今回の話のタイトルは「胡蝶の夢」勿論しのぶさんの夢ではありませんよ。
『夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのか』といった説話からです。
炭治郎らが無限列車に乗り煉獄と話を始め、車掌さんが彼らの持つ切符を切ったのとほぼ同時刻。
「警戒に越したことはないとは言いますけど、大方予想通りでしたね、〝拍治さん〟」
「ああ……」
同じくこの列車にはカンナともう一人、鬼殺隊、拳柱、素山拍治の2人も乗り合わせていた。
2人はそう互いに話をしながらもすでに切込みが入れられている切符に目をやる。
「切符を切られた人はまるで、糸が切れた操り人形かの如く眠りに落ちてしまっています」
「やはりこの切符に鬼が何らかの血鬼術を仕込んでいたようだな。この昏倒はそれによるものだろう」
2人は最初、この列車に乗る際に勝った切符を見たその瞬間にこれに気付いた。この列車、無限列車の切符にはあらかじめ鬼による細工がなされていたのだ。
それは極めて単純明快な血鬼術でこの列車行方不明事件の首謀者たる鬼の血があらかじめ切符のその全てに浸み込ませており、この列車の車掌がその切符を拝見し切込みを入れることでそれが引き金となり発動し、その切符を持つ乗客を深い眠りにつかせるというモノ。
「けど、拍治さんは良く気づきましたね」
「鱗滝殿ほどではないが、俺も人並み以上には鼻が利く。それとこれまでの鬼殺の経験から、鬼の匂いの特徴はすべて把握してるからな。とはいえ、この術は単純であるがゆえに、素人以上にベテランの隊士であればあるほどわかりづらい。これまで送り込んだ隊士の中には長く鬼殺隊にいて経験豊富なベテラン隊士も多く含まれていたのに、その全てが消息を絶ったというのも頷けるというモノだ」
「となると、炭治郎らは元より煉獄さんも」
「恐らくは……」
狛治の言葉にカンナは静かに頷いた。確かに拍治のように鼻が利く上に、これまでの鬼殺の経験から鬼の匂い、気配などを熟知していてなおかつ、絶えず異能の鬼の血鬼術への警戒を行い些細な事にも常に気を配れるほどの隊士でなければ、こういった類の術を躱すのは難しい。
通常、多くの鬼殺隊士、特にベテランともなれば血鬼術を使う異能の鬼との戦う機会も多くなり、多種多様でかつ複雑怪奇な血鬼術に晒されることも増える。
しかしそこに多くの隊士が陥る落とし穴がある。
こういった隊士は長らく鬼殺の場においてそうした血鬼術に触れてきたがゆえに、ある種の慣れの様なものが生まれてしまう。複雑怪奇な血鬼術への警戒は密に行う半面、こうしたほぼ誰もが思いつくような単純な血鬼術への対処が疎かとなりやすいのだ。そして今回の無限列車に送り込んだ隊士たちのように思わぬ反撃から殉職するというケースが後を絶たない。
「この切符……匂い以外では切符の墨の感じ、切符そのものの肌触りなど質感が他の切符と大差がない。それに基本列車に乗るからには切符の拝見は避けては通れない。警戒していたとしてもかかるモノはかかるさ」
「あまりに嫌なやり口ですね。私たちは幸いなことに師範から渡された〝複製品〟を切らせましたから事なきを得ましたが」
拍治は長らく鬼殺隊に属し、そうした血鬼術で死んでいく隊士の姿を目の当たりにしてきたことから他の隊士がする以上に血鬼術への対処を怠らない。それはカンナも同じで最初にこの列車の切符を購入した際にすぐ、その切符から感じた違和感に気が付いた。
とはいえ列車に乗る以上は切符の購入に加えそれらを車掌に拝見させることを避けて通ることはできない。単純な血鬼術だが、それが故に用意周到に仕組まれたこれら発動に至るまでの条件。仮にこれらに気が付いていたとしても完全に回避するのは困難であった。
「それに関しては奴に感謝せねばな。とはいえこの鬼、考えるにここまで用意周到に場を拵える特徴から相当慎重な奴だ。しばらくはこちらからは行動を起こさずに〝奴の術に掛かったフリ〟続けるほかあるまい」
「賢明ですね」
幸いカンナ、拍治の2人は無限列車に向かう直前、雪柱、導磨からこの無限列車の切符、それをほぼ完璧に複製した偽切符を渡され、更に鬼に感づかれるのを避けるために本物の切符も同時に購入したうえで、切符拝見の際にはその偽切符の方を切らせることでこの鬼の血鬼術に掛かるのを防ぐことができた。
とはいえここまで用意周到にした盾部を行う鬼が、自身の術に掛かっていない人間に気付くことがないとは限らない。そのためカンナと拍治の2人も鬼が何かしらの行動を起こすまでは、ほかの乗客と同じように術に掛かったというフリをすることになった。
炭治郎が気付いたときには目の前は真っ白な銀世界。そしてそこにいたのは在りし日の家族の姿であった。
最初、炭治郎は感極まって兄弟たちを抱きかかえ大きく泣いた。
それからしばらくは家族たちと楽しい日常を過ごす炭治郎であったが、ふとしたことでここが自ら見る夢の中であると気が付いた。
それは炭治郎が母に言われ、風呂の支度の為に近くの川まで水を汲みに行ったとき。水面に浮かんだ鬼狩りの服を着た自分自身に川の中へと引きずり込まれこう叫ばれたからだ。
「起きろ! これは夢だ、攻撃されている! 起きて戦え!!」
夢だと気づいた炭治郎は今度はどうすればその夢から抜け出せるかを考えた。しかしその方法は一向に分からず再び家族との日々が繰り返し映し出された。
(駄目だ! 夢の中だ。どうすれば出られる!? せっかく夢だと気づけたのに!)
焦りが募る炭治郎だが、突如としてその炭治郎のみを炎が包み込んだ。
(禰豆子の匂いだ! この炎は禰豆子の血鬼術!? 禰豆子が血を流している!)
炭治郎がその炎が禰豆子によるものだと気づいたのと同時に、体を包み込んでいた炎が消えた。
「日輪刀……それに」
炎が消えた後の炭治郎の姿はそれまでの姿から大きく変貌していた。服は先ほどまで着ていたモノから市松模様の羽織を纏った鬼殺隊の隊服に、そして腰には先ほどまではなかった日輪刀が差し込まれていた。
それは〝今の炭治郎〟にとっては馴染みある姿。鬼狩りとしての自身の姿であった。
「炭治郎……」
姿かたちが変貌した我が子を炭治郎の母、葵枝が心配そうな顔で見つめそう声をかける。その姿に一瞬躊躇いを覚える炭治郎だが、すぐさま立ち上がり。
「ごめん……俺……行かないと」
そう静かに母に告げた。
「そう……もう行くのね……」
「え!?」
だが、次に炭治郎の耳に入ってきたのは、思いもよらなかった母のその言葉だった。
「帰り方は分かるわね? でも忘れないでね炭治郎。私たちはもういなくても、貴方が帰るべき場所はちゃんとあるということを、絶対に」
「母さん……」
優しげに我が子を見つめる母、葵枝の姿に炭治郎の眼には涙が浮かんだ。しかし同時にその母の顔は、我が子を送り出すと、決意の籠った真剣な顔でもあった。
「うん、ありがとう……少しの間だったけど、幸せな夢だった! 俺、行くよ!」
「ええ、行ってらっしゃい炭治郎」
「兄ちゃん!」
「頑張れ兄ちゃん!」
「頑張れ!」
家族に激励された炭治郎は涙をぬぐい力強い笑みを家族に向けると白銀に染まった大地のなかを駆け抜けていった。
この夢の中から抜け出す方法、その方法をすでに炭治郎は理解していた。しかし、それでもまだ完全には確証が得られなかった。もし間違っていたら、それによって自分の命が失われるかもしれない。
ここにきて再び迷う炭治郎の背を、最後に押したのは。
「迷う必要はない。自分がそうだと信じたのなら、それを成しなさい」
亡き父の言葉であった。
炭治郎はその父の声に押されて自身の日輪刀の刃を。
「あぁあああああああ!!」
自らの頸へと押し当てた。
鮮血の紅が白銀の大地を染め上げ炭治郎の意識はその場で途切れた。
―――――
―――
―
「うわぁあああああああ!!」
そう叫ぶとともに勢いよく起き上がった炭治郎はすぐさま今自分がいる場所がどこかを確認する。
そこはつい先ほど煉獄らと話をしていた無限列車の中であった。その光景を見て炭治郎はあの方法、〝夢の中で自分が死ぬ〟ことが正しい脱出の方法であったことを改めて理解した。
「そうだ、禰豆子!」
炭治郎はすぐさま自身の妹の安否を確認する。
「ムー」
幸いにも禰豆子は炭治郎の客席の側におりその姿を確認した炭治郎はほっと胸を撫で下ろした。
「禰豆子、よかった無事だった……いた!」
「ムームー!!」
しかし当の禰豆子はどうやらご機嫌斜めの様子で炭治郎をぽかぽかと殴り始めてしまう。
「ね、禰豆子! いったいどうしたって言うんだ!?」
「ムッ! ムムム!!」
そんな禰豆子に驚いた炭治郎はそのわけを禰豆子に聞くと、禰豆子は今も僅かに血が滴っている自身の額を強く指さし炭治郎に見せるのだった。
「あ、あ―――スマン、禰豆子。俺を起こそうとして額を俺の頭にぶつけたんだな……」
その禰豆子の訴えに炭治郎もようやく禰豆子の起源が悪い理由を理解しよしよしと禰豆子の頭を撫でてあげた。
「そうだ、他のみんなは!?」
禰豆子の機嫌を取った後炭治郎はすぐさま客車内にいるほかの仲間たちの安否を確かめる。
幸い他の仲間たちは眠らされる前と同じ位置にいてグースか客席で寝っ転がっていたが、1名だけは思わぬ態勢で眠り続けていた。
「れ、煉獄さん!?」
それは炎柱、煉獄杏寿郎であった。
杏寿郎は眠った状態であったにもかかわらず、立ち上がり一人の少女の頸を掴んでいたのだ。
最初は鬼ではなくただの人間、それも自分よりも都市が下の少女を手にかける杏寿郎に驚いたがすぐさま、炭治郎はその少女と杏寿郎の腕が縄で繋がれているのに気が付いた。
(あの縄、そういえば俺の腕にも! 俺だけじゃない、善逸に伊之助の腕も縄で繋がれている。繋いだのはこの子供達か!? それにこの縄……鬼の匂いがする! 縄だけじゃない)
炭治郎は咄嗟に自身の懐にしまっていた切符を手にし匂いを嗅ぐ。
(やっぱりだ、あの時、切符を切られる時に感じた違和感はこれだ! この切符からもかすかに鬼の匂いがする! 縄と切符……それじゃこの子供たちは! それだけじゃない、あの切符を切りに来た車掌さんも……)
炭治郎はそれで自分達の身になにが起きたのか、その全てを理解した。
「この縄……なんだろう……嫌な予感がする、これを日輪刀で断ち切ってはいけない気が……禰豆子! すまないがこの縄を全部燃やしてくれないか!?」
「ムム!」
炭治郎はそう禰豆子に頼むとすぐさま禰豆子は自身の駆ら弾傷を入れ血を流すと、血鬼術『爆血』を発動し杏寿郎、善逸、伊之助、そしてそれらと子供たちを繋げている縄を燃やす。
余談だがこの時の炭治郎の判断は適切であった。この縄は今回の首謀者たる鬼が用意したモノでコレに繋がれたものは繋いだ相手の夢の中に入るということができるのだが、この縄は日輪刀で断ち切ると夢の主でない者たち、即ち今回の場合は杏寿郎らとつながっている子供たちはみな意識が戻ることがなかった。
そしてこのことをその首謀者である鬼は一切子供たちには伝えてはいない。鬼にとって所詮人間は単なる道具に過ぎずその生き死になどどうでもよい、そうなってしまえばただ食料として喰らうだけなのだ。
縄が断ち切られたのを確認するとすぐさま炭治郎は善逸、伊之助らに声をかけ起こそうとするも彼らは深い眠りについたままで一向に起きようとしない。
どうしたモノかと悩む炭治郎だったが突然。
「この!」
先ほど杏寿郎が首を抑えていた少女が炭治郎に錐をもって襲い掛かってきた。
「邪魔しないでよ! アンタたちが着たせいで夢を見せてもらえないじゃない! 何してんのよアンタたちも、起きたなら加勢しなさいよ!」
しかもその少女だけではない。善逸、伊之助と縄で繋がれていた子供たちもみな錐を手にし炭治郎に飛び掛からんと構えていたのだ。
「やめてくれ! 君たちはいったいなぜ、こんなことをしているんだ!?」
「決まっているわ! あの人に……幸せな夢を見せてもらうためよ! それなのにアンタがそれを台無しにしてくれた! 許さない……」
炭治郎はその少女の、狂気に満ちた目とその言葉で理解した。この子供たちは鬼の言葉、〝幸せな夢〟というモノを見せてもらうため、自分たちの意思で鬼に協力していたのだと。
「何してるのよ! アンタも起きたのなら、私たちに加勢しなさい! 結核だか何だか知らないけど、ちゃんと働かないならあの人に言って、夢を見せてもらえないようにするからね!」
少女がそう叫ぶと追う一人、炭治郎の座っていた石の背後の席からもう一人、涙を流した少年が立ち上がった。
その少年の手にも錐が握られていた。しかし他の子どもたちとは違いその少年は炭治郎に襲い掛かろうとする素振りを見せなかった。
「悪いけど、君たちの願いは聞けない。俺は戦いに行く、君たちに〝幸せな夢〟を見せるといった人を……鬼を狩りに」
炭治郎はそう口にすると涙を流している少年以外の子供たちの首筋に手刀を当て気絶させた。
「…………俺も分かるよ、幸せな夢の中に浸りたいって気持ち。俺だって同じだ……」
「…………」
「大丈夫ですか?」
炭治郎は最後に残った少年の方を見て静かにそう聞いた。
「ありがとう……気を付けて」
少年は炭治郎の問いに短くそう答えた。
すでにその少年に害意はなかった。
この少年は他の子供たちと同じく炭治郎の夢の中へと入った。その目的はただ一つ、人の精神、その核を破壊するためであった。それが彼らが言ったあの人、即ち今回の首謀者たる鬼が彼らに課した役割であった。
精神の核とは文字通り人の心の中枢である。それは本来ガラス細工のように脆く夢の中に入った人の手でもあっさり壊せてしまうモノでもあった。本来この鬼の血鬼術により深い夢の中に墜とされた人は現実の肉体を動かすことができないは。杏寿郎が炭治郎を最初に襲い掛かった少女の頸を掴めたのは、その中枢を壊さんとした少女を本能だけで察知しそれを防ごうとしたためである。
この少年も最初は炭治郎の精神の核を壊そうと夢の中に入った。しかしその少年が炭治郎の夢の中で目にしたのはどこまでも広がる晴れ渡った蒼穹であった。
その蒼い空の中に正しく太陽のごとく存在していたのが炭治郎の精神の核であった。そしてそのもとには小さな炎の小人たちがいた。彼らは炭治郎の心、優しさの化身たちであった。
少年はその光景とその空間の暖かさに触れ、当初の目的など忘れてただ只管に泣いた。
程なく自力で目覚めた炭治郎と共に彼も現実の世界に引き戻されたのだが、その際に炭治郎の優しさの化身たる小人のうち、1人の手を握っていた。その小人はその少年の心に宿り、今も彼の心を暖かく明るく照らしている。
少年の言葉を聞いた炭治郎は客車をただひた走る。
彼の鼻はすでに鬼の居場所を捉えていた。そして客車の連結部分に来た時、これまで嗅いだものよりもずっと強い鬼の匂いを嗅ぎ取った。
(くそ、こんな中を俺は眠っていたのか! 客車が密閉されてたとはいえ不甲斐ない!)
「禰豆子はここにいろ! みんなを起こすんだ!」
炭治郎は傍らについてきていた禰豆子にそう言うとそのまま、列車の屋根に飛び乗り鬼の下へと再び駆け抜けていく。
「あれぇ、起きたんだおはよう。まだ寝ててよかったのに」
そして、この列車の先頭車両の屋根の上に件の鬼、十二鬼月・下弦の壱、魘夢の姿があった。
「折角良い夢を見せてやっていたのに。お前の家族をみんな惨殺する夢を見せることもできたんだよ? なのに勿体ない……そうだ! 今度は父親が生き返った夢を見せてあげようか?」
不敵な笑みを浮かべながらそう、恰も炭治郎を嘲るかのごとき言葉を吐く魘夢に炭治郎の心に怒りの炎がともる。
「人の心の中に、土足で踏み入るな! 俺は、お前を許さない!!」
炭治郎と眠り鬼、魘夢との戦いの火ぶたが切って落とされた。
つづく
よく言われる、柱なのにこんな血鬼術になぜ煉獄が掛かってしまったという疑問。
私はそれを本編で語った通り、経験が豊富であるが故の慣れと魘夢の仕組んだ条件の回避の難しさからと結論付けています。