「知っているか、帷」
ひょいと顔を出した西垣に呼び止められて部屋の前で談笑をしていると、不意にそんなことを言われた。
「何がだよ」とレンは尋ね返す。西垣は腕を組みながら神妙な顔をして言った。
「こないだお前に見せた『情報ハンティング! 特報班』なんだが、ミヤビ様のコーナーがなくなるんだってよ。この間、金海市に来るっていう予告も結局別コーナーに差しかえられちまったし、やっぱネットに上がっている情報って本当なのかな?」
「情報って?」
「ミヤビ様が芸能界辞めるって話」
レンはしばらく黙っていたが、やがて言葉を発した。
「本当なんじゃね? あんまりネットとか見ないから分からないけど」
「……帷。俺はな。この世で許せないものが二つある」
改まってそんなことを言う西垣をレンは訝しげに見つめた。西垣が指を一本立てる。
「一つは似合っていないコスプレだ。いや、似合う似合わないはいいとして、熱意が感じられないのは嫌なんだ。なんか流行っているからしてみました、みたいなのはコスプレを冒涜しているといえる。それともう一つ」
西垣が二本目の指を立てる。レンは、「何だよ」と言うと、西垣が顔をずいと近づけてきた。思わずレンは後ずさる。
「知っているのに言わないことだ。お前、何か知っているんじゃないか?」
西垣の迫力に気圧されるものを感じながらもレンは視線を逸らした。
「何も知らないって」
「帷はいつもそうだよな」
顔を離して、西垣が怒ったような声を上げる。
「後出しなんだよ、いつも。学校辞める時も、この間の肩の怪我の時もよー。お隣同士じゃねぇか。できるだけ隠し事はなしにしようぜ」
「そうは言ってもだな。学校辞めたのは一身上の都合だし、肩の怪我はバイト中に――」
その時、西垣がレンの肩に手を回して無理やり組み付いてきた。レンは離れようとするが思いのほか西垣の力が強い。
「そのバイトだよ。あんま無茶すんな。危ない仕事だと思ったらすぐに辞めろ。分かったな」
それだけ言って西垣は身体を離し、部屋へと手を振りながら帰っていった。レンはしばらく呆然としていたが、西垣の優しさなのだと思うと思わず顔が綻んでいた。
「なんて――」
不器用な奴なのだろう。
春日の頼みで高畑の元へとお礼の茶菓子を持っていくこととなった。レンは不服ながらも春日の金で適当な茶菓子を買い、バスに揺られて高級住宅街に向かった。二週間前の洋館とは反対側にある高畑の家まで歩く。さっさと帰ろうと早足で行こうとしたが、坂道で勢いを削がれた。急勾配は歩む気力を萎えさせる。坂道を上りきって、レンが扉を叩こうとすると、その前に扉が開いた。高畑だった。レンの姿を認めると、高畑は鼻を鳴らした。
「生きてやがったか」
「悪いな。あんたよりかはくたばるのは遅いと思うぜ」
「言うじゃねぇか。入れ」
顎でしゃくり、高畑がカウンターへと入っていく。レンも続いて入ったが店の中央で足を止めた。レンにはこれ以上進むような用事もなければ、権利もない。この場所で充分だった。
「で、何しに来やがった? またトオルの使いか?」
「まぁな。俺は進んであんたには会いたくねぇし」
「一度別れの挨拶をした仲だもんな」
高畑がいやらしく笑う。レンはその時に交わした会話を思い返して顔を背けた。思い出してみてもやはりはらわたが煮えくり返るほどに苛立つ。その怒りを静めるようにレンは長く息を吐き出してから、茶菓子を持ち上げた。
「なんだ、それ?」
「茶菓子。鉄甲の礼だとよ。春日からだ」
高畑がカウンターから出てレンの手からそれを受け取る。袋から出しながらカウンターに向かい、高畑は息をついた。
「栗きんとんかよ。俺、栗食べられねぇの知っててか? あいつも嫌味になったもんだな」
高畑が栗を食べられないのは知らなかったので、レンは密かに悪い気持ちになっていた。高畑がそれでもパッケージを開けて、カウンターの奥に引き返し、皿と湯飲みを持ってくる。その皿と湯飲みが今日は二つだった。
「レン坊。来い」
手招かれてレンはカウンターへと近づく。高畑が栗きんとんを袋から取り出し、皿に盛った。湯飲みに緑茶を入れてレンへと差し出す。レンが目をぱちくりさせていると、高畑はレンの顔を見ずにぶっきらぼうに言った。
「俺はほとんど食えねぇから、お前も手伝え。それぐらい、小間使いならできんだろ?」
高畑の言葉にレンはしばらく沈黙を挟んでから、「そうかよ」と皿を受け取った。
「じゃあ、遠慮なくいただくぜ。あんたの分がなくなっても知らないからな」
「ああ。その時はその時だ」
レンはカウンター越しに高畑を見た。嫌味を言っておきながらしっかりと栗きんとんを食べている。それでも渋い顔をしているのはやはり苦手だからだろうか。レンは栗きんとんを食べながら緑茶を口に含んだ。高畑の入れた緑茶は少し甘かった。
高畑に如意棒を見せたところ、苦い顔をした。
「法力制御がまだなっちゃいねぇな。この様子だと、一撃で仕留め切れなかったんだろ」
図星をつかれてレンは声を詰まらせた。如意棒を画材ケースに戻しながら、「だからさ」と告げた。
「だから、あんたに見て欲しいんだ。筋違いかもしれねぇけど、法力制御ができるまであんたのところに通う許可が欲しい」
レンの言葉に高畑は爪楊枝で歯をせせりながら、尋ね返す。
「そいつはトオルの命令か?」
「いや。俺からの願いだ。勝手かもしれねぇけど、あんたにお願いしたい」
レンは言いながら、初めて会った時にこんなことを言うはめになると想像できただろうかと思う。きっと、できなかった。高畑という人間に時間をかけて接せられたからこそ、自分の内奥から出た言葉だった。
高畑はしばらく黙っていた。やはり駄目なのかとレンが取り消す言葉を発しようとした、その時、「辛気臭いな」と高畑がぼやいて手を振るった。
「分かったよ。武器をやるだけやって、あとの面倒を見ないのは職人の名折れだ。使い手の面倒も職人の仕事のうちだからな」
その言葉に思わず礼を言おうとした時、高畑が先回りしたように、「礼はいらん」と言った。
「お前に改まって言われると、気色悪くてな」
その言葉にレンは笑みを浮かべながら、言葉を返した。
「そりゃ、お互い様だな。誰があんたに礼を言うもんかよ」
レンの減らず口に高畑は満足そうな笑みを浮かべた。意地っ張りだが、職人としての腕と目は一流だ。意地の張り合いは顔を突き合わせていると当然のように起こるものだと思うしかない。それが自分と高畑の関係なのだ。
別れ際、高畑へと問いかけた。
「鉄甲。俺が使えないの知っていて渡したのか?」
その質問に高畑は目をしばたたかせた。
「何言ってんだ? 俺は初めからお前には使えないだろうから他の使い手を捜せって言っておいたぜ」
その言葉に今度はレンが目を丸くした。ということは春日に一杯食わされた形になる。最初からそのつもりだったのだろうか。それとも、状況をそう仕組んだのだろうか。春日のことだ。どこまでが計算だったのかはレンに知る由もない。尋ねたところではぐらかされるのがおちだろう。
「……狸め」
呟いてレンは身を翻した。高畑の声が背中にかかる。
「次に会う時まで生きてるか?」
「悪いな。それはこっちの台詞だ、ジジィ」
その言葉を潮にしてレンは歩き出した。きっと高畑との別れはこのような挨拶でいい。そう思っていた。
バスに揺られ高級住宅街を後にする。窓から西日が差し込み、レンは目を細めた。黄昏時を迎える金海市に到着し、レンはバスを降りて事務所へと向かうと春日が意外な人物と会っていた。ミャオがレンに気づいて鳴き声を上げる。すると、春日とその人物が同時にレンを見た。
「ああ、レン君」
「レン君、こんばんは」
そこにいたのはアカリだった。どうして春日と会っているのか。その問いを発する前に、春日がレンへと歩み寄ってきた。頭を掻きながら、申し訳なさそうに言う。
「面目ないです。どうやら事務所から出るところを目撃されてしまって。それで前回、レン君がここから出てくるのを覚えていたようなので誤魔化しきれないと思い、雇い主だと言っておきました」
「お前、妖怪関連のことは……」
「もちろん。そこら辺は伏せてありますが、何というか、彼女には誤魔化しが通じないところがありますね」
春日が肩越しにアカリを見やる。アカリは春日から受け取った名刺に視線を落としていた。どんな名刺を使ったのかレンも気になるとことではあったが、その前にはっきりさせておくべきことがあった。レンは小声で春日に話しかける。
「春日。約束しろ。どんなことがあっても、妖怪関係にアカリを巻き込むな」
「分かってますよ。僕だってその程度はわきまえているつもりです。だれかれ構わず巻き込んでいい世界じゃない」
春日の言葉に、レンは安心しきれないものを感じながらアカリへと歩み寄った。アカリがレンに向き直る。
「レン君。ミャオの餌あげようと思ったら、春日さんに挨拶されちゃって。レン君の雇い主です、って。名刺までもらっちゃった。すごいよね。わたしにはよく分からない肩書きがたくさん並んでいるよ」
レンは名刺を検分したくなったが、その気持ちをぐっと抑えてアカリへと言葉を発した。
「アカリ。俺はその、バイトみたいなもんなんだ。いつかは話さなきゃならなかったことの一つで、春日もいつか紹介しなきゃと思っていた。だから、その、手間が省けたというか、その……」
言いよどんでいるレンへとアカリは笑顔を向けた。
「そっか。これがレン君の秘密の一つだったんだ。でも、この建物印象に残りにくいよね。どうして気づかなかったんだろう?」
アカリが首を傾げる。それは春日のせいだとは言えずに、レンは曖昧な笑みを返した。その時、事務所の扉が不意に開いて人影がぬっと顔を出した。
「春日さーん。事務所の廊下の電球切れてるから買いに行こうと思うんだけどお金もらえる? って、あれ?」
ショートカットの黒髪に切れ長の黒曜石のような瞳がレンを見つめる。背の高い女性だった。目が合ったのでレンはばつが悪そうに目を逸らした。
「レンじゃん。お使い終わったの?」
「お使いとか言うな。あと、お前に呼び捨てにされる筋合いはねぇぞ、ミヤビ」
その言葉にアカリが目を向けた。女性――ミヤビは首を傾げながらアカリへと歩み寄る。
「あれ? こんな子も事務所に出入りするんだ。この子、誰? レンの彼女?」
ミヤビが笑いを堪えるかのように口元に手をやってアカリを指差す。アカリとレンは顔を紅潮させて同時に叫んだ。
「ち、違う!」
「ち、違います!」
二人の反応を面白がるようにミヤビは頷きながら鼻の下を伸ばした。
「そっかー、違うのかー。でも、私好みの可愛い子じゃん。ねぇ、レンの彼女じゃないんだったら、よかったら私とデートでも……、痛い!」
レンがミヤビへと駆け寄り、画材ケースで頭を叩いていた。ミヤビが蹲って頭を押さえる。目の端にわざとらしい涙を溜めながら、「痛いじゃない!」と喚く。
「うっせぇ! 余計なこと言うからだ、変態!」
「あーら、私が変態なら春日さんは変態紳士だし、春日さんの小間使いしているレンだって充分に変態の素質はあると思うけど?」
その言葉に春日が微笑んだ。褒められたと思ったらしい。レンはもう一度、ミヤビの頭部へと画材ケースを振り下ろした。ミヤビが瞬時に飛び退き、レンの一撃が空を切る。
「二度も殴られるもんですか。レンのバーカ」
ミヤビが舌を出して思い切り馬鹿にした表情をする。レンは渋い顔をして舌打ちをした。
「馬鹿はお前だろうが、ミヤビ」
レンとミヤビのやり取りを見ていたアカリは小首を傾げてミヤビへと歩み寄った。言いづらそうに小さい声で尋ねる。
「あのぅ……」
「ん? 何? 私とデートしてくれるの?」
ミヤビが向かってくるレンを片手で押さえながら聞き返す。アカリは何度か躊躇いながら、ようやく口にした。
「桐坂、ミヤビさんですよね? テレビに出てた……」
その言葉にレンは硬直した。ミヤビはきょとんとしていたが、やがて快活に笑った。
「そのミヤビさんじゃないんだよねー。同姓同名で顔も似ているからよく間違えられるけど。ほら。そのミヤビさんはもっと化粧もしているし、髪だって」
短い髪をかき上げ、ミヤビは言い放った。
「長いはずでしょう?」
ミヤビの言葉にアカリはしばらく間を置いてから、「ですよねぇ」と笑みを浮かべた。
「すごく似ているし綺麗な人だから、もしかしたらって思ったんですけど。有名人がこんな近くにいるはずないし、レン君とも知り合いなわけないですし」
「綺麗な人だってー、レン」
レンの頭を叩きながらミヤビが上機嫌で笑う。レンは頬を引きつらせて怒りを必死に堪えていた。ミヤビがアカリへと顔を近づけ、声を潜めて言った。
「じゃあ、その綺麗な人とデートしちゃう?」
「いや、それはちょっと……」
曖昧な笑みを浮かべて答えを保留するアカリをミヤビは抱き寄せた。それを見たレンが獣のように髪を逆立たせてミヤビへと食いかかった。
「てめ、ミヤビ!」
「いいじゃん、いいじゃん。アカリちゃんも可愛いよー」
ミヤビに抱き寄せられてアカリは困ったような笑みを浮かべた。レンは春日へと視線を向けるが、春日は肩を竦めるばかりだった。