妖魔世界図   作:オンドゥル大使

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第22話「見えるもの、見えないモノ」怨霊調伏篇

 

 ミヤビが小道具と衣装の確認をしている最中に、それは起こった。

 

 突然スタッフが叫んだかと思うと、照明が点滅を始めたのだ。一度や二度ならば機器の誤作動を疑ったが、照明が一斉に暗くなったり、明るくなったりを繰り返している。やがて照明の一つが異様なほど早く明滅を繰り返したかと思うと、内側から弾け飛んだ。照明の部品が降り注ぎ、スタッフが身体を縮こまらせる。ミヤビは唐突なことに狼狽しながら、周囲を見渡した。何かがいるという気配は伝わる。

 

 しかし、視界には入らない。隣り合う照明が明滅したかと思うと、鋭い音が響き渡った。ミヤビが顔を上げると、根元からぽっきりと折れた照明がすぐ手前の床へと落下していた。咄嗟にマネージャーがミヤビの手を引いてくれたおかげで落下に巻き込まれずに済んだが、ミヤビは鼓動が早鐘を打つのを感じていた。もし、間に合わなければやられていたのか。どこに、と元凶を探すために視線を走らせる。すると、中央階段から声が弾けた。

 

「お前ら、全員下がれ!」

 

 目を向けると、一昨日会った少年が駆け降りてきていた。片手に握った石の棒に見える何かが伸長し、少年の背丈と同程度の長さになったような気がしたが、見間違いだったのだろうか。ミヤビが目をしばたたいていると、少年が走り込みながらミヤビへと怒声を飛ばした。

 

「桐坂ミヤビ! そこから下がれ!」

 

 その声に注意を向けた瞬間、バツンと何かが切れる音が響き渡った。ミヤビが音源へと顔を向ける。シャンデリアがその目に大写しになっていた。その光が視界を覆い尽す。天上が落ちてくる感覚と共に間近に迫ってきていた。明滅する光の乱舞に、ミヤビが慌てて後ずさろうとすると、後ろに引っ張られ尻餅をついた。

 

 裾を踏みつけたことに気づいた瞬間にはシャンデリアは頭上にあった。ミヤビが思わず目を瞑ると、頭上で衝撃と音が弾けた。訪れるはずの強烈な痛みがやってこないことに違和感を覚え、ミヤビが目を開けると少年が棒を振るい上げて眼前に立っていた。棒は不思議なことに先ほどミヤビが見たときよりも長くなっているような気がした。少年が棒を構え直し、ミヤビへと肩越しに一瞥を投げる。ミヤビが言葉を発する前に、何かを感じ取ったかのように少年が鋭く視線を走らせる。その視線の先にミヤビは見た。

 

「赤い、着物……?」

 

 ミヤビの視界に映ったのは赤い着物の少女だった。おかっぱの髪で、随分と幼い風貌だ。少年が棒を構えて細く息を吐き出す。

 

「逃がさねぇ」と発せられた声の冷たさにミヤビは知らず悪寒を覚えた。少年が獣のようにしなやかに駆け出し、着物の少女が行った先へと向かう。中央階段の先だった。ミヤビはふらふらとよろめきながら立ち上がり、少年の背中に視線を向けた。スタッフが駆け寄り、「大丈夫ですか?」と声をかける。マネージャーは腰を抜かしていた。口も利けない様子で今にも失神しそうである。ミヤビはぼんやりと少年の背中を目で追っていた。あの少年にも同じものが見えたとしたならば、あの着物の少女こそがこの現象の元凶ということになる。

 

「……なら、私がやらなくちゃ」

 

 その声に皆が虚をつかれた隙にミヤビは取り落とした呪符のついた棒を手に取り、スタッフの制止を振り切って走り出した。シャンデリアの残骸が柱に挟まれるように転がっている。柱から回り込んでミヤビは中央階段を上った。二階の扉は開かれている。ならば、そこに少年がいるはずだった。

 

 この身体を突き動かすものが何なのか、ミヤビにも掴めていなかった。使命感か、それとも突然の出来事にハイになった神経がさせている行動か。ミヤビは階段を駆け上がると、扉の前に男が立っているのを目にした。眼鏡をかけており、長身痩躯でボーダー柄のシャツを着ている。少し注意を逸らせば消えてしまいそうなほどに存在感の薄い男だった。ミヤビが無視して扉へと向かおうとするとその背に声がかかった。

 

「桐坂、ミヤビさんですね」

 

 ミヤビが立ち止まって振り返る。男は眼鏡のブリッジを上げて、「ふむ」と頷いた。

 

「レン君を追っているんですか?」

 

「さっきの子、レン君っていうの?」

 

 尋ね返すと男は扉の向こうに視線をやって、「答えになってはいないですが、いいとしましょう」と言った。

 

「レン君は本物です。あなたが行っても足手まといになるだけですよ」

 

 眼鏡の奥の瞳が細められる。ミヤビは見透かされていることに気づいた。この男はミヤビの能力を既に知っているか、今、この場で全てを見通そうとしている。ミヤビは覚えず男へと向き直り、鋭い視線を投げつけていた。この男は何なのか? その思考に気を取られていると、男は不意に微笑んだ。

 

「そんな怖い顔をしなくても。いいんじゃないですか。偽りでも意思さえあれば」

 

「私の力は、偽りじゃない」

 

 抗弁のように発した言葉を男は笑みで難なくかわした。

 

「その言葉に心がこもっていれば、偽りではないでしょう。しかし、あなたは迷っている。迷う心があるうちは幸運です。引き返せるということですから」

 

 ミヤビは男へと何かを言い返したくなった。この男は全てを分かったつもりでいる。それが気に食わなかった。奥歯を噛み締め、ミヤビが口を開こうとすると扉の向こうで音が弾けた。そちらへと視線を向ける。

 

 大広間は窓から差し込む明かりだけでほとんど暗がりだったが、黄金の光が二、三度瞬いたのを見た。火花のように弾ける光が少年の姿を照らし出す。ミヤビは男のことなど忘れ、大広間へと踏み込んでいた。少年の身体が黄金の光と共に大きく後退する。その手に握られた棒が黄金の血脈を迸らせていた。少年の意思に応えるかのように強く爛々と煌く。少年は棒を構え直して周囲を見渡した。ミヤビも暗闇の中に目を凝らす。元凶がいるはずだ。この現象がどうして起こっているのかまでは分からないが、何かがいることだけは間違いない。少年が慎重にすり足で進む。その時、ミヤビは少年の背後に赤い着物が揺らめいたのを見た。

 

「見つけた」と声を発すると同時に、ミヤビは駆け出していた。呪符のついた棒を振り翳し、ミヤビが少年へと一直線に向かう。少年は突然にミヤビがやってきたことに少なからず驚いているようだった。目を見開き、「何を」と言葉を発する。ミヤビは少年の背中へと回り込んで、赤い着物から少年を庇った。なぜ、そうしたのかは分からない。しかし、少年は死なせてはならない気がした。彼は自分の意思で戦っている。そんな人間が巻き込まれるような形で傷つくのは見ていられない。ミヤビは棒を正眼に構え、赤い着物へと視線を据える。しかし、赤い着物は身を翻したかと思うと、すっと暗闇に溶けていった。

 

 ――消えた、と思った瞬間、肩口に灼熱が走った。ミヤビが鋭角的な痛みに顔をしかめ、衝撃を殺しきれずに少年へと寄りかかる。少年はミヤビの身体を受け止めて、「おい。邪魔すんな! 怪我することになるぞ!」と叫んだ。ミヤビは痛みの走る肩へと手を触れた。巫女服に赤い血が滲んでいる。掌がべっとりと血で染まった。思わず意識が遠のきそうになる。少年はミヤビを抱えながら、片手の棒を振り回した。黄金の燐光が迸り、火花が散る様は何かと打ち合っているようだった。

 

 ほとんど振り回される形のミヤビの眼に、またしても赤い着物が翻る。ミヤビは目を見開き、少年の手を振り解いた。少年がその行動に言葉をかける前に、ミヤビは棒を片手に赤い着物を追った。赤い着物の少女の輪郭が明瞭になる。近づいてきた証拠だった。追い立てられ、赤い着物の少女は部屋の隅で蹲っていた。ミヤビは呪符を突き出して、荒い息をつきながら見下ろす。赤い着物の少女は抵抗してこない。ミヤビは片手で肩口を押さえながら、「ここまでよ」と言った。

 

「私にも祓う力はある。これで――」

 

 ミヤビが呪符を振り上げる。その時、ミヤビと赤い着物の少女の間に割って入る影があった。獣のように低く沈ませた姿勢から、影が腕を振るい上げる。持っていた武器で呪符が払い落とされた。ミヤビはその姿を視界に捉える。

 

「どうして、あなたが……」

 

 長い棒を振り翳し、鋭い光を双眸から放つ少年が立っていた。少年は一瞬で棒を短くして柄をミヤビに向けて突き出し、低い声で問いかけた。

 

「何のつもりだ?」

 

 その迫力に気圧されそうになりながらも、ミヤビは足を踏ん張って口を開いた。

 

「何のつもりって、その赤い着物の霊が全てを引き起こしているんでしょう。だったら――」

 

「どこから勘違いしているんだか分からないが、それは違う」

 

 遮って放たれた声にミヤビは目を見開いた。違うとはどういうことなのか。ミヤビの眼には赤い着物の少女しか映っていない。怪しいのはそれだけなのだ。

 

「こいつはこの洋館に昔から住んでいる座敷わらしだ。同時に今回の依頼主でもある」

 

 ミヤビには少年が何を言っているのか分からなかった。依頼主というのはどういうことなのか。問いかける前に棒の柄頭がミヤビの額へと向けられた。

 

「そんでもって、この事態の全ての元凶は――」

 

 少年の眼が刃の鋭さを伴ってミヤビを見据える。狩る者の眼だった。思わず唾を飲み下すと、頬のすぐ脇を何かが行き過ぎた。確認するような暇さえなかった。僅かにずらした柄がミヤビの顔を掠める勢いで伸長したのだ。

 

 何かに命中したのか、甲高い呻き声が聞こえてきた。ミヤビがゆっくりと振り返る。柄から発した黄金の光がその姿を照らし出していた。それでもミヤビの眼には霞んで見える。

そこにいたのは今まで見たことのない存在だった。体表は緑色であり、細長い四肢を持っている。そのくせ腹だけが妙に出ており、枯れ木のような首は不自然に大きい頭へと繋がっていた。顎が細く、ハイエナのような乱杭歯の覗く口から呻き声が発せられる。

 

 どぶ川の底から浮かぶ泡沫のような声だった。糸目だが、赤く光っており凶暴な眼差しを湛えている。何よりも特徴的なのは右手首から先だった。五指があるのではなく、右手が丸ごと巨大な鎌になっていた。身の毛のよだつような甲高い声が響き、細い顎が引き千切れそうなほどに開かれる。その姿は鬼としか形容しようがなかった。ミヤビは全身が総毛立つのを感じた。こんな感覚は今まで味わったことがなかった。身体が凍りついたように動かない。蛇に睨まれた蛙とはこのことを言うのだろう。少年の棒の柄が鬼の胸部に食い込んでおり、天井に縫い付けられていた。だが、四肢を動かして今にもその束縛から逃れようとしている。少年は握る手に力を込めながら語った。

 

「座敷わらしが依頼してきたんだ。凶暴な鬼が住み着いてきて困っているってな。今は如意棒でこいつを捕らえているから見えるだろうが、あんたには普段こいつは見えない。それははっきりしている」

 

「何を根拠に――」

 

「あんたが出ていた番組、大体観させてもらった。あんたの相手は今まで低級霊ばかりだった。だからそんな小道具が通用したんだろうが、あれには通用しない。座敷わらしが見えているのも、こいつが強い存在じゃないし敵意もないからだ。自分から姿を見せようとしている妖怪以外、あんたには見えない。いい加減、認めろよ。そうしないと、救えるもんも救えなくなる」

 

「そんな。じゃあ、私は……」

 

 ミヤビはその場に膝から崩れ落ちた。呪符が手から滑り落ちる。頬を温かい雫が伝い、握り締めた拳に落ちた。

 

 今まで自分の力を過信していたというのか。自分には何も見えていない。それを認めるのが怖いからずっと見ないようにしてきた。当たり障りのない、見えるものだけを扱って人々を救った気持ちになっていた。自分の在り方が嫌いだと思いながら、それを変えようとしなかったのは誰だ。認めることが何よりも恐ろしかった。認めてしまえば存在価値がどこにもなくなる。居場所もない。たとえ名前が呼ばれなくても今の居場所を失いたくなかった。だが、そんな努力は空回りするばかりで、結局、少年一人に全てを看破されてしまった。そんな自分が情けない。項垂れるミヤビへと、少年が声を振りかけた。

 

「見えているからって、いつだって正解が見えているわけじゃねぇ。同じように見えないからといって、正解が見えないわけじゃねぇだろ。俺が見た限りだけだが、あんたに救われた人もいたんだ」

 

 その言葉にハッと顔を上げた瞬間、鬼が甲高い声を上げた。片手で天井を叩いたかと思うと、天井がバラバラに砕け散った。老朽化していたからだろう。柄から逃れた鬼はミヤビの眼にはまた見えなくなった。少年が舌打ちを漏らし、棒を縮めて駆け出す。

 

 黄金の光が舞い散り、一瞬だけ鬼の姿が照らされるがそれもすぐに暗闇に消える。少年は棒で鬼と戦っている。しかし、自分に何ができるのか。今までのようでは何もできない。今だって被害者のほうを祓おうとしていた。今までももしかしたらそんなことをしていたのかもしれない。完全に行き先を失った自分は迷子だった。暗闇の中で無様に泣き続けることしかできない。ミヤビはどうしたらいいのか分からなかった。拳を握り締め、床に叩きつける。座敷わらしが怖がってその身を空気に溶けさせた。座敷わらしも見えない。鬼など見えるはずがない。

 

「どうしたら、いいっていうの……。こんな、私が……どうしたら」

 

「――方法はあります」

 

 不意にかかった声に、ミヤビは顔を上げて振り返った。そこに立っていたのは先ほどの眼鏡の男だった。暗闇でほとんど表情が窺えない。

 

「眼がないと言うのならば、僕があなたの眼になりましょう。協力しますよ、桐坂ミヤビさん」

 

「どういう、つもりなの」

 

 ミヤビは目元を乱暴に拭って不審の言葉を投げた。男は肩を竦めて、

 

「信じてください。レン君はあなたを糾弾しようというのではない。あなたの生き方も認めた上で、あなたとは違うと言った。それは僕も同じ気持ちです」

 

 男の言葉にミヤビは少年へと目を向けた。両手で棒を繰りながら、鬼の一撃一撃を弾いているのだろう。黄金の粒子が戦闘の華として彩る。

 

 男は手を差し出し、ミヤビへと言葉を発した。

 

「よければ受け取ってください。あなたの世界を、あなたの意志で砕くつもりがあるのならば」

 

 差し出した手の中に、黒い何かがあった。ミヤビは目を凝らす。手袋のように見えた。これで現実が変わるのだろうか。今まで変えようとも思わなかった世界が動き出すのだろうか。ミヤビは男へと目を向ける。男は一つ微笑んだ。差し出された選択が全てを変えるとは限らない。ひょっとしたら、何も変わらずじまいかもしれない。それでも変えるだけの材料があるのならば――。

 

 ミヤビは男の手から手袋を受け取り、強く頷いて尋ねた。

 

「どうすればいい?」

 

 

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