「だいぶ悩んでるねぇ……」
その次の日。今日は文芸部室でパソコンとにらめっこしていたら部長から話しかけられた。今時は部誌の入稿もデータが主流になってきているので、私も普段はパソコンで書いているのだけれど、昨日は気分を変えたらアイデアも出るかと思って紙の原稿と向かい合っていたのだ。でもこのスランプは執筆環境とは特に関係なかったみたいで、昨日も特に原稿が捗ってはいないし、今日も一向にキーボードを叩ける気がしない。そんな私を見て隣のパソコン前に座る部長は心配そうな様子だった。部長は黒髪三つ編みでいかにも文芸女子という見た目をしている、おっとりした性格で面倒見の良い、いい人だ。その部長に心配させてしまうと申し訳ない気持ちになった。
「すみません、〆切までには必ず……」
「いや、いいんだよ、そんなに気を使わなくて。文化祭の部誌は一年生にとってデビュー戦。どういう方向性のものを書いて良いか悩んで遅くなるのは良くあることだから。そういえば私も悩み倒して、当時の部長に〆切を伸ばしてもらったり……ゲフンゲフン! と、とにかく、実は今日は一つ頼みたいことがあってね。青山さんの原稿なんだけど、そろそろ出来上がるという風に聞いているんだ。原稿を取りに行ってもらえないかなと思って。〆切までまだ数日あるけど、ほら彼女は〆切破り常習犯だから、先手を打って早め早めにちょいちょい催促をかけておいた甲斐があったみたいだね。雑用みたいで悪いんだけど、少し違うことに集中した方が気分転換になって、真手さんにとってもかえって良い結果になるかもと思うんだ。頼まれてくれないかな?」
「わ、分かりました!」
先輩である部長の命令を拒む理由なんてない。私は二つ返事で引き受けた。しかし「違うことに集中した方が良い」という言い方はちょっと気になった。同じ校内で原稿を取りに行くだけの用事なんて、集中するという程に大変なものとは思えないけど――、しかしながら、実際に青山さんのところに原稿を取りに行こうとしてみると、その考えは甘いものだとすぐに分かった。
「青山翠さん? それなら三十分ほど前に演劇部室の方に向かうのを見ましたわ」
「青山さんなら庶民研究部のテーブルの下に潜り込んでいらっしゃいましたよ。十五分ほど前かしら」
「翠さんだったら、渡り廊下を全力疾走してテニスコートの方に向かっているのが窓から見えたよ。五分前くらいかな」
「青山ならついさっきフェンスを飛び越えて校舎に向かっていったぞ。まったく何をやっているのか、教師として一度注意せねば……」
私は青山さんという先輩とはあまり喋ったことはない。知っているのは、高校生にしてとあるエンタメ系の新人文学賞の最終候補にまで残ったことがあり、出版社からも目をかけられているといううちの文芸部のエースだということ。そして校内を神出鬼没にうろつく謎の多い人だということだけだ。しかしそんな神出鬼没な青山さんを捕まえるのは予想以上に大変なことだった。まず、青山さんはケータイを持っていないので電話やメールで連絡するというのが出来ない。なので校内で聞き込みをしてどこにいるのかを把握するしかないのだけれど、異様なスピードで校内を移動しているのか、目撃情報のあった場所に行ってもあと一歩のところで入れ違ってしまう。灯台下暗しと言うのか、青山さんがどうやら文芸部室に戻っているらしいということを突き止めた時には、私は校内中を走りまわさせられてすっかり息が上がっていた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、はぁ……。あ、青山さーん……。そこにいるんですよね? 原稿を……。って何!? 何なのこれ!?」
部室前まで戻ると、どういう訳かそこには人だかりが出来ていた。ワイワイガヤガヤと騒ぎながら部室の中を覗き込もうとしているようだけれど、誰一人実際にドアを開けて部室の中に入ろうとする人はいない、という様子だ。よく見ると人だかりの中には文芸部員の姿はないので、流石によその部室に勝手に入るのは遠慮しているのかもしれない。中には「ラパーン!」「ラパン様~」とかいう変な奇声のようなものを上げている人までいる。人だかりの中にクラスメイトの姿を見つけた私は、ちょんちょんと肩をつついて事情を聞いてみることにした。
「ねぇねぇ、この騒ぎはなに? 何でうちの部室の前にこんなに人が集まってるの?」
「真手さん!? あぁ、そうか、真手さんはこのところ執筆に集中してたからご存じないのね……。怪盗ラパンの噂!」
「怪盗ラパン?」
「そう、そういう名前を名乗って校内で怪盗行為を働いている方がいるの!
必ず予告状を出してから現場に現れて、まあ今のところ実際に何かを盗むのに成功したことはないそうなんだけれども……。でも失敗して現場から逃走するお姿が物凄く颯爽として格好良いのよ! こう、右手を高く上げてから仮面に添える、『私に盗めないものはないのよ!』の決めポーズも毎回びしっと決まっているし。この前何て私が呼びかけたら右手を振り返して応えてくださったわ。黒いマントに黒い仮面も似合っていて、惚れ惚れしちゃう……」
クラスメイトの目にはハートマークが浮かんでいた。要するに、このお嬢様学校内でいわゆる怪盗小説に出てくるような怪盗ごっこをしている人がいるらしい。この学校の入口の警備は厳重だから、外から入ってきた不審者ではないだろう。きっと生徒の誰かのいたずらだ。一種のコスプレなのだけれど、お嬢様ばかりのこの学校では物珍しいのか、生徒の間で一定の人気があるようだ。それにしても、何かを盗むのに成功したことはないのに「私に盗めないものはないのよ!」が決め台詞とは、誇大広告も著しいような気がする。とにかく、その怪盗ラパンがまた今日も現れ、文芸部室に入って行ったという目撃情報があるのでここに人だかりが出来ているということらしい。私は扉の前に立って見上げる。古くなったプレートは擦れて消えかかっていて「文芸×××××」としか読めない。本当は「文芸部第一部室」と書かれていたのだろう。しかしこのプレートだけでもここが文芸部の何かだというのは部外者にも分かるのでここに集まってきているようだ。
「そうだ真手さん、真手さんだったら文芸部員だから合法的にこの扉の中に入れますわよね!? この扉の中、たぶん文芸部の部室でしょ!? 開けてくださらない!?」
「言われなくても、私は元々ここに用があって来たんだからそうするよ。青山さーん! 原稿を取りに伺いました!」
そう言ってドアを開けて中に入ると、亜麻色の髪をした美しい顔立ちの女子生徒がいた。青山さんだ。どうやら今部室には彼女一人のようだ。しかし、その青山さんは椅子に腰かけて俯き、この世の終わりのような絶望的な顔をしているのだった。
「あ、青山さん!? いったいどうしたんですか!?」
慌てながら私がそう言うと、青山さんは泣き崩れ落ちるような様子でこう答えた。
「あぁ、あなたは一年生の、真手さん……。き、聞いてください……私が書き上げた原稿……、か、怪盗ラパンに盗まれてしまいました……!」