たった一度のファインプレー <ちばあきお原作「プレイボール」後日談> 作:物語の記憶
ポジションはライト(そこしか守れる所がない……)。野球の実力そのものは乏しいが、前向きに練習に取り組む姿勢は、キャプテンの谷口も認めている。もっとも最近では、マネージャー的な仕事に比重が傾きつつあるが。
大会期間中は、他校への偵察でも力を尽くしている。その眼力は適確で、半田の気づきを元に、強豪校のエースを打ち崩したこともあった。
(※学年は、アニメ版『プレイボール』に合わせます。)
イガラシ:一年生。投手兼内野手。天才肌でありながら、努力の量は同じ墨谷二中出身の谷口や丸井にも引けを取らない。小柄な体躯。先輩の丸井曰く“サルかラッキョウのような”顔立ち。自分にも周囲にも妥協を許さない性格。
谷口タカオ:三年生。墨谷高校野球部キャプテン。投手兼三塁手。ひたむきに努力する姿勢で、チームを引っ張る。
倉橋豊:三年生。墨谷高校野球部の正捕手にして、名参謀。長身の堂々たる体躯。
入部当初は、歯に衣着せぬ発言で周囲と軋轢があったが、それもチームを思ってのこと。なんだかんだで面倒見が良く、現在では良好な人間関係を築いている。
隅田中学出身。当時、地区随一の名捕手と噂されていた。松川とは、この頃からバッテリーを組む。地区大会準決勝では、谷口擁する墨谷二中と対戦。延長戦に縺れ込む激闘の末、惜敗した。
丸井:二年生。谷口の墨谷二中時代からの後輩。情に厚く、面倒見が良い。どんな時にも努力を惜しまない姿勢は、チームメイトの誰もが認める。
六月中旬。東京は、五日ぶりの晴天である。
「よし、つぎは外野だ。いくぞレフト!」
「オウヨッ」
墨谷高校。ユニフォーム姿の野球部員達が、グラウンド狭しと走り回る。ノックの打球や送球のボールが、次々に飛び交う。
「ナイスプレーよセンター」
ノッカーを務めるのは、墨高野球部キャプテン・谷口タカオだ。傍らに正捕手の倉橋豊も、プロテクターを装着し控える。
「つぎ、ライト!」
「……は、はい」
おっかなびっくりに返事したのは、控えの二年生外野手・半田である。周囲をきょろきょろと見回し、明らかに落ち着かない様子だ。
谷口は倉橋と一瞬目を見合わせたが、すぐにノックバットを振るう。
「へいっ」
掛け声と同時に、ライトへ飛球を打ち放つ。
「え、ええと……バックか」
打球判断を迷ううちに、スタートが遅れた。右斜め後方へダッシュする半田。左手のグラブを精一杯伸ばす。しかしその数メートル先に、打球はバウンドしてしまう。
「ばかっ、判断おせーよ」
倉橋がホームベース手前で怒鳴る。二塁手の丸井が「あーもう」と呆れながら、中継に走った。その間、遊撃手のイガラシが二塁ベースカバーに入る。
「……くっ」
ようやく打球を拾った半田は、慌てて中継へ投げ返す。山なりのボール。それを受けた丸井は、矢のような送球を二塁ベース上へ投じた。イガラシが捕球と同時に、ベースタッチの動きをする。
「なにやってんだよ半田!」
腰に手を当て、丸井が青筋を立てる。
「スタートが遅れなきゃ、十分間に合った打球だろう。レギュラーを外れたからって、気が抜けたんじゃあるまい」
まったくだぜ、と倉橋も同調した。
「これじゃ控えもつとまらねーぞ」
「す、すみません」
肩をすくめ、半田は小さな声で返事した。
「……あっ」
その時、ふとイガラシと目が合う。何か苦言を述べたいのかと、半田は身構える。しかし当人はほとんど無表情のまま、踵を返しポジションへと戻っていく。
「……イガラシくん、怒っちゃったのかな」
胸の内につぶやく。この一学年下の少年に、半田は畏怖にも近い感情を抱いていた。逸材揃いと言われる今年の新入部員の中にあっても、素質は抜きんでている。それでいて練習量は人一倍だ。
つまり、ほとんど非の打ちようのない男である。強いて欠点を挙げるとすれば、上級生にもズケズケと発言することと、あまりにも妥協を知らないという点か。
「こら半田。なにボーッとしてるんだ」
前方で、谷口が一喝する。
「ほれ、つぎいくぞ」
「は、はいっ」
半田は慌ててライト定位置に戻り、打球に備えた。
「……さ、さあこい!」
夜七時。全体練習は終わったが、すぐに帰ろうとする者はいない。
夏の大会まで二ヶ月弱。チームは今、レギュラー争いの真っ只中だ。誰もが素振りやトスバッティング、走り込みと、それぞれの個人練習を始める。
「ええと、包帯の在庫は……」
野球部部室にて、半田は薬箱の中身をチェックしていた。マネージャーも兼ねている彼の欠かせない日課である。
「よし足りてる。このところみんな上達してるせいか、以前と比べケガが減ってる。買い足しは来週でいいかな」
その時だった。ふいに背後から「あの」と声を掛けられる。
「え……わあっ」
振り向いて、思わず声を上げてしまう。なんとイガラシが立っていた。
「あ、すみません。驚かせちゃって」
後輩は苦笑いして、頬をポリポリと掻く。
「ううん。ど、どうしたの?」
「スコアブック貸してもらえませんか? こないだの練習試合のを見たくて」
「こないだのって……ああ、左投げのすごく速いエースのいた」
ええ、とイガラシはうなずく。
「自分のバッティングが、どうもしっくりこなかったので」
「し、しっくりこなかった? あれでかい?」
半田は思わず、目を丸くした。
「あの試合、きみは四安打してたじゃないか。ほかの人達は……上位打線でさえ、けっこう苦労してたのに」
「たまたまです。飛んだところに、野手がいなかっただけで……あった」
スコアブックの目当ての頁をめくり、後輩は手を止めた。
「……む。やはりスローカーブを見せられた後の、高めの速球だな。あれを合わせにいくのじゃなく、振り抜けるようにならなきゃ」
半田は「なるほど」と、胸の内につぶやく。
「これじゃレギュラー確実なんて言われるわけだ」
頁を閉じて、ふとイガラシはこちらに目を向ける。
「前から思ってたんスけど。半田さんて……」
「えっ」
ぎくっとした。さっきのお粗末なプレーを指摘されるのかと、一瞬身構えてしまう。
「ほんと野球好きですよね」
そう言って、後輩は一つ吐息をつく。
「ああ……そ、そうかな」
「ええ。みんなが面倒くさがるような道具の手入れを、毎日ていねいにやってますし。このスコアブックにしても、ほんとうに細かく書いてますし」
「お、おかしいかい?」
「いえ。ただ半田さん、お世辞にも野球の方の実力は……あっ」
こう言いかけて、イガラシは口をつぐむ。
「すみません」
「ハハ、いいよ。実際そのとおりだから」
腹は立たない。これぐらいはっきり言われると、むしろ清々しいほどだ。
「イガラシくんは、すごいよね。才能あるもの」
半田の言葉に、イガラシはきょとんとした目になる。
「才能ですか? そんなこと、自分じゃ思ったことないですね」
照れ隠しなのかと思ったが、相手は真剣な面持ちだ。
「え……だって、あんなにうまいのに」
「まあ。そりゃ長いこと野球やってるので、人よりは多少できるかなと思いますけど」
イガラシは淡々と答える。
「でもおれ、この中の誰よりも練習してるので。それでちょっと野球がうまいからって、才能があるとは言わないんじゃありませんか」
もう一度、半田は「なるほど」と合点した。誰よりも努力を重ねているという自負、それがこの男を支えているのだと。才能などという曖昧な言葉を使ったことを、少し恥じる。
「……まあでも」
ふとイガラシが、口元に笑みを浮かべた。
「おれがそういうことをできるのは、ちと人より野球ができるからなんスよ。そうじゃないのに、あれだけチームの仕事をやれるのは、単純にすごいって思いますけど」
「あ、ありがとう」
顔が少し火照ってくる。自分が敵わないと思っている相手に、まさか認めてもられるとは思わなかった。
「いえ。こっちこそ」
イガラシは苦笑いした。
「つい生意気言いました。すみません」
「……ううん。でも」
ずっと胸の奥にしまっていた本音が、思わず口をついて出る。
「ファインプレー」
「えっ?」
「きみには笑われちゃうだろうけど、ぼく……凡フライをとれるようになるのも、一苦労だったから」
相手は無言のまま、微かにうなずく。
「だから……ぼくも一度くらい、ヒット性の当たりをとってみたいなって」
笑われると思ったが、イガラシは真顔を崩さない。しばし何かを思案するように見えたが、やがて口を開く。
「音ですね」
「……お、音かい?」
予想外の一言に、つい相手の言葉を反すうしてしまう。
「半田さんは打球をじっくり見ようとしすぎて、スタートが遅れてしまうんスよ」
「う、うん。でも打球を見なきゃ、とれないだろう」
「基本はそうなんスけど、半田さんは見すぎてます。だったらいっそ、打球方向だけ見ることにして、あとは音をたよりに走る。そうすりゃ、今よりはずっと反応が速くなりますよ」
「む、無理だよそんなの」
半田は大きくかぶりを振った。
「ちゃんと見てても、打球を追っているうちに見失っちゃうこともあるのに」
「どうしてです?」
不思議そうに、イガラシは言った。
「半田さん……あれだけ細やかなデータ分析は得意なのに、それを自分のプレーには生かそうとしないスよね」
あっ、と半田は目を見開く。
「半田さんなら、音のちがいで打球がどこまで飛ぶかなんて、やろうと思えば計算できるんじゃありませんか。もっと自分の強みを信じりゃいいのに」
束の間の沈黙。部室の窓より、初夏の風が緩やかに流れ込んでくる。
一人部室を出て、イガラシは「ふう……」と溜息をつく。
「どしたいイガラシ」
そこに中学からの先輩丸井が、声を掛けてきた。
「ため息なんかついて。なにか、悩みごとか?」
「まさか。ついさっき、半田さんと話してたんスよ」
渋い顔で、イガラシは言った。
「あの人と話すと……おれ、なんか緊張しちゃって」
「お、おまえが緊張?」
丸井は大仰な声を発した。
「半田に? それこそ、まさかだぜ」
「し、しかたないでしょう」
珍しく、イガラシが頬を赤らめる。
「半田さんてなに考えてるのか、よく分からないトコありますし」
「む、そうか?」
「ええ。しかも自分が試合に出られないってのに、ああして一人で裏方の仕事をこなすなんて、おれにはとてもできないなと思って」
そう言って、ふいに後輩はにやっとした。
「考えてることが分かりやすい人なら、ラクなんですけどね」
丸井は「なにっ」と、分かりやすく青筋を立てる。
「てめ俺っちのこと、単純人間だと言いてえのか」
「まあまあ。つまり裏表のない人ってことですし、いいじゃないスか」
「またそーやってごまかしやがる。どう見ても、そんなニュアンスじゃなかったろう」
ムキになる先輩をいなしつつ、イガラシは「そういや……」と胸の内につぶやく。
「半田さん、まえにどこかで会った気がするんだよな。はて……いつだったか」