妖魔世界図   作:オンドゥル大使

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第17話「偽りの巫女」怨霊調伏篇

 

 猫の姿でミャオが前を歩く。レンはその後ろからゆっくりとついていった。表通りはさほど賑わっていない。金海市は夏前に来客のピークを迎えるので、本格的な夏になる直前辺りは人通りも減ってくる。金魚の提灯が太陽の光を透過して、地面に赤い光を映し出している。それを踏みしめて、レンは軒を連ねる店を見て回った。ミャオを連れているので店の中までは入れない。レンは歩き出す前にミャオとした会話を思い出す。

 

「どうして猫の姿なんだ?」

 

 裏通りでミャオが猫の姿に変化したので、レンが尋ねるとミャオは顔を伏せて言った。

 

「人間の姿でレン君とデートしたいのはやまやまなんだけど、あたし人混み苦手だから。なんかの拍子に尻尾でも挟まったら猫の姿に戻っちゃうし、そうなると面倒でしょ」

 

 人混みが苦手なことは初耳だったのでレンは「そうなのか?」と尋ね返した。ミャオは残念そうに頷く。

 

「うん。どうにもね。人通りが少なくなる夜とか裏通りでなら平気なんだけど、真っ昼間の表はやっぱり歩けないよ。そこら辺、妖怪なんだろうね」

 

 そういうものなのか、とレンは思いながら表通りを歩くミャオの姿を見下ろした。妖怪だということに負い目でも感じているのだろうか。普段のミャオからは想像できないことだけにレンは結論を出し渋った。妖怪というものはやはり胸を張れる存在ではないのだろう。誰が決めたわけでもなく、存在を認められた当初からある暗黙の了解なのかもしれない。ミャオに尋ねようとしても、今は普通の猫だ。二股の尻尾も隠している。当然、いつものように人語を話すわけにもいかない。

 

 レンは視線を巡らせていた。ミャオと歩くといっても何もないのではつまらない。どこかで猫缶でも調達しようと思ったのだ。ちょうどコンビニが対角線上にあったので、横断歩道の前で足を止める。ミャオも行儀よくその場で足を止めていた。レンが顔を上げ、信号を確認する。もうすぐ青になるようだった。車の走り去る車道に目を向けると、横断歩道の向こうに立っている人影を見つけた。すらりとした長身に長い髪を後ろで一つに括っている。高級そうなスーツを着込んでおり、OLかと思われたがそれにしては立ち振る舞いが浮いている。どこかの会社の社長秘書か、と勝手に結論付けてレンは信号に視線を転じた。青になり、人々が横断歩道になだれ込む。レンはミャオと共に歩き出した。ミャオを見ているので必然的に足元を見て歩くことになる。そのせいか、目の前まで近づいてきた影に話しかけられるまで気づかなかった。

 

「あの……」

 

 その声に顔を上げると、先ほど社長秘書と判断した女性が立っていた。見ればサングラスをかけており、視線は読み取れない。レンは怪訝そうに目を向けて横断歩道の真ん中で周囲を見渡した。「あなたです」と言われてようやく自分に話しかけられていることに気づく。

 

「何ですか?」

 

「金海神社がどこか知りたいの。地図はあるんだけど私、方向音痴で。案内してもらえると嬉しいんだけど、いいかしら?」

 

 金海神社と言えば今向かっている方向とはちょうど正反対の方向だ。ミャオへと確認の視線を送る。ミャオは頷いた。特に他にする用事があるわけでもない。人助けくらいはいいだろう。

 

「いいですけど、ちょっと遠いですよ」

 

「ありがとう。それともう一つ」

 

 女性はレンの耳元へと口を近づけて囁くように言った。

 

「私、二人の人間に見張られているの。撒きたいから協力してもらえる?」

 

 突然の提案にレンが狼狽した声を出した。

 

「何で俺がそんな――」

 

「お礼ははずむから」

 

「そういう問題じゃなくって、急にそんなこと言われても困るんですよ」

 

 レンは言いつつも女性の背後を気にする。人混みの中に確かに黒いスーツを着込んだ二人組が見えた。気配を殺して近づいてきているが、まだ横断歩道にも出ていない。信号機に視線を向ける。青信号が点滅していた。

 

「とにかく、金海神社までもそういうお願いも他の人にしてくださいよ」

 

 身を翻そうとしたレンの手を女性が不意に掴んだ。思わず振り返ると、女性が切迫した声で言葉を発した。

 

「お願い。逃がして」

 

 逃がす、という言葉の響きがレンの脳裏で形を結ぶ前に、青信号の点滅が消えかけるのが目に入る。どうするべきか、という逡巡を浮かべる暇さえない。レンは舌打ち一つで迷いを打ち消した。

 

「来い!」

 

 レンは女性の手を引いて、来た道を引き返す。赤信号が黒スーツの追っ手の足を止めたはずだが確認するような暇はなかった。足元から躍り出たミャオが先導し、裏通りへと折れ曲がる。レンはそれを追って走った。裏通りのことならばミャオのほうが知っている。ミャオの導くとおりに走れば相手を撒けるはずだった。しかし、と走りながらレンは考える。どうしてこの女性はレンに助けを求めたのだろう。どうして見張られていたのだろう。

 

 社長秘書というイメージを頭の中で書き換え、レンは視線を振り向けた。女性はその視線に気づくことなく、必死についてきている。訊くのは完全に撒ききってからだ、と思いなおしたレンは前方に視線を据えた。ミャオが一瞥を送り、新たな道へと入る。迷路のような裏通りを二人と一匹は駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてそんなことを言ったのかはミヤビ自身にも分からなかった。

 

 度重なるストレスが原因だったのかもしれない。金海神社に挨拶に行くだけだというのに二人も見張りがついていることが耐えられなくなったのかもしれなかったが、今までだって見張りはついていた。ならば、やはり自分の中に蓄積していたわだかまりがこの瞬間に自覚させられたということなのだろう。横断歩道の向こう側にいた少年は足元にいる胡桃色の猫へと視線を向けていた。まるで猫と散歩でもしているように。赤毛の少年で背が低かった。

 

 頼りになるとは言い難い。しかしミヤビは惹きつけられるようにその少年へと声をかけていた。少年はミヤビへと怪訝そうな目を向けていた。無理もない。突然、横断歩道の真ん中で話しかけられれば誰だって戸惑う。逃がしてくれ、というのも無理な願いだった。どうしてそんな言葉が口からついて出たのかは分からない。ただ少年ならば自分を逃がしてくれるかもしれないという甘い考えが過ぎったのは事実だ。少年の持つ研ぎ澄ましたような鋭さがそれを決意させたのかもしれない。

 

 身に不釣合いな鋭さ、まるで抜き身の刀のように危うく、それでいて人を惹きつける魅力を持つ。少年の手を握ってまでそれにすがろうとしたのは、自分が本当に限界に達していたのだろう。そのことに気づかなかったわけではないが、見ないようにはしてきた。それが顕在化したのは少年の鋭さがミヤビの巧妙に隠した仮面を断ち割ったからかもしれない。

 

 手を引かれて走る中、ミヤビは鼓動が高鳴っているのを感じていた。今までどんなことでも無感動だった自分が少女のようにときめいている。そのことが不思議で、ミヤビは少年から離れないように手をしっかりと握っていた。裏通りをしばらく走ると、河川まで辿り着いていた。金海市を南北に割る金海河である。その河にかかる橋の袂で二人は息を整えていた。地図で見た表記を思い出し、ミヤビは河を眺めた。少年が肩で息をしながら、ミヤビへと話しかける。

 

「ここまでは追ってこないだろ。これで満足か?」

 

 少年の声音はどこか突き放すような冷たさがあったが、同時に本心から心配してくれているのだということも感じさせられた。一つの言葉の中に矛盾をはらんだ少年の在り方にミヤビは笑みをこぼす。

 

「ええ。ありがとう」

 

「どうして笑っている? そんなに逃げるのが楽しかったか?」

 

「まぁね」と誤魔化すと、少年は鼻を鳴らした。

 

「勝手なもんだ」と足元の石を蹴りつける。転がった石が河へと落ちて、小さく水音を立てた。波紋がゆっくりと広がっていく。少年の姿は改めて見るとやはり小柄だった。中学生だろうか、とミヤビは考える。画材ケースを背負っており、もしかしたら文化系の人間なのかもしれないと思った。

 

「絵、描くの?」

 

 画材ケースを指差して尋ねると、少年は首を振った。

 

「いや。描かない。つうか関係ねぇだろ」

 

 少年の言葉はどこまでも冷淡だった。ミヤビはサングラスを外して少年を見やる。少年はミヤビがサングラスを外しても、「桐坂ミヤビ」であると気づかないようだった。「で、どうすんだ」と声をかけられ、ミヤビは一瞬戸惑った。

 

「どう、って?」

 

「あんたが金海神社に行くこと、見張っている奴らは知ってるのか? だったら金海神社に行けば捕まりに行くようなもんだ。これからどうする? それでも金海神社に行くか。それか――」

 

 少年は足元の猫へと視線を向けた。思えばこの猫が先導してくれていたような気がするが、まさか、とミヤビは考えた。猫がそんなことまで理解できたとは思えない。しかし、少年は猫をじっと見下ろしている。何かの意思を汲み取ろうとしているかのように。猫が河川敷に向けて歩き出した。少年はそれを見てから、ミヤビへと視線を向けた。

 

「しばらく散歩でもするか、だ」

 

 少年の言葉にミヤビは頷いた。

 

「じゃあ、散歩しましょう」

 

 猫が前を歩き、少年とミヤビは並んで河川敷を歩いた。猫は時折二人へと振り返った。何かを気にしているように見えたのは気のせいだろうか。沈黙が耐えがたく、ミヤビは少年へと話しかけた。

 

「君、歳はいくつ?」

 

「十五だ。もうすぐ十六だけど」

 

「じゃあ、高校生なんだ」

 

 中学生だと判断していたことはさすがに言えなかった。少年はミヤビの言葉に表情を少し翳らせた。

 

「……もう高校生でもないけどな」

 

「え? どういうことなの?」

 

「何でもない。独り言だ」

 

「……冷たいなぁ」とミヤビは唇を尖らせる。少年は鼻を鳴らして、「他人のことばかり気になるんだな」と言った。辛辣に聞こえる言葉に、ミヤビは「まぁね」と軽く返した。

 

「一応、助けてくれた人だし、お礼もしたいから色々聞いておこうと思って。この辺に住んでるの?」

 

「それこそ個人情報だろうが。何で会ったばっかりの人間に言わなきゃならない」

 

「あとでお礼の品でも送ろうかなって」

 

「いらねぇし。それにあんた自分のことは話したがらないんだな」

 

 その言葉にミヤビは足を止めた。少年が少し前を歩いてから振り返る。猫も同じように立ち止まった。ミヤビは顔を伏せて、少年へと言葉を返した。

 

「……話したくないんだ。自分のこと、好きじゃないから」

 

 少年は話の糸口を掴みかねているように後頭部を掻きながら中空に視線を向ける。遠くで車のエンジン音が聞こえた。

 

「だったら、他人のことだけ聞くのはずるいじゃねぇか」

 

 少年の言葉にミヤビは首肯した。自分はずるいのだ。誰かのことは知りたいけれど、自分のことは言いたくない。仮面で繕っている自分の素顔を見られるのが嫌でたまらない。そのくせ、仮面を被っているという自己嫌悪の念を拭うことができない。どっちつかずの身を持て余し、ミヤビは項垂れるしなかった。

 

「ずるいよね、やっぱり。私」

 

「だな。でも、いいんじゃねぇか、ずるくても」

 

 少年の言葉にミヤビは顔を上げた。少年は空を見上げながら、独り言のように呟く。

 

「正々堂々ばかりじゃ疲れるだろ。人間、誰でもすっぴんで顔をつき合わせられるわけじゃねぇし、ずるさを悪い方向に使わないのならいいんじゃねぇかな。多少のことは目を瞑るくらいで」

 

 少年の答えはミヤビにとっては意想外のものだった。ずるさを是とするわけでも否とするわけでもない。ただ、人間にあってもおかしくない要素として受け止めている。その在り方にミヤビは胸中に灯火のような温もりが広がったのを感じた。初めて認めてもらえた、そう感じさえした。

 

 ミヤビは微笑んで、「いいこと言うじゃない」と言った。少年はミヤビと顔を合わせないように空を見上げて、「適当だよ」と返す。ミヤビはまた歩き出した。少年もそれに並んで歩き出す。

 

「じゃあ、私のことを話してもいい?」

 

「無理すんなよ」

 

「話したいから話すの」

 

 そう言うと少年はぶっきらぼうに、「好きにしろ」と応じた。今だけは少年の冷たさもありがたい気がした。

 

「私はね、桐宗って言う宗教法人の巫女なの。その巫女としてずっと仕えてきた。でも最近、ふと思うんだ。何の意味があるんだろうって。名前も呼ばれない、ただそこにあればいいだけって言う役割に、私が収まっている意味とかしがみついている理由とか何だろうって。君だけに言うけれど、私、見えるんだ」

 

「見える? 何が」

 

「幽霊とか、妖怪とか。人ならざるものが」

 

 その言葉に少年は足を止めた。今度はミヤビが少年へと振り返った。少年は険しい表情でミヤビへと聞き返した。

 

「本当か?」

 

 その声音が今までと違うものだということにミヤビは気づいた。触れてはならぬ一線に触れたような、肌をちりちりと焼く緊張感にミヤビは頷いた。

 

「本当よ」

 

「なら、ここには今、幽霊や妖怪はいるか?」

 

 ミヤビはその言葉に周囲を見渡した。適当に誤魔化すこともできたが少年の声は真剣そのものだった。ミヤビは視界の中に探す。しかし、何も捉えられなかった。少年へと向き直り、首を横に振ると、少年はため息をついた。ゆっくりとミヤビへと踏み出し、「俺は」と口を開く。

 

「ずるいのは、別にそれでもいいと言った。でもよ、偽ることがいいとは言ってねぇ」

 

 その言葉にミヤビは心臓を鷲掴みにされた気分に陥った。一瞬、呼吸すら忘れて少年を見つめる。少年の顔には影が差していた。太陽が雲に隠れ、光を覆い隠す。

 

「偽ることは他人だけじゃない、自分も駄目にする。偽っているうちに本当の自分が分からなくなる。偽る日々には、妥当な結果なんてついてこない。負い目とか、そういうことを言ってんじゃない。偽ることで自分が死んでいくんだ。ゆっくりと、確実に腐っていく」

 

 少年の言っていることがミヤビには分からなかった。しかし、何か真に迫るものを感じて後ずさる。少年はミヤビの横を通り抜け、静かに言った。

 

「橋の上に一体。河の隅に二体。それとあんたの後ろ、俺の目の前に一体」

 

 少年の声にミヤビは指示された方向に目を向けた。最後に振り返って少年を見やる。その視線の先には猫がいた。猫の背後からゆらりと尻尾が持ち上がる。その尻尾は二本あった。ミヤビは目を慄かせて一歩、後ずさる。少年はミヤビへと顔を振り向けて言葉を発した。

 

「偽ることも、全て悪だとは思わない。でもよ、嘘ついてまでそうしている意味、あんのか?」

 

 ミヤビは見透かされていることを自覚した。胸元を押さえ、呼吸を整えようとするが無理だった。少年の鋭い双眸がミヤビを射抜く。その罪まで暴こうとするかのように。ミヤビは耐え切れずに背中を向けた。

 

「……金海神社に行くわ」

 

「一人で大丈夫か?」

 

「私は、元々一人だもの」

 

 ミヤビは歩き始めた。少年とならばもしかしたら分かり合えるかもしれないと思っていたが、それは甘い認識だった。自分を変えない限り、誰も自分の名前も呼んでくれない。必要ともしてくれない。ミヤビは橋へと目を向けた。

 

 その視界に少年の言ったものは見えなかった。偽り。その言葉が脳裏に浮かび、ミヤビは歯噛みした。

 

 

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