鬼の鎌がレンの首を落とそうと迫る。
レンは如意棒を翳してそれを受け止めた。如意棒から黄金の血脈が迸り、鎌を弾き返す。レンは飛び退きながら鬼の姿を再度認めた。四肢は細く、全体のシルエットも細長い。しかしそこから繰り出される一撃は豪腕だった。左手で牽制のように引っ掻き、右手の鎌で掻っ切る。左手とて爪が発達しており、凶器としては充分だった。細い足からは考えられないような脚力で迫ってくる。全身が武器と言えた。どうする、と如意棒を身体に密着させながら考える。先ほどの天井に縫い付けた一撃は効いているはずだったが、黄金の文字が刻まれる気配はない。
「まだ倒すには足りてないってことかよ」
呟き、レンは頭上で如意棒を回転させて構え直す。それを見計らったように、鬼が床を蹴ってレンへと肉迫した。レンは如意棒へと縮むよう思惟を送り込む。一瞬にして光を弾けさせ、ナイフのような長さへと収縮した如意棒をレンは振るった。
左手の爪を弾き落とす。右手の鎌が大振りでレンの首を刈り取ろうとする。レンは咄嗟に身体を沈み込ませた。頭上を鎌が行き過ぎる。足を伸ばし、鬼の脛へと密着させるとレンは足を振るって鬼の足を刈った。鬼がバランスを崩し、前につんのめる。レンはその腹腔へとナイフの長さになった如意棒を突き刺した。鬼が口から呻き声を発する。手応えを感じると共に、レンは叫んだ。
「伸びろ、如意棒!」
鬼に突き刺さったままの如意棒へと伸長を促し、光を纏った武器と共に鬼を突き飛ばす。奥の講堂に続く扉が鬼の身体で叩き割られ、粉塵が舞い散った。レンは如意棒を突き出した姿勢のまましばらく硬直していた。命中の手応えは確かにあった。あとはうまく法力が作用したかどうかだ。レンは如意棒を背丈程度の長さに戻し、講堂に続く扉をくぐった。講堂の窓にはカーテンがかかっており、先ほどの大広間よりも暗闇に近い。奥には舞台があり、馬蹄状に椅子が並んでいる。
椅子が並ぶ中心地からもくもくと粉塵が舞っている。どうやら鬼はそこに落ちたらしい。
レンがゆっくりと歩を進める。新雪の上を歩いた時のように、くっきりと足跡が残った。レンは埃に咳き込みながら、着弾点を目指す。一定だった粉塵の動きが、ふと位相を変えたように見えた。
その瞬間、粉塵が真っ二つに掻っ切れ、円形の衝撃波を描いて真っ直ぐに飛んでくるものが見えた。鬼だ。ハイエナのような口を開き、鎌を突き出して鬼が弾丸のように向かってくる。レンは如意棒を振り翳し、鬼の一撃を弾いた。
しかし、鬼はそれで止まらなかった。弾かれた勢いを借りて、鬼はレンの後方へと跳んだのである。蛙のような身軽な動きだった。細身ゆえの強みだろう。壁に張り付いた鬼はレンが目を向ける前に、その場からさらに跳んだ。斜線上にあるカーテンへと身体を広げて鬼が跳躍する。鬼の重量をカーテンが受け止める前に、さらにその横の壁へと這い進む。レンは確信する。鬼が真価を発揮するのは広大な空間なのだ。狭い空間ではワンパターンの攻撃しかできなかった鬼がここに来て攻撃方法を変えている。レンにとってそれは脅威だった。パチンコ玉のように壁を跳んで、弾かれた鬼の姿が視界を目まぐるしく行き交う。レンは周囲を見渡しながら攻撃の機会を窺うしかなかった。このままでは後手に回ることになる。
そう思った瞬間、肌が粟立ちレンは咄嗟に背後へと如意棒を回して振り返った。突っ込んできた鬼の姿が眼前に映る。ひやりとしたものを首筋に感じ、レンは如意棒を下から突き上げる。鎌の一撃を弾かれた鬼がくるりと身を捻りながら床へと着地する。好機、と感じたのはレンも鬼も同じだった。天井付近に張り付かれて跳び回られては攻撃の機会を失う。鬼も逃げてばかりでは埒が明かないために攻撃の瞬間を逃さない。レンは如意棒を振り上げた。鬼が鎌を下段に構える。左手を突き出し、爪でレンへと攻撃を仕掛けようとする。レンは如意棒を振るい落とした。
左手が弾き落とされるが、鬼の狙いは鎌による攻撃だ。多少、体勢を崩したとしても鎌の一撃が与えられればいいと考えている。下段から空気を裂いて迫り来る鎌へとレンは咄嗟に画材ケースを肩から外して振るった。画材ケースが盾になり、首を刈り取ろうとした一撃が僅かに逸れる。
画材ケースが断ち割られ、レンの耳のすぐ脇を鎌が行き過ぎた。レンは身体を沈み込ませて、如意棒に短くなるよう思惟を送り込む。短くなった如意棒を突き上げ、鬼の顎へと下からの一撃を食い込ませた。鬼がくぐもった声を上げる。レンは短く如意棒を保持したまま、返す刀で逆手に握った如意棒を鬼の胸部へと叩き込んだ。鬼が呻き声を上げる。如意棒から黄金の光が上がり、打点に僅かながら黄金の文字が浮かぶ。今だ、と決着を急く声に衝き動かされ、レンは如意棒を長くしようと後ろへと引きかけた。その時だった。レンの肩口に灼熱の痛みが走った。顔をしかめ、肩へと視線を向ける。振るい落とされた鎌が左肩に食い込んでいた。このままでは肩ごと落とされる。そんな思考が脳裏に過ぎり、レンは両手で握ろうとしていた如意棒を右手だけで握った。光を纏い、弾けさせて如意棒が伸長する。右足を踏み込み、レンは雄叫びを上げて如意棒を鬼の脇腹へと打ち込んだ。空気がびりびりと震え、床に溜まっていた埃が一挙に弾け飛んだ。鬼の姿が横に飛び、肩から鎌が引き抜かれる。鬼は壁へと激突し、粉塵が舞い上がった。
レンは荒い息をつきながら、左肩に触れる。血が滲んでいたが、それほど深くはなかった。相手に与えたダメージも影響していたのだろう。それでも左肩を上げようとすると鋭角的な痛みが邪魔をした。呻きながら視点を向ける。埃が膜となってまだ鬼の姿は見えない。
立ち上がるな、と胸中に願った。レンは如意棒を床につけてこの時間を少しでも体力の回復に充てようとした。よろめく身体を如意棒に寄りかからせていると、不意に静寂を割る叫び声が響き渡った。風が渦巻き、埃を巻き上げる。鬼が裂けるほどに口を開いて声を上げていた。左半身に黄金の文字が鎖のように絡みついている。鬼はくぐもったような声を喉の奥から発すると、内側から筋肉を盛り上がらせた。
鬼に絡まっていた黄金の文字が薄れ、空気に溶けていく。肩が異常なほどに発達し、肩甲骨が翼のように持ち上がった。鬼が左手を床について鎌を後ろに引く。姿勢を低くして獣のように赤い眼をぎらつかせる。レンは覚えず舌打ちを漏らして構えを取った。しかし、左手が痛みでほとんど力が入らなかった。右手で如意棒を握り直す。やはり右手だけで放ったのが浅かったのだ。レンは歯噛みする。もし両手で打ち込めば、今頃決着はついていたかもしれない。
それよりも、とレンは頭を切り替えた。己の力の未熟さを嘆いている場合ではない。レンは柄を突き出して戦闘態勢を取った。鬼が獣のような呻り声を発する。瞬間、糸のようだった目が見開かれ、肩に集中していた筋肉が津波のように脚部へと移動した。鬼が粉塵を円形に巻き上げながらレンへと突っ込んでくる。空気が割れて激突の前に衝撃音が鳴り響く。レンは如意棒を下段から振るい上げた。鎌と如意棒がぶつかり、火花と黄金の燐光が散る。
レンは右手の力だけで、鎌を押し返そうとしたが全身でぶつかってきた鬼の力のほうが強い。逆にレンが押し出される結果になった。大きく後ずさり、体重移動を間違えれば後ろに吹っ飛びそうになる。レンは咄嗟に如意棒を床に突き立てて制動をかけた。だが、この状態は隙だらけだ。すぐさま鬼へと視線を投じると、既にそこにはいなかった。視線を走らせると、甲高い鳴き声が中空で発した。鬼が跳躍し、鎌を振り上げてレンへと真っ直ぐに降りてくる。レンは如意棒を一度縮めてから手元で回転させ、再び伸長を命じた。レンの手から三メートル近くになった如意棒が光を纏って引き出される。後ろに引いた手の勢いをそのままに、コマのように身体を回転させて、レンは脳天を断ち割りにきた一撃を薙ぎ払った。
鬼が僅かに後退するが安心できるような間合いではない。振るった如意棒をすぐさまナイフの長さに戻し、レンは返す刀を振るった。左手で放たれかけていた貫手を遮り、後ろへと飛び退こうとする。しかし、鬼の反応は思ったよりも速い。貫手が成功しなかったと見るや、すぐさま左手で床を掻いて直進の原動力とした。鬼の身体がレンへと迫る。レンは舌打ち混じりに如意棒を振るい落とした。鬼が鎌でその一撃を受け止めたかと思うと、左肩でレンの身体へと衝突してきた。レンの身体が椅子にぶつかり、床の埃が舞い上がって視界を閉ざす。
「……学習、しているのか」
そう考えなければ、この数分でこれほどまでに戦えるようにはならないだろう。呻くように放った声に顔を上げかけると、鬼の姿が既に眼前にあった。如意棒を振るい上げようとするが、とてもではないが間に合わない。鬼が鎌を持ち上げる。レンは思わず目を閉じた。こういう時に自分は目を閉じないものだと勝手に思い込んでいたが、とんだ思い違いだった。自分はこうも弱い。その絶望感に身を浸しかけた、その時、耳に声が響き渡った。
「ミヤビさん! レン君の上、足元の辺り!」
その声と共に瞼の裏で黄金の光が瞬き、鬼の呻き声が聞こえてきた。その後に重い物が落ちる音が地鳴りのように聞こえてくる。恐る恐る目を開けると、先ほどまで鬼がいた場所に拳を突き出した誰かが立っていた。レンは目を凝らし、その人物を認めると同時に驚愕に目を見開いた。
「お前、は……」
「さっきのお返し。私にだってできることはある。そう教えてくれたのは君だから」
そう言って拳を握り締める影の正体に、レンは呻いた。
「桐坂、ミヤビ」
ミヤビは拳から伝う黄金の電流を周囲に纏わせながら、額を拭った。
「ミヤビお姉さん、でしょ」