SAO/UNLIMITED プロジェクトSAO 作:牢吏川波実
たくさんの話がある。
たくさんの人間の物語がある。
たくさんの人間の迷い。理不尽な悲しみ。希望への怒り。困惑と戸惑い。
そして、たくさんの人間のーーー。
そうやって、人々は自らの意思でその世界の大地へと足を運ぶことを決めた。
それが、この世界の物語。
でも、ソレは全部ただの序曲。
本命たる人間がかの世界に行くために出されてしまった、悪く言えば幻想を引き寄せるための生贄。
彼は知る由もない、自分自身の存在が多くの人間の人生を狂わせる、この世界の大きな≪特異点≫の一人である事を。
ソレでもなお、彼はあの放送が流された直後に、あの病院へと向かった。
悪魔のマシーンを、返してもらうために。
「お願いします!!」
「……」
和人は、目の前にゲームのラスボスのように鎮座している男、鏡飛彩に誠心誠意に頭を下げた。
この事態だ、もう自分のプライドとか体面とかは度返し、棚に上げてもそれでも頼むしかなかった。
「俺の、SAOとナーヴギアを返してもらいたいんです!!」
悪魔のゲームへ向かうための、片道切符の返還を。
自分が、あの世界へと向かうためにはそれしか方法はない。終始無言でその場にたたずむ飛彩は、無感情という言葉がぴったりなほどに仮面を付けているの幻視してしまい、心が折れそうになる。
負けられない。彼は、言葉をさらに紡ごうとした。
「和人君!」
「ポッピー……じゃなくて、明日那さん……」
と、その時だ。部屋に一人の女性が入って来た。仮野明日那である。
ここは、いわゆる病院職員のための休憩室の一つ。彼女が来れるのも当然か。いや、そもそも自分が飛彩に会いたいと願い出た時点でこうなることは想定済みだったか。
和人がとった行動、それはまず飛彩に会う事だった。あの茅場晶彦のメッセージをテレビから受け取った直後、すぐさま病院に来た和人はしかし、そこで難題にぶち当たった。
飛彩は聖都大学附属病院のエースと言っても過言ではない存在。そんな人間と簡単に会わせてもらえるかと、それに、仮に彼に和人だって伊達にこの世界で生きてきたわけじゃない。
勿論頭のどこかで理解していた。この病院に、既に自分が使用していた≪ソレら≫はないのだと。普通に考えれば、病院に回収された後に警察などの適切な機関に送られているのだと。それでも、一縷のお望みに賭けた和人は、受付で飛彩先生に会いたいと願い出た。
すると、受付の女性は≪少々お待ちください≫とテンプレと思えるような文章で返答をすると、どこかに電話をかけて、そしてそれから数分後飛彩が現れ、次のオペまでまだ時間があるという事、そしてその場所じゃ 五月蝿すぎるという事で、今彼らがいる休憩室で話をすることになった。
そして、上記の通りの女性が現れて今に至る。
「和人君……SAOを取り返しに来たって、本当?」
「……はい」
それだと、なんだか自分が我儘を言ってる乱暴者なだけに聞こえるような気がする。正確にはただ返しに貰いに来たというだけなので、別にその手から奪い返すわけでもないのに。
いや、本来だったら渡せない物を取りに来ているのだから、そう言われる筋合いはあるか。そう、思いながら和人は続く明日那の言葉に耳を傾ける。
「ダメだよ、そんなの! お母さんや、お父さんをこれ以上悲しませたら! それに、妹さんだって……」
「……」
ある意味でお約束の引き留め方だ。蛇足だが、彼の妹の直葉はこの病院にはいない。この病院は東京にあり、彼の家が埼玉県にあるから、当然と言えば当然だろう。しかし、和人がSAOサービス開始当日にゲーム病の関連でちょうどこの病院に入院していたから、当然明日那も飛彩も知っていた、和人の妹がゲームに閉じ込められているのだと。
「大丈夫。きっと帰って来るから、それまで待ってて」
「それじゃダメなんだ……ッ!」
「ッ!」
和人は、握りこぶしを作り、大地をにらみつけるように下を向くと唇を震えさせながらそう言った。
「俺が行かなくちゃ……直葉と一緒に……戦わないといけないんだッ!」
我ながらガキっぽい言い方をしてしまったと、彼は思ったと言う。まるでいじめられっ子を助けるために勇気を振り絞ろうとした男の子のようなその言葉に、明日那もつい言葉を失ってしまった。その間に彼は続ける。
「俺は、そんなに強くないんだッ! 直葉はいつか帰って来るんだって、そう信じている。でも、どこかで不安ばかり残って、心臓を押しつぶされそうになるんだ……」
帰って来る。いつかは、きっと妹は帰って来る。例え何年かかろうと、いつかは自分と、そして彼女の両親の所に戻ってくるはずだ。そう信じている。でも、やはりどこかでは自分の預かり知らない場所で直葉が死ぬかもしれないと言う可能性に心を蝕まれていた。
最悪の事態を想定してしまうのは人間の悪い癖だ。最善の可能性を、希望を心の中で見出しても絶対にどこかに闇は産まれる。やがてその闇はその人を侵食し、壊し、そして、何かを無に帰す。
今回、その闇が茅場晶彦のディレイログインキャンペーンという一筋の希望に見間違う光によって見出されてしまった。
するとどうだろう、只の人間である桐ケ谷和人は、その闇に飲み込まれてこうして間違った方向を向いてしまった。
もう、後戻り何てできない。できっこない。一度闇を抱え込んでしまった人間は、その闇との向き合い方に生涯悩み続けるのだ。いつでも、どんな時でも、執着してくるものに心を蝕まれ、やはり人を壊していく。物を壊していく。
だから、その闇を乗り越えるための方法は、これしかなかった。
「あの世界なら……俺自身が強くなれるあの世界でなら、直葉と一緒に戦えるんだ……きっと」
「……耳障りなことを言う」
「え?」
と、その瞬間だ。飛彩はそれまでの沈黙を破ると、窓のブラインドを開けて、遠くを、いや空を見上げながら言った。
「桐ケ谷和人、お前はSAOが自分を強くしてくれる世界と、そう言ったな」
「え、あ、はい……」
そう、彼はSAOの世界でならどれだけでも強くなれると思っていた。剣一本で、どこまでもどこまでも突き進むことができるのだと、そう信じてやまなかった。
けど、飛彩に言わせるとそれも所詮―――。
「その≪偽りの強さ≫で、他人を助ける力を、お前は本当に持ち合わせているのか?」
「ッ……」
言葉が、出なかった。
≪偽りの強さ≫。確かに、その通りだったから。己がどれだけ強くなったとそう言ったとしても、それは結局SAOという電子的な空間における作られた強さ。それも、その根源にあるのはこの事件の元凶たる茅場晶彦自身だ。
対して、現実の自分は先も言ったように大切な人が帰って来ると信じているはずなのにその不安に心を飲まれるような弱い男。そんな人間が、死の世界に行ったところで、一体何ができる。
間違った強さに何の意味がある。例えどれだけ自分が大きくなったと思ったところでそれは結局幻想の物で、現実の世界には決して反映されない。隠しても隠しても抑えきれない程の心の弱さが表に出て、結局大事な場面で足元をすくわれるかもしれない。
そんな人間が、本当に誰かを、直葉を救えるのか。その問いに、彼は喉元に蓋がされたかのような圧迫感を感じた。対して、飛彩はまだ言い続ける。
「偽りの世界でどれだけ心が強く成ろうと、現実の自分自身が強くならなければ意味がない。出なければ、ただの逃げだ……現実という孤独と喪失感を持ち合わせた世界で戦う事から逃げ、自分が強いという幻想に取りつかれた世界に逃げようとする……俺には、そう聞こえる」
「ッ!」
だめだ、この人に敵わない。和人はそう悟ったと言う。冷静に自分の言葉を分析し、そしてその奥底にある自分の心をも見通すようなその言葉に、心が折れそうになる。
だが、それでも、そう言おうとした時だった。
「だが、もしもお前が本当にSAOの世界に行きたいと言うのなら……」
「え?」
と言って、飛彩は携帯型のタブレットを操作した後に、和人に渡し、ある会社の画面を見せながら言った。
「ここで、ゲームを最高レベルまでクリアしろ」
奇しくも、ソレはどこか茅場晶彦に似ていた。明日那はそう証言している。