19時に帳が降ろされ辺りが騒然となっている中、少年はスターバックスで人の波を眺めていたときと然程変わらない様子で群衆を眺めていた。ひどく凪いだ目だ。
『――今度は何やらかすつもりなんだい?』
「なんで僕が何かをやらかす前提で話すんですか」
不服そうに少年はそう言うが、これまでの付き合いで何となく嫌な予感がした。
「ゾンビ映画やパニック映画でよく「そんな行動取るわけないだろ」って行動をとる人、いるじゃないですか。外にゾンビが溢れてるのにわざわざ外に出たがる人とか。俗にいう死亡フラグってやつですね。あれも
外に出ようと怒鳴りながら帳を叩き続けている者。電波が届かないにも関わらずスマホを触り続ける者。恋人が先ほどの風で地下鉄の入口に吸い込まれた男性はちょっとの間、地下に続く階段の前をうろついていたが決意を決めたのか下りて行った。武器さえ持たずに。
帳の中に入ってくる者は多くいた。何も知らない一般人。探るような視線に窓かと思われる者もいたが、その者は帳の外に出ることができないようだ。帳の外にでることができないなら意味がない。
注意深く帳の中に入ってくる者を眺める。すると喪服のような真っ黒いスーツを纏った者が現れる。補助監督だ。慌てて少年を呼ぶ。
「…あの、ホジョカントクの人ですか?これ、五条さんに渡してください。どこに何があるかマッピングしている地図です。「如月青から渡された」と伝えていただけると五条さんならすぐに判ると思います。クイ?の場所も記しています」
補助監督は一瞬迷ったようだが、それを丁重に受取ると帳の外に出て行った。
「じゃあ、行きましょうか。夏油さん」
『えっ?補助監督待たなくていいのかい?』
「僕がなんで待つ必要があるんですか。時は金なりですよ」
そう言うと少年はそこら辺をぷらぷらしている男を呼びに行った。
「まず、伏黒さんが見つけてくれた…トバリのクイを壊しに行きましょう。地下で閉じ込められている人たちを早く外に出さないと」
方針が決まれば行動は早い。男が1人で状況を確かめに行った際に、駅に一般人を閉じ込める帳の杭の場所も発見していた。それを壊す。男によるとホーム以外の地下層階にも呪霊がいるらしい。呪霊を祓いながら杭のところまで行く必要がある。
念の為にそれが叶わない場合のことも考えていたがその心配は杞憂だった。初めは男も私も少年と手を繋いで慎重に対応していたが、段々とコツを掴んできたのだ。
何しろ呪霊には少年が1人で歩いているようにしか見えない。呪霊が少年を襲おうと近づいたときに、男か自分がそれを祓えばいい。
反対に少年には才能がないのか呪霊の姿を捉えることはできないため、騒ぐことも恐怖でパニックになることもなかった。少年からすると急に腕を引かれたり、その場にしゃがむように言われたりと意味不明だっただろう。
手に持つナイフを呪霊の脳天に突き刺し、雑に切り捨てた。呪霊の血や肉片が通路に飛び散りタイルを濡らす。
一緒にいる男はもっと雑で、少年を俵担ぎし、時には宙に放り投げと好き放題している。呪霊が見えない少年からすると予測不可能なジェットコースターだ。実際、少年は酔ったようで顔色が悪い。
少年の気分の悪さと引き換えにB5階以外の呪霊は祓い終える。幽霊とはいえ天与呪縛のフィジカルギフテッドと特級呪術師だ。少年から離れられないという縛りはあるが、2人がかりで当たれば造作ない。
帳の杭を守っていたのは1級呪霊だった。
男は少年を小脇に抱えると生来の高い身体能力を活かした軽やかな動きで攻撃を躱し、鋼鉄のように重いダメージを何度も与える。
少年の背負うリュックから武器をいくつも取り出すとその呪霊に突き立て串刺しにする。杭を蹴り壊すと帳が上がる。自身らを阻む壁がなくなったことに気が付いた一般人は一目散に地上に上がろうと動きはじめた。
粗方片付くと次の行動を話し合う。一般人が押し合いへし合いをしながら次々に出てきているためB5階の副都心線ホームに行くのは避けた方がいいと提案するが、少年はそこに行こうと言い出した。
「だって、わざわざ一般人をそこに集めていたんですよ。なにか目的があるんだと思うんです。もしかしたらまだ偽者さんもそこにいるかもしれません」
そう言われると反論の余地はない。
一番の問題はどう行くかだった。駅からは人の流れができており、それに逆らって中に入ることは難しそうだ。
『あーグチグチうっせぇな。さっさと行けばいいんだろ』
そう言って男は少年をひょいと担ぐとそのままホームに降りて行った。案の定、人の頭を踏みつけている。突然頭を踏まれた人からは悲鳴に近い声が聴こえた。
ホームにはもう一般人はまばらだ。大半はもう外に出たらしい。無事にホームに着くことはできたが少年は圧迫された鳩尾を擦っていた。
丁度線路に辿り着いたときには既に悟がおり、線路で呪霊たちと対峙している。
「ねぇ、回りくどいことしてないでさっさと出てこいよ。夏油傑!」
人がホームに詰めかけていたときよりも動きやすくなったらしい。悟が目から樹木を生やしている特級呪霊を容易く祓い、言う。
その瞬間に悟の方に向かって四角い箱が転がされる。見たことがないほど俊敏な動きで少年はホームドアを乗り越えるとその箱から悟を庇うようにして、男に言う。
「伏黒さん!それどっか投げて!!」
その少年の言葉に素早く反応した男は、片手で少年の腕を掴み、転がってきたそれを明かりも届かない線路のトンネルに向かって投げた。硬い物がコンクリートにぶつかる音がトンネルの中で反響する。音の遠さからかなり離れた場所に転がっているのだろう。
「なんで…」
「いや、C-4かと思って……あ、C-4っていうのはアメリカの軍をはじめ世界各国で使われているプラスチック爆薬の一種で…」
「そーじゃなくて…そもそもなんでここにいんのよ…」
悟としても少年がここにいることは想定外だったようだ。自身の髪をかき混ぜる。
「あーあ、大失敗だな。帳ももう上がってるみたいだし。……まさか私が生きていることを知られていたなんて。
――どうしてわかったのか聞いてもいいかい?」
ホームの陰からその声は聞こえた。現れたのは自分だった。以前と同じ袈裟姿。ただその額に付けられた縫い目だけが違う。自分の体で、そして似た口調で言葉を紡ぐその男が憎くて憎くて仕方がない。
「情報提供者がいてね」
「それが誰なのか聞かせてくれるかな」
「――僕たちです!」
急いで少年の口を塞ぐが時すでに遅しで、偽者と特級呪霊の視線が集まった。
「……君が?」
呪力も一般人と変わらない少年に視線を遣り、不快そうな表情を露わにする。
「あの…偽者さんに聞きたいことがあって…」
「偽者…もしかして私のこと?」
こんな状況下で何を聞きたいのだろうか。偽者は片眉をあげて少年の言葉の続きを求めた。
「えっと、…その……」
少年が口篭もるなんて天変地異の前触れだろうか。そのことに焦れたのか偽者が急かす。
「…偽者さんはこの1年でお子さん作られましたか?」
は?
その場の全員の反応が一致する。
「いえ、お子さんができていなくても…繁殖活動、つまりどこかの女性と性行為、えぇっと…子作りを、その、セックスをされたか、できれば相手と頻度もお聞きしたいんですが…」
最悪だ。感じていた嫌な予感はこれだったのか。
『こんな時にそんなこと聞かない!』
「そんなことじゃないですよ。だって僕が偽者さんの繁殖の可能性を伝えた後、夏油さんずっと株とFXについて調べてるじゃないですか」
少年に知られていた驚きで思わず口を閉ざしてしまう。
「夏油さんのことだから子どもがいた場合の養育費の心配されているんでしょう?だったら直接偽者さんに聞いて確認した方が早いですって」
少年はそう言って再度偽者に繁殖行為の有無を聞いた。
「…してないけど」
偽者も混乱しているようだ。しかしその偽者の言葉に更に少年は追撃をかける。
「健康な20代成人男性が1年間ずっと自家発電…?ありえない…」
使っている動画サイトはFC2かPornHubか、あるいは性的対象が人間ではないのかと続けて少年は訊ねる。
なんで聞いているだけで吐きそうになるんだろうか。痛まないはずの胃がキリキリしてきた。悟と男は繁殖行為について少年が切り出した時点で腹を抱えて笑っている。他人事だと思いやがって。
「――さあね」
頼むから答えてくれるな。