実際にあったしょぼい話 作:?男
水滴が落ちる、僕は水滴を見てはいないんだけどきっと落ちている。
水面に叩きつけられる水滴の悲鳴が定期的に響いている。
目の前は暗い、いや、暗いとかそういうものじゃない真っ暗だ。
目を塞がれているのか?なんて思ったけど違う、これは目が開いていない。いや、目が開かない。
アイマスクのようなものを付けられているような感覚もなく、僕は身をよじったりして体勢を変えようとはするけどもどうやら身体も動かない。
布団の中だと、気づいたのは意識が覚醒してから何分が経った時だろう。
金縛り、そう呼ばれるものの存在を思い出したのはさらにどれくらい経った後だろうか。
ふと、人の足音のような……いや、そこまでハッキリしたものじゃない。
気配、漫画とか小説やらで語られるそれを僕は視界を失くした事で感じ取れたらしい。
僕の家に住んでいるのは両親とまだ幼くて1歳程度の妹だ、妹が1人で牢屋のような赤ん坊用のベッドから抜け出したとは考えにくい。
父か母か?
いや、父は昨晩こう言っていた。
「欲しいゲームあって遠出して買ってくるわ!」
あの人の謎の行動力には困ったもので僕はいつもあの人のよく分からない突拍子もない行動に付き合わされている。
足が炎症を起こしていて立っていることすらままならない僕をキャッチボールに連れ出したのには悩まされた常識が欠けているのかもしれない。
そう考え始めたらマイナスな記憶がドンドン蘇ってきて、ごみ捨て中の僕を車から水鉄砲で狙撃してきたことや酔って僕を何回か殴っていたこと。
僕の足を木製の棒で炎症を起こすまで殴ってきたことや顎を拳で撃ち抜いて脳震盪を引き起こされてぶっ倒れた事まで思い出した。
未来の僕はあの人の事をただの他人と言うようになるが、その時の僕は父親では無く自分自身が悪いものだと思っていた。
『父の期待に応えられない僕が悪い』
『父は僕を鍛えてくれている』
未来の僕はその症状をなにかの番組で見るのだが、過去の僕はそれをまだ知らない。
おっと、文脈がズレてて話がわかりにくいかな?
この金縛りの体験は僕が過去に実際に体験したものだ、そこに着色はあるかもしれないし、無いかもしれない。
記憶というものは少しずつ着色されていくものだ。
それに人が言葉にするという過程において実際の出来事と言葉には微妙な差が生じるものらしいし文字に起こしているのならば尚更だ。
先程まで書いた虐待の数々は実際に父から中学生の頃の僕に行われた行為だけどね。
この体験を思い出したのもそれは昨夜の夢のせいだ。
この金縛りは、僕の住んでいた団地の池が埋め立てられてからわずか一週間程度の間に起きた事なんだから。
僕が次に思い出したのは母の事だ、妹の世話をする過程において粉ミルクをお湯で溶かすために僕の部屋の隣にあるキッチンに来たのかもしれない。
母に言ってみれば何か変わるかもと僕は動けないまま声を上げてみることにした。
「母さん、動けないんだけど助けて」
声は出た、まぶたも首も身体も動かせないけど、何故か喉と口は動くようだ。
返事はない。
声を出せていたと思っていたけれどもどうやら出てなかったのか?もしくは聞こえていないのか?
ならばと僕は続けて口を開いてみた。
「母さん?」
返事はない、けれど誰かそこにいる感じはある。
水の音はまだ鳴り止まない。
過去の僕を襲ったのは動けなかったり声が出せなかったりって恐怖だったか。
それとも母も変わってしまったのか?という恐怖だったか、それは思い出せない。
多分後者だと思う、だって次に僕が発した言葉は覚えてる。
「母さん、朝ごはんはなに?」
いつも通りを演じようとした、僕は僕を襲っていた金縛りを無いものとして扱った。
そこからは返事のない一方的な会話のキャッチボール擬き、会話の壁当てとでも呼ぶべきだろうか。
「お腹すいちゃってさ」
「もしかして今ってお昼?」
「母さん、返事してよ」
「目玉焼きとご飯が食べたいな」
「晩ご飯は中華がいいな」
今の僕は思う、食いしん坊かよ。
僕からの問い掛けに、一切の返事は無かった。
僕の声と水の音だけが響いていた。
その中で金縛りよりも、母さんから返事が返ってこない事の方が僕にとって恐怖になった。
知人にはマザコンと呼ばれたこともあったと思う。
けれど、今の僕としては自立もしている訳だしきっと防衛本能だったんだと思う。
暴力を振るう父よりも暴力を見逃していた母の方が好きだったんだと思う。
恐怖に苛まれる中で、僕は金縛りの存在を忘れていた。
そして、僕は目を開けた。
目は開いた、いとも簡単に。
夢オチではない、意識は覚醒していたのだから。
そして気配はまだそこにあった。
戸の大体8割磨りガラスでできていて、向こう側が若干透けて見えるのだがモザイクのように曖昧だ。
黒い人影が見えた、身体も動く。
水の音は止まない。
僕は布団を足蹴にして急いで立ち上がると戸へと手を伸ばした。
戸が開く、残りの2割を占める木材と部屋の仕切りが擦れる音がする。
開けた時そこにはなにもいなかった。
誰もいなかった。
蛇口からは水滴が垂れていた、捻れば水の音は止んだ。
辺りを見回しても誰もいない、僕は両親と妹の寝室へと歩いていった。
誰もいない、電気もついていない。
僕は1人でただ誰もいない所に話しかけていたらしい。
その事になんだか恥ずかしい気持ちになっていたと思う。
ガチャリ
玄関の方から鍵のあく音がした。
油断していた僕はめっちゃびっくりして玄関の方へと首を向けた。
おそるおそる玄関の方へと寄ってみれば母親が妹を抱きながら買い物袋を持っていた。
「何よアンタ起きてたの?スーパー行ってきたから荷物持ってキッチンに運んで」
いつも通りの母とその腕の中ですやすやと眠っている妹の姿を見て安堵した。
僕が目覚めたのはお昼頃だったらしく母が目玉焼きを焼いてくれるらしいので妹の面倒を見た、僕が抱くといつもボサボサに伸びた僕の髪を引っ張ってくる妹の力強さにいつも驚かされていた。
母さんの作ってくれた目玉焼きに醤油をかけてご飯と一緒に頬張る。
咀嚼して飲み込んだ後、僕は母に切り出した。
「さっきさ、母さんっぽい人影を見た気がするんだけど気のせいだった」
金縛りの事は忘れていたのか僕は人影の話を母にした。
母も目玉焼きを食べていたが会話に付き合ってくれて、つまらなそうな顔ではあったと思うがそれを相槌をうちながら聞いてくれた。
そして、母は言った。
「家の裏に池があったでしょ?アンタが落っこちたちっこい池」
「昔から、お化けとかって水場に集まるって言われてるんだけど埋められちゃったじゃない」
僕は目玉焼きをまた頬張りながら頷いた。
「そうすると、家みたいに集まってた場所を無くしたお化けたちはその周りでひと騒ぎしてからどっか行くらしいのよね、ま、知らないけど」
母は霊感といったものが無いらしく、その話はいつ聞いたか誰に聞いたかも覚えていないらしい。
実際に井戸端会議でも各ご家庭の怪談を聞いたけど眉唾物ねと続けた。
僕はそれを大人になった今でも覚えてる。
同級生の女子の家では勝手に花瓶が落ちたらしい、1個年下の男の子の家では電気が突然消えたらしい。
そんな井戸端会議由来の怪談も。
昨日まで忘れてたけど、こんな物だ着色のない怪談なんて所詮はこんな物だ。
何分間の出来事だったかはわからないが僕の身に起きたのは身体が動かなくなって人の気配を誤認して黒い人影のようなものを見ただけ。
死人も出てないし怪我もない。
暫く1歳程度の妹が僕の背後、何も無い空間を見て笑ってたのもきっと気の所為だろう。
今からする話は今の僕によるただの考察で妄想だ。
お化けや信仰といったものは人の思い次第で力を増したり逆に力が弱まったりするらしいが、もしかしたら。
僕を襲った金縛りは僕が金縛りを他の恐怖で塗り潰したから無効化できたのかもしれない。
怪異より恐ろしいのは人、それを斜め下くらいの目線で体現したのかもとか思っていたりする。
そして、昨日見た夢のタートルネックの女性がその人影だったんじゃないかって思ってしまった僕は相当小説やらアニメ、漫画の読みすぎだろう。