事務所に赴くと、春日が執務机について作業をしていた。書類を選り分け、何かを書き記している。ミャオはソファに人間の姿で寝そべっていた。「行儀悪いぞ」と声をかけると、ミャオはゆっくりと顔を上げた。レンを認めると、慌てて佇まいを正し笑顔を作る。レンはため息をつきながらソファに腰掛けた。
「疲れているんですか?」
春日がレンに尋ねる。レンは昨日のことを言おうか迷ったが、言わないでおいた。
「いや、別に」
「なら、頼みたい案件があります」
書類を一つ、レンへと差し出す。ミャオが中継してレンへと手渡した。書類に目を通すと、写真と細かい文字が羅列されていた。写真に写っているのは古めかしい洋館に見えた。レンは高級住宅街の一角にあった森林のような区画を思い出す。
「高畑の家の近くじゃねぇか」
レンの声に春日は、「ええ」と頷いた。記されている文字群に目をやると、住所も金海市とある。レンが気にしていた森林の場所に間違いないようだった。
「今回はちょっと珍しいケースなんです」
「珍しい?」
「妖怪と人間、両方からの依頼です」
春日の言葉にレンは眉根を寄せた。どういう意味なのだろうか。まさか妖怪と人間が一緒になって依頼してきたということではあるまい。
「偶然重なったのか?」
「そうなりますね。依頼者のことは下のほうに書いてあるでしょう」
レンは書類の下へと視線を流した。妖怪の依頼者と、人間の依頼者について書いてある。その中の、人間の依頼者のほうにレンは目を留めた。
「これ、テレビ局の名前だけど」
「そうなんですよ。今回はテレビ局からの依頼です」
レンは疑問を浮かべるように沈黙を置いて、顎に手を添えた。春日が補足説明をする。
「何でも除霊番組をする前の下調べをして欲しいとのことです」
「そんなの、向こうが勝手にやりゃいいだろ」
俺たちの仕事じゃない、と言い捨てようとするのを、春日が押し止めるように言った。
「確かに僕らの仕事じゃありません。でも、今回はちょっと断れない事情がありまして依頼を受けたわけです」
「何だよ、断れない事情って」
「まぁ、単純な話、知り合いがいるからなんです」
春日の言葉にレンは目を丸くした。春日の知り合いなど怪しい連中ばかりでテレビ局のような日の当たる場所にいるとは思えなかったからだ。レンの表情を読み取ったのか、春日が抗弁の口を開く。
「僕の知り合いは、怪しい人間ばかりじゃないんですよ」
見通したような言葉に、レンは再び書類に視線を落とした。知り合いの名前までは書いていない。
「俺が行かなきゃならねぇのか?」
訊くと、春日は頷いた。
「もちろん、レン君には協力してもらいます。うちの社員ですからね。ただ、今回ばかりは僕も同行します」
「珍しいじゃん」
「それだけ重要度が高いということですよ。あとは報酬も結構高いんです。もしかしたら冬の電気代を節約する必要はなくなるかもしれません」
それならばありがたい、とレンは思ったが、同時にこの依頼について深く考えていた。テレビ局の下調べということはもしかしたらミヤビに会うことになるかもしれない。除霊番組、ということならばもしかしたらなどという確率ではないかもしれないが、できれば会いたくはなかった。昨日、あのようなことを言った手前、まともに顔を合わせられる気がしない。
「なぁ。これってメインキャストの奴らは来るのか?」
「多分、一部だけだと思いますよ。司会進行のアナウンサーだとかは来ないでしょうけど。どうしてですか?」
「いや、別に」
「テレビに映りたくないでしょうから、それでいいでしょう」
春日の言葉には同意だったが、ミヤビと会う可能性がないわけでもないことが不安だった。レンの表情の翳りを察したのか、ミャオが口を挟む。
「どうかしたの? レン君」
「何でもねぇよ」とミャオには返すが、本心では不安を拭いきれていなかった。書類をミャオへと手渡す。ミャオが中継して春日に渡った。春日が書類をチェックしながら、
「不安も分かりますけどね。大丈夫でしょう。我々はあくまで下調べですから。適当に済ませましょう。レン君が矢面に立つ必要はありませんよ。僕が何でも屋とでも言っていますから」
春日はレンが〝体質〟を誰かの前でひけらかすことを恐れているのだと思ったのだろう。そのことも気にはかかったが、今のレンの頭にはそれよりもミヤビのことがあった。しかし、そのことを口にしても仕方がない。レンは形式上ではあるが、春日に礼を言った。
「悪いな、春日」
「いえ。社員のプライベートを守るのも経営者の務めですから。それよりも、レン君」
その声に顔を上げると、春日は手に何かを握っていた。投げる予備動作をするので、レンは慌てて手を前に出す。春日が投げて寄越したのは、黒い何かだった。触ったところ革製で、円形の固い何かがある。レンはそれを広げた。それは黒い手袋だった。指が出るようになっており、円形の何かと思えたのは手の甲側についている鉄でできた突起物だった。円形で中央に文字が刻み込まれている。レンにはその文字が何と書いてあるのか読めなかった。
「何だ、これ?」
「高畑さんの作品です。昨日受け取りました。レン君に触発されて作られたみたいですよ」
「俺に? 俺は何もしてねぇよ」
「まぁ、いいですから。つけてみてください」
その言葉にレンは怪訝そうな目を向けながらも、右手に手袋をはめた。瞬間、右手首の数珠から金色の電流が走り、手の甲につけられている突起物の部分に至って弾けた。鋭角的な痛みが走り、レンは思わず呻き声を上げ、手袋を外した。数珠に刻まれた螺旋の文字が黄金の輝きを宿している。同じように手袋の突起物に刻まれた文字も黄金に光っていた。レンは手袋を突き出して、春日に抗議した。
「春日! 何だ、これ?」
「あー。やっぱり駄目でしたか」
後頭部を掻いて春日が苦笑する。
「やっぱりって何だ!」
春日がレンへと歩み寄り、手袋を取り上げる。春日は白い手袋をはめて指先で手袋を摘んでいた。危険物だということは重々承知だったということだ。レンはいきり立って口を開いた。
「春日。お前、こうなると分かっていただろ!」
「いえ。さすがにここまでだとは思っていませんでした。反発するだろうということは薄々、勘付いてはいましたが」
落ち着き払った春日の声に、レンは冷静さを取り戻してソファへと体重を預けた。
「何なんだ、それ」
「鉄甲です」
「てっこう、って何だ?」
意味が分からず首を傾げる。春日は鉄甲と呼ばれる手袋を執務机に置いて、椅子に座った。
「レン君。ナックルダスターをご存知ですか?」
聞き覚えのない言葉に、レンは首を横に振った。
「聞いたことない」
「メリケンサックと言えば、まだ分かりやすいでしょうか」
「ああ、それなら」
よくヤンキーマンガなどで登場するが、実際に目にしたことはなかった。
「ナックルダスターというのはそういうものの総称です。拳にはめて打撃力を強化する武器のことをそう呼びます。これは、ちょっと違いますが、それに類するものと考えてもらっていいでしょう。高畑さんも名前を決めかねて鉄甲と呼ぶことにしたそうですから」
「で、その鉄甲と俺がどう関係あるんだ?」
「高畑さんの作品だと言ったでしょう。これは如意棒と同じ力があります」
春日の言葉にレンは目を見開いて執務机に置かれている鉄甲を見つめた。確かに鉄の部分に刻まれている文字は如意棒に似ている。だがまるで大きさも違う武器なのに、同じ力があるというのは俄かには信じがたい話だった。
「本当に如意棒と同じなのか?」
「ええ。同等か、それ以上です。一応、両手にはめて使うものなので左手の分もありますが、レン君にはあえて右手のほうを渡しました」
「どうして?」
「右手首の数珠があるでしょう」
レンは自身の右手首へと視線を落とした。数珠は落ち着きを取り戻したように、光をなくしているが先ほど鉄甲をはめた時には如意棒を使っている時と同じ反応を示した。
「数珠と鉄甲は似たようなものなので反発するんです。どちらも法力の補助に使いますからね。磁石と原理は同じです」
「分かっていて、俺にはめさせたのか」
苛立ちが口調の中から滲み出ていた。春日は両手を前に突き出して、「滅相もない」と振った。
「高畑さんは多分、反発するだろうと言っていましたが、僕はレン君の使える武器が増えればと思い、そうしたまでです」
「結局、俺には使えないのか?」
足を組んで尋ねると、春日は残念そうに、「ええ」と頷いた。
「数珠を使わなければレン君の法力は霧散してしまう。そうなれば如意棒は使えません。逆に鉄甲に特化しようとしても、レン君はあまり殴るのは好きじゃないし、得意でもないでしょう?」
「まぁ、当たっているが」
レンは鉄甲に視線を向けた。如意棒と同じならば魔を祓う力があるはずだ。しかし、そうだとしても武器の性質上、相手に可能な限り近づかなくてはならない。レンの今までの戦い方とは決定的に異なる上に、今までの努力が無駄になる。相性が合わないとはこういうことを言うのかと思った。
「じゃあ、それどうすんだ? お払い箱か?」
「まぁ、しばらく僕が預かっておきます。といっても僕のスタイルとも異なるので、レン君の言う通り実質的にはお払い箱ですね」
春日の言葉にミャオが反応して、振り返った。
「ねぇ、あたしが使うことってできないかな?」
「ミャオさんが?」
思ってもみなかったのだろう。春日は目をしばたたかせた。ミャオはしかし、本気の眼差しで頷く。
「うん。あたしが使えると便利じゃない?」
「お前は殴れないだろ」
レンが言うと、ミャオは頬を膨らませて、「できるよ」と拳を振るう真似をした。
「こうやってボクシングみたいにやればいいんでしょ?」
「猫がボクシングできるのかよ。それに、手」
レンがミャオの拳を指差す。ミャオが首を傾げると、レンは呆れたように言った。
「それじゃ猫パンチだ。肝心の威力はほとんどないぞ」
ミャオが拳を構え直し、「こう?」と尋ねる。それでも掌側が反り返っていた。どうやらミャオにはまともに拳を作ることもできないらしい。
「どうだかな。春日。できんのか?」
春日へとミャオが期待の眼差しを送る。春日は苦笑しながら、
「どうでしょうかね。やってみないと、というのが本音ですが、僕の考えではやめたほうがいいと思いますよ」
「何でよ。あたしだけ仲間外れ?」
ミャオが春日へと歩み寄って抗議の声を上げる。春日は、「まぁ、落ち着いて」と両手を前に突き出した。
「これは一応、法具ですから。もしかしたらミャオさんが着けた途端に祓われてしまう可能性もあるわけでして」
春日の言葉にミャオは不服ながらも承服したようだった。リスのように頬を膨らませたまま、憮然として腕を組む。
「ふんだ! 春日さんもレン君もあたしをのけ者にして!」
「別にのけ者には……。ねぇ、レン君」
同意を求める声に、レンは仕方なく頷いた。
「まぁな。しょうがないんじゃないか、ミャオ。今回は諦めろ」
ミャオはレンに言われてようやく頬から空気を抜いた。それと同時にがっくりと肩を落とす。
「……あーあ。あたしなんて、どうせ戦力にもならないんだ」
「そ、そんなことありませんよ。ねぇ、レン君」
「お、おお。まぁ、役に立つんじゃねぇか?」
「たとえば?」
ミャオが振り返り、二人に促す。レンと春日はその言葉に腕を組んで考え込んだ。時計の秒針が刻む音が鮮明に聞こえてくる。それほどの沈黙を要した後、レンは首を傾げた。春日も答えが出ないことが歯がゆいのか、ため息をついた。ミャオは涙を浮かべて、「二人のバカー!」と喚いた。
「あたしなんてどうせ役立たずのゴクツブシなんだー!」
ミャオが事務室の扉へと走っていく。その背中にかける言葉が見つからず、二人は出て行くミャオを無言のままに見送った。静かになってから、レンは春日へと尋ねた。
「で、その依頼はいつこなせばいい?」
「明日に予定しています。大丈夫ですか?」
「急だな。まぁ、俺は別にいつでもいいけど」
レンの言葉に春日は微笑んだ。両手を組み、その上に顎を乗せてレンへと話しかける。
「そう言っていただけると助かります。もちろん、急な話なので断られるかも、とも思っていたんですが」
「その時はどうするつもりだったんだよ」
「僕一人でやるしかなくなっていましたね。自信はないですが、協力が得られなければ仕方がないでしょう」
レンは春日の能力を未だにはかれずにいた。この男はどこまでやれるのだろうか。自分なしでも今まで事務所を存続できたのだからかなりのやり手には違いなかったが、レンが来てからというもの春日が本気を出したところを一度も見たことがない。見せる必要がないからか、それとも見せることが不都合なのか。表情から読み取ろうとするが、春日は無意味に笑むだけで何かを読み取れる気がしなかった。
「俺がやる。持ち物は如意棒でいいのか?」
「ええ。と言っても下調べですからそう肩に力を入れる必要もないでしょう。気楽に来てください」
「服装は?」
「テレビが来ることを気にしているんですか? いつも通りで大丈夫ですよ」
「別に気にしちゃいねぇよ」
言葉面ではそう返すが、実のところレンは気にしていた。普段の服だと都会の人間からしてみれば馬鹿にされるのではないかと思っていたのだ。田舎者、というわけではないつもりだったが、テレビと聞くと緊張してしまうのはやはり自分が一般人だからだろう。逆に落ち着き払っている春日はどうするのか気になった。
「お前もいつも通りの格好かよ」
「いけませんか? 特に問題はないと思いますけどね」
春日はボーダー柄のシャツに袖を通していた。事務所にいる時はほとんど同じ服装なので、差異を見つけるのが難しいくらいだ。
「お前が言うんだから問題はないんだろ。明日は現地集合か?」
「いえ。一度事務所に集まりましょう。必要なものを確認しないといけませんから」
「じゃあ、今日はもう帰っていいんだな」
春日の答えを聞く前にレンは立ち上がる。春日は書類に目を通しながら、「そうですね」と応じた。
「今日は何もありません。上がっていただいて結構です」
「了解。それにしても、本当に何もやることねぇな。大丈夫なのか、この事務所」
レンの言葉に春日は笑みをこぼした。
「あまり大丈夫とも言えませんが、今度の仕事で少しばかりマシにはなりそうです。暇な時は暇ですが働いていただく時にはしっかりと働いてもらうのでそのつもりでいてください」
「そうか。じゃあな」
春日が片手を上げて応じる。レンは事務室を出て階段を降りた。扉を開けて出ると、意外な人物とかち合った。
「……アカリ」
その名を呼ぶと、屈んでいたアカリが顔を向けた。レンを認めるとアカリは笑顔を咲かせて立ち上がった。
「レン君。奇遇だね」
その笑顔にレンはばつが悪そうに顔を背けた。一昨日のことを忘れてくれたのだろうか。アカリはレンへと歩み寄ってくる。すると、レンが今しがた出てきた事務所へと目を留めた。
「こんなところに建物ってあったっけ?」
首を傾げるアカリにレンは慌てて何かを言おうとした。普通の人間には確かこの事務所は感知できないはずだ。レンが出てきたから不審に思っているだけなのだろう。できるだけ、アカリの注意を逸らす必要があった。「ちょっと、あってな」と言いながら、レンは周囲を見渡す。すると、先ほどまでアカリのいた場所にミャオの姿を見つけた。猫の姿で、猫缶にありついている。
「ミャオがいたから、ここに?」
レンが尋ねるとアカリは振り返って応じた。
「うん。ちょうど猫缶をあげようとしていたら、この辺りでミャオが通りかかって。何だか目が潤んでいたみたいに見えたけど、気のせいだったのかな」
「多分、気のせいだろ」
泣かせたのが自分とは言えずにレンは誤魔化した。レンはミャオへと歩み寄りながら、アカリの注意を事務所から逸らそうとする。しかし、アカリは事務所を見上げたまま動こうとしなかった。
「どうした? アカリ」
内心の動揺を押し隠して尋ねる。アカリは、「ああ、うん」と上の空で返した。
「なんか、気になっちゃって。突然に現れたみたいに見えたんだけど、気のせいかな。レン君が出てきた途端に、この場所にこの建物がどんと出てきたみたいな。変な感じなんだけど」
「気のせいだって」
レンは屈んでミャオの頭を撫でる振りをしながら、小声でミャオへと尋ねた。
「おい。こういう時にどうすりゃいいんだ?」
ミャオが口元を前足で拭いながら、小さく返す。
「知らないよ。あたしだってアカリちゃんが来るなんて思ってなかったんだもん」
「っていうか普通の人間には気にならないようにできているんだろ。どうしてアカリは気にしているんだ?」
「レン君が出てきたからでしょ。違和感を受け入れきれずにアカリちゃんは必死に考えているから、事務所の存在が頭から離れないんだよ。何か、他の話題でも振ったら?」
「他の話題って……」
レンは肩越しにアカリを窺う。アカリはじっと事務所を見つめていた。今にも扉へと手をかけそうに見える。レンは思わず立ち上がってアカリの名を呼んだ。
「あのさ、アカリ」
「何? レン君」
アカリがこちらへと振り向く。レンは後頭部を掻きながら話題を探そうと口を開きかけるが、なかなか言葉が出てこない。ミャオへと視線を向けても、普通の猫のように振る舞うばかりだった。レンは仕方なく、一番口にしたくない話題を発した。
「一昨日は、その、悪かった」
その言葉にアカリも春画のことを思い出したのか、顔を赤らめて俯いた。レンは慌てて取り成すように言った。
「いや。中身俺も知らなくてさ。それにあれは俺のじゃなくって、届け物だったんだ。だから、その、悪気とかあったわけじゃなくって……」
言えば言うほどに言い訳がましく、しどろもどろになっていく。アカリが顔を伏せたまま、レンへと歩み寄ってくる。レンは叩かれても仕方がないと目を瞑って身構えた。すると、いつまで経ってもビンタは来なかった。代わりに控えめな声で、「……分かってる」と聞こえてきた。
「レン君がそういう人じゃないのは、わたし、分かっているつもりだから。あの時は、ちょっとびっくりしただけ……」
レンが目を開けると、アカリが頬を染めて顔を背ける。力が抜けるのを感じながら、レンはアカリの視界を気にした。もう事務所は映っていない。気を逸らすことには成功したか、と思っていると、「でも」とアカリが言葉を発した。
「ああいうのを女の子に見せるのは、よくないと思う。わたしは、別にいいと思うけど。他の子とか、多分、誤解しちゃうし」
アカリの言葉にレンまで恥ずかしくなって、耳まで赤くして何度も頷いた。
「分かってる。俺も、もうああいう軽薄なことはしない」
言葉だけ聞けば何をしたのかと問い詰められそうな言い方だが、春画を手違いで見せただけなのである。二人はしばらく赤い顔をして沈黙していたが、やがてアカリが空気を変えるように、「き、今日はちょっとだけ暑いね」と言った。天気の話をさせるのは話題作りができていない証拠だったが、レンもそれに乗っかった。
「そうだな。もう、真夏だからな」
「レン君がこの街に来てから、もう二ヶ月ぐらい経つんだよね」
「ああ」と応じながら、レンはミャオに視線を向けた。ミャオも同じようなことを言っていたからだ。四ヶ月もいつの間にか経った。そうこうしていると半年も一年もすぐに経ってしまうのだろう。もちろん、その間中、自分が平穏無事とは限らないのだが。
「レン君が来てくれて、わたし、嬉しかったんだ」
「嬉しい? 何で?」
アカリはまだ少し顔を赤らめながら、オレンジの髪飾りを気にしつつ言った。
「昔からの友達が近くにいると、何だか心強いじゃない。だから、レン君には近くにいて欲しかった」
「……俺が学校辞めちまって、悪いことをしちまったかな」
レンの言葉にアカリは首を横に振った。
「そんなことないよ。それはレン君が決めたことだから」
「それでも、ほら、結構、酷いことも言っちまったし……」
「まだ気にしているの? もういいよ、そんなの。わたしも、最初、嬉しいばっかりでちょっと馴れ馴れしすぎたかな、と思っているし」
お互いに次の言葉を決めかねているような沈黙が降り立つ。レンは頬を掻いて、「まぁ」と口にした。
「お互い様だったってことかな」
「だね」
アカリが微笑んだ。レンも少しだけ頬を上気させながら笑みを返す。言葉を決めかねて笑顔を交し合うしかないのもお互い様だった。