務所で働くことを決める時に巻き込まないと誓ったのだ。自分で禁を破るわけにもいかず、かといって共通の話題もないレンは押し黙るしかなかった。アカリも気を遣っているのか学校の話題を口に出すことはない。お互いに黙ったまま時間を潰しているとミャオが食べ終わった。
「食べたね、ミャオ」
「おお。そうだな」
当たり障りがないどころかほとんど会話にすらならない。レンは叫び出したい気分に駆られたが、それをぐっと押し止めた。アカリはミャオの頭を撫でながら、「そういえば」と口を開く。
「金海市にもうすぐテレビが来るんだって」
「テレビ? 何の番組で?」
「わたしも友達から聞いた話だからよくは知らないんだけど、除霊番組なんだって。最近流行ってるらしいよ」
「除霊ねぇ。そんなもん、高校生で信じているのか?」
「わたしは、いるんじゃないかな、と思ってるけど。そのほうが何だか夢があるじゃない」
「夢、か」
実際は夢も希望もない、現実の延長の世界だ。しかし見えないのならばそこに何を見出そうが自由だろう。恐れを抱く人間もいれば楽しむ人間もいる。きっとそれでいいのだろう。
「誰か有名人でも来るのか?」
レンはほとんどテレビを観ないために芸能人の名前など頭に入っていなかったが、会話を続かせるために訊いてみた。
「うん。その除霊の人が、すごい美人みたいだよ。桐坂ミヤビさんっていうんだって」
「ふぅん。聞いたことないな」
聞いたことがあってもきっと思い出せないだろう。レンは美人と言われてもあまりピンと来なかった。「美しい」という装飾の上に、さらに「すごい」とついている時点でレンの頭の中ではこんがらがっている。
「みんな、ミヤビさんみたいになりたいって言ってるよ」
「アカリもそうなのか?」
尋ねるとアカリは少し迷うような間を漂わせてから中空に視線を固定して首を傾げた。
「わたしは、それほど。憧れる気持ちは分かるけど、なりたいと思ってたって結局、有名人だからね。近づけない部分はあるよ」
「なんだ。結構、現実的なんだな」
「みたいだね」と返してアカリは微笑んだ。レンはその顔を見ることができずに目を伏せる。アカリからしてみればレンは仏頂面をしているとっつきにくい人間かもしれない。しかし、その距離感でいいのだ。逆にそれ以上歩み寄ってはならないとレンは感じていた。
アカリは充分魅力的だよ、なんてきざな言葉を発するのもおかしい。レンは黙っていた。アカリも黙っていたがその沈黙がお互いの居心地のいい距離だった。
ミャオが一声鳴いて、二人は別れることにした。また明日、なんて言葉は使えない。学校を辞めたレンとアカリとでは言葉にはしなくとも隔たりがあった。
「じゃあね」とアカリが手を振る。その言葉がきっと適切だろうとレンも同じ言葉を返した。
「じゃあな」
アカリが通りを曲がるまで見届けてから、レンは足元にいるミャオへと話しかけた。
「今日は大人しかったな」
「レン君も久しぶりにアカリちゃんと話したいだろうからね。このミャオさんは空気を読んでいたのです」
ミャオはえっへんと胸を張る。
「猫にも空気読めるんだな」
ちらりと目配せするとミャオはぷいとそっぽを向いた。
「レン君ってば、意地悪」
「冗談だよ。ミャオ。さっきので足りるのか?」
「ご飯のこと? まぁ、猫の状態の時はあれでも結構、充分な量だけど」
レンは昨夜、たらふく食べていたミャオを思い返し、その量と猫缶の量を頭の中で比べたが、どう考えても釣り合わなかった。
「まぁ、お前の腹の不思議はさておくとして、今日、事務所に人来たか?」
レンの声にミャオは首を振った。
「全然。春日さんもやっぱり来ないし。本当に一週間忙しいみたいだね」
「春日も来てないか。だったらやっぱり明日も俺が行くしかないみたいだな」
「高畑さんのところ? レン君も大変だね。今日も何かあったの?」
「うん。まぁ。どうやら俺には物の気持ちが分かってないんだと」
レンの言葉をミャオは咀嚼するように何度か頷いた。
「物の気持ち、ねぇ。あたしは妖怪だから、物の気持ちとか言われると物に宿る神様とか想像しちゃうけどな」
「物に、か。如意棒にもそういうのがあると思うか?」
レンの質問にミャオは前足で猫缶をいじりながら、「どうかなー」と曖昧な返事を寄越す。
「如意棒はあれで一応、法具だから。それにオリジナルじゃないんでしょ? だったら、宿るか宿らないかはいまいち分からないなぁ」
「法具って何だ?」
その言葉にミャオは顔を向けて、「知らないの?」と問いかけてきた。「知らない」と返すと、ミャオはため息をついてから話し始めた。
「儀式とかで利用される道具のことだよ。僧侶の人とかが持っている奴。錫杖とかと分類上は同じだね。でもオリジナルの如意棒って元々測りでさ。西遊記の伝説で使われているってことぐらいは知っているよね?」
「ああ、孫悟空が振り回している奴だろ」
「元々は海の重りなの。深さを測るためのね。だから本来の用途とは随分と離れているんだけど、孫悟空が使ううちに妖怪を祓い清める武器としての存在感が勝っちゃったんだよね。だから、今は単なる武器」
ミャオの言葉にレンは疑問符を置くように首を傾げた。
「何だよ。じゃあ元々は武器じゃないのか。どうして武器としての存在感が勝つとそうなっちゃうんだ?」
「歴史ってのはそういう風にできているの。色んな人の手に渡って、色んな人が解析していくうちに意味が変わるなんてよくあることだよ。今の如意棒は法具で武器ってこと」
「ふぅん」とレンが分かったのか分かってないのか曖昧に返す。ミャオの言っていることの大体は分かるが、だとしても武器に魂がある説明にはなっていない。
「じゃあ、如意棒には魂はないのか?」
「どうだろうね。如意棒が喋れたら話は別だけど、そういうことがあったわけじゃないんでしょ? どちらにしろ使うのはレン君なんだから、レン君のいいように解釈すればいいんじゃない?」
それはその通りなのだが、何だか釈然としなかった。レンが納得しかねているのを察したのか、ミャオはため息をついた。
「あたしに難しい話は聞かないでよ。春日さんにして、そういうのは」
ミャオは身を翻し、裏通りの中へと歩いていく。その姿を止める言葉も見つからず、レンはその場に立ち尽くした。
ミャオの姿が完全に見えなくなってから、ようやくレンは家路についた。今日は西垣と会うことはなく、レンは夕食を取った後、部屋の中央で如意棒を手にした。数珠は外して机の上に置いてある。拳二つ分の長さで手の中に収まっている如意棒を眺めながら、レンは考える。
武器の魂とは何か。どうすれば扱えるのか。瞳を閉じ、レンは瞑想した。右手に数珠を巻いていないせいか、如意棒に流し込まれる前に思惟が遮断されている感覚がする。右手に持った如意棒が単なる石の棒として知覚されている。数珠があったところで今までもそれは同じだった。自分の身体の一部としてなど考えたこともなかった。
――でも、今は。
レンは右手と如意棒とを一続きに感じようとする。右手が如意棒に溶け、如意棒が右手の一部となっていくイメージを頭の中に描く。ぐっと強く目を閉じると同時に如意棒を握り締める。溶けた知覚が混ざり合い、渦をなし、一瞬、黄金の光が瞼の裏で発した。慌てて目を開けると、如意棒はただの石の棒として手の中にあるだけだった。
「今の、か?」
確証のない呟きが漏れる。黄金の光も錯覚かもしれない。だが、今の一瞬、右手の知覚と如意棒が一体化させられたような感じを受けた。
レンはしばらく同じことを続けたが先ほどのような感覚は得られず、その日は早めに眠ることにした。