「金海市は晴れ。撮影日にも雨は降らないだろうって天気予報で言っていたよ」
マネージャーの言葉にミヤビは顔を振り向けた。ロケバスに揺られながら金海市を目指す道中、ミヤビはほとんど窓の外に意識と視点を向けていてマネージャーの言葉やスタッフの言葉をほとんど聞いていなかった。
「聞いてるか? 撮影場所の邸宅の許可は下りている。あるんだろ、いつもの奴が」
「ああ、土地神に挨拶する奴か」
前の席に座っていた放送作家が振り返った。ミヤビの番組では何度か世話になった顔だった。
「あれ、結構反響いいんだよね。力を過信することなく、敬虔な態度で接する巫女って感じで。そうですよね、プロデューサー」
プロデューサーは一つ頷いただけで何か言葉を返そうとはしなかった。ミヤビのことは視聴率の取れる客寄せパンダ程度にしか思っていないのだろう。そんなものに感情を寄せるのは無駄だと考えているのだ。次のニーズがやってくればそれを取り上げる。前のニーズは可燃ごみよりも容易く捨てられてしまう。それがこの世界の常だった。もてはやされているのは今だけだ。それに「桐坂ミヤビ」というキャラクターに人気があるだけで、個人には何の興味もないというのが実のところだろう。キャラクターの人気と人間性の人気は全く関連しない。
「土地神だったら金海神社に行く計画が立っている。金魚が御神体なんだそうだ。珍しいだろ?」
「そうね」とミヤビは気のない返事をした。土地神への挨拶など単なるパフォーマンスだ。実際に土地神が介入してきたことなどない。それこそ、ミヤビのキャラクターを維持するためだけの企画だった。
「もっと覇気を持ってくれよ。そうじゃなきゃ、うまくいく仕事もうまくいかなくなる。衣装の手配も済んでいるから。いつもの巫女服に祭礼の道具。除霊の時の小道具もすぐに届くから、今日中にチェックしておくよ」
小道具、とマネージャーは口にした。実際そうなのだから言い返す口もない。所詮は茶の間を満足させ、桐宗の体のいい宣伝をするための手段なのだ。桐宗はこの番組を維持するためにどれだけの金を払っているのだろう。ミヤビには想像もつかない世界だが、そのような世界があることだけは知っていた。有名になればなるほどに、きな臭い世界が浮き彫りになっていく。
「金海市にはあと一時間もすれば到着するけど、まずはホテルに向かってもらう。ロケ地の下見をするのは明日だ。できるなら僕もついていきたいんだが、明日は邸宅の下見と重なっていてね。何人か見張りをつけるから、君だけで金海神社に行ってくれるか」
「子供じゃないんだから一人で行くわ」
「でも君はもう有名人だ。ばれて囲まれでもしたら面倒だろう。二人ほど頼んでおくよ」
自分は要人でもないのに見張り付きか、とミヤビは自嘲した。桐宗にとってはしかし要人クラスの意味があるのだろう。自分がいなくなれば一時的にでも巫女の席は空くことになる。どうせすぐに代わりが手配されるだろうが、その一時的な問題さえも抱え込みたくないのが実情だろう。
自分の存在意義は何なのだろう。何故、ここにいなければならないのか。信者のためか、血の繋がらない父親のためか。テレビを通して応援してくれる大衆のためか。どれに対しても、自分は真実の顔を向けてはいない。上っ面に塗りたくった厚化粧の仮面が、見る対象によって変化するだけだ。仮面は消えることはない。
邸宅が位置するという高級住宅街を抜けると金海市の中心街へと入って行った。金魚の提灯が軒先にぶら下がっており、御神体が金魚ということがようやくピンと来た。ロケバスはそのまま中心街を抜け、ホテル街へと入っていく。金海市は中心街から見て南西にホテルが密集していた。ミヤビはその中の一つのホテルで降ろされ、チェックインを済ませて部屋まで案内された。桐宗の見張りが既に二人ついている。マネージャーは部屋に入ってくると、予定を確認した。
「僕は明日の朝から出なきゃいけないから、君はお昼頃に出るといい。出る時と帰ってくる時には僕に携帯で連絡入れて。一応、邸宅内は圏内だから繋がると思う」
幽霊騒ぎで困惑している邸宅でも電波が繋がるという事実にミヤビはどこかおかしさを覚えたが言わないでおいた。
「それで金海神社までの地図なんだけど、これ」
マネージャーが四つ折にした金海市の地図をミヤビに手渡す。ミヤビは地図を広げた。金海神社の場所が赤くマーキングされている。
「地図の見方は言わなくても分かるよね」
マネージャーの言葉にミヤビは不機嫌そうに応じた。
「馬鹿にしないで」
「そりゃ、よかった。見張りの二人が後ろからついて行くけど気にしないで欲しいそうだ。じゃあ、僕は明日の打ち合わせがあるからこれで。ゆっくり休むといい」
マネージャーが部屋から出て行くと、ミヤビはベッドに仰向けに寝転がった。天井を眺めつつ、額に腕を翳して呟く。
「……何やってんだろ、私」
時折、やってくるこの感覚は風邪のようなものだった。一過性だがこじらせるとこの仕事自体がまずくなる。疑問を深くまで追及してはならない。考え過ぎれば全てが馬鹿馬鹿しくなるのは目に見えている。ミヤビは気分を変えるためにシャワーを浴びることにした。水滴が身体に当たるたびに、何のためにこの身体があるのか疑問が浮かぶ。この身は実際にここにあるのにもかかわらず、現実感が伴わない。ミヤビという人格がこの身体に入っていなくとも、自動的に動きさえすれば問題ないのではないかと思わせられる。
「魂のない、人形か」
見た目さえあれば、誰も文句は言わない。ミヤビが規定されたキャラクター上でさえ動けば、中身があろうとなかろうと関係がない。ならば、この身体の中にある「桐坂ミヤビ」という人格は意味があるのだろうか。消えても、誰も問題にしないのではないか。ミヤビは自身の身体をかき抱いた。ここに確かにあるのは身体だけだ。思いも、人格も、目に見えないし触ることもできない。誰も頓着しない自分は果たしてここにある意味はあるのだろうか。
シャワーの水滴ががらんどうの身体を叩きつける。温かいはずのシャワーが、突き放すような冷たい雨に感じられた。
事務所に赴くと、春日がちょうど冷蔵庫から金海羊羹を出しているところだった。レンは昨日のことを思い出し、胸糞悪そうに顔をしかめた。出会い頭に妙な顔をしたからか、春日が首を傾げた。
「どうしたんです? レン君。僕が何かしましたか?」
「……別に。春日。高畑のジジィから受け取ったもんがある。執務机に置いておいた」
その言葉に春日が「ああ」と頷いた。
「確認しておきました。レン君、何をしたんですか?」
「何を、って何だよ?」
アカリにしたことが思い出され、レンはびくりと肩を震わせる。春日は眼鏡のブリッジを上げながら、「いやはや」と言葉を発する。
「あれほどのものをいただくなんて、滅多にないんですよ。高畑さん、あれでどうして気難しいですから」
そんなに価値があったのだろうか。レンはほとんど見ていないので分からなかったが、どちらにせよ手元に置いておきたくなかった。
「知るか。あれのせいでこっちは酷い目にあった」
「でも高畑さんはレン君のことを気に入ってくれたでしょう。言った通りじゃないですか。きっと仲良くできるって」
「仲良くして得したのはお前だ。それも俺の言った通りだろうが」
それとも春日は全て見透かしていたのだろうか。如意棒の製造者が高畑であったことはもちろん知っていただろう。だがレンが高畑に学ぶことまで予想されていたのだろうか。そうだとしたならばとんだ食わせ物だった。春日は後頭部を掻きながら、「参りましたね」と言った。
「レン君の機嫌を損ねちゃいましたか。しかし、得るものはあった。違いますか?」
春日の言葉にレンは顔を背けた。そのまま事務室の中央のソファまで歩き、どんと座り込む。その時、目の前のソファにミャオが猫の姿で寝転がっていることに気づいた。
「何で今日は人間の姿じゃないんだ?」
「結構、疲れるみたいですよ、人間の姿も。何もかも忘れて眠りたい時は猫の姿になるそうです」
「まぁ、猫のほうが気楽そうだしな」
ミャオの二股の尻尾がゆらゆらと揺れている。起きているのか、と思い尻尾へと手を伸ばした。掴んで引っ張った瞬間、ミャオは全身の毛を逆立たせた。思わず、レンは手を離すとミャオは猫の声を出してソファから飛び降りた。そのまま春日の後ろに隠れたかと思うと、人間の姿になってゆっくりと立ち上がり、レンを恨めしそうに見つめた。
「……寝こみを襲うなんて。レン君、サイテーだよ」
びしと人差し指で指される。レンは困惑しながらも、弁解しようとはしなかった。
「誤解を招くような言い方をするな。尻尾を出して寝ているのが悪いんだろ」
「そりゃ、尻尾くらい出るよ。猫だもん」
「普段はそんなこと言わないのに、都合のいい時は猫なんだな」
レンの台詞にミャオは地団駄を踏んで春日に向き直った。
「春日さん! レン君がいじめるんだけど!」
「僕に言われましても。レン君。ミャオさんが困っていますよ」
「知るか」とレンは背凭れに体重を預けた。するとミャオが口元に手をやって笑みを浮かべながら呟く。
「アカリちゃんにも軽蔑されちゃったしね。女の子に嫌われる運命なのかな、レン君は」
その言葉にレンは目を見開いて立ち上がり、ミャオへとつかつかと歩み寄った。ミャオは猫に変化してするりと身をかわす。ミャオを捕まえようとレンが呻り声を上げて飛び掛る。ミャオがぴょんと跳ねて、レンが執務机の書類へと頭から突っ込んだ。書類や猥雑な絵が舞い散り、春日が慌てふためく。ミャオがソファの下に隠れる。猫の姿でなくてはできない行動だった。
「どういうことですか?」と春日が尋ねるので、レンは仕方なく事のあらましを伝えた。春日は「ふむふむ」と頷いて聞いていたが、やがてため息をついた。心底参ったとでも言うように額に手をやり、首を振って、
「レン君、それは君の不注意でしょう。僕や高畑さんに責任を求められても困ります」
「何だよ。こういう時は擁護してくれないのか?」
「そりゃ、僕も我が身可愛さがありますからね」
「薄情者め」とレンが吐き捨てると、春日は、「褒めても何も出ませんよ」と言った。褒めていないと返そうかと思ったが、どうせうまくかわされるだけだと思ったのでやめておいた。
「で、朝から羊羹持ち出して、何しようっていうんだ?」
春日が紙袋に金海羊羹を一つ、詰めているのを顎で示す。春日は視線を羊羹の入った紙袋へと流すと、「ああ」と応じた。
「これから高畑さんのところに行こうかと思っているんです。昨日貰った物のお礼と、あとは三日間顔を出せなかったことへのお詫びですかね。レン君も来ますか?」
レンは昨日高畑と交わした言葉が思い出されて眉をひそめた。こんなことになるのならば、いい別れを演出するような台詞を吐くのではなかった。レンの中で高畑との出会いと別れは記憶の最下層に入れたい思い出だった。
「……いい。俺は遠慮する」
レンの言葉に春日は微笑んだ。
「そう言うと思っていたので、今日のレン君は非番です。ミャオさんと街をぶらついたらいかがですか?」
「ミャオと?」
レンがミャオへと視線を向ける。ミャオはソファを壁にしてレンの様子を窺っているようだった。背凭れの上から人間形態のミャオが猫耳と目だけを覗かせている。レンはため息をついた。
「他に用事はないのかよ」
「特に大した用は。かげおどし退治はまだ無理でしょう?」
春日の言葉にレンは顔を背けた。本当に春日は三日間用事があったのだろうか。高畑に学んだことまで全て見透かされているようだった。怪訝そうな目を向けると、春日は既に外出の準備を整えていた。
「ミャオさんとレン君は適当に過ごしていてください。事務所の鍵はミャオさんに預けておきますので、出る時は閉めていって構いません。今日は天気もいいので、散歩にはちょうどいいですよ」
「散歩って、ジジィかよ」
「失礼。若いお二人ならばデートと言ったほうがいいかもしれませんね」
「デート?」とミャオが目を輝かせてソファから顔を上げる。レンは顔をしかめてその言葉に返した。
「猫とデートしてどうすんだよ。大体、若い二人ってこいつは何十年も生きてんだろ。若くないだろうが」
「えー。レン君、あたしはまだぴちぴちだよー」
ミャオがソファの上でばたばたと跳ね回る。レンはその様子を遠巻きに眺めた。春日は二人を見て笑っている。自分は蚊帳の外だとでもいうような部外者の笑みにレンは苛立ちを募らせた。
「確かに若いならぴちぴちなんて言い方は使いませんね」
「もぉー。春日さんまで」
ミャオがソファの上で起き上がって背凭れに寄りかかる。春日は微笑んで扉に手をかけた。
「では、僕は行ってきます。明日からはまた入っていただくのでそのつもりでお願いしますよ。レン君、高畑さんに言うことはありますか?」
「くたばれジジィ、とでも言っておいてくれ」
レンの暴言に春日は苦笑を漏らした。
「僕の立場が危うくなりますのでご勘弁を。それでは」
春日が出て行った後、レンとミャオは顔を見合わせた。何をすべきか、という無言の見つめ合いに何を思ったのかミャオはぽっと頬を染めた。
「レン君。そんなことはさすがに……」
ミャオがソファの上で身体をくねらせる。レンは異物でも見るような目を向けた後、「馬鹿猫が」と吐き捨てた。その言葉を聞きつけたミャオがソファを壁にしてレンに抗議する。
「馬鹿って何? レン君がいやらしい想像するからでしょ? だからアカリちゃんも引いちゃうんだよ」
「してねぇし。あれは事故だ」
レンが言い返し、窓の外に視線を転じる。春日の言う通り、外は晴天だった。目を凝らせば外宇宙まで見通せそうなほどに澄んだ青空が広がっている。夏のように重たく、体力を奪うような青空ではない。ピッケルでもあれば砕けそうなほどに脆く、薄い膜として感じられた。
「外にでも出るか。いい気晴らしになりそうだ」
ミャオに顔を振り向けると、ソファ越しに頷きが返ってきた。