たった一度のファインプレー <ちばあきお原作「プレイボール」後日談> 作:物語の記憶
ポジションはライト(そこしか守れる所がない……)。野球の実力そのものは乏しいが、前向きに練習に取り組む姿勢は、キャプテンの谷口も認めている。もっとも最近では、マネージャー的な仕事に比重が傾きつつあるが。
大会期間中は、他校への偵察でも力を尽くしている。その眼力は適確で、半田の気づきを元に、強豪校のエースを打ち崩したこともあった。
(※学年は、アニメ版『プレイボール』に合わせます。)
イガラシ:一年生。投手兼内野手。天才肌でありながら、努力の量は同じ墨谷二中出身の谷口や丸井にも引けを取らない。小柄な体躯。先輩の丸井曰く“サルかラッキョウのような”顔立ち。自分にも周囲にも妥協を許さない性格。
谷口タカオ:三年生。墨谷高校野球部キャプテン。投手兼三塁手。ひたむきに努力する姿勢で、チームを引っ張る。
倉橋豊:三年生。墨谷高校野球部の正捕手にして、名参謀。長身の堂々たる体躯。
入部当初は、歯に衣着せぬ発言で周囲と軋轢があったが、それもチームを思ってのこと。なんだかんだで面倒見が良く、現在では良好な人間関係を築いている。
隅田中学出身。当時、地区随一の名捕手と噂されていた。松川とは、この頃からバッテリーを組む。地区大会準決勝では、谷口擁する墨谷二中と対戦。延長戦に縺れ込む激闘の末、惜敗した。
丸井:二年生。谷口の墨谷二中時代からの後輩。情に厚く、面倒見が良い。どんな時にも努力を惜しまない姿勢は、チームメイトの誰もが認める。
またとある日の夕方、墨谷高校。
「さあ、いくぞ」
「よしきたっ」
今日も白球と野球部員達の声が、グラウンドを力強く飛び交う。
「……ようし。つぎ、ライト!」
ノッカーを務める谷口が、掛け声と同時にバットを振るう。カキッという打球音。
まず一年生の久保が、左中間への飛球を斜めに走りながら捕球した。そして、すかさず中継の二塁手丸井へ投げ返す。無駄のない動きである。
「もういっちょ!」
今度は速いゴロを放つ。久保は鋭くダッシュし、シングルハンドで打球を捕ると、そのままバックホームした。ワンバウンドのストライク返球が、正捕手倉橋のミットに収まる。
「ほう。やはり久保は、ソツなくこなすな」
倉橋は目を細めて言った。
「さすが昨年の中学選手権を獲った、墨二のレギュラーなだけある」
む、と谷口もうなずく。
「バッティングもいいし。彼なら十分、外野のレギュラーとしてやっていけそうだ」
さらに数球を打った後、谷口はもう一人の右翼手へ声を掛ける。
「つぎ、半田いくぞ!」
半田が「おうよっ」と返答した。いつになく声に力がある。
ボールを左手で浮かせ、谷口はバットを振るう。その瞬間、半田は打球も見ずに、右斜め後方へ走り出した。
「ばかっ。なにやってんだ」
倉橋が怒鳴る。こちらに振り向いた半田の数メートル前に、ボールは落ちた。周囲も「あーあー」と溜息を漏らす。
しかし谷口は、へえ……とひそかにつぶやいた。
「まったく、打球も見ねえで」
傍らで呆れる正捕手を、キャプテンは「まて倉橋」と制す。
「たしかに飛距離は読めなかったが、打球の方向は合ってるぞ」
「えっ、ああ。けど凡フライだぞ」
「む。しかし……いつも一歩目で遅れる半田が、あんなに迷いなくスタートを切れたのは、初めてじゃないか」
あっ、と倉橋は目を丸くする。
「そういやあ……」
「半田なりに考えがあるんだろう。まず彼の思うように、やらせてみようじゃないか」
「分かった」
それから数球、谷口はフライを前へ後ろへと打ち返した。
相変わらず、なかなか捕れない。しかしボールへの距離は、続けるごとに確実に縮まっていく。そして……
「もういっちょ!」
カキッ。外野手にとって特に難しいと言われる、正面後方へのライナーが飛んだ。
半田は背を向けるや否や、ダッシュした。十数メートル走ったところで、くるっとこちらに向き直った。そして頭上にグラブを掲げる。
ボールは、半田のグラブに収まった。
「おおっ。ナイスプレーよ半田」
倉橋が目を丸くして、半田を讃える。
「あのコース、今まではとれなかったのに」
うむ、と谷口はうなずいた。
「半田じゃなくても難しい打球だ。しかしよく思いついたものだ、音で飛距離がどれくらいか測ろうとするとは」
「なるほど、音ね」
さしもの倉橋も、感嘆の声を発した。
「それで打球は見ずに、走り出してたのか。考えてみりゃ、細かくデータを分析するのは、あいつのオハコだからな。自分に合ったやり方を見つけ出したのか」
その時、一人が「ナイスキャッチ!」と叫んだ。
「だいぶ合ってきたじゃないスか。その調子です」
なんとイガラシである。谷口は思わず、倉橋と目を見合わせる。
「ひょっとして、イガラシの入れ知恵なのかも」
「そのようだな」
何だか可笑しくて、二人とも笑いがこぼれる。
それから二週間後。墨高は夏の大会前の、最後の練習試合に臨んでいた。
相手は春の甲子園に出場した千葉県の強豪校だが、なんと八回を終えて、墨高は四対二とリードを奪う。
最終回のマウンドには、一年生の井口が上がる。そしてライトには、この回から守備につく半田の姿もあった。
駒沢球場。よく整備された外野の土を踏みしめながら、半田は「さあこい!」と掛け声を発した。おうよっ、とすぐに周囲のナインが応える。
「試合に出られるのは、当分ないんだろうな」
こっそりつぶやいていた。ふと感傷が、込み上げてくる。
「でもいいんだ。うまくなくても、こうして野球をしていられる」
ぼくは、と半田は声に出してみた。
「野球が……ぼくは、野球が好きなんだ」
感傷に浸っていられる時間は、しかしそう長くはなかった。
井口は簡単に二死を奪ったものの、そこから連打と四球で満塁のピンチを招く。さらに打順は中軸へと回る。
「タマが高いぞ井口!」
キャッチャー倉橋が、険しい声を発した。
「ツーアウトだ。内野、近いところで」
キャプテン谷口も、周囲に確認の言葉を掛ける。さっきまで静かだったグラウンドが、俄かに騒がしくなる。
眼前の光景に、半田はポツリと言った。
「……飛んでこないかな」
いつもおっかなびっくり守っていた彼に、初めて芽生えた気持ちだった。
マウンド上で、井口がセットポジションに着く。左打席の三番打者が、やや短めにバットを構える。アンパイアが「プレイ!」とコールした。
直後、小気味よい音が響く。
「ライト!」
ライナー性の打球が、右中間を襲う。半田は迷わず走り出していた。味方ナイン達の声が、どこか遠くに聴こえる。
「この音は……深く、もっと深く……いまだっ」
次の瞬間、半田は右足で土を蹴り、ジャンプした。体が一本の矢のようになる。
パシッ。グラブの先にボールが収まった感触があった。そのまま顔と上半身が、土の上に叩き付けられる。
一塁塁審が駆け寄ってくる。痛みをこらえながら、ぐいっと左手のグラブを掲げた。
「あ、アウト! ゲームセット」
大観衆の声が聴こえた気がした。少しはにかんで、半田は立ち上がる。
試合後の挨拶を済ませ、墨高ナインは一旦ベンチに帰る。ピンチを救った半田を、チームメイト達はいささか手荒く讃えた。
「まさか半田に助けられるとは!」
丸井がからかうように言って、軽く背中を小突く。
「打たれた瞬間、逆転は覚悟したんだが。やるじゃねえか」
興奮気味に言ったのは、横井である。
「……あ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にして、半田は応えた。
「うれしいです。ぼく、最後の試合で……いいプレーができて。一度くらいファインプレーがしてみたいって、ずっと思ってたので」
少し目元を潤ませる。その時「こら半田」と、叱責の声が飛んだ。
「だれが最後の試合だって?」
「きゃ、キャプテン……」
やはり谷口だ。腰に両手を当て、こちらを睨み付ける。
「なにをカン違いしてるのか知らないが。おれはおまえを、試合に出さないと決めたおぼえはないぞ」
「えっ」
「やろうと思えば、あれだけのプレーができるんだ。いつ出番がきてもいいように、帰ったらまたしっかり練習するんだ。いいなっ」
キャプテンは小さく右拳を突き上げる。
「は、はい!」
返事した半田の背中を、ポンと叩く者がいた。
「……い、イガラシくん」
後輩がいつもの仏頂面で、そこに立っている
「悪くなかったスけど、もっと一直線に走らないと」
「あ……う、うん」
「キャプテンの言うように、これはもう練習するしかないス。ぼくも後で手伝いますよ」
「そ、それはドウモ」
半田は苦笑いして、ところで……と切り出す。
「なにか」
「まえから思ってたんだけど、ぼく達……どこかで会ったことない?」
えっ、とイガラシが目を見開く。
「そ……そうでしたっけ」
「なんだ、知り合いだったのか」
谷口が一転して、穏やかな声で言った。
「そうなら言ってくれればいいものを」
「お、おぼえてないですよ」
声が上ずる。いつも冷静なイガラシが、珍しく動揺した顔だ。
「思い出さない方がいいスよ」
ベンチ奥より、幼馴染の井口が口を挟む。
「昔のイガラシなんて、今より口も悪くてけんかっ早くて、ほんと嫌なやつでしたから」
「てめーに言われたかねえよ! 小学校で先生をなぐって、停学くらったヤロウが」
「フン、ほんとのことだろーが」
まるで兄弟喧嘩のような言い争いを始めた二人を、周囲はポカンと見つめる。
どこかで油蝉が鳴いていた。真昼の日差しが、なぜか柔らかく感じる。本格的な夏の到来は、しかしすぐそこに迫っていた。
<完>