ソードアート・オンライン ヴァルキリーズfeatボーイ 作:牢吏川波実
「うん、ゴメンねあゆみちゃん、ゴホゴホ……」
『しょうがないよ。それより、早く風邪を治してね』
「うん、ありがとう」
あの最悪な日常の始まりは、そんな他愛のない会話からだった。
私は、あの日、罪人となった。
大切な友達の人生を奪うという大罪を犯した。
多くの人は言う。貴方は悪くないと。
それじゃ、なんであの子は眠っているの。なんであの子は目覚めないの。なんで、あの子は自分の手の届かないところにいるの。
ねぇ、なんで。
「はぁ……」
電話を切った星空みゆきは、それを机の上に置くと、再びベッドの中に潜り込んだ。
11月6日。本来であれば今日サービス開始となるSAOをプレイするための準備をしているはずだった時間。彼女はそんなことをする元気もなかった。
薄い部屋着に額に張っている冷えピタ。そして咳。体温計は38.0度の高熱を示している。昨日から続くこれらの症状は、間違いなく風邪であると露骨に証明していた。
今は午前の10時を回った直後。まったくもってついていない。こんな大事な日に風邪を引いてしまうなんて。本当だったら今日の午後から自分は友達みんなでSAOをプレイするはずだったのに。今更後悔してもしょうのないことであるが、こんなことならもう少し暖かくして寝るべきだった。
とりあえず、今はゆっくりと静養して、また元気になったその時にSAOをプレイしよう。そう彼女が考えていたその時である。
母から、誰かが見舞いに来たと報告された。けど誰なのだろう。この街に住んでいて、自分が一番親しいと言える友達は、昨日のうちにお見舞いに来てくれたし、他に誰か来るような人いたであろうか。
彼女が思案していると、外からドアを叩くノック音がした。みゆきは、見舞客に風邪を移さないようにマスクをすると、外にいる人間にどうぞ、と声をかける。
すると、現れたのは意外な人間だった。
「やっほー! みゆき!」
「あ、えりかちゃん」
青い髪とその元気な性格が特徴の来海えりか。ハートキャッチプリキュアのメンバーキュアマリンでありみゆきの友達の一人である。
「お見舞いに来たよ!」
「ありがとう、この花つぼみちゃんのお店の?」
「そっ! つぼみには、会えなかったけどね」
みゆきはえりかからガーベラの花を貰う。つぼみ、というのは彼女と同じくハートキャッチプリキュアのメンバーの少女の事だが。
「あ、つぼみちゃんはゲーム買えたんだっけ」
そう、つぼみも何とかゲームを購入することに成功したのだ。だから、その準備やらで忙しくて会うことはできなかったらしい。後から話を聞いたのだが、どうやら彼女は母の仕事のお使いでこの街に来たらしく、それならばとついでに自分のお見舞いに来てくれたのだそうだ。
彼女の母はファッションショップを経営しており、彼女もまた時々そのお店でお手伝いをしているのだ。因みに父はカメラマン。姉は読者モデルなのだとか。
「そうそう。私は一人だけゲットできなかったけど」
ハートキャッチプリキュアは四人構成のチーム。前述した花咲つぼみと、私立明堂学園の元生徒会長である明堂院いつき。そして高校生プリキュアである月影ゆりと来海えりかの四人組。
その四人の内えりか以外の三人はゲームを手に入れることができたらしい。
それにしても、である。
「でも、高校受験を前に遊んでていいのかな?」
「それは言わないお約束!」
言わないお約束で済ませていいのだろか。彼女たちプリキュアは、確かに何名かすこぶる頭の良い面子中には全国模試で上位に食い込むような人間もいたりする。しかし、その逆でとても成績の悪い人間も何人か混じっていたりする。ここにいるえりかとみゆきがそのいい例だ。
でも、ストレス解消にゲームと言ううってつけの物があってやらないという選択肢はないだろう。あんな面白そうなやつなのに、受験前だからと言ってやることが出来ないなんて、そんなの理不尽だ。というごくわずかの成績不良組の意見が押し通られてしまって、結果受験前のプレイを半ば強制的に許可してもらったのだ。
「あ、そうだ。えりかちゃん。せっかくだから……」
「え?」
本当に、些細な提案だった。このままプレイできない自分が持っていても仕方がない。だから。そんな、とてもよくある物の貸し出し。
けど、彼女はこの思い付きをこの後後悔することになる。ずっと、文字通り、一生を賭けて。
「ナーヴギアとSAO、私の所にあっても仕方がないから、風邪が治るまでプレイしたらどう?」
「本当!?」
「うん、私の分まで楽しんできて」
「ありがとうみゆき!」
えりかからしてみれば棚から牡丹餅だった。最初は本当にお見舞いのためだけに来たのに、こんな超プレミアもののゲームを貸してもらえるなんて、夢のようだ。
えりかは、その後みゆきとしばらく話してからナーヴギア、SAOの二つを持って自分の家に帰っていった。
ドアから外に出る時のその顔、みゆきはいつまでも忘れることは無い。本当にゲームをプレイするのが楽しみで、嬉しくて、不安なんて一切ない天真爛漫と言ってもいい笑顔。
まさか、その笑顔が見れなくなるなんて、この時には思ってもみなかった。
それから数時間後、星空みゆきの姿は外にあった。
服は変わらず部屋着で、上に薄いコートを着ているだけ。走っているからなのか、高熱だからなのかは分からないが顔はとても赤く、その足取りもフラフラとしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息も絶え絶えで、苦しく、心臓の鼓動も聞こえてくるくらいに動悸している。本当なら走ってはいけない。いや、外に出る事すらいけないような体調不良。この時、彼女の熱はさらに上昇し、そもそも立って歩くことすらも困難な状況に陥っていた。
それでもその身体を動かすのは罪悪感か、それとも責任感か、はたまた―――。
「こんな、こんなことになるなんて」
最初は思ってもみなかった。
SAOのサービス開始から一時間弱、彼女のスマホに思いもよらなかったニュースが飛び込んできた。
多くの物が同じ物を目撃した≪SAOがデスゲーム化した≫というソレである。
その瞬間だけ、彼女の熱が下がったような感じがしたのは気のせいだったのか。それとも血の気が引いたのを熱が下がったと身体が勘違いしたのか。不明だ。けど、この時彼女がパニックになったという事は間違いないのない事実。
このニュースを見た彼女がすぐに思い出したのはこの街にいる≪二人≫の友達。自分と同じく、SAOを買うことのできた運の良い二人の友達。
そして、その次に思い出し、絶望した。
自分が、地獄への片道切符を手渡してしまった少女の事を。
彼女のことが思い浮かんだらいてもたってもいられず、こんな状態なのに外に出てきてしまった。
けど、もう限界だった。駅までわずか百メートルの所で倒れそうになったみゆき。けど、倒れたくない。もしここで倒れたらもう二度と立ち上がれないような。そんな気がして。
だから、彼女は倒れない。倒れたくない。自分が、こんなところで倒れたら、だめだ。彼女に残っているのは気力だけ。
そんな彼女の身体を受け止めたのは、えりかと同じく青色の髪を持った少女だった。
「みゆきさん!」
「れ、れいかちゃん……」
青木れいか。彼女の友達である少女。そして、彼女と同じくプリキュアである女の子だった。彼女もまた、ゲームを買うことが出来なかった居残り組と呼ばれるメンバーの一人だ。
れいかは、みゆきの額に手を当てると驚きの表情を浮かべる。
「ひどい熱。何故こんな状態で外に出たりしたんですか!」
「え、えりかちゃんが……私が、SAOを渡したから……」
知っている。分かっている。そんなことは。自分だってあのニュースを見てたくさんいる友達に電話をかけたのだ。結果、SAOを購入で来た人間は一人残らずゲームの世界に足を踏み入れた。つまり、皆ゲームの中に閉じ込められてしまったという事を知った。
そして、その中の一人は、元々ゲームを買うことはできなかった居残り組だった人間であるという事も。
何故、彼女がSAOを持っていたのか。その時に、れいかの頭に思い浮かんだのがみゆきだった。もし風邪を引いた彼女がSAOを自分の代わりにという事でプレイするようにえりかに託していたとするのならば、えりかがSAOをプレイしていたのに辻褄が合う。
れいかはすぐに星空家に電話をかけた。すると、みゆきがいつの間にか自分の部屋から消えたと言うではないか。
これはもう決定的だ。恐らく彼女はえりかの元に向かったはず。例え、それで何も変わることは無いと知っていたとしても。
そして、案の定彼女はいた。熱でボロボロの身体を引きずるかのように、それでも歩こうとする。ゾンビのような状態で。
れいかは、自分の羽織っていたコートを彼女に着せると彼女をしゃがませてから目線を合わせて言った。
「ですが……いまみゆきさんが行っても何にもなりません……」
「でも、でも私!」
「みゆきさん!」
「ッ!」
「居ても立っても居られないのは分かります。しかし、いま大切なのは、みゆきさんの身体です。その身を大事にしてください……」
「うぅ……」
れいかのその言葉が、とてもひどく心に刺さった。本当なら、もっと残酷な運命を課された仲間たちの事を心配しないといけない少女が。自分なんかのために、自分なんかを心配してくれている。そのことがとても嬉しくて悲しくなった。
「うあああぁぁぁあぁあぁあぁ!!」
みゆきは、立ち上がれない。涙を流し、叫び、それでもその心が休まることは無い。休まってはならない。自分のせいで、地獄の道を歩むこととなった少女を思うと、もう、二度と。
「辛いのは、私も同じです……」
れいかは、そんな少女を抱きしめてあげることしかできない。ただ、それだけでしか彼女の心を救う手段を見つけられなかった自分が悔しかった。
彼女の特技は笑顔。特徴は笑顔。アイデンティティは笑顔。そんな彼女がここまで悲しみで顔を歪ませるなんてこと、誰が想像できたであろう。
誰が、こんな悲劇を望んでいた。
救急車とパトカーのサイレンがあたり中から聞こえてくる。きっと、このSAOの対応のために走り回っているのだろ。その音は、偶然にも彼女の声をかき消してくれた。だから、その声を聴けたのは例かだけだった。
その思いを受け止められるのはれいかだけだった。
れいかだけが、彼女の悲しみを知っていた。
その日、彼女は笑顔を失った。
果たして、彼女が背負わされてしまった悲しみを清算する日が来る日がやってくるのか。
それは、誰にも分からないことだった。