「詰まるところ、剣士とは人から外れた生き物だ」
夜の森の中、焚火の前で白髪の老人は呟いた。
「利も名も求めず、快楽のためでもない。ただ斬ることだけを求めた者だけが剣士に至れる」
揺らめく炎を見つめながら、口から漏れ出るように言葉を紡ぐ。
「剣を振り続け、研ぎ澄まし、ついには己が魂すら一つの刃になったとき、剣士は生まれるのだ」
いまのお前は所詮
老人の背後には一本の大木があり、てっぺんの方の枝には黒髪の痩せた少年が逆さ吊りにされていた。年は十を超えないくらいだろう、まだまだ小さな少年だ。
フーガと呼ばれた少年は体のいたるところにあざを作り、手足は縄で拘束されている。
フーガは全身の痛みに顔をしかめながら大声で叫んだ。
「師父! いくらなんでもこの高さじゃあ! ぼそぼそした声では聞こえません!」
しかし老人はフーガの叫びに耳を貸さず、再び炎の前で呟き始める。
「そもそも剣の道とは無駄の極致、人の歪が生んだものよ」
「おいコラッ、聞こえてねえのかクソジジイィィ!!!」
打てど響かぬ老人にフーガが怒声を上げると、次の瞬間フーガめがけて下から石礫がとんできた。風を切る音すら遅れて聞こえるほどの速さと身動きの取れない状態で対応できず、フーガは額に石礫を食らう。
あまりの痛みに悶絶するフーガ。
「これだから礼儀を知らぬ餓鬼は」
石を指で弾いた張本人である老人は、自身の弟子を名乗る少年の不出来さにため息をつく。あきれられていることにフーガが気づけば猛烈に抗議することだろう。
しばらくして苦悶の声が聞こえなくなると、老人は炎に向かって言葉を紡ぐ。
「剣とは人の営みにおいて最も無駄な道具よ、何故かわかるか?」
老人は呟くと、今度は一呼吸間を置いた。しかし誰も何も言わない。
あたりに炎がパチパチとはじける音だけがする。
しばらくすると老人は、再び指で石を弾いた。
「ったぁぁぁ!?」
「師の問いには答えんか、馬鹿者が」
「いくらなんでも理不尽すぎやしませんかねぇ師父っ!?」
頭上でフーガがギャーギャー騒いでるのを聞き流して、老人はまた炎との対談を始めた。
「人は営みの中で多種多様なものを生み出した。名を挙げようとすればきりがないくらいに。しかし人は、ついには同族殺しの得物を作り出した」
燃え盛る薪がばちん、と弾ける。
「それが剣のはじまりよ」
老人の小さな呟きを耳をそばだててなんとか聞き取ったフーガは、血が上ってきた頭で必死に考えると、
「しかし師父っ!」
下の老人が聞き取れるように大声で叫ぶように質問する。
「剣でも狩りくらいは出来ますがっ!?」
「本来の用途ではない、それくらい気付け阿呆が」
フーガの質問を一蹴すると、頭の回らない弟子のためにわかりやすく説明する。
「人の狩りは石が始まりだ。逃げる得物を捕らえるために、人は棍棒を振り回すことをやめ石を投げた。安全と効率を考えた結果だ。次第にそれらは進化して槍や弓矢となった。斧も木を切り倒すためにあり、ナイフは食い物を分けるために使った。魔術は……まあいい。今のお前に言ってもわかるまい」
老人が例に挙げたものは、いずれも人間を多く殺してきた道具たちだ。だが、これらの道具には本来の用途が別に存在する。
「しかし剣は違う。あれは人が人を殺すために作り出した、いわば人の業のかたまりよ」
刃の長さ、重量、柄のつくり。
それらすべては、人間が目の前の相手を最も能率良く殺すにはどうすればいいかを考えたが故のものだ。
「食うためでもない、ただ殺すだけの道具を使うための道なんぞ、無駄と言わずしてなんと言う」
そこまで言うと老人は自嘲するかのように嗤った。
フーガもなんとか頭を働かせて老人に問いかける。
「なら師父、どうしてあんたは剣を振るう?」
口にした途端、しまったと思い目を瞑り身をすくめる。慣れない呼び方や話し方をしているのも、礼を失すると老人から手痛い攻撃をされるからだ。
しかしどれだけ待っても、痛みはフーガを襲わなかった。
恐る恐る目を開けると、老人はこちらを見上げていた。
「……見たいのだ、その先を」
その言葉は、炎に向けて呟いていたものとは違い力があった。
老人の鋭い眼光にフーガも思わず魅せられる。
「無駄の極致、人の業の結集、剣の由来は醜いものだ。だが、だが本当にそれだけなのか?」
老人は近くに落ちていた枝を右手に携え立ち上がると、左足を引いて半身になり構えをとる。
「情も、誇りも、責務も、ありとあらゆるものを削いで、研ぎ澄まし、そのうえで剣を振るえば」
柄頭を前に、刃先は後ろに。
わずかに腰を落とし、胸のあたりで水平に構える。
息を吐き、吸って、踏み込んで、
音が響き渡ることも、風が吹き荒れることも、衝撃が駆け抜けることもない。
しかし焚火の炎は消え、木々は怯えるように揺れた。
フーガには知覚できない。しかし間違いなく、老人の一振りによって何かが斬られたのだ。
「……その先が、見えるやもしれぬ」
老人の振るった枝は、持ち手から先がなくなっていた。
その姿を見てフーガの体は歓喜で震えた。
彼は知っている。老人が今見せたそれをはるかに超えたものを。
あの日フーガは魅せられたのだ。老人が振るう透明な剣に。
あらゆる理屈も、道理も超越した斬撃に。
それに手を伸ばすために、老人のもとに弟子入りしたのだから。
「……いつまでもぶら下がっているつもりだ、そろそろ降りてこい」
その声とともにフーガを吊るしていた縄はぶつんと切れ、フーガは絶叫とともに落ちてきた。
空中で態勢を整え、着地とともにゴロゴロと転がり衝撃を逃がす。
「馬鹿ですか!? 下手すればマジで死ぬところだったんですけど!?」
「うるせえたわけ、もとはといえばお前の物覚えが悪いのが原因だ」
だからといって、罰として50メートルはある木に手足を拘束して逆さ吊りはひどいと思う。スパルタにもほどがある。
だが残念なことに、文句を言ったところで改善されることはない。弟子は師の横暴に耐えるしかないのだ。
恨めしそうに老人を見ていると、老人から訝しげな視線を向けられる。
「なんだ、腹でも減ってるのか」
「……まあ、それもありますが」
「ちょうどいい、そこらにいる奴らを好きに狩って食えばいい。お前にはちょうどいい手合いだろう」
そう言うと老人は、フーガを吊るしていた木の側に置いていた直剣を地面に突き刺して、森の奥へと立ち去ってしまう。跡にはいまだ縛られたままのフーガだけが残された。
「やっぱひでぇよ、うちのジジイ……」
折れそうになる心を必死につなぎとめて、フーガはなんとか上体を起こす。
足に残っている自分を枝に吊るしていた縄を見ると、切断面は鮮やかなものだった。
まるで何かに斬られたかのように。
「……何をどうしたら、地面の上で振った枝が、俺の縄を切ることになるのかねぇ」
老人の斬撃を理解しようとするのはとっくの昔にやめた。あれは理屈や常識を飛び越えた先にあるものだ。
手足に力を込めて縄をちぎると、解放された喜びで二度三度伸びをする。そして地面に刺さった直剣を手にして初めて一息ついた。
直剣はフーガの修練のために老人が貸しているものだ。
片刃で反りも鍔もなく、柄も木製の簡素な拵えのもの。この辺りでは珍しい形の剣だが、けっして業物といえるほどのものではない。
しかしフーガのお気に入りの剣だ。それを持って来てくれた老人に心の中で感謝する。
愛用の剣を持ち、一息つき、精神を落ち着かせたところで、
フーガは自分に迫る危機に気付いた。
「あれ、なんでこんなに殺気立ってるの?」
姿こそ見えないが、それらの視線と殺意は確かにフーガに向けられている。
──実はフーガと老人が暮らしている山は、多くの危険な獣が住まうことで名の知れた場所である。
猛獣、魔獣はもちろん、魔物や妖魔までここには住んでおり、かつては武芸者たちが奥義やら何やらを会得するためにこもり、そのまま誰も帰ってこなかったなんて逸話もあるくらいだ。
ここに暮らすものたちはどれも異常なまでに強い。フーガでは万全の状態で一対一でなければ勝機がないほどに。
先ほどまでは圧倒的強者である老人に怯えていたために森は静かだったが、ここには満身創痍のフーガ一人だけ。おまけに奴らは人肉と人の魂が好物ときている。
絶体絶命の危機であった。
フーガは疲れた体に鞭打って、一目散に逃げだした。
「あんのクソジジイィィィィィ!!!!」
「────なんてこともあったの、アンタは覚えちゃいねぇんだろうなぁ」
「あれからもう8年経つのか……。なんだか実感わかねぇな」
「アンタの修練はほんとメチャクチャで、何度死んだと思ったか」
「まあ、おかげでなにか掴めそうなところまで来れたんだ」
「……うん、ほんとに感謝してるさ」
「あの日、戦場で死にかけてた俺をアンタが拾ってくれたから、今こうして俺は生きている」
「アンタの剣に魅せられたから、俺はここに立っている」
「アンタが俺に、今の俺をくれたんだ」
「……でも、こんな感傷すらアンタは無駄って言うんだろうな」
「……」
「……剣士は剣に生きて剣に死ね」
「それ以外のものを求めるな、ってアンタは言うけれど」
「その言葉はきっと正しいんだと思うけど」
「まだまだ
「……大丈夫」
「必ず、アンタと同じ景色を見れるようにするさ」
「いつか、アンタを超えてみせるから」
「アンタがたどり着いた答えに、追いついてみせるから」
「……辛気臭くなったな」
「じゃあ、そろそろかな」
「俺は世界も自分も知らないから、旅の中でいろいろ考えてみるさ」
「瓢箪と盃と、直剣はありがたく貰っていくよ」
「剣のその先がわかったら、真っ先にアンタに教えるさ」
「それまでは、目の前の斬りたいものを斬りまくる」
「それが剣士の生き方だもんな」
「忘れないさ、絶対に」
「じゃあ」
師父よ、行ってまいります
誰もいない家に別れを告げて、フーガは剣を知るための旅に出た。
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